イチロー選手の自分軸という生き方
3月21日、マリナーズのイチロー選手が引退しました。
まずは感謝、そしていろいろな思いを込めて、拍手を贈りたいですね。
引退したのに「イチロー選手」と書くのはおかしいのでしょうが、
今日だけはそう書かせてください。
ご存知の通り、引退を表明したのは、東京ドームで行われた
「2019 MGM MLB日本開幕戦」第2戦の試合後です。
1時間20分にわたる記者会見はご覧になりましたか?
私はネットで全部観ました。
印象的だったのは、イチロー選手が誇らしい気持ちで
会見の場に臨んでいるように見えたことでした。
そして、その誇らしさの奥にあるものとは、
他人と自分を比較するのではなく、
また他人の評価を気にするのでもなく、
あくまで自分軸で生きてきたこと、
自分で考え、答えを出し、
努力を重ねてきたことへの誇りではないかと思います。
その誇りは、会見でのイチロー選手のこんな発言にも表れています。
「他人より頑張ったということはとても言えないですけど、
自分なりに頑張ってきたとははっきりと言える。
(努力を)重ねることでしか後悔を生まないことはできない」
「あくまで測りは自分の中にある。それで自分なりにその測りを使いながら、
自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。
そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって」
また去年の5月以降、ゲームに出られない状況になり、
おそらく心が折れそうになりながらも、
チームと一緒に練習を続けたイチロー選手ですが、
「あの日々がささやかな誇りを生んだし、
それがなければ今日の日はなかった」
という趣旨のことも語っていました。
天才と呼ばれ、数々の記録を達成したのは事実ですが、
自分の信じるルーティンワークをコツコツと重ねてきたその結果として、
輝かしい記録はあるのかもしれません。
イチロー選手の生き方を見ていると、
自ら考えて自分の哲学を紡ぎ出し、
その土台の上に行動を貫くことの大切さを痛感します。
私にはイチロー選手が野球選手というよりも哲人に見えます。
いくつもの伝説を生み出したイチロー選手ですが、
中でも忘れられないのが、2009年のWBCです。
開幕前からヒットが出ず、打席に立てども立てどもノーヒット。
しかし、同点の大ピンチに陥った韓国との決勝戦で、
6打数4安打、決勝の2点タイムリーを放ち、勝利に貢献しました。
あのときの重圧はどれほどのものだったか、想像を超えています。
会見では、「自分は人望がないから、監督には向かない」と発言。
しかし、イチロー選手の哲学と行動の積み重ねに対し、
尊敬しない人はいないでしょう。
現に、「世界一にならないといけない選手」と名指しした大谷翔平投手は
渡米した1年目のオープン戦で不振が続いたときに、
バットを持って、イチロー選手の自宅を訪ね、助言を求めたそうです。
この出来事自体、人望がある証拠。
普通はそう考えます。
でも、きっとイチロー選手は謙遜で「人望がない」と
言ったわけではないような気がします。
あくまで想像ですが、
イチロー選手は、監督に必要な人間像というのが具体的に描けていて、
そのイメージは想像をはるかに超えるような、
相当高い人間性を持つ人物なのではないでしょうか。
そんな高いイメージから自分を眺めたときに、
自分には人望がないと称しているように思えます。
そうだとしたら、高みを見通す力がすごいですね。
自分軸で生きる、自分を信じて生きるということは、
ただ信念を持つということではなく、その信念を体現するということ。
今回の会見を見て、改めて教えられた気がします。
いよいよ桜のシーズンになってきました。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。
逃げない人〜映画「ウィンストン・チャーチル」を観て
なんと3ヶ月ぶりぐらいに休みらしい週末でした。
友だちが遊びにきたり、ドラマや映画を観てダラダラと家で過ごしました笑
観た映画は2018年公開の
『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』です。
簡単にあらすじを紹介しますと(つまり、ネタバレ気味で書きますよ)、
ヒットラー率いるドイツがヨーロッパ各国に侵攻していた時代、
政権交代したばかりのチャーチルに刻一刻とたくさんの重い決断が迫られます。
ヒットラーとの和平交渉に臨むべきだという意見と、
取引はしない、断固戦うべきだという意見が対立する中、
チャーチルは断じてイギリスは屈してはならないと主張しますが、
意見は平行線のまま対立状況が続きます。
不利な形勢の中で戦いを続けても無駄な命が失われるだけだという主張は
一見すると理にかなっている感じがしますが、
和平交渉は事実上の屈服である、
自分たちの尊厳を守らなければならないという意見もあるわけで。
私も映画を観ながら、いや、やっぱり生きてこそなんぼでしょ、という心の声と、
やっぱり屈してはダメでしょ、という心の声が戦いながら観てしまいました。
どっちもイヤだけど、人権って大事ですからね、
血を流しあうことはイヤだけど、なにしろ相手はヒットラー。
うーん、究極の問いですなー
さて、でも1番の感想はそこではありませんでした。
歴史に名を残したチャーチル、「言葉の力で世界を救った」「言葉の魔術師」
「信念&伝える力のある人物」と表されているんですね。
言葉の会社を経営している私としては、興味を持たずにはいられません。
チャーチルは、連立内閣には反対派が大勢いるにも関わらず、
「イギリスはナチスに屈しない」という演説によって
イギリス議会、イギリス国民の気持ちを一つにします。
ヒットラーに首を垂れ、懇願する...それはありえないだろ!ということを
