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『気持ちの持ち方・考え方』カテゴリの記事

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先日、ミッツ・マングローブさんのコラムを読んで、
あることにすごく納得しました。

それは、安易に「共感」するのは怖いことだ
ということです。

ミッツさんは、
「共感って人を麻痺させることがあると思う。
たとえば、海や山に行って癒されるとみんなが言うが、
私にとって自然は怖い。本当に癒されているのか。
ただ言っているだけじゃないのかな。
とりあえず言っているのだとしたら、
それは怖いことだと思う」と言っていました。

実はこれ、私もたまに思っていることです。
共感ってなんだ? それ、同意じゃない? とか、
それはむしろ、同調かもと感じることがあるのです。

周囲がそう言っているので、
私も共感する(ことにしておく)、ということを
みんながやっていたら、それはよろしくないなあ、と。

「共感」を辞書で調べると、
「他人と同じような感情(考え)になること」
とあります。感情の動きが前提のワードだけに、
使うシーンによっては「共感する」が
胡散臭くうつるのだと思います。

ちなみに、「同意」を調べると、
「相手と同じ意見(だということを言動や態度に現すこと)」。

そして「同調」は、「(自分の意見を出さず)他の意見・
態度に賛成すること」とあります。


見渡してみると、今の世の中
「共感」というワードがいっぱい。
映画や本、ドラマの宣伝文句でも「共感の嵐」なんて、
よく使われています。
いや、いいんです、本当に共感しているなら。
でも、同意くらいなのに、もしかしたら
同調かもしれないのに、
共感の嵐には巻き込まれたくないなあと思うのです。

あ、これを書きながら気づきました。
なぜ、「共感」に人が強く反応するのか。
これ、私たちの「つながりたい欲」かもしれないですね。
コロナで人とのつながりが希薄になったことが
背景にあるかもしれません。
だれかとつながって、安心したいという思いがあり、
「共感」することで、より強くつながっていると
思える。そういうことのような気がしてきました。


そんなことをあれこれ考えていて感じたことは、
やはり、自分が発する言葉について、よく考え、
責任を持たなくてはいけないなということです。
会話の中で「わかる、わかる」と安易に言ったり
していないか、考えないといけないと思いました。

さらに、「共感」を強要しないという意識を持つこと。

意識的に強要している人は少ないかもしれませんが、
「~にほんと共感するよね」というと、
相手は「うん」しか言えなくなる。
そういう、相手に同調を求めるような言い方を
しないよう気をつけなくてはと思います。

同じ物を見ても、視点が違えば、感じることは違う。
たとえ共感していなくても、
安心してつながることのできる世の中がいいなあと感じます。

気付いたら、まもなく11月も終わります。
今年もあと1カ月ちょい。
体に気をつけてまいりましょう!

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先日、YouTubeで何気なく観た、
お笑いコンビ、ティモンディ 高岸さんの
ヤクルト始球式の動画で感動してしまいました。

昨年10月、神宮球場で行われた
ヤクルト-広島戦。
この日は、ヤクルトのキャンプ地である
松山市と交流を深める「松山DAY」で、
松山市の野球強豪校、済美高校の
野球部出身であるティモンディ高岸さんが
始球式のマウンドに立ちました。
キャッチャーはコンビの相方であり、
同じく済美高校野球部出身の前田さんです。

高岸さんは、芸能界最速と言われる
147kmの豪速球を投げることで知られています。
どれだけ速い、いい球を投げるのか。
観客の視線が高岸さんに注がれます。

しかし、高岸さんは一向に
投球モーションに入れません。

涙を流しているのです。
涙を拭いて、帽子をかぶりなおして、
モーションに入ろうとするのですが、
また涙が流れてくるから、まったく投球できない。

何度も、何度も涙を拭いて、
ようやく振りかぶって投げた球を
しっかりとキャッチした前田さん。
マスクを上げて、やっぱり涙を拭いて、
マウンドに駆け寄り、笑顔で高岸さんと
抱き合います。
球場全体から温かい拍手が巻き起こりました。


彼らは高校の野球部時代、
甲子園優勝を目指し、
その後はプロになることを夢見ていたと
雑誌の記事で知りました。
野球部のモットーは「心技体」ならぬ「体心技」。
まずは体を作ることから、というトレーニングは
相当キツかったと言います。

