何と呼ばれたい?
あなたは職場でどんなふうに呼ばれていますか?
苗字で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
名前で◯◯さん、◯◯くん、◯◯ちゃん
そのほか、いろいろな呼び方があると思います。
当然、もっとも多いのは、苗字で「◯◯さん」だと想像します。
あ、いや、役職者の方の場合は、
「◯◯部長」「◯◯課長」などと役職名をセットにして呼ぶことが
慣例となっている企業もまだまだ多いかもしれませんね。
普通の職場では、
「あなた、何と呼ばれたい?」と聞かれることは、
ほぼないのではないでしょうか。
けれど、私、最近お互いを何と呼ぶかは関係性に大きな影響を与えると感じ、
「何と呼ばれたい?」と聞き合う習慣を広めること、
これ、結構重要だと思い始めています。
先日、昨年あるパーティで会った方(女性です)と再会し、
ランチをご一緒したのですが、どちらからともなく、
「何と呼んだらいいでしょうかね?」という会話があって、
親しみを込めた呼び方で呼びたいということになり、
結局私は「まゆさん」と呼んでもらうことになりました(笑)
さて、今日の視点は
「何と呼んだらいいでしょうかね?」
を日常化したらどうなるだろう?ということです。
私は今でこそ「何と呼んだらいいでしょう?」という問いに驚きませんが、
2014年にCTIのリーダーシップ研修に参加した際に、
最初にびっくりしたのは、自分のネームカードに
「何と呼ばれたいか」を書いて、それを首から下げることでした。
その時は、リーダーの一人がアメリカ人だったので、
私はなるべく短くて覚えやすい方がいいだろうと思い、
カードに「mayu」と書いたんですね。
でも、私の人生でそれまで「まゆ(mayu)」と呼ばれたことはありませんでした。
呼ばれたことがあるのは、
まみ
まい
まゆりん
まゆみちゃん
おのちゃん
おのさん
さらにマイナー系はほかにもありますが、
主流はこんな感じでした。
その中で仕事社会で呼ばれたことがあるのは、
おのちゃんと、おのさんです。
さて、、、
一般にビジネス社会では「苗字+さん」で呼びあうのが普通ですよね。
ですが、、、
もし「何と呼ばれたい?」「◯◯と呼んでもいい?」から話を始めていったとします。
そして、その名前で呼び合ったとします。
どうですか?
あっという間に心の距離が縮まってしまうということが起きそうな気がしませんか?
呼び名の重要性は、政治家たちも知っています。
ファーストネーム(それも愛称)で呼び合うことがこれほど重要なのだと
私が最初に思った出来事は、
1983年の中曽根総理と米国レーガン大統領との「ロン・ヤス会談」です。
中曽根総理大臣はレーガン大統領を「ロン」と呼び、
レーガン大統領は中曽根総理大臣を「ヤス」と呼び合う関係になった。
私にとって、それは良い意味でショッキングな、出来事でした。
職場の中で、最初に
「何と呼んでほしい」「◯◯と呼んでもいい?」と聞く習慣。広まるといいですね〜
ですが、うちの会社でも実はまだコレ、やっていないんですよ。
書いた以上、やります!
みんな「何と呼ばれたい?」
「そういう見方もあるのか...」のチカラ
同じ出来事に遭遇しても、人の感じ方は様々です。
お客様からの一言をどう受け止めるのか、とか、
進行中のプロジェクトは果たしてうまく進んでいるのか、とか、
今日の会議の参加者は同じ認識に立てているだろうか、など、
自分が感じていることと、人が感じていることが一致しているとは限りません。
むしろ一致していないケースの方が多いのではないでしょうか。
この不一致の状況に対して、一致させた方がいいこともありますが、
まず一致していないということを共有するだけでいい場合もあります。
ところが、私も含めて上に立つ人は、
ときどき力で強引に一致させようとしてしまうことがありますね。
自分の見方が正しくて、相手の見方は正しくない(浅い、不十分である等)と
主張してしまうのが、その典型です。
この時に上に立つ人の心の中には、
自分が気づいたことを相手は気づいていないのだから、
ならば教えておこう...
