努力している人ってカッコいい!
先週、コンサル大学の北岡秀紀さんのメルマガを読んでいたら、
萩本欽一さん、ビートたけしさん、タモリさん、明石家さんまさんなどの
語録を紹介し、お笑い界の大御所たちは「努力」について、
「芸能界は運と才能の世界」
「努力したからといって報われるものではない」
とほぼ一様に語っていて、努力を否定しているように見える、
でも、そういう人たちに限って実は一番努力をしている、云々...
とありました。
芸もスポーツも才能は必要ですが、
一流の人ほど努力しているとはよく言われることです。
でも、社会って、私たちも含め、
無名な人たちの努力の上に成り立っているんですよね。
当たり前に手に入るものには、ついつい感謝を忘れますが、
その陰でどれだけ多くの人たちの努力があることか。。。
とはいえ、毎日毎日、コツコツと努力するというのは
並大抵のことではありません。
人間だから、やる気の出る日もあれば、出ない日もある。
そんなとき、コピーライター藤本宗将さんが
ホンダのためにつくったあの有名なコピー「負けるもんか」の全文を読むと、
努力って美しいなぁと思い、元気が出ます。
もし、読んだことがなければ、ぜひ検索して読んでみてください。
さて、努力には2つあります。
自分一人で完結する努力と、相手がいる関係の中でする努力。
どちらの努力も簡単ではありませんが、
ここでは、相手ありきの中での(特にリーダーの)
「伝える」努力について考えてみたいと思います。
我が身を振り返ってみたり、過去の事例を思い出してみて、
「伝える」ことのいったい何が難しいのかを考えてみました。
伝えていないから伝わらないというケースは別として、
伝わっていないからといって、
リーダーが何も発していないことは、むしろ少ないのではないでしょうか。
それなのに、しばしば伝わらないということが起きます。
なぜでしょう?
たとえば、40代の私の経験。
自分は社員にビジョンを話しているつもり。
なのに、うちの会社のビジョンがわからないと言われる。
するとリーダーの私は、なんでわからないのか、
わからんヤツが悪い...と思う。
今にして思えば、なんと他責なことでしょう。ああ、恥ずかしい。
でも、伝えることは目的ではなく、伝わってなんぼ。
そうすると、なぜ伝わらないのか、考えるようになります。
すると、わかってきました。
そんな時は、往々にして、伝えたいことを伝えたいように発しています。
相手が知りたいことは何なのかなどと考えていません。
そもそも立場が違えば、見ている風景も違うはずなのに、
相手に見えているもの、見えていないものを想像さえしていません。
だからこそ、噛み合わないときに、自責で受け止めず
他責で見てしまうのでしょう。
そんな気づきを得ました。
上司というのは、部下から育てられるものですね〜
こんな私の体験は、反面教師にしていただきたいですが、
さて、、、、
伝える努力はどうあるべきなのでしょう?
きっとこれだけが唯一正しい答え!というものは存在せず、
人それぞれでいいように思います。
自分の価値観や美意識に従うのみです。
私の場合は、努力らしい努力はできていませんが、
強いて言うと、相手から見て、
指摘、意見、進言を言いやすいと思えるような関係づくりに努めています。
本当は伝わるようにするための努力をすべきなのでしょうけれど、
でも、言いやすい関係であれば、社員は、私が伝えたことが伝わっていないときや、
表現が適切でなかったときに、フィードバックしてくれるからです。
そうしたら、あ、はずしたか...と思って、フォローに走れます。
まあ、でも、これ、努力と呼べるほどの代物ではありませんねぇ。
本気で努力する姿って本当にカッコいい。
藤本宗将さんのコピーのように、カッコよく仕事をしたいものですね。
あなたは「伝える」という面で、どんな努力をしていますか?
年が明けたと思ったら、もう1年の24分の1が過ぎてしまいました。
今日という日が充実した1日でありますように。
おてんとさまが見ているもの
あけましておめでとうございます。
箱根駅伝、ご覧になりましたか?
