「禅」的な世界に憧れて・・・大掃除
総選挙が終わり、政権が元に戻りました。今回ほど、論点が多く、選択を悩んだ選挙はありませんでした。野田さん、辞任ですね。ねじれ国会の中で、野田さんは「決める」ことにこだわって、結構がんばったと思います。民主党から民意が離れた本当の責任は、鳩山さんや菅さんにあったのでは?と思うと、少々気の毒です。が、やっぱり政党政治ですから、民主党が政党として成熟するのを気長に応援する気持ちになれませんでした。勝った自民党には、支持だと思わずに、謙虚な気持ちで臨んでもらいたいものです。ユニクロの柳井さんは「愚政」として手厳しく現在の政治状況について語っていました。かなり共感しましたので、お裾分けします。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34293
閑話休題。
週末、ゴールデンウィークに続く第2弾、「モノ」から解放されて「シンプルに暮らすためのリセット」ということを掲げて、さまざまなモノを処分するべく、大掃除をしました。これは、多分、単に片付けたいという欲求からだけではないのです。「禅」的な世界への憧れといってもいいかもしれません(禅の思想にそれほど明るいわけではないのですが)。本当に必要なことは何かと考えると、何かしら純粋で本質的なものに近づけるのではないか…という期待(妄想?)だとも言えます。
元々ワタシには、少なからずコレクター趣味であったり、記録趣味であったりという傾向がありました。あるいは、思い出に結びつくものが捨てられないという傾向もありました。そうすると、自ずとモノが増えていきます。さらに、行ったことのない海外の地について、いつかは行ってみたいなぁと思うと、雑誌ごと取っておきたくなるのですが、これもまたモノが増える原因です。
本やCDも同じように増えていきます。でも、果たして所有する必要はあるのかな?と最近思うようになりました。
好きなこと、心に響いたこと、それらはすべて心に残せばいいのですよね。集める必要も記録する必要も、保持する必要もない。「いつか行きたい」にしても、本気で行くと決めてから情報を集めても、実際にはまったく問題ないはずなのです。なぜかといえば、取っておいても、熟読するわけではないのですから。CDは音源を持っていればいいし、本も二度三度読むわけでなければ、手元に持つ必要はありません。
形のないものは壊れない。禅で言われるそのような考え方に反省をも含めて、惹かれています。しかし…
それでも、やっぱり今日まで別の価値観で保存してきたものはなかなか捨てられません(泣) 観た映画のパンフレット、泊まったホテルの石鹸、親から届いた手紙(1通2通なら良いのですが、筆まめで…)。これらはほんの一部です。
というわけで、家の中は「これで本当に正月が来るのだろうか…」というような状況ですが、年内には決着したいな〜。さて、年内の残る日々、カゼなどに気をつけて、がんばりましょうね。
たとえ遠回りだと思っても、人生に無駄なことなどない
あまり大々的に宣伝しませんでしたが、先々週の木曜日、11月29日は当社の創業28周年となる創立記念日でした。社内で、ささやかに祝杯を上げました。紋切り型な言い方になってしまいますが(でも、本当に思っていることです)、いろいろな方たちに支えられてきたからこそ続けて来られたと思っています。本当にありがとうございました。
たかが28年、されど28年です。私は、自分の歩んできた道について、誇示するつもりはありませんが、誇りに思っています。
しかし、、、何だかんだ生き延びてこられたというのは、あくまで結果論です。もちろん、努力をしなかったかと言われれば、しました。でも、その努力のおかげで今日があるのかと言われたら、わかりません。リストラを断行したこともあったし、そういう意味では、ワタシが経営者として優れていたから続けられたのだとは思いません。ほんの少しだけ運が良かっただけではないかと思います。
話は飛びますが、昨日、大人の学校「スクーリングパッド」7期生の仲間7名の忘年会に参加しました。なぜか全員女子です(笑) 2008年の秋から冬にかけてのわずか3カ月の間に、レストラン事業について、共に学んだ間柄なのですが、受講が終わって以降も細く長くいい関係が続いています。
ワタシが今、この話を持ち出したのは、そのうちの一人が、スクーリングパッド終了後に開いたお店(カフェ)から来年2月に撤退すると語ったからです。開業から4年。大きな決断だったと思います。
一般的に言えば、「撤退」というのはネガティブな印象を与えることだと思います。しかし、ワタシはそれについて敢えて異論を唱えたいと思い、これを書いています。
