ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2012年8月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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 こんにちは。

 先週月曜日はお休みをいただき、蓼科に行ってきました。写真は、東山魁夷が描いた「緑響く」(湖の畔を走る馬の絵)のモデルとなった池「御射鹿池(みしゃかいけ)」です。小さな池なのですが、とても美しかったので、お裾分けしますね。

 さて、今日はダイエットと世代論。実は個人的な話で恐縮ですが、2週間ほど前からダイエットに取り組んでいます。昔は、夏はむしろ「夏やせ」する季節だったのですが、最近は新陳代謝が悪いのか、ワインの飲みすぎなのか、体重グラフは右肩上がりです。
 そんな話を元社員だった女性と飲みながら話していたのですが、彼女も減量を目指しているというので、では一緒に45日プログラムをやろうということになりました。9月25日までに毎日運動することで、1kg減を目指しています。

 そして、一昨日の土曜日、あるセミナーでその彼女と再会したので、
 「まったく減らないし、運動も『まあまあ』だった週と、『ダメダメ』だった週があって、このままでは到底達成できそうにない。負けちゃうよ」と愚痴めいたことを言ったところ、返ってきたのは、次のようなものでした。
 「バブル世代はすぐに勝ち負けの話にしますよね。勝ち負けではなくて、続けることに意味があると思ってやりましょう」

 いや、もちろん、そうなんだけどさ。。。

 彼女は30代半ば。以前、世代論について話していたときも、バブル世代は視線が上を向いているけれど、その下の世代は斜め下を向いている。上を向くのが当たり前という前提で話をされても、下の世代は共感できないのではないかと言われたことを思い出しました。人は誰でも何でもできるのだというような、おめでたさを極めた(ある意味勘違いでもある)環境で育った私たちの世代と、現実感を持って生きるのが当然の環境で育った次の世代の間に、そのようなギャップがあるのは、本当のことかもしれません。
 だから、「バブル世代が、いろんなことを勝ち負けの話に持っていく」と言われて、そうなのかもと思いながら、一方で本当に言葉通り「勝ち負け」を競っているのかと考えたら、実はそうではないのではないかと思いました。

 「勝ち負け」を気にして、「勝ちたい」と思っているのではなく、たとえば、ダイエットという禁欲的な行為を、「勝ち負け」のあるゲームにすることで、楽しみに変えたいだけなのです。むしろ「勝ち負け」を気にしない世代だから、「勝ち負け」の話に変えられるのではないか、そんなふうに考えました。負けたら、負けたで、思いっきり負け惜しみを言って、笑い飛ばすというのが、この世代の感覚なのではないか、と。

 「勝ち組、負け組」という言葉を使いだしたのは、むしろ私たちより後の世代ですね。あ、別に「バブル世代は勝ち負けにこだわる」と言われて反発しているわけではないです。これを書こうと思ったのは、ダイエットを通じた会話をきっかけに、自分の世代の感覚を振り返ってみて、こんな世代なのかもしれないと思ったからでしょうか。

 ところで、最近言われる「勝ち組、負け組」という言葉は、格差社会が問題視されるようになってからだと思いますが、語源がいつにさかのぼるかといえば、太平洋戦争の頃だそうです。ブラジルやハワイの日系人社会において、日本がアメリカに勝ったと信じた人たちを「勝ち組」、負けたと思っていた人たちを「負け組」と呼んだのだとか。その意味で、「勝ち組」は「勘違い組」でもあり、夢見がちなバブル世代の傾向とも通じるものがありますね。
 いずれにしても、「勝ち組、負け組」という言葉はあまりいい言葉ではないですね。嫌いな言葉だな。

 さて、ダイエット決戦(あ、また勝ち負けの話にしている。。)の期日である9月25日まであと4週間。せめて週5日は運動したいところです。がんばります!

