「お久しぶり!」はステキ!
今日は「お久しぶり!」という関係についての話です。
というのも、ここ最近、そのような出来事が多かったからです。
ですが、人との関係や間合いの作り方について、
私の考え方は少数派すぎてあまり参考にならないかも...
たとえば、ある人と初めて会ってからもう何年も経っていて、
しかもご無沙汰している場合、
私はあまり気にせずにコンタクトする方なのですが、
ある時ようやく、
そう気づいたのは、ある人からこんなことを言われたからです。
具体的には30年ぐらい前、
意気投合したので1度飲みに行き。。。で、
何年かしたある時、
楽しく飲んだその日、Fさんがこう言いました。
「あなたは変わってるね。
そう言われて初めて、自分が「時間経過」
この経験から私は「人を久しぶりに誘うと相手は困惑する」
遅ればせながら学んだ次第です。
ここでいう「困惑」とは「意外なことに出会った驚き」のこと。
本来の「困って、どうしてよいかわからないこと」
「困惑」の「困」の反応は、ある程度関係が築けているせいか、
ましてSNSの時代ではなおさらだと思います。
さて、最近の私の「お久しぶり!」の例を挙げると...
3月1日付の本メルマガ「出張シェフの一言に脱帽!」
「私以外の3人は全員お互いが『はじめまして』の関係だった」
あの時のメンバーの1人Yさんも実は10年以上前に当社にいた元
一方、今月は別の元社員の方からも「お久しぶりです」
自分から連絡した場合も、された場合も、「お久しぶり」
会いたいから会う、
考えてみれば、自然なことですよね。
昔よりも「お久しぶり!」がしやすくなったのは、
だけど、、、
いくらSNSがあったとしても、
久々だとコンタクトしにくい理由。
「相手は自分を覚えているか?」
「誰?と反応されるのではないか?」
そう思うと怖いですよね。
「会いに行くもっともらしい理由が見つからない」
と思ったら、自己制限がかかりますよね。
話がズレますが、
「書いたらどう思われるかな?」
時々いただく感想やご意見、ほんの数行のメッセージ...
これらはうれしい以外の何物でもありません!
(いえ、まるで催促しているようですが笑)、本当にうれしくて「
話を戻します。
「お久しぶり! お元気ですか?」と意思表示するだけなのに、
なぜか必要だったりする小さな勇気。
そんな時、役立つのは「覚えていないかもしれませんが...」
実際にそのように言葉にして接すれば、
お互いに気まずさがなくなります。
「覚えていないかもしれませんが...」と言って
「ごめんなさい、思い出せないのですが...」と言われたら
「ですよね~」と言えば済みますもの笑
人と人の関係にはいろいろな局面があります。
最近は「人間関係の断捨離」という言葉もあるそうですし、
今の人間関係を手放さないと、
そういう考え方もあってもいいし、
今はそう考える時期と判断するのもあっていいと思います。
だけど、しばらくコンタクトしていなかった相手に、
ちょっとだけ勇気を出してコンタクトしてみると、
新しい関係が始まるかもしれませんよ。
最近私が思い出した人は、うふふ... ヒミツ。
春ですし、
いかがでしょうか? 笑
「好意」の持つパワー
うちの会社では、
発表者が好きなテーマで30分程度説明し、
毎回、終了まで40~50分程度でしょうか。
たとえば、私が扱ってきたテーマの例を挙げてみますね。
・論点コンシャスになろう
・「Fast Worker」になるための秘訣
・今日は心理学、です!
