行動が思考をつくる?
3月3日(土)放映のNHKスペシャル、
「AIに聞いてみた、どうすんのよ!?ニッポン」、
ご覧になりましたか?
MCは、マツコ・デラックスと有働由美子アナ。
今、注目される「働き方」について、
AIを使ってアプローチした興味深い番組でした。
NHKは「AIひろし」こと、社会問題解決型AIを独自に開発しているのですね。
AIひろしが導き出した結論は、
(1)仕事で忙しい人は道の駅に行け、とか、
(2)お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めなければ、
仕事に満足できる、とか、
(3)ストレスだらけの人は結婚・出産祝を贈れ、など、
奇想天外なものばかり。
専門家を交えて、その因果関係を解き明かす、そんな内容でした。
AIひろしは、
社会の構造パターンを見つけ出し、
課題とその解決の糸口を探ることを目的に開発されたそうです。
膨大な情報を取り込み、日々、学習し続けているのだとか。
上に挙げた(1)から(3)は、仕事の満足率と関係があると見られた行動例です。
が、ぱっと見ただけでは因果関係があるとは、到底思えません。
AIひろしは「仕事満足率」を左右する「8大要素」として、
ストレスの状況、仕事が生きがい、時間のゆとり、人間関係、
希望、規則正しい生活、お金のゆとり、栄養のバランスを抽出しました。
ところが、これらが満たされていなくても、満足率が高い人が存在しており、
その人たちの行動を分析した結果が、上の(1)(2)(3)でした。
お金にゆとりがなくても、蛇口をこまめに閉めない人が、
仕事に満足している割合は、81.0%にも上ったというわけです。
実際には、「お金にゆとりがない」「蛇口をこまめに閉めない」を含め、
「家庭が生きがいではない」「職場に友人がいる」など、
全部で10項目にイエスと答えた人たちなのですが、
興味深いのは「蛇口をこまめに閉めない」にイエスと答えた時点で、
満足率が急激に上がっていること。
http://www.nhk.or.jp/special/askai/diagram.html
いったいどんな因果関係があるというのでしょう?
ここからは番組で語られていたこと/いないことも含めて、
私が感じたことを書きますね。
蛇口を閉めないという行いから想像される人物とは、
どんな人でしょうか。
環境への配慮が求められるこの時代の行動としては、相当なマイペース。
かつ他人からどう思われようが気にしない人...というイメージが湧いてきます。
きっと細かなことなど気にしないような人物ではないでしょうか。
そういう人が仕事に満足しやすい(不満を感じにくい)と言われると、
確かにそうかもしれないという気持ちになります。
道の駅に行く行為と仕事への満足も一見無関係のように思えましたが、
行くのも行かないのも自由なのに立ち寄っていると思うと、
好奇心が旺盛で主体的に動いていそうなイメージがあります。
そういう人の満足度は高いと言われたら、違和感がありません。
結婚祝、出産祝を贈るというのも、
人の幸福を喜ぶということですから、
喜びを味わうことが多ければ、満足や幸福に繋がりそうですね。
番組では、こういう人の満足率は高い...と言っているだけで、
逆は真なりとは言っていません。
(1)から(3)の表現はあくまでキャッチーにするためのものであって、
満足するために、こういう行いをせよとは言っていないわけです。
なのですが、ここでハタと気づきました。
実は逆は真なりなのかも、と。
私たちは、思考や意志の方が行動より先だと思いがちですが、
実は、そうでないことが多いですよね。
たとえば、「細かいことを気にするのをやめよう」とか、
「いろいろなことに好奇心を持って暮らそう」などと考えたとしても、
潜在意識が邪魔をして、そんなに簡単に行動は変わりません。
ところが、行動してみたら、思考が変わっていくということはありますよね。
「蛇口をこまめに閉めない」という行動はおすすめしませんが、
それに代わる「細かいことを気にしない」「他人の目を気にしない」を
象徴するような行動を先にしてみたとします。
あるいは「道の駅」に代わるような場所に毎日行き続けたとします。
そうすることで、人は経験から何かを学び、
それによって思考が変わり、仕事の満足度が上がる...
意外にありうるのかもしれませんね。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!
ブランドの本質に関わる事件に遭遇!
先週は、ちょっとした出来事があり、ブランドとは何かについて考えさせられました。
今年の1月にアムステルダムに旅行した際の最終日、
スキポール空港で某ブランドのサイフを買いました。
日本円にして2万円超のそのサイフ、購入して2カ月も経たないうちに
チャックが壊れ、閉まらなくなってしまったのです。
電話をしたところ、、、、
海外で購入した商品は有料修理、
購入時のレシートが必要、
送料は顧客負担、
歩いていける場所だったので、持参したいと申し出たら、
持参は不可。
これを聞いて、あなたならどう思いますか?
私は、2カ月も経たないで壊れたのは「不良品」だと思いました。
本来は交換してほしいところです。
同じ品物がないかもしれないことを考慮して、
百歩譲ったとしても、有料修理はないんじゃないかな。
100円ショップで買ったものではないのですから。
あまりに当然のように言われたので、
腹が立ってきました。
「不良品を買わされた上に、修理代も送料も負担させられるのは、
納得がいきませんね」
すると、電話の向こうで相手は、
「では、ヤマト運輸か佐川急便の着払いで結構です」と、
コロッと態度が変わりました。
えぇ〜 言ったもん勝ちって、むしろひどい!
