ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

こんにちは。


まずは御礼から。
先週の私の個展、個人的な活動ですが、
元気が出たなどの感想を多数いただき、おかげさまで無事に終了しました。
中には、メルマガを読んで来てくださった方もいました。
ありがとうございました。


さて、そんなこと、あんなことをしながらも、
気がつけばもう10月もあとわずか。今年も2カ月少々しかありません。
そこで、今日は今年したこと、したいのにできていないことという視点から、
私のこの1年を紹介したいと思います。
ちょっとダラダラと自分への備忘録として軽い気持ちで書かせていただきます。


したこと(意図した・しないに関わらず)

・「自由」というものをテーマに感じたり考えたりしてもらう場を作れた。
 これは、先日の個展のことです。
 終わった日は、踊り狂いたいくらいの達成感がありました。
 私は人を元気にさせたいと思ってこれを開いたわけではなく、
 ただ自分の満足のために開いたのに、結果的に多くの人から「元気をもらった」と
 言われて、こんなにうれしいことはありませんでした。


・本を作った。
 母の自分史を聞き書きでまとめたり、
 父がお世話になっている老人ホームのスタッフの仕事観集を作りました。
 仕事で磨いたスキルを自分のやりたいことに使った格好です。
 人の物語を聞き書きでまとめるのは楽しい作業でした。


・当社の理念についてスタッフと膝詰めで話せた。
 当社理念「『言葉』で未来をつくる」の奥にある、生み出したい社会像の話を
 スタッフとディスカッションできました。
 この理念は、人と人は分かり合えないからこそ、
 分かり合う努力をし続けることに意味があり、そういう社会を作りたいからこそ、
 言葉に価値があるのだという考え方が根底にあります。
 そこをゼロから伝え、ディスカッションできました。
 やりたかったのに、できなかったことです。
 創業者としては、まだまだ社内で続ける必要のあることだと思います。
 私が現役でいる間はね。


・新しいサービスのプロトタイプの開発ができた。
 お客様企業の中で、発表されたビジョンや中計などについて
 社員のひとりひとりが考えるきっかけになるような
 そんなワークショップのプロトタイプをつくりました。
 これからリリースします。
 果たして、ニーズがあるか!?


したいのに、していないこと

・読みたい本
 読みたいのに、積んでいる本、実はいつもあります(笑
 「海馬」(糸井重里、池谷裕二)
 「『わかる』とはどういうことか」(山鳥重)
 どちらも脳科学系の話です。人の理解や認識はどんなふうに成り立っているのか、
 もっともっと知りたいですね。
 「シニカル・ヒステリー・アワー」(玖保キリコ)
 玖保キリコさん、おもしろい漫画家ですよね。私と年代も近い。
 私が読んだことがあって、おもしろかったのは、「いまどきのこども」です。
 先日の個展で、ある方から「自由つながりで思い出したから...」と
 いただきました。早く読みたい。。。
 他にも多々あるなあ。数年前から読みたいのに、読んでいない本も含め、
 「僕は数式で宇宙の美しさを伝えたい」「ソース」など。


・ちょっと興味のあること:仏教
 仏教の「自由」「差別」といった言葉の世界観に興味を持ちました。
 今は手っ取り早くメルマガを読むなどから始めていますが、
 書籍「ブッダのことば―スッタニパータ」(中村 元)や
 映画「親鸞」(監督 田坂具隆)、
 書籍「なぜ生きる」(監修 高森顕徹、共著 明橋 大二/伊藤 健太郎)などに
 触れてみたいですね。
 仏教も宗派がいろいるあるので、どこから始めるのがいいのか、
 ちょっとわかりかねますが、入門書的な本を幅広く読んでみたいです。


・家の大掃除
 楽しく心踊ることに時間を使いすぎると、大抵どこかでバランスが崩れます。
 その一つが家の維持。引っ越して来てまだ4年ですが、
 実家の処分や個展の開催に伴って、置きっ放しになっているもの(一時的の
 つもりだったのに...)がたまってきました。
 断捨離系の大掃除と、磨き上げ系の大掃除、今年中にどちらもやりたいものです。
 ま、これを年内にやろうとしたら、他の項目は諦めるしかありませんが、
 空間的なことはストレスを生むので、先送りしないほうが身のためです(笑


・ゆっくり家で映画三昧
 映画館に映画を観に行くということも最近少なくなっていますが、
 今したいのは家でどっぷり映画三昧することでしょうか。
 何を観るか、選ぶこと自体を楽しみたいですね。


・衣替え
 実はまだ衣替えができていません。毎日、着ていく服に困っています(泣


・KANREKIの曲づくり
 同じく暦が回った友人たちと、曲を作ろうという話が決まっていて、
 すでにトライ&エラーが進んできています。
 で、方向性が決まったところで、止まっています。
 曲の音を作る担当が私で、第2案への一歩が滞っているからです。がんばります!


...ざっとこんなところでしょうか。
他にもありますが、書けば書くほど、自己否定的に作用しかねないので、
やめておきます(笑


人生を100%楽しむために、時々こうやって
セルフチェックをかけるのも悪くありませんね。
...と、もっともらしく、まとめてみました笑


今週も素敵な1週間でありますように!

今週の水曜日まで表参道のギャラリー「Concept21」で、個展を開いています。
テーマは「自由であるということ」。言葉とデニムのコラージュ作品です。
そこで、今日は自由と個人、自由と組織について少し考えたいと思います。

あなたにとって自由とは何ですか?
自由と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
好きなように、奔放に、振る舞うイメージですか?