ところが、甲子園に出場できたのは
高1の一度きり。しかも応援席。
卒業後、高岸さんは大学で野球を続けましたが、
怪我でプロの道を断念。
前田さんもまた大学で野球をやることは
ありませんでした。
その後、高岸さんの誘いでお笑いの道に。
結成時、「始球式に出る」ということを
一つの目標にしていたそうなのです。

マウンドに立ったとたん、
野球に打ち込んだ高校時代の熱い思い、
そして怪我をしたときの絶望感、
お笑いの誘いを受けてくれた前田さんへの感謝、
いろいろが一気に押し寄せてきたのかも
しれません。

一生懸命打ち込んだ経験があるから、
感情が溢れ出してしまうのだと思いました。
そして、頑張っている人、頑張った人、
新たな夢を叶えた人の姿はやはり感動的だなあ、
ともらい泣きしながら感じました。


さて、ここ数年で「グリット GRIT」という
ワードを耳にするようになりました。
アメリカの心理学者、
アンジェラ・ダックワース氏の著書
「GRIT やり抜く力
人生のあらゆる成功を決める
『究極の能力』を身につける」
は、日本では2016年に発売され、
ベストセラーになりました。

GRITとは、
G Guts(闘志)
R Resilience(粘り強さ)
I Initiative(自発)
T Tenacity(執念)
の頭文字をとったもの。

GRIT、やり抜く力がある人は、
芯があり、それでいて変化への適応力が高いと
言われています。
グーグルではGRITがある人を
積極的に採用し始めており、
ビル・ゲイツやマーク・ザッカーバーグなど
多くのビジネスリーダーがこの力を
重視しているのだそうです。

書籍の中で、ダックワース氏は
成功した人の多くは「天才」だから、
また「才能」があったからと
言われることが多いが、そうではなく、
共通してあるのはGRITだと言っています。

「ガッツがない」とか「粘り強く」なんて
今の子どもたちに言うと、
「出た! 昭和!」とか言われがち。
うちの次男なんかは、必ずそう返してきますが、
でも、やはり、何かに打ち込んでいくためには、
こうした力が必要なんだなと改めて感じます。

ところで、GRIT、
大人になってからも伸ばせるそうなのです。

そのために必要なことは、
・興味があることに打ち込む
・失敗を恐れずにチャレンジし続ける
・小さな成功体験を積み重ねる
・GRITがある人たちの中に入る
 もしくは近くにいく

どうでしょう。
最初の3つは、いやいやそれが難しいんですよと、
怠け癖がある私は思ってしまう感じですが(笑)、
4つ目はいいかもしれないと感じました。

GRITがある人たちの輪に入ると、
周りの価値観が自分のスタンダードに
なっていくからです。
ランニングのアプリで周りの人たちとつながり、
一緒に目標を達成していくというのは
まさにこれですよね。

秋も深まってまいりました。
運動するにも、芸術活動をするにもいい季節。
GRITを伸ばすためにはベストなシーズンかもしれません!
(しかし食べるにもいい季節なんですよね...)

今週もあと少し、がんばってまいりましょう!

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ほしい情報がすぐに手に入る時代。
何か一つ買うにしても、どこで買うのがお得か、
いつ買うのがお得か、
ネットで調べるとすぐにわかってしまいます。

でも、簡単に情報が入手できるからこそ、困ることも。
それは、調べても、調べても、
「もっと調べれば、もっとお得な情報に
巡り合うのではないか」と思ってしまうこと。
私は、面倒なので、ほとんど下調べせずに、
ささっと買ってしまうことが多いのですが、
私のその行動が、じっくり調べてから買い物をする
友人にはあり得ないらしく、
「もっとリサーチしたら、もっと安く買えたと思う」
とよく言われます。

では、その友人がいつも大満足の買い物をしているか
というとそうでもないのです。
というのは、買ってからも
「もっと探す時間があったら、ベターな選択があったかも」
と思ってしまうから。

もっと探せば、ベターな選択があるかも。
そりゃ、そうだと思う一方、
いや、もっと選択肢があったら、
決められないのでは?とも思います。

そのとき思い出したのは、以前雑誌で目にした
女性タレントのインタビュー。
クローゼットに入りきらないくらいの服や靴を
持っているにもかかわらず、買っても、買っても
「今日着る服がない」
「今日のコーディネートに合う靴がない」
と毎日思う、と書いてありました。

