ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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伝説のロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを
主人公とする映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットを続けています。
11月9日に公開されましたが、
週を重ねるごとに右肩上がりで観客が増え続けるという異例の状況だそうです。


この人気はどこから来ているのでしょうか?
まるで本物のQueenを観ているかのような再現力の凄さもあるでしょうが、
今日は、改めてフレディの何が私たちを魅了するのか、考えてみました。
私は本気で謝罪したフレディの魅力を先週のブログに書きましたが、
それ以外にも私たちが魅了される理由は、大きく言って4つほどあると思います。
(これから映画を観る方は、この先を読むべきかどうかを判断してくださいね)


・信念を貫いていること
・エネルギーを出し切っていること
・一人の力を超えようとしていること
・劣等感も含めて自分を受け入れていること


信念を貫いていること
信念を貫く姿は、まず単純にカッコいいものですね。
「キラー・クィーン」が大ヒットした後、
プロデューサーは二匹目のドジョウを取りに行くことを方針にしようとしますが、
フレディも他のメンバーも「同じことはやらない」と断固として拒否し、
常識破りの6分間の曲「ボヘミアン・ラプソディ」をリリースすると主張します。
このシーンは、信じたことに向かって突き進んで行く彼の生き方を象徴しています。
でも、彼はただ強い人だったのではなく、弱い面も持っていました。
だからこそ、私たちは彼が信念を持って行動する一面に惹かれるのだと思います。


エネルギーを出し切っていること
フレディはエネルギー全開で生き、死んでいった人でした。
明日のために、今日出すエネルギーをセーブすることはありません。
そういう意味では、まるでスポーツ選手のようでさえありました。


また、この映画では、フレディのエネルギーもさることながら、
キャストたちのエネルギーの強さにも感動します。
楽器を弾いたことがない、歌を歌ったこともない俳優たちが、
全員で死に物狂いで楽器を習得し、演奏の手元シーンも自分たちで演じたそう。
キャストのエネルギーとフレディのエネルギーがダブって見えるから、
キャストの精神にロックを感じて、
観客はキャストに対しても尊敬の念を抱いたのですね。


一人の力を超えようとしていること
この映画、Queenのメンバーの多様な個性も魅力の一つでした。
フレディはバンド活動を休止し、ソロで活動を始めますが、うまく行きません。
恐らく彼は、自分一人の方が自分の才能はもっと出せると思ったのでしょうが、
スタジオミュージシャンたちが、言われた通りにしかやろうとしないのを見て、
Queenのメンバーの創造性がいかに作品作りに欠かせないか、痛感します。
プライドの高いフレディが真剣に謝り、バンドは復活。
1+1+1+1=4以上の成果を出すQueenの姿が感動を呼びます。
私も、こういう姿が自分の会社の理想だな...と感じました。
きっと組織で働いている人なら、そう感じた人も多かった気がします。


劣等感も含めて自分を受け入れていること
フレディはタンザニアで生まれたペルシャ系インド人で、
ゾロアスター教徒、同性愛者であるなど、いろいろな意味でマイノリティでした。
しかも、前の歯が出ているという容姿的な特徴などもあって、
それらに対するコンプレックスや孤独感が強かった人だと言われています。
一説によれば、楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞にある
「Mama, just killed a man」(ママ、たった今、僕は人を殺めてしまった)は
ゲイであることで悩んでいる自分自身を殺したという意味だという解釈もあります。
葛藤しながらも、自分の葛藤を受け入れて、自分のままでいようとする様子に、
私たちは、自分は自分のままであっていいというメッセージを受け取ります。
2013年公開のディズニー映画「アナと雪の女王」の辺りから、
自分らしく生きることに、人は魅了され続けているのではないでしょうか。


さて、「ロックに生きる」という言葉があります。
他人に迎合せずに、リスクに怯えずに、
自分らしく自分を信じる生き方を意味すると思います。
フレディ・マーキュリーという人はまさにロックに生きた人でした。
私も、良くも悪くも、ロック度は高いと自負しています(笑
あなたのロック度はどのくらいですか? どのくらいでありたいですか?
今週もボヘミアンな(心自由な)1週間になりますように。


週末、伝説のロックバンドQueenとそのリードボーカル/フレディ・マーキュリーの
実話に基づく映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。
ここに書くことは、ネタバレ(というよりもある程度知られている実話バレ)を含みますので、
これから観る予定がある方でストーリーを知りたくない方は読まない方がいいかもしれません。


私がQueenの存在を知ったのは、確か中学生の頃でした。
まだCDさえなく、お年玉でレコードを買い、友達と貸し借りするのが楽しみだった時代です。
音楽情報は雑誌「rockin'on」などからしか入手できませんでしたが、
「ボヘミアン・ラプソディ」のプロモーションビデオ(上の動画)が
テレビで取り上げられていたことは覚えています。
曲は6分と異例の長さ。オペラ的なロックと当時話題になりました。
Queenとフレディに敬意を評し、映画のプロモではなく、原曲のプロモを掲載します。
当時、プロモーションビデオ自体が珍しかったんんじゃないかしら?