・自分主導の説明と意思表示
・カテゴライズのすすめ
・自分ブランディング
オープン社内報など、
さて、昨日は、たまたま私の番で、今回は題して「意味付けの話」
ここでの「意味付け」
いろいろな事柄に対して、意義や価値、理由や教訓などの形で、
人が自分なりにしている「解釈」のことです。
たとえば、人が最も頻繁に行なっている意味付けは、
他人を評価判断することではないでしょうか。
あの人は、~だ。
あの人には、~なところがある。
あの人は、いつも~する。
自分の解釈で人を決めつけると、
人と人は、お互いに相手の人柄や性格、
その解釈があたかも本当の姿であるかのように決めつけをし合って
しかも、その評価判断はポジティブなことばかりではなく、
むしろネガティブなことの方が記憶に刷り込まれやすいと言えるか
ネガティブな評価判断をしてしまう顕著な例は、
誰にでも苦手な人の一人や二人はいるもの。
私はどちらかといえば、
たとえば、自分の話ばかり機関銃のような速さでする人、
しかも、声が大きく、感情の起伏が激しい相手は、
そのような人と話していると、30分を超えたあたりから、
気が遠のくような感じになって、まったく集中できなくなります。
実際に、一回り近く年上の方で、そのような人がいました。
前記の「自分の話ばかり機関銃のような速さでする」
事実と言っても良いと思いますが、
私はその人を「幼稚な人」「子どもっぽく、わがままな人」
こちらは明らかに私の解釈です。
前置きが長くなりましたが、実はここからが今日の本題です。
この人との間で、あるとき不思議なことが起きました。
人が人に抱く気持ちに「好意、好感」というポジティブな感情、
「反感、悪意、敵意」などのネガティブな感情、
さらに「普通、どちらとも言えない」という感情があるとすると、
この人の私に対する気持ちに「好意」
そうしたら、何とあれだけ苦手意識があったその人に対し、
この人の良いところを見つけようという気持ちが湧いてきました。
おそらく、「子どもっぽく、わがままな人」
心の中で被害に遭いたくないという深層心理が働いていたのですが
「好意」を感じ取ったことで、(敵対する相手ではないのだから)
寛大に捉えても大丈夫だと無意識ながらに思ったのだと思います。
ロバート・チャルディーニの著書「影響力の武器」の中で、
「好意の返報性」について書かれていますが、
職場での悩みとして、各種調査でしばしば「人間関係」
「あの人は~だ」は必ずしも事実ではなく、
見え方が変わるような気もします。
さらに必ず関係が変わるとは言えないまでも、「好意」
関係が変わる場合もあることは、
桜の便りが楽しみになってきました。
どうぞ良い週末をお過ごしください。
出張シェフの一言に脱帽!
先日の3連休の最後の日、
その際に出張シェフを利用しました。
実は、この会、私以外の3人は全員お互いが「はじめまして」
私が出張シェフを利用するのも初めてで、
Sharedineというサービスを利用したのですが、
調理器具や調味料は依頼主が用意し、
今回、私は買い物も含めてお願いしました。
結論からいうと、味、量、価格とも大満足です。
さて、そのようなしくみなので、
今回のシェフRyuさんにそんな時はどうするのかを尋ねたところ
「自分は、自分の方を状況に合わせます」と迷いのない回答が。
以前は、
所詮、レストランの厨房に家庭の厨房はかなわないので、
その環境でのベストを尽くせば良いと考えるようになったそうです
包丁の切れ味が悪いなと思ったら、たとえ砥石がなくても、
その場でできる工夫をしてしのぐのだとか。
この割り切りは簡単そうで簡単ではありませんよね。
「なんだ、○○○も揃っていないのか」
「思った料理ができないのは相手のせいだ」と
心の中で相手を責めることもできます。
こう思ってしまうのは、
人生言い訳が多くなりそうですね。
それに対して、Ryuさんのこの潔い考え方は素敵です。
だけど、、、
たとえば、私の場合、
限界の一歩手前で手を抜き、
「ベストを尽くした風」にやってしまうことがありますから。
心理学用語に「アカウンタビリティ」という言葉があります。
ビジネスでは説明責任の意ですが、心理学では「責任の概念」
自分に起きたことは自分自身の責任の結果である、
ちょっと聞くと厳しそうに感じますが、
なぜでしょう?
ほかの人のせいや何かのせいにしていると、
先ほどの私の筋トレの例でも、
だから、
昨年のウィンターシーズン、
しかも、ゲレンデに立つのは何十年かぶりのこと。
最後の最後の私のチャレンジは、しっかり前傾し、
スピードが出てしまうと怖いのですが、
そのときに得たのは、爽快感、満足感、達成感、充足感。。。。
Ryuさんの言葉をきっかけに考えてみたら、
結果の良し悪し以上に重要な気がしてきました。
私たちは、思いもかけない不運や想定外の出来事に見舞われると、
ついそのことを悔やんで、前を向けなくなります。
自分はベストを尽くしたか?
それを基準にすると、
今日から弥生です。桜も早そうですね! そして花粉も...
元気に参りましょう!