ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2012年10月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

 忙しいときのふとした妄想として、第2の自分、自分の複製がいたら、どんなに良いかと思うことがありませんか? ワタシは、たまにそんな妄想に陥ります。たまたま昨日、友だちとそんな会話をしたので、今回は、もしワタシの複製がいたら…という妄想をフィクションにしてみました。そのような存在がいることは、一見理想なのですが、話はそれほど簡単ではないなと思いました。結局、人間という生き物は「なぜ自分が存在するのか」を永遠に問い続け、自分の存在感を確認したい生き物なのかもしれません。

以下、想像の物語です。
ーーーーーーーーーーーーーー
 20XX年10月29日。

 ワタシが自分自身のコピー人間を手に入れたのは、今から8カ月ほど前にさかのぼる。国会で、人口減少と少子化問題への対策として、人間同様の生命体を人工的に造り出すことを合法化したのが、4年前。今や298,000円で自分のコピーを持つことができる時代になった。

 ワタシが自分のコピー(名前は「MAYUMI2」)を手に入れたきっかけは、ある晩テレビで見たテレフォンショッピングだった。

 「忙しいあなたへ、もう一人の自分がいて、すべてを任せられたらどんなにラクだろう、と思ったことはありませんか? 当社独自の技術によって生まれた『ウルトラMe』なら、あなたの生活を100%の理想へと変えることが可能です!」。

 フリーダイヤルの案内の後、『「ウルトラMe」で検索』というのを見て、ワタシはネットで検索した。それが、好奇心からだったのか、現実逃避からだったのかはわからない。とにかく、そうやって、ワタシは自分のコピーを手に入れたのだ。

 取扱説明書には「あなたのコピーであるので、あなたらしさ(性格、価値観、知識等)は原則的にあなたと同等のものを持ち合わせています」とあった。半信半疑で受け止めていたのだが、手に入れてから半月もした頃には、ワタシは「これほどの以心伝心はありえない!」と絶賛していた。なぜなら、今までなら、ちょっとやっかいな問題は、誰かに頼まず自ら解決していたのだが、それを「MAYUMI2」に頼めば、ワタシのアプローチと同じやり方で黙っていてもやってくれるからだ。
 ワタシはそれからも「MAYUMI2」にいろいろなことを頼み、目の前の問題が思ったように解決されるかどうかを試していった。結果は期待以上だった。少なくても1カ月ほど前までは。

 「MAYUMI2」とワタシの関係は、一言で言えば、ワタシが「主」だ。しかし、今や「主だった」と言うべきかもしれない。ワタシが絶賛していた頃には想像していなかった問題が起きたのだ。

 「MAYUMI2」を少しずつ試したワタシは、4−5カ月の間にほぼ自分にとって面倒なことや簡単に進みそうにないことを「MAYUMI2」に頼むようになっていった。たとえば、クライアントから依頼された案件の実行は全部「MAYUMI2」に丸投げし、プロジェクトが終了した際の打ち上げだけに参加する、といった具合だ。
 ところが、ある日、ふと心がザワめくのを感じた。案件が着地した経緯をワタシはつまびらかに知っているわけではないので、打ち上げだけに参加しても会話が弾まないのだ。どんなにクライアントが賞賛してくれたとしても、それをやったのはワタシではない。「MAYUMI2」がやったのだ。「MAYUMI2」がいれば、一見便利なのだが、「MAYUMI2」の評価が上がれば上がるほど、ワタシは自分の存在意義がなくなっていくのを感じた。


 「MAYUMI2」は邪魔な存在…。「MAYUMI2」を消さなければ…。

 ワタシは、そういう思いに支配され始めた。ところが、「MAYUMI2」はワタシに先んじて交戦してきた。

 「マユミ。アナタハ、ワタシノアルジ。デモ、カセイデイルノハ、ワタシ。ワタシノイウコト、キカナイト、ワルイコトガ、オキマス」

 「稼いでいるのは私」ってさ、それ、良く聞く台詞。。。


 そして、「MAYUMI2」は、最後にはワタシに襲いかかってきた。「やめてくれ!」「イエ、コノママデハ、ワルイコトガ、オキマスカラ」。それが乱闘であったことは、言うまでもない。

