「埋め合わせ」は誰のため?
こんにちは。3連休も終わり、予定では今週金曜日が仕事納めです。
3連休のうち2日は、両親を都内のホテルに泊まらせて、あちこちに連れ回しました。六本木ヒルズで映画「永遠の0」を観て、夜は妹も呼んでごはんを食べて、翌日はシルクドソレイユの「ル・ノア」へ。しかし、家に戻ってきて…。父は「永遠の0」を観て涙を流していたし、母は「ル・ノア」に感嘆していたけれど、これって、結局自己満足なんだよなーと少し反省しています。
ここ数カ月は、公私ともに忙しく、実家に帰って両親と過ごす時間が少なかったので、何となく埋め合わせをしたい、旅行好きな母は今年は全然旅行に行けなかったとボヤいていたので、少しは気が紛れたら…。言って見ればそんな「心遣い」のつもりでしたが、よーく考えてみると、それは心遣いなのだろうかと、そんなふうに思えてきました。
「埋め合わせ」というのは、「本当はこうできたら良かったと思っていたのに、できなかったから、ごめん、これで許して」という心理状態です。だから、その時点で自分のためにやっていることなのですよね。誰も怒ってはいないのに、「許して」とエクスキューズしているのです。その相手は、よくよく考えてみると自分ですね。セルフイメージのようなものに対して、「あれ、本当はこういう自分でありたいのに、ズレちゃった、ごめんなさい、自分」と思っているのだと思います。
でも、例えば今回のワタシの両親のケースで言えば、年末の慌ただしい時期に○○鑑賞をさせられるよりも、週1回でいいから、電話がかかってくる方が何倍も喜んでくれた気がします。
だから、そもそも埋め合わせでマイナスを帳消しにしてもらおうという発想が間違っているし、関係性において借りがあるような感覚に陥ること自体、間違っているなと思いました。勝手に作り上げたセルフイメージに縛られているに過ぎないな、と。
実は、ワタシ、年末ということもあって、社内のあの人にも、仕事関係のこの人にも、友だちのその人にも、心のどこかで埋め合わせしたい…と思っていたところがありました。でも、「埋め合わせ」という気持ちはよろしくない、とこのたび痛感した次第です。
なぜ、「埋め合わせ」になってしまいがちかと言うと、多分、マメじゃないからなのです。だから、まとめてしまう。ですから、ここで「埋め合わせという発想は良くない、マメに連絡しよう」と思うのは簡単なのですが、多分それはワタシに合っていません。
そんなワタシに合っている発想法は何なのか、それはまだわかりませんが、とにかく「埋め合わせ」という発想はもうやめることにします。
年の終わりに、少し学び、さらに考える材料ができました。
さて、今回が年内最後のブログになります。
今年も一年、社外の皆様にも社内の皆さんにも大変お世話になりました。
2014年も良い年になりますように! 来年もよろしくお願いいたします。
ビジネスも婚活も「マッチング」
2013年もあとわずかになってきましたね。
当社の2013年を振り返ってみると、キーワードは「マッチング」だったような気がします。元々「マッチング」が重要という価値観はあったので、これは何も2013年に限ったことではありませんが、特に今年は私たちはどんな企業のどんなご担当者と出会いたいのか、それを徹底的に考えてきた1年だったと思います。
なぜ、それほどまでにマッチングにこだわるのでしょうか? それは、マッチングしていないとお互いがハッピーでないからです。たとえば、当社の場合、「何でもいいから早くやってほしい」「何でもいいから安くやってほしい」という価値観のお客様とは相性が良くありません。もし、そういう仕事を受注してしまうと、私たちは「何でもいいと言われても、何を解決したいのかがわからないと、できないのに…」と思い、相手は「細かいことを言っていないで、早くやってよ…」と思います。当然、相手の満足度は下がり、私たちもストレスが高まります。双方にとって、いいことナシです。
婚活も、職業選択も、会社選択も同じです。
リクルート「ゼクシィ」から生まれた価値観マッチングサービス「ツィンキュ」によれば、価値観が一致している夫婦ほど、幸せな暮らしを送っているそうです。
http://twincue.com/service/
確かに「旅行に行く時は細かな計画を立てる人」と「事前に細かな計画を立てず、現地の様子を見てから行動を決めたい人」とがパートナーになると、旅行のたびにストレスになりそうです。そして、この「計画を立てる」というのは旅行に限らず、さまざまな事柄に影響することなので、そこが違っていれば軋轢が生まれるのは必然です。
職業選択も同様。マッチングしていない仕事をすると、行き着く先は「ふつう」と、私の営業の師匠である渡瀬謙さんが、メルマガで書いていました。人は生かされてなんぼ。同感です。引用して紹介します。
欠点を無くすことに時間を使うべきかどうか?
