ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2024年6月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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ヤフー知恵袋にこんな書き込みがあるのを見つけました。
ーーー
皆さんが常識を疑うことって、どんなことですか?
夏休みの宿題で「常識を疑う」というテーマで作文を書かないといけないのですが、
このお題が私には難しすぎて全然わかりません。
だから普段、皆さんがどんなことに常識を疑っているのかを知りたいです!
ぜひ、協力お願いします!!
ーーー

「夏休み」と書かれているので、多分学生さんが書いたのでしょう。
これを読んで、最初は、「常識を疑う」がまったくわからない人がいることに、
愕然としたものの、よくよく考えてみると、
むしろその感覚の方が健全なのかもしれないなと思い直しました。


というのは、「常識を疑う」の実践はとても難しいことだからです。

たとえば今週、私の中で1つの常識が覆されました。
何だと思いますか?

実は、私、日本という国は「極東アジアの小さな国」だと思っていました。
国土面積が小さい国という意味です。ところが...

日本は意外にも大きかったのです。
知ったきっかけは、「The True Size.com」というサイトを訪れたことでした。
これは、私たちが目にするメルカトル図法によって書かれた地図ではわからない
実際の面積を体感できるサイトです。
たとえば、「Japan」で検索してみてください。
日本がアクティブになり、動かして他国の近くに持っていくことで、
日本の国土サイズが感覚的にわかります。


私が最初に驚いたのは、
日本がイギリスやイタリアよりだいぶ大きいのはもちろん、
ドイツよりも大きそうだったこと。
えー!びっくり!という感じでした。
で、さらに調べてみると...

日本の国土面積は377,945,210平方kmです。
東南アジアの中では、
中国     9,600,000
インドネシア 1,910,931
タイ      513,140
に次いで第4位。(単位はいずれも平方kmです)

それどころか、ヨーロッパのこれらの国々よりも大きい。
イギリス   242,495
イタリア   302,068
ノルウェー  323,772
ドイツ    357,581
フィンランド 336,884

ヨーロッパの国は国土面積が狭い国が多いんですね。


では、なぜ私は(もしかしたら、皆さんも)
日本はちっぽけな国だと思い込んでいたのでしょうか?
ここからは推測です。理由は2つあります。

その1。私たちの目にする地図はメルカトル図法によるものが多く、
この地図の特徴は高緯度に向かうにつれ距離や面積が拡大されることにあります。
日本は、赤道直下ではないにしろ、中緯度にあるので、その歪みの影響を受けて、
地図上の形は実際よりも小さく表示されます。
それが「ちっぽけ日本」という意識を生んだ原因の一つとして考えられます。

その2。考えられるもう一つの原因は、「日本は小さい島国」という見方が
幕末に国内で定着したこと。
どこからどうして定着したのかはわかりませんが、
黒船到来で軍事力のギャップをまざまざと認識させられ、
以来、自国を卑下する意味もあり、ちっぽけな国と認識していったと推測できます。
つまり黒船あたりから、「日本は小さい島国」という萎縮した国家観が生まれ、
そのような言語的表現は定着し、国家的自意識になったということも考えられます。


そして、もっともアタマにくることは、(←これ、自分にです)
「日本は小さい島国」という気持ちで生きていなければ、
もっと気持ちも大きくなったような気がすること!

今回、改めて常識は疑わないと、見えてくるものも、見えないなと思いました。
来週は6月も最終週。今年も半分が終わってしまいますね。
暑さに負けずに元気に過ごしましょう!

会議画像.png

例えば、「~について取り上げよう」から始まるコンテンツの企画会議。
あるいは、会議のアジェンダに書かれた「~について」の項目。
日常業務のいろいろなところで、
「~について」という言葉を使って会話がされています。
会議もコンテンツの一種であると考えた場合、
コンテンツの質はコンテンツを作る人のイニシアチブにかかってきます。

多くの物事で「~について」という発想が起点になっている気がしますが、
本当にそれでいいのかな?とも思います。
というのは、1つの仮説として、この「ついて型」アプローチが、
アウトプットの質や生産性、効率性に関わっているのではないかと思うからです。

そこで、今日は、私が「ついて型」と呼んでいるアプローチについて紹介しつつ、
その「ついて型」にはどんな問題があるのか、
問題があるなら、どうしたらいいのか、考えてみたいと思います。

実際、「~について取り上げよう」という発想でコンテンツを企画しても、
コンテンツは作れますし、会議のアジェンダに「~について」と書かれていても、
それなりに会議は成立してしまうものです。
それらのコンテンツでは何かしら言葉的なものが成果物になるので
「はい、これが本日のアウトプットです」とまとめることはできます。
でも、そうやってなんとなく生まれてきたものを人が読みたいと思うでしょうか?
会議の成果に対し、参加者の納得感はあるでしょうか?


もう一度、たとえば「企画会議」。
当社が提供している企画力養成講座では、
ついて型でもコンテンツは作れるが、ついて型の企画だとこういう流れになる、
とお伝えしています。
ーーーーーーーーー
~について取り上げよう

だとしたら、誰に出てもらおうかな?

どんなことを聞こうかな?

聞いた話をうまく原稿にまとめなきゃ...
ーーーーーーーーー

確かに、この流れでもコンテンツらしきものは完成しますよね。
ですが、このアプローチはただ「聞いた話をまとめる」というものにすぎません。
「~について取り上げよう」から始まる企画プロセスでは、
大抵の場合、何をメッセージとするのか、とか、
読み終わった時に、どう感じてもらったら成功なのかなどを設計せずに進みます。


なので「~について取り上げよう」から始まるアプローチがダメとは思いませんが、
「伝えたいこと→伝わること」に執着するなら、
気をつけないといけないなと思います。


会議のあり方もそうです。
日常的に行われる会議こそ、質や生産性、効率性という意味で重要なはずです。
でも、もしその会議のリーダーがアジェンダを考えるときに、
「1.○○について 2.○○について」というような感じで出していたとします。

そうしたら、その場では何をどういう観点から話すことが求められているのか、
誰にもわかりませんよね。
もちろん、アジェンダと会議設計は別物ですから、
場のリーダーの頭の中に会議設計があるなら、
アジェンダ自体は「1.○○について 2.○○について」で済む場合もあります。


でも、私が一番おすすめしたいことは何かというと、
疑問文でアジェンダを組み立てることです。
(これは企画を立てる時もほぼ同じです)


ところが、多くの会議では問いを立てずに行われているのではないでしょうか
つまり、何を議論する必要があるのか、
場の作り手が「問い」を明確に示さないケースがあるように思います。


ですが、慣れていないと、この疑問文を出すのは簡単ではありません。
え? ほんと?と思うかもしれませんが、
考える必要のあることを漏れなく「問い」の形で出せる人は
実はそれほど多くないと思います。
私自身も「問いを立てる」を意識していますが、「漏れなく」出せているかは
はなはだ心許ないです。
なので、「疑問文として書いてみる」は自分トレーニング的におすすめです。


さて、今年もあっというまに6月。
終われば2024年も半分過ぎてしまいます。トホホ...
と、一瞬背中が丸まってしまいましたが、背筋を伸ばして頑張りましょう。
その前に、今週を乗り切らないとですね!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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