というような気持ちがあるのではないでしょうか。
でも、よくよく考えてみると、
これはおかしな話です。
自分の感じたことと相手の感じたことが違うということは、
自分が気づいたことを相手は気づいていないと同時に、
相手が気づいたことを自分は気づいていないということだからです。
たとえば、私たちはいろいろなお客様の会議に参加して、
ファシリテーションを提供しています。
大抵の場合、2名で行います。
そして、それが終わって二人で振り返りをする時、
やはり別々のことを感じていることがあります。
ファシリテーションの質やその場に起きたことについて、
私の方がポジティブでもう一人はネガティブの場合もあれば、
その反対のときもあります。
そんな時、状況認識を一致させようというような意識が働くと、
この振り返りは意味を成しません。
状況をいろいろな視点から見るために二人で参加しているからです。
つまり二人以上の人間が状況を捉えようとするときのマインドセットとして、
お互いに「そういう見方もあるのか...」というスタンスを持つことが
とても重要ですよね。
ですが、つい忘れてしまうことがあります。
部下を教育し、育てなければという思いがあればあるほど、
そうなりがちです。
悪気はありません。悪気がないからこそ、曲者だと思います。
部下に教わることはたくさんある。
「そういう見方もあるのか...」。
それは、おおらかで柔軟な自分を育てるために役立つ
思考のフレームワークだと思います。
あなたは、ほかの人の見方をどの程度受け入れようとしていますか?
今週も素敵な1週間でありますように!
「海賊とよばれた男」で考えた存在理由の大切さ
週末、映画「海賊とよばれた男」を観てきました。
岡田准一演じる国岡商店の経営者・国岡鐵造のモデルは、
出光興産の創業者・出光佐三だと言われています。
27歳で石油に目をつけた鐵造のビジネスは、
業界の商習慣にとらわらず、いつもゲリラ的。
奇想天外な発想で常に難局を乗り越えていきます。
その不思議な魅力に、優秀な社員が集まってくるのですが、
では、いったいその魅力の本質は何だったのでしょうか。
私は、それは彼の理念や信念にあったのではないかと思います。
石炭の時代に、石油は国の発展に欠かせないエネルギーになると信じ、
日本の国益のために独立系の日本企業が石油を供給しなければならない。
そのために国岡商店は存在しているのだ、というのが彼の信念でした。
その信念に社員たちは共感し、それぞれが信じた。
具体的なエピソードはネタバレになってもいけないので書きませんが、
信念で結びついている組織ほど強いものはありません。
そもそも理念とは何でしょうか?
我が身を振り返ってみると、40歳ぐらいまで、
この経営理念というものが何なのか、しっくりくる答えが見つかりませんでした。
しかし、やがて、何のために存在しているのかという哲学的問いに
答えを持つことだと思うに至りました。
「理念=存在理由」であるという考え方です。
サイモン・シネックはプレゼン番組「TED」の中で、
存在理由を語る大切さについて、こう語っています。
「優れた組織、秀でたリーダーの伝え方には共通パターンがある。
それは、WHY、HOW、WHATの順に伝えている。
ところが、多くの組織やリーダーはその逆に伝える。
しかも、WHYを語らないリーダーも多い。
しかし、WHYこそが人の心を動かすのだ」と。
この3要素について簡単に整理すると、こんなことでしょうか。
WHY(何のためか、何を信じるのか、何のために存在するのか)
HOW(どういう手段で行うか)
WHAT(結果としてそれは何か)
「海賊とよばれた男」をWHYから語るとこうなります。
WHY:国岡商店は、日本の国益のためという信念で事業を行っています。
HOW:実現手段は、あらゆる方法であらゆる国から調達した石油です。
WHAT:私たちは、外国資本から独立した石油供給会社です。
でも、WHYを語らず、WHATとHOWだけで語ったなら、、、、
WHAT:私たちは、外国資本から独立した石油供給会社です。
HOW:あらゆる方法であらゆる国から石油を調達し、供給します。
ずいぶん印象が違いますよね。
確かに、WHYが人の心を動かす要素であることが感じ取れます。
映画のモデルである出光興産は、今、昭和シェルとの合併問題で揺れています。
あくまで推測ですが、創業家と経営陣との間に、
WHYの考え方に違いがあるような気がしてなりません。
さて、当社の理念は、「『言葉』で未来をつくる」です。
これはスローガンをつくることではありません。
言葉によって、思考を整理したり、共感を生み出すことができるという信念のもと、
共感創造職の人々が成し遂げたい未来づくりを支援するために存在している...、
そんな意味です。
当社の年始のキックオフでは各自がこの理念をどう解釈し、
どう感じているかを話し合いました。
さて、あなたの会社の存在理由はなんですか?
今週も素敵な1週間でありますように!