この映画のすごさは、本物を見ているようなど迫力です。
姿、動作、歌声、演奏...。
どの演奏にもすべてに魂が込められていて、
それがモノマネとは違う本物感を漂わせたのだと思います。
特にフレディ・マーキュリーがまるで目の前にいるかのように、
このクオリティで再現されたとは! ラミ・マレッタの演技力と歌唱力は圧巻です。
あまりの迫力に、Queenを知らない若い世代も感嘆しているに違いありません。


さて、ここからが本題です。
そういうシーンの一つ一つに感動しましたが、
もう一つ感動もし、考えさせられもしたシーンがありました。
それは、人気絶頂の頃、フレディはソロで活動することを宣言し、
バンドのメンバーと仲違いをしてしまいます。
お互いがお互いを家族のような存在だと思っていただけに、
メンバーにとってそれは一種裏切り行為でした。


でも、フレディにとっては、
自分の力だけで新しいチャレンジをしたくなっただけだったかもしれません。
でも、結論からいうと、それはうまく行きませんでした。
ソロとはいえ、音楽づくりにはミュージシャンと組む必要があります。
でも、言われたことを言われた通りにしかやらないミュージシャンたちを見て、
フレディはいかにQueenの他のメンバーの存在が大きかったか、悟ります。
そして、彼は「謝る」機会をもらい、復帰するのですが、


その時、彼は「自分は、傲慢で、自分勝手で、最低のクズだった」と自ら言います。
フレディは、人生で大切なもの、失いたくないものがわかったから、本気で謝った。
あれだけプライドの高い人が、こうやって本気で謝る姿を見て、私は感動しました。
本気ってすごいパワフルです。
そして、本気の人、真摯に心から謝っている人を、人は見捨てないんですね。


私たちは過ちや失敗を犯した時、ついつい自分を正当化します。
これは自分のせいではなく、○○が原因だ、
自分が最後までやりきれなかったのは、○○がこう言ったからだ、
○○が起きなければ、自分はこう行動しなかった。。。
そして、自分を正当化している間は、
いくら謝っても、大抵は形式的なものにしかなりません。


最近私はある友人との関係を自分から壊してしまったのですが、
最初の1週間は自分を正当化しました。
でも、今は本気で謝ろうと思っています。
そう思ったのは、この映画を観たからではありませんが、
映画の中で響いたところには、私らしい価値観が現れている気がします。
本気で謝るとき、どう受け止められるかを気にしていてはダメですね。
ただただ本気で謝るだけ。
それを今月中にするつもりです。←決意!


いよいよ12月に突入しました。
慌ただしい季節ですが、素敵な1週間をお過ごしください!

今週11月29日、グラスルーツは満34歳、35周年目に突入します。
月並みな表現で恐縮ですが、皆様に支えられて今日があります。
本当にありがとうございます。


だからというわけではありませんが、今日は、「信頼」の話です。
仕事での信頼というよりも、人間関係における信頼です。
あなたは、人との信頼関係を大切にしていますか?
こう聞かれて「していない」と答える人はいないと思います。
では、あなたにとって、信頼関係を大切にするために、
自分が大切にしていることは何ですか?と聞かれたら、
あれ、何だろう?と少し考えてしまいますよね。
では、これまでを振り返って、信頼が損なわれたと感じた経験、
誰でも多少なりともあると思うのですが、それはどんな時でしたか?


こうやって考えてみると、言葉にするとわずか二文字の「信頼」ですが、
信頼を生んだり、失くしたりする原因となる要素は、
とても多岐にわたっていることに気づきます。


信頼に影響を与える要素にはいろいろなものがありますが、
今日は「言行一致」「言行不一致」と信頼関係について考えたいと思います。


人付き合いにおいて意思表示をするときのパターンは、
こんなふうに4つに分類できます。


1.「する」と言って、する
2.「する」と言っておきながら、しない
3.「する」と言わずに、する
4.「する」と言わないし、しない


「する」中身にもいろいろあります。
「〜を引き受けます」「行きます」「また連絡します」
「今度お誘いします」「今度差し上げます」などなど。


以前から人の言行パターンはいろいろあるなと思っていたのですが、
自分が展覧会を開くようになってから、
意思表示系の言行パターンは結局この4つしかないことに気づきました。


展覧会では「行く」と予告して実際に来てくださる方もいますし、
「行く」と言っていても毎回来ない人は来ないですし、
何も言わないけれど、予告なく現れる人も大勢います。


ですが、行くと言っておきながら来ない2番の行動を
一概に悪いと決めつけるつもりはありません。
つまりその裏には当日の事情もあるでしょうし、
そもそも社交辞令ってこともあるでしょうから、
それ自体について何ら咎めようとは思いません。
私自身、どうしても必要があるときは、
土壇場でリスケをお願いすることだってあります。
でも、同じパターンを繰り返す人に対しては、
やがて「それがこの人の行動パターンなのだ」と思い、
そのうちに「あの人はどうせ来ない」と思うようになります。


行く行かない以外にもいろいろありますよね。
クラス会幹事をやると引き受けたのに、やらない、
その人に何かを任せると、大抵話が進まない等。
まあ、そんなことで誰も目くじらは立てませんが、
その人への信頼感は暗黙の中で下がっていきます。


クラス会幹事というような役割が明白なことは別として、
もっと小さなことでも、人は相手の言行が一致しているかどうか、
無意識に感じ取っているのではないでしょうか。


たとえば、別れ際にいう言葉も意外と重要ですよね。
「また機会があったら会いたいですね」はいいとして、
「連絡します」を使う人もいますが、
連絡がないままで終わるということもしばしばあります。
だから私は「連絡します」を軽々しく言いませんし、
言った場合は必ず連絡することを心がけています。


