ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

先週、ある方が訪ねて来られて、ランチをご一緒しました。
企業の広報部門で媒体の制作管理や広報関連の仕事をされている方です。
熱意や理想、しっかりした使命感をお持ちで、
私より随分お若い方なのですが、お会いするといつも感心し、刺激をいただきます。

彼女いわく、「自分の仕事に最もぴったりくる言葉は『整理整頓』です」と。
ところが、こういった表現や考え方は一般的になかなか理解されません。
何となく、そこにはジレンマがありそうだと感じたので、
「佐藤可士和さんがこんな本を書いていますよ、まさに同じことを言っている」
と言って「佐藤可士和の超整理術 」という本を紹介したら、
まさに「我が意を得たり!」な感じの表情に。
手がかりになった様子でうれしかったなー!!


さて、今日、このエピソードを紹介するのは、私は彼女と同じ考えだからです。

あ、急に『整理整頓』と言われても、ピンときませんよね。
ここで私が言いたいのは、むしろ「整理」の方です。
「整理」とは、情報の整理、原因の整理、コンセプトの整理、意見の整理など、
物事をちゃんと捉えるための工程のことです。

5Sでも「整理」と「整頓」は分けられていますよね。
乱れた状態にあるものを整えるのが「整理」で、
不要なものを取り除くことも含まれます。
しかも「理」の字があるように、物事の筋道が整うことが重要なんですよね。

「整頓」も、整った状態にすることを意味しますが、
不要なものを取り除くことは含みません。
むしろあるべき位置にきちんと置くのが「整頓」です。

仕事では、混沌とした状態にある物事を、ちゃんと筋道を整えてクリアにした方が、
漠然と捉えて進めるよりも、いい仕事ができそう...。
きっとそこに異論がある方はいないでしょう。



ですが、、、世の中では「整理」をないがしろにすること、多いですね~
話は飛ぶようで、飛ばないのですが、、、

「書く」あるいは「構成する」などの作業も、
実はバリバリ整理が必要です。

おそらく文章が苦手な人は、
書く前には最初に整理が必要で、整理をしたら構成が必要で、
それからやっと書き始めるのだということを理解していないと思います。
「一番伝えたいことは何だろう」と考えて、一つに絞らなくてはいけない。
つまりは、ものすごくたくさんのことを捨てるということです。
何を捨てて、何を最後まで残すか、
何かを伝えたい人はやらないといけない。


構成も同様です。
広報誌などの誌面を作っている方が、
構成についてよく「見せ方を考える」と言うのを耳にしますが、
私は構成の本質はまずは「話の筋道を整理する」ことだと思います。
「見せ方」はその次ではないか、と。


さらにファシリテーションもまさに整理の世界です。
混沌としているかに見える場の状況を整理し、
道を示して議論を前に進める、そんな役割でしょうか。

あ、当社の社外取締役の川添さんはコーチングのプロですが、
コーチングという世界もまさに相手の頭の中を整理する仕事ですよね。
いつも私の脳みその整理を手伝ってもらっています。

整理を怠った場合の最もばからしいリスクは、やり直しや無駄。混沌が続くストレスです。
整理することの意義、もう少し見直されるといいな、と思います!


...と、偉そうに「整理」を語ってみました!
私自身は、、、机の整頓は苦手です(>_>)
捨てるのは得意です!
が、潔いがあまり、後悔することもしばしば(笑

6月も最終週。2017年の後半が始まります!
どうぞ素敵な1週間でありますように!

170619_takachiho.jpg先週の月曜日は九州(宮崎)に旅行していたため、メルマガはお休み。少しご無沙汰いたしました。
宮崎県は、出張を除くと初めての訪問でしたが、風光明媚な素敵なところがたくさんありますね。特に高千穂(写真)の自然が魅力的で、積極的にオススメしたいです。


さて、本題。
今年はすでに12回の外部セミナーのお話をいただき、うち7割以上が終了しました。今日は、参加者の皆さんの様子を見ていて気づくこと、シェアさせていただきますね。
セミナーといっても、ワークショップによる実践的なものが多いので、4〜5人単位でディスカッションしていただく時間がたくさんあります。


すると...

「場」に対して意識を向ける方と向けない方がいることがわかります。


「場」への意識とはどういうことかというと、その場に今何が起きていて、他の参加者はどう感じており、自分はどう発言しどう振る舞うか...に対する意識です。
そして、ごく一部の人を除いて、多くの人たちは場に対して意識を向けていないように見えます。


少し別の切り口で言うと、
どんな場でも能動的に発言する人と受動的な人がいますよね。
でも、私がここでお伝えしたいことは、
能動的が是で、受動的が非ということではなく、


(1)積極的に発言するあまりに、場を占領してしまう人がいる
( 2)消極的なあまりに、場での役割を発揮しない人がいる
というこの2点です。


言い換えると、もし4人でディスカッションしているなら、
自分の発言量が4分の1を大幅に超えて、半分以上であり続けていたら、
他の人への意識の向け方が足りないと気づきたいところです。
反対に、自分の発言量が4分の1に大幅に満たないのであれば、
役割が発揮できていないと気づきたいところです。
これが今日のタイトルにある分数で役割を考えるということです。