選択肢を増やせば増やすほど、
どの選択肢も選べなくなってしまい、
選択した後も、満足しないという現象を
行動経済学では「選択のパラドックス」と言うそうです。

通常、選択肢が多いのは、選択の自由度が高い
ということなので、幸福度が上がると考えられますが、
選択肢が多すぎるのは逆に不満足につながってしまう
ということなんですね。
それはなぜかというと、選択肢が多いと、
自分が選んだ選択肢以外の選択肢にベストなものが
あったのではないかと後悔してしまうから。
そして、それほどたくさんの中から選んだのだから、
自分が選択したものはすばらしいものに違いないと、
期待値を必要以上に高めてしまうからだそうです。

人気ブロガーのミニマリストしぶさんは、
服も靴もバッグも3種類に絞っているそうです。
色も3種類に決めているので、
古くなって、新たに購入するときも、
その3色から選ぶのだとか。
さらに、休日のアクティビティーも、たとえば
「片付ける」「読書をする」「岩盤浴」をするなどの
3種類に決めているそうです。

そうか。私、ミニマリストの方々は、
選択にかける時間を節約しているのだと
思っていたのですが、それだけではなくて、
選択肢が多いことから生まれる不幸から
逃れていたのか、と気づきました。

選択のパラドックスは、
相手に何かを提案するときや、
相手に選択してもらいたいときにも
意識すべきことですね。

「なんでも思いついたことを言ってください」
と言われた人はおそらく困るけれど、
「~について、なんでもすきなことを言ってください」
と選択肢を狭めると発言しやすいでしょうし、
「20種類の中から選んでください」
だと、相手は迷ってしまいますが、
「3種類の中から選んでください」
は満足度を高められるのではないでしょうか。

私のこのメルマガも、「何を書こうか」と
ネタジャーニーを始めてしまうと、
延々と情報収集を続けてしまいがち。
しかも、情報を入手すればするほどピンと来ず、
もっといいネタはないかとさらに探すことに。
そもそも最初にメッセージを思いついていないときは、
ネタを探してもピンとくるわけはないのですが、
それを忘れて延々とネットの記事を読んだりしてしまい、
エンドレスジャーニーになります。
選択のパラドックス、意識しようと思います。

早いものでもう10月。寒くなってきましたので、
体調に気をつけてまいりましょう。

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用事があって家を2日ほど空けたら、
ちょうどプラごみを捨てる曜日とかぶってしまい、
捨てられませんでした。

1週間分のプラごみ、すごい量です。
我が家は今、子どもたちが夏休み中。
消費する食材も多いし、スナックやアイスなども
いつもよりも多く買っています。
とにかく食べ物の包装容器の量が多いのです。

この原稿を書くために、ごみ袋の中を
ゴソゴソ調べてみましたが、
うーん、こんなに大量のプラ包装・プラ容器がないと
暮らしていけない生活だったのか、と驚いてしまいました。
普段そんなに気にしていない自分が恐ろしい。

たとえば、
10個入りのクッキーだと、
外側の大袋が1枚、個包装されているからプラス10袋。
個包装されているので清潔だし、
袋を開けても一度に食べなくてもいいし、
品質も保たれるのでしょうね。
6個入りのロールパンも、
外側の大袋が1枚、なぜか中にプラスチックの
トレーが入っていたりして、それでプラス1枚。
このトレーは、形崩れを防ぐためなのか、
それとも輸送するときに、積みやすくしているのか、
いずれにしても丁寧に個包装されているものが
多いことに改めて気づきますね。

国連環境計画(UNEP)の報告書によると、
日本人1人当たりのプラスチックごみ廃棄量は年間32kg。
米国に次いで世界第2位です。
Reduce=ゴミを減らす、をやろうと思うと、
この暮らし方を変えなくてはならないわけで、
「こりゃ、大変だ」と今さらながら思いました。

そんな中、京都に本格的な量り売りの
スーパーができたという記事を目にしました。

この店は、容器包装ごみと食品ロスを無くすことを
目指していて、利用客は必要な食材を
必要な分だけ量り、持参した容器か、
店が貸してくれる返却式の容器に入れて購入。
ナッツやドライフルーツだけではなく、
生鮮品も扱っているらしく、
米、味噌、油、豆腐、卵など、
すべて必要な分だけ買えるといいます。
サザエさんがお鍋を持って
お豆腐を買いに行っていましたが、あれですよね

