ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

180416_deshabari.jpg

「でしゃばり」という言葉があります。
そのイメージは一般的に悪いですよね。
今日は、「でしゃばり」という言葉を糸口に、
時には「でしゃばり」も必要ではないかということを考えてみようと思います。


「でしゃばる」をWeblio辞書で引くと、
【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】と出てきます。


でも、これって本当に悪いことなのでしょうか?
別にこれ自体は悪いことではないのではないか...と私は思います。
というのは、この反対の考え方は、「私は私、あなたはあなた」だと思いますが、
こうした世界はとても閉鎖的ですよね。
オープンマインドとは反対の世界です。


「でしゃばる」という言葉の意味が、
【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】であるとすると、
「でしゃばる」ことは必ずしも悪いことではないのに、
では、なぜこの言葉には良いイメージがないのでしょうか。


その理由を考えてみたところ、推測ですが、その答えがわかりました。


「でしゃばり」の同義語を調べてみました。
どうやらこんな言葉ともイメージ的に繋がっているようです。


・目立ちたがり屋の
・オレがオレがの
・出たがり屋の
・自己顕示欲の強い
・自分大好きの
・エゴイスティックな
・自意識過剰の
・押し付けがましい...


だとしたら、「でしゃばる」「でしゃばり」のイメージは悪くて当然です。


でも、私は、【関係のないことや、求められてもいないことに、
口を出したり、手を出したりする】ことは、
悪いどころか、必要なことではないかと思っています。
なぜなら、人と人の意見が交わるからこそ、
そこから新しい見方が生まれたり、
新たな糸口を生み出せたりすると思うからです。


当社でも、提案する際には、
求められてもいないことを加えますし、
求められたことに答えつつも、
むしろ本質はこっちではないかと提示したり、
そういう「でしゃばり」をやっています。


私自身も頼まれてもいないのに、
友だちにや家族に意見を述べます。
その結果、ありがとうと言われることもあれば、
スルーされることもあります。
残念なことに人間関係が悪くなってしまった相手もいます。


頼まれてもいなくても、意見を言う理由は
大きく分けて3つあります。
1つ目は、心で思ったことや、
こっちの方がベターだと思っていることを隠すことは、
不誠実だと思うからです。
2つ目は、そもそも相手に選択権があるのだから、
選択肢を増えることが嫌な人はいないと信じるからです。
3つ目は、物事を新しい方向に変えるためには、
誰もが思ったことを言えることがとても重要だからです。


どれも同じように重要ですが、3番目は、
オープンマインドでいるということが創造的な社会につながる
...と言う視点です。
オープンマインドの本質は心が自由でとらわれていないこと。
創造性を活性化するための環境を担保するということです。
そこに立つということは、イノベーションの玄関口に立つようなものですよね。


さて、、、


それでもやっぱり「でしゃばり」には悪いイメージがあります。
「でしゃばり」の反対の概念は、「謙虚」「控え目」でしょうか。
謙虚であることは美徳ですし、だから私たちは、
「アイツ、出過ぎている」と周りから言われないように、
自己制限的に行動してしまったりします。


本当は、謙虚に、自己顕示せず、
押し付けがましくなく意見を言うことはできるはずなのに。


さて、あなたはこの「でしゃばり論」、どう思いますか?
今週も素敵な1週間でありますように!

81ZrGTTXqgL._SL1500_.jpg

最近、アマゾンのビデオで観た映画で、とても感銘を受けた映画が2作あります。
一つは「ラ・ラ・ランド」。もう一つは「きっと、うまくいく」です。
今日は、どっちについて書こうかなと悩みましたが、
「ラ・ラ・ランド」の方がよりメジャー感が強いので、
「きっと、うまくいく」について書きますね。
でも、「ラ・ラ・ランド」、これもホントに本当に、素晴らしく良かったです!

さて、「きっと、うまくいく」はインド映画です。
2009年の公開当時、インドでは歴代興行収入第1位を記録したとか。
でも、私はこの映画の存在を今回初めて知りましたが、
もしかしたら知らなかったのは私だけかもしれません。


私が映画選びで参考にしているのは、「レビューの数」と「星」の多さです。
「きっと、うまくいく」は、なんと星が5つ! レビューが440もありました。
星が5つなんて、見たことがありませんが、
これほどレビューが多い映画も見たことがありません。
けれど、映画を見てみたら、その理由がわかりました。
本当に見て良かった映画です!


物語は10年前、インドのエリート大学の3人の大学生の学生生活に遡ります。
主人公が影響される友人ランチョーがめちゃめちゃ魅力的です。
この映画の魅力の99%は彼の存在にあると言っても過言ではありません。
(以下、多少ネタバレを含みます)


大学は、競争至上主義を教え込もうとします。
1位になれ、2位では意味がない、と。
学生たちにそんなプレッシャーを与えて、大学の評判を維持しようとします。
それだけでなく、登場する学生たちは皆んな親の期待に応えようとして、
自分を枠にはめ、苦しんでいます。


そんな中、ランチョーは訴え続けます。
競争による成功を求めるな、優秀であれば結果はついてくる、と。
で、学ぶことの本質を投げかけていきます。
仲間に、学生たちに、教授に、学長に。
そして、学長には睨まれますが、屈しないし、
学長の娘と恋をする。
そして最後はハッピーエンドですが、、、、