前者の、場を占領していることに気づかない人たちは、
多くの場合、悪気はありません。
それどころか、自分がこの場をリードしなければならないと思っていたり、
他の人を楽しませようとしている場合さえあるようです。
で、他のメンバーたちが楽しそうでいる時はまだいいのですが、
あまりノっているようには見えないのなら、よくありませんね。
しかし、残念ながら「自分がリードしなければ」という意識が強すぎると、
他の人の様子が見えなくなるもののようです。


後者の、発言が少なく、4分の1の役割を発揮していない人たちは、
まずは自分には最低4分の1の役割を果たす責任がある
という認識を持ってほしいですね。
ただ、仮にそういう認識を持ったとしても、
発言が少なくなる人にも当然理由があるようです。
観察ベースの話ですから、確証はありませんが、
次のようなパターンが多いと感じます。


一つは、話のスピードについていけておらず、
何かわからないけど、何をどう聞けばいいかを考えてしまっていて、
「よくわからない」と発することに気後れしてしまっているケース。
「え、どういうこと?」の一言でいいと思いますよ。発してみてください。


もう一つは、誰かの発言に異論があったり、
違和感を感じているのに、
相手に気遣いをして、言い方を考えているうちに、
結局は口をつぐんでしまうケースです。
あるいはタイミングが遅れてしまうケースもありますね。


しかし、実は、声が大きく場を占領している1人の発言内容に対し、
他の3人とも理解していなかったり、違和感を感じているという場合もあり、
誰かが勇気を出して発言したら、賛同する人が現れて、
方向性が変わっていく...なんていうことも起きます。
誰の意見も求められていることを信じてみてください。


場に意識を向けながら、結論を出していく。
協働作業にはそういうことが不可欠なんですね。
私たちの仕事でも、そういう姿勢が必要です。
もちろん私自身、ある瞬間、別のことに関心が向かって行き、
場への意識が弱くなることはあるのですが、
それでもそれが大切だと知っていると、修正をかけることができます。


協働作業では分数で場のバランスを見る。参考になれば幸いです。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!


ヘアサロンで待つ間に、ELLE JAPON 6月号でこんな記事を読みました。
それは、facebookのCOO、シェリル・サンドバーグさんのインタビュー記事です。
これを書く今、手元に現物がない上に、ちょっと記憶が曖昧なのですが......
 仕事であっても泣きたい時には泣いていいし、
 仕事中の自分とプライベートの自分は一つのものであっていい、
というような働く人へのメッセージだったと思います。とても印象的でした。


これを読んで、サンドバーグさんに関心を持った私は、ネットで検索してみました。
すると、さらに興味深い次の2つのコンテンツを見つけました。


海部 美知さんによる「シェリル・サンドバーグの覚悟とデータ業界での女性の躍進」
(日経ビジネス/2013年4月16日)


TEDでのプレゼンテーション「何故女性のリーダーは少ないのか」


それらを見て考えたこと、たくさんありすぎます(笑)
が、あえて一つに絞って、
「ハイディ&ハワード実験」とそれに対する彼女のメッセージを紹介します。


「ハイディ&ハワード実験」というのは、コロンビア大学経営大学院と
ニューヨーク大学の教授が2003年に共同で行った実験で、
ある起業家の成功に関する紹介文を学生たちに読ませ、
それが、ハイディ(女性の名前)という起業家の実例とした場合と、
ハワード(男性の名前)という起業家の実例とした場合とで、
人が感じる印象がどう変わるのかを調べるというものでした。


実際のモデルは、ハイディ・ロイゼンという女性起業家でした。


実験の結果、男女いずれの学生も「立派な業績である」と評価。
しかし、「この人を好きか」という質問に対しては、
なんと、ハワードという名前で紹介を受けた学生たちの方が、
圧倒的に好感度は高くなったそうです。
まったく同じ内容であるにもかかわらず、
ハイディに対しては「身勝手で抜け目がない」などの印象を持つ人が多いという
結果になりました。


サンドバーグさんは、
出世と好感度の関係が、男性の場合は正比例するけれど、
こと女性の場合は反比例し、そこに問題があるとTEDで語っています。
そう感じるのは、男性が女性リーダーを見た場合だけでなく、
女性が女性のリーダーを見てもそうであるようです。
女性が出世しても良くは思われないということです。


さて、、、、
この話を我が身に参照したところ、少し似たようなエピソードを思い出しました。
それは、女性経営者、言い換えれば「女社長」に対するイメージについてです。
私は、最近でこそ時々ブログに動画を挟んでいるので、
先入観を持たれることは少なくなったと思いますが、
以前はよくセミナーの参加者の方から、
「もっとバリバリの女社長...って感じの方なのかな(厳しい人だとイヤだな)と思って
参加したのですが、そうじゃなくて良かったです...」
というような感想を言われることがありました。
ウチの某社員も、面接に来る前は、そう思っていたそうです(笑)


バリバリの女社長というイメージって、どういうものなんでしょう?
なんとなくですが、想像してみると...


・ハキハキしていて、滑舌が良く、声も大きい?
・いろんなことを一刀両断にぶった切りそう?
・もしかしたら、原色のスーツを着ているイメージもある?
・部下に対して、小言や注文が多そう?
・二枚舌を使いそう?
・ロジカルと言うより感情的?


