ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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4月15日(土)から23日(日)まで、
青山のギャラリーで私の作品を発表する展覧会を個人的に開きました。
個展という形でアウトプットしたら、本当にたくさんのインプットを得たのですが、 
今日はそんな中でもひとつだけ紹介します。
それは、「解決=価値」とは違う世界についてです。

この展覧会について簡単に紹介すると、
人生の出会いと別れをテーマに「流転」と題して行ったもの。
展示した作品は、アクリル絵具で描かれた記号的絵画作品と、
インタラクティブな言葉のパネル作品です。

ただ黙って眺める展覧会ではなく、
自分の人生を重ねたくなるような参加型の構成に特徴がありました。
観て、想像して、選んで、読んで、書いて、、、
テーマは少し重いですが、心と体を使って感じてもらうことを目指した、
そんな内容です。

来てくださった方たちは、自分の人生を通して作品を解釈したり、
感情移入をしたり、自分の心を観察する...ということをしてくれたわけですが、
その結果、感想のコメントに現れてきたのは、様々な「視点」でした。
人の感性はなんと豊かなんだろうと感じましたし、
その裏側には十人十色の人生があるということを痛感しました。
個人個人の現在の状況も様々だし、そこまでの道のりも実に多様です。
そして、人生が違えば、見方や感じ方も違って当然です。
まさにダイバーシティの本質がここにあると感じました。


もう少し具体的にお伝えしますね。

たとえば、21枚の絵で構成され、
ひとつのストーリーになっているペインティング作品があったのですが、
その話を自分の過去と現在に照らして観る人もいれば、
息子に起きた別れ話や、両親の関係に思いを馳せて観る人もいました。

また、「別れ」という概念の捉え方も人によって千差万別。
大半の人は、実在する誰かと自分が体験した別れと捉えましたが、
自分自身との決別と捉える人や
この先の未来に訪れる別れを思い描く人もいました。
さらに、スピリチュアルな存在を感じながらも
切り離されている状態を別れと捉える人も。

一方で、そこまで葛藤したり、負の感情を味わったことはない、とか、
自分は感情をないがしろにしていたのかもしれないとか、
忘れていた感情を思い出したとか、
自分の感情に「フタをしがち」だったなどの感想も多く聞かれました。

それらの感想を含め、
観る人が、それぞれの視点で観てくれたのがとてもうれしかったですし、
人の感性の豊かさに触れた思いがします。


視点の多様性に驚いたと同時に、
総じて言える共通点もありました。
それは、来た方の多くが何かしら感じ入ってくれた、ということです。
我田引水の面も多少あるかもしれません。
でも、涙を流す人が何人もいたり、次のような感想をいただいているので、
まんざら勘違いというわけでもないと思います。
(許可を得て掲載しますね)
ーーーーーー
私は、亡くなった父、生まれてこなかった子との別れを
しっかり味わう時間となりました。
こんなにたくさん泣いた個展は初めて。
グリーフセラピー的な個展でした。
ーーーーーー


この話、別に自慢したくて書いているのではありません。
私がこの事から気づいたのは、
この展覧会が参加者にもたらしたのは「解決」ではない、
けれども「解決」という価値以外の世界にも、
何かしら意味があるようだ...ということです。

とかくビジネスの世界で生きていると、
ソリューションを提供することこそ価値だと思い、
それ以外の価値に鈍感になりがちです。

でも、今回のような世界にも実は価値があるのかも...と
そんな気持ちになりました。
なぜなら、ビジネスといったって、所詮人間社会だからです。
それはいったいどんな価値なのでしょう?
癒し?
内省?
対話?
自浄?

どんな言葉がふさわしいのか、私自身よくわかりませんが、
心や感情の取り扱いに関することであることだけは確かです。

だから「ビジネスとはいえ、解決がすべてではない」。
解決最優先でいると、道を間違えるかもな...ということ。
それが今回得た大きな気づきです。

ご来場いただいた皆さま、
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

まもなくゴールデンウィークですね。
素敵な1週間でありますように!