デジタル大辞泉によると、こんなふうに出てきます。
1.自分の意のままに振る舞うことができること。または、そのさま。
2.勝手気儘なこと。わがまま。
3.哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、
 積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。

今回の個展での私の捉え方とは少し違いますが、
一般的にはそういうことなのでしょう。

英語の「freedom」「liberty」の訳はどちらも「自由」ですが、
実はどちらも、元々は高貴な階層が特権を有している状態をさしていたそうです。
福沢諭吉が「自由」という語を訳書に用いたあたりから、
言葉として定着したというのが通説です。


また「自由」は仏教用語でもあるようです。
「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」
という教えに基づくもので、
「自由」=「自らに由(よ)る」「自らを由(よし:根拠)とする」です。


私の考えた自由は、仏教からくる概念に近いかもしれません。
自分らしく、ありたいままにあること、
他人からどう思われるかを気にして自己制限をかけることがない心持ち
...と捉えました。
その反対は、心が抑圧されている状態です。
自由も不自由も自分の心が生み出すものであり、 自律していることなくして、自由は得られない。
そんな解釈に立っています。


実は、このように考えるようになったのには、きっかけがあります。
私は、30代中頃にうつ病的な気分に陥り、カウンセリングを受けたことがあります。
10回も受けないうちに、これを続けても治りそうにないと思い、
結果的には自分で自分を戻しました。
その時の原因にあったのが、こうあらねばならないという意識です。
特に社長らしくあらねばならない、という気持ちが強すぎたのでしょう。
それが周りの期待に応えることだと思い込んでいました。
結果、自分らしさを失い、息苦しくて不自由でした。
その経験を通じて、ふと気付きました。
自由も、不自由も、自分の心が生み出しているのだ、と。


さて、自由と不自由についてこう解釈すると、
実は自由を得るのは簡単ではなく、奥が深いことに気づきます。
人は、自分を拠り所にすることに慣れていません。
子どもは親や先生を拠り所にして育ちます。
就職すれば、上司や先輩を拠り所にして成長します。
私たちは、評価されるためにがんばる...という様式に慣れ切っているので、
自分よりも他人を拠り所にするパターンに陥りやすいのではないでしょうか。
要するに、その方がラク...ということかもしれません。

たとえば、「あなたを雇うから、何をするかは自由に考えて」と言われるよりも、
「あなたの仕事はこれこれで、こういうことを期待する」と
言われた方が、よっぽど気分的にラクではないでしょうか。

これを個人の視点から見るとどうでしょう?
他人の目を気にしない人はいませんが、
他人の目が自分の基準のすべてになってしまい、
自分らしさが失われていくと、心の病にかかります。

組織の視点から見た場合はどうでしょう?
他人の目や人の評価ばかりを気にする組織は、
決して自らに由る力が強いはずはありません。
自分らしくありたいようにあることが許され、
自律することが評価される組織の方が、
組織としては強いように思います。

あなたはどう思いますか?
私は、たった一度の人生だからこそ、
自由に在りたいという思いを強くする今日この頃です。
今週も素敵な1週間をお過ごしください。

当社がたとえば30年後、どうなっていてほしいのか、
最近、考える機会が増えました。
と同時に、こんな小さな会社がなぜ30数年以上も続いて来たのか、分析してみたり。

で、改めて今日まで存続できた理由を考えてみると、
その一つに「損得は二の次」という考え方があったからではないかと考えています。
いえ、ビジネスですから、損得はどこかで考えますが、
判断基準の上の方にそれがあったかというと、なかったと思うのですね。
判断基準の上にあるのは、あくまで経営としての、人としての、
「理想」とか「美意識」でした。

で、その理想の中心にあった一つの姿が、
オープンに自然体で意見を言い合い、
リスペクトし合う対等な関係の中で仕事をするというものでした。
社内はもちろんですが、お客様やパートナーともです。
そこに損得勘定はありません。それはポリシーでした。

社内で言うなら、ミーティングの場はもちろんですが、
新入社員でも社長の私に意見を言えるように。
もちろん、理想にしていることが必ずできていたかといえば別問題。
素直に聞けず、それが原因で軋轢が生まれたこともありました。
で、どうするかといえば、謝るわけです。
なぜなら自分の非を認めず謝らない社長はカッコ悪いから。
それが、私の「美意識」でした。

で、「意見を言いやすくする」「意見が言えない会社に未来はない」と
という考え方は、実はどの会社の存続にとっても大切だと思います。

ところが、、、、
最近の社会の風潮としては、意見を言わない人が増えていると聞きます。
これについては、阿部が9/9付のメルマガ
「その場、『言う場』?『言わない場』?」でもエピソードを挙げていますが、
いかにもありそうなことだと感じ、だからこそよけい憂うべき日本を感じます。

いったい日本はいつからそうなったのか、
「言わない」「発言しない」の根底に、いったいどんな気持ちや価値観があるのか、
想像してみました。
で、そうなってきたその原因について、3つの仮説を考えてみました。

【意見を言わない理由1】根底にある価値観に「損得」があるのではないか?
発言して、人から「会議を引っ掻き回した」と文句を言われる、
発言して、人からその発言は「的を射てない」「おかしい」とバカにされる、
発言して、人から「お前の発言で会議が長引いた」と文句を言われる、
発言して、想定外の面倒な役目が回って来てしまった。。。
多分、そんな原体験があると、そんな損をしてまで発言するのはバカらしい、
そう思うようになるのかもしれません。
いえ、そんな体験がある人自体は少ないのだけれど、
他人のそういうシーンを目の当たりに見ると、
ああいう立場にはなりたくないと思うのでしょうか。

【意見を言わない理由2】根底にある行動基準に「空気読む」があるのではないか?
今の日本の、空気を読めという空気、私はちょっと異常だと感じているのですが、
仮に周りの誰かから「空気読めよ」と言われたら、普通は萎縮しますよね。
自分が言われていなくても、言われている人を目の当たりにしたら、
同じ目に遭いたくないと思うことでしょう。
直接「空気を読め」と言われていなくても、
「意見を言うな」「否定をするな」というオーラを出す人がいたら、
オーラだけでも行動が変わってしまうかもしれません。
この場合、オーラを出す人と、オーラで忖度する人、
いったいどちらがどう変わると、組織は良くなるのでしょうか?

