ボディランゲージと人間関係の不思議
先日、深夜の「ためしてガッテン」再放送で、
アイコンタクトが認知症の改善に役立つ...というのを観て、
認知症の方は視界がとても狭くなるらしく、
普通なら視界に入るであろうと思える場所にいる相手も
実は見えていないことが多いのだそうです。
だから、正面からアイコンタクトをせずに話しかけると、
相手がどこにいるかわからないという不安があって拒絶されたりす
真正面から目を合わせて話すことで、信頼感や安心感が生まれ、
関係は劇的に変わる、そんな事例が紹介されていました。
興味深かったのは、赤ちゃんの実験。
同じぬいぐるみを2つ見せながら、
手渡す相手が目くばせするだけで、
目は口ほどにものをいうと言いますが、
人の動物的な感受性はまだまだ生きているんですね。
私たちは、
もう少し自覚的であるべきかもしれません。
目を合わせることは、ビジネス社会でもとても重要です。
耳だけ向けて「聞いてるよ」という反応をしてしまったり、
ポーズは聞いているようで、実は「今じゃなきゃダメ?」
心から目を合わせているのといないのとでは、
さて、前置きが長くなりましたが、
私たちが注目すべきは、「目を合わせる」ことだけではなく、
ボディランゲージの重要性についてではないか、
これは、若かりし頃の私の体験からも思うことです。
私が新卒で入社した某上場企業で、
その専務は、社内でも一番怖いと評判の方でした。
課長クラスの多くの方は専務室に入るというだけでも、
私から見てもビビっているのがわかりました。
そういう方に対して、専務はよけいにイライラしていたようです。
けれど、そんな専務でも一目置く方が二人いました。
経理部長と財務部長。お二人はまったく臆することなく、
振る舞いも堂々としていて、むしろそんなお作法で大丈夫なの?
よく言えば自然体で振舞っていました。
そんなことをきっかけに、私は感じ取りました。
話している内容以上に、振る舞い方(ボディランゲージ)によって
人は認められたり、相手をいらだたせたり、
あるいは、周りを不安にさせたり、
と同時に、
世界最高峰ハーバード・ビジネス・スクールの注目教授であり、
著書「〈パワーポーズ〉が最高の自分を創る」で知られる
エイミー・カディがプレゼン番組「TED」で
人が自分に自信を思って力に溢れている時と、
反対に無力だと感じた時とではポーズが違うと話しています。
力に溢れている時は、体を伸ばし広げるが、
無力感を味わっている時は体を縮めている、と。
オリンピックなどでの勝者と敗者のポーズを思い浮かべると、
彼女の言わんとすることがわかります。
彼女は、体を伸ばし広げることを力強いポーズと呼び、
反対に、体を縮めているポーズを力の弱いポーズと呼んでいます。
そして、
自分はできるという自己暗示が重要なように、
ポーズ(立ち姿勢)という形から入ることによって、
マインドも変化する、
これらの話から思うことは、
人に自分の力を周囲に認めてもらうためのボディランゲージと、
人に自分に対して安心感や信頼感を持ってもらうためのボディラン
まったく違う方向性にあるということです。
でも、人間関係をより良くするには、実はどちらも大切ですよね。
それは左右対極にあるのではなく、
私自身も、どちらも少しはできていて、
でも、そうやって理想を持ったり、
少しづつ理想に近づいて行くのではないでしょうか。
今週は11月に突入。今年もあと2カ月です。
私は先週のブログに、自分が今年何ができて、
何をしたいのにまだしていないかと書きました。
お互いに残る2カ月を満喫して、2018年を終えましょう!
まずは今週が素敵な1週間でありますように!
