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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

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先週金曜日に毎年恒例の流行語大賞が決まりました。
その1つが「忖度(そんたく)」です。
この言葉が広まったきっかけは、
今年3月の籠池泰典氏の発言、
「直接の口利きはなかったが、忖度があったと思う」だそうです。


検索ランキングの上位に上がったように、
一度は辞書検索をした方も多いのではないでしょうか。
私も、このメルマガを書くために、あらためて検索してみました。
デジタル大辞泉によれば、
[名](スル)他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること。


つまり、この言葉は本来、悪い意味を持たない言葉でした。
でも、SNSや日常会話でも気軽に使われるようになったのは、
日本的な習慣や発想を揶揄したり、茶化したりしてのことだと思います。


言い換えると、良いも悪いもなかったものが、
忖度の中には、悪い忖度があると多くの人が気づいたとも言えます。
悪い忖度は、自分の心に背いてでも、相手が期待することに応えようとしたり、
相手が期待していることを与えることで、自分に見返りがくることを期待したり。
でも、これは、贈収賄などの不正に限りません。


企業では、自分の上役に対して、こうした気持ちを持つ人が多くなると、
決して健康な状態とは言えないのではないでしょうか。
いわゆる「顔色を伺って行動する」ということですから、
主体性も何もあったものではありません。


さて、、、
私たちの生活、実際にはどうでしょう?
自分も含め、周りの会話に目を向けると、忖度だらけだったりします(笑)
つまり、私たちは、良くも悪くも、
相手の心を推し量り、配慮するということをしていますよね。
そして、良い意味での忖度=心配りをしたつもりが、
実はまったく相手の気持ちを汲み取れていなかった、、、
などということもよく起きます。


たとえば、
・Aさんは、○○の役割を交代してほしいと思っているようだ。
・Aさんは、○○の役割を手伝ってほしいと思っているようだ。


どちらもAさんの気持ちを推し量っていますが、まったく見方が違います。
人の気持ちへの解釈がこんなふうに分かれるという経験、
あなたにもあるのではないでしょうか。
しかも、所詮解釈なのだから、どちらが正しいとも言えないはずなのに、
「いや、そんなはずはない」と主張して、
正しいのは自分だという論戦を繰り広げたり。


本当は、Aさんに聞いてみればいいのだと思いますが、
Aさんがその場にいない場合などは、こんなことが起きがちです。
私も最近あるコミュニティで、そんな場に居合わせました。


おそらく人は、自分の思い込みに基づき相手の気持ちを推し量り、
自分の都合のいいストーリーで相手を解釈する。
知らず識らずのうちに、そういうことをやっているのかもしれません。
もちろん悪気などありません。


せめて自分はどんな心がけがいるのかと自問してみると、
・解釈を正しいとは主張しない。
・想像するよりも直接聞いて言質を取る。
・自分の心に背かない。
そんなところでしょうか。


年末まで1カ月を切りました。
忙しい季節ですが、だからこそ心を亡くしたくないですね。
素敵な1週間をお過ごしください。

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最近、私の周りでよく話題に上るのが、苦手なこととどう付き合うか、です。


苦手なことを克服しようとがんばるよりも、
得意なことを伸ばす方がいい、とか
好きなことだけすることに罪悪感を抱く必要はないとか、
がまんして嫌いなことをするよりも、
嫌いなことはやらないと決める方が幸せになれるなど、
自分の活かし方や才能の伸ばし方に関する
ひとつの示唆に富んだ考え方だと思います。


でも、「苦手なことより好きなこと」というのを
「好きなことをすることが幸せ」と短絡的に捉えてしまって、
好きなことがみつからない、
自分のやりたいことがなくて焦る...と悩む人も見かけます。


確かに好きなことだけして食べていけるなら、
いいなあと思いますよね。
もちろん何もかもうまく行くなんてことはありえませんから、
好きなことを始めたものの、経済的には苦しく、
そうこうするうちに、結局立ち行かなくなった...などということも
起きたりします。
それでも、やっぱり一度だけの人生なんだから、
やりたいことや好きなことがあるなら、
やってみる方がいいですよね。


でも、こうも思います。
幸せってそういうことだけではないんじゃないかな、と。
何をしていても、幸せを感じられる人は感じていますから。


さて、、、、
苦手なことを巡っては、こんな考え方もありますね。
苦手意識は単なる思い込みであって、
それを取っ払ってしまうことで、自分の可能性が大きく広がる。
これはこれで、共感できます。