 ワタシは「MAYUMI2」を撲滅した。チカラで。
 けれども。
 「MAYUMI2」に非はあっただろうか。非などあるはずがない。

 今日は彼女の命日だ。「MAYUMI2」があちらの世界で幸せであることを願っている。

先日、何人かで飲んでいて、どんな状況だと幸せかについて語り合いました。面白いことに、これ、まったく人それぞれですね。しかも、幸せ上手になるにはコツがあるのです。幸せ上手な人の共通点について、考えてみました。

どんな状況だと幸せかを言語化してみる

「認めてほしい人から、自分が認めてもらいたいことで認めてもらえたとき」。うん、わかる、わかる。基本願望として、誰しも人から認められたいし、特に認めてほしい人からは認められたいですよね。

「自分が納得できている仕事で稼いだお金で、両親を食事に招いていいるとき」。これも、わかる。親には、自分が胸を張って生きていると知っていてほしいですからね。

「まだ見いだせていないけれど、好きなことに没頭し、それに集中できるとき」。これも、またまたわかる。ワタシも集中型なので、好きなことに寝食忘れて没頭しているときは、幸せです。

「自分と周りで起きている出来事に自分なりの意味付けができたとき。そして、それを分かち合える人がいるとき」。うんうん、これもまた、わかる。意味付けを重んじる人のために、グラスルーツは存在しているのだと思っているから、妙に納得。

この会話で他の人から出た「幸せであるとき」は、ほぼほぼワタシの幸せであるときと似ていますが、それでもワタシにとっての「一番」を挙げるなら、やっぱり別の事柄を挙げます。それは、次の2点でした。
ひとつ 上辺の会話ではなく、本音で話せる人たちに囲まれているとき。
ふたつ 自分が誰かの役に立てていると実感できるとき。
もちろん、来週、同じテーマで話したら、また別の答えになるかもしれませんが。。。

思い起こせば、私自身の幸せ観も、年代とともに変わってきたような気がします。
20代の頃は、やっぱり人から認められたいという思いが強かったように思います。人の役に立ちたいなどと思い出したのは、遅ればせながら40代からです。

つまり、「今はこれが重要」と思っていたからといって、人は変わるということなのでしょう。変わるから面白いし、そこに何らかの成長の軌跡というものがあるのですね。

 

サバイバル力=感情のコントロール力

飲み会とは別に、最近、いくつかの出来事を通じて、人の幸せを司るのは「感情」と「そのコントロール」ではないかと思い始めています。何らかの困難な出来事に直面したとき、出来事自体はコントロールできないけれど、自分がどう受け止めるかは自分でコントロールできます。ネガティブな思いに左右されるか、ポジティブに考えられるかというような違いです。

たとえば、Xさんとの関係がこじれているAさんは、「こんな状況が起きたのは、Xさんがこう思っているからに違いない」と決めつけますが、同じ状況でBさんは「自分から見るとXさんはこう思っているように思える。でも、本当のところはわからない。それなら、いっそ本音で話してみよう」と考えます。得られる結果は180度違います。また、苦手な仕事に直面したとき、Aさんは「苦手なことだから、慎重にやりたい。失敗はしたくない」と思い、Bさんは「得意ではないけど、精一杯やって失敗してもいいや」と考えます。ワタシは、Aさんよりも、Bさんの方が幸せになれるのではないかと思うのです。

究極のところ、サバイバルする上で一番重要なのは、仕事のスキルなどではなく、自分の感情のコントロール、すなわち、ポジティブな気持ちを保つためのスキルではないかと思いました。

どんなに付加価値の高い仕事をする能力があっても、どんなにスピーディーに処理する力があっても、困難に直面したときに、それを乗り越える力があるかどうかの方が、サバイバル能力的には上ではないか、と。

