ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

先週金曜日、経営協会様のセミナーで講師を務めて参りました。
「社内広報担当者のための企画力養成コース」で、全5時間半の講座です。
当社セミナーに出たことのある方はご存知かもしれませんが、
私たちはインターナルコミュニケーションの問題に対し、
「感情」に目を向けて課題解決することを大切にしています。
ですので、このセミナーでも社員の皆さんの感情にフォーカスする内容で、
ワークショップ形式でお届けしました。
さて、ここでは大雑把に「感情」と書きましたが、
その中には、喜怒哀楽的な感情も含まれますし、欲求というものも含まれます。
さらには、非認知、認知、理解、共感というものを経て
行動へと繋げる道筋も含んでいます。本当に奥が深い。。。


さて、、、金曜日のセミナーでは、最後のまとめの段階で、
全員に1分弱で印象に残ったことや感想を話してもらいました。
すると、かなり多くの人が
「社員の感情に目を向けるということを考えてこなかった。
もっと目を向けたい」と語ってくれました。


きっとそうなのだと思います。
もっと言えば、組織の集団感情に目を向ける以前に、そもそもビジネスシーンでは、
「日常の感情」に目を向け、表立って感情を語り合う習慣がない。

どのようなことかというと、たとえば、、、
あることを巡って、自分は「ちょっとがっかりした」と思っていても、
それを口にしてはいけないと多くの人は思っている。
がっかりして、ツンケンした態度を取ることがNGなのはもちろんだけど、
がっかりしたという気持ちをニュートラルに語ること自体もNG、
そう思っている人が多いように感じます。
感情を感情的に出すことと、言葉を通じて伝えることは別のことで、
私は後者はむしろ健康であるために必要だと思うのですが、
そう考える私は決してマジョリティではない気がします。

しかも、これは職場だけの話ではなく、
友だち関係やコミュニティなどでも同様なのではないでしょうか。
本当はちょっと気分を悪くしているようなときに、
「ごめん、そこまで言わないで」となかなかいうことができませんし、
とある集まりに誘われて、本音では「参加したい気分ではない」時に、
そうとは言わず「先約があって...」と断ったり。
本当の気持ちを言いにくい。これは誰にでもありますね。


私たちは、いったいどうしてそう感じるのか、考えてみました。
確信はありませんが、多少なりとも関係がありそうなことは出てきました。
私たちは子どもの頃から、
感情を出すことは悪いことだと教え込まれてきたからではないか、と。

感情を出すというのは;
・自分中心であり、協調性がないこと
・見苦しいこと
・弱さを出すこと
・子どもっぽいこと
・周囲に波風を立てること

こんなふうに刷り込まれてきた気がします。
だから、最早その刷り込みを疑うことさえしない。
特に一番最後に挙げた「周囲に波風を立てること」という捉え方は、
感情を示すかどうかのみならず、かなりいろいろなところで、
私たちの心を支配している基準になっているような気がします。
だから、感情の話は常に置いていかれる。


でも、感情は本当にワル者なのでしょうか?
感情的に振る舞うことと、
感情を伝えることは別のことです。
感情を伝えることの本質は、「自分」が主語であり、
相手を責めることとは違います。
つまり、本来的には感情自体は否定される必要のないものですし、
それを伝えること自体も否定される必要はないはずです。

感情はワル者でもイイ者でもなく、
自分自身の人間らしさ。
人は、感情によって、思いもよらない力が出たり、
反対に萎えたりします。


組織が社員の感情に目を向けるようになることと、
組織に属する一人一人が自分の感情に蓋をすることなく、
まっすぐに見つめ、自分の感情を大切にすること。
どちらも同時に取り組むべきではないでしょうか。
自分の感情を大切にできない人が他の人の感情を大切にはできませんからね。

今週も素敵な1週間でありますように!

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前回のブログでは組織の中で課題となる「自分ゴト化」と
ワクワクの関係について考えましたが、
今日は純粋に自分のためのワクワクについて考えてみたいと思います。


今日の結論を先に書いてしまいますと、
ワクワクしたいのは自分なのに、
ワクワクに向かうことを邪魔するのも自分だという話です。


まずは私の体験から。
私の場合は「やりたい!」と思うことを発見すると、
その瞬間胸が熱くなって、カラダに力が湧いてくることを感じます。
ココロがうきうきして、らんらんらん♪という気分になります。
だから、これはアタマが計算して望んでいるのではなく、
ココロがやりたいと心底望んでいるのだということがすぐにわかります。


今現在もアート系でワクワクしていることが二つ三つありますし、
ビジネス系でも二つ三つあります。
それだけやりたいことがたくさんあると、
さらにやりたいことが心に舞い降りてきてきたときに、
「ちょっと待って、そんなにたくさんできないんじゃない?」という
内なる声が聞こえてきます。


最近もありました。
実はひと月ほど前に母が他界したのですが、
母の生きっぷりが我が母ながらに素晴らしく、
また入居していた老人ホームのスタッフの対応が
母の人生の最後7カ月を母らしく輝かせてくれました。
ちなみに母はすい臓がんで、余命宣告を受けており、
本人は延命治療はせず、緩和ケアだけを望んでいました。


