歳を取るのも悪くない
今年も残るは今日を含めて7日間。
来年を良い年にするためにも、今年1年を振り返るのは重要かもしれません。
あなたの2018年はどんな1年でしたか?
たとえば漢字一文字で表すと、どんな字になりますか?
尋ねておきながら、自分の文字を考えると、意外に難しいですね(笑)
私の場合は、方向を定め直す年でもあったという意味では「舵」、
自分の考え方や美意識を再発見したり、
心を自由に泳がせたりした1年だったという意味では「解」、
成るように成ると開き直った1年であり、
なおかつ次の道を開こうとした年だったという意味では「開」。
こんな3つの文字が浮かんできました。
なぜか、どれも音は「か」で始まります。
2018年の心に刻まれる出来事としては、5月に母が亡くなったり、
ウン十代の大台に乗ったり、自由をテーマに個展を開いたり、
ビジョンを浸透させる新しいワークショップを開発したり、そんな1年でした。
毎年、年の境にはまた歳を取るのか...と、時の早さにため息が漏れますが、
最近は、歳を取るのも悪くないと思うことが増えてきました。
どういうことかというと。。。。。
私の感じる三大利点をまとめてみました。
その1:
年齢が上がれば上がるほど、人生には限りがあるということを実感するので、
迷っている暇はないという気持ちが生まれて、
いろんなことを潔くどんどん即決できるようになりました。
即決できるようになったのは、迷っている暇がないという理由以外にも、
自分の価値観や美意識がよくわかるようになったということもあります。
そうやって決断がすぐにできるのは、結構気持ちのいいものです。
いえ、その決断が間違っていることももちろんあるのですが、
迷わない自分に若い時以上のパワーを感じたりします。
その2:
人生には限りがあるという自覚が強くなると、
人生は誰の人生でもなく、自分の人生なのだという自覚もまた強くなります。
だから、自分の満足や幸福を堂々と大切にしようと考えるようになりました。
というのは、自分がもし我慢ばかりして幸福を追求しなかったら、
そんな人間に他の人の幸福を考えられるわけがないからです。
みんなが貪欲に幸せを追求できる社会でありたいなら、
まず自分が率先してそれをやろうと思うようになりました。
その3:
そうなってくると、人からどう思われるかは気にならなくなります。
自分の心が何を求めているかを一番大切にするからです。
もちろん、自分がそれほど求めていないことをすることもありますが、
自分の心に自覚的であるので、
我慢ではなく、意思をもって選択した気持ちになれます。
歳の重ね方は、人それぞれ違います。
だから、誰もが私と同じように感じるとは限りません。
でも、歳を重ねるのには、いいこともあるとわかっている方が、
肯定的な気持ちで向かっていけますよね。
私は、87歳にして美しいファッションモデル、
カルメン・デロリフィチェさんを見ていると勇気をもらいます。
さて、今年の正月休みは9連休という方も少なくないのではないでしょうか。
どう過ごしますか? 私の見たい映画は「カメラを止めるな!」「日々是好日」、
読みたい本は「自意識と作り出す思考」とブッダ、法然、親鸞に関する新書3冊。
年内できなかった大掃除を年明け早々にする...ということにもなりそうです。
今日が今年最後のブログになります。
今年もお世話になりました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
ボヘミアン・ラプソディ〜何が人を魅了するのか
伝説のロックバンド「Queen」のボーカリスト、フレディ・マーキュリーを
主人公とする映画「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットを続けています。
11月9日に公開されましたが、
週を重ねるごとに右肩上がりで観客が増え続けるという異例の状況だそうです。
この人気はどこから来ているのでしょうか?
まるで本物のQueenを観ているかのような再現力の凄さもあるでしょうが、
今日は、改めてフレディの何が私たちを魅了するのか、考えてみました。
私は本気で謝罪したフレディの魅力を先週のブログに書きましたが、
それ以外にも私たちが魅了される理由は、大きく言って4つほどあると思います。
(これから映画を観る方は、この先を読むべきかどうかを判断してくださいね)
・信念を貫いていること
・エネルギーを出し切っていること
・一人の力を超えようとしていること
・劣等感も含めて自分を受け入れていること
信念を貫いていること
信念を貫く姿は、まず単純にカッコいいものですね。
「キラー・クィーン」が大ヒットした後、
プロデューサーは二匹目のドジョウを取りに行くことを方針にしようとしますが、
フレディも他のメンバーも「同じことはやらない」と断固として拒否し、
常識破りの6分間の曲「ボヘミアン・ラプソディ」をリリースすると主張します。
このシーンは、信じたことに向かって突き進んで行く彼の生き方を象徴しています。
でも、彼はただ強い人だったのではなく、弱い面も持っていました。
だからこそ、私たちは彼が信念を持って行動する一面に惹かれるのだと思います。
エネルギーを出し切っていること
フレディはエネルギー全開で生き、死んでいった人でした。
明日のために、今日出すエネルギーをセーブすることはありません。
そういう意味では、まるでスポーツ選手のようでさえありました。
また、この映画では、フレディのエネルギーもさることながら、
キャストたちのエネルギーの強さにも感動します。
楽器を弾いたことがない、歌を歌ったこともない俳優たちが、
全員で死に物狂いで楽器を習得し、演奏の手元シーンも自分たちで演じたそう。
キャストのエネルギーとフレディのエネルギーがダブって見えるから、
キャストの精神にロックを感じて、
観客はキャストに対しても尊敬の念を抱いたのですね。
一人の力を超えようとしていること
この映画、Queenのメンバーの多様な個性も魅力の一つでした。