こんな感じですかねぇ〜(笑)
いえ、私が思っているわけではありませんよ。
世間で言うところの「女社長」のイメージを想像してみただけです。
このイメージっていったいどこから来るのでしょうか?
言ってみれば、いわゆる「やり手ババア」と言う語感のイメージですよね。
でも、「やり手ジジイ」って聞いたことないなー


想像でモノを言ってはいけないのですが、
おそらく自分の周りに女性の経営者が存在しなくても、
いえ存在しない人ほど、こういったイメージで見てしまうかもしれませんね。
ある意味これは、「ゆとり世代」と言う言葉に対して、
勝手にステレオタイプのイメージを抱いてしまい、
知らず知らずに先入観を抱くのととても似ています。
別に悪気はないのです。


ここでは先入観と書きましたが、
人が先入観を抱くのは、何かしら歴史的な記憶があるからだと思います。
例えば、女性リーダーにも系譜があり、歴史があります。
私自身はそれを語れるほどの知識がありませんが、
私が20代だった頃のモデルといえば、
今は亡き英国のサッチャー元首相や初の女性党首だった土井たか子さん、
経済界では、80年代に注目された人材派遣会社ザ・アールの奥谷禮子さん、
高島屋の石原一子さんなどが、先駆者のイメージですね。
その頃、当社のお客様でも化粧品メーカーやサービス業などの分野において、
女性で部長職に就いていた方はいらっしゃいました。


ただ、ぶっちゃけ、私が20代の頃に、
こうなりたいと憧れる雰囲気の女性リーダーはいませんでした。
がんばっている先輩たち、と言う感じでした。
言葉を選ばずに言うなら土井たか子さんの赤いスーツに代表されるような
がんばっているイメージに違和感がありました。
私が求めるのは、もっと柔らかいイメージだったからです。
ですが、その方たちのお陰で歴史は切り開かれていったわけです。
まさに過渡期ですよね。


だから、今の女性リーダーに対するイメージや先入観も、
そんな歴史の中で生まれてきたものだとも思います。


シェリル・サンドバーグさんも
出る杭になると叩かれるから、
自分は控えていようと思った時期もあったようです。
そして、叩かれるのを覚悟の上で、2013年に「Lean In」と言う本を出しました。
「Lean In」と言うのは、一歩踏み出そうと言う意味だそうです。
女性が社会の重要ポストに半数はいる、そんな社会を目指して。
なのに、この本を批判したのも、また女性だったらしい。。。涙
私はまだ読んでいませんが、読んでみたくなりました!
まずは、女性、男性という先入観、
自分にはどのくらいあるのかなという自問が必要ですね。


まもなく梅雨入りですね。
雨にも負けず、素敵な1週間でありますように!

週末、初対面の相手と
自分の命を何に使うか、何を生きる使命とするのか、
たとえ言葉にするのが難しくても、それを考えながら生きたいですね...
というような、初対面の割にはいきなりマジな話をしていました。


この問いかけへの答えについて、私は今もってシンプルに語ることができません。
たくさんの言葉が出てきてしまって、一言で言い切れないのです。
そのうちの一つが、人が抑圧されずに自分らしさを発せられる状況をつくる、
それに関わっていたい、というものがあります。


幸い、世の中は「ダイバーシティ」の掛け声の下、
個々の違いを認め合う社会に向かおうという理念が示され、
少しづつ動き出していると感じます。


と、同時に、それを阻むものが厳然として社会にはあります。
それは、何か?


「常識」です。


私たちは、社会から爪弾きにされると困るので、
されないようにするにはどうしたらいいか、
自分でも考え、また先輩や上司からも教えられます。
行動基準は「爪弾きにされないためにどうするか」でした。


「社会」と書きましたが、これは「社内」でも同様です。
その結果、暗黙の行動ルールがあなたの会社にもあるのではないでしょうか。

例えば、次のような考え方は社内の常識になっていませんか?


・営業職はハキハキ話すのが好ましい。
・大勢が賛成して決まりかけていることをひっくり返してはいけない。
・「わからない」時に堂々と「わからない」と言うヤツは困ったものだ。
・若輩者は意見を言わずに控えておれ。
・部下との関係を築くには誉めることから始めよ。


でも、こうした固定観念による常識に縛られていると、
人は自分らしくいられなくなり、本来の能力を発揮できません。
最初の3項目を例に、どんな常識が人を縛っているのか考えてみましょう。


営業職はハキハキ話すのが好ましい。


営業職がハキハキ話すのが好ましかった時代もあるでしょうね。
でも、今は「ハキハキ話す営業職」=「何かを売りつけたい営業職」
と見ている顧客の方が多いのではないでしょうか。
実は、営業される側は「ハキハキ話す営業職」なんて望んでいない場合も多い。
で、望みはシンプル。自分のことを親身に考えてくれる営業職を望んでいます。
なのに、会社はハキハキ話す営業職を育てようとする。
昭和的な金太郎飴営業職を育てようとするのは、ダイバーシティに反しませんか?


大勢が賛成して決まりかけていることをひっくり返してはいけない。


場のムードが賛成に偏っているときほど、反対意見は言いにくいものです。
でも、、、
CEOとしてゼネラル・エレクトリック(GE)を成功に導いたジャック・ウェルチは
当時、反対意見が出なければ、結論を出さなかったと言います。
反対意見を言う者は邪魔者と捉えるのとは大違いですよね。
反対意見を出せるムードのない状況はダイバーシティと言えるでしょうか?


