感動や共感を呼ぶストーリーにはパターンがある
リーダーであったり、リーダーの参謀として社内広報に携わっている皆さんは、組織メンバーに「何か」を伝えることに関わっているのではないでしょうか。その「何か」には、継続的な方針や理念的なメッセージもあれば、変更や転換、新規導入に関することもあるでしょう。より刺さる伝え方を常に研究しているのではないでしょうか。
そこで、今日は、ストーリーには人の心を動かす力があり、その構造には、パターンがあるという内容でお届けしたいと思います。
きっかけは、昨日、テレビのレコーダーから番組の録画データを消去していたら、5月頃にNHKで放映された「ハリウッド白熱教室」が録画されていて、何の気なしに観てみたところ、インナー広報はもとよりプレゼンなどでも有効であることがレクチャーされていたので、シェアしたいと思ったからです。
内容は、南カリフォルニア大学/映画芸術学部/ドリュー・キャスパー教授の講座です。全体としてとてもおもしろいものでしたが、ストーリーに関する部分は、言ってみれば定番的な話でもあります。しかし、だからこそ、知っておくべき価値があるのではないでしょうか。
ですが、その前に、、、
そもそも「ストーリー」とは何なのでしょうか? 日本語で言うと、「物語」ですよね。「ストーリー」「物語」の定義って、意外に定説がないんですよ。というか、辞書などで調べれば、それなりの意味が出てきますが、「ストーリー」や「物語」について述べられている時に、意外にその定義が示されていないことが多いのです。
キャスパー教授は、明瞭に「ストーリーの定義とは...」とは語っていません。ちょっと意訳ですが、こんなことを語っています。
私たちの日常は、偶然の出来事で出来ている。
人は、その出来事に、後になって向き合わなくてはらない。それを可能にするのがストーリーである。立ち止まって自分の人生をストーリーの形で回想してみることで、日常や偶然に潜んでいるものを理解することができる。
映画とは、脚本とは、そういうストーリーを与えてくれる。
ストーリーとして語ることで、日常の出来事、習慣に深淵な意味を示すことができる。ストーリーを通じて、悲しみを乗り越えるためのメッセージを伝えることもできる。まず、人生があり、書き手/話し手がそれをストーリーにする。
ストーリーには感情が込められ、ありふれたことの中にある意味や奥深さを伝える。
うーん、残念ながら、決してわかりやすい説明とは言えません。
が、前後の流れから、キャスパー教授が伝えたかったことを推測しながら、私は「ストーリー」というものをこんなふうに定義してみました。
困難に遭遇した主人公の「状況」と「感情」が、訳があって「変化」していく顛末をまとめたお話。
ふう、ようやく本論に入れます。
この定義に基づき、人はどういうストーリーに共感し、感動するのか、キャスパー教授のレクチャーを要約します。
キャスパー教授によれば、満たすべき条件は:
・主人公がいる
・かたき役がいる(一人の人間とは限らず、自然環境や制度なども含まれる)
・対立構造がある
・対立がピークを経て、収束する
私の理解では、かたき役は人の葛藤の根源です。「自分」であってもいいのです。
現に、ヒーロー物でもバットマン、スパイダーマン、表向きの敵以外に、みーんな自分と葛藤しています。それが面白くもあるんですよね。
そして、ストーリーの一番古典的な構造は、3つの段階を経て進みます。
《冒頭》場面設定と主人公の紹介
《中間》主人公とかたき役の対立
《エンディング》物語の結末(達成 OR 挫折)
この直線的な構造は、ギリシャ時代の戯曲にすでに見られ、アリストテレスが解明し、現代の映画(ヒーロー物やアクション物に限らず)にも生きています。
さて、この原理がなぜ仕事などのコミュニケーションでも有効なのかという質問が聞こえてきます。
たとえば、インナー広報で:
「新商品「○○○」を○月○日から販売」
「○○工場が竣工しました」
「新たな人事制度が始まります」といった情報発信をしたとします。
このタイプの発信で伝えるであろうことは、「出来事」や「説明的情報」です。
オープンした/発売した → 出来事
特長は〜/目指すのは〜 → 説明的情報
報道に近い形式の発信です。この形は、90%ストーリーにならないのです。
それに対し、同じ発売の情報でも、
「新『○○○』の誕生秘話〜チーム○○が乗り越えた3つのハードル」。
これは、ストーリーに成り得ます。
営業での提案にも、ストーリーの考え方は応用して使えます。
主人公は見込み客企業。
かたき役は、競合でも良いですし、非効率であったり、高コストであったり、
品質やスピードを危ぶむものであったりして良いのです。
放っておくと、どうなるのか、を見せてもいいですし、
解決すると、どうなるのかと、2つの結末を対比して見せることもできますよね。
社内報などの記事も、プレゼン用のパワポも、
この構造を決める段階で、善し悪しがほぼ8割が決まります。
だから、いきなりパソコンに向かわずに、大きなストーリーを組み立てる、
これが重要です。
なーんて書いていたら、文章講座を開催したくなりました。
はい、近々、どこかでと考えています。
7月も最終週です。どうぞ良い1週間を!
