ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2019年8月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

190826_SC_AdobeStock_279663378.jpg

あなたは本腰を入れてスポーツをしたこと、ありますか?
別に学生時代の部活動などに限らず、たとえばゴルフでもいいです。
うまくなるために真剣に取り組んだ体験、ありますか?


この週末に父と話していたら、
「お前さん、学生の時はどんなスポーツをやったんだっけ?」と聞かれました。
(家族を呼びかける時、なぜか父は「お前さん」です笑)
私が学生時代に「ハンドボール」をやっていたことは既に何度も話しているのですが、
もう一度、何人で行う、どんなスポーツなのか、厭わずに話したところ、
「結構、頭を使いそうなスポーツだな」と一言。
そこで、すかさず私が言い返した言葉は、


「頭を使わないスポーツなんてない」(キッパリ!)でした。


本当にそうです。
スポーツで勝つためには、頭を使わないなんてありえません。
でも、いまだに「スポーツ」=「がむしゃらに汗をかく体育会的な世界」。
そんなイメージが世の中には残っているような気がします。
実際に、いまだにそういう昔ながらの「がむしゃら型」の、
もっといえば「パワハラ型」のスポーツコミュニティが
まだまだたくさんあるのでしょうね。くわばらくわばら。。。


スポーツに本腰を入れたことのない人に知っていただきたいのは、
スポーツほど知性が問われるものはない、ということです。
私が本気でスポーツをしていたのは、もう何十年も前のことですが、
そんな昔でさえ、私の周囲には「知性」で勝つという意識が
当たり前のようにありました。
まあ、練習量の多い「がむしゃら型」には、「知性」というアプローチで
勝つしかないと考えられていたのかもしれません。


では「知性」で勝とうとするって、実際にどういうことでしょうか?
単純に「やってみる」「考える」を繰り返すということです。
何を考えるかというと、なぜうまくいかなかったか、どうすればうまくいくか。
当然話し合いも必要になります。


私が取り組んでいた「ハンドボール」はチームプレーなので、
考えるべきことは、自分のプレーとチームプレーの両方になります。
けれど、当時の自分が頭の中で考えていた内容を振り返って見ると、
その比率は自分8:チーム2だったような気がします。
それだけ、まず自分がうまくなりたいという思いが強かったのでしょうが、
もし、今、私がキャプテンであるなら、
チームと個人の両面から考えることをメンバーに促すと思います。


あら! 前置きのつもりが、とても長くなってしまいました!


今日の本題です。
そんなことから、ふと思ったこと。。。それは、新しい仕事に就いたなら、
スポーツトレーニングの感覚で、仕事をマスターしたらいいのではないか...
ということでした。


スポーツトレーニングでは、こんなPDCAが大切です。
・理想の形を描いた上で、そのために何が必要で、
・それに対し、自分が今、何ができて、何ができていないのかをはっきりさせて、
・できない原因も仮説を立てて、明らかにし、
・それを修正するための練習をする。
・練習とチェックを重ねて、少しづつ修正をかけていくわけです。


まさにPDCAです。
だから、本当はこのアプローチはあらゆる世界で人の成長を促すのに有効なはずで、
もちろん仕事でも生かせるはずですが、残念ながらそうなっていませんね。


育てる側にもいろいろ原因はあると思いますが、
どんなに育てる方法を改善したとしても、絶対にどうにもならないことがあります。
それは、選手自身の意識、つまり私たち個人個人の意識です。
自分ができないことを直視する気持ちがあるか?
(本当は、できないことというのは、伸びしろなんですけどねー)
本当に金メダルを取りたいと思っているか?
(仕事の場合、人との競争よりも、昨日の自分を超えることだと思いますが)
第三者からのフィードバックを真剣に聞く気があるか?
(聞く耳が作れていないと、フィードバックは意味をなしません)


先週、スポーツクライミングの世界選手権において日本代表を決定づけた
楢﨑智亜選手は、なにかのインタビューでこんなことを話していました。
「これまでは、日本で一番なんだから、世界で一番でなくても、
ま、いいかという気持ちがどこかにあった」


