ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2022年9月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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個人的な話で恐縮ですが、ここ数年の間に、スタンスを変えたことがあります。
それは、目や耳から入ってくる情報の見方、聞き方です。
発信者が誰であろうと、100%は信じずに50%で眺めるようになりました。

「発信者が誰であろうと」の意味は、
国や大臣たちの言うことだろうと、
NHKをはじめとするマスコミの言うことだろうと、
有名人や有名論客の言うことだろうと、
仲のいい友達であろうと、です。

「50%で眺める」といっても「信じない」は言葉としてキツすぎるかもしれません。
「本当かもしれないが、そうではないかもしれない」
「そういう面があったとしても、すべてではないかもしれない」
「本当かどうかはともかく、○○はこう言っているということはわかった」
つまり、常に「別の真実があるかもしれない」「別の見方があるかもしれない」と、
意識的に心に余白を持って眺めるようになったと言うのでしょうか
目の前の情報を鵜呑みにしないように強く意識するようになりました。

そんなの当然ではないかと思う方もいるかもしれません。
でも、以前の私も含め、多くの人は情報を受け取ると、
聞くところによれば「~らしい」「~だそうだ」という見方をし、
頭ごなしに信じているとは言わないまでも、
「そうなんだ」と受け入れるのが先、
「本当か?」は後というスタンスなのではないでしょうか。


私が「本当か?」といちいち思うようになったのは、
1つにはcovid-19に対する専門家の発言への不信感や
マスコミの煽り報道への不信感も影響しています。
マスコミといえば、covid-19の煽り報道だけではなく、
政治報道で「報道しない自由」を濫用するようになって
信頼できなくなったというのもあります。
また、ある一場面を切り取られると、悲しいかな、
本当だと思ってしまったことが何度かありました。


最近の例で、鵜呑みにしてしまいそうな「情報」の例を挙げてみますね。

たとえば、ちょうど1週間ほど前、鳩山由紀夫元首相が
誤った情報をツイッターで発信しました。
それは、ワクチンを打った人の方が打たない人より3倍入院する確率が高い
とWHOが認めたという発信です。ツイートを引用します。

<勉強会で白澤卓二先生にあらためて訊きました。WHOがワクチンで重症になる確率はコロナで入院する確率の3倍とWHOが認めたのは事実ですかと。河野太郎大臣はデマと否定されましたがと。白澤先生は事実ですと答えられました。私はアンチエイジングの権威の白澤先生の言葉を信じます。>

元総理大臣の発言となると、「そうなのか」と思う人がいてもおかしくない。
でも、悪気はなくてもこの情報は間違っていました。


また、今年はこんなこともありました。
7月の参議院選挙の際に、元東京都知事で維新から立候補した猪瀬直樹氏が、
同じ維新の候補者であった海老沢由紀氏に対し、街頭演説の最中に
肩(胸だとも)を触るなどのセクハラ行為を働いたとして、
その映像がネットを駆け巡りました。
私もそれを見て、最初はセクハラと言われても仕方がないと思ったのですが、
その後の海老沢氏のブログを読んで、「こちらの方が真実だ」と思い、
切り取り報道、印象操作の恐ろしさを痛感しました。


現代社会は、あまりにも多くの情報で溢れかえっています。
そして、民主主義国家だからこそ、
発信者は誰もが自分の見方に基づいて、自由に発信できます。
さらに、フェイクニュースのように悪意を持って情報を流したり、
意図的に流さないことも可能です。

ということは、絶対的に正しい情報など存在しないのかもしれません。
これが何を意味するかと言えば、
各自が情報としっかり向き合い、判断することが必要だということです。
残念ながら、人間にはムードに流され、声が大きいものに同調してしまう
代表性バイアスという心理的特性があります。
つまり、何かの力によってコントロールされる可能性がある、とも言えます。