ムードをつくるのはだれ?
梅雨、明けましたね〜
急激に夏が訪れて、寝苦しい夜にエアコンをつけようか、迷います。
さて、今日は、「ムード」の話。
組織に属して毎日仕事をしていると、
組織内のムードが日々変わることを感じますよね。
このムード、いったい誰が作っているのでしょうか。
あるお客様のプロジェクトのキックオフで、
私は、ムードメイキングを議題にあげさせていただきました。
その際、ムードをつくるのは上司の役割ではないか、という意見が出されました。
あなたは、どう思いますか?
「そうでしょうか? 上司がムードをつくっているのでしょうか?」
私はその場でそういった問いかけました。
ムードというのは、そこに関わっているすべての人たちによって、
つくられるのではないですか? と。
「まあ、それはそうですよね」
そんな反応があって、そこからプロジェクトのムードをどうコントロールするか、
という議論になりました。
私が学んだリーダーシップでは、
その「場」に現れるムードには、12のタイプがあるそうです。
その半分は何かしらネガティブな状況が起きている時のムードです。
その場に現れているムードを察知することが、リーダーの大きな役割の1つですが、
リーダーがムードをつくりだしているわけではありません。
その場のムードを作っているのが、
自分も含めたそこに関わる人々なのだと、各自が自覚することはとても重要です。
つまり、あなたのその佇まいが、場に大きく影響を与えているのです。
あなたがそこで暗い表情をしているとか、
興味のなさそうな表情をしているとか、
所在無さげに、下を向いて座っているとか、
椅子にのけぞって座っているなど、
そんな小さなことが実はとても大きく場に影響を与えています。
例えば、腕組みをして会議に参加している人が1人いるだけで、
その存在は場に重苦しい影響を与えている可能性があります。
私も、そのクセがあります。腕組みをしがちなのです。
私が、そのクセを直すことができないなら、
どこかで柔らかさを補う努力が必要なのです。
ところが、多くの人は自分の佇まいが場に影響を与えているとは思っていません。
自分なんて影響を与えるはずのない小さな存在だ、そんな思い込みがあるからです。
しかし、振り返ってみてください。
あなたは、周りの人の表情やカラダの姿勢を見ていないでしょうか?
見ていますよね?
そういったものから気分を読み取り、
気分と気分が重なって場のムードが出来ていきます。
一番重要なのは、それぞれの人たちが良い場を作ろうという姿勢で、
その場に臨むことですが、もう一方で重要なのは、
ムードが悪くなった時に、リカバリーする方法を持つことです。
ムードが悪い状況が続くことを望む人はいません。
であるならば、そこに風穴を開ける工夫があっても良いのではないでしょうか。
冒頭でお話ししたそのお客様の会議では、
ムードが悪くなったと感じた時、どういう行動するか、ルールを決めました。
隠語を決めたのです。具体的には、
「○○○へ、行きましょうか?」
「ちょっと今、○○○って感じになってませんか」など。
○○○に入るのは、某人気珈琲チェーンの名前です。
隠語...というのは、まさにお客様の知恵でした。
最初の案は「(気分を変えるために)お茶でも飲みに行きませんか?」でした。
でも、本当にただお茶を誘いたい時に紛らわしいので、
その会社の近所にない珈琲チェーンの名前を隠語として使うことにしたのです。
たわいもない事かもしれません。
でも、ムードが悪い状態を長引かせることを避け、早めにリカバリーする、
そのための工夫として、ムードが良くないことを言いやすい環境にしておく。
気心が知れている間柄ではない時には有効な手だてです。
なにしろ、誰も悪いムードが続くことを望んでいないのですから。
今日のまとめです。
一人でもできること:
ムードは自分もつくっていると自覚すること。
みんなでできること:
ムードが悪くなったから変えようというサインを決めておくこと。
さ、いよいよ夏も本番ですね〜
今週も良い1週間でありますように。
努力? それともお金?