私はこのように対応されたことの意味、彼らの依って立つ考え方について
こう捉えました。あくまで想像ですよ。
「ウチが売ったわけではないので、責任は持てませんね。
ウチに責任がないことで時間を取られるのは、困るんですよね!
それに本当に買ったばかりなんですか?
ウソでないならレシートを添付して証明してください...」
ということなんだな、と。
それでなくても、チャックが閉じなくなった状態にゲンナリして、
その気持ちに寄り添ってほしいところなのに、
感情を逆撫でされた気分でした。
でも、、、
これは電話に出たその担当者の対応が悪かったということなのでしょうか?
私はそうは思いませんでした。
ブランドの本質である「顧客との約束を守る」ということを
その企業は大切にしていないから、この対応になったのだと思いました。
つまり、ブランドマークが約束の保証になっていなかったということですね。
約束を守ることの大切さを従業員に教育するどころか、
そういう哲学を企業自体が持っていなかったのだと思うのです。
おそらくライセンスビジネスなので、こういうことが起きるのでしょうね。
ライセンスを買って商売しているだけだと、
ポリシーもへったくれもないのかもしれません。
なのに、ブランド名は有名だから、ブランド品だと思っている。
あなたは、ブランドとは何だと思いますか?
よく言われることの一つが、ブランドは約束であるということ。
約束を守るというのは、期待を裏切らないということと言い換えられます。
顧客は、ブランドごとに違うことを期待する部分ももちろんありますが、
どんな場合でも、商品の品質に誇りを持って作られていること、売られていること、
顧客に対して誠実であることを期待しているのではないでしょうか。
しかし、ブランドを確立するのは、そんなに簡単なことではありません。
なぜかと言えば、何を約束するのかが明確になっていなければなりませんし、
その会社の全員がそれを理解し、
同じように行動できる必要があるからです。
さて、他人のフリ見て、我がフリ直せですよね。
グラスルーツブランドはどうだろうか?
お客様に何を約束しているのか、共有できているだろうか?
誰が担当しても、同じ判断基準で行動できているだろうか?
自分たちを高めていくための良い問いですね。
あなたの会社はどうですか?
今週は随分と暖かい日が続くようですね。
花粉も激しいかも...
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!
自分の命を使い切るには?
先週21日、俳優の大杉漣さんが66歳で亡くなりました。
あまりに若くして亡くなられたことが残念でなりません。
だからというわけではありませんが、
今日のメルマガは、命の話です。
いったい私たちにとって命とは何なのでしょう?
ここに書くことは、私自身への自問でもあります。
よろしければ、お付き合いください。
私たちは、いったい何のためにこの世に生まれてきたのでしょう?
あの世に行く直前、
「おまえ、よく生き切ったよ」と自分が自分に言えるためには、
どうあったら良いのでしょう?
命について、私はこんなイメージがあります。
命はエネルギーそのもので、
人は皆、同じ量のエネルギーを与えられて生まれてくるのではないか。
でも、上手に使わないと不完全燃焼となり、
エネルギーを使い切ることができない。
だから、若くして亡くなってしまう人がいるのはもちろん残念なのだけれど、
命は短くても、命を使い切った人はきっと幸せに違いない。
それでも、残された人にとって、
身近な人を失うことほど、辛いことはありません。
私にも、そんな経験があります。
けれど、その辛さというのはやがて昇華され、
彼らが教えてくれたこと、残してくれたことを、
味わえるようになります。
それはまるで余熱を味わうかのような感覚で、
彼らが放出したエネルギーがそこに残っているとさえ感じられます。
何年か前に参加したある合宿研修で「人生の目的」について
問われたことがあります。
何のために生きるのか、という問いに対して、
自分なりの答えを持てということなのでしょう。
それまで私は、そんなことを考えたこともありませんでした。
で、ぶっちゃけ悩みました...笑
まず、何か立派なことを掲げないといけないような、
そんな気持ちに陥りました。
でも、そこで問われた「人生の目的」とは、
きっとそういうことではなかったのだと今は思います。
ちょっと意訳すると、
「あなたは、どんな心の声に従って生きると幸せか?」
ということでしょう。
さらに少し付け加えるなら、自分一人での幸せと、
自分以外の他者とどういう関わりであったら幸せなのかの二軸で
自分の幸せを考える...そんなことなのだろうと思います。
例えば、、、、
それについて、私が今、感じていることを書くとすれば、
きっと私は冒険心や好奇心の赴くままに生き、
そこから得たことや感じたことを人と分かち合うこと。
私の場合は、そんな合わせ技でしょうか。
前回のメルマガで阿部が書いていた羽生結弦選手は、
自分ができると信じたこと、しかもやったことのないことに
チャレンジすることが彼の幸福であるように見えますし、
同じフィギュアスケートの選手でも、宇野昌磨選手は、
自分が思い描いた通りの世界を表現することに喜びがあるように見えます。
自分の幸福の追求なくして、命を使い切ることはできないのかもしれません。
さて、命について考えさせられる有名な絵本の一つに
「葉っぱのフレディ」があります。
タイトルの通り、主人公フレディは木の葉っぱです。
「この木も死ぬの?」と聞くフレディに、親友ダニエルはこう語ります。
「いつかは死ぬさ。でも『いのち』は永遠に生きているのだよ。」
すごく哲学的です。
ダニエルの言葉の意味を、あなたはどう考えますか?
自分の命を、どう使い切りたいですか?
本当は飲みながら話したいところですね笑
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!