フレディはバンド活動を休止し、ソロで活動を始めますが、うまく行きません。
恐らく彼は、自分一人の方が自分の才能はもっと出せると思ったのでしょうが、
スタジオミュージシャンたちが、言われた通りにしかやろうとしないのを見て、
Queenのメンバーの創造性がいかに作品作りに欠かせないか、痛感します。
プライドの高いフレディが真剣に謝り、バンドは復活。
1+1+1+1=4以上の成果を出すQueenの姿が感動を呼びます。
私も、こういう姿が自分の会社の理想だな...と感じました。
きっと組織で働いている人なら、そう感じた人も多かった気がします。
劣等感も含めて自分を受け入れていること
フレディはタンザニアで生まれたペルシャ系インド人で、
ゾロアスター教徒、同性愛者であるなど、いろいろな意味でマイノリティでした。
しかも、前の歯が出ているという容姿的な特徴などもあって、
それらに対するコンプレックスや孤独感が強かった人だと言われています。
一説によれば、楽曲「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞にある
「Mama, just killed a man」(ママ、たった今、僕は人を殺めてしまった)は
ゲイであることで悩んでいる自分自身を殺したという意味だという解釈もあります。
葛藤しながらも、自分の葛藤を受け入れて、自分のままでいようとする様子に、
私たちは、自分は自分のままであっていいというメッセージを受け取ります。
2013年公開のディズニー映画「アナと雪の女王」の辺りから、
自分らしく生きることに、人は魅了され続けているのではないでしょうか。
さて、「ロックに生きる」という言葉があります。
他人に迎合せずに、リスクに怯えずに、
自分らしく自分を信じる生き方を意味すると思います。
フレディ・マーキュリーという人はまさにロックに生きた人でした。
私も、良くも悪くも、ロック度は高いと自負しています(笑
あなたのロック度はどのくらいですか? どのくらいでありたいですか?
今週もボヘミアンな(心自由な)1週間になりますように。
本気で謝るということ〜映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て
週末、伝説のロックバンドQueenとそのリードボーカル/フレディ・マーキュリーの
実話に基づく映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきました。
ここに書くことは、ネタバレ(というよりもある程度知られている実話バレ)を含みますので、
これから観る予定がある方でストーリーを知りたくない方は読まない方がいいかもしれません。
私がQueenの存在を知ったのは、確か中学生の頃でした。
まだCDさえなく、お年玉でレコードを買い、友達と貸し借りするのが楽しみだった時代です。
音楽情報は雑誌「rockin'on」などからしか入手できませんでしたが、
「ボヘミアン・ラプソディ」のプロモーションビデオ(上の動画)が
テレビで取り上げられていたことは覚えています。
曲は6分と異例の長さ。オペラ的なロックと当時話題になりました。
Queenとフレディに敬意を評し、映画のプロモではなく、原曲のプロモを掲載します。
当時、プロモーションビデオ自体が珍しかったんんじゃないかしら?
この映画のすごさは、本物を見ているようなど迫力です。
姿、動作、歌声、演奏...。
どの演奏にもすべてに魂が込められていて、
それがモノマネとは違う本物感を漂わせたのだと思います。
特にフレディ・マーキュリーがまるで目の前にいるかのように、
このクオリティで再現されたとは! ラミ・マレッタの演技力と歌唱力は圧巻です。
あまりの迫力に、Queenを知らない若い世代も感嘆しているに違いありません。
さて、ここからが本題です。
そういうシーンの一つ一つに感動しましたが、
もう一つ感動もし、考えさせられもしたシーンがありました。
それは、人気絶頂の頃、フレディはソロで活動することを宣言し、
バンドのメンバーと仲違いをしてしまいます。
お互いがお互いを家族のような存在だと思っていただけに、
メンバーにとってそれは一種裏切り行為でした。
でも、フレディにとっては、
自分の力だけで新しいチャレンジをしたくなっただけだったかもしれません。
でも、結論からいうと、それはうまく行きませんでした。
ソロとはいえ、音楽づくりにはミュージシャンと組む必要があります。
でも、言われたことを言われた通りにしかやらないミュージシャンたちを見て、
フレディはいかにQueenの他のメンバーの存在が大きかったか、悟ります。
そして、彼は「謝る」機会をもらい、復帰するのですが、
その時、彼は「自分は、傲慢で、自分勝手で、最低のクズだった」と自ら言います。
フレディは、人生で大切なもの、失いたくないものがわかったから、本気で謝った。
あれだけプライドの高い人が、こうやって本気で謝る姿を見て、私は感動しました。
本気ってすごいパワフルです。
そして、本気の人、真摯に心から謝っている人を、人は見捨てないんですね。
私たちは過ちや失敗を犯した時、ついつい自分を正当化します。
これは自分のせいではなく、○○が原因だ、
自分が最後までやりきれなかったのは、○○がこう言ったからだ、
○○が起きなければ、自分はこう行動しなかった。。。
そして、自分を正当化している間は、
いくら謝っても、大抵は形式的なものにしかなりません。
最近私はある友人との関係を自分から壊してしまったのですが、
最初の1週間は自分を正当化しました。
でも、今は本気で謝ろうと思っています。
そう思ったのは、この映画を観たからではありませんが、
映画の中で響いたところには、私らしい価値観が現れている気がします。
本気で謝るとき、どう受け止められるかを気にしていてはダメですね。
ただただ本気で謝るだけ。
それを今月中にするつもりです。←決意!
いよいよ12月に突入しました。
慌ただしい季節ですが、素敵な1週間をお過ごしください!