『コミュニケーション』カテゴリの記事
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プリンシプルの時代...?

先日のNHKクローズアップ現代で、
少女は自殺してしまったのに、学校も市の教育委員会も、
いじめがあったことをなかなか認めません。
あまりの腐り方に、怒りが湧いてたまりませんでしたが、
でも、これは日本社会の写し鏡なのかもしれません。
話は飛びますが、田村由美さんの人気コミック「
私は大好きなのですが、超インテリの主人公「久能整(
毎回「僕は常々思ってるんですが...」という言い回しで、
とつとつと持論を語るシーンがあります。
で、ある回でいじめについてこんなことを言うんですね。
~ 僕は常々思ってるんですが...
どうして
いじめられてる方が
逃げなきゃならないんでしょう?
欧米の一部では
いじめてる方を
病んでると判断するそうです
いじめなきゃいられないほど
病んでいる
だから
隔離してカウンセリングを
受けさせて
癒すべきと考える
日本では逆です
いじめられてる子を
なんとかケアしよう
カウンセリングを受けさせよう ~
ね、いいこと言うんですよ、彼!
日本の教育関係者が、いじめている側に目を向けないのは、
NHKクローズアップ現代で取り上げられた学校側の言い分もそう
「いじめている子どもにも未来がある」という理屈です。
彼らの未来を台無しにできない、と。
でも、それは言葉の綾であって、誰が聞いてもただの保身。
で、私は常々思ってるんですが...笑
結局、是と非を曖昧にしてきたツケが
日本社会のいろんなところに出ているんじゃないかな、と。
いろいろな場で、大人が、是は是、非は非という態度を取らず、
事を荒立てないことを第一に考えて行動するから、
いじめもなくならない。
コロナも説明されず総括もされない。
大人の代表には、政治家や教育関係者、マスコミがいますが、
彼らが悪いと叫ぶのは簡単で、
日本人が物事を曖昧にする傾向は、
正解がわかりません。
ただ、ふと白洲次郎が書いた「プリンシプルのない日本」という
本のタイトルが思い出されました。
ということは、少なくてもGHQと交渉していた時代に、
すでに自分の主義を表明しようとしない国民性であったのかもしれ
当時のエピソードとして、
サンフランシスコ講和会議に出向いた吉田茂のスピーチ原稿に、
白洲次郎が激怒し、書き直させた話は有名です。
~ 受諾演説の原稿を外務省の役人がGHQの了解を得た上で
GHQに対する美辞麗句を並べかつ英語で書いたことに白洲が激怒、
「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。
その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、
相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」と一喝、急遽日本語に書き直した。~
とあります。
「プリンシプルのない日本」の中で、白洲次郎は、
「他力本願」「八方美人」「イエスマン」
あのカッコいいおじさんに言われると、耳が痛いですね。
でも、
なぜかといえば、先日の衆議院選挙で、「是々非々」を打ち出した
日本維新の会と国民民主党が躍進しましたからね。
いや、まずは他力本願にならず、私たち自身が
仕事でもプライベートでも、是と非を明確にしたいものです。
ふんわり派? パッキリ派?

今日は、仕事の進め方や人との接触の仕方によって、
「ふんわり派」と「パッキリ派」がいる...と仮定して、
人の価値観や、
「ふんわり派」というのは、関係者との間で、
少し遊び(曖昧さ)を持たせることで、
「パッキリ派」というのは、取り決めを含め、
差が生じてきたら、その差を協議することで、
こう捉えた時、あなたはどちらのタイプになるでしょう?