さらに、レストランを併設していて、
生鮮品は悪くなる前にレストランで調理するシステム。

この仕組みがうまくいったら、フランチャイズにして、
全国に量り売りを広め、日本の容器包装ゴミと
食品ロスをゼロに近づけていきたいと言います。
すばらしいなあ、と思いました。

記事の中にこんなことが書いてありました。

量り売りはどうしても面倒くさいという印象があって
敬遠されがち。
でも、その「面倒くさい」を「楽しい」に変えれば、
利用してもらいやすい。
量り売りという体験自体が楽しいと思ってもらえるよう、
たとえば買ったピーナッツをその場でセルフで
ピーナッツバターにできる機械も用意している。

そうですよね。
棚にある商品をサッと手に取って
レジでピッとやる暮らしに慣れていると、
家から容器を持ち出して自分で量って入れるなんて、
面倒くさいに違いない。
でも、今までの買い物の仕方と比較せずに、
楽しい体験をして、しかも地球に優しいことをしている
と思えば、わくわくしてくるから不思議です。

そしてこの店、写真で見ただけですが、
とってもおしゃれ。
量り売りは楽しいし、おしゃれだし、
地球にいいことしてるってかっこいいよね!
という捉え方が若い世代にどんどん広がれば、
浸透していくんだろうなと思いました。

そんなことを考えていたら、
リモートワークやオンライン会議なんかも
同じなのかもしれない、と思いました。
今までのように、オフィスで対面で仕事をする、
ということを前提にして、それと比較すると、
やはり不便さばかりが目につきますが、
新しいことと捉えれば、プラスに見えてくる。
暮らし方や何かのスタイルが大きく変わるときは、
捉え方が変わることとセットなのかもな、
と思いました。

それで思い出しました!
先日、見切り品コーナーと書かれたワゴンが
スーパーのフロアの端っこに置かれているのを発見。
置いてある場所自体、もう見切りました、のようで
雰囲気も良くない。明らかに人気がありません。
そりゃ、そうですよね。
見切り品なんて書かれたワゴンの前に
多くの人は、あまり立ちたくないのではないでしょうか。

そこで、「見切り品コーナー」と呼ぶのをやめて、
「SDGsコーナー」と呼ぶのはどうだろうと思ったんです。
「フードロスを防ぎませんか?」みたいにして、
デザインが良い、おしゃれなコーナーにする。
これを買うことが「かっこいい」「地球にいい」ことと
捉えられるようにすると売れると思います。
どなたかぜひ採用をー。

8月も終わりに近づいてきました。
まだまだ暑いですが、元気にまいりましょう。

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今年の初め、SNSである貼り紙が
話題になりました。

「STOP! 教え魔」と書かれたポスター。
そこには、
「全国のボウリング場の悩みランキング
ナンバー1は、お客様がお客様に
ボウリングのコーチングをする
教え魔がいることです」と書かれています。

このポスター、
教えられて困っているという
利用客からの苦情を受け、
あるボウリング場が場内に貼り出したもの。
SNSにアップしたのは、
このボウリング場をよく訪ねていた利用客で、
日頃から困っている人を見かけていたので、
よく貼り出してくれた!という
思いだったそうです。

これをきっかけに、SNSでは、
「うちにも教え魔がいます!」という声が
相次ぎました。

「うちのボウリング場にもいます」
という声のほか、
「うちのゴルフ場にもいます」
「うちのゲームセンターにもいます」
「うちのジムにもいます」
「うちの将棋教室にもいます」

こうなると、日本全国教え魔だらけ。
なぜ、人はこんなに教えたくなって
しまうのでしょうか。

心理学的に言うと、その理由は、

1 教えるものを愛しているから
2 教えることで気持ちが良くなるから

だそうです。

例えば、
ゴルフが大好きで、ゴルフ歴も長い。
テクニックも身についている。
気をつけなくてはならないことが何かわかっている。
始めたばかりの人に何とかこれを教えてあげたい。
喜ばれるはずだし、自分と同じように、
ゴルフが大好きになってくれるはずだ。
で、初心者を見つけると、ついつい教えてしまい、
それを続けているうちに、指導者気分になって、
気持ち良くなってきた。

そんなところでしょうか。

本人としては親切心なのかもしれません。
そこが厄介ですね。

新潟青陵大学の碓井教授によると、
「ゴルフ場やボウリング場に多いということから、
教え魔には中高年の男性が多いという印象がありますが、
年齢・性別関係なく、
だれでも教え魔になる可能性があります」
とのこと。

