信頼の築き方〜本音を言うとどうなるか?
信頼の築き方
仕事において信頼がどうやって築かれるのか、
それにはいろいろな形があることでしょう。
そもそも信頼をどのくらい重んじるのか、
いったい信頼とは何なのか、
本音を言うべきか、言わざるべきか、
信頼に対するポリシーによっても、立ち振る舞いが変わってくる気がします。
今日は、信頼と無関係ではないエピソードをいくつか紹介しながら、
信頼関係について考えてみたいと思います。
私たちグラスルーツの歴史を振り返ってみると、
ご縁が長続きするという特徴があります。
たとえば、今週は、昨年取引のあったX社のプロジェクト責任者だった方が、
転職されたということで、来社されます。
そして、そのX社は10年以上前にクライアントだったKさんからのご紹介で
ご縁が始まりました。
Kさんとは細く長く、facebookで繋がりながら、忘れた頃に飲みに行ったり。
昨日は、銀座で写真展を開かれるというので、久しぶりにお会いしてきました。
そのKさんが、その場に集まっていたご友人に私を紹介するときに、
こんなことを言ってくれたのです。
「コンペで企画提案をもらったときに、
『御社に本当に必要なことは、こういうことではないか?』と言われ、
型通りの提案ではなかったことがとても印象に残っている...」
「しかも、社長だけではなく、社員の方たちが、
みんなそういう姿勢だったことに感銘を受けた」
もちろん社交辞令という側面もあるかもしれません。
で、実際にはどんな提案だったか、私自身はすっかり忘れていますが、
そういう姿勢で臨んできたという自覚は大いにあります。
Kさんの言葉のような形で私たちが仕事に臨むのは、
よく言えば真摯な気持ちからですが、
一歩間違えると「よけいなお世話」になりかねず。。。。
ですから、拒否反応なく受け入れていただけたのは、
Kさんもそういう価値観の方だったからだと思います。
ありがたいことです。
さらに、実務レベルで社員もそう行動していると言われたのが、
コンペの話よりもうれしかったですね。
グラスルーツイズム的なものが浸透しているんだな、と。
しかも、お客様に感じていただけたんだな、と。
「こういう人が信頼できる」
「こういう会社が信頼できる」
その判断基準は、人それぞれ違うと思います。
私が大切にしていることを、別の人はまったく大切にせず、
私が思いもよらぬことを大切にしている...
そんなことはいくらでもあり得ますよね。
さて、信頼の築き方。
あなたはどういうことを大切にしていますか。
私は...
相手にとっては耳障りなことであっても、
自分が一番いいと思うことを率直に伝える、
だけど偉そうに「べき論」を振りかざさない、
相手には私には見えていない状況があるんだから...
というような考えを持っています。
つまり、なるべく本音で接する、
二枚舌は使わない。
これ、仕事もプライベートも同じ考えです。
相手を受け止め、勇気付け、最大限にバックアップする意思を示し、
自分が困っているときは助けてほしいと言って、
人間らしく、対等な関係で付き合う。
お客様であると同時に、人として付き合う。
そういうのが私にとっての理想です。
これは友人とか、部下などでも同じです。
できることもあれば、できないこともあります。
また、それをやったら、怒りを買って、2−3時間説教を喰らったこともあります。
ある時、お客様から「こんな施策をやろうと思う」と聞かされたのですが、
私が「その施策は御社の目指す方向に逆行しているから、お勧めできない」
と言ったのです。
カリスマ経営者のその方にとっては、許しがたい発言だったことでしょう。
大勢の前でコテンパンにやり込められました。
が、その次にお会いしたときに、「あれは、やめることにした」と。
ちょっとご無沙汰していますが、
私はリスペクトしているし、どこかで気持ちが通い合っているのではないか、
と思える関係です。(私の独りよがりでなければ...)
つまり、本音を受け入れてくれない相手もあるけれど、
受け入れてくれると、とても強い関係になる、
そんなふうに考えています。
さて、もう一度、信頼の築き方。
あなたはどういうことを大切にしていますか。
相手が本当に自分のことを思ってくれているかどうか、
私たちはすぐに嗅ぎ分けますよね。
実際に、そこまで自分を思ってくれる人は限りなく少ないことも知っています。
だからこそ、本当に思ってくれていると思える相手は、
貴重ですよね。
というわけで、今日は信頼について考えてみました。
9月も最終週です。どうぞ良い1週間をお過ごしください!
