「やめる」スキル
子どもの進級の準備は実は結構大変です。
学年とクラスが変わるので、持ち物の名前は書き直し。
我が家は新1年生もいるので、
鉛筆、色鉛筆、クレヨン一本一本に名前シールを貼り、
名前付けだけでかなりの時間を費やしました。
先日、同じ小学生を持つお母さんと話をしていた時、
体操着のゼッケン付けのことで、
「なるほどー」と思ったことがありました。
彼女の家は、とても規則正しいことで知られています。
小学生が3人もいて、それぞれ習い事もしているのに、
生活時間がほとんど狂うことがない。
ある時、夕方6時過ぎに家を訪ねたら、
皆すでにお風呂に入った後で、パジャマ姿でした。
その彼女が、ゼッケン付けのことを話していた時、こう言ったのです。
「体操着のゼッケン付けは1日1人分しかやらないの。時間かかるから」
彼女には小学生が3人いるので、ゼッケン付けは3人分。
体操着の前と後ろに付けるので計6枚です。
ゼッケンを付けるには、ゼッケンに学年と名前を書いて、
アイロンでぎゅっと押さえます。
ゼッケンへの名前書きは、フリーハンドだとフニャフニャになり、
運動会など、遠くから見た時に
「あー、あんなフニャフニャな字のゼッケンつけてるから、徒競走が遅いんだわ」
ということになりかねないので、
私はパソコンでプリントアウトした字の上にゼッケンを重ねて、
それをなぞって書いています。彼女も同じようにしたと言っていました。
なので、ゼッケン6枚を付けるために要する時間は1時間くらいでしょうか。
ゼッケン付けを毎日1人分、3日間やる? 私はびっくりしました。
私なら絶対いっぺんに終わらせる。たった1時間です。
3時間かかるとしても、まとめて一度に終わらせたい。
そして気づいたのです。そうか、これが規則正しい人のやり方なんだ、と。
つまり、あとのスケジュールに影響してしまうので、
「まとめてやりたくても、やらない。やめる」ってことなんです。
私はこれまで、規則正しい生活のためには、
決めた時間に取りかかることが大切だと思っていました。
というより、それ以外のことは考えていませんでした。
「やめる」ってことが重要だったのか。
私のように、のってきたらそのまま続けたいタイプの人間には、
途中で「やめる」というのは、かなり難しそうですが、
何かをどんどん進めていくためには
「やめる」スキルは確かに必要だなと思いました。
そう言えば、彼女、以前も言っていました。
「子どもの上履き洗いは1日2足って決めてる。それ以上は無理」って。
えーっ、残りあと1足なのにー?
どんな人についていきたいですか?
先日、テレビでサッカー欧州チャンピオンズリーグの試合を観戦していた時、
あるチームの監督の行動を見て、
「やっぱり、勝つチームのリーダーだなあ。
こういう人に選手はついていくんだろうなあ」
と思わず呟いてしまいました。
試合は準々決勝。
試合終了まであと4分という時間に、追加点をあげたチーム。
その追加点のおかげで、準決勝進出が可能になったので、
ゴールした選手は歓喜のあまりピッチに倒れ込み、
その上にどんどん選手が重なって、喜びを分かち合っています。
そこに猛スピードで駆け寄るユニフォーム姿ではない男。監督です。
重なっている歓喜に満ちた選手たちを一人ひとり引きはがしながら、
探している選手が見つかると、耳元で大声で何か指示しています。
伝え終えると、また別の選手を引きはがし、同じように耳元で指示。
聞いている選手の顔はどんどん引き締まり、
そのうち、俺には指示はないのかというジェスチャーを示す選手も出てきました。
まだ試合は終わっていなかったので、
あと数分をどう戦うかの指示だったのだろうと思うのですが、
得点の喜びに浸っている選手たちを引きはがす監督は初めて見ました。
で、私は思ったのです。チームを勝たせるリーダーってこうでなくっちゃなあ、と。
監督はたぶん必死だったのです。試合は残り数分。
このまま守りきって絶対に勝つ。
確実に勝つために伝えなくてはならないことがある。
そう思って走り出してしまったのでしょう。
『死ぬ気ではたらくリーダーにだけ人はついてくる』という
ビジネス書を目にしたことがあります(読んではいないのですが...)。
確か帯に「部下はあなたの覚悟を見ている」とありました。
結局そういうことなんだろうなあ、と思いました。
そして、友人が言っていた言葉も思い出しました。
「部下をやる気にさせるのがうまいとか、頭の回転が速くて指示が的確とか、
もちろんそれも大事だけど、結局どんな人について行きたいかって、
やっぱり一生懸命やっている人だよね。
一生懸命、なりふり構わずやっている人だよ」。
前述した監督は、イングランドプレミアリーグの強豪チーム、
チェルシーを率いるモウリーニョ監督です。
試合は、もちろん勝ちました。次は準決勝。
チームキャプテンの言葉です。
「僕たちは今、どんなことだって可能にできる。
最高の結果が生まれることを信じている」。
すべてはひとつの人生から
小さな小屋が建つ、小さな島の周りで
花冠を頭に乗せて楽しそうに泳ぐ老女の写真を見た時、
とても幸せな気持ちになりました。
今年、生誕100周年を迎えるトーベ・ヤンソン。
ムーミンの生みの親です。
私は、小学校低学年の頃、ムーミン谷シリーズの本が大好きでした。
ムーミンがかわいいから、という理由からではありません。
ムーミン谷に住む不思議な登場人物たちが巻き起こす不思議な出来事。
作者による挿絵も時におどろおどろしく、
その摩訶不思議な世界にどっぶりとはまってしまったのです。