親や先生からこんなことを言われた体験はありませんか?
「歌は上手だけど楽器が下手だね」
「応用問題が苦手だね」
「積極性が足りない」
「絵を描く時に神経質になりすぎる」
こんな経験があると、それをそのまま受け取って大人になってしまい、
未だにそんな自分像を抱いているという話はよくあります。
だからこそ、刷り込まれた決めつけに振り回されず、
自分を白紙で眺めると、新しい可能性が広がるということなのでしょうね。


でも、白紙にするという発想がないままに、
ただ苦手なことを克服しようとすると、
苦しいだけになります。


では、最初の「苦手なことをがんばるよりも、得意なことをする」という考え方と、
「苦手だという思い込みを手放すと可能性が広がる」という考え方、
これらは相反することなのでしょうか。

私はいずれも「自分を大切にする」ということであって、
どちらか一方が正しいというものではないと思っています。


苦手なことは克服しなければならない...
好きなことだけして生きるなど許されない...
自分は〜が苦手だし、できるわけがない...


これらはいずれも自分で自分を制限してしまっていて、
自分で自分を認めていない考え方だと思います。
自己制限をせず、自分を大切にする。
結局、そういうことが自分を生かすことにつながるのかもしれませんね。
私は、自分自身がそう自分を取り扱いたいですし、
当社のスタッフに対してもそういう目線で接したいなと思います。


ここまで読んでくださってありがとうございました。
どうぞ素敵な1週間を!

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私事で恐縮ですが、ここ最近、病院に入院していた母が退院後に入居する
介護付き老人ホームを探していました。
おかげさまで短期間で良いホームを見つけることができ、
既に本人は無事入居しています。
同時期に複数の施設を見学したり、いくつかの役所を訪ねたり、
病院の方たちと相談するという体験を通じて感じたことがあります。
それは、「場」というのは、無言でいろいろなことを物語るものだ、
ということです。


人と接する中で、何かを感じることはもちろんありますよね。
でも、面談などの形で人と接するよりも前に、
その場に醸し出されている空気を感じることはありませんか?
「カラー」と言ってもいいかもしれません。


なんとなくザワザワしていて落ち着かない感じの場。
静かできれいで、落ち着いているけれど、魂が感じられない場。
訪問している間に、自分の気持ちが滅入ってくるような場。
働く人たちが良いオーラを出している場。
反対に働く人たちの気が良くないと感じられる場。


どんなことからそう感じるのかを一言で言うことはできませんが、
多くの場合、そこに足を踏み入れてから、数分のうちに、
何かを感じ取っていたような気がします。


この行動、家のポストに入っていたDMやチラシを見て、
瞬時に読むか読まないかを判断するのと似ているかもしれません。
人間の感覚は本当に鋭いと思います。


私たちは、いったい何をどう判断しているんでしょう?
その場のインテリアや照明の影響もありますが、それだけではない。
私は、人の心の状態や人が刻んだ軌跡と関係があるような気がします。
最初は直感的に感じるだけですが、
その直感に基づいて、質問などを投げかけていくと、
やっぱり!と思うことも多々ありました。


たとえば、昨年完成したというある施設は、とても新しく、
建物もとてもきれいで、ハードウェア的には快適に過ごせそうな印象がありました。
でも、人影がまばら。よく言えば落ち着いている印象なのですが、
いまひとつ人の温もりや気配が感じられません。


もしかして、人で不足...?


「まあ、この業界はどこも人で不足ですから、その辺はご容赦ください」と
営業担当者。


では、どこもこんな感じなの...?


そこで、仲介会社の人に尋ねてみたら、
案の定、入居者3人に対し介護・看護職員が1人の割合の施設であるとのこと。
この数字自体は法律的には問題ありませんが、
入居者2.5人に対し1人の割合の施設に比べると違いがあるそうです。
やっぱり...。


結局、私が母の入居先に決めたのは、
見学している時にスタッフの方が挨拶や声がけをしてくれた施設です。
廊下にはスタッフ全員の顔写真が飾ってありました。
私がこの施設に決めたのは単に「挨拶をしてくれたから」ではなく、
働いている人たちから感じられるオーラが良かったからです。