「わかる」「わからない」に強くなる
私たちは、1日に何度となく「わかりました」とか、
「承知しました」という言葉を使って、
会話をしたり、メールを書いたりしています。
気軽に使っているこの「わかる」という言葉。
でも、よくよく考えてみると
とても高度な脳の働きが求められますよね。
仕事で私たちが「わかる」と言う時、大抵の場合、
「あなたの希望はわかりました」とか、
「私に期待されていることはわかりました」というような
意味で使っているのではないでしょうか。
でも、実際には人が他人の思いを100%理解することは
不可能です。
ですから、「わかる」と言っている時の本心は、
相手の希望はだいたいこんなことだろうな、と思っているにすぎません。
そして、ポイントさえ外さなければ、それで事足りたりします。
希望を伝えた本人も、詳細にはわかっていない場合があり、
それはつまりAということですか、Bということですかと聞いて初めて、
Aだとわかるということもありますよね。
本当はとても高度なコミュニケーションなのに、
大胆にもアバウトにやりとりしているのが
この「わかる」の表現です。
どうしてでしょうか? これについて私は、
そもそも100%理解し合えることがない、ということは、
「わかる」には終わりがないからだろうな、と思います。
こんなシーンもよく見かけませんか?
目的だけ伝えて、あとは「よろしく」とだけ言う上司に対して、
部下は説明された目的に対して「わかりました」と言う。
でも、なぜそれが今必要なのか、
どのように進めればいいのかまではわかっていない。。。
そうすると、「よろしく」と言われても部下は立ち往生するしかありません。
こういう失敗は私も時々してしまいます。
グラスルーツには「わからない時には、わからないと言って良い」のではなく、
「言わないといけない」という価値観がありますが、
かといって、人には自分が今何がわからないかがわからない...
ということもあります。
「わからない」状況のまま進めた結果、
より良いアウトプットができなかったとしたなら、
それは頼んだ上司の側に責任があるんですよね〜
「わかる」を理解することは、1対1の関係にかかわらず、
伝える仕事に携わっている人たちにとっても
重要なスキルですよね。
当社の企画力養成講座では、「わかる」の5ステップとして、
「ラクダ(RUCDA)の法則」というものを紹介しています。
非認知から行動への5段階です。
R(Recognize)認知する段階
U(Understand)理解する段階
C(Chew)咀嚼する段階
D(Desire)志望する段階
A(Act)行動する段階
そして、相手が知りたいこと、知りたい順番の原則は
What(それは何か)
Why(それはなぜ重要か)
How(どうやってやるのか、それをするとどうなるのか)
...であるとお伝えしています。
「WHYから始めよ!」(サイモン・シネック著)という説もあります。
一理あるとは思うものの、
一歩間違えると、相手は混乱するんじゃないかな。
何の説明をされているかわからない時に、
それがなぜ重要かを説明されてもね。。。
人と人はわかりあえないからこそ、
わかりあう努力をすることが大切ですよね。
自分が今何をどうわかっているのか、わかっていないのか、
相手が何をわかっていて、何をわかっていないのか、
気にかけながらコミュニケーションすることが大切ですね。
今週も素敵な1週間をお過ごしください。
部下の成長の前に自分の成長
9月に入って、私自身の成長のためにしたことがあります。
より良いマネジメントやより良い人の育て方について学ぶために、
いろいろな人たちに会って話を聞かせてもらったのです。
元社員も含めて6人ほどに会い、ネットでの対話も含めると、
その倍ぐらいの人から考え方やメソッド、参考資料などを
教えてもらうことができました。
部下との関係が良くないとかそういう悩みではなく、
上司の大きな役割の一つである部下の成長を支援するということについて、
我流ではない考え方や方法を知ろうと思ったからです。
というのも30数年間、私は上司なしでやってきたので、
お手本となる上司の姿を見て学ぶことさえできずに来ました。
幸いなことに上司の私が成長支援に長けていなくても、
みんな見事に成長し、立派に活躍しています。
そして我流であっても、いつの時代の社員とも、その関係は概ね良好でした。
辞めた多くの人と未だにつながりがあるところを見ると、
それは必ずしも私の独りよがりではないと思います。
ですが、もっと部下の成長に貢献しようと思うなら、
まず自分が学んで成長しなければな...とそう考えました。
上司が富士山に登ったことがなければ、部下は富士山に登れないと思います。
そしてまた上司が富士山にしか登ったことがないのに、
部下にエベレストに登れと言ってもできるはずがありません。
だから、部下の成長を考えるなら、私自身の成長が不可欠だと思ったわけです。
そうしたら、やってみるものですね〜!