【意見を言わない理由3】考える習慣がなく、自分の意見が不明瞭なのではないか?
最近聞いた学校教育の話では、
「考える」プロセスなどまったく重んじられていないようです。
考える習慣がないことを学校教育のせいにしていいかどうかはわかりませんが、
実際社会人の中にも「考える」ことに慣れていない人、
考えることを途中でやめてしまう人はとても多いと思います。
学校でも社会でも考えることを要求されない、あるいは
考えることに意味が生まれない環境で暮らしてしまうと、当然そうなりますよね。

もしかしたら、私が思いもつかない第4、第5の理由もあるかもしれません。
でも、この3つに限って言うと、私は原因は一つではなく、
どれも相互に少なからず関係しているのではないか、と思います。
とはいえ、その中でも一番の根っこにあるのは、「損得」なのではないでしょうか。
損得から発言しなくなる。空気を読むのも、損得が判断基準になっているから。
損得から発言しないことを是としたら、考える必要もなくなるから、当然考えない。

でも、損をしないために発言しないという考え方には落とし穴があります
なぜなら、それをやり続けると自分の価値、存在意義を発揮できません。
というのも、多くの人は発言しないわけですから、
同じようにしていたら存在価値を発揮できないわけです。
価値が発揮できないと、精神的にはやりがいが得られない、
経済的には稼げないなどの影響を受けます。
それだけでも十分に損害を受けるわけですが、それだけではありません。
最近では、ロボットに仕事を奪われる可能性さえ出て来ました。
自分を守って損しないように行動してきたつもりが、
結局は経済的にもやりがい的にも損を生み出す。
だから、損しないために発言しないはナンセンスだと思います。

さて、、どんな会社にも文化があり、発言しにくいこともきっとあることでしょう。
でも、あなたの意見が風穴を開けるかもしれません。
意見を言える世界とは、正解が1つという世界とは違います。
意見を言える会社、意見を言う個人。それ自体に意味がある。
そういう存在が増えると、日本は変わっていけると思うのですが。。。
意見を言うことについて、あなたはどう感じ、どう行動していますか?

どうぞ素敵な1週間を!

PS)あ、そうそう、最後に個人的な活動の宣伝をさせてください。
「DENIM AGE(デニムエイジ)~自由であるということ」というテーマで
個展を開きます。ご興味があり、お時間が許せばお運びください。
期間:10/11木~10/17水(11時~19時。最終日は15時まで)
場所:ギャラリー「Concept 21」(表参道徒歩5分)
〒107-0061 東京都港区北青山3-15-16
Tel.&Fax.03-3406-0466(画廊)

今日は、冒頭からちょっと脇道にそれて、お知らせを。
私事ですが、10月11日(木)から17日(水)の7日間、
表参道のギャラリーConcept21で「Denim Age~自由であるということ」
という個展を開きます。
「デニムエイジ 自由であること」で検索してみてください。
ほぼ在廊していますので、お時間が許せば、お気軽にお立ち寄りください。
私は、仕事でやりたいことと個人的にやりたいことが心の中で繋がっていて、
幸せだな、と思います。
どこかで、もう少し詳しく話させてくださいね。


さて、、、今日もそんなことと無関係ではありません。
最近の当社社内の重要な話題、それは、理念やありたい姿についてです。
18日の今日もそんなミーティングを行う予定です。

そんな中、行動面での「謙遜」についても話題になっているので、
今日は、「謙遜」について、真正面から考えてみたいと思います。
というのも、当社の価値観には、不必要にへりくだったり、
不必要に自分で自分を下げることを「非」とする考え方があります。
社内も社外も上も下もなく、対等な関係であることを「是」としているからです。


謙虚、謙遜、卑下。
これらは、本来違うのに、意外にごっちゃになって捉えられている気がします。
特に日本社会では、謙虚謙遜は美徳とされています。
でも、この二つは本質的に違うことです。
いったい、どう違うのでしょうか?

ゆっくり考えてみましょう。
今、謙虚を辞書で調べると、
「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」です。
つまり、基本的には学ぶ姿勢や他者との関わり方に関する姿勢を表しています。

一方の謙遜の辞書的な意味は
「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと」です。
「へりくだる」というのは
「他人を敬って自分については控えめな態度をとること」です。
これだけを聞いたら、一概に悪いこととは言えません。
でも、言葉の意味からわかることは、
この言葉は「振る舞い」を示しているということです。

つまり、謙虚=姿勢、謙遜=振る舞い、なので、
謙虚な気持ちがない人が謙遜して振る舞うと、
あるいは単なるお約束として、その振る舞いをすると、
それは単なるポーズにしか映りません。
人の嗅覚は鋭く、それはいとも簡単に見抜かれます。

謙遜表現の中でも、私があまり好感を持たない例を挙げると、
まず身内を悪くいう「愚妻」「愚息」。
褒められた時に返す「いえいえ、私なんて...」。
自分を下げて相手を持ち上げる「私には到底思いつきませんが、さすがですね」。
露悪的にエクスキューズして「自分はおばちゃんだから/太っているから~」。

これらは決して「謙虚」さの表れではありません。
これらは「卑下」、一歩譲ったとして「謙遜」です。
「卑下」とは、「自分を人より劣った者として扱うこと。
へりくだること。謙遜すること」です。

「卑下」は字面も美しくありませんが、
字面から浮かぶ行為も美しくない、と思いませんか。
だって、自分を卑しめ、自ら自分の評価を下げようとするのですから。


謙遜と卑下は、本来的には違うことですが、「振る舞い」であることは同じです。
そして、この振る舞いをされた時に、私たちが感じるのは、、、、

実は「負担」。

「ご謙遜、ご謙遜」というセリフがあります。
あれは、謙遜されたら言い返すお約束のセリフでもあります。
これ、はっきり言って、面倒な慣習ではないでしょうか。
だって、「何をおっしゃいます、そんなことはありません」と
否定しなくてはならない。
内心はポーズとして言っているのだと分かっているのに、
わざわざケアする(これまたポーズで)。
よーく考えてみたときに、これ、本当にお互いやりたいことなのでしょうか。