似たような言葉で「近メシ」という言葉もありますね。
「近いうちにメシでも食おう」と言いながら、決して実現しないというアレ。
社交辞令としてしばしば使われる決まり文句です。
こんなことを考えるのは少数派だと思いますが、そんな社交辞令、私はいらないな〜
もし言うのなら本当に実現させたいと思って行動する時だけ言ってほしい(笑
だから、変にサービス精神を発揮するよりも、
するつもりのないことは言わない方が、信頼を損ないませんね。


では、3番の行動に対して、私たちは言行不一致だと思うでしょうか?
3番目は「言わずに、行動する」です。
ある意味、言行不一致なのですが、がっかりさせる要素がないため、
それを言行不一致と思ったり、信頼できないとは思いませんね。
むしろ、言葉がなくても、行動が伴っているので、信頼感は絶大です。


4番の「言わないし、行動しない」に対してはどうですか?
別にこの行動に対しても、何の期待も持たないからか、
信頼感が下がるとは感じませんよね。


だから、結局、信頼に影響があるのは、2番の行動、
「言っておきながら、しない」を繰り返すことです。
おそらく悪気はなく、根っこにあるのはサービス精神。
ですが、周りは期待させられるがゆえに、結局がっかりさせられる。
そうこうするうちに、信頼せず、期待しない関係へとシフトしていきます。
それはもったいないことです。


人のことはわかるのに、自分のことは気づきにくいものです。
私も、していないつもりで2番行動を取っているかも。
そんな戒めで始まる11月最終週です。


どうぞ素敵な1週間でありますように!

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最近、脳に関する本を2冊読みました。
1冊目は遅ればせながら脳科学者・池谷裕二さんと糸井重里さんの対談本
「海馬―脳は疲れない 」(新潮文庫)です。
よく物忘れは老化現象だと言われますが、
記憶や空間学習能力に関わる脳の器官である海馬は
何歳になっても成長を続けることができると知り、心強く思いました。
ただし、もちろん海馬の神経細胞は減ってもいくので、
細胞の減るスピードより増やすスピードが勝ればの話です。


もしかしたら、人の成長とは海馬の神経細胞を増やし、海馬を育てることだと
言い換えることができるかもしれません。
たとえば、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
それをストレスと感じるかどうかも、海馬が発達しているかどうかによるそうです。
海馬には「新しい環境はストレスではないんだよ」と自分に伝える役割があり、
海馬が発達しているとその機能が働くそうです。
海馬を意識的に育てることができれば、
新しいことへの挑戦もしやすくなるのではないかと思いました。


続いての2冊目は、山鳥重さんの著書
「『わかる』とはどういうことかー認識脳脳科学」(ちくま新書)です。
こちらの本を読んで、1冊目の本の感想を膨らませる形で想像したことがあります。
それは、海馬の神経細胞は
「わかろうとするエネルギー量」に比例して増えていくのではないか、
深くわかろうとすることで、海馬を育てることができるのではないか、
ということでした。


ところが、この「わかろうとするエネルギー量」は
人によって大きく異なっているというのが私の印象です。
いったい何によって違いが起きるのか、疑問に思い、考えてみました。
あくまで素人の私の推論というか、想像です。


さきほど書いたように、新しい仕事や未経験の状況に直面した時、
その際に何をどこまでわかる必要があるのか、その判断は人それぞれ異なります。
人によっては、何をわかる必要があるのか、そもそもわからない場合もあります。


山鳥さんも言っていますが、
わかるためにには、わからないことがあることに気づくことが先なんですよね。
わからないことに気づける状態というのは、
疑問が湧いて来る状態と言い換えられます。
でも、本当にわからない時、つまり頭が真っ白なとき、
もしくは頭が真っ白だとも自覚できない時には、
疑問さえ湧きませんね。


さて、そもそもわからないことがわからないという状態は脇に置いておくとして、
ある程度は見当がついた時に、何をどこまでわかる必要があるのかについて、
人は何を考えて判断しているのでしょうか。


私の仮説は、次のようなものです。
・人は生存本能に基づき、生存にとって重要なことを「わかるべき範囲」と考える。
・生存本能に基づく判断基準も、これもまた人それぞれですが、
 大別すると2つのタイプに分かれるのではないか?
.多いのは、「対処しなくては自分の生存意義が示せない」という判断基準。
 次は「創造してこそ自分の生存意義を周囲に示せる」という判断基準です。


つまり、目の前の事柄に「対処する」ためにわかろうとする、
多くの人がやっていることはそういうことではないか、これが私の仮説です。
この発想の場合、対処できればいいのであって、
彼らのわかった/わからないの基準は、
その範囲の内容で目前の課題に対処できるか、です。


一方で、「創造する」ためにわかろうとする人たちは、
湧いてきた疑問に対し、一過性の答えでは満足せず、
むしろ今後の応用に役立つような、本質を理解するための答えを知ろうとします。
彼らのわかった/わからないの基準は、今後に応用できるか、です。


さて、この仮説が正しいかどうかはわかりません。
ただ、新しいことに直面した際に、
たくさんのことを調べる人もいれば、
最低限のことで済ませようとする人もいる、
それは一般的傾向として事実なのではないでしょうか。


さて、、、
対処自体が悪いわけではありません。
対処することは必要なことです。
でも、自分の能力や可能性を考えた時、
もっといえば、自分の海馬を成長させようと思った時、
対処という発想で止まっていては、限界がありそうです。
海馬は何歳になっても成長させることができるそうです。
自分の脳をどうやって育てるか、
最低限、どうやって退化させないか、
できることはありそうな気がします。


いい人生を送るために、今日がどうあるべきか、
脳科学的な視点からも知恵を出したいものですね。
今週も素敵な1週間でありますように!

あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?

先日、ある会社の方とフィードバックを切り口に部下指導が話題になりました。
その方曰く、「フィードバックしやすい人と、しにくい人がいる。
しにくい人というのは、最初からバリヤーを張っていて、
フィードバックを歓迎していないことがすぐにわかる。
でも、本人はそういうオーラを自分が出していることに気づいていない」
そんな話でした。
要するに、プライドが高い人へのフィードバックは難しい、という話です。

私も、過去30年以上、部下を見ていて、
フィードバックを歓迎しない部下は一定割合いるので
(というか、多くの人はフィードバックに困惑気味...と思っているので)、
この話を聞いて、そうだろうなと思いました。

で、フィードバックの種類にもいろいろありますよね。
長期的な課題を伝えることもフィードバックですし、
今提出されたドキュメントに対しコメントすることもフィードバックです。
イメージをクリアにして話したいので、
ここでは提出されたドキュメントへのフィードバックを前提に書くことにします。

提出されたドキュメントへのフィードバックが歓迎されない場合、
相手の心の中でこんな反応が起きているような気がします。

「なんでこれでダメなの?」OK水準がわかっていないからくる反発
「それは小野さんの意見ですよね?」上司と違う意見は否定されるという思いからの反発
「そんなに出来が悪いでしょうか...?」自分の力量が否定されて不快
「え、もう時間がないんですけど...」時間が取られ、工程が乱されて不快


こうしたことが起きるのは、
多分、フィードバックは自分のためにあると思えていない上に、
自分一人では気づけないことがあると思えていないからです。
さらに、品質についても、自分ひとりのアウトプットに対して、
上の上のそのまた上があると思えていないからです。

だから、まず「小野さんは自分の成長のために言ってくれている」
思ってもらえる信頼関係を作ることが最初の仕事かもしれません。
そうしないと、フィードバックはまず機能しませんね。
それと高いレベルのアウトプットを要求するなら、
そういう合意を先に作る方が大切で、
私たちは三流ではなく、一流を目指すと合意できていれば、
「なんでこれでダメなの?」という疑問も消えていくような気がします。

そんな合意があってもなお、人は誰でもフィードバックされること、
否定されることがイヤなのだと思います。


で、ここで新たな問いが生まれてきました。
人は、どうしてフィードバックを否定と捉えてしまうのでしょうか?
そもそも、そこに問題があります。

というのは、先に「フィードバックを歓迎しない部下は一定割合いる」と
書きましたが、実はフィードバックを喜ぶ社員も一定割合います。
彼らに確認したわけではありませんが、
おそらくフィードバックを「否定」とは捉えていません。
あくまで「材料」と捉えています。
「否定」と捉える人は、フィードバックについて
「否」を「是」に変えるための「指摘」と捉えています。
でも、「材料」と捉えている人はそうは捉えず、
もっとより良いアウトプットをするための材料、
もっとより良い考え方を身につけるための材料、
もっと自分が成長するための材料、と捉えています。
そこから自分がどう咀嚼するかは自分次第と受け止めているように思います。


さて、かくいう私がフィードバックとどう付き合っているかというと、
私は社長なので、放っておくと、フィードバックされない運命にあります(笑
フィードバックされない社長がどうなるかというと、
みんなが知っているアンデルセンの童話「裸の王様」のようになります。
なので、私はそうならないために、
フィードバックを得られるように努めてきたと思います。
それでもきっと100のうち50ぐらいしか得られていないんだろうな~
そうやって得た貴重なフィードバックからまた思考を深め、行動して、、、と
そんなことをやってきたような気がします。
で、ここで気づいたのですが、裸の王様になる懸念、
社長でなくても誰しもありますね。


最後に、最初の質問と同じ質問です。
あなたはフィードバックされること、好きですか? 嫌いですか?

私は先週風邪で3日間お休みしました。
今週は元気に過ごしたいものです。
風邪、流行っているようなのでお気をつけください。
どうぞ素敵な1週間でありますように!

今日は私が経験した不愉快な体験から、相手に対する想像力がいかに重要かという話をさせてください。


ですが、本題の前に、私の友人のワークショップの宣伝です。
土曜日ですが、私も一参加者として参加するので、ご興味があればぜひ!
12月1日(土)13:15〜17:00
コーチングのプロがお伝えする「人間関係がよくなるコーアクティブ会話術」
https://www.facebook.com/events/348402899300107/
主催者の村山英之さん、とてもライブ感のある人で、
彼のワークショップならおもしろくないはずがないと思って、私は参加します。


さて、、、本題。
残念なことに、またブランドに疑問を感じる体験をしました。
具体的に言うと、1ヶ月ほど前にあるメーカーのドラム式洗濯乾燥機が壊れたので、
同じメーカーのものを選んで買い換えました。
それなのに、わずか1ヶ月にしてまたしても、故障!
症状としては、前回と同じようにまたまた水が噴き出して来たんです。
30万円以上したのに。。。
まだ、ほんの1ヶ月、5〜6回しか使っていないのに。。。。
有名メーカーの製品でした。
前回壊れた時もそうでしたが、床はあっというまに水浸し。
下階に影響がでないか、心配しました。


洗濯機の故障にもいろいろなタイプがあると思います。
たとえば、動かない、とか
乾燥のレベルが低くて生渇きである、とか。
けれど、それらは機能が低いという話であって、
損害はそれほど大きくないですよね。
というか、不便ではあるけど、損害はその程度です。
でも、水が噴き出して来て、床がびしょぬれになるというのは、
相当ひどい損害です。
まったくもってあってはいけない故障の類だと思います。
列車でいったら、脱線。
飛行機でいったら、墜落級の故障だと思います。


洗濯機って、セットしたら出かけちゃったりしませんか?
私も、まさにあと数分で出かけるつもりでした。
出かけていたら、どうなっていたんでしょう?