楢﨑智亜選手をメンタル面でサポートするスポーツメンタルコーチの東篤志さんは、
「やはり『〜しなきゃ』ではなく『〜したい』という状態になることが大切です。
『登らなきゃ』『勝たなきゃ』『代表権を取らなきゃ』という状態になると
メンタル的に追い込まれてしまいます。」と語ります。
https://climbing-au.jp/post000124.html)。


そんな東さんがコーチングで最初に行うのは「自分会議」という名の自分との対話。
具体的には「価値観」「感情」「潜在意識」を3つのステップで表に引き出すそうです。
東さんの言う3つのステップとは:
1)「今、何が起きている?」を俯瞰目線で感じよう
2)「本当はどうなりたい?」という理想の未来を感じよう
3)「今、どんな心で何をする?」。未来の自分から今の自分にアドバイス


この3つのステップは、多分やる気スイッチを探るプロセスなんだろうなと、
この記事を読みながら思いました。


あれ? 話が広がり過ぎてしまったかもしれません (^^;)
ここまで書きながら思うことは、
私たちの中に「仕事でもっと成長したい」という気持ちがある時、
スポーツトレーニングの発想でやってみるのは有効かもしれない、、ということ。
さらに、やる気スイッチがどこにあるのかを考えたいなら、
東さんの問いを自問してみるのもいいかもしれませんね。


さて、、、8月最後の週になってしましました。
夏を思う存分楽しんだら、2019年の総括に入る時期ですね。
焦らずに、一歩。そんな気持ちを大切にしたい季節です。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

今日のテーマは先日(7/22)に続き「ネガティブ・ケイパビリティ」です。


この言葉を知ったのは最近ですが、私の意識の中にずっとモヤモヤあり、
初めてこの言葉に触れた時、「なるほど、そういうことか!」とスッキリしました。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という能力は、
もしかしたら問題解決力より重要かもしれないと思う今日この頃です。


私の中に、どんなモヤモヤがあったかというと、、、、
たとえば、何か結論を出す必要があることに直面した場合、
当然、答えを出そうと思いますよね。
特に仕事では、早く結論を出せる人/早く解決できる人が優秀、と見なされがちです。
それは、ある面では正しいし、異論はありません。
私自身、どちらかというと決断は早い方だと自負しています。
それでも、こんな視点から違和感がありました。
それを端的に言うと、みんな「答えを得ることを急ぎすぎではないか?」です。


あるいは、こういう言い方もできるかもしれません。
みんな、答えを出すまでの時間に対して、忍耐がなさすぎるのではないか?
早く答えがほしいから、みんな、急いで答えを出そうとする。
そして、忍耐できないでいる自分に気づかず、
早く答えを出すことが良いことだという理由の元に、
急いで答えを出しているのではないか?
そんなふうに思うことがあり、モヤモヤや違和感を感じていました。


なぜそう思うのかと聞かれても、ただの直感としか言えません。
いろいろなシーンで、「この答えを出すのは、そんなに簡単なことではないな...」
と私は直感的に感じるのですが、
簡単に答えを出そうとするアプローチによく出くわします。


おやおや、、、すみません!
今日のテーマに対する問題意識、事前説明が長すぎました。
話を今日のキーワード「ネガティブ・ケイパビリティ」に戻しますね。


「ネガティブ・ケイパビリティ」とは何か?
私は、この言葉とどこで出会ったのか?
まずはそんな話をさせてください。


出会ったのは、こちらの書籍です。最近読みました。
「ネガティブ・ケイパビリティ〜答えの出ない事態に耐える力」
(著:帚木蓬生、刊:朝日選書)
著者は小説家であり、精神科医です。
(ペンネームの読み方が難しいですが、ははきぎ ほうせいと読むようです)
https://www.amazon.co.jp/dp/4022630582/ref=cm_sw_em_r_mt_dp_U_AIewDb01XAGYQ


「ネガティブ・ケイパビリティとは?」については、
たくさんの説明が成り立ちますが、著者による端的な表現が、
本書の本文1行目に出てきます。
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」あるいは
「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、
懐疑の中にいることができる能力」です。
「ネガティブ・ケイパビリティ」で検索すると、
「ネガティブ思考」を肯定するような説明に出会いますが、
私の理解では、そういうことではないと思います。