あー 私、エラそうに書いていますね。でも、私もかつて痛い経験があります。
40歳頃だったでしょうか。
同級生と飲んでいました。で、私がこんな発言をしたのです。
「ごめん、もうおばちゃんだから...」とか
「おばちゃん、もうついていけない...」とか
文脈も言い回しも忘れてしまいましたが、
キーワードが「おばちゃん」だったことだけは今でも覚えています。
それほど深い意味もなく、
多分、ちょっと自虐的に軽く言っただけのつもりでした。
そしたら、その同級生は素晴らしいことを私に教えてくれました。

「実際に、もうおばちゃんなんだから、
こっちが気を遣ってカバーしなくてはならないようなことを
言わないでくれる?」と。

おばちゃんとおじちゃんが飲んでいるのに、
おばちゃんじゃないよと言わせるな、と。
これは、私にとって人生で重要な教えの一つでした。


サッカー、野球、テニスなど、
一流のスポーツ選手は決して謙遜しませんよね。
でも、謙虚です。
謙虚ではあるけれど、謙遜はしない。
その方が単純に美しい。そういう生き方をしたいものですね。

今週も素敵な1週間でありますように。

昭和から平成へ、平成から新元号へと時代が変わって行く中で、
昭和にはなかった言葉(概念)が多数生まれてきました。
ネット用語はもちろんですが、
「ダイバーシティ」「ハラスメント」といった言葉も昭和にはなかったですし、
「アンコンシャス・バイアス」も「ポリティカル・コレクトネス」
といった言葉もありませんでした。
こうしてみると、やっぱりカタカナが多そうですね。
その分、各自各様の解釈があったり、
言葉の辞書的な意味は知っていても、行動と結びついていなかったり...
ということが起きているような気がします。


たとえば、「ダイバーシティ」。
「グローバル化が進んでいるし、女性が働きやすくするためには、
価値観や働き方が多様でなければいけない、ということでしょ?」
という程度の理解で本当に十分でしょうか?
ダイバーシティを上のようにとらえていると、あまり自分ごとにはなりませんが、
本来はどういう意識で日常生活を過ごすかが大切なのだと思います。


子育てしている人が、
「男の子なんだから...」と男のお子さんに言ったり、
「好きな男の子はいるの?」と女のお子さんに聞くシーン、
SNSなどでも時々見かけます。
でも、子どもを性別で決めつけをしている時点で、
ダイバーシティの考え方に反しています。
そして、これを聞いてもなお、
うちの子どもに限ってと思う方もいると思いますが、
それ自体がNGな時代になってきています。


頭で理解しながらも、なかなか行動との間でバランスを取れないのには、
やっぱり理由があります。
私たち人間は、生きている間に良くも悪くも、いろいろな学習をします。
褒められた体験、叱られた体験も学習材料になるし、
何がメジャーで、何がマイナーなことなのかも学び、
それを元に判断基準を作り上げたりします。
このような過去の経験や周りの環境などから、
自分自身では気付かないうちに身についた先入観のことを
「アンコンシャス・バイヤス」と言います。
日本語だと「無意識の偏見」と訳されるようですが、
要は「思い込み」ですね。
思い込みが怖いのは、正しいと思い込んでいるあまり、
自分の考えを疑ってみるきっかけがないこと。


・いまどきの若者は〜
・歳を取ると〜
・女性というのは〜
・外国人は〜


の「〜」の部分に入れてしっくりくると感じるものがあるとすれば、
大抵の場合、思い込みです。


どんな弊害があるかのか、例を挙げるなら、
「子育て中の女性に重要な仕事は任せられない」と上司が思い込んでいると、
その部下は機会が奪われてしまいます。


とはいえ、人間から思い込みをなくすことは不可能です。
でも、少しでもなくそうという発想で取り組めることもあり、
その一つが「ポリティカル・コレクトネス」(PC)といって、
表現に関する考え方を見直す運動です。


トランプ大統領が、「I know it's not PC, but...」
(政治的に公正な表現じゃないことは分かっているんだけど...)との
前置き発言が多いことから、2016年頃に日本でも広まった感じがあります。


Wikipedeaによると、「ポリティカル・コレクトネス」は、
「政治的・社会的に公正・公平・中立的で、
なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、
容姿・身分・職業・性別・文化・人種・民族・信仰・思想・性癖・
健康(障害)・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。」


割と知られている具体例、言葉が見直された例を挙げます。


ビジネスマン → ビジネスパーソン
Miss(ミス)/Mrs(ミセス) → Ms(ミズ)
看護婦 → 看護師
痴呆症 → 認知症


ああ、そういう見直しのことかと、ピーンと来られたのではないでしょうか。
他にもいろいろあります。
アメリカでは、消防士はファイヤーマンではなく、ファイヤーファイター。
警察官はポリースマンではなく、ポリースオフィサー。
そのうち、スーパーマンもウルトラマンもスーパーパーソン、ウルトラパーソンになるのでしょうか?笑
今現在はキャラクターはキャラクターだとして、その言い換えはなさそうです。
その他にも、、、色の名前としての肌色はNG。
女優、女流棋士、女医などもNG。
ハウスワイフはホームメーカー等、いろいろあります。


単語自体ではなく、言葉の書き方についても同様の視点から議論があります。

子供 → 子ども
(「供」という字が「お供え物」「お供する」などを差別的な連想を与えることを
理由に、新聞などでも「子ども」が多用されているが、賛否両論ある)
障害者 → 障がい者
障害を持つ人が「害」である連想を与えるという配慮から、多くのマスコミは
「障がい者」を使用。NHKは、社会にある障害と向き合う人たちと捉えて「障害者」を使用するなど、
やはり賛否両論ある)


ちなみに、私の個人的理解では、「ポリティカル・コレクトネス」は
もはや政治世界、マスコミ世界のものではなくなっていて、
日常生活とも密接に関わっていると捉えています。
しかも、言葉の表現のみならず、
パンフレットや映像を制作する業務に携わっている人は、
登場する人物の描き方などでも
表現に「アンコンシャス・バイヤス」が含まれていないか、
チェックする姿勢が必要だと解釈しています。


北河内人権啓発推進協議会がまとめたパンフレットが、
とてもわかりやすくて良いと思いました。シェアします。
北河内人権啓発推進協議会パンフレット


その人の意識は言葉に現れます。
また言葉を変えると意識が変わります。
無意識の偏見を持たないように、お互いに気をつけたいものですね。


どうぞ素敵な1週間を!