その印象通り、施設の営業担当者から「正社員比率が高い」
「資格取得を奨励していて、半数が資格取得者である」
「定着率がよく、5年以上勤めている人が多い」という説明を聞き、
私が最初に感じたことは、こうした話と無関係ではないと思いました。
しかも、介護・看護職員の割合は、入居者2人に対し1人の施設でした。
あくまで解釈ですが、人を大切にする経営思想が根底にあり、
それがスタッフのエンゲージメントにつながり、
場に良い空気を生み出しているのだろうなと、そんな想像までしてしまいました。


実はこの体験、今回母が入院していた病院でも感じたことです。
こちらは、「場」というよりも、「人」の方かもしれませんが、


全体的にとても人当たりが良く、ハートが感じられる病院でした。
たくさんの具体的なエピソードがありますが、長くなるので省きますね。
84歳の母は、ここ10年ぐらいの間にいくつかの病院に入院しているのですが、
病院にもカラーがあるものだと痛感します。
中にはあまりに事務的で、ケンカしそうになった病院もあります(笑
今回の入院先の病院は、きっとしっかりした経営理念や経営思想があり、
それが末端まで浸透していたに違いありません。


「場」にもれ出る何か。
それは何なのでしょうか?
しかも、そこにいる当事者たちは無自覚なのに、相手は感じ取っている。
反対の立場に立ってみると、、、、きゃ〜 コワイ!
うちの会社に漏れ出ているのは、どんなことだろう?
そんなふうに外からの目線に立って、自社を振り返ってみるのも、
時には必要かもしれませんね。


あっという間に9月中旬です。
まずは今日を大切に過ごすことからですね! どうぞ素敵な1週間を〜

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今日のメルマガで阿部が「書く」をテーマに書いています。
「書く」というトレーニングをせずに、レベルアップを図るコツについてです。
それに触発されたわけではありませんが、
ちょうど先週、私は「聞く」について、周りと意見交換する機会があり、
私自身も思うことがあったので、今日は「聞く」をテーマにしたいと思います。


あなたも、ヒアリングや打ち合わせで「聞く」ことはあるでしょうし、
仮に広報担当者であったなら、
記事を作成するために取材することもあるのではないでしょうか。
私たちも同様です。
さらに、会議ファシリテーションをする場合は、
参加者の議論がうまく運ぶように良い問いかけを行い、
参加者全員からバランス良く意見を「聞く」ことも仕事になります。


誰もが、「聞く」ことは仕事を進めるための重要事項であると認識していても、
「発問(質問)」でつまずくことや、
なんと聞いたらいいのかわからなくなることがありますよね。
これは、新人からベテランまで起きることです。
もちろん、そのつまずき度にはレベル差はあると思いますが。。。


これはなぜ起きるのでしょうか。
新人でもベテランでも共通するのは、
「聞く」ことの本質は理解することであるので、
耳で聞くだけでなく、自分の頭の中で、話を整理しながら聞こうとします。
話を聞いている間に、頭の中は情報でいっぱいになってきますが、
情報が入ってくるスピードに対し、整理するスピードが追いつかなくなると、
聞き手は次に何を聞くべきかがわからなくなっていきます。
私たちの取材セミナーでは、この状況を「迷子の状況」と呼んでいます。


話を整理しながら聞くというのはどういうことかというと、、、
これは、もうホントにすごいことをやっているわけですよ。


たとえば、、、重要度を区別しながら聞いていますし、
発した言葉の言外の意味も理解しようとして聞いています。
事実と推測も分けて聞いています。
さらには、話の要素同士の関係、たとえば因果関係や包含関係、
並列関係などを把握しながら聞いています。
またドラマ曲線や感情曲線をイメージしながら、
出来事や感情の高まりを理解しながら聞いています。


人間には本来そういう能力が備わっていますが、
誰もが最初から同じようにできるわけではありません。
また経験を積んでそのスキルが上がったとしても、
30分も話を聞くと、複雑な情報で頭はいっぱいいっぱいになっています。
いよいよ脳みそが追いつかなくなると、迷子になる。


ところが、この人は聞き上手だなと思う人を観察していると、
要所要所で「ちょっと整理させてください」と言って、
それまでに理解した内容を「つまり、こういうことですね」と
言語化していますね。
それは、お互いが迷子にならないためのコツなのだと思います。
見習いたいものですね。