その施設での7カ月間の母へのケアに対し、
本当にありがとうという感謝の気持ちを示したくて、
私はスタッフにインタビューし、
仕事への思いを綴った本を作って贈ることを思いついたのですが、
その意思表示をするのに、さっきの内なる声が出てきたのです。
「そんなにたくさんできないんじゃない?」
「10月の個展の準備だって、ほとんどできていないよね」
「そんなことをやる時間があったら、遅れている仕事をすべきじゃないの?」
「感謝といったって、そんなことをしても喜んでもらえないんじゃないの?」
「みなさん忙しいのに、そんなことで時間を取られるのは嫌なんじゃないの?」


正直なところ、その声の言うことは正しいです。
いえ、こう言い換えておきましょうか。
その声の言うことは「もっともらしい」と。


確かに私の企画は、母と関わった10数名にインタビューをし、
1名ごとに1000文字弱の記事にするというものなので、
かなりの時間を必要とします。


けれど、果たして1年後にやりたいと思うでしょうか。
答えはNOです。
今、やりたいことなのです。
そして、理由もなくやりたいことなのです。
感謝の気持ちをなぜそこまでして示したいのか、私には理由を言えません。
だからこそ、私は自分が心からやりたがっているとわかりました。
私は自分が聞いた心の声はサボタージュ(言い訳心理)であることを知っていました。


それで私は意を決して施設長に申し出をしました。
結果的には快諾されて、実現することになりました。
するとどうでしょう?
「そんなにたくさんできないんじゃない?」という不安は吹っ飛び、
この人たちと一緒にコトづくりができるというワクワク感の方が
やっぱり強く出てきました。
映画「きっと、うまくいく」ではありませんが、
私は、自分がこれもやり、他のこともやれるということを信じられています。


さて、「サボタージュ」という言葉を聞いて、
さらに調べたくなった方もいるかもしれません。
正確に言うと、「セルフ・サボタージュ」というのかな。
自分を邪魔する存在として「サボター」(心の中の妨害者)とも言うようです。
自分のやりたいことやありたいことに対して、上手な抗弁を言い、
向かいたい方向と反対方向に仕向ける悪魔の囁きをする相手です。
無意識のうちに習慣化した自分の心の動きのパターンだとも言えます。
自分が傷つかないように、リスクから逃げる「生存脳」の働きでもあるようで、
誰の心にも棲んでいます。


コーチの世界的育成組織「CTI」の前CEOシャザド・チャミン著
「スタンフォード大学の超人気講座〜実力を100%発揮する方法」によると、
サボターには次のような10のタイプがあるそうです。
・裁判官
・潔癖性
・八方美人
・優等生
・犠牲者
・理屈屋
・こわがり
・移り気
・仕切り屋
・優柔不断


今回の私のケースは、どうでしょう?
おそらく潔癖性、こわがり、優柔不断が掛け合わさっていたような感じですね。


自分を妨害する最大の相手、それはおそらく自分です。
その存在が自分の中にいることを知っていることは、
自分の行動を選択する上でとても大切ですね。


よろしければ、以前書いたこちらのブログもご参照ください。
「私たちはまだまだ成長できる...という脳科学の話」
http://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2015/09/150914.html


どうぞ素敵な1週間を!

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あなたがもし、インターナルブランディングなどを担う部門にいて、
理念やビジョンの浸透を図る立場にあるとすると、
社員の「自分ゴト化」という課題に直面するのではないでしょうか。
ここを訪れた読者には、そういう立場にある方が少なくないと想像します。


そこで今日は「自分ゴト化」という課題に対するヒントを探していきましょう。


組織の中で「自分ゴト化が必要だ!」と課題意識を持つことはいいことですが、
そもそも自分ゴト化できている状態とはどのような状態なのでしょう?
それを明確に定義しないまま、どうすれば自分ゴト化できるのか、
対策の検討に入ってしまうのは早計かもしれません。


まず、ここでは仮に「自分ゴト化」というものを
ある事柄に対して、社員が主体的に考えている状態、と捉えてみます。


すると今度は、主体的に考えているのがどんな状態か、という疑問が湧いてきます。
主体性とは何かについて調べてみると、、、、
何をやるかが決まっていない状況で、
自分は何をしたいのかを自分で決めて、自ら考え行動すること。あるいは、
自分はこう思うという意思と、こうしたいと行動する態度を持っていること。
ざっくりいうと、そんなふうに定義づけられているようです。


主体性と自主性の違いについても、
何をやるかが決まっている中で人に言われる前に行動を起こすことが自主性、
決まっていない状況で考え行動するのが主体性、とそんな解説が散見されました。


つまり、社員の「自分ゴト化」が必要と叫ばれるのは、
「自分ゴト化」すると行動につながると考えられているからだと思いますが、
「自分ゴト化」の本質、言い換えると、主体性の本質は「やりたい」であって、
義務感にもとづく「やらねばならない」ではないことがわかります。


こう考えてくると、気づくことがあります。


理念やビジョンの浸透の先に期待されるのは、社員の「行動」なわけですが、
社員にとってみると、理念やビジョンは自分で決めたことではないので、
与えられた大枠の中で、自分は「こうありたい」「こうしたい」という意思を持つ
...というのがお約束になります。