180903_wakaru.jpg

当社では、仕事で分からないことを分からないと言わないと、
叱られます。
何が分からないかが分からない時にも、
何が分からないかが分からないと言えと、教えられます。
でも、世の中ではそうではない会社もたくさんあるようです。
私のパーソナルトレーナーはコンサル出身ですが、
調べれば分かることを調べずに聞くのはNGだったのだとか。
そんなことに上司の人件費と使うなという考え方だったそうです。
そういうことならまだ分かります。
でも、採用活動などをしていると、
たとえ目的さえよく分からない時でも、質問できる雰囲気にない...
そんな組織も多々あるようです。
分からないまま進めて、出戻りが増えるくらいなら、
分かった状態で進めて、そのアウトプットにフィードバックする方が、
効率的だし、成長スピードも上がるはずなのに。


さて、今日のテーマは「分かる」と「言葉」の関係です。
この記事で考えたい「分かる」の対象は、
・自分について
・接触する相手について
・自分を取り囲む物事について
です。


それぞれについて、自分が今何が分かっていて、
何が分かっていないのか、
そこにアンテナを立てることは、
コミュニケーション上も、重要ですよね。


たとえば「自分について」。
心理学で使われるフレームワーク「ジョハリの窓」の中に、
「盲点の窓」というのがあります。
自分について、他人は気づいているのに、
自分は気づいていない自己のことです。
そこに興味を持ち、分かろうとすることは、
コミュニケーションのズレを減らすために重要だとされています。


友人知人を含め、私の周りにいる人たちを観察すると、
「分かる」ことにこだわる人とこだわらない人がいるようです。
「こだわる」という言葉を使うと、まるで価値観のようですが、
私は、ただ行動習慣に違いがあるだけであって、
価値観でもなければ、能力的な違いでもないと考えています。
両者は「分かる」の捉え方も違います。
前者にとって、体系的かつ論理的に話せる状態が「分かる」であり、
後者にとって、ピンと来ていたら「分かる」です。
でも、、、そんな二人が会話をすると、
噛み合わないという事態に陥りがちなのも事実。。。


体系的かつ論理的に「分かる」ことにこだわる人が、
そこにこだわる理由は、分かることに意欲的だからというよりも、
分からない状態を放置しておくことが気持ち悪いと感じるからのようです。
この人たちに共通する特徴は、自分との対話を頻繁にしている点。
内省とか、内観と言ってもいいかもしれません。
その時、駆使しているのが「言葉」です。
自問し、言語化しながら自分の考えを整理していく、そんなやり方。
「〜ついて考えたのですが...」「ふと疑問に思ったのですが...」などと
話し出すことが多く、意見が明瞭で、説明も上手です。


一方、体系的かつ論理的に「分かる」ことにあまりこだわらない人は、
考えることや意見を持つことが苦手な人でもあります。
共通するのは、言語化して分かろうとせず、
イメージや感覚で分かろうとすること。
直感的に何が正しいかを感じ取ることに長けていて、
いきなり答えを口にしたりします。
その反面、説明も感覚的になりやすいので、
分かっているのは自分だけという状況になりがちです。


私自身は、「分かる」ことにこだわりますが、
直感が先に働くことも多いので、後者の人の気持ちはよく分かります。


で、先ほども書いたように、前者と後者の二人が会話をすると、
大抵の場合、なかなか話が噛み合いません。


さて、人が誰かに分かってほしいことを分かってもらうための
重要なツールが「言葉」です。
おそらくこれに異論がある人はいないのではないでしょうか。
では、こっちの2つはどうでしょうか?


「言葉」は、
・自分の考えや自分自身について理解を深めるためのツールでもある。
・相手について理解を深めるためのツールでもある。


私たちグラスルーツの理念は、「『言葉』で未来をつくる」ですが、
言葉にこだわるのは、分かり合う努力をし続ける世の中でありたいからです。
だからこそ言葉をそのための重要なツールとして、大切に扱いたい。

自分を、相手を、物事を、私は分かろうとしているだろうか?
言葉というツールを駆使しているだろうか?
そんな自分との対話で始めたい9月第1週です。


今年も残るは4カ月。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

私が仕事柄とっているメルマガのひとつに株式会社コーチ・エィ のものがあります。

つい最近、「組織のパフォーマンスを上げる『顔つき』」をしていますか?」という
ブログ記事への誘導があったので、ついつい読んでしまいました。
ある企業のある幹部Aさんが、自分のコミュニケーションに対し、
部下にアンケートをとったそうです。
すると、想定以上に「顔つき」に関するフィードバックがあったのだとか。
「目が合わない」「難しい顔をしているので、意見を出しづらい」などなど。


自分の「顔つき」が業績に影響を与えるとは、多くのリーダーは思っていません。
そして、自分の「顔つき」が周囲に
なにかしらのインパクト(影響)を与えているという自覚も、
実はそれほど持たれていないのではないでしょうか。


なぜ、そう思うかと言うと、私自身がそうだったからです。
幸いと言おうか、何と言おうか、
私はこれまで社員からたくさんの手厳しいフィードバックをもらってきました(泣)
「大切なことはみんな社員から教わった」という1冊の本が書けそうなくらいです。

その一つに、なんとある時「顔つき」に関するものがありました! ガーン。。。
細かい言い回しは忘れてしまいましたが、新入社の社員から
「表情がわかりにくく、もしかしたら怒っているのかも...と思うことがある」
とそんなフィードバックがありました。