こんにちは。
今日は、お金と努力の話を少しだけ。。。
つい最近、ある企業にお勤めの若い方から、こんな質問をもらいました。
「この課題は、お金を掛けたら、解決できるのでしょうか?」
その方は、20代後半。とても好青年ですし、とても創造力溢れる優秀な方です。
目の前に社として取り組むべき課題があり、ご自分もその問題の解決に一役買いたいと前向きに思っている、と同時にスピードも求められている、そんな状況での質問でした。質問の背景にあるのは、マーケティングや顧客とのコミュニケーションであり、売上拡大です。
さて、皆さんなら、どう答えますか?
マーコムの課題、お金をかけたら解決できるのでしょうか?
確かにね、、、私たちは、お金というのは、いろんなことを肩代わりしてくれる、一種の代替え戦法だと思っている面があります。たとえば、ルーティンな作業(まったくブレインワークが伴わない作業)をアウトソースできれば、効率が良くなるのではないか、などと思います。それは、あながち間違いでもありません。状況を変えるためにどうしたらいいのか、この問いへの答は難しいです。
で、、、、
皆さんなら、この若者の問いに何と答えますか?
「この課題(マーケティング的課題、どうしたら売上が伸びるかという課題)は、お金を掛けたら、解決できるのでしょうか?」
私は、応えました。「お金だけで、すべてが解決できることは、世の中にない。絶対に、努力が必要です」と言いました。お金があることによって、今まで以上により良くなること、短期的に良い成果になることはあります。でも、当事者の努力なしで、お金だけで何かが素晴らしく継続的に良くなることはないのではないでしょうか。いえ、もしかしたら、分野を広げれば、そういうこともあるかもしれません。
でも、ことマーケティングやコミュニケーションについていうと、お金だけですべて解決することはないと思うのです。なぜか? マーケティングやコミュニケーションというのは、他力本願であってはならない分野だからです。
お金を使って、外部に何かを任せて、偶然に良い結果が出ることはあるかもしれません。でも、マーケティングやコミュニケーションは、トライ&エラーをし、学習してなんぼ、内部にノウハウを貯めてなんぼです。そうやって、ノウハウを貯金することに意味があるのだと思います。
だから、最低限、頭で汗をかくこと抜きにして、成功の方程式を導き出すことはありえないし、一時ラクして成果を得られたとしても、それが永続的に続くこともありえないと思います。
「そうですよね...」と彼は言いました。そう、その意気でがんばってください!
さて、、、、ここで、別の問いが生まれてきます。
彼のような担当者が、トライ&エラーをし、PDCAを回しながら、ノウハウを貯めることが当社のためになるはずだ、と思っていたとします。でも、社内の意向がそうなっていなければ、どうなるのでしょうか? トライをさせても、エラーをゆるさなかったら、どうなるのでしょうか? エラーを許さないのなら、「PDCA」という概念自体、そもそも成り立たないことになります。
大事なことは、組織として、ノウハウを貯める覚悟で、トライ&エラーをすることだと思います。努力なくして、お金だけで解決できることは、ありません。そして、その努力は精神論のためにするのではなく、仮説検証のためにする。そういうビジネス感覚が大切なのではないでしょうか。...と、エラそうに書きましたが、私自身もぜんぜん出来ているとは言えません。でも、それを志向すること自体が大切なのだと思います。
お金だけで、解決できることはない。そう潔く覚悟を決めて、自分のトライを最大化したいものですね。
今週も、いい1週間になりますように!