駒澤大学のアンカー石川拓真選手の力走と、奇跡の逆転劇、すごかったですね。
私は残念ながら、ニュースで知ったのですが、
それでも感動したぐらいなので、ライブで見ていたら鳥肌が立ったことでしょう。
「自分を信じて、諦めなければ、何かが起きる」
そう思って走ったそうですが、
たすきをもらったとき、1位の創価大学とは3分19秒もの大差。
それを逆転したのですから、、、、
大いなる力が味方したとしか思えないような快挙です。
さて、年始なので、今日は「大いなる力(のようなもの)」のご利益に預かるには
どうしたらいいのかということについて、真顔で考えてみましょう(笑
もちろん冗談。いえ本気。いや、冗談。でも、結構本気で(笑笑
大いなる力のようなものが存在する/しないは、当然人それぞれです。
存在するという物の見方は、ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、
ポジティブな思考にはポジティブな結果がついてくるというような、
一種の人生観のようなものなのだと思います。
で、実は割と多くの人がこのような考えを思っているのではないでしょうか。
「病は気から」なんていうのも、同じようなことです。
自分の気持ちのありようが、目に見えない力を動かし、良い結果につながる。
真剣に信じているわけではないけれど、心のどこかでそんなイメージを抱いている。
日本では「おてんとさま(お天道様)」などと呼ぶこともありますね。
狭義では太陽のことですが、広義では太陽を含む大自然のことです。
良い行いも悪い行いも、人が見ていなくても、「おてんとさまが見ている」と。
では、そのおてんとさま、いったい私たちの何を見ているのでしょう?
あ、真剣に受け止め過ぎないでくださいね。ただの想像の話ですから。。。
話は飛びますが、大晦日に夜更かしをして、
ディズニーの実写版「アラジン」を観ました。
主人公アラジンは生きるための盗みはするものの、
純粋な心の持ち主として描かれています。
洞窟に隠された魔法のランプを手に入れるよう命じられますが、
その洞窟には善良な心と優れた素質を持つ人しか入ることができません。
アラジンは見事洞窟に入り、すったもんだありながら、
ランプの魔法を借りて、人生を切り拓いて行きます。
魔法だなって、奇跡に近い、大いなる力の象徴です。
なぜ彼はランプを手にすることができたのか?
おてんとさま(ここでは洞窟)は彼の中に何を見たのか?
まあ、お話だから起きたと言ってしまえば、それまでですが。。。笑
石川選手の力走とその結果を見た時は、
おてんとさまが見ているのは、諦めない不屈の精神力?...とも思いました。
でも、それではおてんとさまの了見としては狭すぎる感じがします。
そうこう考えるうちに、
ふと、先月、Youtubeで見た田坂広志さんの講演を思い出しました。
それは、32歳のときに癌で余命宣告されたものの、
奇跡的に生き延びた、そんな体験に関するものでした。
現在、70歳でいらっしゃるので、本当にすごい話です。
余命宣告された田坂さんは、絶望的な気持ちのまま、
救いを求めてある禅寺に行ったそうです。
その寺に行くと治癒する人が多いと、両親に勧められたのがきっかけでした。
そこで禅師に言われたのは、励ましでも癒しでもなく、期待とは違った言葉でした。
「そうか、もう命は長くないか...。だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」
そう言われた田坂さんは、死ぬまで命があるにもかかわらず、
自分はすでに死んでいた、と気づいたそうです。
どうしてこんな病にかかってしまったのかと「過去」を悔い、
これからどうなるのだろうと「未来」を憂う。
そんなことばかりに時間を使い、「現在(いま)」を生きていない自分に愕然とし、
その日から生きる覚悟を決めたそうです。
人生にあるのは、永遠に続く現在(いま)だけなのだから、
いまを生き切れ。
そんなメッセージの動画でした。
こんな話を聞くと、田坂さんの著作はより一層深いものに思えてきます。
この動画を思い出した時、
3つの点が重なって、1つになりました。
石川選手にも、アラジンにも、田坂さんにも共通するもの、
それは「いまを生き切っている」ということです。
大いなる力が私たちに味方をしてくれることがあるとすれば、
それはきっと私たちが「過去」でも「未来」でもなく、
「いまを生きている時」なのではないでしょうか。
未来を妄想しやすい私ですが、いまを生きなければと思った年初でした。
さて、今日はこの辺で。今年もよろしくお願いします。
首都圏では緊急事態宣言が発出されるようですが、
他力本願にも他責にもならず、自分のいまを生きましょう!
素敵な1週間をお過ごしください。