「わからない」時に堂々と「わからない」と言うヤツは困ったものだ。


「わかりません」と発言することは、勇気がいること。
いまだ、そのような状況にあるのではないでしょうか。
でも、そこでわかったフリをしても、いいことはありません。
YESと言ったら、YES。NOと言ったら、NO。
わかったと言ったら、わかった。
グローバル化が進むと言うことは、
そう言うシンプルなコミュニケーションに向かうと言うことです。
それなのに、会社では「わかりません」と言いにくい状況がある。
この抑圧感、ダイバーシティとは対極にあるものですよね?


一人一人の心が感じている不自由を一度書き出してみて、
みんなでテーブルの上に出してみると、どうなるでしょうね?
みんなが「居心地が良い/悪い」を挙げて議論してみたら、
ダイバーシティは加速度的に進むと思います。


まずは自分の常識を疑うことから始めてみませんか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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今日のメルマガで阿部が「書く」をテーマに書いています。
「書く」というトレーニングをせずに、レベルアップを図るコツについてです。
それに触発されたわけではありませんが、
ちょうど先週、私は「聞く」について、周りと意見交換する機会があり、
私自身も思うことがあったので、今日は「聞く」をテーマにしたいと思います。


あなたも、ヒアリングや打ち合わせで「聞く」ことはあるでしょうし、
仮に広報担当者であったなら、
記事を作成するために取材することもあるのではないでしょうか。
私たちも同様です。
さらに、会議ファシリテーションをする場合は、
参加者の議論がうまく運ぶように良い問いかけを行い、
参加者全員からバランス良く意見を「聞く」ことも仕事になります。


誰もが、「聞く」ことは仕事を進めるための重要事項であると認識していても、
「発問(質問)」でつまずくことや、
なんと聞いたらいいのかわからなくなることがありますよね。
これは、新人からベテランまで起きることです。
もちろん、そのつまずき度にはレベル差はあると思いますが。。。


これはなぜ起きるのでしょうか。
新人でもベテランでも共通するのは、
「聞く」ことの本質は理解することであるので、
耳で聞くだけでなく、自分の頭の中で、話を整理しながら聞こうとします。
話を聞いている間に、頭の中は情報でいっぱいになってきますが、
情報が入ってくるスピードに対し、整理するスピードが追いつかなくなると、
聞き手は次に何を聞くべきかがわからなくなっていきます。
私たちの取材セミナーでは、この状況を「迷子の状況」と呼んでいます。


話を整理しながら聞くというのはどういうことかというと、、、
これは、もうホントにすごいことをやっているわけですよ。


たとえば、、、重要度を区別しながら聞いていますし、
発した言葉の言外の意味も理解しようとして聞いています。
事実と推測も分けて聞いています。
さらには、話の要素同士の関係、たとえば因果関係や包含関係、
並列関係などを把握しながら聞いています。
またドラマ曲線や感情曲線をイメージしながら、
出来事や感情の高まりを理解しながら聞いています。


人間には本来そういう能力が備わっていますが、
誰もが最初から同じようにできるわけではありません。
また経験を積んでそのスキルが上がったとしても、
30分も話を聞くと、複雑な情報で頭はいっぱいいっぱいになっています。
いよいよ脳みそが追いつかなくなると、迷子になる。


ところが、この人は聞き上手だなと思う人を観察していると、
要所要所で「ちょっと整理させてください」と言って、
それまでに理解した内容を「つまり、こういうことですね」と
言語化していますね。
それは、お互いが迷子にならないためのコツなのだと思います。
見習いたいものですね。


一方で、若い時や経験の浅い時だから起きるつまずきもありますよね。
それは、問いを立てること自体が目的化してしまった場合に
起きがちなのではないでしょうか。


たとえば予め用意していた質問項目を上から順に聞いていったら、
あっというまに終わってしまい、時間が余ってしまって困ったとか、
質問をした直後に、相手の答えを聞く心の余裕もないまま、
次の質問をどうしよう...ということに意識が向かい、
結局質問の答えを聞くことに集中できなくなってしまったり。


話を「聞く」のは「理解するため」であるという本質を忘れて、
質問自体が目的化してしまうのには、
主に2つの理由があるような気がします。


1つは、そもそも「何を理解すべきか」がわかっていないということ。
わかっている必要があるという認識さえ持てていないこともあるかもしれません。
その認識がないと、自分が理解すべき事柄をわかっているかどうか、
セルフチェックさえできません。


もう1つは、聞き方に関する自分への評価を気にしてしまうということ。
うまく聞けなかったらどうしようという不安や、
話の間(沈黙)に対する恐怖、
良く思われたいという心理などが影響していると見られます。
理解することが求められているということを忘れてしまっている状態です。


でも、話を「聞く」のは「理解するため」です。
このシンプルな本質を忘れないこと、混乱したらそこに立ち戻ることが、
「聞く」ためのコツなのかもしれませんね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

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先日、表参道の駅構内で
PERSOLグループの広告「はたらいて笑おう。」というポスターを見かけました。


スティーブ・ジョブズとともにアップルを創業したエンジニア、
スティーブ・ウォズニアックと、
85歳の現役のファッションモデル、
カルメン・デロリフィチェが笑っている写真に、
「はたらいて笑おう。」というヘッドコピー。
とても素敵なコピーだし、魅力的な人選だと思いました。