私がこの言葉の概念に「ほぉー」と思うのは、
一般常識とはちょっと違ったことを言っているからです。
一般的に問題を解決する能力は高い方がいい...という常識があります。
でも、この「ネガティブ・ケイパビリティ」はそうではありません。
即座に解決するよりも、その訳のわからない状況に身を置いて、
佇むことの必要性を言っています。


なぜこの力が必要だと著者は言うのでしょうか。
著者によると、ヒトの脳には「分かろう」とする特性が備わっているので、
分からないものや不可思議なものが放置されていると、
脳は落ち着かなくなり、なんとか分かろうとするのだそうです。
ところが、そこに落とし穴があり、
〈「分かった」つもりの理解が、ごく低い次元にとどまってしまい、
より高次元まで発展しないのです〉と著者は言います。
なるほど! これだと私は思いました。


今日、これを取り上げたかったのは、
この力は、「考えを深める」という行為において、
必要不可欠だと思ったからです。


なので、私なりに、
「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」
というものを、別の言葉で、言い換えてみました。


その1:たとえ不安にかられたとしても、決して焦らずに時間をかけて問題を見極め、
最後の最後にじっくりと答えを出す、そんな能力。
その2:考えるべきことに向き合いながら、頭がパンパンになったとしても、
「もうムリ!」と諦めず、他の答えの可能性がないか、追求し続ける能力。


そんな力と言い換えられます。
簡単にわかったつもりにならずに、考え続ける。
「ネガティブ・ケイパビリティ」という視点で自分を育てていく。
この本はそんな視座を与えてくれました。


お盆明けで今日が初日という方もいらっしゃるかと思います。
今週も素敵な1週間でありますように!

190813_drum.JPG今日のタイトルを読んで、多くの人は疑問を感じたのではないでしょうか?
「考える」を「運動」の一つと言われたら、誰だって疑問に思いますよね。
でも、こう思ったのには理由があります。
多少無謀な説明にはなりますが、聞いてやってください。
「考える」ことに役立ちそうな原理原則、まとめてみましたので!


さて、発端。最近、私はドラムを始めました。(写真はレッスンスタジオ)
きっかけは、6月の誕生日に社員のみんなからもらった体験ギフトです。
マッサージ、ヨガ、エステ、いろいろな体験メニューがあります。
でも、私は、どうせなら今までやったことがないことで、
やりたかったことを選ぼうと決めて、それが楽器の「ドラム」だったのです。
初めは、「一生に一度やってみたかっただけ」だったのに、
体験したら、楽しくて楽しくて、ハマってしまい、
この週末に3度目のレッスンを受けてきました。


ドラムというのは、右手右足、左手左足と、異なることをやります。
考えながらでは追いつかないですし、
スポーツに似ていて、アクロバティックでもあります。
そして、生まれた初めて体験した初日、何かひらめきました!
私は、この体験から何かしら人生に役立つ原理のようなものを得られそうだ、と。
体が。あるいは脳が。


オーバーに言えば、ここに生きる知恵、生きるコツがありそうな気がする!と。


最初の体験の日の私は、こんな感じでした。。。
取り組むべきリズムフレーズがわかる。
頭ではわかっても、簡単に体がついていかないことがわかる。
わかると、できるの違いがわかる。
叩きたいリズムフレーズを分解して、体ができそうなことをやってみる。
すぐにはできないが、まもなく「これならできる」の手がかりをつかむ。
一つ上の複雑さをやってみて、前の体験とつなぎ合わせていく。
これも、徐々にできるようになる。


最初の体験を言葉にすると、そんな感じです。
しかも、心がワクワクしているときは、難しいことに取り組んでいても、
難しいって思わないんですね。ただただ、やりたい、できたいと思います。
人のやる気スイッチの本質は、ここにあるんですね〜


そうやって私は体験初日に、何かグッとくることを体験できました。
それは「感覚の扉を開けることができた」ということです。
では「感覚の扉」とは何か? 
それは「コツを体得する入り口に立つ」ということ。
「コツとは、脳の使い方、体の使い方の要点が感覚的にわかる」ということです。
こういうときには、こういうふうに脳みそを使う、
こういうふうに体を使う...ということが、感覚的にわかる。