わかりやすく、心を動かす言葉で主張し、
結果的に他国のようにヒトラーによる侵攻されることなく、イギリスを守りました。
失われたたくさんの命もありますし、
実際にどう判断することが正しかったのかは誰にもわかりませんが、
チャーチルは今でもイギリスで歴史的な英雄であるようです。
国内での形勢が悪かったにも関わらず、言葉の力で大逆転したすごい例ですね。
私が、言葉のスゴさを痛感した日本の政治家といえば、
やっぱり小泉さんでしょうか。郵政解散演説。
あれも形勢逆転劇。スゴかったですね。
ほかにも、人心をつかんだスピーチ例って多々あります。
キング牧師、オバマ大統領、
ゴールデングローブ賞でスピーチしたオプラ・ウィンフリー、
小室淑恵さんの長時間労働をやめるためのTEDでのスピーチなどなど。
例を挙げればきりがないほど、国内外に素晴らしいスピーチがありますね。
さて、、、、
私はもちろん言葉の力を信じている人間です。
でも、、、、
「何を」発言したかも重要ではありますが、
「誰が」発言したかも重要な時代だと、とそんな気がします。
あ、いや、チャーチルがある意味では嫌われ者だったことも承知しています。
でも、人物としてはきっと何かを持っていたのでしょうね。
どんなにいいことを言っても、信頼の基盤がないと共感されませんよね。
信頼の基盤というのは、その発言者のブレない生き方だったり、
その発言者のブレたならブレたなりのそこから逃げない姿勢だったり、
チャーチルは多分逃げない人だったんではないかな。
そんなふうに思います。
そもそも自分を出さない人は、信頼したくてもできませんから。
(信頼しないわけではなくても、信頼できようがない)
だから、「会社では自分を出さない方がいい」なんて思っていると、
とんでもないしっぺ返しが返ってきたりします。
私は、自分を出すのはリスクだという考え方、違うんじゃないかなーと思います。
だって、自分を出さないと、本当のところでは信頼されませんからね。
もうすぐ桜が咲きますね!
今週も素敵な1週間を〜
清く、正しく、美しく〜3.11に思う
今日は3月11日、東日本大震災から8年が経ちました。
私は、あの震災の時、寄付など自分にできることはしたのですが、
現地でボランティアなどを行なっている方たちを見て、
自分の無力感を痛切に感じたことを覚えています。
そして、いや、待て、日本経済がズタズタになるときに、
経営をしっかりやり抜くことが私に課せられたことかもしれない、
そんなふうにも思ったことを今でもはっきり覚えています。
あの時の心のザワつき、ふと最近よく思い出します。
私はNHKをよく観るのですが、
ここ最近、東日本大震災当時の振り返り番組をいくつか観ました。
具体的にいい番組だと思ったのは、
・震災を機に日本国籍を取った日本文学者ドナルド・キーンさんの
インタビュー番組(再放送)
・除染の廃棄物が当初の計画通りに進まず、今なお、福島の皆様の
住居のそばにあることを取り上げた番組
・震災発生当時、行政、NPOなどの支援団体、自衛隊の連携が機能した
石巻モデルの紹介番組(再放送)
それらから感じたことはたくさんあるのですが、
欲張ると収拾がつかなくなるので、
今回はドナルド・キーンさんのインタビュー番組から感じたことを書きます。
さて、、、、ドナルド・キーンさんの名前、聞いたことはあるけれど、
具体的なことが思い出せない方のために、要点を紹介します。
ドナルド・キーン氏:
1922年6月18日、ニューヨーク市に生まれる。日本文学者・日本学者。
アーサー・ウェイリー訳『源氏物語』に感動して日本文化に興味を抱く。
文学畑の研究者だが、太平洋戦争中、通訳官として日本人に接する。
戦地で亡くなった日本人の日記に多数触れ、日本人の心に触れる。
日本びいきとして知られ、
東日本大震災を契機に、多くの欧米人が日本を去る中、
日本国籍を取得し日本に永住する意思を表明した。
晩年に書き上げた『正岡子規』『石川啄木』は話題に。
また『百代の過客』『日本人の美意識』など日本語の著作も多い。
先月24日、つまり2019年2月24日に心不全のため都内病院で亡くなられました。
キーンさんは、日本人の素晴らしさについて、
美を感じ取る心、人を思いやる心があることだと思っているようでした。
ちょっとこそばゆいですが、そうなのかもしれません。
そして、震災のときに略奪が起きなかったことや譲り合ったことに対し、
世界が感嘆したことにも言及していました。
確かに、財布を落としても、かなりの確率で戻ってくると言われるように、
今でも日本人は、他の国に比べて正しい行いをする傾向が高いのかもしれません。
そういうDNAは確かに日本人の心にはありますよね。
清く、正しく、美しく。
だけど、最近は「清く、正しく、美しく」は死語になり、
ぴんと来ない人も増えてきているような気がします。
不適切動画が平然とアップされたり、
正義とか美意識とか倫理観とか、そういう観点から発言し、
行動する人が減っているような?
あるいは、正しいと心底思えなくても、周囲に気を使って同意したり、
自己中心的なモンスター発言をしたり...。
判断基準にあるものが美意識ではなくなっている。
ドナルド・キーンさんは震災後、福島の農作物の安全性が検証されてもなお、
「私は九州の野菜を買っている」と自慢げに発言する人々に対して、
どこから買おうと自由だけれど言葉に出す必要はない...と感じたと語っていました。
それが寄り添うことであり、日本人が大切にしてきたことではなかったのか、と。
清く、正しく、美しく。
そんな生き方はカッコいいと思います。
と、同時に番組を見ていて「東北を忘れないで」のメッセージを受け取りました。
その通りだなと思ったので、シェアします。
たかがシェア。されどシェア。
それが何もできない私にとって、ささやかですができることです。
素敵な1週間を!