心理学の研究でこんな実験があるそうです。

ある集団を、ランダムに先生役と生徒役の
2つのグループに分けます。
先生役には問題と解答と解説を事前に渡し、
生徒役に教えてもらいます。

こうして先生役と生徒役の心理を調べたところ、
先生役になった人のほうが、
「頭が良く、賢く、人格的にも優れている」
と感じやすい傾向が見られたそうです。

教えていると優越感を感じてしまうのか・・・。
考えてみると、
確かに教え魔は男性だけじゃないですね。
職場にもいたし、
PTAのお母さんたちにもいたなあ。

さてさて、
教えることができる人が大勢いるということは、
本来はいいことだと思うのですが、
教え「魔」にならないためには
どうすればいいのでしょう。

コーチングでは、
相手に「学びたい」という意志があることが
大前提だそうです。
「教えてほしい」と相手が思っていないのに、
あれこれアドバイスするのはNG。
それは、相手の学びにならないからです。

教え「魔」と言われてしまうのは、
「勝手に」「教えてやろう」を始めてしまうから。
この方法では、相手のためではなく、
自己満足のためになってしまうんですね。

あああ、思い返すと、私、
子どもが小学校のときは教え魔だったかも。
ものすごい勢いで鉄棒を教えた記憶が
蘇ってきました(汗)。

皆さんは教え魔になっていないでしょうか。
過去になったことはないでしょうか。

暑くなりました。
連休前、体調に気をつけてまいりましょう。

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気がつくともう7月。
耳を澄ますと、蝉の声も。
今年も夏がやってきました。

とはいえ、この夏も、
まだまだコロナの影響で
「夏を満喫!」というわけにはいかなそう。
ゆっくり旅行でもしたいところなんですけどね。
なんて思っていたら、こんな調査を見つけました。

旅行予約サイトのエクスペディアが、
世界12地域15,000人を対象に実施した
「旅に関する調査」です。

「休暇を取ることで解放されたらうれしいことは何か」
という問いに対し、日本人の回答で多かったのは以下でした。

1位 「家で料理をすること」(46%)
2位 「食事の片付けをすること」(45%)
3位 「洗濯をすること」(33%)

ちなみに、同じ質問でのフランス人の1位の回答は
「同じ道を歩くこと」(70%)
(日本人は9%)

イタリア人の1位は
「毎日同じ人に会うこと」(38%)
(日本人は9%)

調査対象の15,000人の男女比が定かではないのですが、
日本人の回答者に女性が多いのかもしれませんし、
リモートワークの影響で、男性の家事参加も
増えているのかもしれません。
いずれにしても、日本人は単純に家事に疲れているようです。

で、私が注目したのは、この調査を取り上げた記事に
書き込みされたコメントです。

「多分料理そのものより、献立を考えることに始まり、
在庫チェック、食材買い足しなどの一連の作業が
煩わしいからだと思う」

これに対し、同意のコメントが多数あって、
その中には、

「私も、食材が全て揃っていて、
頭の中で献立を組み立て終えたときは、
もうできたと言っても過言ではないくらいの
気持ちになります。
調理の部分って最終段階なんですよね」

というものもありました。
いや、私も本当にそう思います。
そして、これは原稿を書くことに
本当に似ているのです(ここが本題!)

まずは、どんなメッセージを伝えるのか、
そのためにどんな素材が必要なのかを考え、
素材を調達する。
ここができればもうできたようなもので、
パソコンに向かって原稿を書くのは最終段階です。

しかし、伝えたいメッセージがない場合が
あるわけです。
忙しくてインプットが少ないときなど、
日々の気づきがあまりないときです。
その状態のまま、なんとなく、
このネタをきっかけに書けるかな?と思って
書き始めても、メッセージがないので、
ただ文字が埋まっているだけの状態。
「で、何が言いたいの?」と
なってしまいます。

これは、献立が決まらずに、
なんとなく食材をそろえて、
なんとなく料理を始めた場合と似ています。
ゴールが見えていないから、
途中で味つけを迷ったりして、
塩コショーしたかと思ったら、
醤油を入れてみたり、
途中でいろいろ追加してみたり。
すると、「まあ、食べられるけど、これ、何?」
と聞かれるようなものができあがるわけです。