こんにちは。オノです。

ここ数週間、オリンピックを見ながら、寝不足に陥ったという方も多いのではないでしょうか。かくいうワタシも、そのクチです。でも、「ライブ」だからこそのものがあるのですよね〜 結果がどうなったかを知りたいのではないのです。懸命に闘っているその瞬間を応援したいのです。人はひたむきに生きる誰かに対して、無性に応援したくなる生き物なのですね。オリンピックを通じて、「生きる」本質、「生かされる」本質を実感しました。

 

ディレクター候補を募集します

さて、グラスルーツでは、現在採用活動を行っています。
募集の詳細につきましては、マイナビをご覧いただき、ご興味をお持ちいただけましたら、ぜひご応募ください。
そんなわけで、今回は採用にかけるワタシの思いを語りたいと思います。今だから語れる当社の恥部、もはや懐かしいと思えるようになった出来事についても、率直に書きますね。

グラスルーツは、ブランディングやインナーブランディング、社内広報や社内コミュニケーションという分野でサービスを提供する会社で、制作系サービスは提供しているのですが、一般的な制作会社とは少し立ち位置が異なっています。広報ツールの制作を行う一方、コンサルティングやファシリテーション、レクチャーなども行っている、ちょっと変わった会社です。

けれども、創業初期からそうだったのかといえば、そうではありませんでした。もちろん、創業当初も、現在も、「広報」あるいは「コミュニケーション」の会社であることには変わりはありませんし、「そもそも」というところからアプローチする手法も創業当時からずっと変わっていないのですが、一時期はごく一般的な制作会社として、幅広く制作案件を受託していました。それは、ある意味、ワタシの性格とも関係していたような気がします。いただける案件はありがたくやらせていただく。頼られたら、イヤとは言わない。良くも悪くも、「謙虚に」「大らか」にビジネスをしてきました。

しかし、そうやってビジネスをしていくと、ブランドとして立ちにくくなりますし、スタッフも様々なノウハウ、スキル、情報、経験を持っていなければ対応できなくなります。一方で、ワタシ自身、未来永劫、仕事をやり続けるわけにもいきません。自分の人生の残る時間を何に使いたいのか、そう自問した時に「インナーブランディング」「社内広報」の分野で、世の中の役に立ちたいと思うようになったのです。


なぜ「社内コミュニケーション」か?

そうした思いを強く抱くようになった背景には、いろいろな事柄がありますが、象徴的な出来事を一つ挙げるのであれば、リーマンショック直後の出来事があります。当社の歴史始まって以来、最大のピンチに立たされました。極端にいえば、売上が半分になるくらい、急激に業績が悪化したのです。多くの社員に、辞めることを前提に仕事を探してもらうことになりました。一般的に言えば、残った社員はラッキーで、残れなかった社員はアンラッキーだということになるのでしょうが、実際にはそんなことはありません。残った社員は残ったものの、夢も希望もないまま仕事だけがある。ワタシも大きな喪失感に苛まれ、社員に向かって必要なメッセージを出すこともできず、結果、業績悪化のピンチ以上の大きなピンチに直面したのです。どんなピンチだったのか、それを一言でいうなら、「会社全体が鬱病状態」。誰の心にも「希望」というものがなくなった状態というのを体験しました。

今、これをここで語れるのは、業績回復はもとより、あの苦しかった「鬱病状態」から脱することができたからです。希望が持てない状態から、希望を持ち、目標を共有し、自分たちにしかできないことがあると思えるようになった。だからこそ、今回の採用では、「グラスルーツは何をしたいのか」に対し共感してくれる人に来ていただきたいと思います。

社内がバラバラになってしまう。その不幸は筆舌に尽くしがたいものがあります。人は、1日の大半を会社で過ごします。自分が所属している組織に、その人が希望が持てないということは、経営の「罪」です。けれども、経営者もそうしたくてそうなった訳ではないのです。いや、すべての経営者がそうだとは言いませんが、多くの経営者は自分の会社の社員に幸せであってほしいと思っているとワタシは信じます。
けれども、コミュニケーションに不器用な経営者も山ほどいるのが実情ではないでしょうか。「社内広報」というのは、社長直轄の経営マター。私たちが苦しんだ体験を武器に、社長と、社長を支える経営スタッフに対し、私たちができる支援は惜しみなく提供したいと思います。


大切なことは「意味付け」です

社内広報で、重要なこと。それが何かといえば、ワタシは「意味付け」だと思っています。たとえば…。自分たちの会社はなぜ存在しているのか、なぜこの目標を立てたのか、なぜこの企業を買収したのか、なぜ組織構造を変更するのか、等々。
よく「腹に落ちた/落ちない」という会話がありますが、その境にあるものが何かといえば、意味がわかったかどうかなのではないでしょうか。

しかし、いざ意味を説明しようとすると、実際の意味はシンプルさの対局にある。だから、現実に即していろいろなことを説明しようとすると、複雑になりすぎて、失敗するのです。本当は、その複雑さに対して、潔く割り切り、シンプルにさせることが重要なのです。