以来、私は、自分の「顔つき」に意識を向けるようになり、
と、同時に、リーダーの「顔つき」というテーマに関心を抱くようになりました。
で、これは私見ですが、顔つき問題には大体2つのパターンがあると思います。


その1:無表情オーラ
その2:負の感情オーラ


私が、新入社の社員から言われたのは、その1でした。
自分の表情については、確かに薄々気づいていました。
でも、それが周りにどんな影響を与えているかまでは、わかっていませんでした。
弁解するようですが、どちらかというと私は感情的にはおだやかな方です。
(3年とか5年とかに1度、めっちゃ怒ることがありますが笑)
そうすると、感情もフラット、表情もフラット(無表情)で、
相手は感情がわからなくて不安に感じるようです。


その2の方は、ネガティブな感情が出てしまい、周囲が「近寄っては行けない」
「思ったことを言ってはいけない」と感じてしまうオーラです。
不機嫌、ピリピリ、攻撃的など、いろいろありますよね。
これについても、我が人生の学びとなるフィードバックをもらいまいした。


さて、その2の「負の感情オーラ」の中で周囲から見てわかりにくいのが、
「不機嫌」というものではないでしょうか。
「不機嫌」というのは、感情のようであって、実は感情ではありません。
単にその人が愉快か不快かの気分を表に出すものであって、
人が「○○さんは不機嫌そうだ」と感じる時、
それがどのような感情から来るものなのか、周りはわかっていません。


では、なぜ人は不機嫌な態度を取るのか。
これは私見ですが、ある意味、それ自体も周囲へのメッセージなのだと思います。
具体的には
・自分の今のネガティブ気分を知ってほしい
・問題がここでくすぶっていることを知ってほしい
・(もしかしたら)助けてほしい
こんな気持ちから不機嫌な態度を取ってしまう。


ところが、不機嫌なとき、当の本人は
不機嫌な態度を取っている自分に無自覚だったりします。

でも、それに対し周りは、「あ、○○さんは、機嫌が悪いんだな」と気づきます。
言い方を変えると、○○さんは機嫌が悪いと知ってほしいんだなーと受け止めます。


リーダーが不機嫌なオーラを出し、
しかも、そのネガティブオーラに気づいていない。
そんな状況。実はとてもよくある話です。
当社の歴史を振り返っても、私もその一端にあったこともあります。
それに気づいた今でも、もしかしたら私自身、
同じことを時々しているかもしれません。


話を元に戻しましょう。
先のコーチエィの例。どうなったかというと...
最初は自分の出している負のオーラに気づかなかった幹部Aさんは、
自分の会議での振る舞いをビデオ映像で見て、
これはひどいと、自己認識を新たにしたそうです。
自分のオーラとその原因を見直す気持ちになれたわけですね。


さて、、、
このエピソードから私たちは何を学ぶべきでしょうか。
私は、リーダーはビデオを撮らないまでも、
鳥の目で自分を見る必要があるのだと思いました。
もし、今、ビデオで自分を撮ったら、
自分はどんな顔つきなんだろう、とそんな目が必要ですよね。


あなたは、自分の普段の顔つきをどう分析しますか?


今週は8月最後の1週間。
素敵な週でありますように!

 今日は、最近私の周りで起きた出来事を入り口に、
「聴く」について考えたいと思います。


まずは出来事から。
出来事その1。
最近、私は仕事ではなく13名の方たちにインタビューをしました。
ちょっと個人的な話になってしまい恐縮ですが、
私の両親は、昨年秋頃から川崎市宮前区の老人ホームでお世話になり、
がんで余命宣告を受けていた母は3カ月ほど前に、
ホームで私たちに見守れて他界しました。
母はかれこれ7カ月の間、施設の皆様にお世話になったわけですが、
母のQOLというものをとても大切に考えてくれたことがありがたく、
私らしい形で感謝や敬意を示したくて、
彼らの仕事への思いをインタビュー記事にし冊子にまとめるという提案をしました。
と、同時に、私の職業柄か、この組織に流れる暖かさの本質を
知りたかったというのもありました。


自分はお礼のつもりでも、無理強いではお礼にはなりません。
ですが、タイトルも7案ほど提案し、投票で「なぜ私たちはここにいるのか」に
決まるなど、ある程度、一緒に作る感覚で楽しんでいただけたような気がします。
その入稿がこの週末に終わりました。


さて、こういう現場的な仕事からからはずいぶんと遠ざかっていた私ですが、
振り返ってみると、客観的に見てインタビューは下手だな、と(笑)
でも、その割にはみなさんがずいぶんオープンに話してくれて、
こんな話まで聞いちゃっていいの?という話をたくさん聞かせてもらえました。
もちろん、書いていいこと悪いことは判断して書きましたが。


出来事その2。
先日、私が大変お世話になったある方からご連絡があり、
ランチをご一緒しました。
電話の段階で聞いてほしい話がありそうなニュアンスだったので、
そのつもりで伺いました。
聞けば、本当に大変なことがこの半年の間に起きていて、
どれだけ辛かったか、想像に難くありませんでした。
しかも、軽々に話せる話ではない内容でした。
私が聴くことで、その方の気持ちが軽くなったなら、
私にとってこんなにうれしいことはありません。


さて、この2つの出来事を考察してみたのですが、
おそらく私は、聴くことについて、何かしらの強みがあるのだと思います。
ここから5行は自慢話に聞こえるかもですが、それを強調したいわけではありません。
いや、ちょっとはしたいけど(笑)


なぜ人が話してくれるのか。あらためて分析してみると、、、
・相手の話に興味や意欲を持って聴ける
・その集中を数時間保てる/時間のかかる話も根気よく聴ける
・私自身がどちらかというと自己開示する方なので相手が身構えない
・私の話し方はテンポが遅いので、急かされている感じにならない
まあ、強いて言うと、そんな感じがします。


さてさて、、、聴くことについては、ウン十年も我流でやってきましたが、
4年ほど前に、CTIのリーダーシップ研修でその奥深さを学びました。
聴くときのリーダーのあり方、
な、なんと! リーダーは3種類も使い分ける必要があるのだ、と。
これは私にとって、カルチャーショックでした。
たとえば、人の話を聴くときは、ちゃんと目を見て聞くとかいうレベルではない話。
リーダーの聴き方は、リーダーのあり方であり、リードの仕方と直結している!