私自身は、多分パッキリ派です。
今、これを話題にしているのは、
どちらが良いとか、悪いとかではなく、
どちらも他方から学べると思うからです。
たとえば進行表(案件スケジュール)の作り方。
期間を示すことを大切にする人と、
期間を示すというのは、ここからここの期間で、
期日を示すというのは、
実際には、その掛け合わせもありますが、
どちらの思考がより強いか、そこにその人らしさが出ます。
以前、期間でスケジュール表を作るある人とこの話をしていたら、
なぜ期間を示す方が好きなのか、理由を話してくれました。
それは、この期間のどこで終わらせるか、
なのだそうです。
相手がいて、頼み事をする場合も、日付を明瞭にするよりも、
「この辺りまでにお願いしたい」と頼む方が言いやすいそうです。
事実上、その期間の最終日が締め切り日なわけですが、
そこにフォーカスしないのは、
お互いのために、
私自身は期間ではなく、日付のみならず時間まで決めたい方です(
たとえば、時間的余裕が少ない案件で、
10時にいただくのと、17時にいただくのとでは、
フレキシビリティは必要ですが、調整をし直すためにも、
なるべく時間の情報は明確にしたいです。
まあ、そうは言っても、いただく時は明瞭にし、
などということも、時にはありますが(汗)
つまり、話を戻すと、
期日を示す人はパッキリ派ということになります。
では、「ふんわり派」と「パッキリ派」
私の推測では、「強引さ」や「思いやり」
言い換えると、「こうするのは強引だ」「
目盛りが両者の間では異なっているのではないか、
だから、誰かに急ぎのお願いをする時に、
ふんわり派は時間を提示することは一方的で強引だと思い、
「なるべく急いでお願いしたいのですが、
パッキリ派は時間がはっきりする方がお互いに気を揉まなくて良い
「急いでいるので、可能なら◯
と言う。
つまり、ふんわり派は下手に出て事を運ぶ方が、
パッキリ派は明快かつ対等な関係で事を運ぶ方が、
あくまで推測ですが、そんなような思考・
パッキリ派の私は、パッキリしている方が好きですが、
でも、ふんわりにはパッキリにはない効能があります。
なので、ふんわりスキルも身につけられたらいいなと思います。
ふんわり派のスキルといえば、下手に出ること。
実は、こちらから下手に出るという行動は、
たとえば、お願いごとを巡って、ハーバード大学のエレン・
こんな面白い実験結果を得ています。
コピー機に並ぶ列に割り込むために、
第1は、理由を述べず「すみません、5枚なんですけど、
とだけ言うもの。
割り込める確率は60%でした。
第2は、「すみません、5枚なんですけど、
先に取らせてください」と、
成功率は、94%でした。 興味深いのは、第3の反応です。「すみません、
コピーをしないといけないので、先に取らせてください」と、
理由とも言えない理由らしきものを言ったら、どうなったか。
なんと93%が割り込ませてもらえたそうです。
英語だから、第2、第3は「Because...」
人は、その理由が何であれ、
下手に出たものと受け止め、
「それなら聞いてやろう」と本能的に反応するもののようです。
反対に、理由を述べられないと、
やりすぎない方がいいというのが私の考えです。
「お忙しいのに、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
これでは、
「重要な事だから協力してほしい、ぜひ貢献してください」
と言われた方が気分がいいですよね。
ついに11月に突入し、コロナ、落ち着いてきましたね。
まだ気を抜かず、でも元気に大らかに過ごしましょう!
社内で雑談してますか?

リモートワークも日常になり、コミュニケーションのあり方も、
徐々にスタイルが確立されてきたのではないでしょうか。
そんな中で、雑談のあり方は、どんなふうになっていますか?
雑談への捉え方は、
一つは、自分のペースを乱されて、集中できない「無駄な時間」
もう一つは、誰かと親しくなったり、刺激を受けたり、
「プラスの時間」という捉え方。
さらに、3つ目を挙げるなら、
私自身は、2つ目の「プラスの時間」という捉え方をしています。
その第1の意味は、
まず、雑談である/ないに関わらず、
話しかけやすいとか、話しかけると聞いてくれるとか、
上に立つ自分はそうありたいので、雑談によって邪魔された
という見方をするような自分でありたくないですし、
言い換えれば、雑談する時間は関係を育む時間だと思っています。
加えて、雑談はクリエイティブの温床であり、
成長の温床だと思っている、というのもあります。
雑談は、余白という意味での「あそび」の部分。
1日が、きっちり息の詰まるような時間ばかりだったら、
新しい発想なんて生まれてこないと思っています。
人って、他の人の発した言葉や取った動作などから、
たくさん学習しています。
出勤している日ほど、たくさん雑談をした方がいい、
そんなふうに考えています。
でも、これは、忙しい時に雑談したら、
という体験があればこそ。そういった体験がなかったら、
やっぱり「この忙しい時に雑談? 意味わかんなーい」と思っているでしょう。
雑談派の私が、雑談のメリットを列挙すると、
なーんか、押しつけがましいですよね。
でも、ひるまずにやってしまいますよ! お付き合いください(笑
あ、でも、その前に、そもそも「職場での雑談」ってなに?