このルールは、組織に属する以上、ある意味、当然のものだとも言えますが、
注目したいのは、
このルールに合わせなければならないという意識が強ければ強いほど、
自分に求められる意識や行動を自ら限定的に捉えてしまうかもしれない、ということ。
言い換えると、受け身行動になってしまうのかもしれない、という点です。


どのようなことかというと、、、、
人に力が湧いてくるのは、心のうずきやワクワク感から出発している時です。
ですから、本当に理想なのは、
与えられた大枠の中で、社員が自分のワクワクを見つけ出して、
「こうありたい」「こうしたい」という気持ちが自然と湧いてくる状態になること。


しかし、組織にいるのだから、自分の心のうずきから行動することよりも、
自分の行動を組織のガイドラインに合わせていくことが求められているのだという
意識が強くなると、その人のエネルギーレベルは低くなりますよね。


自分の行動を組織に合わせようとすること自体は間違っているとも、
おかしいとも言えませんが、ちょっとした思い込みが、
自分で自分を元気が出ない方向へと向かわせているとも言えます。
おかしいとも言えないからこそ、難しい問題だとも思います。


責任感や「やらねばならない」という意識が強いと、
その人の毎日の心持ちは、自分より組織というのが常態化されます。
言い換えると、自分の心にあるワクワクに鈍くなります。
与えられた大枠と自分のワクワクを掛け算することができなくなるとも言えます。


社員がこういう心理に陥ってしまうと
計画は形骸化し、誰も自分ごとで捉えない状況に陥ります。
組織としてのエネルギーレベルは相当に低くなりますよね。
それ以上に、気になるのは、社員一人ひとりが、楽しく仕事に取り組めず、
何の成長もやりがいも感じられず、幸福感が低くなってしまうことです。


では、「やらねばならない」発想から転換するには、どうしたらいいのでしょうか。
これだ!という決め手はありませんが、
まずは、一人一人が自分のワクワクに関心を持つことが第一歩かもしれません。
というのは、その人が自分のワクワクに鈍感な状態であったなら、
「こうありたい」「こうしたい」と思えるはずがないからです。
仕事ですから、わかりやすくワクワクするとは限りませんが、
心の中を観察して毎日の中に小さなワクワクを見つけ出し、
ワクワクする時の共通する点を探すと、
組織の中で自分が何をしたいのか、どうすると幸せなのか、
足がかりぐらいはつかめるのではないでしょうか。


そんな提案をあなたから社内に向かって発信してはどうか、というのが
今日の私からあなたへの提案です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

日大アメフト部で起きた事件が新聞、テレビを賑わせていますね。
私の周りでもいろいろな反応が起きています。
つい最近は、私の知り合いのF氏がfacebookで
「ITmediaビジネス」に掲載された関係者の発言について、問題提起していました。
その関係者の発言とは、、、
「一流企業の人事担当者たちも内田さんのところでアメフトをやっていたのならば、
主従関係の大切さも身をもって叩き込まれているから安心
という意識を持っている。(略)」というものです。
F氏の指摘は、このご時世に会社と社員が主従関係であると思っているような、
そんな価値観の人事担当者がいる会社で働きたい人はいるだろうか、
そんな企業が一流といえるだろうか、というもの。
私も、同感です。


さて、日大アメフト部の事件について、
多くの人が感じた反発をざっくり言うと、こんなことではないでしょうか?
・監督として、いったいどんな指導をしているんだ?
・勝つためなら何をしてもいいのか?
・日大および内田監督は真実を語り、誠意ある対応をすべきだ!


どれも、もっともですよね。
しかも、遅ればせての会見をした内田監督、
こんな重大な時に、関西学院大学の読み方を間違えるという
失態をしてしまいました。
会見の内容といい、真摯な謝罪と思った人は皆無ではないでしょうか。


また、そういった批判とは別に、アイデンティティ別の批判も起きています。
例えば、、、
・「日大OB」として、情けない
・「アメフトファン」として、悲しい
・「体育会出身者」として、信じられない
・「チームプレーヤー」として、許せない 等


私も、学生時代に運動部(ハンドボール部)に所属していた経験から
「随分と体育会へのイメージを悪くしてくれたものですね...」と
内田さんに言いたいです。


体育会へのイメージというのは、それでなくても歪んでいるのに、
今回の事件はその歪んだイメージを増幅させてしまい、
さらに、それに対して嫌悪感を抱く人を増やしたのではないか、
ということに私は憤りを感じます。
ですので、今日私がこのメルマガを書く動機は、
「体育会」というキーワードを糸口に、
まだまだある「組織」にはびこっているネガティブな常識について、
覆したいですね...という問題意識を共有したいからです。


が、それについて語る前に、
まず「体育会」の定義をはっきりさせておく必要がありますね。
ここでは、「オフィシャルな学生リーグで、勝つことを目的に、
スポーツ部に参加している学生と、
トレーニングという体験を通じて価値観を共有している人たち」としてみました。
つまり、「体育会」の定義を「組織」と考えず、
そこに属する「人」たちとしました。