働き方改革の必要性が叫ばれ、ブラック企業が問題視される中、
実際に、働いて笑っている人はどのくらいいるのでしょうか。


2013年のマイナビの記事によると、
仕事をしていて楽しいと感じている人は半分強(57.4%)でした。
1日8時間勤務とすれば、1日の3分の1以上を仕事に費やすのですから、
楽しみでありたいものです。


さて、仕事を楽しむということを少し脇に置いておくと、
人生を楽しむことについてはどうでしょう?
人生を「楽しもう」とするかしないかは、自分次第です。


私の周りには人生を楽しんでいるように見える人が多いです。
彼らの共通点は、ヒトとの関わりを大切にして、
コト(場といってもいい)をつくりだそうとしている点。


たとえば、ある友人は、ダンスサークルのような場をつくり、
サンバ、サルサと踊れるお店に定期的に繰り出しています。
また、ある友人はお互いにキッチンを解放しあって、
料理して食べるパーティーを始めました。
いずれの場にも、実は私も時々おじゃまを...笑


テーマやコンセプトを持って続けるような性格のものでない場合も、
口実を設けて、コト(場)をつくっている人が多いです。
気軽なところでは、ご飯のお誘いです。
「近メシ」という言葉があるように、
単なる社交辞令で使われる場合もあるようですが、
楽しんでいるように見える人は、必ず本当に連絡してくれます。
毎月1−2回誘われ、私も1−2回誘っているという感覚があります。


楽しむことに貪欲な彼ら彼女らは、コトに興味を持ったり、
コトでつながろうとしているように見えて、
実はヒトとつながろうとしているのかもしれません。
しかも、主体的に。


話を元に戻します。
私は、楽しんで働くためのヒントがそこにあるような気がするのです。
魅力的なヒトと仕事をすることは楽しいですし、
反対に、関係が良い状況にあると、自ずとヒトに魅力を感じたりもします。
たとえ協働して何かを達成し合う関係になかったとしても、です。
反対に、コトを面倒とか、敷居が高いと決めつけたり、
ヒトと距離を置いている方が楽だと決めつけていると、
もしかしたら自ら楽しむことを制限してしまっているかもしれません。
...と決めつけてかかるのも良くありませんし、
べき論を振りかざすつもりもありませんが。


人生を「楽しもう」とするかしないかは、自分次第であるように、
仕事を「楽しもう」とするかしないかも、自分次第ですね。


「はたらいて、笑おう。」
そんなふうに仕事と向き合えたらいいですね。


どうぞ素敵な1週間でありますように!

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ゴールデンウィーク、みなさんはどうお過ごしでしたか?
私は、29日から7日までの9日間に、家飲みが4回あり.......
かなりアルコール度の高い休暇になりました(笑
せっかく減量してきたのに、1.5kgぐらい太った気がします(息


ほかにも、気になっていたキッチンの油汚れを落としたり、
両親と外食したり、
PLANプログラムで支援しているケニアの女の子に手紙を書いたり、
映画を見たり、、、とゆっくりしました。


さて、、、2週間ぶりのブログです。
だからこそ何を書こうかなと思ったのですが、
やっぱり連休の間に感じた話題について書こうかな。
それは、ちょっとマジメに言うと「多様性」についてです。


ゴールデンウィーク中に「TOKYO RAINBOW PRIDE(東京レインボープライド)」が開催されました。
これは、主催者のホームページによると、
「性的指向や性自認(SOGI=Sexual Orientation, Gender Identity)の
いかんにかかわらず、差別や偏見にさらされることなく、より自分らしく、
各個人が幸せを追求していくことができる社会の実現を目指すイベント」です。
因みにレインボーカラーは多様性を表すLGBTのシンボリックカラーです。
さらにおさらいしておくと、LGBTというのは、レズビアン(L)、ゲイ(G)、
バイセクシャル(B)、トランスジェンダー(T)などセクシュアリティのことです。
イベントの詳細について、私はそれほど詳しく知っているとは言えませんが、
昨日7日にはパレードが行われました。
私の知り合いの中にもパレードに参加している人たちがいます。
が、世間的にはどのくらいの人がそのイベントを知っているのでしょうか...?


でも、企業にいて、インターナルコミュニケーションや
HRやCSRに関わっている皆さんは、
その状況についてしっかりキャッチアップしておく必要がありますよね。
さらに、経営者はなおさらそこにアンテナを張っておかないと、
時代錯誤な経営になりかねません。


なぜなら、LGBTは特殊な人たちではない.....
これが世界的な認識になっているからです。
電通の調査結果(2015)によるとLGBTの人の割合は7.6%。
左利き、AB型の人と同じくらいの割合だそうです。
GWに我が家に来ていた友人の一人は高校教員ですが、
高校でもトランスジェンダーの生徒の対応で
(たとえばトイレをどうするかなどについて)議論が行われているそうです。
「今まで表に出ていなかったものが、表に出ているだけだ」と彼女は言います。
G7諸国のなかで同性婚、同性パートナーシップに関する法律を制定していないのは、
日本だけ。この遅れ、情報不足→認識不足→関心不足→政治の遅れなんでしょうね。


でも、キャッチアップして先行している企業もあります。
「TOKYO RAINBOW PRIDE(東京レインボープライド)」では、
そうそうたる大手企業が協賛し参加しています。
http://tokyorainbowpride.com
YAHOO!、NTT、アクセンチュア
ソニー、東急電鉄、ビームス
丸井、ジョンソン&ジョンソン、mixi
JT、GAP、LUSH.....他