という話があります。
世の中には「目的を設定しないおしゃべり」
ここでは「無目的に自分らしさを出し、
捉えることにします。
そうだとして、そのメリットは何か?
自分らしく話し、相手のその人らしさに触れることができる結果、
・距離が縮まり、人間関係が良くなる(
・相手が喜ぶことがわかり、機会があったら、
・気軽に思いつきを話せる関係となる結果、
・自分が知らない相手の知識について「教えて」と言えて、
・本音を話すことで、自分の中の閉塞感を手放せ、
・近い環境にあることから、孤独にならず、仲間意識が持てる。
まあ、そんな感じでしょうか。
当社は、大企業の課とかグループぐらいの人数で、
毎日、定例ミーティングを行っています。
で、始まりは、
毎回、進行役がお題を出します。
それは、言ってみればどうでもいいことだらけ。たとえば...
・高校時代に戻って、部活をやるなら、何をしたいか?
・子ども時代の自由研究で何をしたか?
・涼しくなってきたらか、始めたいことややりたいことは?
使っている時間は毎回15分ぐらいでしょうか。
日によっては、業務連絡がなく、
しかし、毎日、一言でもそういう言葉を発すると、
お互いに、その人らしさがわかるようになりますし、
会社でプライベートの話もしていいのだという暗黙の合意が生まれ
と、同時に、一見すると非生産的な時間であっても、
それを大切にする会社なんだという価値観も共有できます。
雑談の良い点ばかり、書いてしまいました。
いつかは雑談の注意点も書かないといけませんね。
なぜなら、私は時々ひんしゅくを買っているから(泣笑
さ、涼しくなってきました。
気温の変化に注意して、元気に参りましょう! ありがとうございました。
考える道筋は、人それぞれ!

今日のテーマは、「理解」や「思考」
一般的に「多様性」というと、
本当は、そこはメインじゃないですよね。
そんな話題をお届けします。
が、その前に、、、、
パラリンピックが始まりましたね。
以前にも増して、パラ選手に対する「かっこいい」「すごい」
高まっているのが、今回の大会ではないでしょうか。
選手たちのインタビューを見ていて思ったのは、
自分と違う立場にある人たちに関心を持つことの大切さです。
国際パラリンピック委員会(IPC)は、
「WeThe15」というキャンペーンを始めました。
世界人口の約15%
だからこそ、障害者が日常的に直面する障壁と差別に対し、
今後10年間で変化を起こそうと、
知りませんでした。
15%とは...。6人に一人です。
考えてみれば、法律的な区分はさておき、
色弱/色覚異常の人は男性の5%ですし、
高齢者の認知症を加えると、15%
で、自分は85%の側にいるのかといえば、
見ようによっては、そんなことはありません。
他の人ができるのに、自分にはできないことがたくさんあります。
たとえば、私、日常生活に困るほどではないですけど、
固有名詞を覚えるのは、かなり苦手です(汗)
障害という観点ではなくても(たとえば価値観などでも)、
自分にはマイノリティーの一面がある、というのは、
誰もが当てはまることではないでしょうか。
そして、今日の本題。
1行目に書いた理解の仕方や思考の仕方は、
という話、誰もがお互い認識しておいた方がいいかもしれません。
私自身は、体験的に学んだことです。
たとえば、ブレストして結論を出すような状況で、
私は、自分の思考方法がマイナーだとしばしば感じます。
私は、発散、発散、発散と発散型で考え、
多くの人は、そこそこ発散させたら、
結論に向けて積み上げる部分をじっくり考えたいと思っているよう
私と彼ら。
何が違うかというと、まず単純に、自分にとって気持ちのいい、
発散と収束にかける時間配分の感覚が違い、
私の場合、ブレストでの発散時間は長い方なので、
多くの人は「これ、終わるの?」と不安を感じるようです(笑)
まあ、そりゃ、そうですよね。
発散というのは、
で、ある時ある人から、こんなことを言われました。
寺と教会というのは、建築思想が違っていて、
何からどう組み立てるかも違うらしいが、
私たちはそのくらい思考の組み立て方が違うね、と。
寺と教会の建築思想を例にしても、
日本庭園と西洋庭園の比較ならもう少し伝わるかもしれません。
日本庭園では、自然の石や樹木によって、
西洋庭園では意図的に幾何学的かつシンメトリーな美を求めます。
生理的に「気持ちのいい」まとめ方、進め方が違うわけです。
これは、日本と西洋の発想の違いの話ですが、
思考の組み立て方が違うというのは、そんなことなのかな。
ということは、自分にとって気持ちのいい、あるいは当たり前の、
思考方法を前提にコミュニケーションしては、
まあ、そこが難しいんですが。
考える道筋。
人それぞれ違うのは当たり前ですね。
あなたの周りでは、最近、どんなことがありましたか?