では、一体私はいったいこの映画のどこに心が動いたのか?
端的に言うなら、私は何を受け取ったのか?
自問してみました。


私は、この映画からたくさんのメッセージを受け取ったので、
1つに絞って書くのは、実はしんどいのですが、
それでも敢えて1つに絞って書きますね。
私が受け取ったのは「自分の心に従って今を生きろ」というメッセージです。
わかりやすく言えば、まずは「自分中心に生きろ」ということです。
そして、人の期待に応えようとして生きていた登場人物たちが、
自分の心に従って生きようと変わっていく姿に感動したのだと思います。
そして、それによって、彼らが自信に満ち溢れ、
本当に幸せになっていく姿に感動したのです。


私たちには、「成功」という名の幸福がある...という刷り込みがあります。
ここでいう「成功」の意味は、他人よりも経済的に恵まれているとか、
他人よりも名誉を得ている程度の意味なわけですが、
実は、自分の胸に手を当てて考えたときに、
それらの指標は大して意味がないと気づきます。


自分中心であることは、自己チューなどとも言われ、
悪いイメージが強いですよね。
でも、私たちは人のための人生を生きているのではなく、
自分のために、自分の人生を生きているのですから、
まずは自分中心、自己満足至上主義でいいのかもしれません。


だから、頭で幸福を追求するのではなく、
自分の胸に手を当てて、自分の心の声を聞き、
その心の声に従っているかどうかを大切にする、
これが大切なんですね。


でも、実際はどうでしょう?
どちらかというと、大人になると、大人的に理に適った行動を取ろうとしませんか?
頭で幸福を考えるようになってしまう。
でも、本当の幸福は心が感じるままに生きることにあるんですよね。
この映画は、そういうことを思い出させてくれました。


ちなみに、インド映画であるこの作品は、
インド映画の特徴でもあるミュージカル的な要素を持っています。
ミュージカルが嫌いな人は最初の3分の1ぐらいまで
少し違和感があるかもしれませんが、
とにかく5つ星の映画です。
多少違和感があっても、ぜひ最後まで観てくださいね。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
今週も素敵な1週間でありますように!

組織の中で協働しようとする時、
特に難しいのはコンセプトメイキングなどの創造的なプロセスでの協働です。
会議一つとってみても、どのようなミーティングだとうまく行き、
どのようなミーティングだとうまく行かないのか。
今日は、協働がなぜうまく行かないのかを考えながら、
どうしたらうまく行くのかのヒントを探してみたいと思います。


創造的なプロセスへのアプローチには、大きく分けて2つの方法があります。
1つは、ディレクション型、
もう1つは、コラボレーション型です。


ディレクション型の方は、
映画に例えるなら、監督とスタッフという関係です。
大枠の方向性や肝になるアイデアを決めるのは監督です。
スタッフはそれを理解し、根幹をブラさずにより良い形にする役割です。
もちろん、アイデアを出すこと自体はスタッフが出してもいいのですが、
みんなの総意で決めるわけではありません。
こちらのタイプのミーティングは結論への合意形成が目的というよりも、
・結論を生み出す材料になるアイデアを出し合ったり
・結論に対して、事後の合意を形成すること(理解を促すこと)が
目的になるでしょう。


一方のコラボレーション型を例えるなら、
ビートルズ時代のレノン&マッカートニーのようなアプローチ。
彼らは、曲や歌詞を作るに際して、二人の発想や意見をミックスして、
二人でベストの答えを出し、ひとつの作品を作りました。
だからこそ、常に二人の名前「レノン&マッカートニー」で
作品を発表しました。
コラボレーション型は、
・アイデアを出し合うのみならず、
 それらのアイデアのどれを採用するのか、
 どう具体案に落とし込むのか、
 その結論をも一緒に出すアプローチ方法だと言えます。


どちらが優れているということはなく、
どちらの方法で協働してもいいのですが、
協働がうまく行かない原因の多くが、
アプローチ方法の不明確さにあると私は思います。
言い換えれば、どちらのアプローチ方法で行くのかを決めずに進めている、
ということです。
つまり【ヒントその1】
最初にアプローチ方法を明確にする」ということです。


では、、、、
例えばコラボレーション型で行くということを
先に合意して進めたとしましょう。
それでも、しばしばうまく行かないという事態に陥ります。
そんな時、ミーティングで起きるのは、どんなことでしょうか?


私の分析(推測?)ではこんなことが起きがちです。
・まず、それぞれのメンバーが「こうしたらいいんじゃないか?」と
 自分なりにイメージを持っている。
・と同時に「こういうのはイヤだな」というイメージも持っている。
・自分が望ましいと感じる方向に同意してくれる人が多ければうれしいし、
 スムーズに結論が出てラク...と思っている。
 →一般に、多くの人は結論を早く出したい。
・銘々が自分の案を口にする最初の段階では、
 各自、相手が自分の案に同意してくれないかな?と思っているが、
 個々のメンバーも自分とは違うイメージがあるようなので、
 主張もしきれないという状況が生まれる。


つまり、この段階で生まれているのは、
他の人の案に賛同もしかねており、
かといって自分の案を主張もできないという「行き詰まり状況」です。


さて、、、
この行き詰まり状況が生まれる原因はどこにあるのでしょうか?
私は、結局、ディレクション型とコラボレーション型の違いや
それぞれの場合の立ち振る舞いがわかっていないということにある、
と考えています。