考えてみると、料理はもちろん
その他の家事においても、
前段階が大変なんじゃないかと思えてきます。
いくら掃除機や洗濯機の性能が良くなっても、
準備段階の負担が減らない限り、
劇的に家事時間が縮小されたり
しないのかもしれません。
将来的にそこはAIが担ったりするんですかね。

家事から解放されるための休暇ではなく、
旅先で非日常を楽しむための休暇がとれる社会に
早くなるといいのですが。

そんなわけで今回は、
家事も原稿も準備段階が大事だし大変、
というお話をしながら、
遠回しに、この原稿が遅れた言い訳をしてみました・・・

暑くなってきました。
体調に気をつけてまいりましょう。

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子どもの頃、実家ではいたるところに
布のカバーがかけられていました。
電話カバー。
ティッシュカバー。
トースターカバー。
炊飯器カバー。
ドアノブカバー。


汚れ防止のためだろうなと子どもながらに
想像していましたが、
私は、カバーがかけられていることよりも、
家中の柄の多さが気になっていました。
我が家は、リビングの壁は基本白でしたが、
1面だけがなぜかエジプトっぽい柄、
カーテンはうっすら花柄、
ソファは細かいドット、
カバー類はだいたい小花柄、
もしくはチェックでした。
昭和の家庭では、よくある
ごちゃごちゃ感だったと思います。


あれは高校生のときだったか、
母に、なぜいろんな柄を
チョイスしているのか
聞いてみたことがあります。
(どんな質問の仕方をしたのかは
忘れたのですが)。
すると母は、
「すてきだと思うものがいろいろあるから」と
言ったように記憶しています。
「いろいろあって楽しいじゃない?」的な。


なぜ、こんな話をしているのかというと、
先日、伝わる文章にするためには
捨てることが必要、という記事を読んで、
考えてみると、文章もファッションもインテリアも、
一緒だなあと思ったのです。
あれもこれも盛り込みたいと思うと、
全体としてゴチャっとしてしまい、
何を伝えたいの? 何がしたいの? 
ということになってしまう。


実家のインテリアは、母が楽しんでいるし、
だれかに何かを伝えたいと
思っているわけではないので、よいのですが、
対象者に何かを伝えたいというときは、
やはりモリモリだと問題があるかもしれません。


なぜ要素モリモリになってしまうかというと、
盛り込む作業は楽しいからだな、と思いました。
あれも入れて、これも入れてと
追加していくのは、旅行バッグに
持っていきたいものを入れる感覚に
近いのではないでしょうか
これを着ることもあるかもしれないし、
この靴を履くこともあるかもしれないし、と。
ですが、入らないとわかったとき、
そこから抜くという作業は楽しくない。


文章や企画、デザインでも、
こういうことが起こりますね。
AもBもCも、できればDも入れたい。
でも今回はメッセージを絞るために
Aにフォーカスしたほうがいいとなった。
いやでも、やはりBもCも
少しでいいので入れたい。
Dもほんのちょっとでいいので・・・
などと言いたくなってしまいますよね。
捨てるには勇気がいるのです。


断捨離の提唱者、やましたひでこ氏によると、
捨てられない理由は、「現実逃避」、
「過去への執着」と「未来への不安」
なのだそうです。


文章で言うと、現実逃避は、
「ああ、盛り込みすぎちゃったなあ。
削らなくちゃいけないみたいだけど、
判断するのも難しいから、
まあ、いいか、このままで」
というところでしょうか。


過去への執着は、
「こんなに頑張って書いたのになあ」
「こんなにたくさん取材したのに」
みたいなこと。


未来への不安は、
「今回のターゲットではないけど、
もしかしたらこういう立場の人が読んだときに
必要な情報かも」
「後で足りないって言われるよりは、
入れておいたほうがいいかな。
読む人がいるかもしれないし」
というようなことでしょう。


問題は、いずれも
「今の現実にしっかりフォーカスしていないこと」。
過去や未来ではなく、今どうしたいか、
今何が必要かを考えることが必要なんですね。


ああ、そうか。
結局これ、何かを決断するときの
クセの話ですね。
そう思うと、いろいろ思い当たることが・・・


今にフォーカス。今、何をしたいか。
大事かもしれません。

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早いものでもうすぐ4月。
新しいことを始めるには、いいタイミングですね。


「実は、年初に始めたことがあるのですが、
続いていないんです」
とか
「最初の数日はがんばったのですが、
面倒になってきて」
など、年明けに何か始めてみたものの続かなかった、
という人にとっても、4月はリトライするいい機会。