私の考えは「NO」だ。
欠点というのは他人と比べて劣っている(と思っている)部分である。
それが消えるとどうなるか?
他人と同じになるだけである。
つまり「ふつう」だ。
補足すると、渡瀬さんの趣旨は、苦手なことをやるべきではないということではありません。苦手な方法に真っ正面から取り組むよりも、自分の特質を生かした方法を選ぼうということだと思います。自分の特質が生きないような方法でがんばるな!と。私はそれに加えて、自分が生きないフィールドを選ぶな、ということを追加します。人に命が与えられたのには、きっとワケがあるのです。「生きて、これをやれ!」という宇宙から与えられたミッションのようなものが。だから、そのミッションをつかまないといけない。
会社選びも同様ですね。有名で成長している企業に入社しても、個人プレーが嫌いな人が個人プレーが基本の会社に入社してしまうと幸せではないし、体育会系文化が嫌いな人が体育会系文化の会社に入社してしまうと、これまた居心地が悪くて当然です。
マッチングの精度を上げるには、自社や自分の価値観を知ることが大切です。ですから、私たちがこの1年間マッチングについて考えてきた、どんな企業のどんなご担当者と出会いたいのかを考えてきたというのは、自分たちの特性がわかっているからできたことでもあります。マッチングは理屈ではなく、心に無理があるかどうかという極めてシンプルなこと。当社では、そのマッチング精度をさらに上げるために、サイトリニューアルに向けて動いています。年内公開が目標でしたが、さすがに難しくなってきました。でも、出会いたい人と出会うために、自分たちのことをしっかり発信していきたいと考えています。
年内は残すところあと2週間。今週も良い1週間でありますように!
「あいさつ」をするマンション、しないマンション
私事で恐縮ですが、先月末に長らく住み慣れた街を離れ、会社から歩ける場所に引っ越しをしました。4カ月の仮住まいです。眺望が素晴らしく、共用施設も立派。管理も行き届いている。文句を言うとバチが当たるのでしょうけれど、、、。これまでのマンションとは勝手の違いを感じています。それは「あいさつ」について。ここでは、誰かとすれ違ったり、エレベーターで一緒になっても、言葉を交わすことがありません。
マンションでのこのような状況は一般的なことなのでしょうか。恐らくマンションの立地と規模に関係しているような気がします。都心になればなるほど、規模が大きくなればなるほど、「あいさつ」する文化がなくなる。仮住まいのマンションは都心立地で、規模もまあまあ大きい。ダブルで条件が揃っているため、「あいさつ」と縁遠い文化なのかもしれません。転居前のマンションは、住宅地にあり、19戸程のマンションだったから、「あいさつ」するどころか、顔と名前のわかる人が大勢いました。皆さんのご近所ではいかがですか?