一方で、若い時や経験の浅い時だから起きるつまずきもありますよね。
それは、問いを立てること自体が目的化してしまった場合に
起きがちなのではないでしょうか。


たとえば予め用意していた質問項目を上から順に聞いていったら、
あっというまに終わってしまい、時間が余ってしまって困ったとか、
質問をした直後に、相手の答えを聞く心の余裕もないまま、
次の質問をどうしよう...ということに意識が向かい、
結局質問の答えを聞くことに集中できなくなってしまったり。


話を「聞く」のは「理解するため」であるという本質を忘れて、
質問自体が目的化してしまうのには、
主に2つの理由があるような気がします。


1つは、そもそも「何を理解すべきか」がわかっていないということ。
わかっている必要があるという認識さえ持てていないこともあるかもしれません。
その認識がないと、自分が理解すべき事柄をわかっているかどうか、
セルフチェックさえできません。


もう1つは、聞き方に関する自分への評価を気にしてしまうということ。
うまく聞けなかったらどうしようという不安や、
話の間(沈黙)に対する恐怖、
良く思われたいという心理などが影響していると見られます。
理解することが求められているということを忘れてしまっている状態です。


でも、話を「聞く」のは「理解するため」です。
このシンプルな本質を忘れないこと、混乱したらそこに立ち戻ることが、
「聞く」ためのコツなのかもしれませんね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

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週末は不安定なお天気でしたが、桜が見頃でしたね。
私は土曜日、友人宅に招かれ、千鳥ヶ淵の桜を満喫してきました。
桜の名所はあちこちありますが、やっぱり千鳥ヶ淵は圧巻ですね。
そして、なんとなく日本人としてのアイデンティティを再確認させられました。


さて今日は、「表現の自由」について考えたいと思います。
と、なぜか今日は大上段に第一声を挙げてみました(笑


私たちは「表現の自由」という憲法で定められた基本的な権利があるのに、
その権利を十分使っているでしょうか?
この権利、日頃あまり考えませんし、あって当然だ...というぐらいにしか、
普段は考えませんよね。
かくいう私もその一人です。


だからなのかな、
今週末から個人的に個展を開くのですが、
それに対する人の反応を見ていると、
「表現の自由」を奪っているのは、
もしかしたら私たち自身なのではないか?と
ふとそんなことを感じました。
ですので、今日は、憲法的かつ権利的な意味からではなく、
表現する自由について、私たち自身の心の面から考えてみたいと思います。


「表現の自由」は日本国憲法第3章第21条に定められています。
WIKIペディアを引用すると、
  すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利[1]。
  外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由[2]
なんですね。基本的人権でもあります。


政治的権力から不当に制限されやすい人権だからこそ、
守られるべきである権利であり、
また人々の見解はそれぞれに違って当然で、
自由に発表できるからこそ違う意見を知ることができ、
それが民主主義にとって重要である...
というような意味づけもあるようですね。


ま、こんなふうに言われても、日常生活には何の関係もない...
というのが、多くの人の感覚です。
ですが、せっかく持っているこの「表現の自由」という権利、
それに対する感覚は私たちの中で養われているでしょうか?


私は権力的なものがもたらす影響もあるとは思いますが、
それ以前にまずは日常における自分たちのスタンスも大きいと思います。


「表現の自由」という以上、まず自分に対して、
「〜であらねばならない」という思い込みから逃れる必要がありますよね。
でも、多くの場合、そんな思い込みばかりではないでしょうか?
そう思っている限り、「表現の自由」という権利は
生かされにくいのではないでしょうか。


たとえば今回の私のように、個展を開くということを例に挙げるなら、
それについて、多くの人にはこんな思い込みがあると感じました。


・個展を開くなら、高い技術の作品でなくてはならない。
・個展を開くなら、お金を払ってギャラリーを借りなくてはならない。
・個展を開くなら、見る人にとって価値ある作品でなくてはならない。
・個展を開くるなら、ある程度まとまった作品数がなくてはならない。


私は、どれも思い込みだと思います。


高い技術の作品であるべきなのは、なぜですか?
技術が高い作品は、誰にとっていい作品でしょうか?
ギャラリーを借りなくても、ネットの時代、発表は可能ですよね?
見る人にとっての価値とはなんでしょう?
マーケットインでアート作品を作って楽しいですか?


個展を例にしましたが、
「表現の自由」というのは、絵画作品の制作&発表というシーンに限りません。


社内会議でちょっとした意見が求められて、なんと答えるか、
そこでも「表現の自由」という権利があり、
どう立ち振る舞うかの判断と実行があります。
私たちの中に、こんな思い込みはないでしょうか?