コラボレーション型では、
「私のアイデアに賛同してほしい」と思うことはそもそも間違いです。
では、どう思うべきなのかというと、
「私のアイデアを誰かいじって、もっとより良く変えちゃってほしい」です。


一緒に作ろう、コラボレーション型でやろうと言いながら、
でも「私のアイデアに賛同してほしい」と思うなら、
それはむしろディレクション型でやった方がいいということ。


ところが、その整理をしないままにプロジェクトが始まってしまうので、
まやかしのコラボレーション型が生まれてしまうのではないでしょうか。
私自身も、何度も自分がまやかしのコラボレーションにいることに気づけず、
その罠に陥りました。


では、コラボレーション型を目指すなら、何を変えていくべきなのでしょうか?
ヒントは2つあります。


【ヒントその2】最初のイメージとの向き合い方を変える。
自分が抱いた最初のイメージ「こうしたらいいんじゃない?」を、
あくまで「にんじん、じゃがいも」と捉え、「カレー」だとは捉えない。
平たく言えば、完成形に固執しないということです。


【ヒントその3】自分のスタンスをチェックする。
自分のスタンスが「賛同してほしい」なのか、
「もっとより良く変えちゃって」なのか、セルフチェックをかける。
前者になっていたなら、心の持ちようを変えるということです。


ディレクション型もコラボレーション型も、
うまく機能する組織は、相当に成熟した組織ですよね。
新入社員の皆さんが社会に入ってくるこのシーズン。
私たちもリセットして、当たり前を疑って
組織内のコミュニケーションをもっとより良くしたいものですね。


どうぞ良い1週間をお過ごしください!

3月3日(土)放映のNHKスペシャル、
「AIに聞いてみた、どうすんのよ!?ニッポン」、
ご覧になりましたか?
MCは、マツコ・デラックスと有働由美子アナ。
今、注目される「働き方」について、
AIを使ってアプローチした興味深い番組でした。


NHKは「AIひろし」こと、社会問題解決型AIを独自に開発しているのですね。
AIひろしが導き出した結論は、
(1)仕事で忙しい人は道の駅に行け、とか、
(2)お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めなければ、
   仕事に満足できる、とか、
(3)ストレスだらけの人は結婚・出産祝を贈れ、など、
奇想天外なものばかり。
専門家を交えて、その因果関係を解き明かす、そんな内容でした。


AIひろしは、
社会の構造パターンを見つけ出し、
課題とその解決の糸口を探ることを目的に開発されたそうです。
膨大な情報を取り込み、日々、学習し続けているのだとか。


上に挙げた(1)から(3)は、仕事の満足率と関係があると見られた行動例です。
が、ぱっと見ただけでは因果関係があるとは、到底思えません。


AIひろしは「仕事満足率」を左右する「8大要素」として、
ストレスの状況、仕事が生きがい、時間のゆとり、人間関係、
希望、規則正しい生活、お金のゆとり、栄養のバランスを抽出しました。


ところが、これらが満たされていなくても、満足率が高い人が存在しており、
その人たちの行動を分析した結果が、上の(1)(2)(3)でした。
お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めない人が、
仕事に満足している割合は、81.0%にも上ったというわけです。
実際には、「お金にゆとりがない」「蛇口をこまめに閉めない」を含め、
「家庭が生きがいではない」「職場に友人がいる」など、
全部で10項目にイエスと答えた人たちなのですが、
興味深いのは「蛇口をこまめに閉めない」にイエスと答えた時点で、
満足率が急激に上がっていること。
http://www.nhk.or.jp/special/askai/diagram.html


いったいどんな因果関係があるというのでしょう?
ここからは番組で語られていたこと/いないことも含めて、
私が感じたことを書きますね。


蛇口を閉めないという行いから想像される人物とは、
どんな人でしょうか。
環境への配慮が求められるこの時代の行動としては、相当なマイペース。
かつ他人からどう思われようが気にしない人...というイメージが湧いてきます。
きっと細かなことなど気にしないような人物ではないでしょうか。
そういう人が仕事に満足しやすい(不満を感じにくい)と言われると、
確かにそうかもしれないという気持ちになります。


道の駅に行く行為と仕事への満足も一見無関係のように思えましたが、
行くのも行かないのも自由なのに立ち寄っていると思うと、
好奇心が旺盛で主体的に動いていそうなイメージがあります。
そういう人の満足度は高いと言われたら、違和感がありません。


結婚祝、出産祝を贈るというのも、
人の幸福を喜ぶということですから、
喜びを味わうことが多ければ、満足や幸福に繋がりそうですね。


番組では、こういう人の満足率は高い...と言っているだけで、
逆は真なりとは言っていません。
(1)から(3)の表現はあくまでキャッチーにするためのものであって、
満足するために、こういう行いをせよとは言っていないわけです。


なのですが、ここでハタと気づきました。
実は逆は真なりなのかも、と。


私たちは、思考や意志の方が行動より先だと思いがちですが、
実は、そうでないことが多いですよね。


たとえば、「細かいことを気にするのをやめよう」とか、
「いろいろなことに好奇心を持って暮らそう」などと考えたとしても、
潜在意識が邪魔をして、そんなに簡単に行動は変わりません。
ところが、行動してみたら、思考が変わっていくということはありますよね。


「蛇口をこまめに閉めない」という行動はおすすめしませんが、
それに代わる「細かいことを気にしない」「他人の目を気にしない」を
象徴するような行動を先にしてみたとします。
あるいは「道の駅」に代わるような場所に毎日行き続けたとします。
そうすることで、人は経験から何かを学び、
それによって思考が変わり、仕事の満足度が上がる...
意外にありうるのかもしれませんね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