ムーミン公式サイトによると、
トーベ・ヤンソンがムーミンを描き始めたのは、戦時中だったようです。
すでにイラストレーター、画家としての地位を築いていた彼女にとって、
楽しく作品づくりに没頭できない日々は苦痛だったようで、
ムーミンの物語は、暗い現実からの逃避だったと言われています。
トーベ・ヤンソンは86歳で亡くなるまで、
実に多くの顔を持ち、並外れた量の仕事をこなしたと言われています。
油彩画家、フレスコ画家、イラストレーター、風刺画家、児童作家、
漫画家、絵本作家、作詞家、舞台美術家、商業デザイナー、そして小説家。
とても一人の人間がこなせる仕事量じゃないように思えますが、
公式サイトにも、どんな時もまず仕事ありきだった、という記載があり、
そうじゃなきゃ無理だよなあと思いました。
どんな時も仕事優先、と聞くと、
浮かんでくる人物像は、いつも張りつめた空気をまとった笑顔のない人。
でも、前述した写真にうつっているトーベ・ヤンソンは、
そんなイメージとは正反対の、とても幸せな女性。
彼女が70代後半の頃の写真のようですが、
あまりに楽しそうに泳ぐ姿を見て、
歳をとるっていいものだなと思ってしまいました。
とんでもない量の仕事をこなしながら、彼女が楽しそうにしている理由が、
公式ページにありました。
「彼女の仕事は日々の生活の中から生まれました。
家族、友達、仕事仲間、愛した人々、彼女が経験した出来事が、
時には明示的に時には 暗示的に、あらゆる作品に現れています。
彼女にとって、グラフィックアートと文学、芸術と人生、
仕事と愛の間に境界線はなく、すべてはひとつだったのです」
仕事はつらいもの、苦しいもの。仕事なんだから我慢してやる。
仕事で我慢している分、プライベートは楽しむ。
そんなふうに、仕事とプライベートを分けて考えすぎているところ、ないでしょうか。
トーベ・ヤンソンの人生を知り、
仕事もプライベートも同じ人生、
いつだって楽しまなくちゃいけないな、と改めて思いました。
野生の中にある知性
「自分が正しいと思っている人、確信に満ちている人は、
言葉でないものを感じたり、わかったりということを投げ捨てている」
と、言っているのは、ロングセラー『100万回生きたねこ』で知られる
絵本作家の佐野洋子さん。
2010年に亡くなってしまいましたが、晩年に書かれたエッセイがどれもおもしろく、
私は、無性に爽快感を味わいたい時、佐野さんのエッセイか、
『走れメロス』を本棚から引っ張り出してきて、読み返しています。
さて、佐野さんの『ふつうがえらい』というエッセイの中に、
イラストレーターの沢野ひとしさんとのやりとりが
おもしろおかしく書かれています。
佐野さんは、このやりとりを通して、
確信に満ちた人(沢野さんのことを差しているわけですが)とは
言葉だけではわかり合えないことがわかったということを言っています。
「確信に満ちている人は、確信しているもの以外のことを吟味したり、
迷ったりすると困るらしいのである」
「確信に満ちている人には、とんでもないものが飛び出してくることがない。
とんでもないものを飛び出させないようにするのが、確信への道である」、と。
同じエッセイの中で、佐野さんは
「私は、野生の中にある知性が、本当の知性だと思う。
そしてそれは、人間が生き物であれば、だれでも持っているものだと思う」
とも言っています。つまり、佐野さんは、
「確信に満ちている人は、言葉だけでわかりあえると思っている。
でも、実際は言葉だけではわかりあえることはない。
なぜなら、確信に満ちている人は、自分の言葉のみを伝えていて、
相手の言葉をわかろうともしていない。
もちろん言葉の背後にあるものを読み取ろうなんて思ってもいない。
言葉の背後にあるものを読み取ったりすることが、
人間という生き物らしい、本当の知性であるのに」
と言っているのです。
私は、これを読んで、その通りだな、と思いました。
言葉だけで理解し合う。それは可能かもしれません。
でも、それはロボットでもできる。
生き物として、人間として、その言葉の裏にある喜びや悲しみ、
苦しみを理解しながら、コミュニケーションする。
それが、佐野さんの言うところの、
人間という生き物らしいやりとりであって、
野生の中にある知性だなあ、と思ったのです。
ビジネスでは、論理的であること=スマート、と捉えるようなところがあって、
言葉に詰まったり、はっきりと物を言わなかったり、
回りくどい人は、スマートではないと
くくってしまう傾向があるように思います。
「え? 何が言いたいの? 意味がわからない」
などと相手に言う時は、自分がとてもスマートになったように思えるし、
「できる人」に見えているように思えますが、
実はそうでもないんですね。
そうではなく、相手が本当は何を言いたいのか、
どんな感情でそういう言い方になってしまっているのか、
そんなことを考えてから、その人の言わんとしている事を論理的に整理する。
「こういうことを言いたいのかな? こういうふうに思ったんだよね。
だから、こう言っていると理解していいかな?」
そんなやりとりが、本当に知性あるやりとりなんだろうなあ、と思いました。
生き物らしい、人間らしい知性があってこそ、
「あの人って魅力的だよね」、「あの人と仕事したい」
と言われる人になるんだろうなあ、と。
言葉だけでわからせようとしない、
言葉だけでわかろうとしない、野生の中にある知性。
これ、本当に大事にしなくちゃいけないなと思いました。