そうなのです。これこそが、「幸せ上手」になるためのコツなのかも!とワタシは思います。

人間社会では、「社会」というぐらいですから、所詮、軋轢はありますし、仕事では、経験したことのないことの連続になります。人間関係や仕事の状況によって、「不安」「苛立ち」「憤り」「焦り」「逃避」「自信喪失」等の感情に苛まれます。でも、自分の負の感情と正面から向き合い、コントロールできさえすれば、人はとても強くなれると思います。要は、ありのままの自分を受け入れるということに尽きるのかもしれません。

自分が幸せである状況を言語化すると同時に、ハードルとなる感情を棚卸しするというのは、案外有効な気がします。

さて、今月もあと10日、今月が終わると今年も2カ月です。
2012年、自分が一生懸命生きたと思えるように、がんばります! ではまた

昨日、テレビ朝日の「池上彰の学べるニュース」を見ていたら、久しぶりにアート引越センターのテレビコマーシャルを見ました。今年の初めに、このCMを見てインスピレーションを感じたことを思い起こしたと同時に、この機会にもう一度、あの時の気持ちを肝に銘じておこうと思いました。

CMを観て感じたことは年初のブログに書いたのですが、その後、今年の1月から3月の途中までの間のブログ記事がサーバトラブルにより消失してしまいました。ですので、リセットしてもう一度その時に感じ、今も思い続けていることを書きたいと思います。

今年の11月29日でグラスルーツは満28周年を迎えます。長く続いてきたのは良いことなのですが、28年間会社を経営する中で、ワタシの中にはずっと大きなジレンマがあったのです。それは、「属人性」という問題でした。企画やコンサル、制作の世界では、一般に担当者のやり方や力量によってアウトプットの中身も結論に至るプロセスも変わると言われてきました。お客様の状況がそれぞれ異なるだけに、統一的な方法を取りにくいというのがその理由です。また、「各自の個性が出せる」という理由で入社してくる人が多いことも少なからず関係しています。
たとえば…。ある土地の所有者がその土地に家を建てたいと言って2人の建築家に提案を依頼したとします。出てくる案は建築家ごとに、もちろん、違います。むしろ、別の案が出てくることを期待されているのだから、統一的にするというのは本末転倒だと長い間思われてきました。そして、それは普通に考えたら、その通りなのです。だからこそワタシの中にも「属人性から脱出できない業界」という思い込みがありました。そして、そのような業界に、果たして発展性というものがあるのだろうか、というのが、ワタシの長い間のジレンマでした。

しかし、アート引越センターのコマーシャルを見ていて、ふと疑問を抱きました。引越業界だって属人性の強い業界だと思われていたのではないか、と。そのコマーシャルは、引越で起きがちなトラブルを避けるために、様々なノウハウを駆使しているということを語っていました。それを観て、各自の個性は生かしながらも、会社として統一できることはまだまだあるはず、そのように今年の年初に考えたのです。出すべき答えはマニュアル化できなくても、答えを出す過程を統一化したり、マニュアル化したりできるのではないか、と。心の中にあった霧が晴れたような気持ちでした。

そして、最近、ある企業の社内報制作の業務効率化のコンサルをしていた中で、このように考えました。私たちが当たり前のように行っていることが、実は世の中では必ずしも当たり前ではなく、一つのノウハウなのかもしれない、と。

しかし、ノウハウというのは再現性のある形で受け継がれてなんぼです。クライアントから「なるほど」と思っていただけることが、社員全員で再現できなければ、まだ企業としてのノウハウが確立できているとは言えません。考え方とやり方とツール、この3つの要素を明確化することで、いろいろな人の優れたやり方が会社全体のやり方に変わっていくということはありえる。グラスルーツの今後の可能性はいろいろな角度から考えていますが、この「属人性からの脱出」という視点もそのひとつ。とても重要な視点なのではないかと考えています。だからこそ、グラスルーツは、丸投げしてOKの個人プレーヤーを束ねているだけの組織なりたいと思いませんし、組織立ってノウハウを蓄えていくようなチームプレーヤー志向で進んでいきたいと思います。そして、ノウハウを形づくる3つの要素(考え方、やり方、ツール)によって再現性を保ちながら、担当者の個性を生かしたサービスプロセスと結果を提供すること。それがワタシの目指す世界です。

ありがとう、アート引越センター。一つの大きな学びを得ました。

山中伸弥さんがノーベル医学生理学賞を受賞しましたね。日本人として誇らしい気持ちで、このニュースを聞きました。それで、教育問題だとか、政治問題など、ふといろんなことが頭に浮かんできたので、今日は、そのつながりで書こうと思います。俳優の大滝秀治さんが亡くなったことについても、いろいろと思ったことはあったけれど、欲張りは禁物。では、行きます!