180312_bland.jpg

先週は、ちょっとした出来事があり、ブランドとは何かについて考えさせられました。
今年の1月にアムステルダムに旅行した際の最終日、
スキポール空港で某ブランドのサイフを買いました。
日本円にして2万円超のそのサイフ、購入して2カ月も経たないうちに
チャックが壊れ、閉まらなくなってしまったのです。


電話をしたところ、、、、
海外で購入した商品は有料修理、
購入時のレシートが必要、
送料は顧客負担、
歩いていける場所だったので、持参したいと申し出たら、
持参は不可。


これを聞いて、あなたならどう思いますか?
私は、2カ月も経たないで壊れたのは「不良品」だと思いました。
本来は交換してほしいところです。
同じ品物がないかもしれないことを考慮して、
百歩譲ったとしても、有料修理はないんじゃないかな。
100円ショップで買ったものではないのですから。


あまりに当然のように言われたので、
腹が立ってきました。
「不良品を買わされた上に、修理代も送料も負担させられるのは、
納得がいきませんね」
すると、電話の向こうで相手は、
「では、ヤマト運輸か佐川急便の着払いで結構です」と、
コロッと態度が変わりました。


えぇ〜 言ったもん勝ちって、むしろひどい!


私はこのように対応されたことの意味、彼らの依って立つ考え方について
こう捉えました。あくまで想像ですよ。
「ウチが売ったわけではないので、責任は持てませんね。
 ウチに責任がないことで時間を取られるのは、困るんですよね!
 それに本当に買ったばかりなんですか?
 ウソでないならレシートを添付して証明してください...」
ということなんだな、と。


それでなくても、チャックが閉じなくなった状態にゲンナリして、
その気持ちに寄り添ってほしいところなのに、
感情を逆撫でされた気分でした。


でも、、、
これは電話に出たその担当者の対応が悪かったということなのでしょうか?
私はそうは思いませんでした。
ブランドの本質である「顧客との約束を守る」ということを
その企業は大切にしていないから、この対応になったのだと思いました。
つまり、ブランドマークが約束の保証になっていなかったということですね。
約束を守ることの大切さを従業員に教育するどころか、
そういう哲学を企業自体が持っていなかったのだと思うのです。
おそらくライセンスビジネスなので、こういうことが起きるのでしょうね。
ライセンスを買って商売しているだけだと、
ポリシーもへったくれもないのかもしれません。
なのに、ブランド名は有名だから、ブランド品だと思っている。


あなたは、ブランドとは何だと思いますか?


よく言われることの一つが、ブランドは約束であるということ。
約束を守るというのは、期待を裏切らないということと言い換えられます。
顧客は、ブランドごとに違うことを期待する部分ももちろんありますが、
どんな場合でも、商品の品質に誇りを持って作られていること、売られていること、
顧客に対して誠実であることを期待しているのではないでしょうか。


しかし、ブランドを確立するのは、そんなに簡単なことではありません。
なぜかと言えば、何を約束するのかが明確になっていなければなりませんし、
その会社の全員がそれを理解し、
同じように行動できる必要があるからです。


さて、他人のフリ見て、我がフリ直せですよね。
グラスルーツブランドはどうだろうか?
お客様に何を約束しているのか、共有できているだろうか?
誰が担当しても、同じ判断基準で行動できているだろうか?
自分たちを高めていくための良い問いですね。


あなたの会社はどうですか?


今週は随分と暖かい日が続くようですね。
花粉も激しいかも...


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

180305_inochi.jpg

先週21日、俳優の大杉漣さんが66歳で亡くなりました。
あまりに若くして亡くなられたことが残念でなりません。
だからというわけではありませんが、
今日のメルマガは、命の話です。
いったい私たちにとって命とは何なのでしょう?


ここに書くことは、私自身への自問でもあります。
よろしければ、お付き合いください。


私たちは、いったい何のためにこの世に生まれてきたのでしょう?
あの世に行く直前、
「おまえ、よく生き切ったよ」と自分が自分に言えるためには、
どうあったら良いのでしょう?


命について、私はこんなイメージがあります。
 命はエネルギーそのもので、
 人は皆、同じ量のエネルギーを与えられて生まれてくるのではないか。
 でも、上手に使わないと不完全燃焼となり、
 エネルギーを使い切ることができない。
 だから、若くして亡くなってしまう人がいるのはもちろん残念なのだけれど、
 命は短くても、命を使い切った人はきっと幸せに違いない。


それでも、残された人にとって、
身近な人を失うことほど、辛いことはありません。
私にも、そんな経験があります。
けれど、その辛さというのはやがて昇華され、
彼らが教えてくれたこと、残してくれたことを、
味わえるようになります。
それはまるで余熱を味わうかのような感覚で、
彼らが放出したエネルギーがそこに残っているとさえ感じられます。


何年か前に参加したある合宿研修で「人生の目的」について
問われたことがあります。
何のために生きるのか、という問いに対して、
自分なりの答えを持てということなのでしょう。
それまで私は、そんなことを考えたこともありませんでした。