また、配偶者がいる場合の制度を、
同性のパートナーがいる社員にも拡充した例も、
ゴールドマンサックス、日本IBM、日本マイクロソフト、
第一生命、ソニー、パナソニック、損保ジャパン日本興亜などで見られます。


こうした企業に対し、
特に若い消費者は「進んでいる」と見ますよね。
企業の方も、「遅れていると思われて、採用活動や販売に影響が出ては困る」
という計算もあるでしょうし、
経営の意思として、社員向けメッセージに使っている場合もあることでしょう。


さて、、、
私がここでお伝えしたいことは、LGBTを認めることも大切。
でも、それ以上に重要なのは、
「ダイバーシティ」は誰にとっても関係あるということです。


最近は「ダイバーシティ」という言葉が独り歩きしていますが、
本来は「Diversity & Inclusion」といって、「多様性の受容」を意味します。
「多様性の受容」という発想の中には、当然LGBTも含まれてきますが、
そもそも一人一人の人間は違う人間であり、
それを俯瞰してみたら「なんと、まぁ多様なことか、、、」と。
だからこそ、そこに目を向けてリスペクトし合い、
違いを超えて何かを生み出すことに価値があり、豊かさがある......
そんな考え方が「ダイバーシティ」の本質ではないでしょうか。
と同時に、企業が「ダイバーシティ」を語る場合は
それがグローバル戦略上不可欠だという視点があるのも当然です。
だから、逆にそれが、「会社が言っているだけ」と
思ってしまう状況を生み出している場合もあるかもしれません。


でも、実際には誰にとっても関係があります。
たとえば「多様性」の反対の概念にはどのようなものがあるでしょうか?
「同質性」「均質性」「画一性」という言葉もありますね。
他にも、「和」「集団行動」「あうんの呼吸」等も対極にある言葉かもしれません。
日本社会にある「人と同じように」「人との和を乱さないように」と
対極にある概念が「多様性の受容」です。


私は、「人と同じように」「人との和を乱さないように」という考え方が、
私たちを縛り、人の顔色を伺って、意見を言わない社会をつくっていると思うので、
むしろ人の和を乱すことを恐れずに、
自分の意見や気持ちを出せる人が大勢いる社会になってほしいです。
そして、そうでありながらも、お互いが相手を論破しようとするのではなく、
相互にalignmentを取ろうとするような社会になってほしいです。
それが実現できたとき、なんと自由で豊かな社会であることか!


抑圧から人を解放する、そんなダイバーシティが進んでほしいものです。


さて、今週は新緑を味わいながら、グリーンな気持ちでいきたいですね!
素敵な1週間をお過ごしください。

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4月15日(土)から23日(日)まで、
青山のギャラリーで私の作品を発表する展覧会を個人的に開きました。
個展という形でアウトプットしたら、本当にたくさんのインプットを得たのですが、 
今日はそんな中でもひとつだけ紹介します。
それは、「解決=価値」とは違う世界についてです。

この展覧会について簡単に紹介すると、
人生の出会いと別れをテーマに「流転」と題して行ったもの。
展示した作品は、アクリル絵具で描かれた記号的絵画作品と、
インタラクティブな言葉のパネル作品です。

ただ黙って眺める展覧会ではなく、
自分の人生を重ねたくなるような参加型の構成に特徴がありました。
観て、想像して、選んで、読んで、書いて、、、
テーマは少し重いですが、心と体を使って感じてもらうことを目指した、
そんな内容です。

来てくださった方たちは、自分の人生を通して作品を解釈したり、
感情移入をしたり、自分の心を観察する...ということをしてくれたわけですが、
その結果、感想のコメントに現れてきたのは、様々な「視点」でした。
人の感性はなんと豊かなんだろうと感じましたし、
その裏側には十人十色の人生があるということを痛感しました。
個人個人の現在の状況も様々だし、そこまでの道のりも実に多様です。
そして、人生が違えば、見方や感じ方も違って当然です。
まさにダイバーシティの本質がここにあると感じました。


もう少し具体的にお伝えしますね。

たとえば、21枚の絵で構成され、
ひとつのストーリーになっているペインティング作品があったのですが、
その話を自分の過去と現在に照らして観る人もいれば、
息子に起きた別れ話や、両親の関係に思いを馳せて観る人もいました。

また、「別れ」という概念の捉え方も人によって千差万別。
大半の人は、実在する誰かと自分が体験した別れと捉えましたが、
自分自身との決別と捉える人や
この先の未来に訪れる別れを思い描く人もいました。
さらに、スピリチュアルな存在を感じながらも
切り離されている状態を別れと捉える人も。

一方で、そこまで葛藤したり、負の感情を味わったことはない、とか、
自分は感情をないがしろにしていたのかもしれないとか、
忘れていた感情を思い出したとか、
自分の感情に「フタをしがち」だったなどの感想も多く聞かれました。

それらの感想を含め、
観る人が、それぞれの視点で観てくれたのがとてもうれしかったですし、
人の感性の豊かさに触れた思いがします。


視点の多様性に驚いたと同時に、
総じて言える共通点もありました。
それは、来た方の多くが何かしら感じ入ってくれた、ということです。
我田引水の面も多少あるかもしれません。
でも、涙を流す人が何人もいたり、次のような感想をいただいているので、
まんざら勘違いというわけでもないと思います。
(許可を得て掲載しますね)
ーーーーーー
私は、亡くなった父、生まれてこなかった子との別れを
しっかり味わう時間となりました。
こんなにたくさん泣いた個展は初めて。
グリーフセラピー的な個展でした。
ーーーーーー