さて、「体育会」という言葉や、体育会的な人々に対して、
世間にはこんなイメージがあるのではないでしょうか。


・上下関係の折り目が正しく、下は上に従うべきという観念が共有されている。
・フットワークが軽く、思考するよりも行動するタイプである。
・明るくて、声を掛け合い、元気のいいのが基本である。
私はこのような体育会像を「汗臭く、イエスマン型の体育会」と呼んでいます。


この体育会像、私から見るとかなり偏った見方だと感じています。
そのような世界も現にあるようですが、
では、どのくらいそのような組織があるのかといえば、
実際には、1割とか2割りとか、どんなに多くても3割程度なのではないでしょうか。
では、それ以外の体育会はどんな感じなのでしょうか?
実際には多種多様だと思います。
ヒエラルキーの強さだけで見ても、色々あるのが実態ではないでしょうか。


かつて私が属していたハンドボール部は、
とても自由で伸び伸びとした体育会でした。
具体的には、、、
・学年や年齢が違っても、関係はフラットである。
・体も動かすが、頭で勝ちに行く。
・声を出すのは元気の表現ではなく、情報共有のためである。
・個々のプレーについて是と非の評価を、はっきりさせる。
そんな感じです。


私は、これを「知的でクリエイティブな体育会」と呼んでいます。


2月19日のメルマガでも紹介した女子団体パシュートなどもその好例です。
全くもって「汗臭く、イエスマン型の体育会」ではなく、
知的で、クリエイティブな環境の中で試合をしているように見えました。


でも、やっぱり多くの人は、「体育会」と聞くと、
「知的でクリエイティブな体育会」を思い描かず、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」を連想するようですね。
もちろん、組織のタイプは二者択一ではなく多種多様ですが。


しかし、ですよ、
監督の言うことに右へ倣えをしているだけで、
オリンピックで勝てると思いますか?
私は、絶対に勝てないと思います。
自分の信念の上に各自の行動がないと、やっぱり勝てませんよね。
これは、体育会だけでなく、企業組織も同じだと思います。
信念を、個々に持つと同時に、組織で持つ。
強い組織であるための絶対条件だと思います。


しかし、実は今、日本列島全体を覆っているのは、
「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な組織風土なのかもしれません。
レスリング女子で五輪4連覇した伊調馨選手のパワハラ問題や、
企業の世界で言えば、電通の過労死問題や
神戸製鋼所や三菱自動車などのデータ改ざん問題も、
根っこは「汗臭く、イエスマン型の体育会」的な風土にあると思います。
「上意に対し従順に行動すること」を是とするのが特徴です。


しかも、その価値観、他人事ではなく、私たちの周りに溢れています。
つまり、日大アメフト部問題は、対岸の火事ではない。
そんな思考パターンでみんなが働くと、この先、日本はどうなるでしょうか?
きっと不幸に向かってまっしぐら〜


なんとかして、そんな事態にならないように、食い止めましょう!
そのためにも、お互いにまず、小さなことから変えていきたいですね。


今週も素敵な1週間でありますように!

最近私が気になっている言葉(概念)に「ルーツ(ROOTS)」というのがあります。
なぜ注目するかというと、個人にとっても、
企業にとっても、最近その大切さを実感する機会が多いからです。


「ROOTS」というのは直訳的には「起源」とか「祖先」という意味です。
そう言えば、昔、『ルーツ』というアメリカのドラマがありました。
黒人奴隷になってしまったクンタ・キンテを始祖とする、
親子三代の大河ドラマでした。名作です。
2016年にはリメイクもされているようですね。


私が最近急に「ルーツ」という言葉を意識するようになったのは、
両親の自分史がきっかけでした。
経緯の詳細は敢えてここに書きませんが、
父は父で1冊、母は母で1冊の自分史を作ることになり、
両親の生い立ち、歴史、価値観などを改めて知ることになったんですね。
すると、私自身のアイデンティティが補強されたというか、
彼らの価値観とつながっていることを自覚しました。


例えば研究職だった父は、
人がやっていないことを自分で考えてやること、
それで人の役に立つことをするのが好きだったといい、
母は母で、青春とは心の持ちようなのだから、
生涯青春していたいと言いました。
そうすると私の中に流れているものの源流を感じるわけです。
さらに、もっと私をワクワクさせるのは、ひいお爺さんの話です。
この人は風来坊で、親からも勘当されたそうですが、
国内のみならずシベリアを旅するなど、ヒッピーな人でした。
この話を聞くと、なぜか私はワクワクするんですねー!


つまり、、、、
自分の親や、祖先の話を通じて、自分のルーツを探ることで、
自分のアイデンティティがくっきりはっきりしてきて、
自分の中に受け継がれているものを、改めて実感しました。


私の友人に、コーチングのプロであり、
家系図を書いて、自分や家族と向き合うワークショップをやっている
高橋紀子さんという人がいます。
なんと、戸籍を取り寄せて、家系図を作成するサポートもやっていて、
江戸時代末期のご先祖様と出会うケースもあるのだとか。
彼女によれば、家系分析をしていると、
自分ひとりで創造したと思っているものでも、実は先祖もやっていたり、
反対にネガティブなことも先祖の誰かが同じことで悩んでいたり...
いろいろなことが受け継がれていると感じるそうです。
だからこそ先祖を知ることは自分を知ることになり、
自己理解が深まる...というのが彼女の持論です。
アイデンティティをしっかりとさせる方法として、
こういうやり方はシンプルでいいですね。
https://www.facebook.com/kakeizu.coaching.noriko.takahashi/