・会議で発言するなら、他の人が賛同する意見でなくてはならない。
・会議で発言するなら、意見は理路整然と述べなくてはならない。
・会議で発言するなら、自分を含め、誰かの対面を守らなくてはならない。


表現には自由があるのですから、
「〜でなければならない」と思う時点で、
権利と反対方向、言い換えれば権力側に向かっていると思います。
しかもそれ、あなただけの思い込みではなく、
周りの人も含めて、みんなで思い込んでいる場合もあるかもしれませんね。


でも実際には、
「こんなことを言ったら、波風が立ってまずいかな...」とか、、、
こんな心理が働いてしまうこと、ありますよね。
でも、、、
このスタンスでは「表現の自由」を満喫しているとは言えませんよね。


私が「表現の自由」というコンセプトにおいて、
大切だと思うのは2点です。
(その1)周囲目線ではなく、常に主語が自分であり続けること。
(その2)(アタマ)「〜であらねばならない」ではなく
     (ココロ)「〜が楽しいからやりたい」であること。


「〜が楽しいからやりたい」という軸でやってみた時に、
もしかしたら周りの人から批判を受けるかもしれません。
でも、人は誰かから評価されるために生きているわけではない、
それが基本的人権の考え方にあると思います。
だから、ちょっとやそっとの批判や評価に負けてはいけないんですね。


「自分は果たして『表現の自由』という権利を満喫しているだろうか?」
まずは、そんなことのセルフチェックをかけてみたいものですね。
今週もいい1週間をお過ごしください!

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先日、当社の社外取締役である川添香さんと食事をし、
とても良いインプットを得ました。
川添さんはシステムコーチングといって、
組織の関係をより良くするコーチングのプロフェッショナルでもあり、
エグゼクティブコーチでもあります。
グラスルーツはコーチングという手法とは異なりますが、
組織の中にある感情的な「問題」を取り出して、
議論の場をファシリテートし、施策に落とし込むという意味で、
川添さんと共通点のある仕事をしています。


そんな二人が食事をする中で、上司と部下の関係において、
あるいは上司が部下を成長支援するという関係において、
起きやすい問題について話題が及びました。


大きな組織といえども、小さなグループの集合体ですから、
個々の関係で起きていることが、結局組織のあちこちで起きて、
それが組織全体の問題になったりしますよね。



で、よくぶつかりあうことの一つが、「価値観」です。
「価値観」は、人それぞれが大切にしていることであり、
それを会社や上司から「変えろ」と言われるのは、
言われた方からすると言語道断ではないでしょうか。
しかも、そこに社会人としての常識やら何やらが重なって、
状況はもっとややっこしい。
「会社の飲み会には出たくない」という部下。
「仕事が終わっていないのに、用事があるからって帰るわけ?」という上司。
コミュニケーションの問題である場合もあるでしょうが、
「価値観」のぶつかりあいである場合も多い。


当たり前のことですが、「価値観」には
良い価値観、悪い価値観ってないんですよね。
だからこそ、「価値観」を巡って上司が部下に
「それは、おかしい」と表現すると大抵は反発されます。


しかし、「おかしい」という表現は良くないまでも、
上司も伊達に歳を取り、経験を積んだわけではないので、
「そのままその発想を続けていくと、成長できないんじゃないかな...」
と思うからこそ、何か部下に対して助言したいわけです。
でも、一つ間違えると、相手は価値観を否定されたと感じてしまい、
伝えたかったことが伝わらない。。。。
こんなシーン、実はあなたの周りでもよくあるのではないでしょうか。


川添さんが一刀両断に言った一言が、私には新鮮でした。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」。


いや、実際そうですよね。
これは、上司も部下も、誰の価値観もそうです。
私自身が大切にしている価値観も含めてです。
結局、それってみーんな思い込みなんですね。

ある経験をして、あることを感じ取り、それを信じる。
その上に、また経験を重ねて、それを強固にしていく。
そうやって出来上がっていくのが「価値観」です。
だから、まさしく「価値観」=「思い込み」ですね。


そう思ってしまえば、何のことはないのですが、、、、
「価値観」に性格的なことが絡むと、さらに厄介です。
慎重な部下と、自由闊達な上司という組み合わせを想像してみてください。
これは、性格とも言えますが、価値観でもあります。
実は、昨日、友人の経営者がそんな会話をしていました。
その話はまた別の機会にするとして、、、



