悲しみを救うもの
今日は、ワタシが長年お世話になった方の1カ月命日です。
ワタシにとっては、「恩人」であり、「師」でもあっただけに、
その喪失感は筆舌に尽くしがたいものがあります。
友だちや家族など、近しい人たちの言葉にも助けられましたが、
こういう時に救ってくれたのは、意外にも歌でした。
メロディーと歌詞が双方から語りかけてくるのですが、
立ち止まるワタシにより語りかけてくるのは、やっぱり歌詞の方でした。
特に桜井さんの「誰の命もまた誰かを輝かす為の光」というフレーズは秀逸です。
改めて言葉の力を思い知らされました。
そして、それは故人からワタシへのメッセージのようにも受け止めています。
ワタシからの弔いとして、故人への感謝の気持ちとして、曲を贈ります。
悲しみに包まれているほかの皆さんも、歌の力で一緒に元気になりましょうね。
「花の匂い」(桜井和寿@Mr.Children)
「サヨナラColor」(永積タカシ@ハナレグミ)
「たしかなこと」(小田和正)
「春よ、来い」(松任谷由実)
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「花の匂い」(桜井和寿@Mr.Children)
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届けたい 届けたい
届くはずのない声だとしても
あなたに届けたい
「ありがとう」「さよなら」
言葉では言い尽くせないけど
この胸に溢れてる
花の匂いに導かれて
淡い木漏れ日に手を伸ばしたら
その温もりに
あなたが手を繋いでいてくれているような気がした
信じたい 信じたい
人の心にあるあたたかな奇跡を信じたい
信じたい 信じたい
誰の命もまた誰かを輝かす為の光
"永遠のさよなら"をしても
あなたの呼吸が私には聞こえてる
別の姿で 同じ微笑で
あなたはきっとまた会いに来てくれる
どんな悲劇に埋もれた場所にでも
幸せの種は必ず植わってる
こぼれ落ちた涙が如雨露一杯になったら
その種に水を撒こう
人恋しさをメロディーにした
口笛を風が運んでいったら
遠いどこかで
あなたがその目を細めて聞いている
"本当のさよなら"をしても
温かい呼吸が私には聞こえてる
別の姿で 同じ愛眼差しで
あなたはきっとまた会いに来てくれる
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「サヨナラColor」(永積タカシ@ハナレグミ)
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そこから旅立つことは とても力がいるよ
波風立てられること 嫌う人ばかりで
でも 君はそれでいいの?
楽がしたかっただけなの?
僕を騙していいけど 自分はもう 騙さないで
サヨナラから 始まることが たくさん あるんだよ
ほんとのことが 見えてるなら その思いを 僕に見せて
自分を貫く事は とても勇気がいるよ
誰も一人ぼっちには なりたくはないから
でも 君はそれでいいの? 夢の続きはどうしたの?
僕を忘れてもいいけど 自分はもう 離さないで
サヨナラから 始まることが たくさん あるんだよ
ほんとのことが 見えてるなら その思いを 捨てないで
サヨナラから 始まることが たくさん あるんだよ
ほんとのことは 見えてるんだろう
その思いよ 消えないで
その思いを 僕に見せて
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「たしかなこと」(小田和正)
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雨上がりの空を見ていた
通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから
小さな幸せに 気づかないんだろ
時を越えて君を愛せるか
ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた
君のために 今何ができるか
忘れないで どんな時も
きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ
自分のこと大切にして
誰かのこと そっと想うみたいに
切ないとき ひとりでいないで
遠く 遠く離れていかないで
疑うより信じていたい
たとえ心の傷は消えなくても
なくしたもの探しにいこう
いつか いつの日か見つかるはず
いちばん大切なことは 特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を 今の気持ちのまゝで見つめていること
君にまだ 言葉にして 伝えてないことがあるんだ
それは ずっと出会った日から 君を愛しているということ
君は空を見てるか 風の音を聞いてるか
もう二度とこゝへは戻れない でもそれを哀しいと 決して思わないで
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「春よ、来い」 (松任谷由実)
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淡き光立つ 俄雨 いとし面影の沈丁花
溢るる涙の蕾から ひとつ ひとつ香り始める
それは それは 空を越えて
やがて やがて 迎えに来る
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする
君に預けし 我が心は 今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても ずっと ずっと待っています
それは それは 明日を越えて
いつか いつか きっと届く
春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく
春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする
春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く
明日
今日は更新日なのですが、公私ともに、なんやかんや忙しくて、明日…かな〜。
約束するほどの自信はありませんが、一応予告をここに書いておくことにします。でも、どうかなと弱気なワタシ。
明日は明日の風が吹く!