あ、9月です! 年内あと4カ月。
4月が期首の場合は、上期の最後の1カ月ですね。
今月も、元気に行きましょう!
陸上男子400mリレーから「なぜなぜ思考」再考

何だかんだといろんな声がある中で始まったオリンピック。
終わりましたね。
選手たちのがんばりに感動をもらったり、
なぜ、ここでそんなことが起きるのか?
私がショックを受けたのは、体操内村選手の落下と、
男子400mリレーのバトンミスです。
特にリレー。
1走の多田選手のバトンが、2走の 山縣選手に渡らなかったのを観て、
テレビの視聴者も茫然としたと思いますが、
何よりも終わった直後のメンバーの心中は察するに余りあります。
平たく言えば、二人の間で起きてしまった悲劇的なミスです。
下世話な話になりますが、内心お互いをどう思ったのか、
桐生選手は「誰も悪くない」と言いましたが、
お互いに「自分は悪くない、相手が悪い」
気になりました。
けれど、チームスポーツで、
できるものなら組みたくないかも。
自責他責という言葉がありますが、
責任が自分にあるのか、他にあるかという意味だから
「責」という文字が入っているのでしょう。
自分自身で、
自責の念を抱いている時に、
「あなたの責任だ」と言われるのはあまりいい気持ちがしません。
ミスが起きた時、原因を追求し、
トヨタの「なぜなぜ5回」などは、
多くの人がご存知なのではないでしょうか。
しかし、なぜなぜ5回は一歩間違えると「原因探し」ではなく、
「犯人探し」のようになる、とはよく言われること。
うー 気をつけないと... (あ、三点リーダーだ!笑)
誰のミスかが明らかな時に、
人は「なぜ?」と聞かれたら、
反発を感じると言われていますね。
じゃあ、どうするかと言うと、「なぜ?」
「どうすれば?」。
「どうすれば?」を考えようとすると、
自ずと「なぜ」も考えるからでしょう。
うー これも、知識としてわかっていても、
やってしまいそうです。
「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」
「なぜ?」を「どうすれば?」に変えると同時に、
主語を変えるといい、という話もあります。
「あなた」「私」「ミス(事柄)」を主語に、
「なぜ?」「どうすれば?」の疑問文、読み比べてみましょう。
まず、「なぜ」から。
・なぜ、あなたはこのミスをしてしまったんだろう?
→確かに、原因探究というより、
・なぜ、私は彼がミスしないようにできなかったのか?
→「そこまで自責にならなくても、いいよ、ドンマイ」
・なぜ、このミスは起きてしまったんだろう?
→上の2つより、原因探求のニュアンスが強くなります。
今度は、「どうすれば」。
・どうすれば、あなたはこのミスをしなかったと思う?
→「なぜ」よりはマシですが、「当事者はあなた」
・どうすれば、私は彼のミスを防げたのか?
→ポジティブな「自責感」が感じられます。
・どうすれば、このミスは防げるだろう?
→コトを叱って、ヒトを叱らず。
たかが疑問詞、たかが主語ですが、
伝わるニュアンスはだいぶ違いますね。
さて、、、8月も中盤です。
夏バテの方も多いのではないでしょうか。
暑さも空調も辛いですが、気持ちだけは元気にいきましょう!
メンタルが9割

すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。
そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、
コロナによる1年延期はもちろんですが、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、
私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。
さらに競技の当日のメンタルが、
改めて痛感します。
たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」
テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。
スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。
私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。
しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、
つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。
そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、
きっと、
ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、
さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。
その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「
せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?
レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)
その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。
- こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・
体操) - 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
- 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(
桃田賢斗・バドミントン)
その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力
- 持っている力を100%出し切ることができれば、
夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上) - やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(
羽生結弦・フィギュアスケート)
その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。
- どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
- 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・
水球)
その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力
- 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
- 内村さんから電話をもらった。
ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫? 気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』 という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)
その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。
- 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。
けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ ソフトボール) - 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)
最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないよう
私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?
さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!
協調性って、人と和することではない?

桜がきれいですね~ 今週は4月に突入。
新入社員を迎える組織も多いのではないでしょうか。
直近のデータではありませんが、
経団連調査(2018年11月発表)によると、
企業が新卒社員の選考で重視する要素のランキングは
「コミュニケーション能力」が8割で第1位。
2位が「主体性」、3位が「チャレンジ精神」、4位が「協調性」と続きます。
この傾向自体には特に違和感を覚えませんが、
大切なことは、それぞれの言葉をどう定義づけているかですよね。
各社間でも、企業と求職者の間でも幅がありそうな感じがするのが、
「コミュニケーション能力」と「協調性」という言葉です。
そこで、今日はそのうちの「協調性」というものについて考えてみたいと思います。
私が、生まれて初めて「協調性」なる言葉と出会ったのは、
小学校1年生の時でした。
通信簿の通信欄に「協調性があって大変良い」というようなコメントが書かれてあり、
文字は読めないし、これはどういう意味なのか、母に尋ねました。
その時、母がどう答えたのか、うる覚えではありますが、
「お友だちと仲良くやって行けている、ということよ」というように
説明されて納得したような記憶があります。
この機会に改めて「協調性」を辞書で調べてみました。
デジタル大辞泉(小学館)によると、
「協調」とは、「(スル)互いに協力し合うこと。
特に、利害や立場などの異なるものどうしが協力し合うこと。」だそう。
そのような性質を持っている人が、協調性のある人と理解して良さそうです。
ふむふむ。母の説明とはちょっと違いますね。
私自身、調べてみて、そういうニュアンスなんだと知ったのですが、
もしかしたら、割と多くの人が「協調性」の意味を、
私の母の説明のように「人と和する」「人に同調する」「人と足並みを揃える」
と捉えているかもしれません。
では、企業が求める「協調性」のある人材というのは、どんな人材なのでしょう?
特に、これといった確証は見つかりませんでしたが、
デジタル大辞泉の意味に近いのではないでしょうか?
利害や立場が違っても、議論して、収束点を見つけ出し、
最終的には協力し合っていける人材。
つまり、馴れ合いの和ではなく、
切磋琢磨による和をもたらす人材と言えるかもしれません。
仮定に仮定を重ねるのもなんですが(笑
だとしたら、採用面接時や入社後などに、
人と調和して和を乱さないことをアピールをしても、
ダメだということですよね。
さて、「協調性」が重んじられながら、その意味に誤解もあるとしたら、
心配なのは、社会の中で次のような連鎖が起きてしまっているのではないか、
ということです。
「協調性があるのはいいこと」
↓
「和を大切にして、波風立てないことがいいこと」
↓
「空気を読んで、意見を言う/言わないを判断することがいいこと」
↓
「軽々に意見を言うと空気を読まない人と評価されるかもしれないので、
意見を言って損しないようにすることがいいこと」
これはあくまで仮説ですが、あなたはどう思いますか?
実際、発言することに抵抗がある人はどのくらいいるのでしょうか?
2019年、ニュースサイト「しらべぇ」が
相手を選ばず意見をはっきり言える人の割合を調査しています。
それによると、全体の31.2%が
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」と回答したそうです。
逆に言うと、7割近い人は、はっきり言わないということですね。
意見は意思表示のひとつだと考えると、
グローバル化が進んでいく中で、意見を言わない人が多い状況は少々心配です。
世代別男女別で見た場合、まず男性は?
「はっきりと言う」割合が高いのは10代で、42.0%。
反対に低いのは、20代で、26.9%です。
10代と20代の間の、このギャップの意味を知りたいものです。
女性で「はっきりと言う」割合が高いのは60代で、40.3%。
低いのは30代で、19.9%です。
30代の女性たちはアッチにもコッチにも気を使っているのでしょうか?