この話、別に自慢したくて書いているのではありません。
私がこの事から気づいたのは、
この展覧会が参加者にもたらしたのは「解決」ではない、
けれども「解決」という価値以外の世界にも、
何かしら意味があるようだ...ということです。

とかくビジネスの世界で生きていると、
ソリューションを提供することこそ価値だと思い、
それ以外の価値に鈍感になりがちです。

でも、今回のような世界にも実は価値があるのかも...と
そんな気持ちになりました。
なぜなら、ビジネスといったって、所詮人間社会だからです。
それはいったいどんな価値なのでしょう?
癒し?
内省?
対話?
自浄?

どんな言葉がふさわしいのか、私自身よくわかりませんが、
心や感情の取り扱いに関することであることだけは確かです。

だから「ビジネスとはいえ、解決がすべてではない」。
解決最優先でいると、道を間違えるかもな...ということ。
それが今回得た大きな気づきです。

ご来場いただいた皆さま、
ここまで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。

まもなくゴールデンウィークですね。
素敵な1週間でありますように!


個展の模様(「流転〜WOOとMOOの場合」ほか)
言葉の作品「COMMAND」のpdf(展示したパネルとはサイズや比率が異なります)

170410_表現の自由.jpg


週末は不安定なお天気でしたが、桜が見頃でしたね。
私は土曜日、友人宅に招かれ、千鳥ヶ淵の桜を満喫してきました。
桜の名所はあちこちありますが、やっぱり千鳥ヶ淵は圧巻ですね。
そして、なんとなく日本人としてのアイデンティティを再確認させられました。


さて今日は、「表現の自由」について考えたいと思います。
と、なぜか今日は大上段に第一声を挙げてみました(笑


私たちは「表現の自由」という憲法で定められた基本的な権利があるのに、
その権利を十分使っているでしょうか?
この権利、日頃あまり考えませんし、あって当然だ...というぐらいにしか、
普段は考えませんよね。
かくいう私もその一人です。


だからなのかな、
今週末から個人的に個展を開くのですが、
それに対する人の反応を見ていると、
「表現の自由」を奪っているのは、
もしかしたら私たち自身なのではないか?と
ふとそんなことを感じました。
ですので、今日は、憲法的かつ権利的な意味からではなく、
表現する自由について、私たち自身の心の面から考えてみたいと思います。


「表現の自由」は日本国憲法第3章第21条に定められています。
WIKIペディアを引用すると、
  すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利[1]。
  外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由[2]
なんですね。基本的人権でもあります。


政治的権力から不当に制限されやすい人権だからこそ、
守られるべきである権利であり、
また人々の見解はそれぞれに違って当然で、
自由に発表できるからこそ違う意見を知ることができ、
それが民主主義にとって重要である...
というような意味づけもあるようですね。


ま、こんなふうに言われても、日常生活には何の関係もない...
というのが、多くの人の感覚です。
ですが、せっかく持っているこの「表現の自由」という権利、
それに対する感覚は私たちの中で養われているでしょうか?


私は権力的なものがもたらす影響もあるとは思いますが、
それ以前にまずは日常における自分たちのスタンスも大きいと思います。


「表現の自由」という以上、まず自分に対して、
「〜であらねばならない」という思い込みから逃れる必要がありますよね。
でも、多くの場合、そんな思い込みばかりではないでしょうか?
そう思っている限り、「表現の自由」という権利は
生かされにくいのではないでしょうか。


たとえば今回の私のように、個展を開くということを例に挙げるなら、
それについて、多くの人にはこんな思い込みがあると感じました。


・個展を開くなら、高い技術の作品でなくてはならない。
・個展を開くなら、お金を払ってギャラリーを借りなくてはならない。
・個展を開くなら、見る人にとって価値ある作品でなくてはならない。
・個展を開くるなら、ある程度まとまった作品数がなくてはならない。


私は、どれも思い込みだと思います。


高い技術の作品であるべきなのは、なぜですか?
技術が高い作品は、誰にとっていい作品でしょうか?
ギャラリーを借りなくても、ネットの時代、発表は可能ですよね?
見る人にとっての価値とはなんでしょう?
マーケットインでアート作品を作って楽しいですか?


個展を例にしましたが、
「表現の自由」というのは、絵画作品の制作&発表というシーンに限りません。


社内会議でちょっとした意見が求められて、なんと答えるか、
そこでも「表現の自由」という権利があり、
どう立ち振る舞うかの判断と実行があります。
私たちの中に、こんな思い込みはないでしょうか?