「人と人とは分かりあえない」という事実に「言葉」を生業にする私たちはどう向かうべきか
先日、ある人がこんなことを言いました。「言葉が万能であるかのようにずっと思っていた。だからこそ、話している相手が悩んでいれば、詳しい事情や背景について言葉を頼りに知ろうとし、それがわかればその先に解決策があると思い込んでいた。けれど、それは間違っているのではないかと考えるようになった」と。
これはまさに「言葉」や「コミュニケーション」に携わる私たちへの警鐘のような話で、大いに共感しました。
私自身は、「言葉」の力を信じながらも、「そもそも人と人とは分かりあえない」という考え方を自分の大原則にしてきました。たとえ、夫婦だろうが、親子であろうが、人はそれぞれ別の生き物であるのだから、100パーセント理解し合うことなど不可能だ、と。それに異論のある人は、あまり多くはないのではないでしょうか。それでも、「言ったはずだ」というような会話をよく耳にするのは、言えば分かると思っている人が多いからなのだと思います。
「言葉」に携わり、「言葉」の力を信じて仕事をしている私たちは、「人と人とは分かりあえない」という事実とどう向き合うべきか。とても大切な問いであると思います。
難しい問いなのですが、ワタシ自身はこう考えています。分かり合えないからこそ、一生懸命分かろう、一生懸命伝えようと努力する必要があると。
たとえば、話し言葉であれば、相手が「イエス」と言ったとしても、本当にその言葉通りに「イエス」と思ったかどうか、心を研ぎすませて汲み取ることが必要です。「ノー」の場合も同じです。
以前、ある会社を訪問した際に、社長の言葉を二人の部長がまったく正反対に解釈しました。一人は、それは良くないからやめろと言っていると解釈し、もう一人はこういう視点を加えて考え直せと言っていると解釈しました。確かに、ネガティブな表現だったので、言葉通りに受け止めると「『やめろ』と言っている」と解釈するのも無理からぬことでしたが、その場に居合わせたワタシの解釈も後者の部長と同じで、やめさせることが真意ではないように聞こえました。結果論的に正解はわかりませんでしたが、同じことを聞いても、こうも理解が変わってしまうのかと愕然としたことだけは記憶しています。自分自身を振り返っても、できているとは言えませんが、言葉を発する人は相手の理解を見極めながら話し、言葉を受け止める人は言外の意味も含めて理解しようとしないと、こういうことは日常的に起きると思います。
書き言葉の場合は、読者が目の前にいるわけではないので、話し言葉以上に配慮が必要です。それは、言い換えれば、読者の気持ちに対して想像力を張り巡らせて書くということなのだと思います。話し言葉であれば、少なくとも目の前に理解すべき対象がいますが、書き言葉の場合は誰が読むだろうかと想像することが必要ですし、さらにどんな気持ちの人に読んでもらいたいのか、読んだ後にはどんなふうな読後感を得てほしいのか、話し言葉以上に想像力が必要だと思います。
当社の場合、直接お金をいただいているのは、書き言葉においてですが、サービスレベルを左右するのは、むしろクライアントとの話し言葉だと思います。ですから、話し言葉も書き言葉も、どちらも侮ってはいけないと思います。
「言葉」を生業にしている私たちは、人と人はどんなに「言葉」を尽くしても分かり合えないということをしっかり認識し、伝えれば簡単に分かってくれるのだというような不遜な気持ちを抱かないようにしないといけないな、と改めて痛感しました。
謙虚な気持ちで「言葉」というものを取り扱いたいと思います。
たかが雪かき、されど雪かき
今日はすっかり雪景色。寒い一日でしたね。わが家の場合、エアコンのフィルターの掃除をしていないのが原因という説も…。皆さんは、どんな三連休でしたか。
今日は、雪が降ったので、「雪かきは社会的責任」という父から聞かされた話をネタに書きたいと思います。
父が70代の前半ぐらいだった頃のことです。雪が降って、私が両親が道で転んでは困ると心配し、「むやみに外に出ないように」と言ったときに、父がこんなことを言いました。「雪かき」についてでした。
「自分の家の前の道で、誰かが転ばないように、雪かきをするのはその家の役目だと思っている」と。多分、娘に心配させたくはないけれど、自分たちなりにできることはやっていく、という意思だったのだと思います。
親のことは心配。でも、父の考える社会は素敵だなと思いました。そして、70代の前半というのは、今の時代、若いです。それで、当時のワタシは「なるほど」と思って、それ以上は言いませんでした。
さすがにそんな父も80代の半ばになって、人様のために雪かきするよりも、ここで転んで娘に負担をかけたくないと思うのでしょう。最早、道路の雪かきはしません。
さて、今日、両親の暮らす家から自宅に戻って、ワタシが最初にしたのは「雪かき」でした。それは、マンションの入り口から駐車場までの間がスロープ&カーブで、すでに7〜8センチ近く積もった雪を目の当たりにして、新雪のまま坂を下る自信が持てなかったからです。その雪かきをしながら、この雪かきは「自分のため」だなと思いました。父の言っていた、近隣のため、社会のためではないな、と。
駐車場に車を入れた後、マンションの玄関の前の道の雪かきをしてみました。みんなが自分以外の他人のことに思いを巡らせるような社会になったら、素敵だなと思いながら。たかが雪かき、されど雪かきですね。
「考え」が「言葉」になり、それはやがて「運命」を形作る 〜 「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
考えが言葉になり、言葉は行動に、行動は習慣に、
習慣が人格になり、人格は運命を形作る。
Watch your thoughts; they become words.
Watch your words; they become actions.
Watch your actions; they become habits.
Watch your habits; they become character.
Watch your character; it becomes your destiny.
真実だな、と思います。
Think deeply, Talk simply.
深く問い続け、語るときはシンプルに。それが、伝わるメッセージ。
グラスルーツは、今年も伝わるメッセージの設計をお手伝いします。