2018年、したこと、していないこと
こんにちは。
まずは御礼から。
先週の私の個展、個人的な活動ですが、
元気が出たなどの感想を多数いただき、おかげさまで無事に終了しました。
中には、メルマガを読んで来てくださった方もいました。
ありがとうございました。
さて、そんなこと、あんなことをしながらも、
気がつけばもう10月もあとわずか。今年も2カ月少々しかありません。
そこで、今日は今年したこと、したいのにできていないことという視点から、
私のこの1年を紹介したいと思います。
ちょっとダラダラと自分への備忘録として軽い気持ちで書かせていただきます。
したこと(意図した・しないに関わらず)
・「自由」というものをテーマに感じたり考えたりしてもらう場を作れた。
これは、先日の個展のことです。
終わった日は、踊り狂いたいくらいの達成感がありました。
私は人を元気にさせたいと思ってこれを開いたわけではなく、
ただ自分の満足のために開いたのに、結果的に多くの人から「元気をもらった」と
言われて、こんなにうれしいことはありませんでした。
・本を作った。
母の自分史を聞き書きでまとめたり、
父がお世話になっている老人ホームのスタッフの仕事観集を作りました。
仕事で磨いたスキルを自分のやりたいことに使った格好です。
人の物語を聞き書きでまとめるのは楽しい作業でした。
・当社の理念についてスタッフと膝詰めで話せた。
当社理念「『言葉』で未来をつくる」の奥にある、生み出したい社会像の話を
スタッフとディスカッションできました。
この理念は、人と人は分かり合えないからこそ、
分かり合う努力をし続けることに意味があり、そういう社会を作りたいからこそ、
言葉に価値があるのだという考え方が根底にあります。
そこをゼロから伝え、ディスカッションできました。
やりたかったのに、できなかったことです。
創業者としては、まだまだ社内で続ける必要のあることだと思います。
私が現役でいる間はね。
・新しいサービスのプロトタイプの開発ができた。
お客様企業の中で、発表されたビジョンや中計などについて
社員のひとりひとりが考えるきっかけになるような
そんなワークショップのプロトタイプをつくりました。
これからリリースします。
果たして、ニーズがあるか!?
したいのに、していないこと
・読みたい本
読みたいのに、積んでいる本、実はいつもあります(笑
「海馬」(糸井重里、池谷裕二)
「『わかる』とはどういうことか」(山鳥重)
どちらも脳科学系の話です。人の理解や認識はどんなふうに成り立っているのか、
もっともっと知りたいですね。
「シニカル・ヒステリー・アワー」(玖保キリコ)
玖保キリコさん、おもしろい漫画家ですよね。私と年代も近い。
私が読んだことがあって、おもしろかったのは、「いまどきのこども」です。
先日の個展で、ある方から「自由つながりで思い出したから...」と
いただきました。早く読みたい。。。
他にも多々あるなあ。数年前から読みたいのに、読んでいない本も含め、
「僕は数式で宇宙の美しさを伝えたい」「ソース」など。
・ちょっと興味のあること:仏教
仏教の「自由」「差別」といった言葉の世界観に興味を持ちました。
今は手っ取り早くメルマガを読むなどから始めていますが、
書籍「ブッダのことば―スッタニパータ」(中村 元)や
映画「親鸞」(監督 田坂具隆)、
書籍「なぜ生きる」(監修 高森顕徹、共著 明橋 大二/伊藤 健太郎)などに
触れてみたいですね。
仏教も宗派がいろいるあるので、どこから始めるのがいいのか、
ちょっとわかりかねますが、入門書的な本を幅広く読んでみたいです。
・家の大掃除
楽しく心踊ることに時間を使いすぎると、大抵どこかでバランスが崩れます。
その一つが家の維持。引っ越して来てまだ4年ですが、
実家の処分や個展の開催に伴って、置きっ放しになっているもの(一時的の
つもりだったのに...)がたまってきました。
断捨離系の大掃除と、磨き上げ系の大掃除、今年中にどちらもやりたいものです。
ま、これを年内にやろうとしたら、他の項目は諦めるしかありませんが、
空間的なことはストレスを生むので、先送りしないほうが身のためです(笑
・ゆっくり家で映画三昧
映画館に映画を観に行くということも最近少なくなっていますが、
今したいのは家でどっぷり映画三昧することでしょうか。
何を観るか、選ぶこと自体を楽しみたいですね。
・衣替え
実はまだ衣替えができていません。毎日、着ていく服に困っています(泣
・KANREKIの曲づくり
同じく暦が回った友人たちと、曲を作ろうという話が決まっていて、
すでにトライ&エラーが進んできています。
で、方向性が決まったところで、止まっています。
曲の音を作る担当が私で、第2案への一歩が滞っているからです。がんばります!