・会議で発言するなら、他の人が賛同する意見でなくてはならない。
・会議で発言するなら、意見は理路整然と述べなくてはならない。
・会議で発言するなら、自分を含め、誰かの対面を守らなくてはならない。


表現には自由があるのですから、
「〜でなければならない」と思う時点で、
権利と反対方向、言い換えれば権力側に向かっていると思います。
しかもそれ、あなただけの思い込みではなく、
周りの人も含めて、みんなで思い込んでいる場合もあるかもしれませんね。


でも実際には、
「こんなことを言ったら、波風が立ってまずいかな...」とか、、、
こんな心理が働いてしまうこと、ありますよね。
でも、、、
このスタンスでは「表現の自由」を満喫しているとは言えませんよね。


私が「表現の自由」というコンセプトにおいて、
大切だと思うのは2点です。
(その1)周囲目線ではなく、常に主語が自分であり続けること。
(その2)(アタマ)「〜であらねばならない」ではなく
     (ココロ)「〜が楽しいからやりたい」であること。


「〜が楽しいからやりたい」という軸でやってみた時に、
もしかしたら周りの人から批判を受けるかもしれません。
でも、人は誰かから評価されるために生きているわけではない、
それが基本的人権の考え方にあると思います。
だから、ちょっとやそっとの批判や評価に負けてはいけないんですね。


「自分は果たして『表現の自由』という権利を満喫しているだろうか?」
まずは、そんなことのセルフチェックをかけてみたいものですね。
今週もいい1週間をお過ごしください!

170403_価値観は思い込み.jpg

先日、当社の社外取締役である川添香さんと食事をし、
とても良いインプットを得ました。
川添さんはシステムコーチングといって、
組織の関係をより良くするコーチングのプロフェッショナルでもあり、
エグゼクティブコーチでもあります。
グラスルーツはコーチングという手法とは異なりますが、
組織の中にある感情的な「問題」を取り出して、
議論の場をファシリテートし、施策に落とし込むという意味で、
川添さんと共通点のある仕事をしています。


そんな二人が食事をする中で、上司と部下の関係において、
あるいは上司が部下を成長支援するという関係において、
起きやすい問題について話題が及びました。


大きな組織といえども、小さなグループの集合体ですから、
個々の関係で起きていることが、結局組織のあちこちで起きて、
それが組織全体の問題になったりしますよね。



で、よくぶつかりあうことの一つが、「価値観」です。
「価値観」は、人それぞれが大切にしていることであり、
それを会社や上司から「変えろ」と言われるのは、
言われた方からすると言語道断ではないでしょうか。
しかも、そこに社会人としての常識やら何やらが重なって、
状況はもっとややっこしい。
「会社の飲み会には出たくない」という部下。
「仕事が終わっていないのに、用事があるからって帰るわけ?」という上司。
コミュニケーションの問題である場合もあるでしょうが、
「価値観」のぶつかりあいである場合も多い。


当たり前のことですが、「価値観」には
良い価値観、悪い価値観ってないんですよね。
だからこそ、「価値観」を巡って上司が部下に
「それは、おかしい」と表現すると大抵は反発されます。


しかし、「おかしい」という表現は良くないまでも、
上司も伊達に歳を取り、経験を積んだわけではないので、
「そのままその発想を続けていくと、成長できないんじゃないかな...」
と思うからこそ、何か部下に対して助言したいわけです。
でも、一つ間違えると、相手は価値観を否定されたと感じてしまい、
伝えたかったことが伝わらない。。。。
こんなシーン、実はあなたの周りでもよくあるのではないでしょうか。


川添さんが一刀両断に言った一言が、私には新鮮でした。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」。


いや、実際そうですよね。
これは、上司も部下も、誰の価値観もそうです。
私自身が大切にしている価値観も含めてです。
結局、それってみーんな思い込みなんですね。

ある経験をして、あることを感じ取り、それを信じる。
その上に、また経験を重ねて、それを強固にしていく。
そうやって出来上がっていくのが「価値観」です。
だから、まさしく「価値観」=「思い込み」ですね。


そう思ってしまえば、何のことはないのですが、、、、
「価値観」に性格的なことが絡むと、さらに厄介です。
慎重な部下と、自由闊達な上司という組み合わせを想像してみてください。
これは、性格とも言えますが、価値観でもあります。
実は、昨日、友人の経営者がそんな会話をしていました。
その話はまた別の機会にするとして、、、



「価値観」=「思い込み」だと思ってみると、
自分が何をどう思い込んでいるのか、セルフチェックができます。
たとえば私は、人生は短いのだから、やりたいと思ったことを、
とっとと決めて、とっとと試してみて、楽しいかどうかを判断し、
楽しければ続行、楽しくないなら次に行こ!...
という価値観(思い込み)が働きがちです。
つべこべ言っていると、人生はあっという間に終わっちゃうよ!というような。
私のこの価値観には、何かをスピーディに達成したいという願望が根底にあります。
でも、何かを達成しなくても意味のあることはありますよね。
何かを達成しないと人生の意味がないと思う「思い込み」は
どこかで自分を限定しているとも言えます。
自分を拡げるには、その「思い込み」が邪魔をしている可能性があることを
知っておく必要があります。


今のは私の例ですが、そんな思い込みは多分あなたにもある。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」
川添さんの一言、これを聞いて、あなたはどう思いますか?


せっかくなので、川添さんのメルマガを紹介します。
え?こんなことまで無料で教えてくれちゃうの?
...と思うくらい、豊富な知識をわかりやすく提供してくれます。
たまーにM社長として登場するのが私です(笑
ご興味があればぜひ! 私は、ほぼ毎号おもしろく読んでいます。
http://www.reservestock.jp/subscribe/58493


さて、今週はお花見シーズン。
桜。平均寿命からして男性80回、女性87回しか見られません。
(赤ちゃんのときは見た自覚がないから、もっと少ない)
だからこそ、イマココで味わうことが大切だなと思う今日この頃です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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