さて、組織にとってもルーツを知ることは重要ですよね。


先日、NHK大河ドラマ「西郷どん」を観ていたら、
島津斉彬が西郷吉之助に「今からお前はわしになれ」と言うシーンがありました。
志が受け継がれた瞬間だったと思います。
斉彬の志が、吉之助のルーツになっていますし、
それが歴史を変えようとした薩摩藩士たちのルーツになっています。


今、私の周りでも周年事業で社史を作っているお客様がありますし、
周年事業とは無関係に歴史を紐解くことで
経営の価値観を言語化しようとされているお客様もあります。
志や理念、行動基準というものを共有するには、
会社の歴史、すなわち組織内部にある「物語」がとても重要だということですよね。
周年事業に社史を作るのも一案ですが、
歴史を元に映画や小説を作るのもチャレンジングですね。
いつかやってみたい♪


さ、ゴールデンウィークが終わった1週目です。
今週も素敵な1週間でありますように。

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「でしゃばり」という言葉があります。
そのイメージは一般的に悪いですよね。
今日は、「でしゃばり」という言葉を糸口に、
時には「でしゃばり」も必要ではないかということを考えてみようと思います。


「でしゃばる」をWeblio辞書で引くと、
【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】と出てきます。


でも、これって本当に悪いことなのでしょうか?
別にこれ自体は悪いことではないのではないか...と私は思います。
というのは、この反対の考え方は、「私は私、あなたはあなた」だと思いますが、
こうした世界はとても閉鎖的ですよね。
オープンマインドとは反対の世界です。


「でしゃばる」という言葉の意味が、
【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】であるとすると、
「でしゃばる」ことは必ずしも悪いことではないのに、
では、なぜこの言葉には良いイメージがないのでしょうか。


その理由を考えてみたところ、推測ですが、その答えがわかりました。


「でしゃばり」の同義語を調べてみました。
どうやらこんな言葉ともイメージ的に繋がっているようです。


・目立ちたがり屋の
・オレがオレがの
・出たがり屋の
・自己顕示欲の強い
・自分大好きの
・エゴイスティックな
・自意識過剰の
・押し付けがましい...


だとしたら、「でしゃばる」「でしゃばり」のイメージは悪くて当然です。


でも、私は、【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】ことは、
悪いどころか、必要なことではないかと思っています。
なぜなら、人と人の意見が交わるからこそ、
そこから新しい見方が生まれたり、
新たな糸口を生み出せたりすると思うからです。


当社でも、提案する際には、
求められてもいないことを加えますし、
求められたことに答えつつも、
むしろ本質はこっちではないかと提示したり、
そういう「でしゃばり」をやっています。


私自身も頼まれてもいないのに、
友だちにや家族に意見を述べます。
その結果、ありがとうと言われることもあれば、
スルーされることもあります。
残念なことに人間関係が悪くなってしまった相手もいます。


頼まれてもいなくても、意見を言う理由は
大きく分けて3つあります。
1つ目は、心で思ったことや、
こっちの方がベターだと思っていることを隠すことは、
不誠実だと思うからです。
2つ目は、そもそも相手に選択権があるのだから、
選択肢を増えることが嫌な人はいないと信じるからです。
3つ目は、物事を新しい方向に変えるためには、
誰もが思ったことを言えることがとても重要だからです。


どれも同じように重要ですが、3番目は、
オープンマインドでいるということが創造的な社会につながる
...と言う視点です。
オープンマインドの本質は心が自由でとらわれていないこと。
創造性を活性化するための環境を担保するということです。
そこに立つということは、イノベーションの玄関口に立つようなものですよね。


さて、、、


それでもやっぱり「でしゃばり」には悪いイメージがあります。
「でしゃばり」の反対の概念は、「謙虚」「控え目」でしょうか。
謙虚であることは美徳ですし、だから私たちは、
「アイツ、出過ぎている」と周りから言われないように、
自己制限的に行動してしまったりします。


本当は、謙虚に、自己顕示せず、
押し付けがましくなく意見を言うことはできるはずなのに。


さて、あなたはこの「でしゃばり論」、どう思いますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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最近、アマゾンのビデオで観た映画で、とても感銘を受けた映画が2作あります。
一つは「ラ・ラ・ランド」。もう一つは「きっと、うまくいく」です。
今日は、どっちについて書こうかなと悩みましたが、
「ラ・ラ・ランド」の方がよりメジャー感が強いので、
「きっと、うまくいく」について書きますね。
でも、「ラ・ラ・ランド」、これもホントに本当に、素晴らしく良かったです!

さて、「きっと、うまくいく」はインド映画です。
2009年の公開当時、インドでは歴代興行収入第1位を記録したとか。
でも、私はこの映画の存在を今回初めて知りましたが、
もしかしたら知らなかったのは私だけかもしれません。


私が映画選びで参考にしているのは、「レビューの数」と「星」の多さです。
「きっと、うまくいく」は、なんと星が5つ! レビューが440もありました。
星が5つなんて、見たことがありませんが、
これほどレビューが多い映画も見たことがありません。
けれど、映画を見てみたら、その理由がわかりました。
本当に見て良かった映画です!