で、まあ、とにかくそういうことが起きて、
誰でも同じことをすると思います。
顧客窓口に電話して、メーカーに修理を申し込む。


で、今日のテーマはこの時の対応についてです。
私はとても疑問を感じました。
なぜ1ヶ月で壊れたことへの謝罪は
「ご不便をおかけして申し訳ありません」の一言で終わり、
無料保証は1年なので購入日がわかるレシートを用意しろの説明は長いのか、
1ヶ月で壊れたと言っているのに、まるで感情を逆なでするように、
「今回はご購入から1年以内ですので」と繰り返し言うのか。
しかも、顧客が知りたいのは、洗えなかった濡れた洗濯物を前に、
解決までに時間がかかるケースと
かからないケースの想定なのに、
「技術者が見てみないとわからない」の一点張り。
目の前の洗濯物をどうしたらいいのよ。。。と思いました。
実はこれ、3月に書いた買ったばかりの財布の破損とほぼ同じような体験でした。
あの財布、修理して戻って来たのですが、やっぱりまたダメになりました。
YKKではないからかな(笑)ブランド品を疑います。
http://www.grassroots.co.jp/blog/monolog/2018/03/180312.html


単純に文句を言うなら「もっと顧客の気持ちになってよ」って話なのですが、
この大手電機メーカーに限らず、
私たちは誰しも「相手の気持ちを想像する」ということに慣れていないのかもしれません。


私たちの心の中心にあるのは自分の気持ちです。
その気持ちを相手にわかってほしくて、
ああでもない、こうでもないと考えることはあります。
でも、その相手の気持ちをどれだけ考えているかと言うと、
実はあまり考えていなかったりするのではないでしょうか。


うちの会社の企画力セミナーで、
あるテーマに対して社員の皆さんの気持ちを書き出すというワークがあります。
その時にたくさん書き出せる人もいますが、行き詰まる人も目にします。
「自分が社員の気持ちを想像できていないと実感しました」という感想を述べ、
相手の気持ちに立つことの重要性を認識してくださる方が多々あります。
まずは書き出してみる。
頭の中でぼんやり考えるのではなく、
書き出すということを通じて、自分の想像を形にすることはとても重要です。


今回私が連絡したコールセンターのスタッフの皆さんは、
マニュアルに沿って対応していたのではないでしょうか。
想像ですが、おそらく
「顧客の気持ちに立て」とは言われず、
「マニュアル通りに対応せよ」と言われている。
だとしたら、本質的な問題はコールセンタースタッフにあるのではなく、
企業の姿勢にあることになります。まあ、想像でものを言ってはいけないのですが。


私は、「相手の気持ちに立つとこと」を徹底した会社は、
それだけで個性が際立ち、
生き残れるのではないかと、そんなふうに思います。
さて、我が社を振り返りました。
当社はどのくらいそれができているか。
答えは65点。こういうと社員に叱られる。でもね、まだまだ精進せにゃあかんのよ〜 

がんばろう、グラスルーツ!

先日、深夜の「ためしてガッテン」再放送で、
アイコンタクトが認知症の改善に役立つ...というのを観て、すごく納得しました。
認知症の方は視界がとても狭くなるらしく、
普通なら視界に入るであろうと思える場所にいる相手も
実は見えていないことが多いのだそうです。
だから、正面からアイコンタクトをせずに話しかけると、
相手がどこにいるかわからないという不安があって拒絶されたりするそうです。
真正面から目を合わせて話すことで、信頼感や安心感が生まれ、
関係は劇的に変わる、そんな事例が紹介されていました。

興味深かったのは、赤ちゃんの実験。
同じぬいぐるみを2つ見せながら、赤ちゃんがどちらを選ぶかというものでしたが、
手渡す相手が目くばせするだけで、赤ちゃんはその意図通りにぬいぐるみを選びました。
目は口ほどにものをいうと言いますが、
人の動物的な感受性はまだまだ生きているんですね。
私たちは、この言葉以外のノンバーバルコミュニケーションの影響に対し、
もう少し自覚的であるべきかもしれません。


目を合わせることは、ビジネス社会でもとても重要です。
耳だけ向けて「聞いてるよ」という反応をしてしまったり、
ポーズは聞いているようで、実は「今じゃなきゃダメ?」という態度であったり。
心から目を合わせているのといないのとでは、伝わることに雲泥の差が出ます。


さて、前置きが長くなりましたが、
私たちが注目すべきは、「目を合わせる」ことだけではなく、
ボディランゲージの重要性についてではないか、というのが今日のテーマです。

これは、若かりし頃の私の体験からも思うことです。
私が新卒で入社した某上場企業で、私は専務の秘書を務めていました。
その専務は、社内でも一番怖いと評判の方でした。
課長クラスの多くの方は専務室に入るというだけでも、
私から見てもビビっているのがわかりました。
そういう方に対して、専務はよけいにイライラしていたようです。
けれど、そんな専務でも一目置く方が二人いました。
経理部長と財務部長。お二人はまったく臆することなく、専務と接していたのです。
振る舞いも堂々としていて、むしろそんなお作法で大丈夫なの?と思うほどに、
よく言えば自然体で振舞っていました。