しかし、問題は「コツ」はどうやったら体得できるか、です。


ドラムを例に言うと、「叩きたいリズムフレーズを分解して、
体ができそうなことをやってみる」もその一つですが、
先生から勧められたことがあります。
それは、「クチドラム」と呼ばれるもので、
叩きたいドラムのフレーズを声にして歌います。
私がこの週末に学んだのは、8ビートの「ドチタチ、ドドタチ」というリズムで、
「ド」はバスドラム ...というように、太鼓別にカタカナを当ててあります。
それをイメージして声に出すわけです。


え、そんなことが有効なの?と思いますよね。
私も最初はそう思ったのですが、、、
おそらくたくさんの太鼓を叩くのにも順番があり、しかもリズムがあります。
それがイメージできないと叩けません。
クチドラムはそのイメージを脳に覚えさせるのに有効。私はそう理解しました。
そして、脳に染み込むと、無意識にスムーズにその運動ができるようになります。
これは、スポーツを行なった体験がある人なら、
感覚としてわかるのではないでしょうか。
自転車を乗る感覚です。


さて、今日の本題。「考える」ことは「運動」のひとつなのか。
どう思いますか?
私は、今回の運動を習得するコツ、イメージを脳に定着させる方法は、
「考える」コツの習得に生かせるかもしれないと思い、
その仮説を今から披露します! ちょい、恥かし!


考える際に、「ドチタチ、ドドタチ」のように機能することは何だろう?
考えを進める方法をイメージ的につかむには何が重要なのだろう?
そう考えてみたのです。


最初に思ったことは、「8ビート」の動作をクチで表現したように、
「考える」の動作を言葉にし直したらどうなるか? そう考えました。


考える = 「トコトコ、トコトコ」です。
問い→答え→問い→答え→問い→答え→問い→答え


もちろん、答えは1つではないかもしれませんし、
直列的につながらない場合もありますが、


「考える」の動作を分解すると、「問いを持つ」+「答えを出す」です。
私が感じるのは、考えることに慣れていない人の場合、
漠然と考えることに向かって行って、
「問い→答え」をしていないように見えます。
どうなっているかというと、
「トコトコ、トコトコ」ではなく、「ココココ、ココココ」です。
問いがないのに、答えがある(不思議)。
きっと本当は心の中に問いがあったのだと思いますが、
その部分を言葉にしていないので、答えがなんの答えなのか、
ふんわりしてしまいます。


次に、クチドラムの「歌う」に代わることは何でしょうか?
それは、きっと「書く」です。
振り返ってみたら、私自身、考えるときにこれをやっていました。
「問い」を書き、「答え」を書くということをです。
そう、書くことは「見える化」する意味でとても重要なのに、
書かずに、頭の中だけで考える人、多いように感じます。
また心によぎったことは、何でも書けばいいのに、
考えがまとまるまで書かない人もいます。
でも! もし考えたいなら、むしろ何でも書いた方がいいと思います。


さて、、、、考えることに慣れていないと、「問い」が出せません。
でも、ここにもコツがあります。
クチドラム的に言うと、「トナドホ」です(笑  ←笑ってますが、マジです。


細かいことを言うと、もっといろいろな「問い」がありますが、
基本パターンは4つです。
 (1)〜はナニ?
 (2)ぜ〜?
 (3)うすると〜?
 (4)ント?


1番2番は目前の状況を理解したり、目的を明確にする上で有効です。
3番は対策を考える上で有効です。
4番は、自分の考えの浅さを暴くための、自分ツッコミ質問です。


「トナドホ」よりも、英単語の方が覚えやすいなら、What? Why? How? Really? 。


世の中にはたくさんのフレームワークが存在していますが、
考えてみると、それらはクチドラムと同じです。


「考える」という行為も、結局は動作の一つだと見ると、
トレーニング方法も浮かんできます。
あ〜 もっと話したいこと、あるんですけど〜 すでに長すぎ!


8月も半ばに入って、私は冷房にやられて、コンディションがイマイチです。
みなさんも、体調管理を万全に夏を乗り切ってください!