「価値観」=「思い込み」だと思ってみると、
自分が何をどう思い込んでいるのか、セルフチェックができます。
たとえば私は、人生は短いのだから、やりたいと思ったことを、
とっとと決めて、とっとと試してみて、楽しいかどうかを判断し、
楽しければ続行、楽しくないなら次に行こ!...
という価値観(思い込み)が働きがちです。
つべこべ言っていると、人生はあっという間に終わっちゃうよ!というような。
私のこの価値観には、何かをスピーディに達成したいという願望が根底にあります。
でも、何かを達成しなくても意味のあることはありますよね。
何かを達成しないと人生の意味がないと思う「思い込み」は
どこかで自分を限定しているとも言えます。
自分を拡げるには、その「思い込み」が邪魔をしている可能性があることを
知っておく必要があります。


今のは私の例ですが、そんな思い込みは多分あなたにもある。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」
川添さんの一言、これを聞いて、あなたはどう思いますか?


せっかくなので、川添さんのメルマガを紹介します。
え?こんなことまで無料で教えてくれちゃうの?
...と思うくらい、豊富な知識をわかりやすく提供してくれます。
たまーにM社長として登場するのが私です(笑
ご興味があればぜひ! 私は、ほぼ毎号おもしろく読んでいます。
http://www.reservestock.jp/subscribe/58493


さて、今週はお花見シーズン。
桜。平均寿命からして男性80回、女性87回しか見られません。
(赤ちゃんのときは見た自覚がないから、もっと少ない)
だからこそ、イマココで味わうことが大切だなと思う今日この頃です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

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今日は、個人的な活動のことを書かせてください。
グリーフケア(悲しみのケア)を意図としたアートイベントを開催します。

これは「別れのお別れ会」をコンセプトとした絵と言葉によるイベントです。
死別や離別など、大切な人との別れに遭遇し、圧倒的な悲しみを体験した人が、
その悲しみを慈しみ葬れるようになるまでの間、
しばし佇むための「場」であり「会」です。

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言葉と絵で贈るアートイベント《別れのお別れ会〜流転》
https://www.facebook.com/owakarekai/
4月15日(土)〜23日(日)
@ギャラリー「サイト青山」
ーーーーー

なぜこれを企画したかというと、
私自身がこの数年間に大きな別れをたくさん経験したからです。
テーマは重いですが、コミュニケーションの形として、
おもしろく楽しめるのでは?と思っています。

対話会やペインティングのワークショップなども行います。
ご興味がありましたら、お立ち寄りください。
詳細は、下記をご覧ください。
https://www.facebook.com/owakarekai/

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いきなりですが、4月15日(土)から16日(日)まで、
青山一丁目のギャラリーで「別れ」をテーマに言葉と絵の個展を開きます。
言葉と絵の展覧会「別れのお別れ会〜流転(ruten)」
今日は、それに絡めて負の感情とそのエネルギーの話をさせてください。


私たちの社会では、喜怒哀楽のうち、
怒と哀の感情はネガティブなものとして、
否定される傾向にあるのではないでしょうか。


怒ってはいけない、
憎んではいけない、
それらは醜い感情だ、
そう教えられて育ちます。


波風立てない関係を求める最近の風潮ともあいまって、
怒りの感情がどのようなものか、味わったことがないという若い人も増えています。


けれど、負の感情は、本当に悪いものでしょうか。
感情的に振る舞うことは、確かに良くない面がありますが、
負の感情を抱くこと自体は人間として自然なことです。
それをきちんと感じることが心の健康にとって、大切ではないでしょうか。
自分を大切にするというのは、本来そういうことではないかと思います。


にもかかわらず、人が負の感情を無意識になかったことにしようとするのは、
その感情の中に居続けることが辛すぎて耐えられないからなのだろうと思います。
だから、蓋をして、気づかなかったことにする。


しかし、そういうことを続けていくと、
やがて死に直面しても悲しいと感じないだけでなく、
自分が何に対して楽しい/好きと感じるのかも、感じられなくなっていくそうです。
喜怒哀楽の、怒と哀にだけ蓋をしていたつもりが、
喜と楽にも知らず知らずに鈍くなって、感じられなくなっていくのだそう。
これでは、まるでロボットです。