いろんな人から出てくる、出てくる。
体験に基づく助言もあれば、
その人が研修で学び実践して効果があることもあれば、
コーチ/コンサルの立場で教えてくれた知見もあります。
メモを取りながら話を聞きましたが、
ここでは紹介しきれないほどのインプットで、
これから消化するために自分なりのまとめをするつもりです。
そして、今これを書いているのは、
そこで得たことを紹介するというよりも、
改めて人に聞く、人を頼って教えてもらうことの大切さを感じたからです。
本や研修で得る知識ももちろん重要ですが、
人の思いが乗っかっている知識や経験を共有してもらうことは、
どれだけ豊かなことか。
しかも、相手は私の性格やタイプを知っているからこそ、
私が見えていないことについても聞かせてくれます。
知識と同時に、自分の伸びしろも見つけることができました。
歳を重ねると、人に教えを請うことがちょっと気恥ずかしくなったり、
相手も忙しいだろうから迷惑かなと気が引けたりするものですが、
それは間違った思い込みだと痛感しました。
みんなむしろ喜んで教えてくれました。
ある人から、「みんなが快く相談に乗ってくれるのは、
多分あなたが素直に自己開示していたからだと思うよ」と言われました。
そうかもしれません。
素晴らしい知識を得られたこと自体も大きな収穫でしたが、
自己開示して、複数の人に教えを請うことで何が起きるのか、
その体験も大きな収穫でした。
社員のみんなへ!
もっと成長するから、待っちょれ〜
雑談は世界を救う
会社経営は30年以上も続けてこられたけれど、
これがフリーランスという形態であったなら続かなかっただろうな...
と、時々思うことがあります。
会社にして良かったと思う理由はいろいろありますが、
その1つは案外他愛もないところにあります。
それは「これ、どう思う?」とか、
「見て、これ、おもしろいよ」とか、
「いいこと、思いついちゃった」など、
ちょっとしたことについて周囲の人と話せること。
つまり「雑談」できる環境である、という点です。
会社を作る前の一時期、4カ月ほどフリーだったことがありますが、
それが苦痛で苦痛で。。。(笑
では、雑談できると、なぜいいのか?
改めて考えてみました。
よく「雑談は、人間関係の基本だから大切」
と言うのを耳にします。
確かにその通りではあるのですが、
私はもっと大きな意味があるように感じています。
人が創造性を発揮することに
雑談が大きく関係しているのではないか、と。
もっと大上段に言うと、イノベーションの出発点には
雑談があるのではないかとさえ思っています。
それには2つの意味があります。
第1は、直接的な効果。雑談という刺激の交換から
新しい視点、価値観、アイデアが生まれやすいということ。
第2は、間接的な効果。他愛もない雑談の積み重ねが安心の場を生み、
心がリラックスしているから新しいものが生まれてくるということ。
そして、意外に後者の意義が大きいのだとも思っています。
後者によって生まれてくる場は、人が自分らしくいられる場です。
自分らしくいられない状態で、新しいものなど生まれるわけがありません。
ですからグラスルーツは雑談を是とする価値観です。
たとえば、お互いが自分の家族の話をよくしますし、
極端に言えば、お子さんの性格や個性まで知っています。
別に詮索して聞き出しているのではありません。
お互いの距離感がこのくらいになると、
仕事でも伸び伸びと発言したり、
助け合う関係が生まれてきます。
最近の労働環境は、ぎりぎりの人数であるために、
時間的にも精神的にも余裕がないと言われます。
でも、一見するとムダに見えることの中に、
生産性を高めたり、創造性を高めるヒントが
満載なのではないでしょうか。
と、言っても、節操は大切です。
社長のオノさんから急に話しかけられると、
集中したいときに困る...なんて批評を言われます。
こんなところでも、伸び伸びと発言してくれます(笑
懲りずにまたやっちまいますが。
あなたは仕事中の雑談をどう思いますか?
今週も素敵な1週間でありますように!