聴き方は、レベル1からレベル3まであります。
文字にすると、わかったようでわからない感じだと思いますが、
まずはそのまま紹介します。


レベル1 内的傾聴   Internal Listening
レベル2 集中的傾聴  Focused Listening
レベル3 全方位的傾聴 Global Listening


CTIはリーダーの養成機関でもあると同時に、
コーチの認定機関でもあるので、
これはコーチングをする場合の基礎知識でもあるようです。


違いを見ていくと、、、
レベル1というのは、一見相手の話を聴いているように見えますが、
実際の意識は自分に向いていて、自問自答しているような状態です。
私たちが人の話を聞くときにやっているのは、多くの場合この聞き方です。
これさえやっていない人(忙しいオーラを出しちゃう人とか)もいますけど(笑


レベル2というのは、相手にトータルに関心を払いながら、聴く状態です。
たとえば、表情が曇った、語気を荒げた、声が震えている、力強さがある、など。
それを評価判断するのではなく、単純にそこにアンテナを向けた聞き方をする、
それがレベル2の聴き方です。


では、レベル3は何に意識を向けて聴くのでしょうか。
それは、「場」とか「空気」「雰囲気」です。
どんよりした場、重苦しい場、熱気のある場、希望のある場。
その場の空気を理解しながら、対話するために聴く。


レベル3が優れていて、レベル1が悪いということではなく、
リーダーは意識を使い分ける必要があるということがキモなんですね。


先ほど、「私には聴くことについて何かしらの強みがある」なんて書きましたけど、
これらを知ってからは、うっひょ〜 そりゃひと筋縄ではできないと理解しました。
「傾聴」という言葉が市民権を得たためか、
「またか」って感じを受ける人も多いかと思いますが、
でも、実は奥が深い言葉、甘く見てはいけない言葉だと思います。


今回は、相手に話しやすくし、なおかつ真の理解をするための「聴き方」について
書きましたが、「聴く」の機能には、相手の考えを整理するという面もあります。
これも、どこかで取り上げたいテーマです。


ありゃー ずいぶん長くなってしまいました。
8月も残るは10日少々。。。今週も素敵な1週間でありますように!

暑い日が続く中、お盆ウィーク突入ですね。
当社はお盆休みというのはなく、各自が銘々に好きな時期に休むのですが、
今週はやっぱりお休みする人が多いです。
私も、ポツポツお休みしようと思います。


さて、今日のテーマは「思い込みの棚卸し」です。


これを私自身がやってみようと思ったきっかけは、
最近、2017年の年初に書いたウィッシュリストを読み直したことが
多少影響しているかもしれません。
そう、私は2017年の1月に100件の望みを書き出してみました。
100件書き出すのは、実はとっても大変で、
言い換えれば、それほど欲がないということでもあるのですが、
絞り出し〜の、絞り出し〜の...
そうやって出て来た100件の望み、
1年半ちょっと経ってみて、どうなったか?


笑われるかもしれませんが、
上位50のうち、できたと思えるのは、わずか1件!
51位から100位までの間でも、わずか1件!
それもそのはず。
できそうにないような非現実的なことを挙げていましたので。
私にとっては、できそうなことを書き出したって意味ないと思えたのです。


実際には、ウィッシュリストもいろいろな活用の仕方がありますから、
できそうなことを書いて現実化させていくという使い方もありますよね。
でも、私のウィッシュリストは夢みたいな妄想を書くというルールで書いたので、
今、読み返してみて、全部で2つしか実現していないとしても、
負け惜しみなどではなく、むしろうれしいくらいです。
何しろ書いたその時点では、簡単にできそうにないことだったので、
それが2つも実現できたなら本当に御の字!


と同時に、当時、リストに書かなかったことなのに、
途中でやりたいと思う新しいことが出てきて、実行しているのも、
ウィッシュリストを書いて、
自分の欲求の本質を理解していたからだと思います。
「書き出す」というこのシンプルな方法、
いろいろなことに使えるのではないでしょうか。


そこで、やってみました!
この「書き出す」という方法で、
「自分の思い込みの棚卸し」をやってみたのです。


私はこのブログやメルマガを通じて、
何度となく「思い込み」について書いてきました。
私が「思い込み」に関心を持ち続けているのにはたくさんの理由があります。
・「思い込み」によって、自分が何かに縛られ、自由でなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、自分が成長できなくなるのがイヤだから。
・「思い込み」によって、部下の可能性を決めつけてしまいたくないから。
・極端な個人の「思い込み」が極端な社会的判断を生んでほしくないから。
・「思い込み」はイノベーションを生み出さないから。and so on.


ですが、「思い込み」は人間である以上、なくなりませんよね。
「思い込み」を別の言葉でいうなら、それは「価値観」ですから。
自分が大切にしていることを、多くの人は「思い込み」だとは思っていませんが、
これこれを大切にしたいという「価値観」は、
結局のところ「〜は〜であるべきだ」という「思い込み」でもあります。


だからこそ、「思い込み」(価値観)があって悪いわけではありません。
自分が大切にしたいことが、実は自分が決めつけているだけかもしれない...と
余裕を持って物事を見ることができたら、
その価値観に奥行きが出ていいなと思います。


さて、私がやってみた「思い込み」の棚卸しのやり方は極めて簡単。
「○○について」とテーマを決めます。
テーマは複数設けてOKです。
私は、「グラスルーツについて」「上司部下の役割について」「自分について」と
決めて、やってみました。
あとは、それぞれのテーマに対し、「私は〜と思い込んでいる」と書くだけです。
すると、出てくる!出てくる! 恥ずかしながら例として紹介しますね。