このブログは、2007年7月に始めたので、もう12年以上続けています。
メルマガを継続的に開始したのは、2013年7月。こちらも6年が経ちました。
メルマガの平均開封率は25%強と驚異的。もしよろしければ、登録してみてください!


この二つは、ある程度、覚悟をもって始めたので、
だから続いているのだと思います。
覚悟といっても、そのニュアンスはとても微妙です。
・原則「毎週」更新する。
・でもどうしても無理な時はパスもあり。
何が微妙かというと、どういう時にパスしていいか、
その線引きについては文言化していないからです。
結局は自分次第ということになります。


で、いったい私は何を基準に判断してきたのかを振り返ってみたのですが、
それはおそらく「継続性の担保」を基準にしてきたような気がします。
たとえば、毎週1回が原則なのに、2週に1回「今回は無理!」と判断してしまったら、
実質的には「毎週1回が達成できていない状況」になります。
でも、ほぼほぼ毎週1回書いていて、ああ、でも今週はどうしても無理...という場合、
毎週1回という継続性は担保されていると見なせます。


「継続性の担保」に明快なルールはありません。
結局、自分に対して何をOKするか、何をNGとするかに尽きます。
あ、でも今、これを書きながら、もう一つ重んじてきたことがあると気づきました。
「継続性の担保」の別の側面。
読者から見てではなく、自分が継続性を保とうという意識を持ち続けられるようにすること。
つまり、できているという感覚を保つための頻度はどの程度か、です。
それはやっぱり、「たまに休む」はOK、「時々休む」はナシ、と
本能的に思っている。
なぜなら、時々休むが定着すると、まず継続できないからです。
一方で、休むのは「罪悪」であると感じたら、これも苦しくて続かない。
その意識のバランスが継続に繋がってきたと思います。


さて、継続は力なりというように、継続はある面でとても重要です。
でも、それが好奇心のブレーキになってはいけませんよね。
先ほど、私は、ブログとメルマガについて、
「この二つは、ある程度、覚悟をもって始めた」と書きましたが、
何かを始める時に、いつもいつも同じようなスタンスかと言われると、
そんなことはありません。


たとえば、この半年の間に、人から見たら、
アレコレちょっと手を出しすぎでは?と思われるくらい、
いろんなことに手を出しています。
仕事のことは脇に置いておくとして、具体的には...


・ゴルフ
・俳句
・ドラム
・アウトドア
・寺社巡り


でも、これ、どれも興味があるから首を突っ込みたくなっただけです。
好奇心の赴くままにいたら、そうなった、という。
で、始めたらからといって、何かを極めなくたっていいし、
途中で飽きたらやめればいいと思っています。
始めるにあたって、継続できるかどうかなどまったく考えていません。


ここ、重要だと思うのです。
なんとなくですが、私たちの心の中に、何かを始めたら、やり抜かねばならん!とか、
軽い気持ちで始めてはいけないという思い込み、ありませんか? 
私自身、10年前はそう思っていたかもしれません。
でも、年齢が上がって、人生は一度切りなんだから、そんな必要はないなと思いました。
継続はもちろんいいことだし、重要なことですが、
「継続できるかな?」という気持ちが起きて、
それを理由にセーブしてしまうのはもったいないですよね。


セーブしないとこんなことが起きます。
実は、私、つい数カ月前まで、「山登り」に憧れていました。
そして、実際に山に詳しい友人に連れられて、初心者コースに登ってみたのですが、
やってみて、自分はこれをやりたいわけではなかった...。
そうわかったのです。すごく重要な気づきでした。


一方、俳句はまだ初めてから2カ月ですが、
これは一生やっていきたいなと思い始めています。
なぜなら単純に楽しいし、いつでもどこでもできるからです。


さて、、、
では、あなたは「気軽に」始めること、
「覚悟して」始めること、区別していますか?
仕事でない限り、覚悟して始める必要なんてないと思います。
人生は短いのだし、興味が湧いたら、気軽に始める心意気! 
いいのではないでしょうか!?


8月になりました!
暑くてイヤだなという気持ちもありますが、
同じ夏でも2019年の夏は1回だけ。楽しみましょう!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