「あいさつ」って、する雰囲気があるとしやすいけれど、雰囲気がないとしにくい。雰囲気があるのかどうか、お互いに様子見になって、結局しない。「あいさつ」にはそんな一面があります。
でも、、、。
骨董通りにある当社のオフィスは元々はマンション。現在でも住まいにしている方が一部いますが、今や全体の9割は事務所仕様になっていて、100社ぐらいが入居しています。その中には、ファッションデザイナーの川久保玲さんやアートディレクターの岡本一宣さんなども。ここでもエレベーターなどでの「あいさつ」は基本的にはないのですが、それでもいつも笑顔で声をかけてくれる人がいます。隣の事務所の男性。この方が、誰に対してもそうなのか、私が隣の事務所の人間だと知ってだからなのかはわかりません。でも、最初の時から雰囲気を伺うというそぶりがなく、ごく自然に「あいさつ」され、言葉を交わすようになりました。その様子は、とても好感が持てました。
そんなことを考えてみると、「あいさつ」は待っていてはいけないのですよね。気持ちのいいことは自分から進んでした方がいいに決まっています。そして、気持ちのいいことは、多分連鎖する。。。ような気がします。
気持ちの良さは、いろいろな会社を訪れた時にも味わいます。すごくすてきな出迎え方だなーとか、すれ違う人がみんな会釈してくれて気持ちがいいなーなど。そんな中でも、いつも感心するのが、シュガーレディ社さんの受付の方の応対。受付の方ばかりではなく、全体的に行き届いた応対、研ぎすまされた応対というものを感じて、いつも尊敬の念を抱きます。文化なんですよね。そうした文化に触れるたびに、スタイルは違ってもいいので、ウチの会社もあのようなあたたかな出迎えのできる会社でありたいなと思います。
さて、「あいさつ」つながりで言うと、聞こえるあいさつと、聞こえないあいさつがあります。心を込めて言っているかもしれない聞こえない「あいさつ」と、慣習だけで言っているかもしれない聞こえる「あいさつ」を比べると。。。。どっちがいいかと言われたら、ワタシは後者を選びます。聞こえないくらいの小さな声の「あいさつ」はもったいないなーと思います。だって、聞こえないんですから。実は、そういう「あいさつ」をする人もマンションにいたのです。
でも、こうやって考えてみると、聞こえない声だから残念に思うのではないですね。「聞こえない声」自体に、「あまり接触したくない」というメッセージを感じ取ってしまうから、残念な挨拶だと思うのでしょうね。うーん、「あいさつ」って深い!
エラそうに書きましたが、そんなワタシも決してあいさつ上手とはいえません。少なくても、隣の事務所の彼と比べたら、月とすっぽん。でも、「あいさつ」を大切にする文化の有る無しは、風通しの善し悪しにもつながっていくのではないか、と思ったりするので、がんばろーっと!!
年内もあとわずか。皆さま、どうぞ良い1週間を!
この企画メソッドに名前をつけたい
グラスルーツでは、今、当社のこのサイトのリニューアルプロジェクトが進行中です。現在のサイトができたのは2006年。そこから7年の間に、時代も変われば、当社も変わる。本当は、もっと小まめにチェンジしてくれば良かったのでしょうけれど、そこは「紺屋の白袴」。なかなか自社のことには手が回らずに来てしまいました。というわけで、今回のリニューアルでは、当社の向かっている方向に合わせて、諸々見直しを行う予定です。
さて、そんな中、目下宿題になっているのが、当社でまとめ、当社が広めたいと思っているプラニングメソッドのネーミングについてです。セミナーにご参加いただいている方は多分ご理解いただけると思うのですが、物事を伝えようとしたときに、ただ闇雲に伝えるのではなく、きちんと設計するためには、それなりのアプローチ方法が必要です。
その要は、「受け手の感情」にいかに働きかけるか…です。そう聞くと、「そりゃ、そうだ」と思いますよね。でも、実際のビジネスの現場では、感情よりもロジックが重んじられ、感情は二の次、三の次になっているとワタシは感じます。
いや、実際は、「感情」対「ロジック」という構図ではありません。でも、組織の問題の大半は感情から起きているのに、コミュニケーションにおいて相手の「感情」は案外脇に置かれているというのは本当なのではないでしょうか。
たとえば、「これは経営の意思として、社内に発信しなければいかん」となったとして、「現在の社員の意識は○○だから、こう発信した方が…」という流れで、発信すべきストーリーが考えられることは実は少なく、経営の意思を意思として直球で伝える方が、圧倒的に多いと思います。外部向け発信も同様です。「これをわかってくれ、わかってくれ」という伝え方が主流です。それを間違っているとは言いません。
でも、伝え方ひとつで「伝わる」ものも「伝わらない」に変わります。その「伝え方」を支えるのが、相手の感情に添うということ、感情の分析力です。
私たちは、私たちのその考え方、その方法に名前をつけたいと思っています。目下、プロジェクトチームで検討中です。
そして、この方法自体にご興味がある方は、ぜひ今月のセミナーにご参加ください。「社内広報」の企画という体でお伝えしますが、そうでなくても、コンテンツの企画に携わっている方であれば、本質はご理解いただけると思います。
◆社員の6つの心理から考える「社内広報」セミナー◆
「面白かったよ!」「役に立ったよ!」と言われる社内報をつくる
社員感情に刺さる!戦略的企画術
11月21日(木)・12月12日(木)13:30 - 18:00
https://www.grassroots.co.jp/seminar/
さて、どんな名前がつくのでしょうか。ご期待ください。