職場で「意見」「発言」を世代や立場に関係なく、
言って良い/悪いは、まさに暗黙知。
企業の価値観と、それによって生まれているカルチャーによりますね。
協調性について、あるいは、
「相手が誰であろうと自分の意見をはっきりと言う」ことについて、
あなたはどう思いますか?
他人事ではない、森さんの問題

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。
さて、今日の本題は「偏見」についてです。
森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。
今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。
別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。
話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。
今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。
では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。
なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。
こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。
私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。
コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?
来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。
ポーズはバレる〜その謝罪ってどうよ!?
先日Twitterで「うちの会社は女性の比率が高くて、
『女性が活躍しやすい会社』であることを打ち出して採用活動をしているけれど、
管理職は男性ばかりで、結局ポーズにすぎない」
というような内容のつぶやきを目にしました。
ここでいう「ポーズ」というのは、写真を撮るときのポーズではなく、
見せかけの態度のことですよね。
言い換えると欺瞞的な態度だともいえますし、
自分/自社の行動や態度をよく見えるようにアピールする行為だとも言えます。
そう考えると、「ポーズ」だったとしても、
全部が全部悪いわけではありませんよね。
私も、時には「ポーズ」を取っているような気がします。
特に、アピール系。。。苦笑
で、少しだけ感度を高めて眺めてみると、
ポーズにすぎない振る舞いというのは、しばしば見かけます。
もっとも多いのは「謝罪」の時ではないでしょうか。
春頃、ある教育研修サービスを提供している会社の営業の人に、
私はクレームを言いました。
緊急事態宣言の最中、強引な営業をされたからです。
プログラム自体は良いものだと思っていましたが、
「環境変化の時期なので、こちらの気持ちになってほしい」と。
そうしたら言われたお詫びが、
「不快な気持ちにさせてしまって、申し訳ありませんでした」でした。
このお詫びの言い回し、とてもよく耳にしますし、
正しいお詫びの仕方として、専門家などからも紹介されています。
でも、個人的な感覚で言わせていただくなら、
この言い回しって謝罪にはなっていないと思うんですね。
あなたは、この表現にどう感じますか?
私が感じる違和感がどこにあるかというと、、、
この謝罪の意味は、
そういうつもりではなかったのですが、
私の言葉によって不快に思われたのであればお詫びします、
という意味だと思います。
言い換えると、不快に思われなかったなら、
謝らないよと言っているようなものです。
自分がとった行動とまったく向き合わずに、形式だけお詫びしているような感じ、
つまり「ポーズ」にしか思えなくて、違和感を感じてしまいました。
そうすると、ますます不愉快な気持ちになったりします。
私が言われたかったことは、
「あなたの気持ちを考えず、自分の都合で勧めてしまい、ごめんなさい」とか、
「私はあなたのことを考えて勧めたつもりでしたが、
ご意向に合っていないなら、適切な提案ではなかったと思います」です。
自分の非を認めて謝っていただくか、
謝らないまでも非を認めるというスタンスがあれば、私は納得できました。
さて、政治家を含め、なぜ多くのシーンで
「不快な気持ちにさせてしまって、申し訳ありませんでした」とか、
「誤解を招いたなら、お詫び申し上げます」が
使われているのでしょうか。
正解はわかりませんが、その理由として2つの可能性を感じます。
その1。クレーム対応的な発想で謝罪しているため。
ある教育研修会社のサイトのコラムで、適切な謝罪の仕方として、
こんなことが書かれていました。
「相手に不快な思いをさせたということに対してのみ謝ると良いです。
自分に非があることとないことの区別をしっかりつけることが大切になるからです」
モンスターからのクレームにさらされるうちに、
防衛的な謝り方が標準になってきたのかもしれません。
でも、モンスターではない私のような人間はむしろ不満が増すのですけど...。
その2。「迷惑をかけるな」という教育が影響しているため。
昔は、「悪いことをしてはいけない」という教えの方が強かったと思いますが、
今は「周りに迷惑をかけてはいけない」という教え方なのではないでしょうか。
子どもが公共の場で暴れているときに、
「おじちゃん(側にいた他人)に怒られるよ」と言ってしまい、
「なぜ、これが悪いことか分かるか?」という教え方が
されなくなっているからなんじゃないかなぁ。
まあ、両方ともあくまで推測にすぎませんが。
いずれにしても、ポーズの謝罪って、おもしろいほどにバレバレですよね。
なので、人のフリ見て我がフリを直さなければ。。。。
また、謝罪であれ、謝罪でない場合であれ、
リーダーや広報が、思っていないことをポーズとして語っても、
すぐにバレます。
本当の本音を実直に語るって、やっぱり大事ですよね。
今週も素敵な1週間でありますように!