…と、エラそうなことを書いてしまいました。ここで書きたかったのは、当事者は潔くなれないもの(ワタシもそうでした)、だからこそ私たちは、潔くどう伝えるかを進言する存在でありたい…ということです。


そんなわけで…

さて、今回は、当社の歴史的恥部についても書きました。でも、今いる社員も、元いた社員も、グラスルーツが好きだと思います。あれほど、苦しく、イヤな体験をしたにもかかわらず、です。それは、恐らくワタシの妄想や幻想ではありません。グラスルーツには、「gr_gr」(グラスルーツ・グラデュエーション)という卒業生のメーリングリストがあるのですが、今でもそこに自分の近況を語る報告が送られているからです。元々、すごく熱血な会社でもなく、かといって、クールな会社でもありません。でも、「うちの会社はこういうのを大切にしているよね」というのを共有できている/いたからこそ、「絆」と呼ぶのはこそばゆいような、自然体な絆のようなものが存在するのだと思います。そして、そこにワタシは誇りを感じています。今回も、ある社員が自分の目指す方向に向かって一歩前進するために、当社を退職することになりましたが、ワタシもその人の今後を応援したいと思いますし、その人もまた今後の節目節目で「gr_gr」に近況を伝えてくれるのではないかと思います。

グラスルーツは、そんな会社です。
そんな会社に興味を持って応募していただけたら、幸いです。どうぞよろしくお願いします。

 グラスルーツでは、ブランディングや広報をテーマとする会議のファシリテーションを請負うことがあります。「こうあるべきでは?」と提言するのとは違い、参加者が答えを出せるように議論のテーマを設計し、ミーティングを進行します。

 今回書くのは、おそらくすべてのミーティングに共通する重要な点であり、出した結論に対する会議の参加者の納得性を高めるコツだと思いますので、参考にしていただけたら幸いです。
 それが何かといえば、タイトルに掲げた「言葉の意味合わせ」です。

 当然のことながら、日本人同士の会議では、日本語が使われます。だから、意味合わせなど必要ないように思われるかもしれません。ところが、ドッコイ。日常的に使っているような言葉(小学生でも使っているような言葉)であっても、言葉の定義は各人各様で意外にもバラバラなのです。

 たとえば、「ターゲット」という言葉があります。日本語では、「標的」とも「対象」とも置き換えられます。ここで、もっともらしくターゲットは「F1層」であるなどという会話で済ませてしまうと、後で大変面倒なことになります。「対象」と考えるなら、「F1層」でもいいのでしょうが、「ターゲット」というのは「対象」以上の意味があります。どういうことかといえば、こちらの記事に書きましたが、「ターゲット」を決めるというのは、そもそも絞り込んでなんぼ、なのです。一見すると「F1層」と言っただけでも絞り込んだような気持ちになりますが、どんな価値観、どんな感情を抱いている人なのかを決めないことには意味を成しません。「ターゲット」というのは、そういうものであると全員で共有していないと、「F1層」でも良いという認識に引きずられて、会議はそのまま進行してしまいます。

 他にも例はたくさんあります。
 「チームワーク」という言葉について、ある人は「団結することだ」と考え、別のある人は「各自が自分の責務を全うすることだ」、また別のある人は「同じ方向を向いて、目的を達成しよとすることだ」と考えていたとします。そのような状況のまま「チームワークを大切にすること」を運営方針に掲げても、果たして機能するでしょうか。しませんよね?
 「スピード感を大切に」と言う場合も同様です。仕事自体の効率性を上げて、スピードを高めることを意味するのか、早急に決断し行動に移す、すなわち行動までの時間を指すのかなど、さまざまな解釈が成り立ちます。

 日本人は以心伝心という文化の中で育っていますが、ある事柄について、意識的に明確にしようと思ったら、実は以心伝心などできないのではないでしょうか。曖昧なものを是とした文化の中だけで、以心伝心はありうる。

 日本人同士の日本語の会話。実は、それほど生易しいものではないのです。しかし、そこで深い意味合わせを行っておけば、言葉は単なるお題目ではなく、機能するようになります。

 そんな視点で、会議での会話や仕事上の会話を見直すのも一考です。私も、言葉に対して、繊細な感覚で社員とコミュニケーションしたいと思います。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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