個展の映像はこちら

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週末は不安定なお天気でしたが、桜が見頃でしたね。
私は土曜日、友人宅に招かれ、千鳥ヶ淵の桜を満喫してきました。
桜の名所はあちこちありますが、やっぱり千鳥ヶ淵は圧巻ですね。
そして、なんとなく日本人としてのアイデンティティを再確認させられました。


さて今日は、「表現の自由」について考えたいと思います。
と、なぜか今日は大上段に第一声を挙げてみました(笑


私たちは「表現の自由」という憲法で定められた基本的な権利があるのに、
その権利を十分使っているでしょうか?
この権利、日頃あまり考えませんし、あって当然だ...というぐらいにしか、
普段は考えませんよね。
かくいう私もその一人です。


だからなのかな、
今週末から個人的に個展を開くのですが、
それに対する人の反応を見ていると、
「表現の自由」を奪っているのは、
もしかしたら私たち自身なのではないか?と
ふとそんなことを感じました。
ですので、今日は、憲法的かつ権利的な意味からではなく、
表現する自由について、私たち自身の心の面から考えてみたいと思います。


「表現の自由」は日本国憲法第3章第21条に定められています。
WIKIペディアを引用すると、
  すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利[1]。
  外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由[2]
なんですね。基本的人権でもあります。


政治的権力から不当に制限されやすい人権だからこそ、
守られるべきである権利であり、
また人々の見解はそれぞれに違って当然で、
自由に発表できるからこそ違う意見を知ることができ、
それが民主主義にとって重要である...
というような意味づけもあるようですね。


ま、こんなふうに言われても、日常生活には何の関係もない...
というのが、多くの人の感覚です。
ですが、せっかく持っているこの「表現の自由」という権利、
それに対する感覚は私たちの中で養われているでしょうか?


私は権力的なものがもたらす影響もあるとは思いますが、
それ以前にまずは日常における自分たちのスタンスも大きいと思います。


「表現の自由」という以上、まず自分に対して、
「〜であらねばならない」という思い込みから逃れる必要がありますよね。
でも、多くの場合、そんな思い込みばかりではないでしょうか?
そう思っている限り、「表現の自由」という権利は
生かされにくいのではないでしょうか。


たとえば今回の私のように、個展を開くということを例に挙げるなら、
それについて、多くの人にはこんな思い込みがあると感じました。


・個展を開くなら、高い技術の作品でなくてはならない。
・個展を開くなら、お金を払ってギャラリーを借りなくてはならない。
・個展を開くなら、見る人にとって価値ある作品でなくてはならない。
・個展を開くるなら、ある程度まとまった作品数がなくてはならない。


私は、どれも思い込みだと思います。


高い技術の作品であるべきなのは、なぜですか?
技術が高い作品は、誰にとっていい作品でしょうか?
ギャラリーを借りなくても、ネットの時代、発表は可能ですよね?
見る人にとっての価値とはなんでしょう?
マーケットインでアート作品を作って楽しいですか?


個展を例にしましたが、
「表現の自由」というのは、絵画作品の制作&発表というシーンに限りません。


社内会議でちょっとした意見が求められて、なんと答えるか、
そこでも「表現の自由」という権利があり、
どう立ち振る舞うかの判断と実行があります。
私たちの中に、こんな思い込みはないでしょうか?


・会議で発言するなら、他の人が賛同する意見でなくてはならない。
・会議で発言するなら、意見は理路整然と述べなくてはならない。
・会議で発言するなら、自分を含め、誰かの対面を守らなくてはならない。


表現には自由があるのですから、
「〜でなければならない」と思う時点で、
権利と反対方向、言い換えれば権力側に向かっていると思います。
しかもそれ、あなただけの思い込みではなく、
周りの人も含めて、みんなで思い込んでいる場合もあるかもしれませんね。


でも実際には、
「こんなことを言ったら、波風が立ってまずいかな...」とか、、、
こんな心理が働いてしまうこと、ありますよね。
でも、、、
このスタンスでは「表現の自由」を満喫しているとは言えませんよね。


私が「表現の自由」というコンセプトにおいて、
大切だと思うのは2点です。
(その1)周囲目線ではなく、常に主語が自分であり続けること。
(その2)(アタマ)「〜であらねばならない」ではなく
     (ココロ)「〜が楽しいからやりたい」であること。


「〜が楽しいからやりたい」という軸でやってみた時に、
もしかしたら周りの人から批判を受けるかもしれません。
でも、人は誰かから評価されるために生きているわけではない、
それが基本的人権の考え方にあると思います。
だから、ちょっとやそっとの批判や評価に負けてはいけないんですね。


「自分は果たして『表現の自由』という権利を満喫しているだろうか?」
まずは、そんなことのセルフチェックをかけてみたいものですね。
今週もいい1週間をお過ごしください!