私は、社長は企業の看板でなくてはならないと思い込んでいる。
 →看板社員が大勢いる方が本当はいいですよね。
私は、上司は部下の成長を支援しなければならないと思い込んでいる。
 →成長支援が間違っているとは思いませんが、こう思い込みすぎると
 押し付けが生まれたりしやすいですよね。


ウィッシュリストの場合もそうですが、
結局「書く」行為によって、自分の心の中にある強い考えがはっきりしてきます。
もちろんその考えを全面否定する必要はなく、
「別の考え方ももしかしたらあるかもしれない」という気持ちを持つだけで、
十分効力があります。


ちなみに、私は95%の人が知らないであろう
CTIリーダーシッププログラムの修了生ですが、
このプログラムでも「相手へのアサンプション(思い込み)を手放す」ための
ワークがありました。
そこでは、広い意味での「思い込み」を取り上げたのではなく、
リーダーが人と良い関係を築くためには、
相手への「思い込み」を払拭する必要があるという文脈で、
「思い込み」が取り上げられていました。
自分は、これまであなたに対してこういう「思い込み」があった、
と打ち明けることで、自分の「思い込み」を手放し、
相手との関係をリセットする...。
そんなワークだったと思います。


人間関係でも、それ以外の物の見方でも、
「思い込み」とどう付き合うか、とても重要ですね。


では、弛みたい今週は大いに弛んで、
すてきな1週間を過ごしましょう!

人と良い関係を築いたり、
自分や人を生かすために、知らないより、
知っていた方が良いことがありますよね。
なぜ、こんなことを書こうと思ったかというと、
最近、子どもの頃の夏休みの出来事を思い出したからです。


私は、川崎市多摩区で生まれ育ったのですが、
先週、久しぶりに多摩川沿いの道を車で走りました。
その時に思い出したのが、小学校6年生の夏休みに、
友達と多摩川に写生に来たことでした。


自転車で多摩川の河口に向かって写生していき、
たくさんの川の風景を絵にしようという話になったのです。
子ども心に、それはとても素敵な計画に思えました。
多摩川の河口がどんなふうに海に続いていくのか、見たい。
冒険心と達成意欲がかきたてられました。
ところが、友だちのほうは1カ所で絵を書き終えると飽きてしまったのか、
明日はどうするかと尋ねても上の空。
私は1人でやり続ける勇気がなく、その計画を断念しましたが、
こんなに楽しいことなのに、なぜ友達が興味をなくしてしまったのか、
ちっとも理解できなかった記憶があります。


自分が楽しい事は人も楽しいはずだ、と思っていたからです。
人の興味は私の興味とは違う、そうしっかり認識ができるようになったのは
大人になってから、それも大分遅かったと思います。


しかし、、、
実は、そういうことって私だけではなく、よくある話ではないでしょうか。


上司が部下に、こんな面白い仕事をなんでやりたくないのかと質問してみたり、
こんなやりがいのある仕事なのになぜ意欲的に取り組めないのかと迫ってみたり。
でも、人によって、興味を感じること、楽しいと思うこと、
やりがいがあると感じることは違いますから、
疑問視するのは、そもそもおかしいですよね。でも、やりがち。。。


さて、当社のセミナーでは、人の6つの欲求について紹介しています。
人が満たされたり、不満を感じる場合に関係するのが欲求です。


1)安心安全ニーズ...リスクを避けて、つつがなく暮らしたいという欲求
2)変化・多様ニーズ...マンネリではなく、変化に富んだ毎日を過ごしたいという欲求
3)自己重要感ニーズ...人から認められることへの欲求
4)愛とつながりニーズ...愛情や好意を求め、人とつながっていたいという欲求
5)成長ニーズ...成長、達成、自己実現、知識、挑戦、成功などへの欲求
6)貢献ニーズ...人の役に立ちたいという欲求


セミナー参加者に、仕事をしていて
自分がどういう時に気持ちが上がるか、
反対にどういう時に気持ちが下がるかを聞いてみると、
多いのは3番、5番、6番です。
上がる時も下がる時も、同じ欲求に関係すると言う人もいれば、
異なると言う人もいます。
また人はどの欲求も持っていますから、
環境や年齢によっても、満たしたい欲求の強弱が変わるのは当然です。


もちろん、私にもどの欲求もありますが、
多摩川の絵を描き続けることを断念した時、私があれほど残念に思ったのは
おそらく5番目の達成したいと言う欲求が満たされなかったからだと思います。
友だちが続ける気力をなくしたのは、夏休みに写生ばかりしていたくなかったから、
つまり変化・多様ニーズが強かったからなのかもしれません。


人間関係やコミュニケーションがうまく行かない時、
自分の欲求と相手の欲求に目を向けると、別のことが見えてくるかもしれませんね。


さて、不満の解決というよりも、自分や人を生かすために
知っていると便利なこともあります。
先程の達成欲つながりで、思い出したネタです。


「ストレングスファインダー」のことは以前にも紹介したかもしれません。
人の才能を34種類の「資質」に分けて、
どの項目がより強いのか、教えてくれるサービスです。
山登りに例えると、山の登り方はいろいろありますが、
「自分に合った山の登り方」を知るためのツールだと言えます。
上位5つの強みが何かを知るだけなら、2000円程度の費用でテストを受けられます。


ちなみに私の上位の強みは次の5項目でした。

1-Achiever-達成欲
2-Ideation-着想
3-Futuristic-未来志向
4-Learner-学習欲
5-Responsibility-責任感


先程の夏休みの逸話もそうですが、
どうやら私が達成志向の人間であることは、間違いなさそうです(笑)


あなたが仕事をしていて気持ちが上がる時、
下がる時はどんな欲求と関係していますか。
あなたにはどんな強みがありますか。
あなたの部下や後輩、同僚はどうですか。


人と自分が同じではないと言う当たり前のことを、
時々思い出すことは、いろんな意味で必要かもしれませんね。


今週も素敵な1週間でありますように!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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