私たちが、負の感情は悪いものと教えられてきたのは、
自分をコントロールできずに怒鳴り散らしたり、
泣きわめいたりすると、周囲を困らせることになるから、良くない、、、
多分、そのような道徳的視点からのことなのではないでしょうか。


あるいは組織の中では、「理」を最優先とする価値観を維持しないと、
統制がとれなくなる...という暗黙の合意のようなものがあって、
感情から話をすることは是とされない、と
誰もがそう思っているからかもしれません。


けれど、負の感情にも良い面がたくさんあります。
まずは、エネルギーの絶対値がとても高いということ。
このエネルギーを上手に活用すれば、
創造的な行動、挑戦的な行動につながるのではないでしょうか。


青色発光ダイオード(LED)の開発で、
2014年にノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏は、
「偉い人たちに『お前は金の無駄遣いしやがって!』と。
けちょんけちょんに言われ頭にきて、、、、」

怒りをバネにしたと述べています。


実際に怒りが創造性に良い影響を与えるという実験結果もあるようです。


実は、私の今回の展覧会も、始まりには悲しみや怒りがありました。
怒りは、時によっては神に向けられたり。。。
そうこうするうちに、怒りの矛先が自分に向いてきた。
もっとこうすれば良かったとか、
なぜああしなかったのか、とか。
その後悔の海の中にいたとき、
別れによって人はこんなにも自分を責めるんだな、と気づきました。
けれど、それは違うなと。
そうしたら、それを人に伝えたくなったのです。
負の感情が正のエネルギーに変わった瞬間かもしれません。
「別れ」に直面し、心を痛めている方、ぜひお立ち寄りください。
言葉と絵の展覧会「別れのお別れ会〜流転(ruten)」



ギャラリーで、社内広報やインターナルブランディングのご相談も歓迎です!


というわけで、人の感情や気持ち、大切にしたいものですね。
え? 小野さんは会社でいつも怒りまくっているのか?
そんなことはありませんよ。
10年に1度ぐらいは机を叩いて怒ることもありますけどね(笑


さー、春らしくなってきました。どうぞ良い1週間をお過ごしください。

先週3月2日(木)3日(金)の2日間、
インターナルブランディングのための戦略ロードマップ策定講座」
講師として登壇してきました。
主催は宣伝会議、昨年に続いて2度目の開催です。
今日はそこでの私の学びをシェアさせてください。

この講座は座学ではなく、ワークショップを通じて実際に計画書を作成し、
ロードマップに落とし込み、プレゼンのロールプレーまで行うというもの。
大半の方はどこから考えていいのかわからない...とか、
問題意識はあるものの戦略的に組み立てるにはどうしたらいいか...
という状態で参加されていますが、
全員が素晴らしい計画を発表し、見事修了されました。

私は講師の立場にありますが、
ワークショップを行うと、私自身、何かしらの気づきや学びがあります。
今回の大きな気づきは次の2点です。

《その1》問われると考える「人の力」とそれを生む「問いの力」はスゴい!
《その2》ついつい表課題に向かっていってしまうのがビジネス社会?


というわけで、今日は欲張らずに《その1》について紹介します。

今回私が改めて感動したのは、
人は誰しも自ら考える素晴らしい力を持っているということです。
この講座は、考えるプロセスを13に分けて、Step by Step で進めます。
各社事情が異なるので、自社にとって今何が必要なのか、
その答えは各自が自分で出さなければなりません。
13のプロセスの前半で多少横道にそれてしまっても、
多くの人が途中のディスカッションやフィードバックを経て、
どんどん軌道を修正し、最後はいいところに着地しました。
もちろん荒削りな面は残ります。
でも、わずか2日間なのですから、アウトプットの完成度よりも、
本質的なことをどれだけ吸収したかの方がはるかに重要で、
その吸収した感じがビンビンと伝わってきました。

私がここでお伝えしたいのは、
人が自ら考える力のスゴさと、それを支える問いのスゴさについてです。
というのは、この講座の基本部分は「問い」でできています。
「問い」が命の講座です。
問われると人は自然と考えてしまう生き物なんですね(笑)
だから、答えなんて与えなくていい。
問われれば答えに向かっていく、それが人の力なのだ、と改めて思いました。