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先日、当社の社外取締役である川添香さんと食事をし、
とても良いインプットを得ました。
川添さんはシステムコーチングといって、
組織の関係をより良くするコーチングのプロフェッショナルでもあり、
エグゼクティブコーチでもあります。
グラスルーツはコーチングという手法とは異なりますが、
組織の中にある感情的な「問題」を取り出して、
議論の場をファシリテートし、施策に落とし込むという意味で、
川添さんと共通点のある仕事をしています。


そんな二人が食事をする中で、上司と部下の関係において、
あるいは上司が部下を成長支援するという関係において、
起きやすい問題について話題が及びました。


大きな組織といえども、小さなグループの集合体ですから、
個々の関係で起きていることが、結局組織のあちこちで起きて、
それが組織全体の問題になったりしますよね。



で、よくぶつかりあうことの一つが、「価値観」です。
「価値観」は、人それぞれが大切にしていることであり、
それを会社や上司から「変えろ」と言われるのは、
言われた方からすると言語道断ではないでしょうか。
しかも、そこに社会人としての常識やら何やらが重なって、
状況はもっとややっこしい。
「会社の飲み会には出たくない」という部下。
「仕事が終わっていないのに、用事があるからって帰るわけ?」という上司。
コミュニケーションの問題である場合もあるでしょうが、
「価値観」のぶつかりあいである場合も多い。


当たり前のことですが、「価値観」には
良い価値観、悪い価値観ってないんですよね。
だからこそ、「価値観」を巡って上司が部下に
「それは、おかしい」と表現すると大抵は反発されます。


しかし、「おかしい」という表現は良くないまでも、
上司も伊達に歳を取り、経験を積んだわけではないので、
「そのままその発想を続けていくと、成長できないんじゃないかな...」
と思うからこそ、何か部下に対して助言したいわけです。
でも、一つ間違えると、相手は価値観を否定されたと感じてしまい、
伝えたかったことが伝わらない。。。。
こんなシーン、実はあなたの周りでもよくあるのではないでしょうか。


川添さんが一刀両断に言った一言が、私には新鮮でした。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」。


いや、実際そうですよね。
これは、上司も部下も、誰の価値観もそうです。
私自身が大切にしている価値観も含めてです。
結局、それってみーんな思い込みなんですね。

ある経験をして、あることを感じ取り、それを信じる。
その上に、また経験を重ねて、それを強固にしていく。
そうやって出来上がっていくのが「価値観」です。
だから、まさしく「価値観」=「思い込み」ですね。


そう思ってしまえば、何のことはないのですが、、、、
「価値観」に性格的なことが絡むと、さらに厄介です。
慎重な部下と、自由闊達な上司という組み合わせを想像してみてください。
これは、性格とも言えますが、価値観でもあります。
実は、昨日、友人の経営者がそんな会話をしていました。
その話はまた別の機会にするとして、、、



「価値観」=「思い込み」だと思ってみると、
自分が何をどう思い込んでいるのか、セルフチェックができます。
たとえば私は、人生は短いのだから、やりたいと思ったことを、
とっとと決めて、とっとと試してみて、楽しいかどうかを判断し、
楽しければ続行、楽しくないなら次に行こ!...
という価値観(思い込み)が働きがちです。
つべこべ言っていると、人生はあっという間に終わっちゃうよ!というような。
私のこの価値観には、何かをスピーディに達成したいという願望が根底にあります。
でも、何かを達成しなくても意味のあることはありますよね。
何かを達成しないと人生の意味がないと思う「思い込み」は
どこかで自分を限定しているとも言えます。
自分を拡げるには、その「思い込み」が邪魔をしている可能性があることを
知っておく必要があります。


今のは私の例ですが、そんな思い込みは多分あなたにもある。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」
川添さんの一言、これを聞いて、あなたはどう思いますか?