物語は10年前、インドのエリート大学の3人の大学生の学生生活に遡ります。
主人公が影響される友人ランチョーがめちゃめちゃ魅力的です。
この映画の魅力の99%は彼の存在にあると言っても過言ではありません。
(以下、多少ネタバレを含みます)


大学は、競争至上主義を教え込もうとします。
1位になれ、2位では意味がない、と。
学生たちにそんなプレッシャーを与えて、大学の評判を維持しようとします。
それだけでなく、登場する学生たちは皆んな親の期待に応えようとして、
自分を枠にはめ、苦しんでいます。


そんな中、ランチョーは訴え続けます。
競争による成功を求めるな、優秀であれば結果はついてくる、と。
で、学ぶことの本質を投げかけていきます。
仲間に、学生たちに、教授に、学長に。
そして、学長には睨まれますが、屈しないし、
学長の娘と恋をする。
そして最後はハッピーエンドですが、、、、


では、一体私はいったいこの映画のどこに心が動いたのか?
端的に言うなら、私は何を受け取ったのか?
自問してみました。


私は、この映画からたくさんのメッセージを受け取ったので、
1つに絞って書くのは、実はしんどいのですが、
それでも敢えて1つに絞って書きますね。
私が受け取ったのは「自分の心に従って今を生きろ」というメッセージです。
わかりやすく言えば、まずは「自分中心に生きろ」ということです。
そして、人の期待に応えようとして生きていた登場人物たちが、
自分の心に従って生きようと変わっていく姿に感動したのだと思います。
そして、それによって、彼らが自信に満ち溢れ、
本当に幸せになっていく姿に感動したのです。


私たちには、「成功」という名の幸福がある...という刷り込みがあります。
ここでいう「成功」の意味は、他人よりも経済的に恵まれているとか、
他人よりも名誉を得ている程度の意味なわけですが、
実は、自分の胸に手を当てて考えたときに、
それらの指標は大して意味がないと気づきます。


自分中心であることは、自己チューなどとも言われ、
悪いイメージが強いですよね。
でも、私たちは人のための人生を生きているのではなく、
自分のために、自分の人生を生きているのですから、
まずは自分中心、自己満足至上主義でいいのかもしれません。


だから、頭で幸福を追求するのではなく、
自分の胸に手を当てて、自分の心の声を聞き、
その心の声に従っているかどうかを大切にする、
これが大切なんですね。


でも、実際はどうでしょう?
どちらかというと、大人になると、大人的に理に適った行動を取ろうとしませんか?
頭で幸福を考えるようになってしまう。
でも、本当の幸福は心が感じるままに生きることにあるんですよね。
この映画は、そういうことを思い出させてくれました。


ちなみに、インド映画であるこの作品は、
インド映画の特徴でもあるミュージカル的な要素を持っています。
ミュージカルが嫌いな人は最初の3分の1ぐらいまで
少し違和感があるかもしれませんが、
とにかく5つ星の映画です。
多少違和感があっても、ぜひ最後まで観てくださいね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今週も素敵な1週間でありますように!

組織の中で協働しようとする時、
特に難しいのはコンセプトメイキングなどの創造的なプロセスでの協働です。
会議一つとってみても、どのようなミーティングだとうまく行き、
どのようなミーティングだとうまく行かないのか。
今日は、協働がなぜうまく行かないのかを考えながら、
どうしたらうまく行くのかのヒントを探してみたいと思います。


創造的なプロセスへのアプローチには、大きく分けて2つの方法があります。
1つは、ディレクション型、
もう1つは、コラボレーション型です。


ディレクション型の方は、
映画に例えるなら、監督とスタッフという関係です。
大枠の方向性や肝になるアイデアを決めるのは監督です。
スタッフはそれを理解し、根幹をブラさずにより良い形にする役割です。
もちろん、アイデアを出すこと自体はスタッフが出してもいいのですが、
みんなの総意で決めるわけではありません。
こちらのタイプのミーティングは結論への合意形成が目的というよりも、
・結論を生み出す材料になるアイデアを出し合ったり
・結論に対して、事後の合意を形成すること(理解を促すこと)が
目的になるでしょう。


一方のコラボレーション型を例えるなら、
ビートルズ時代のレノン&マッカートニーのようなアプローチ。
彼らは、曲や歌詞を作るに際して、二人の発想や意見をミックスして、
二人でベストの答えを出し、ひとつの作品を作りました。
だからこそ、常に二人の名前「レノン&マッカートニー」で
作品を発表しました。
コラボレーション型は、
・アイデアを出し合うのみならず、
 それらのアイデアのどれを採用するのか、
 どう具体案に落とし込むのか、
 その結論をも一緒に出すアプローチ方法だと言えます。


どちらが優れているということはなく、
どちらの方法で協働してもいいのですが、
協働がうまく行かない原因の多くが、
アプローチ方法の不明確さにあると私は思います。
言い換えれば、どちらのアプローチ方法で行くのかを決めずに進めている、
ということです。
つまり【ヒントその1】
最初にアプローチ方法を明確にする」ということです。


では、、、、
例えばコラボレーション型で行くということを
先に合意して進めたとしましょう。
それでも、しばしばうまく行かないという事態に陥ります。
そんな時、ミーティングで起きるのは、どんなことでしょうか?