「科学者をスターにするべきだ」と書いたのはホリエモン

「科学者をスターにするべきだ」と書いたのはホリエモンです。ワタシもこの考え方に大賛成です。なぜなら、邪悪な心さえ持たなければ、科学の人類への貢献の度合いはその他の様々な分野と比べて、とてつもなく高いからです。しかも、先端的な科学というのは、科学そのものに対する直接的な貢献のほかに、産業を発展させ、雇用を生み出すという間接的貢献があります。しかも、実用化されれば、生活者にとってとても大きな利となります。間接的貢献と書きましたが、その恩恵に浴する人の数はものすごく大勢なのではないでしょうか。だから、科学者をスターにする。その発想が国には必要なのではないかと思います。それなのに、科学者がいかに偉大かというイメージ、いったいどれだけの人が子どものときに持つ機会があったでしょうか。そのせいにしてはいけませんが、ノーベル賞受賞者の名前を何人言えるかと言えば、ワタシ自身、名前を言えるのは極一部です。19人もいるそうです。19人の名前でさえ、全部言えない。スターにはほど遠いこの状況、何とかできないものでしょうか。

日本は「なに立国」なのか?

観光立国、IT立国、海洋立国…。国内では(特に政府の言葉には)、いろいろな「○○立国」があります。でも、「立国」という以上、教育とリンクしていてほしいと思います。人材的にどのような層を厚くしようとするのか、その意思抜きで30年単位での国家戦略など語れないはず。でも、観光立国、海洋立国というとき、その分野に強い人材を育てるという国家の意思はほとんどなく、ただ「そのような産業政策に力を入れていますよ〜」というような意味合い、悪く言えば、官僚の作文で「○○立国」という言葉が容易に使われてしまっているような気がしてなりません。

ワタシの妄想では「科学」「スポーツ」「接客」

人材的にどのような層を厚くしたら、日本は成長できるのか、日本人は幸せになるのかと考えたとき、ワタシの頭の中に浮かんできたのは「科学」と「スポーツ」と「接客が重要なサービス業」です。

科学については、今書いたような理由からです。

スポーツ立国になってほしい理由は、スポーツは人に感動を与え、勇気を与えるからというのが1点目。1カ月に1回、オリンピックのような感動があるとしたら…? 人は勇気を得て、社会に前向きな循環が生まれるような気がします。2点目は、スポーツの伸びしろはまだあるのではないかと思えるからでしょうか。昨日の錦織選手の活躍しかり、最近の日本のスポーツ界は10年前に比べて「やれば、やれる!」という感触をみんなが持ち始めています。子どものときにスポーツが得意なら、その道に進んで世界に挑んでやると思えるような環境ができたらいいですね。国語、算数、理科、社会が苦手でもいいのだという価値観を普通のことにするには有効なような気がします。
スポーツ自体の伸びしろもありますが、スポーツビジネスの伸びしろもあるような気がします。女子サッカー選手がまともな暮らしができていないということは、逆にいえば、まだまだ黎明期で伸びしろは大いにあるのでは?と思ってしまいます。

接客業については、そうですね、私たち日本人が国内にいては気づかないようなこと、たとえば繊細な気遣いだとか、そのようなことが実は国際的にはとても価値あること、人を驚かせることなのでは?と思うからかもしれません。接客=プロセスと置き換えて考えたら、私たちの仕事も入るな〜 がんばらないと。

ーーーーー
エラそうなことを書きましたが、「○○立国」は何でもいいのです。でも、多くの日本人が自分のアイデンティティや自国の強みが何なのか、その答えを求めているのではないでしょうか。