せっかくなので、川添さんのメルマガを紹介します。
え?こんなことまで無料で教えてくれちゃうの?
...と思うくらい、豊富な知識をわかりやすく提供してくれます。
たまーにM社長として登場するのが私です(笑
ご興味があればぜひ! 私は、ほぼ毎号おもしろく読んでいます。
http://www.reservestock.jp/subscribe/58493


さて、今週はお花見シーズン。
桜。平均寿命からして男性80回、女性87回しか見られません。
(赤ちゃんのときは見た自覚がないから、もっと少ない)
だからこそ、イマココで味わうことが大切だなと思う今日この頃です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

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今日は、個人的な活動のことを書かせてください。
グリーフケア(悲しみのケア)を意図としたアートイベントを開催します。

これは「別れのお別れ会」をコンセプトとした絵と言葉によるイベントです。
死別や離別など、大切な人との別れに遭遇し、圧倒的な悲しみを体験した人が、
その悲しみを慈しみ葬れるようになるまでの間、
しばし佇むための「場」であり「会」です。

ーーーーー
言葉と絵で贈るアートイベント《別れのお別れ会〜流転》
https://www.facebook.com/owakarekai/
4月15日(土)〜23日(日)
@ギャラリー「サイト青山」
ーーーーー

なぜこれを企画したかというと、
私自身がこの数年間に大きな別れをたくさん経験したからです。
テーマは重いですが、コミュニケーションの形として、
おもしろく楽しめるのでは?と思っています。

対話会やペインティングのワークショップなども行います。
ご興味がありましたら、お立ち寄りください。
詳細は、下記をご覧ください。
https://www.facebook.com/owakarekai/

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いきなりですが、4月15日(土)から16日(日)まで、
青山一丁目のギャラリーで「別れ」をテーマに言葉と絵の個展を開きます。
言葉と絵の展覧会「別れのお別れ会〜流転(ruten)」
今日は、それに絡めて負の感情とそのエネルギーの話をさせてください。


私たちの社会では、喜怒哀楽のうち、
怒と哀の感情はネガティブなものとして、
否定される傾向にあるのではないでしょうか。


怒ってはいけない、
憎んではいけない、
それらは醜い感情だ、
そう教えられて育ちます。


波風立てない関係を求める最近の風潮ともあいまって、
怒りの感情がどのようなものか、味わったことがないという若い人も増えています。


けれど、負の感情は、本当に悪いものでしょうか。
感情的に振る舞うことは、確かに良くない面がありますが、
負の感情を抱くこと自体は人間として自然なことです。
それをきちんと感じることが心の健康にとって、大切ではないでしょうか。
自分を大切にするというのは、本来そういうことではないかと思います。


にもかかわらず、人が負の感情を無意識になかったことにしようとするのは、
その感情の中に居続けることが辛すぎて耐えられないからなのだろうと思います。
だから、蓋をして、気づかなかったことにする。


しかし、そういうことを続けていくと、
やがて死に直面しても悲しいと感じないだけでなく、
自分が何に対して楽しい/好きと感じるのかも、感じられなくなっていくそうです。
喜怒哀楽の、怒と哀にだけ蓋をしていたつもりが、
喜と楽にも知らず知らずに鈍くなって、感じられなくなっていくのだそう。
これでは、まるでロボットです。


私たちが、負の感情は悪いものと教えられてきたのは、
自分をコントロールできずに怒鳴り散らしたり、
泣きわめいたりすると、周囲を困らせることになるから、良くない、、、
多分、そのような道徳的視点からのことなのではないでしょうか。


あるいは組織の中では、「理」を最優先とする価値観を維持しないと、
統制がとれなくなる...という暗黙の合意のようなものがあって、
感情から話をすることは是とされない、と
誰もがそう思っているからかもしれません。


けれど、負の感情にも良い面がたくさんあります。
まずは、エネルギーの絶対値がとても高いということ。
このエネルギーを上手に活用すれば、
創造的な行動、挑戦的な行動につながるのではないでしょうか。


青色発光ダイオード(LED)の開発で、
2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏は、
「偉い人たちに『お前は金の無駄遣いしやがって!』と。
けちょんけちょんに言われ頭にきて、、、、」

怒りをバネにしたと述べています。


実際に怒りが創造性に良い影響を与えるという実験結果もあるようです。


実は、私の今回の展覧会も、始まりには悲しみや怒りがありました。
怒りは、時によっては神に向けられたり。。。
そうこうするうちに、怒りの矛先が自分に向いてきた。
もっとこうすれば良かったとか、
なぜああしなかったのか、とか。
その後悔の海の中にいたとき、
別れによって人はこんなにも自分を責めるんだな、と気づきました。
けれど、それは違うなと。
そうしたら、それを人に伝えたくなったのです。
負の感情が正のエネルギーに変わった瞬間かもしれません。
「別れ」に直面し、心を痛めている方、ぜひお立ち寄りください。
言葉と絵の展覧会「別れのお別れ会〜流転(ruten)」



ギャラリーで、社内広報やインターナルブランディングのご相談も歓迎です!