そんなことをきっかけに、私は感じ取りました。
話している内容以上に、振る舞い方(ボディランゲージ)によって
人は認められたり、相手をいらだたせたり、
あるいは、周りを不安にさせたり、本音を言いにくくさせているのだ、と。
と同時に、自分自身もボディの構え方によってマインドが変わると気づきました。


世界最高峰ハーバード・ビジネス・スクールの注目教授であり、
著書「〈パワーポーズ〉が最高の自分を創る」で知られる
エイミー・カディがプレゼン番組「TED」で
人が自分に自信を思って力に溢れている時と、
反対に無力だと感じた時とではポーズが違うと話しています。
力に溢れている時は、体を伸ばし広げるが、
無力感を味わっている時は体を縮めている、と。
オリンピックなどでの勝者と敗者のポーズを思い浮かべると、
彼女の言わんとすることがわかります。
彼女は、体を伸ばし広げることを力強いポーズと呼び、
反対に、体を縮めているポーズを力の弱いポーズと呼んでいます。
そして、フリでもいいから力強いポーズを取ることで人生が変わると語っています。
自分はできるという自己暗示が重要なように、
ポーズ(立ち姿勢)という形から入ることによって、
マインドも変化する、だからこそポーズが重要だということのようです。


これらの話から思うことは、
人に自分の力を周囲に認めてもらうためのボディランゲージと、
人に自分に対して安心感や信頼感を持ってもらうためのボディランゲージは、
まったく違う方向性にあるということです。
でも、人間関係をより良くするには、実はどちらも大切ですよね。
それは左右対極にあるのではなく、縦軸と横軸のような関係にあります。


私自身も、どちらも少しはできていて、まだまだ突っ込みどころは満載。
でも、そうやって理想を持ったり、自己チェックの尺度を持ったりしていると、
少しづつ理想に近づいて行くのではないでしょうか。そうありたいなー
今週は11月に突入。今年もあと2カ月です。
私は先週のブログに、自分が今年何ができて、
何をしたいのにまだしていないかと書きました。
お互いに残る2カ月を満喫して、2018年を終えましょう!
まずは今週が素敵な1週間でありますように!

こんにちは。


まずは御礼から。
先週の私の個展、個人的な活動ですが、
元気が出たなどの感想を多数いただき、おかげさまで無事に終了しました。
中には、メルマガを読んで来てくださった方もいました。
ありがとうございました。


さて、そんなこと、あんなことをしながらも、
気がつけばもう10月もあとわずか。今年も2カ月少々しかありません。
そこで、今日は今年したこと、したいのにできていないことという視点から、
私のこの1年を紹介したいと思います。
ちょっとダラダラと自分への備忘録として軽い気持ちで書かせていただきます。


したこと(意図した・しないに関わらず)

・「自由」というものをテーマに感じたり考えたりしてもらう場を作れた。
 これは、先日の個展のことです。
 終わった日は、踊り狂いたいくらいの達成感がありました。
 私は人を元気にさせたいと思ってこれを開いたわけではなく、
 ただ自分の満足のために開いたのに、結果的に多くの人から「元気をもらった」と
 言われて、こんなにうれしいことはありませんでした。


・本を作った。
 母の自分史を聞き書きでまとめたり、
 父がお世話になっている老人ホームのスタッフの仕事観集を作りました。
 仕事で磨いたスキルを自分のやりたいことに使った格好です。
 人の物語を聞き書きでまとめるのは楽しい作業でした。


・当社の理念についてスタッフと膝詰めで話せた。
 当社理念「『言葉』で未来をつくる」の奥にある、生み出したい社会像の話を
 スタッフとディスカッションできました。
 この理念は、人と人は分かり合えないからこそ、
 分かり合う努力をし続けることに意味があり、そういう社会を作りたいからこそ、
 言葉に価値があるのだという考え方が根底にあります。
 そこをゼロから伝え、ディスカッションできました。
 やりたかったのに、できなかったことです。
 創業者としては、まだまだ社内で続ける必要のあることだと思います。
 私が現役でいる間はね。


・新しいサービスのプロトタイプの開発ができた。
 お客様企業の中で、発表されたビジョンや中計などについて
 社員のひとりひとりが考えるきっかけになるような
 そんなワークショップのプロトタイプをつくりました。
 これからリリースします。
 果たして、ニーズがあるか!?


したいのに、していないこと

・読みたい本
 読みたいのに、積んでいる本、実はいつもあります(笑
 「海馬」(糸井重里、池谷裕二)
 「『わかる』とはどういうことか」(山鳥重)
 どちらも脳科学系の話です。人の理解や認識はどんなふうに成り立っているのか、
 もっともっと知りたいですね。
 「シニカル・ヒステリー・アワー」(玖保キリコ)
 玖保キリコさん、おもしろい漫画家ですよね。私と年代も近い。
 私が読んだことがあって、おもしろかったのは、「いまどきのこども」です。
 先日の個展で、ある方から「自由つながりで思い出したから...」と
 いただきました。早く読みたい。。。
 他にも多々あるなあ。数年前から読みたいのに、読んでいない本も含め、
 「僕は数式で宇宙の美しさを伝えたい」「ソース」など。


・ちょっと興味のあること:仏教
 仏教の「自由」「差別」といった言葉の世界観に興味を持ちました。
 今は手っ取り早くメルマガを読むなどから始めていますが、
 書籍「ブッダのことば―スッタニパータ」(中村 元)や
 映画「親鸞」(監督 田坂具隆)、
 書籍「なぜ生きる」(監修 高森顕徹、共著 明橋 大二/伊藤 健太郎)などに
 触れてみたいですね。
 仏教も宗派がいろいるあるので、どこから始めるのがいいのか、
 ちょっとわかりかねますが、入門書的な本を幅広く読んでみたいです。