そんな状況にあって、私たちはどうしたらいいのでしょうか。
まず第一に「鵜呑みにしない」に尽きますよね。
さらに言えば、やっぱり「調べる」です。
昔と違って、検索すればいろんな解説が出てきます。
問題は、これだけ情報が多いと、いちいち調べていられないということ。
でも、「鵜呑みにしない」という態度をみんなが持つだけで、
誰かが描いたシナリオを闇雲に信じてしまうことはなくなりますし
それだけで世論の健全化は図れるのではないでしょうか。

すっかり秋らしくなってきました。
今週も残りわずか。素敵な9月最終週にしたいものですね。

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私は、香川照之という役者が好きでした。
でも、今回明るみに出た彼の行動は残念だったと言わざるを得ません。
また、スポンサーやテレビ局各社の対応が適切であることを願います。
しかし、今のところ「検討する」等の反応が多く、
この先どうなっていくのか。。。

香川照之が女性に対して働いた猥褻行為は許されない行為である...
ということに異論がある人はいないことでしょう。
でも、「許されない」とは何を意味するのか、解釈はまちまちな気がします。
そこで今日は「許されない」について考えます。


事件についてご存じない方もいるかもしれませんが、簡単にまとめると、
8月24日付「デイリー新潮」、9月1日付「週刊新潮」で、
彼が2019年に銀座の高級クラブで性加害を働いたこと、
被害者の女性はいまだにPTSDに苦しんでいること等を報道。
8月26日、本人が自分が司会を務めるTBSの情報番組の冒頭で謝罪。
事務所も事実が何かには言及しないまま、報道内容を認める形で謝罪文を発表。
それらを受けて、彼をCM等に起用している企業のコメントが発表され、
テレビやネットで注目されているという状況にあります。


この件に対するマスコミやコメンテーター、
CMで起用している企業の一部の反応に私は違和感を感じました。

「許されない行為」と言いながらも、
多くの反応の中に、このようなものがあったからです。

 3年前のことだし、本人は反省し謝罪している、
 当事者との間では示談も成立しているのだから、
 周囲が今さらどうこう言うことではないのではないか、と。


この根っこには「罪を憎んで人を憎まず」があるのかもしれませんし、
私自身も、たとえどんな罪を犯した人でも、
罪を償った後には復活できる寛大さは必要だと思っています。
でも、それは罪が明るみに出て、謝罪すればOKということではありません。


多くの記事で彼の行動は「性加害」という言葉で紹介されているようですが、
本来は「強制わいせつ罪」になっても不思議ではない出来事です。
今回のケースで「強制わいせつ罪」に該当する行為が何かといえば、
「衣服の中に手を差し込んで身体に触れる」
「むりやりキスをする」
「衣服を脱がせる」です。

しかも、「強制わいせつ罪」というのは、
現在は被害者の親告なしに成立することになっているので、
本来は示談もへったくれもなく、逮捕されてもおかしくない事態です。
犯罪行為として規定されていることをやってしまったのだから、
それに社会は「No」と言うべきです(反社に対する時と同じように)。


なのに、「すでに示談になり、謝罪したんだし...」という反応も見られ、
CMで彼を起用している各社も「検討する」「注視する」としています。
もちろん「検討する」「注視する」というのは
「使う」とも「使わない」とも言及しているわけではありませんから、
結論は今後次第という含みを残した表現かもしれません。

さて、今回の件は芸能界特有のこととか、水商売だし...
と見る向きもあるかもしれませんが、
行為の中身ではなく、合意がないことを強制したから許されないわけで、
許されない行為と言う以上、本来は「許さない」と行動で示すことが必要です。
テレビ局にしろ、企業にしろ、彼の起用を継続し行動を注視するというのは、
実質的に「許した」ことを意味すると思えてなりません。
もちろん彼を降板させることの影響は計り知れないでしょう。
でも、毅然とした態度を示さないことによって失うものも多いはず。

香川照之さんには才能があり、役者として一目置きます。
でも、今後を応援する上でも、曖昧に許されてしまうよりも、
双六でいえば「1回休み」が必要なのではと思うのは私だけでしょうか?


明日からはもう9月。。。
時の速さにため息が出ますが、元気に行きましょう!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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