というわけで、人の感情や気持ち、大切にしたいものですね。
え? 小野さんは会社でいつも怒りまくっているのか?
そんなことはありませんよ。
10年に1度ぐらいは机を叩いて怒ることもありますけどね(笑


さー、春らしくなってきました。どうぞ良い1週間をお過ごしください。

先週の金曜日、RCI(関係性開発協会)のワークショップ
「関係性の智慧に目覚める」に行ってきました。
それはRCI解散前の最後のイベントでした。
残業しないと土曜日に仕事をしなければならない、、、、
そう葛藤しながらも、参加を決断したのは、
CRR JapanのCLOである森川有理氏の登壇だったからです。
ゆりさんという呼び名で呼ばれている森川さんは、
システムコーチングの大御所。
過去4度ほど接点があり、以前から大ファンでしたので、
結果、土曜日に仕事をすることになりましたが、
行って良かったと思いました。


今回参加してみて、たくさんの学びや気づきがあったのですが、
今日、ここに書きたいのは「聞いている」「見ている」ことを示すことが、
お互いの関係にとって、とても重要だということです。
よく「リーダーは褒めよ」と言われますよね。
でも、私は、どうしても「褒めよ」という語感には上から目線を感じ、
部下をコントロールしようとしているかのような違和感があって、
しっくり来ませんでした。でも、
「あなたの話を聞いている」
「あなたのことを見ている」はしっくりきます。


ゆりさんは、まず成果を上げるチームの要素として、
ダニエル・キム氏が挙げた4要素を紹介。
三角形を上から4層に分け、
上から「成果」「行動」「思考」「関係性」とし、
上の2つは目に見えるけれど、下の2つは目に見えない。
「関係性」が「思考」に影響を与え、
「思考」が「行動」に影響を与えると語りました。


では、「感情」はどこに位置付けられるのでしょう?
その疑問を質問という形で私はその場に出しました。
すると「関係性」が「感情」をつくり、
「感情」が「思考」に影響する...、
そんな構図が見えてきました。


さて、関係性と聞いて、あなたはどんな経験を思い出しますか?


実は、この問いは、ゆりさんがその場でしたものです。
良い体験(光)を思い出す人もいれば、
悪い体験(闇)を思い出す人もいますよね。
その問いかけから、その後、二人ひと組で自分の体験を語り合うという
ワークにつながっていくのですが、
その前にゆりさんはご自分の体験を話しました。
それは光と闇の両方にからんだエピソードでした。
(以下、私の理解が違っていたらごめんなさい...を前提とした話です)


ある時、ゆりさんはアメリカで開かれた会合に参加していました。
コーチングか、システムコーチングか、リーダーシップかを学んだ
そのような人たちの会合だったようです。
世界から集まった人たちの中で、アジェンダもなく、
意見を述べたい人が次から次へと前に出て行き意見を述べる、、、
そんなプログラムだったのだと想像します。
さらに想像ですが、参加者にチャレンジさせる機会という意味もあったのでしょう。
いろんな人が登場しては自分の意見を述べる中、
ゆりさんは勇気を振り絞って、自分も発言しようと出て行ったそうです。

「でも、誰も私の話なんて聞いてくれませんでした」

ゆりさんはそう語りました。
勇気を出して、前に出てみたものの、周囲の反応に体が固まってしまったと。
しかし、そのとき、CRRの創始者の一人、フェイス・フラーがその場にいて、
こう言ってくれたのです。


「I'm listening to you.」


ゆりさんは、大多数の人が聞いてくれなかったとしても、
たった一人の人が「聞いている」と言ってくれたことで、
勇気づけられ、固まっていた体が力で溢れたそうです。
人はその一人がいることがとても重要なんだと気付いたと語りました。