私の分析(推測?)ではこんなことが起きがちです。
・まず、それぞれのメンバーが「こうしたらいいんじゃないか?」と
 自分なりにイメージを持っている。
・と同時に「こういうのはイヤだな」というイメージも持っている。
・自分が望ましいと感じる方向に同意してくれる人が多ければうれしいし、
 スムーズに結論が出てラク...と思っている。
 →一般に、多くの人は結論を早く出したい。
・銘々が自分の案を口にする最初の段階では、
 各自、相手が自分の案に同意してくれないかな?と思っているが、
 個々のメンバーも自分とは違うイメージがあるようなので、
 主張もしきれないという状況が生まれる。


つまり、この段階で生まれているのは、
他の人の案に賛同もしかねており、
かといって自分の案を主張もできないという「行き詰まり状況」です。


さて、、、
この行き詰まり状況が生まれる原因はどこにあるのでしょうか?
私は、結局、ディレクション型とコラボレーション型の違いや
それぞれの場合の立ち振る舞いがわかっていないということにある、
と考えています。


コラボレーション型では、
「私のアイデアに賛同してほしい」と思うことはそもそも間違いです。
では、どう思うべきなのかというと、
「私のアイデアを誰かいじって、もっとより良く変えちゃってほしい」です。


一緒に作ろう、コラボレーション型でやろうと言いながら、
でも「私のアイデアに賛同してほしい」と思うなら、
それはむしろディレクション型でやった方がいいということ。


ところが、その整理をしないままにプロジェクトが始まってしまうので、
まやかしのコラボレーション型が生まれてしまうのではないでしょうか。
私自身も、何度も自分がまやかしのコラボレーションにいることに気づけず、
その罠に陥りました。


では、コラボレーション型を目指すなら、何を変えていくべきなのでしょうか?
ヒントは2つあります。


【ヒントその2】最初のイメージとの向き合い方を変える。
自分が抱いた最初のイメージ「こうしたらいいんじゃない?」を、
あくまで「にんじん、じゃがいも」と捉え、「カレー」だとは捉えない。
平たく言えば、完成形に固執しないということです。


【ヒントその3】自分のスタンスをチェックする。
自分のスタンスが「賛同してほしい」なのか、
「もっとより良く変えちゃって」なのか、セルフチェックをかける。
前者になっていたなら、心の持ちようを変えるということです。


ディレクション型もコラボレーション型も、
うまく機能する組織は、相当に成熟した組織ですよね。
新入社員の皆さんが社会に入ってくるこのシーズン。
私たちもリセットして、当たり前を疑って
組織内のコミュニケーションをもっとより良くしたいものですね。


どうぞ良い1週間をお過ごしください!

3月3日(土)放映のNHKスペシャル、
「AIに聞いてみた、どうすんのよ!?ニッポン」、
ご覧になりましたか?
MCは、マツコ・デラックスと有働由美子アナ。
今、注目される「働き方」について、
AIを使ってアプローチした興味深い番組でした。


NHKは「AIひろし」こと、社会問題解決型AIを独自に開発しているのですね。
AIひろしが導き出した結論は、
(1)仕事で忙しい人は道の駅に行け、とか、
(2)お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めなければ、
   仕事に満足できる、とか、
(3)ストレスだらけの人は結婚・出産祝を贈れ、など、
奇想天外なものばかり。
専門家を交えて、その因果関係を解き明かす、そんな内容でした。


AIひろしは、
社会の構造パターンを見つけ出し、
課題とその解決の糸口を探ることを目的に開発されたそうです。
膨大な情報を取り込み、日々、学習し続けているのだとか。


上に挙げた(1)から(3)は、仕事の満足率と関係があると見られた行動例です。
が、ぱっと見ただけでは因果関係があるとは、到底思えません。


AIひろしは「仕事満足率」を左右する「8大要素」として、
ストレスの状況、仕事が生きがい、時間のゆとり、人間関係、
希望、規則正しい生活、お金のゆとり、栄養のバランスを抽出しました。


ところが、これらが満たされていなくても、満足率が高い人が存在しており、
その人たちの行動を分析した結果が、上の(1)(2)(3)でした。
お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めない人が、
仕事に満足している割合は、81.0%にも上ったというわけです。
実際には、「お金にゆとりがない」「蛇口をこまめに閉めない」を含め、
「家庭が生きがいではない」「職場に友人がいる」など、
全部で10項目にイエスと答えた人たちなのですが、
興味深いのは「蛇口をこまめに閉めない」にイエスと答えた時点で、
満足率が急激に上がっていること。
http://www.nhk.or.jp/special/askai/diagram.html


いったいどんな因果関係があるというのでしょう?
ここからは番組で語られていたこと/いないことも含めて、
私が感じたことを書きますね。


蛇口を閉めないという行いから想像される人物とは、
どんな人でしょうか。
環境への配慮が求められるこの時代の行動としては、相当なマイペース。
かつ他人からどう思われようが気にしない人...というイメージが湧いてきます。
きっと細かなことなど気にしないような人物ではないでしょうか。
そういう人が仕事に満足しやすい(不満を感じにくい)と言われると、
確かにそうかもしれないという気持ちになります。