と、常にいいタイミングを探してしまうこと、
続けられない人あるあるなのかも、と
最近気づきました。
続けられないということは、
ほかに原因があるはずなのに・・・。


そうです。私も数年前の年初、
「今年は、毎朝、近所をランニングする!」と決めて
しばらく走っていたのですが、
1ヶ月ほどで続かなくなってしまいました。


敵は花粉でした(と当時は思っていました)。
1月はわりと順調に走っていたのですが、
2月が近づいたあたりから、
くしゃみと目のかゆみで、走っているよりも、
立ち止まっているほうが長くなってしまい、


「なぜ私は外に出て、わざわざ花粉を
吸い込んでおるんだ?」


という気持ちになって、
花粉シーズンが終わるまでお休みすることに。
しかし、いざ花粉シーズンが終わったと思ったら、
今度はじわじわ暑くなり、


「なぜ私は朝からわざわざこんなに
汗だくになっておるんだ?」


という気持ちになって・・・


ということを、「走る走ると言って、なぜ走らない?」と
聞いてきた次男に、先日説明していたら、
完全に呆れられました。


さて、数年前に『小さな習慣』という本が
全米でベストセラーになりました。
自己啓発ストラテジーの調査と執筆を行う
スティーブン・ガイズ氏によって書かれた本です。
ガイズ氏が本の中で言っていることはいたってシンプル。


習慣化するためには、
目標をばかばかしいくらい小さくする


ということです。


ガイズ氏は、30分の運動を日課にしたくても
まったくできなかったという経験の持ち主。
ところが、当時読んでいた本からヒントを得て、
ばかばかしいと思いながらも、
「毎日腕立て伏せを1回する」ということに
チャレンジした結果、それが最終的に30分の運動に
つながったのだそうです。
ちなみに、この「腕立て伏せ1回チャレンジ」は、
筆者のブログの中で一番反響があった
投稿だったといいます。


そもそも、多くの人は、
自身の管理能力を過信しているのだそうで、
たとえば「毎日腕立て伏せ30回、腹筋30回する」
は無理な目標だと思わず、
十分可能だと思ってしまうのだそうです。
でも、始めてみると、なかなかハードだと気づき、
ストレスになり、続けられなくなる。
確かになあ、と思いました。
欲張っちゃうんですよね、なぜか。


調査によると、人間の行動の45%は習慣として
自動的に行われているといいます。
というのも、脳は省エネを好むから。
えいやと気合を入れないといけないような行動には
たくさんのエネルギーを必要とし、
脳にとってストレスが大きい。
でも、小さな行動は、脳にとって
「新しくて大変な行動がやってきた!」というほど、
ストレスをかけないので、
自動化しやすいということなんです。


そうか、確かに私の走る目標はハードル高めでした。
まず「朝」がハードルが高い、
「外」も高い。
そもそも「走る」も高かったのかも?
ひいい、ちょっと考え直してみます。


まだまだ花粉が舞う季節ですが、
今週もすてきな1週間をお過ごしください。

書くということは、考えること、思うことの
ほんの先っぽにある小さな部分で、
大部分は考えること、感じることに支えられている。


24日まで行われていた
『向田邦子没後40周年特別イベント』にて
上映されていた映像の中で、
向田さんが黒柳徹子さんに
そんなことを語っていたそうです。


語っていたそうです、
という言い方をしているのは、
私、このイベントに行きそびれたからです。
いや、行かなかったからです。
ものすごく後悔しております。
向田邦子作品の大ファンなのに。
職場の目と鼻の先で開催されていたのに。


開催を知ったのは最終日だったものの
終了まであと数時間あったから、行こうと思えば行けたのに。
「急ぎでやることあるしなあ」などと言いながら
行かなかったのです。
終了時間が過ぎてから、ものすごく後悔しました。
こういう後悔、体によくないとわかりました。
次は、行きたいところには、多少無理しても行こうと思います。


すみません。話が逸れました。


書くことはほんの先っぽ。
大部分は考えることや感じることに支えられている、
という向田さんの話についてです。


これを読んで思い出しました。
向田さんのエッセイ『字のないはがき』が
絵本になったとき、文章を担当した
作家の角田光代さんが、インタビューでこんなことを語っていたのです。