私、これが、めちゃめちゃ刺さりました。
小さな意見でも、若い人の声でも、
「I'm listening to you.」と言える人でありたいなと思いました。
別の言い方をすると、見ている人でありたいなということでもあります。
そして、「リーダーは褒めよ」が嫌いな理由もわかりました。
それは結局、マニュアルチックな発想に感じるからです。
褒めておけばうまくいく、、、、そんな訳ないだろう!と思うからです。
純粋に「すごい!」「素晴らしい!」を言うのはイヤじゃないしね。


「I'm listening to you.」と言える人でありたいのに、
私は、これまで失敗も多々しています。
でも、聞ける人でいること。見守る人でいること。そうありたいと望むこと。
それは、なんか、しっくり来ますね。

あなたはどんな関係を築きたいですか?
花粉が厳しい季節ですが、どうぞ良い1週間を!

先週3月2日(木)3日(金)の2日間、
インターナルブランディングのための戦略ロードマップ策定講座」
講師として登壇してきました。
主催は宣伝会議、昨年に続いて2度目の開催です。
今日はそこでの私の学びをシェアさせてください。

この講座は座学ではなく、ワークショップを通じて実際に計画書を作成し、
ロードマップに落とし込み、プレゼンのロールプレーまで行うというもの。
大半の方はどこから考えていいのかわからない...とか、
問題意識はあるものの戦略的に組み立てるにはどうしたらいいか...
という状態で参加されていますが、
全員が素晴らしい計画を発表し、見事修了されました。

私は講師の立場にありますが、
ワークショップを行うと、私自身、何かしらの気づきや学びがあります。
今回の大きな気づきは次の2点です。

《その1》問われると考える「人の力」とそれを生む「問いの力」はスゴい!
《その2》ついつい表課題に向かっていってしまうのがビジネス社会?


というわけで、今日は欲張らずに《その1》について紹介します。

今回私が改めて感動したのは、
人は誰しも自ら考える素晴らしい力を持っているということです。
この講座は、考えるプロセスを13に分けて、Step by Step で進めます。
各社事情が異なるので、自社にとって今何が必要なのか、
その答えは各自が自分で出さなければなりません。
13のプロセスの前半で多少横道にそれてしまっても、
多くの人が途中のディスカッションやフィードバックを経て、
どんどん軌道を修正し、最後はいいところに着地しました。
もちろん荒削りな面は残ります。
でも、わずか2日間なのですから、アウトプットの完成度よりも、
本質的なことをどれだけ吸収したかの方がはるかに重要で、
その吸収した感じがビンビンと伝わってきました。

私がここでお伝えしたいのは、
人が自ら考える力のスゴさと、それを支える問いのスゴさについてです。
というのは、この講座の基本部分は「問い」でできています。
「問い」が命の講座です。
問われると人は自然と考えてしまう生き物なんですね(笑)
だから、答えなんて与えなくていい。
問われれば答えに向かっていく、それが人の力なのだ、と改めて思いました。


私は、ワークショップというライブの場で場の作り手に求められるのは、
場に起きている疑問や論点を速やかに察知して、
「問い」という形で場に返すことだと思っています。
特に別々の問題意識を持つ各参加者が答えを出す必要のある「講座」の場合、
そもそも1対1では教えることができないので、
個別Teachingではない形で学んでいただく必要があります
言い換えると、私は「講座なんだから工夫が必要だ」と思っていた面がありますが、
でも、よくよく考えてみると、これは講座に限りませんよね。
仮に1対1で教えることができる場であっても、
きっと学びの本質は自ら考えること。
だとしたら、教える側が意識すべきことは、
「良い問いを提示し、相手に考えを促すこと」なんだろうなと思います。
つまり、人材育成では、Teaching的なアプローチももちろん必要ですが、
Coaching的なアプローチも避けて通れないということですね。


アインシュタインは「問い」の大切さについていくつもの名言を残しています。
(といっても、出典はわかりませんが)
「大切なことは問うことをやめないことだ」とか、
「もし自分が殺されそうになって、
 助かる方法を考えるのに1時間だけ与えられたとしたら、
 最初の55分間は適切な問いを探すのに費やすだろう」など。
本当にその通り。問いが人の思考や行動を進化させるのですね。

良い問い。自問。
それは、部下だけでなく、自分自身をも成長させますね。
すごいな、問いの力。


あなたには、自分の人生に影響を与えた問い、ありますか?
問いの力、あなどれませんね。
今週も素敵な1週間でありますように!