・家の大掃除
 楽しく心踊ることに時間を使いすぎると、大抵どこかでバランスが崩れます。
 その一つが家の維持。引っ越して来てまだ4年ですが、
 実家の処分や個展の開催に伴って、置きっ放しになっているもの(一時的の
 つもりだったのに...)がたまってきました。
 断捨離系の大掃除と、磨き上げ系の大掃除、今年中にどちらもやりたいものです。
 ま、これを年内にやろうとしたら、他の項目は諦めるしかありませんが、
 空間的なことはストレスを生むので、先送りしないほうが身のためです(笑


・ゆっくり家で映画三昧
 映画館に映画を観に行くということも最近少なくなっていますが、
 今したいのは家でどっぷり映画三昧することでしょうか。
 何を観るか、選ぶこと自体を楽しみたいですね。


・衣替え
 実はまだ衣替えができていません。毎日、着ていく服に困っています(泣


・KANREKIの曲づくり
 同じく暦が回った友人たちと、曲を作ろうという話が決まっていて、
 すでにトライ&エラーが進んできています。
 で、方向性が決まったところで、止まっています。
 曲の音を作る担当が私で、第2案への一歩が滞っているからです。がんばります!


...ざっとこんなところでしょうか。
他にもありますが、書けば書くほど、自己否定的に作用しかねないので、
やめておきます(笑


人生を100%楽しむために、時々こうやって
セルフチェックをかけるのも悪くありませんね。
...と、もっともらしく、まとめてみました笑


今週も素敵な1週間でありますように!

今週の水曜日まで表参道のギャラリー「Concept21」で、個展を開いています。
テーマは「自由であるということ」。言葉とデニムのコラージュ作品です。
そこで、今日は自由と個人、自由と組織について少し考えたいと思います。

あなたにとって自由とは何ですか?
自由と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
好きなように、奔放に、振る舞うイメージですか?

デジタル大辞泉によると、こんなふうに出てきます。
1.自分の意のままに振る舞うことができること。または、そのさま。
2.勝手気儘なこと。わがまま。
3.哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、
 積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。

今回の個展での私の捉え方とは少し違いますが、
一般的にはそういうことなのでしょう。

英語の「freedom」「liberty」の訳はどちらも「自由」ですが、
実はどちらも、元々は高貴な階層が特権を有している状態をさしていたそうです。
福沢諭吉が「自由」という語を訳書に用いたあたりから、
言葉として定着したというのが通説です。


また「自由」は仏教用語でもあるようです。
「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」
という教えに基づくもので、
「自由」=「自らに由(よ)る」「自らを由(よし:根拠)とする」です。


私の考えた自由は、仏教からくる概念に近いかもしれません。
自分らしく、ありたいままにあること、
他人からどう思われるかを気にして自己制限をかけることがない心持ち
...と捉えました。
その反対は、心が抑圧されている状態です。
自由も不自由も自分の心が生み出すものであり、 自律していることなくして、自由は得られない。
そんな解釈に立っています。


実は、このように考えるようになったのには、きっかけがあります。
私は、30代中頃にうつ病的な気分に陥り、カウンセリングを受けたことがあります。
10回も受けないうちに、これを続けても治りそうにないと思い、
結果的には自分で自分を戻しました。
その時の原因にあったのが、こうあらねばならないという意識です。
特に社長らしくあらねばならない、という気持ちが強すぎたのでしょう。
それが周りの期待に応えることだと思い込んでいました。
結果、自分らしさを失い、息苦しくて不自由でした。
その経験を通じて、ふと気付きました。
自由も、不自由も、自分の心が生み出しているのだ、と。


さて、自由と不自由についてこう解釈すると、
実は自由を得るのは簡単ではなく、奥が深いことに気づきます。
人は、自分を拠り所にすることに慣れていません。
子どもは親や先生を拠り所にして育ちます。
就職すれば、上司や先輩を拠り所にして成長します。
私たちは、評価されるためにがんばる...という様式に慣れ切っているので、
自分よりも他人を拠り所にするパターンに陥りやすいのではないでしょうか。
要するに、その方がラク...ということかもしれません。

たとえば、「あなたを雇うから、何をするかは自由に考えて」と言われるよりも、
「あなたの仕事はこれこれで、こういうことを期待する」と
言われた方が、よっぽど気分的にラクではないでしょうか。

これを個人の視点から見るとどうでしょう?
他人の目を気にしない人はいませんが、
他人の目が自分の基準のすべてになってしまい、
自分らしさが失われていくと、心の病にかかります。

組織の視点から見た場合はどうでしょう?
他人の目や人の評価ばかりを気にする組織は、
決して自らに由る力が強いはずはありません。
自分らしくありたいようにあることが許され、
自律することが評価される組織の方が、
組織としては強いように思います。

あなたはどう思いますか?
私は、たった一度の人生だからこそ、
自由に在りたいという思いを強くする今日この頃です。
今週も素敵な1週間をお過ごしください。

当社がたとえば30年後、どうなっていてほしいのか、
最近、考える機会が増えました。
と同時に、こんな小さな会社がなぜ30数年以上も続いて来たのか、分析してみたり。