...ざっとこんなところでしょうか。
他にもありますが、書けば書くほど、自己否定的に作用しかねないので、
やめておきます(笑
人生を100%楽しむために、時々こうやって
セルフチェックをかけるのも悪くありませんね。
...と、もっともらしく、まとめてみました笑
今週も素敵な1週間でありますように!
自由であるということ
今週の水曜日まで表参道のギャラリー「Concept21」で、
テーマは「自由であるということ」。
そこで、今日は自由と個人、
あなたにとって自由とは何ですか?
自由と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
好きなように、奔放に、振る舞うイメージですか?
デジタル大辞泉によると、こんなふうに出てきます。
1.自分の意のままに振る舞うことができること。または、
2.勝手気儘なこと。わがまま。
3.哲学で、消極的には他から強制・拘束・
積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。
今回の個展での私の捉え方とは少し違いますが、
一般的にはそういうことなのでしょう。
英語の「freedom」「liberty」の訳はどちらも「
実はどちらも、
福沢諭吉が「自由」という語を訳書に用いたあたりから、
言葉として定着したというのが通説です。
また「自由」は仏教用語でもあるようです。
「自らをよりどころとし、他のものをよりどころとせずにあれ」
という教えに基づくもので、
「自由」=「自らに由(よ)る」「自らを由(よし:根拠)
私の考えた自由は、仏教からくる概念に近いかもしれません。
自分らしく、ありたいままにあること、
他人からどう思われるかを気にして自己制限をかけることがない心
...と捉えました。
その反対は、心が抑圧されている状態です。
自由も不自由も自分の心が生み出すものであり、 自律していることなくして、自由は得られない。
そんな解釈に立っています。
実は、このように考えるようになったのには、
私は、30代中頃にうつ病的な気分に陥り、
10回も受けないうちに、これを続けても治りそうにないと思い、
結果的には自分で自分を戻しました。
その時の原因にあったのが、
特に社長らしくあらねばならない、
それが周りの期待に応えることだと思い込んでいました。
結果、自分らしさを失い、息苦しくて不自由でした。
その経験を通じて、ふと気付きました。
自由も、不自由も、自分の心が生み出しているのだ、と。
さて、自由と不自由についてこう解釈すると、
実は自由を得るのは簡単ではなく、奥が深いことに気づきます。
人は、自分を拠り所にすることに慣れていません。
子どもは親や先生を拠り所にして育ちます。
就職すれば、上司や先輩を拠り所にして成長します。
私たちは、評価されるためにがんばる...
自分よりも他人を拠り所にするパターンに陥りやすいのではないで
要するに、その方がラク...ということかもしれません。
たとえば、「あなたを雇うから、何をするかは自由に考えて」
「あなたの仕事はこれこれで、こういうことを期待する」と
言われた方が、よっぽど気分的にラクではないでしょうか。
これを個人の視点から見るとどうでしょう?
他人の目を気にしない人はいませんが、
他人の目が自分の基準のすべてになってしまい、
自分らしさが失われていくと、心の病にかかります。
組織の視点から見た場合はどうでしょう?
他人の目や人の評価ばかりを気にする組織は、
決して自らに由る力が強いはずはありません。
自分らしくありたいようにあることが許され、
自律することが評価される組織の方が、
組織としては強いように思います。
あなたはどう思いますか?
