「脱・やりたいこと探し」のヒント〜「やりたいこと」より「生かすこと」
先日、当社のスタッフと、現在の若い世代の「やりたいこと探し」の話をしていました。彼女の学生時代、友人たちは「大企業志向」か「自分の道を探す志向」の人たちに二極化していたそうです。やっぱりそうなのか…と思いましたが、ここでそうした人たちの価値観を否定するつもりはありません。でも、いつの頃からか(今の30代以降?)、やりたいことが見つからず、心の奥で焦燥感を抱いている人が増えたように感じます。
人が見つける「自分のやりたいこと」は、ワタシの経験から言っても不確かなものです。ワタシは書くことが好き、書くことにつながる仕事がしたい…と思って、20代の前半に広報の業界に入ってきましたが、実は書きたいことがやりたいことではないのだと、1〜2年で気づきました。もっとおもしろいこと、やってみたいことがたくさん出てきたのです。だから、やりたいことをしたいという気持もわかる反面、それを重くに考えすぎると身動きができなくなるのにな〜と思います。
それにしても、「大企業志向」か「自分の道を探す志向」に二極化しているというのが現実であるとして、社員数1000名以上の大企業に務める人口の割合は10%未満、自営業の割合が15%程度という実態を考えると、75%以上の若い人々は、就職しても望まないことをやっているという感覚、今の自分は仮の自分という感覚になってしまうに違いありません。
給与所得者も自営業者も、自分のためではなく、誰かにとって役立つ存在になれたときに、お金が稼げるようになるわけですから、「やりたいことを見つけよう」という大人からのメッセージはなんだか正しくないような気がします。同様に「自分の個性を大切にしよう」という教育の風潮にもザラっと来ます。なんとなく不必要に子どもたちを煽っているように聞こえるし、そういったメッセージによって「個性的でないとダメ、普通な自分はダメな自分」と感じてしまうように思うからです。
自分がやりたいことだと思っていても、実は周りから見ると適性がないということもあるのに、青い鳥を探すように「自分がやりたい」ことを探すのは、果たして本当に最善なことなのでしょうか。それよりも、「自分を生かす」ことを考える。そういう考え方もアリだということを、これから就職する学生の皆さんに知ってほしいと思います。
もちろん「自分のやりたいこと」を見つけた人が、自営業の世界で個人プレイヤーとして金メダルを目指すのは素晴らしいことです。でも、自分が携わっている仕事自体は殊更やりたかったわけでなくても、チームプレーの世界で(たとえば何気なく入ったハンドボール部で。学生時代のワタシの話です)自分を生かし、みんなで金メダルを目指す、そして、人に喜ばれ、自分の成長や社会への貢献を実感できれば、それは十分誇りに思っていいはず。
そう考えると、ワタシも、スタッフが生きる会社にしないと…と、身を引き締めました。なにしろ、労働人口の7割以上が大企業ではない組織に勤める給与所得者であるのに、そこに属する人たちが幸福感を持てないとしたら良くないですから。と同時に、いろいろな企業が魅力あるチームになることが大切ですね。ワタシはそこで自分を生かしたいと思います。
人事部的な視点で社内広報を再定義してみたら?
ここ最近、当社では「存在理由ミーティング」なるミーティングを開いて、自社の存在理由について議論しています。社内広報やインナーブランディングというサービスを通じて、何に貢献するのか、どんな社会を目指すのか、改めて再定義しようというのが、その趣旨です。
そんな議論をしていたとき、企業において「社員が生き生きと働けるようにすること」というのは、人事部マターにはなっていても、広報部マターにはなっていないのではないかという意見が出てきました。
ワタシも、広報部の方で社内広報のミッションを「社員が生き生きと働けるようにすること」と捉えている人は少なく、「社内の動きやトップの意思をタイムリーに発信する」という捉え方をしている人が多いような気がしています。
もちろん、たとえば社内報で社員を取り上げることによって、社員のモチベーションを上げようというような視点での編集は行われていますし、「社内の動きやトップの意思をタイムリーに発信する」ことは社内広報の重要な役割です。でも、それを紹介すること自体は目的ではなく、組織に属する人々が生き生きと働いて、なおかつ同じ方向に向かってパフォーマンスを上げることこそが本来の目的です。そう考えると、社内広報媒体も社内の出来事を紹介したり、社内の動きを解説するに留まらない別のあり方が見えてくる…。そんなふうに考えています。
たとえば、世の中には人生にインパクトを与える自己啓発の良書というのが数多く存在しているように、社内広報誌にそういったコンセプトを持たせることも実は可能です。ところが、そのような野心的な取り組みを行っている例はあまり多く見られません。
人事部的な視点で社内広報を再定義してみる。広報部と人事部が積極的に協業してみる。そうすることで、広報の可能性はもっと広がるのではないでしょうか。
では、良い1週間を!
こころのレストアに映画!