世の中の大半の人が「やりたい、やりたい」と思いながらも、それをなかなか実行できません。けれども、撤退を決めた彼女はとにかく「やった」のです。その結果、彼女は大半の人が抱く「やらなかった後悔」をする人ではなくなりました。
「実行」し、「撤退」することと、「やらなかった後悔」をすることと、いったいどちらが良いでしょうか? ワタシは、実行し、撤退する方が数段良い人生を歩んでいると思います。そういう人に対し、「経験のないことをやったのが悪い」とか、「計画が甘いからだ」とか、批判をするのは簡単です。そして、そんな批判をする人に限って、自分はトライしないというのが世の常のような気がします。
ワタシが2009年に行ったリストラも、ある意味では「撤退」です。会社を閉じずに済みましたが、撤退したことに変わりはありませんでした。まったくもって誉められる方法ではありませんが、それ以外に生き延びる手だてがなかったのです。胸を張って肯定するつもりはありませんが、実はそういうことが起きるのが多分人生というものなのですね。
水前寺清子の歌ではありませんが、「三歩進んで二歩下がる」こともあれば、「二歩進んで三歩下がる」こともあるのがビジネスであり、人生です。「撤退」も生き残る戦略の一つ。その決断が遅れることの方が、むしろ問題ではないでしょうか。
さて、撤退を決めた友へ。
まず、まったく未体験な分野にチャレンジしたあなたを誇りに思います。そして、撤退を決めたとしても、人生に無駄なことなど何ひとつないのではないでしょうか。一見すると遠回りなことが、そうではなかったとわかるには時間が必要です。そんな日が、やがて来るとワタシは思っています。とにかく、あなたは4年間、やり続けた。だからこそ、気長に次の時が来るのを待ちましょう。がんばっているあなたの姿を見るのは、みんなの勇気になることを忘れないで。今後の展開を楽しみにしています。
「平清盛」というのはどんな人物だったのか?
いよいよ師走です。早いですね〜
12月といえば、まもなく大河ドラマの最終回。ワタシは歴女ではないのですが、大河ドラマを見るのは好きです。今年放映の「平清盛」は視聴率で伸び悩んだようですが、ワタシなりに毎回楽しく観てきました。もうすぐ最終回です。
平清盛と聞いて、多くの人が思い出すのは「平家物語」「保元の乱」「平治の乱」「頼朝の流刑」「壇ノ浦の戦い」「驕る平家は久しからず」などではないでしょうか。そして、平家は破れて、鎌倉幕府ができる、と。そうなのです。平家の時代というものに対する背景や意味というものをワタシは気にも留めずにいました。
テレビドラマはドラマであって、史実とイコールではないので、平清盛という人の実際の人物像はわかりません。でも、歴史的な意味や背景がわかったり、100%邪悪な人でもなかったらしい、という感想を持てたのは良かったです。「驕る平家は久しからず」という言葉のイメージで、ワタシは平清盛という人物に対して、実はあまり良い印象はなかったのですが、人並みはずれた構想力の持ち主というか、人がついて来られないようなビジョンの持ち主だったのではないかと思います。
物語は、武士が「王家の犬」と呼ばれ、貴族たちから蔑まれていた時代に始まります。清盛は、「武士の世を作り、宗との交易によって国を豊かにする」という構想を心に抱き、次第に権力を持つようになっていくのですが、最後は独裁的になり、家来たちさえそのあり方に疑問を呈するようになっていく様を描いています。「武士の世」とは、「武士が国を動かす世」「武士が政を行うしくみが定着した世」ということだと思うのですが、そこから明治に至るまでの長い時代が、本当に武士の世になったのですから、歴史への影響力たるや、織田信長や坂本龍馬以上かもしれないと言ったら、言い過ぎでしょうか。
清盛という人が、「驕る平家は久しからず」という言葉が世に広まるほど、驕った人だったのかどうかはわかりません。でも、心の中がどうであったかよりも、他の人の心にどう映ったかの方が重要なのだと思います。彼の理解者がいなかったのだとしたら、それは結局は本人の行動のどこかに原因があったのだ、と。
他の人には想像できないビジョンを描く能力があったのに、それを理解する人がいない孤独な人だったのかもしれませんが、リーダーにはビジョンを伝える義務と責任があるのではないか、、、そんなことを考えさせられました。そして、ワタシ自身は一体どの程度伝えることができているのかと考えて、反省することしきりです。
清盛の父、忠盛が言った「心の軸を持て、心の軸がぶれない体をつくる」という言葉をワタシ自身の頼みに、まずは軸を明確にし、それを内外に伝えていこうとそんな気持ちでいます。
今週もよい1週間でありますように!