私は、たった一度の人生だからこそ、
自由に在りたいという思いを強くする今日この頃です。
今週も素敵な1週間をお過ごしください。
損得は二の次~自分の存在価値をなくさないために
当社がたとえば30年後、どうなっていてほしいのか、
最近、考える機会が増えました。
と同時に、
で、改めて今日まで存続できた理由を考えてみると、
その一つに「損得は二の次」
いえ、ビジネスですから、損得はどこかで考えますが、
判断基準の上の方にそれがあったかというと、
判断基準の上にあるのは、あくまで経営としての、人としての、
「理想」とか「美意識」でした。
で、その理想の中心にあった一つの姿が、
オープンに自然体で意見を言い合い、
リスペクトし合う対等な関係の中で仕事をするというものでした。
社内はもちろんですが、お客様やパートナーともです。
そこに損得勘定はありません。それはポリシーでした。
社内で言うなら、ミーティングの場はもちろんですが、
新入社員でも社長の私に意見を言えるように。
もちろん、
素直に聞けず、それが原因で軋轢が生まれたこともありました。
で、どうするかといえば、謝るわけです。
なぜなら自分の非を認めず謝らない社長はカッコ悪いから。
それが、私の「美意識」でした。
で、「意見を言いやすくする」「
という考え方は、
ところが、、、、
最近の社会の風潮としては、
これについては、阿部が9/9付のメルマガ
「その場、『言う場』?『言わない場』?」
いかにもありそうなことだと感じ、
いったい日本はいつからそうなったのか、
「言わない」「発言しない」の根底に、
想像してみました。
で、そうなってきたその原因について、
【意見を言わない理由1】根底にある価値観に「損得」
発言して、人から「会議を引っ掻き回した」と文句を言われる、
発言して、人からその発言は「的を射てない」「おかしい」
発言して、人から「お前の発言で会議が長引いた」
発言して、想定外の面倒な役目が回って来てしまった。。。
多分、そんな原体験があると、
そう思うようになるのかもしれません。
いえ、そんな体験がある人自体は少ないのだけれど、
他人のそういうシーンを目の当たりに見ると、
ああいう立場にはなりたくないと思うのでしょうか。
【意見を言わない理由2】根底にある行動基準に「空気読む」
今の日本の、空気を読めという空気、
仮に周りの誰かから「空気読めよ」と言われたら、
自分が言われていなくても、
同じ目に遭いたくないと思うことでしょう。
直接「空気を読め」と言われていなくても、
「意見を言うな」「否定をするな」
オーラだけでも行動が変わってしまうかもしれません。
この場合、オーラを出す人と、オーラで忖度する人、
いったいどちらがどう変わると、組織は良くなるのでしょうか?
【意見を言わない理由3】考える習慣がなく、
最近聞いた学校教育の話では、
「考える」プロセスなどまったく重んじられていないようです。
考える習慣がないことを学校教育のせいにしていいかどうかはわか
実際社会人の中にも「考える」ことに慣れていない人、
考えることを途中でやめてしまう人はとても多いと思います。
学校でも社会でも考えることを要求されない、あるいは
考えることに意味が生まれない環境で暮らしてしまうと、
もしかしたら、私が思いもつかない第4、
でも、この3つに限って言うと、私は原因は一つではなく、
どれも相互に少なからず関係しているのではないか、と思います。
とはいえ、その中でも一番の根っこにあるのは、「損得」
損得から発言しなくなる。空気を読むのも、
損得から発言しないことを是としたら、
でも、
なぜなら、それをやり続けると自分の価値、
というのも、多くの人は発言しないわけですから、
同じようにしていたら存在価値を発揮できないわけです。
価値が発揮できないと、精神的にはやりがいが得られない、
経済的には稼げないなどの影響を受けます。
それだけでも十分に損害を受けるわけですが、
最近では、ロボットに仕事を奪われる可能性さえ出て来ました。
自分を守って損しないように行動してきたつもりが、
結局は経済的にもやりがい的にも損を生み出す。
だから、損しないために発言しないはナンセンスだと思います。
さて、、どんな会社にも文化があり、
でも、あなたの意見が風穴を開けるかもしれません。
意見を言える世界とは、正解が1つという世界とは違います。
意見を言える会社、意見を言う個人。それ自体に意味がある。
そういう存在が増えると、日本は変わっていけると思うのですが。
意見を言うことについて、あなたはどう感じ、
どうぞ素敵な1週間を!
PS)あ、そうそう、
「DENIM AGE(デニムエイジ)~自由であるということ」というテーマで
個展を開きます。ご興味があり、お時間が許せばお運びください。
期間:10/11木~10/17水(11時~19時。
場所:ギャラリー「Concept 21」(表参道徒歩5分)
〒107-0061 東京都港区北青山3-15-16
Tel.&Fax.03-3406-0466(画廊)