で、ぶっちゃけ悩みました...笑
まず、何か立派なことを掲げないといけないような、
そんな気持ちに陥りました。
でも、そこで問われた「人生の目的」とは、
きっとそういうことではなかったのだと今は思います。
ちょっと意訳すると、
「あなたは、どんな心の声に従って生きると幸せか?」
ということでしょう。
さらに少し付け加えるなら、自分一人での幸せと、
自分以外の他者とどういう関わりであったら幸せなのかの二軸で
自分の幸せを考える...そんなことなのだろうと思います。


例えば、、、、
それについて、私が今、感じていることを書くとすれば、
きっと私は冒険心や好奇心の赴くままに生き、
そこから得たことや感じたことを人と分かち合うこと。
私の場合は、そんな合わせ技でしょうか。
前回のメルマガで阿部が書いていた羽生結弦選手は、
自分ができると信じたこと、しかもやったことのないことに
チャレンジすることが彼の幸福であるように見えますし、
同じフィギュアスケートの選手でも、宇野昌磨選手は、
自分が思い描いた通りの世界を表現することに喜びがあるように見えます。
自分の幸福の追求なくして、命を使い切ることはできないのかもしれません。


さて、命について考えさせられる有名な絵本の一つに
「葉っぱのフレディ」があります。
タイトルの通り、主人公フレディは木の葉っぱです。
「この木も死ぬの?」と聞くフレディに、親友ダニエルはこう語ります。
「いつかは死ぬさ。でも『いのち』は永遠に生きているのだよ。」


すごく哲学的です。
ダニエルの言葉の意味を、あなたはどう考えますか?
自分の命を、どう使い切りたいですか?
本当は飲みながら話したいところですね笑


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

グラスルーツの仕事は、人の心の動きというものへの関心なくして、成り立ちません。
媒体を通じて何かを伝えたいのなら、 相手の心の動きに添っていくことが不可欠だからです。
そんな仕事だからか、日常生活でもそういう方面へのアンテナは自ずと立ってしまいます。
先日も、両親との会話を通じて、
人の記憶の不思議、理解の不思議を痛感しました。


私の両親は父が今年90歳、母が85歳で、
昨年秋から、二人一緒に同じ介護付きの老人ホームに入居しています。
歳相応に短期記憶というものが衰えていますが、
普通にコミュニケーションは取れていますし、
自分のことは概ね自分でできています。


で、先日、その短期記憶について考えさせられるこんなエピソードがありました。
母は2月4日が誕生日なのですが、
先月末から少し体調を崩して10日ほど入院をしていた関係で、
遅ればせながら先週お祝いの外食をしました。
母はお刺身が好きなので、施設からほど近いたまプラーザの、
あるお鮨屋さんにランチどきに行きました。
昼間でしたが、父は日本酒、母はビールを飲み、
大いに満足してお店を出ました。
そして、父が本を買いに行っている間に、私と母はお茶を飲み。。。
かれこれ3時間ほどの外出でしたが、
いざ施設に戻って1−2時間した頃に、
「今日は表参道に行って久々に華やかな気分を味わえて良かった」と言った母に、
父が「渋谷に行ってから新宿に行っただろ?」と。
私は、「今日行ったのは、たまプラの駅前だよ」とは言いはしましたが、
目くじらを立てる程の事でもありませんからね。
そんなわけで、二人は「表参道に行った」「渋谷・新宿に行った」と
銘々に思い込んで、記憶したようです。


いったい二人の中で何が起きたのでしょうか?
私はこう解釈しています。
母は「今日は華やかな場所に行った」と感じ、
父は「人通りの多い場所に行った」と感じた。
で、自分の記憶にある華やかな場所、人通りの多い場所というのは、
表参道であり、渋谷・新宿だったのだろうな、と。
つまり、今いる場所、今日行った場所がどこという観点で記憶するのではなく、
印象を記憶して、そのような印象の場所はどこであると推測して記憶をつなげているんですね。
なので、高々たまプラーザでの外食が、
思った以上にビッグイベントとして記憶されてしまったようなのです(笑

この話を聞いて、これは老人だからでしょ?と思った方も多いかと思います。
でも、、、私は実はそうではないと思ってこれを書いています。


私も含めて、多分皆さんも心当たりがあると思いますが、
私たちは何かを記憶するとき、事実ベースの情報よりも、
その時のムードだとか印象だとか、
どちらかといえば感じたことをより強く記憶するのではないでしょうか。
例えば旅行をして、それがいつだったのか、どこだったのかは覚えていないけれど、
土地や風景の質感は覚えていたりしませんか?


けれども、感じることそれ自体は人それぞれです。
先ほどの私の両親の例では、
どちらかといえば二人が似たようなことを感じていましたが、
たとえ同じ時間、同じ場所に居たとして、
感じたことが違ったとしても、なんら不思議ではありません。


同じ場所にいながら、違うことを感じる...
これは、旅行などだけでなく、仕事でも起こります。
例えば、私たちがお客様の会議のファシリテーションをする時、
大抵は2名で行いますが、
終わった後の振り返りで、感じたことがまったく違うというケースもあります。
参加メンバーは満足していたのではないか、していなかったのではないか、
ポジティブな気持ちでいたのではないか、ネガティブな気持ちでいたのではないか、
判断が大きく分かれたりします。
私自身は楽観的だからか、どちらかというと良く受け止めがちなのですが、
部下から「イマイチな空気があったのではないか」と言われて、
「そうだったのかしら?」と認識を広げることもしばしば。