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あなたは職場でどんなふうに呼ばれていますか?
苗字で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
名前で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
そのほか、いろいろな呼び方があると思います。


当然、もっとも多いのは、苗字で「◯◯さん」だと想像します。
あ、いや、役職者の方の場合は、
「◯◯部長」「◯◯課長」などと役職名をセットにして呼ぶことが
慣例となっている企業もまだまだ多いかもしれませんね。


普通の職場では、
「あなた、何と呼ばれたい?」と聞かれることは、
ほぼないのではないでしょうか。


けれど、私、最近お互いを何と呼ぶかは関係性に大きな影響を与えると感じ、
「何と呼ばれたい?」と聞き合う習慣を広めること、
これ、結構重要だと思い始めています。


先日、昨年あるパーティで会った方(女性です)と再会し、
ランチをご一緒したのですが、どちらからともなく、
「何と呼んだらいいでしょうかね?」という会話があって、
親しみを込めた呼び方で呼びたいということになり、
結局私は「まゆさん」と呼んでもらうことになりました(笑)


さて、今日の視点は
「何と呼んだらいいでしょうかね?」
を日常化したらどうなるだろう?ということです。


私は今でこそ「何と呼んだらいいでしょう?」という問いに驚きませんが、
2014年にCTIのリーダーシップ研修に参加した際に、
最初にびっくりしたのは、自分のネームカードに
「何と呼ばれたいか」を書いて、それを首から下げることでした。
その時は、リーダーの一人がアメリカ人だったので、
私はなるべく短くて覚えやすい方がいいだろうと思い、
カードに「mayu」と書いたんですね。


でも、私の人生でそれまで「まゆ(mayu)」と呼ばれたことはありませんでした。
呼ばれたことがあるのは、
  まみ
  まい
  まゆりん
  まゆみちゃん
  おのちゃん
  おのさん
さらにマイナー系はほかにもありますが、
主流はこんな感じでした。
その中で仕事社会で呼ばれたことがあるのは、
おのちゃんと、おのさんです。


さて、、、
一般にビジネス社会では「苗字+さん」で呼びあうのが普通ですよね。

ですが、、、
もし「何と呼ばれたい?」「◯◯と呼んでもいい?」から話を始めていったとします。
そして、その名前で呼び合ったとします。
どうですか?
あっという間に心の距離が縮まってしまうということが起きそうな気がしませんか?


呼び名の重要性は、政治家たちも知っています。
ファーストネーム(それも愛称)で呼び合うことがこれほど重要なのだと
私が最初に思った出来事は、
1983年の中曽根総理と米国レーガン大統領との「ロン・ヤス会談」です。
中曽根総理大臣はレーガン大統領を「ロン」と呼び、
レーガン大統領は中曽根総理大臣を「ヤス」と呼び合う関係になった。
私にとって、それは良い意味でショッキングな、出来事でした。


職場の中で、最初に
「何と呼んでほしい」「◯◯と呼んでもいい?」と聞く習慣。広まるといいですね〜
ですが、うちの会社でも実はまだコレ、やっていないんですよ。
書いた以上、やります!


みんな「何と呼ばれたい?」

同じ出来事に遭遇しても、人の感じ方は様々です。
お客様からの一言をどう受け止めるのか、とか、
進行中のプロジェクトは果たしてうまく進んでいるのか、とか、
今日の会議の参加者は同じ認識に立てているだろうか、など、
自分が感じていることと、人が感じていることが一致しているとは限りません。
むしろ一致していないケースの方が多いのではないでしょうか。


この不一致の状況に対して、一致させた方がいいこともありますが、
まず一致していないということを共有するだけでいい場合もあります。



ところが、私も含めて上に立つ人は、
ときどき力で強引に一致させようとしてしまうことがありますね。
自分の見方が正しくて、相手の見方は正しくない(浅い、不十分である等)と
主張してしまうのが、その典型です。
この時に上に立つ人の心の中には、
 自分が気づいたことを相手は気づいていないのだから、
 ならば教えておこう...
というような気持ちがあるのではないでしょうか。



でも、よくよく考えてみると、
これはおかしな話です。
自分の感じたことと相手の感じたことが違うということは、
自分が気づいたことを相手は気づいていないと同時に、
相手が気づいたことを自分は気づいていないということだからです。