私は、ワークショップというライブの場で場の作り手に求められるのは、
場に起きている疑問や論点を速やかに察知して、
「問い」という形で場に返すことだと思っています。
特に別々の問題意識を持つ各参加者が答えを出す必要のある「講座」の場合、
そもそも1対1では教えることができないので、
個別Teachingではない形で学んでいただく必要があります
言い換えると、私は「講座なんだから工夫が必要だ」と思っていた面がありますが、
でも、よくよく考えてみると、これは講座に限りませんよね。
仮に1対1で教えることができる場であっても、
きっと学びの本質は自ら考えること。
だとしたら、教える側が意識すべきことは、
「良い問いを提示し、相手に考えを促すこと」なんだろうなと思います。
つまり、人材育成では、Teaching的なアプローチももちろん必要ですが、
Coaching的なアプローチも避けて通れないということですね。


アインシュタインは「問い」の大切さについていくつもの名言を残しています。
(といっても、出典はわかりませんが)
「大切なことは問うことをやめないことだ」とか、
「もし自分が殺されそうになって、
 助かる方法を考えるのに1時間だけ与えられたとしたら、
 最初の55分間は適切な問いを探すのに費やすだろう」など。
本当にその通り。問いが人の思考や行動を進化させるのですね。

良い問い。自問。
それは、部下だけでなく、自分自身をも成長させますね。
すごいな、問いの力。


あなたには、自分の人生に影響を与えた問い、ありますか?
問いの力、あなどれませんね。
今週も素敵な1週間でありますように!

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あなたは職場でどんなふうに呼ばれていますか?
苗字で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
名前で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
そのほか、いろいろな呼び方があると思います。


当然、もっとも多いのは、苗字で「◯◯さん」だと想像します。
あ、いや、役職者の方の場合は、
「◯◯部長」「◯◯課長」などと役職名をセットにして呼ぶことが
慣例となっている企業もまだまだ多いかもしれませんね。


普通の職場では、
「あなた、何と呼ばれたい?」と聞かれることは、
ほぼないのではないでしょうか。


けれど、私、最近お互いを何と呼ぶかは関係性に大きな影響を与えると感じ、
「何と呼ばれたい?」と聞き合う習慣を広めること、
これ、結構重要だと思い始めています。


先日、昨年あるパーティで会った方(女性です)と再会し、
ランチをご一緒したのですが、どちらからともなく、
「何と呼んだらいいでしょうかね?」という会話があって、
親しみを込めた呼び方で呼びたいということになり、
結局私は「まゆさん」と呼んでもらうことになりました(笑)


さて、今日の視点は
「何と呼んだらいいでしょうかね?」
を日常化したらどうなるだろう?ということです。


私は今でこそ「何と呼んだらいいでしょう?」という問いに驚きませんが、
2014年にCTIのリーダーシップ研修に参加した際に、
最初にびっくりしたのは、自分のネームカードに
「何と呼ばれたいか」を書いて、それを首から下げることでした。
その時は、リーダーの一人がアメリカ人だったので、
私はなるべく短くて覚えやすい方がいいだろうと思い、
カードに「mayu」と書いたんですね。


でも、私の人生でそれまで「まゆ(mayu)」と呼ばれたことはありませんでした。
呼ばれたことがあるのは、
  まみ
  まい
  まゆりん
  まゆみちゃん
  おのちゃん
  おのさん
さらにマイナー系はほかにもありますが、
主流はこんな感じでした。
その中で仕事社会で呼ばれたことがあるのは、
おのちゃんと、おのさんです。


さて、、、
一般にビジネス社会では「苗字+さん」で呼びあうのが普通ですよね。

ですが、、、
もし「何と呼ばれたい?」「◯◯と呼んでもいい?」から話を始めていったとします。
そして、その名前で呼び合ったとします。
どうですか?
あっという間に心の距離が縮まってしまうということが起きそうな気がしませんか?


呼び名の重要性は、政治家たちも知っています。
ファーストネーム(それも愛称)で呼び合うことがこれほど重要なのだと
私が最初に思った出来事は、
1983年の中曽根総理と米国レーガン大統領との「ロン・ヤス会談」です。
中曽根総理大臣はレーガン大統領を「ロン」と呼び、
レーガン大統領は中曽根総理大臣を「ヤス」と呼び合う関係になった。
私にとって、それは良い意味でショッキングな、出来事でした。


職場の中で、最初に
「何と呼んでほしい」「◯◯と呼んでもいい?」と聞く習慣。広まるといいですね〜
ですが、うちの会社でも実はまだコレ、やっていないんですよ。
書いた以上、やります!


みんな「何と呼ばれたい?」

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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