では、実際どうだったのでしょうか?
実は、正解は誰にもわからないんですね。
なぜでしょうか?
仮にその会議に10人が参加していたとしたら、
その10人の感じたこともそれぞれ違ったりしますし、
ミーティングの前半と後半で場の空気が変わったりもするからです。
さらに、印象を判断する人の個人的フィルターによって、
その場をどう判断するかが変わるからです。
そのフィルターというのは、その人の人生経験であり、
そこからくる価値観です。


では、この印象のズレについて、いったい私たちはどうしたらいいのか。
どう記憶されたのか、どう理解されたのか、
人それぞれ違うことにどう対処したらいいのでしょうか。


私見でしかありませんが、私はこう思います。
どれが正しいのか、ではなく、
すべて正しいと思って、多面的に理解しようとすることが大切なんだろうな、と。
要するに「Aと感じる人もいたし、Bと感じる人もいた、
自分はBとは感じなかったけれど、そう感じた人もいたらしい...」
そんな理解の仕方をすべきなのかな。


人が抱く印象。
同じものを見て違うことを人が感じるというその事実。
それを前提にすることの大切さ。
今日はそんなことをシェアさせていただきました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

平昌オリンピックも残すところ1週間。
週末の、羽生結弦選手、宇野昌磨選手の金銀の活躍、素晴らしかったですね!
さて、目下私が一番興味があるのが、スピードスケート女子団体パシュートです。
本日19日が予選、21日に決勝が行われます。
最初はパシュートと聞いても、ピンときませんでしたが、
NHKスペシャルで日本代表が取り上げられているのを見て、
あまりの知的な戦略に魅了されてしまいました。


ソチ五輪で敗退した日本代表チームは、
その後の強化によって今やワールドレコードを更新中。
スケート王国オランダに数秒の差をつけて優勝を続け、
金メダルへの期待が高まっています。
代表メンバーは、高木美帆、菊池彩花、佐藤綾乃、高木菜那の4選手。
監督はオランダから招かれているヨハン・デビットさんです。


私が興味を持った最大の理由は、
オランダの代表メンバーが個人種目トップ10の選手ばかりなのに対して、
日本代表は高木美帆選手以外トップ10に入っていないという点。
それなのに、なぜ勝てるのか、興味津々でした。


この記事はパシュートを説明することが目的ではないのですが、
どんな競技か、少しでもイメージしていただけるように、
競技の特徴について簡単に紹介しますね。


1チームは3人1組。
2チームで、それぞれがリンクを6周し(女子の場合です)、
そのタイムを競うトーナメント式の競技です。
面白いのは三人が縦1列になり、先頭走者を順番に交代しながら、
レースを進める点です。
最低でもチーム全員が1周は先頭を滑らなくてはなりません。
逆に言えば、均等に分担しなくてもいいというところがミソです。
百聞は一見にしかずなので、「パシュート」で動画検索してみてください。


自転車競技などもそうですが、トップを走る選手が感じる風圧は
2番手以降とは比べものにならないくらい強烈らしく、
だからこそ先頭走者の後ろで滑る間に体力を温存し、
先頭走者になったら、それを使い切ってレースを引っぱります。


では、なぜ日本がそこまで強くなったのか。
その理由はもちろん1つや2つではないはずですが、
NHKスペシャルで大きな理由として挙げられていたのは、
「一糸乱れぬ隊列」と「高速の先頭交代」でした。

具体的には、徹底した風圧の研究に始まり、
時速50kmで走行中でも接触しない絶妙な距離を追求した結果、
選手間の間隔を1mより短く保ち、前の選手を盾にして滑るスタイルを確立したこと。
さらに、スピードを均一化しオランダの半分のスピードで
先頭交代することにもこだわりました。
いずれも、体力の消耗を最小限にすることを狙ったもので、
それが勝利への戦略の要と考えたようです


しかも、、、
日本代表は、ワールドレコードを最初に更新した後も、
さらに戦略的に戦い方に変更を加えています。
先頭役は、3人で均等に滑るのが一般的であるのに対し、
エースである高木美帆選手がなるべく長く先頭を滑る
という戦略に出たのです。
W杯第3戦で高木美帆選手は、
1回目の先頭役で1.75周、4回目の先頭役で1.75周と、
合計で3.5週を先頭で滑りました。


あーん、こんなふうに説明しても、
彼らの戦略のスゴさ、ちっとも伝わる気がしません。。。(息)


私がこの番組を見て学んだことは、
チーム力というものは必ずしも個人の力の総和ではない、という点です。
個人と個人をつなぐ「間」を見直すことで、
個人の力の総和という発想で戦っている競合相手に勝つことができる、
これがとても新鮮でした。

つまり、日本代表チームが行なったのは、
チームとしてどう戦ったら個人の力の総和以上の力が出るのか、
こう戦うべき、こう戦うしかないという思い込みを捨てて、
個人と個人をつなぐ「間」の工程を徹底的に見直し、
全体最適のために「戦い方」自体のPDCAを回した、ということだと思います。
「間」に目を向けるというこの発想、企業という組織にも有効ですね。


今日からいよいよ本番です。
女子団体パシュート日本代表の皆さんを
ぜひ一緒に応援しましょうね!

昨日5日(月)に配信するはずだったメルマガ、
悲しいことに、記事を書いて保存しようとするとクラッシュしてしまい、
それを2日間繰り返したので、配信を諦めました。


日の目を見なかった原稿には、テレビに出ていた高梨沙羅選手を見ていて、
気づいたことや学んだことを書いたのですが、
今、もう一度それを書く気になれないので、今回は別の話題でお届けします!