道の駅に行く行為と仕事への満足も一見無関係のように思えましたが、
行くのも行かないのも自由なのに立ち寄っていると思うと、
好奇心が旺盛で主体的に動いていそうなイメージがあります。
そういう人の満足度は高いと言われたら、違和感がありません。


結婚祝、出産祝を贈るというのも、
人の幸福を喜ぶということですから、
喜びを味わうことが多ければ、満足や幸福に繋がりそうですね。


番組では、こういう人の満足率は高い...と言っているだけで、
逆は真なりとは言っていません。
(1)から(3)の表現はあくまでキャッチーにするためのものであって、
満足するために、こういう行いをせよとは言っていないわけです。


なのですが、ここでハタと気づきました。
実は逆は真なりなのかも、と。


私たちは、思考や意志の方が行動より先だと思いがちですが、
実は、そうでないことが多いですよね。


たとえば、「細かいことを気にするのをやめよう」とか、
「いろいろなことに好奇心を持って暮らそう」などと考えたとしても、
潜在意識が邪魔をして、そんなに簡単に行動は変わりません。
ところが、行動してみたら、思考が変わっていくということはありますよね。


「蛇口をこまめに閉めない」という行動はおすすめしませんが、
それに代わる「細かいことを気にしない」「他人の目を気にしない」を
象徴するような行動を先にしてみたとします。
あるいは「道の駅」に代わるような場所に毎日行き続けたとします。
そうすることで、人は経験から何かを学び、
それによって思考が変わり、仕事の満足度が上がる...
意外にありうるのかもしれませんね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

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先週は、ちょっとした出来事があり、ブランドとは何かについて考えさせられました。
今年の1月にアムステルダムに旅行した際の最終日、
スキポール空港で某ブランドのサイフを買いました。
日本円にして2万円超のそのサイフ、購入して2カ月も経たないうちに
チャックが壊れ、閉まらなくなってしまったのです。


電話をしたところ、、、、
海外で購入した商品は有料修理、
購入時のレシートが必要、
送料は顧客負担、
歩いていける場所だったので、持参したいと申し出たら、
持参は不可。


これを聞いて、あなたならどう思いますか?
私は、2カ月も経たないで壊れたのは「不良品」だと思いました。
本来は交換してほしいところです。
同じ品物がないかもしれないことを考慮して、
百歩譲ったとしても、有料修理はないんじゃないかな。
100円ショップで買ったものではないのですから。


あまりに当然のように言われたので、
腹が立ってきました。
「不良品を買わされた上に、修理代も送料も負担させられるのは、
納得がいきませんね」
すると、電話の向こうで相手は、
「では、ヤマト運輸か佐川急便の着払いで結構です」と、
コロッと態度が変わりました。


えぇ〜 言ったもん勝ちって、むしろひどい!


私はこのように対応されたことの意味、彼らの依って立つ考え方について
こう捉えました。あくまで想像ですよ。
「ウチが売ったわけではないので、責任は持てませんね。
 ウチに責任がないことで時間を取られるのは、困るんですよね!
 それに本当に買ったばかりなんですか?
 ウソでないならレシートを添付して証明してください...」
ということなんだな、と。


それでなくても、チャックが閉じなくなった状態にゲンナリして、
その気持ちに寄り添ってほしいところなのに、
感情を逆撫でされた気分でした。


でも、、、
これは電話に出たその担当者の対応が悪かったということなのでしょうか?
私はそうは思いませんでした。
ブランドの本質である「顧客との約束を守る」ということを
その企業は大切にしていないから、この対応になったのだと思いました。
つまり、ブランドマークが約束の保証になっていなかったということですね。
約束を守ることの大切さを従業員に教育するどころか、
そういう哲学を企業自体が持っていなかったのだと思うのです。
おそらくライセンスビジネスなので、こういうことが起きるのでしょうね。
ライセンスを買って商売しているだけだと、
ポリシーもへったくれもないのかもしれません。
なのに、ブランド名は有名だから、ブランド品だと思っている。


あなたは、ブランドとは何だと思いますか?


よく言われることの一つが、ブランドは約束であるということ。
約束を守るというのは、期待を裏切らないということと言い換えられます。
顧客は、ブランドごとに違うことを期待する部分ももちろんありますが、
どんな場合でも、商品の品質に誇りを持って作られていること、売られていること、
顧客に対して誠実であることを期待しているのではないでしょうか。


しかし、ブランドを確立するのは、そんなに簡単なことではありません。
なぜかと言えば、何を約束するのかが明確になっていなければなりませんし、
その会社の全員がそれを理解し、
同じように行動できる必要があるからです。


さて、他人のフリ見て、我がフリ直せですよね。
グラスルーツブランドはどうだろうか?
お客様に何を約束しているのか、共有できているだろうか?
誰が担当しても、同じ判断基準で行動できているだろうか?
自分たちを高めていくための良い問いですね。


あなたの会社はどうですか?


今週は随分と暖かい日が続くようですね。
花粉も激しいかも...


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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