たとえば、私たちはいろいろなお客様の会議に参加して、
ファシリテーションを提供しています。
大抵の場合、2名で行います。
そして、それが終わって二人で振り返りをする時、
やはり別々のことを感じていることがあります。
ファシリテーションの質やその場に起きたことについて、
私の方がポジティブでもう一人はネガティブの場合もあれば、
その反対のときもあります。


そんな時、状況認識を一致させようというような意識が働くと、
この振り返りは意味を成しません。
状況をいろいろな視点から見るために二人で参加しているからです。


つまり二人以上の人間が状況を捉えようとするときのマインドセットとして、
お互いに「そういう見方もあるのか...」というスタンスを持つことが
とても重要ですよね。



ですが、つい忘れてしまうことがあります。
部下を教育し、育てなければという思いがあればあるほど、
そうなりがちです。
悪気はありません。悪気がないからこそ、曲者だと思います。


部下に教わることはたくさんある。
「そういう見方もあるのか...」。
それは、おおらかで柔軟な自分を育てるために役立つ
思考のフレームワークだと思います。



あなたは、ほかの人の見方をどの程度受け入れようとしていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

週末、映画「海賊とよばれた男」を観てきました。
岡田准一演じる国岡商店の経営者・国岡鐵造のモデルは、
出光興産の創業者・出光佐三だと言われています。


27歳で石油に目をつけた鐵造のビジネスは、
業界の商習慣にとらわらず、いつもゲリラ的。
奇想天外な発想で常に難局を乗り越えていきます。
その不思議な魅力に、優秀な社員が集まってくるのですが、
では、いったいその魅力の本質は何だったのでしょうか。


私は、それは彼の理念や信念にあったのではないかと思います。
石炭の時代に、石油は国の発展に欠かせないエネルギーになると信じ、
日本の国益のために独立系の日本企業が石油を供給しなければならない。
そのために国岡商店は存在しているのだ、というのが彼の信念でした。
その信念に社員たちは共感し、それぞれが信じた。
具体的なエピソードはネタバレになってもいけないので書きませんが、
信念で結びついている組織ほど強いものはありません。



そもそも理念とは何でしょうか?
我が身を振り返ってみると、40歳ぐらいまで、
この経営理念というものが何なのか、しっくりくる答えが見つかりませんでした。
しかし、やがて、何のために存在しているのかという哲学的問いに
答えを持つことだと思うに至りました。
「理念=存在理由」であるという考え方です。



サイモン・シネックはプレゼン番組「TED」の中で、
存在理由を語る大切さについて、こう語っています。
「優れた組織、秀でたリーダーの伝え方には共通パターンがある。
それは、WHY、HOW、WHATの順に伝えている。
ところが、多くの組織やリーダーはその逆に伝える。
しかも、WHYを語らないリーダーも多い。
しかし、WHYこそが人の心を動かすのだ」と。


この3要素について簡単に整理すると、こんなことでしょうか。
WHY(何のためか、何を信じるのか、何のために存在するのか)
HOW(どういう手段で行うか)
WHAT(結果としてそれは何か)


「海賊とよばれた男」をWHYから語るとこうなります。

WHY:国岡商店は、日本の国益のためという信念で事業を行っています。
HOW:実現手段は、あらゆる方法であらゆる国から調達した石油です。
WHAT:私たちは、外国資本から独立した石油供給会社です。


でも、WHYを語らず、WHATとHOWだけで語ったなら、、、、

WHAT:私たちは、外国資本から独立した石油供給会社です。
HOW:あらゆる方法であらゆる国から石油を調達し、供給します。


ずいぶん印象が違いますよね。
確かに、WHYが人の心を動かす要素であることが感じ取れます。


映画のモデルである出光興産は、今、昭和シェルとの合併問題で揺れています。
あくまで推測ですが、創業家と経営陣との間に、
WHYの考え方に違いがあるような気がしてなりません。



さて、当社の理念は、「『言葉』で未来をつくる」です。
これはスローガンをつくることではありません。
言葉によって、思考を整理したり、共感を生み出すことができるという信念のもと、
共感創造職の人々が成し遂げたい未来づくりを支援するために存在している...、
そんな意味です。
当社の年始のキックオフでは各自がこの理念をどう解釈し、
どう感じているかを話し合いました。


さて、あなたの会社の存在理由はなんですか?
今週も素敵な1週間でありますように!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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