さて、、、、
「マイクロアグレッション」という言葉をご存知ですか?
最近は「ダイバーシティ(多様性)」を重んじよう...という流れに乗って、
時々目にしたり、耳にしたりしたことがある方も多いのではないでしょうか。
その意味は、端的に言えば「自覚も悪意もないのに、
差別的と感じさせてしまう言動や行動」のことです。
覚えやすくするために、私は「自覚なき差別」と覚えています。


今回、なぜ、これを取り上げようと思ったかというと、
昨晩、NHKがニュースで取り上げていた豊洲市場の話題の中で、
アナウンサーが読み上げた原稿の中に「業者」という言葉が入っていたからです。
自覚なき差別の一種だと私には思えました。


私の感覚では、
「業者」「下請け」「出入り業者」という言葉は、
何かしらの見下しが感じられる表現だと思っていたので、
NHKが躊躇なく使っていることに、不愉快とは言わないまでも違和感がありました。
「業者」とは言わず、「協力会社」「パートナー」「取引先」と言う。
この感覚は、良識ある企業の間では既にかなり一般的になっていると思います。
私たちも自社の取引先に対しては、そのような感覚で言葉を選ぶようにしています。
あなたが「え、そうなの?」と思われたなら、
「業者という言葉の是非」「業者 言い換え」「業者 差別用語」などの
ワードで検索してみてください。
いろいろな体験や意見が出てきて、興味深いですよ。


これは私の記憶ですが、もう20〜30年も前のこと、
あるクライアントの会議に、複数の協力会社が集まっていました。
そこである印刷会社の方が抗議をしたそうです。
「印刷業者ではなく、印刷会社の方と言ってほしい」と。
私自身はそれを目の当たりに見ていないのですが、
それを聞いてから、より一層言葉の重みに対しての認識を改めました。


さて、、、、
私は、今、ここで「業者」という呼称はけしからん...ということを
書きたいわけではありません。


私たちの中にある、無自覚・無意識の差別...ということに対して、
私たちはどう向き合ったらいいのか、が今日のテーマです。


そもそもなぜ無自覚・無意識になるのか?
私はこう考えました。
人の言動や行動というのは、少なからず知識と結びついています。
例えば、
「業者」という言葉は見下されていると感じる人が多い言葉であると知ったら、
「使わない方がいいな」と意識する人が増えると思います。
でも、知らないと、何の意図もなく使ってしまいますよね。
つまり、知識がないと行動を変えられません。


例えば、次のような言葉もマイクロアグレッションになりかねませんが、
あなたに、そのような認識はありますか?


・(外国の方に対し)日本語がお上手ですね
・(外国の方に対し)お箸の使い方がお上手ですね
・(容姿と国籍の違いから)ご出身はどちらですか?
・アジアの方の割に、すごく背が高いですね
・女手一つで、よくここまでやって来ましたね
・女性なのに、男性並みの決断力ですね
・男性とは思えない、繊細さを感じます
・あなたには、いつか結婚して幸せになってほしいです
・彼/彼女はいるの?
(ストレートであっても不愉快。まして同性愛の人はダブルで不愉快)
・私には、そっちの気(け)はないから。
(ストレートでない人は、自分の存在が否定されたようで不愉快)
・そんなに真面目にやってないで、もっと人生楽しもうよ!
(楽しんでいないと決めつけられたら不愉快)
・お子さんは何人?
(不妊症の人にとってはいるのが当たり前とされたくない)


えーっと、私の場合なら、「女手一つで、よくここまでやって来ましたね」とか
「女性なのに、男性並みの決断力ですね」と言われた経験はあります。
別に目くじら立ててどうこう思いはしませんでした。
理由は、素直に褒めようとしてくれたか、
あるいは多少のお世辞か、好意的な表現だと受け止めたからです。
でも、それを語った人の女性への目線としては、
「弱き者」という目線なんだなーと感じたような気がします。
はるか昔の記憶ですが。


また、30代の頃かな、ある友だちが私にシェアしてくれたこと。
「あなたには、いつか結婚して幸せになってほしい」と人に言われて、
ムカついた、と。別に自分は今、幸せなのに、と。
そう言われて不愉快に思うシングルは、今どきはもっと多いでしょうね。


当然ながら、上の例は、あくまで例でしかありません。
大切なのは、多様性が重んじられる社会で、
画一的な価値観を前提としたコミュニケーションを図ろうとしては、
うまくいかないということです。


では、発言する際の原理原則はあるのでしょうか?


...考えてみましたが、ありそうでない。
というのは、結局相手がどう思うか、どう感じるかだから、です。
これは、ハラスメントとほぼ同じですね。
嫌がらせのつもりがあったかどうかは問題ではありません。


としたら、常に意識を広く敏感に持つしかありません。
まずは、自分とは別の立場や価値観の人たちに対する知識をいかに仕入れるか。
そして、その人たちは、どう思うだろうか?、と。
グローバルも、ダイバーシティも、マイクロアグレッションも、
どのキーワードについても私たちに必要なのは、きっと他人に対する想像力ですね。


「他人への想像力」。
まずはそっちに意識を向けてみますか。。。


珍しく火曜日発信のメルマガです。
どうぞ今週の残る日が良い日々でありますように!