で、改めて今日まで存続できた理由を考えてみると、
その一つに「損得は二の次」という考え方があったからではないかと考えています。
いえ、ビジネスですから、損得はどこかで考えますが、
判断基準の上の方にそれがあったかというと、なかったと思うのですね。
判断基準の上にあるのは、あくまで経営としての、人としての、
「理想」とか「美意識」でした。

で、その理想の中心にあった一つの姿が、
オープンに自然体で意見を言い合い、
リスペクトし合う対等な関係の中で仕事をするというものでした。
社内はもちろんですが、お客様やパートナーともです。
そこに損得勘定はありません。それはポリシーでした。

社内で言うなら、ミーティングの場はもちろんですが、
新入社員でも社長の私に意見を言えるように。
もちろん、理想にしていることが必ずできていたかといえば別問題。
素直に聞けず、それが原因で軋轢が生まれたこともありました。
で、どうするかといえば、謝るわけです。
なぜなら自分の非を認めず謝らない社長はカッコ悪いから。
それが、私の「美意識」でした。

で、「意見を言いやすくする」「意見が言えない会社に未来はない」と
という考え方は、実はどの会社の存続にとっても大切だと思います。

ところが、、、、
最近の社会の風潮としては、意見を言わない人が増えていると聞きます。
これについては、阿部が9/9付のメルマガ
「その場、『言う場』?『言わない場』?」でもエピソードを挙げていますが、
いかにもありそうなことだと感じ、だからこそよけい憂うべき日本を感じます。

いったい日本はいつからそうなったのか、
「言わない」「発言しない」の根底に、いったいどんな気持ちや価値観があるのか、
想像してみました。
で、そうなってきたその原因について、3つの仮説を考えてみました。

【意見を言わない理由1】根底にある価値観に「損得」があるのではないか?
発言して、人から「会議を引っ掻き回した」と文句を言われる、
発言して、人からその発言は「的を射てない」「おかしい」とバカにされる、
発言して、人から「お前の発言で会議が長引いた」と文句を言われる、
発言して、想定外の面倒な役目が回って来てしまった。。。
多分、そんな原体験があると、そんな損をしてまで発言するのはバカらしい、
そう思うようになるのかもしれません。
いえ、そんな体験がある人自体は少ないのだけれど、
他人のそういうシーンを目の当たりに見ると、
ああいう立場にはなりたくないと思うのでしょうか。

【意見を言わない理由2】根底にある行動基準に「空気読む」があるのではないか?
今の日本の、空気を読めという空気、私はちょっと異常だと感じているのですが、
仮に周りの誰かから「空気読めよ」と言われたら、普通は萎縮しますよね。
自分が言われていなくても、言われている人を目の当たりにしたら、
同じ目に遭いたくないと思うことでしょう。
直接「空気を読め」と言われていなくても、
「意見を言うな」「否定をするな」というオーラを出す人がいたら、
オーラだけでも行動が変わってしまうかもしれません。
この場合、オーラを出す人と、オーラで忖度する人、
いったいどちらがどう変わると、組織は良くなるのでしょうか?

【意見を言わない理由3】考える習慣がなく、自分の意見が不明瞭なのではないか?
最近聞いた学校教育の話では、
「考える」プロセスなどまったく重んじられていないようです。
考える習慣がないことを学校教育のせいにしていいかどうかはわかりませんが、
実際社会人の中にも「考える」ことに慣れていない人、
考えることを途中でやめてしまう人はとても多いと思います。
学校でも社会でも考えることを要求されない、あるいは
考えることに意味が生まれない環境で暮らしてしまうと、当然そうなりますよね。

もしかしたら、私が思いもつかない第4、第5の理由もあるかもしれません。
でも、この3つに限って言うと、私は原因は一つではなく、
どれも相互に少なからず関係しているのではないか、と思います。
とはいえ、その中でも一番の根っこにあるのは、「損得」なのではないでしょうか。
損得から発言しなくなる。空気を読むのも、損得が判断基準になっているから。
損得から発言しないことを是としたら、考える必要もなくなるから、当然考えない。

でも、損をしないために発言しないという考え方には落とし穴があります
なぜなら、それをやり続けると自分の価値、存在意義を発揮できません。
というのも、多くの人は発言しないわけですから、
同じようにしていたら存在価値を発揮できないわけです。
価値が発揮できないと、精神的にはやりがいが得られない、
経済的には稼げないなどの影響を受けます。
それだけでも十分に損害を受けるわけですが、それだけではありません。
最近では、ロボットに仕事を奪われる可能性さえ出て来ました。
自分を守って損しないように行動してきたつもりが、
結局は経済的にもやりがい的にも損を生み出す。
だから、損しないために発言しないはナンセンスだと思います。

さて、、どんな会社にも文化があり、発言しにくいこともきっとあることでしょう。
でも、あなたの意見が風穴を開けるかもしれません。
意見を言える世界とは、正解が1つという世界とは違います。
意見を言える会社、意見を言う個人。それ自体に意味がある。
そういう存在が増えると、日本は変わっていけると思うのですが。。。
意見を言うことについて、あなたはどう感じ、どう行動していますか?

どうぞ素敵な1週間を!

PS)あ、そうそう、最後に個人的な活動の宣伝をさせてください。
「DENIM AGE(デニムエイジ)~自由であるということ」というテーマで
個展を開きます。ご興味があり、お時間が許せばお運びください。
期間:10/11木~10/17水(11時~19時。最終日は15時まで)
場所:ギャラリー「Concept 21」(表参道徒歩5分)
〒107-0061 東京都港区北青山3-15-16
Tel.&Fax.03-3406-0466(画廊)

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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