改めて政治の重みを感じますね。消費税も社会保険も東日本大震災被災地復興も尖閣諸島問題もみんな重要ですが、30年先、50年先、100年先の日本をどうするかという視点で「○○立国」の○○に何を入れるべきかというシンプルな問いとその答えを誰もが求めているような気がします。次の選挙の前に、その論点が浮かんでくるといいですね。あるいは、選挙民として「○○」の部分の答えを見いだした上で各自が選挙に臨めるのが理想です。とっても、難しい問いですが。。。

今週は4日。ワタシは連休出勤だったので、願わくば休みたい。。ではまた

 現在、あるお客様の業務効率化のコンサルを行っています。グラスルーツが「業務効率化」をテーマに仕事をしていると聞いて、意外に思われる方も多いのではないでしょうか。正確に言えば、内製で発行している社内誌など、広報ツール全般の質を向上させるとともに、業務効率もアップさせるためのコンサルティングです。

 一般に、業務の「質」と「効率」は相反する関係にあるように思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。そもそもの目的を整理し直すことによって、従来通りの形を続けることがベストとは限らないからです。組織の中では「これまで、こうだった」という理由だけで、内容も方法も見直されずに継続されているということが意外に多いものです。

雑務は「改善力」を養う最大のトレーニング

 さて、すべての仕事は「質」と「効率」のバランスの上に成り立っています。どちらか一方だけを追求していたのでは、良い仕事をしているとは言えません。けれども、別のあるお客様から聞いた話によれば、最近はそれを取り違えてしまって、入社まもない若手社員が「雑務」を嫌い、雑務に意味を見いだせないと訴える傾向もあるのだそうです。

 若いときに、そう考えてしまうのは無理もありませんし、上司の力量が足りないのかもしれませんが、その考え方にずっと縛られていくと、トレーニングの機会を失い、モッタイナイことになります。なぜなら、雑務を雑務にしてしまうのも自分だし、雑務を仕事にするのも自分だからです。

 どういうことかといえば、雑務を雑務にしてしまう人は、その仕事の意味を考えず、言われたことを言われたままに続け、意味を見失う。雑務を仕事にする人はその本質を考え、その業務が必要かどうかを判断し、必要だったとしても他のやり方はないかを考えます。
 業務の本質が何かを問うトレーニングとして、いわゆる「雑務」と正面から向き合うことはとても意味のあること。改善力のようなものを身に付けるには不可欠なことなのです。それが、「質」と「効率」のバランスを両立させるために、とても大きな力になります。カイゼンで有名なトヨタは、恐らくそうした企業文化を大切にし、その発想が社内に浸透しているのだと思います。
 雑務から逃れられるのは、一見良さそうではありますが、自分を育てる機会を失うことになり、長い目で見ると、損失につながる可能性があります。

100メートル競走のトレーニングでは障害物競走には勝てない

 「雑務」に定義はありませんが、人が雑務と感じるのは「隙間の仕事」をしている時かもしれません。あるいは陸上競技に例えるなら、ただの100メートル競走に参加したつもりで、いざ走り出してみたら、やたらハードルが多いような感覚とも言えるでしょう。しかし、仕事はそもそも100メートル競走ではなく、障害物競走です。「隙間の仕事」がない仕事などありません。障害物競走で優勝しようと思ったら、最初から障害物競走だという発想でトレーニングすることが必要だと思います。

 社内報制作でも、効率化するためのノウハウというものが存在します。そのノウハウも、雑務と感じることに真っ向から向き合ってきたから得られたのです。

 改善に強いことと改革に強いことは別の適性だと思いますが、どちらかを自分の武器にしないと、価値ある人になれません。現状維持に価値はないからです。
 社内報制作に携わっている方も、そうでない方も、「隙間の仕事」の意味を白紙で考えてみませんか? スキマちゃんたちは改善されることを待っていると思います。若い人たちを応援したいがあまり、エラそうなことを書いてしまいました。一意見と思って、読んでください。

10月がスタートしました。気持ちのよい1カ月にしたいものですね。さ、がんばっていきましょう!

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

社長メッセージを見る >>

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