夢や希望、自信や明るいイメージといったものと、ちょっとした不安やストレスはいつも背中合わせです。それは、多分誰しも同じなのではないでしょうか。ワタシ自身、自分の人生や夢、会社のことや自分自身のことを考えだして、希望に溢れることもあれば、不安に陥ることもあります。ポジティブな気持ちのときは放っておいても良いけれど、ネガティブ野郎がアタマをもたげだしたら、コントロールできるに越したことはありません。
そんなとき、ワタシが意識して行う第一の手だては「運動」。カラダとココロは密接に絡んでいるので、アタマでっかちになっているときほど運動した方がいいと思います。運動すると、50%ぐらい回復する。
第二の手だては、気持ちが明るくなるような映画を見ること。人は、「感情イーター」なんですよね。感情を人生の栄養素にして生きていて、適切な「感情」を味わうと、元気がみなぎってくるのに、間違った「感情」を味わうと、反対に落ち込んだりします。だから、映画の場合、自分のココロの状況に合わせて作品を選ばないと、一見すると元気が出そうな映画でも、反対に作用してしまったりするから、簡単なようで簡単ではありません。
ひとつエピソードを。。。当時ワタシは、28歳でした。ニューヨークに出張した往きの機内で「ワーキングガール」という映画を見ました。メラニー・グリフィスが主演、シガニー・ウィーバーとハリソン・フォードが準主役で出ていた映画です。まさにバブル時代的な上昇志向を描いたシンボリックな映画、シンデレラストーリーを地でいく映画でした。でも、この映画を見たら、ワタシは何とも言えない辛い気持ちになってしまいました。出張前に別にすごく不安だったとか、ネガティブな心理状態でなかったにもかかわらず、機内で映画を見たら何かを突きつけられたような気がして、すっかり自分がダメな人間に思えてしまったのです。何によって気持ちがやられてしまったかといえば、あんなふうに人と競り合ってでも上を目指すような気持ちがワタシには欠けている、とてもそんな人生は送れないと感じたからなのです。今では、そんな自分でヨシとしていますが。
今また、この週末に少し気分を変える必要を感じて、運動をし、映画を見ました。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の「最高の人生の見つけ方」。見るのは今回が初めてです。とてもいい映画なのですが、余命6カ月と宣告された2人の男の友情とそれぞれがそれぞれの人生の中で自分の心の中でフタをしてきたことと向き合おうとする様を描いた物語で、元気を出したいときに見たいというよりも、自分の中にあるわだかまりを整理したいときに見るべき映画でした。だから、ちょっと失敗。
そこで、また気を取り直して見たのが「インビクタス-負けざる者たち-」です。監督クリント・イーストウッド、主演モーガン・フリーマンで、ネルソン・マンデラ元大統領の実話に基づく映画です。こちらを見るのは2度目か3度目。つまり、絶対にこれを見たら元気になるとわかっての処方箋のような映画です。これを見るたびに、マンデラさんのような器の大きな人間になりたいと思うのです。あんなふうになりたいと、心が揺り動かされます。まだ見たことのない方は、ぜひ見てみてください。映画の中で、マンデラ氏が27年間の投獄生活の間に心の支えにしてきた詩の一節が出てきます。それが、映画のタイトルにもなっています。「私が我が運命の支配者、私が我が魂の指揮官なのだ」。グサ〜っときますね。
自分の魂は、自分が支配している。だから、変な邪念とか不安に支配されてはいけない。良薬はやっぱり良薬。効きました。
この詩をみなさんに贈ります! では、よい1週間を!
「インビクタス-負けざる者たち-」
ウィリアム・アーネスト・ヘンリー
私を覆う漆黒の夜
鉄格子にひそむ奈落の闇
私はあらゆる神に感謝する
我が魂が征服されぬことを
無惨な状況においてさえ
私はひるみも叫びもしなかった
運命に打ちのめされ
血を流しても
決して屈服はしない
激しい怒りと涙の彼方に
恐ろしい死が浮かび上がる
だが、長きにわたる脅しを受けてなお
私は何ひとつ恐れはしない
門がいかに狭かろうと
いかなる罰に苦しめられようと
私が我が運命の支配者
私が我が魂の指揮官なのだ
社内報版「プロジェクトX」を作ろう!
突然ですが、人は、何のために生きているんでしょうか? 難しい問いです。ワタシ自身、会社をつくったのは26歳と若かったけれど、深くものを考えずに会社が生まれ、多くの時間が流れて行きました。だから、何のために生きていて、何のために仕事をするのかなんて考えだしたのは、ずいぶん後のことです。でも、答えはそうは簡単に出て来ませんでした。
しかし今は、「社内広報やインナーブランディングの分野で、働く人たちが、生き生きと働けるようにしたい」と痛切に考えるようになりました。会社で働く時間というのは、一般的にいえば、最低8時間。人は、1日24時間のうち、3分の1以上を会社で過ごしているのです。その時間が苦痛なものであるか、希望に溢れるものであるかによって、その人の幸福度は大きく変わるに違いありません。
そのうえで、ワタシがやりたいのは、社内報版「プロジェクトX」。
まあ、「プロジェクトX」でなくてもいいのです。
「泣ける社内報」「ワクワクする社内報」「笑える社内報」「ドキドキする社内報」「癒される社内報」等々。社内報は立派な媒体であり、コンテンツなのだから、そういうものを目指したらいいのに、できないと思っている人が多すぎます。できると思えばできるし、できないと思ってしまったらできるわけがありません。
もちろん簡単かといえば、簡単ではありませんが、そういうチャレンジテーマを持つことに意義があると思うのです。人の心に作用する社内報。それを目指して、私たちももっともっと勉強しないと。。。