求めるのはどんな「強さ」?
先週6日、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を兄と共に率い、
ギタープレーで人々を魅了した、
エドワード・ヴァン・ヘイレン氏が亡くなりました。
彼のことを知らなくても、マイケル・ジャクソンの「Beat It」の
ギターソロを思い出せる人は多いのではないでしょうか。
私自身も、バンド「ヴァン・ヘイレン」については、
ヒット曲「Jump」とか、「You Really Got Me」ぐらいしか知りませんが、
彼らに限らず、ロックをこよなく愛します。
ロックのどこが好きなのかを考えてみたのですが、、、、
多分私は、ロックスピリットのコアにあるものを「意思の強さ」と捉えていて、
音楽的なこともさることながら、そういった精神性が好きなんですね。
だから、「なあなあ」なロックバンドとか、
ぶつかることを恐れてしまうロックバンドってありえない(笑)
さて、今、「意思の強さ」と書きました。
どんな強さかはともかく、あなたは自分に「強さ」を求めますか?
求めるとしたら、どんな「強さ」ですか?
自分が憧れる「強さ」を何かに例えると、どんなものになりますか?
私は、多くの人は、その人なりの価値観から、
何かしらの強さを自分に求めていると思いますし、
実際に何かしらの強さが人にはあるのだと思います。
でも、「強さ」にもいろいろなタイプがあります。
たとえば、、、
何があっても動じないハガネのような強さ
柳のようにしなやかで折れないという強さ
苦しくても9回裏で逆転するような粘れる強さ
謙虚に物を見られる強さ
毎日の小さな努力を積み重ねられる強さ
切れ味の良いナイフのような強さ
懐深い愛情で物事を受け入れる強さ
ネガティブなことをユーモアに変えてしまう強さ などなど....
自分が欲する強さがどんな強さなのか...のその答えの先には、
往々にして自分の強みがあったりするのかもしれません。
実は、私も去年、当社のDNAを探り出そうとして、
同じようなことを考えました。
企業DNAというのは、なぜ今日まで存続できたのか、
存続を可能にしてきた強み的な要素のことです。
企業の判断基準の元にある美意識や価値観だとも言えます。
その時に当社のDNAの一つとして整理されたのが、
「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。
もちろんいきなりこうした言葉が出て来たわけではありません。
当社が大切にしたい雑多な事柄が先にありました。たとえば...
自然体、しなやかな、謙虚、自己変革、前例にとらわれない、品、
やってみる、面白がる、気づける、発見する、最上志向、遊び、
損得以外の価値、プロとしての自負、利益主義、雑談、ムダが大事...など。
他にも様々な概念が出された中で、
これらの概念はある種の強さを志向していると考え、
それをまとめたのが「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。
反対に強さに関してありたくないワードを出してみると...。
根性、攻撃的、暴力的、高圧的、乱暴、横柄、批判、不安
びくびく、おずおず、ネガティブ、依存体質、他人軸、他責
プライドが高いだけ、プライドがない、評論家...など。
価値観や美意識に、正しいとか、間違っているということはありませんよね。
ただただ自分の価値観や美意識に背くと感じながら、
無理にほかの価値観に合わせようとすると、誰しも心が穏やかではなくなります。
だからこそ、採用活動/求職活動では、事業内容や職種だけでなく、
価値観が合っているかどうかを見極めることが大切ですよね。
なぜなら、心が穏やかではないということは、アンハッピーということだからです。
ってことは、自社の価値観を知るのも大切ですが、
自分の価値観を知るのが先決ということになるのでしょうか。
組織人である以上、1日8時間は働くわけですから、
価値観という切り口で自分の幸福を求めたり、
人と対話したり、社内メディアで話題にしたり、、、
時には必要かもしれませんね。
10月も中旬になってしまいました。
今週も素敵な1週間でありますように。
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