今日のブログは、自分のため記録的に書いておこうと思います。
人と会って会話した記録、自分が読んだ本と相手から勧められた本の記録など。


先週は、人と会い、会食する機会が多い1週間でした。
その中で、私が2014年にCTI主催のコーチング基礎コースで出会ったある人と、
しばらくぶりに飲みました。
彼は、某有名ネット系企業に勤めているのですが、
そこで主業務の他に、社内コーチをやっています。
社内コーチは数百名もいるのだとか。スゴいですね〜


彼と私が何を話したかをつまびらかに書くつもりはありませんが、
二人の共通の関心はあるんですよ。
でも、うーん、改めて言語化しようとしたら、
意外に難しいな。。。なんだろう?
・自分のまやかしに気づける自分であろうとすること、
・怒り、恐れ、喜び、悲しみなどの情動が沸き起こった時に、
 情動と自然な形で付き合える自分であろうとすること、
そんなことでしょうか。
さらに言うなら、そうやって、自分を高めていきたい...ってことかもしれません。


そんな彼が、神の啓示を受けたかのように
(少なくても私にはそう見えました)
自分が何を目指したいのか、
プロのコーチはどうあるべきか、
熱く語っていたんですね。


その後、数年前に私が勧めた本の話になりました。
その本は、「自分の小さな「箱」から脱出する方法 」です。
http://amzn.asia/5Jg9bmy
それほど詳しい記憶はありませんが、
自己欺瞞について考えるのに役立つ本...として勧めたと思います。
そして、その当時、つまり2年前ぐらいでしょうか、
そもそも自己欺瞞とは何で、自己欺瞞はどうして起きるのか、
そんなことを当時語り合ったんですよね。
で、彼が「今日はこれを語りたい」と言い、
当時話していた「自己欺瞞」復活大討論とでも言うのでしょうか。
そんな話になりました。


とにかく、彼の悟った「なぜ人は自己欺瞞に陥るのか」はいい感じでした。
それが、シンプルで私にも刺さったので紹介しますね。


まず、その前にそもそも自己欺瞞といのは、何でしょうか?
平たく言うと、自分で自分を騙している状態のことです。
でも、それを自覚することは簡単ではありません。
本来、自分の胸の内は、当の本人にしかわからないはずですが、
当の本人さえ無意識すぎてわからないこともあるし、
心の動きは意識はされたのだけれど、
実際にはその気持ちの裏側に、
無意識で自分を騙すような心理が働いていることもあって、
それに気づけない場合もあります。


抽象的すぎるので、例を紹介してみましょう。
例えば、あなたは今エレベーターに乗り込んだばかり。
しかも、とても急いでいる。
だから、乗ってすぐにドアの「閉じる」ボタンを押した。
そんな状況で、エレベーターの扉がまさに閉まろうとしたその瞬間に、
乗り込もうとする人影を目にする。
気がつかなかったフリもできそうなタイミングに甘えて、
あなたは「オープン」を押さない。
そして、本当は乗りたかったはずの乗客が乗れなかったことに
知らんぷりを決め込む。
そして、ちょっとした心のザラつきを感じるのだけれど、
自分を正当化して、その出来事にフタをする。


この手の小さい出来事は、日常ではいくらでもありますよね。
で、この例はエレベーターの例ですから、
何となく大したことではないという気がするでしょう。
でも、仕事の場や家族との場で、些細なことでイラっとしたり、
爆弾のような大きなことではなくても、
ちょっとした行き違いで心が穏やかでなくなることは
きっとあるのではないでしょうか。
そして、小さなことであればあるほど、「ま、いいか」と思いつつ、
言えないでストレスを溜める。
あるあるですよね。


先の私の友達は、そこに興味を持ち続け、
あの後、自分はこう整理したと話してくれました。
と言っても、実際に話したニュアンスとは微妙に違うかもしれません。
お許しを!
でも、人が陥りやすい「心の流れ」について、的確に捉えた意見だと思います。


それは、つまり次のような心の流れです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(1)人は答えを出したがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
何かモヤモヤしたり、対処すべきことがあると、
人はそれを放置してしていられず、答えを見つけようとする。
どちらかと言うと防衛本能から、自分を守るように答えを出す。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(2)自分が出した答えを人は正しいと思いたがる
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
人は、答えを出した時から、
自分が出した答えが正解だと思い込んでいる。
たとえ、それが防衛本能からのものであったとしても。
なぜなら、答えを求めて出した答えなので、
そもそも正解ではないかもしれないとは思わない。


さて、実際の会話とは少しニュアンスが違っているかもしれませんが、
でも、ざっくり言うと意味としてはそんなことでした。


あなたは、これを聞いて、どう感じましたか?
私は、これを書きながらも、あることでどうリセットするかを考え中です。
自分が本当に正しいのかと問いまして。


最後に、私が友人に紹介した本と、
今回、彼から紹介された本と、
さらに最近私が読んで良かった本であり、なおかつ、
自分と向き合うことの大切さを説いているという意味で、
今回の話にもすごく関係するような気がする本を紹介しますね。


(1)私が友人に紹介した本
「自分の小さな『箱』から脱出する方法 」
http://amzn.asia/5Jg9bmy


(2)友人から紹介された本
「ネガティブケーパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
http://amzn.asia/jiDimKs


(3)マンガですが、最近私が読んで感銘を受けた本
「君たちはどう生きるか」
http://amzn.asia/eHqfpY2


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