「向田さんの文章は視覚的に記憶できる」


まるで自分で見たことのように映像で記憶しているから、
向田さん自身、書くときに映像がしっかりあったのでは、
というようなことを言っていました。


なるほどなあと思ったのです。
考えること、感じることが土台にどっしりとあるから、
その先にある言葉や描写が映像的なんだろうなあと。
逆に言うと、考えること、感じることがしっかりないと、
それを読む人が映像を思い浮かべることは
難しいんだろうなあ、と思いました。


料理研究家の土井義晴さんが
政治学者の中島岳志さんとの対談集『料理と利他』の中で、
「ええ加減」というのは、自分で考えることだ、
と言っています。


幼い頃、やんちゃだった土井さんに
おばあちゃんが「ええ加減にしないさい」と
よく言ったそうなのですが、
それは、「やったらあかん」ということではなくて、
いい加減を学びなさいよ、ということだったと、
土井さんは話しています。
それは料理も一緒だと言うのです。
レシピなんて気にしなくていい。
いい加減を自分で知る。
考えて、感じながら、加減を知ることが大事だ、と。


書くことも、料理することも、
考えること、感じることの先にある。
そう捉えると、すごく興味深いなあと思いました。


あっという間に1月が終わっていきます。
今週もすてきな1週間を。

次男が同じ映画を繰り返し観ています。
私が知っているだけでも10回以上。
何がそんなに好きなのか気になり、
「なぜ、この映画が好きなの? 」と聞いてみました。


すると、しばらくして、「音楽」という答えが返ってきました。


私は、「へえ」と思ったものの、
じゃあ、映像作品じゃなくてもよくない?
という疑問が湧いて、もう少し知りたい、と思い、
「あとは? あとは?」と続けたところ、


「・・・・うるさい」


はい。まあ、そうなりますな。
思春期真っ盛りですし。私もそうでしたから。


若い頃は、「なぜ好きなのか」なんて
あまり考えないですよね。
自分自身のことを思い返すと、
私には、むしろ「なぜ好きなのか」を突き詰めて考えたり、
説明することはかっこよくない、
と感じていた時期がありました。
音楽などに関してはとくに。
「考えるな、感じろ!」
と思っていたのかもしれません。


今思うと、何かを誰かと「共有したい」
「同じ思いの人と話したい」という
気持ちも強くなかったように思います。
「私はこれが好き」
「あ、あなたはそれが好きなのね」
「オッケー」
というように。
あ、一言でいうと、自分勝手だった、ということですね(笑)。


さらに考えてみると、日常生活で「なぜ?」を
あまり聞かれることがなかったから、
ということもあるかもしれません。


子どもは、だいたい幼稚園くらいまでは、
なぜなぜマシーンなので、
「なぜ?」「どうして?」を連発するのですが、
そのうち、学校の先生や周りの大人の反応から、
「なぜ?」をあまり聞いてはいけない、と学び、
聞かなくなっていってしまうように思います。


現在の日本の教育は、
暗記7・思考3だそうですから、
「なぜ?ばかり考えていないで、これを覚えよう」
ということになってしまっても、
仕方ないのかもしれません。


「思考力とはどんな力か?」という問いに、
『批判的思考 ワードマップ』の著者で、
認知心理学が専門の京都大学の楠見教授は、


論理的に考え、自らを振り返る「批判的思考力」や、
「創造的思考力」などがある、と説明しており、
創造的問題解決のためには、
これらが一体となって働くことが必要だと語っています。


批判的思考力とは、誰かを批判する力ではなく、
自分自身が正しく考えられているかを振り返って考える力。
証拠に基づいて論理的に考えることと、
目的に対して正しく考えることができたかを
振り返ることだそうです。
それには、問いを立てる力が必要。
その基礎になるのが「なぜ?」なのではないかと思いました。


最近、教育現場における「批判的思考」についての
OECDの調査を目にしました。
調査によると、日本の中学校の教員が、
教育現場で、生徒に批判的思考が必要な課題を出したり、
批判的思考を促している割合は、わずか24.4%。
日本の授業を思い浮かべると、
このくらいの数字だろうな、とも思えますが、
なんとこの数字、46カ国中、最下位です。
ちなみに一つ上のノルウェーが65.6%。


日本の子どもたち、日本の未来、なんとも心配になりますが、
まず大人として、職場で、家庭で、
できることをやらなくてはならないですね。


私は、引き続き、思春期中学生相手に、
「なぜ?」をしつこくない程度に(?)
聞き続けたいと思いました。

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