ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2012年6月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

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先週、ウッディ・アレン監督の映画「ミッドナイト・イン・パリ」を観ました。アカデミー賞やゴールデングローブ賞を獲得している本作品、私はウッディ・アレンファンではありませんが、うわさの通り、とてもおもしろかったです。

おもしろかったのは事実なのですが、では、いったいどこが、なぜおもしろかったのかと聞かれたら、一言では言いがたい映画でした。映画のシナリオライターとして活躍しながらも、空しさを感じて、小説を書こうと志す主人公が、婚約者やその両親と一緒にパリに滞在する間に起きた摩訶不思議な出来事を描いたこの映画、主人公が毎晩深夜0時にタイムスリップする、しかも行き先はゴールデンエイジの1920年代…と、こんなストーリーです。タイムスリップしている間にはフィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ダリ、コール・ポーター等々、そうそうたる文化人に出会ったり、タイムスリップしていない間も婚約者や彼女が惹かれる似非教養人との複雑な関係があったりとストーリー自体もなかなか気が利いているのですが、おもしろかった理由がそれだけかと言われると、どうも違う気がします。

では、何なのか? 私が出した結論は、「映画自体が、論理性を気にせずに作られていたこと」でした。SF映画の題材となりやすいタイムスリップを扱いながら、まったく論理的な説明がなかったところが面白かったのだと思います。意図してかどうかはわかりませんが、主人公が自分の書いた小説をガートルード・スタインに見せた後、つぶやく場面があります。それは、自分が作品を書くときに、論理性を気にしすぎていたかもしれない、というような内容でした。

シンデレラがカボチャの馬車に乗って舞踏会に行くのと同じように、この映画では、タイムスリップの「なぜ」を考えてはいけないのだと思いました。むしろ、「ハリーポッター」や「アリス・イン・ワンダーランド」のような楽しみと、現実の大人の葛藤のミックス。それを楽しむ映画なのでしょう。とてもおもしろかったです。

さて。。。論理性という切り口で自分自身を振り返ってみると。。。
ワタシをよく知ってくれている人は別として、少しだけ知ってくれている人からは、「オノさんは論理的な人だ」と見られている気がします。でも、実際のワタシは「論理性より感受性」の人間です。ワタシの仕事では論理性は不可欠ですし、父親譲りなのか、理屈や筋を重んじる志向があるのは事実ですが、素の自分を言うのなら、感性型なのですね。20代の頃、400字詰めの原稿用紙で10枚ぐらいの、短いファンタジーをたくさん書いていたこと、ふと思い出しました。いずれも、理屈とは切り離された物語でした。

仕事では、論理性から逃げることはできません。誰かと、何かを共有しようとしたら、相手が納得できる説明が必要になるからです。でも、仕事以外の世界では、論理で説明できないことがあると自覚すべきかもしれません。宇宙のこと、死のこと、脳のことなど、現代科学でさえ未知なことは多々あります。

ワタシの理想は、感受性の上に論理性があること。論理性にも、感受性にも偏りすぎないこと。それが、健康なカタチではないかと思いますが、いかがでしょうか。みなさんは、どう思いますか?

こんにちは、小野です。
最近、「会議」を巡り、次の2つのことを痛感しています。

第一は、人は、会話の前提となる言葉の定義がバラバラなまま会話をしていて、会議などのオフィシャルなコミュニケーションではその整理をしないと大きな支障が起きるのに、実は、現実社会において、あまりそういった定義合わせは行われていないのではないか。
第二は、会議などのオフィシャルなコミュニケーションにおいて、人はとかく上等そうな言葉で、武装しがちなのではないか。。。の2点です。

第一の問題について、お客様からの依頼を受けて、ファシリテーションをしていると、言葉の目盛り合わせの面で、思いのほか時間がかかることが少なくありません。たとえば、「ターゲット」という言葉ひとつとっても、参加メンバーの一人ひとりのとらえ方はまちまちなので、先にその意味を合わせておかないと、議論が成り立たないのです。

第二の問題は、さらに深層心理的なことなだけに、よけいに難しいと言えます。会議などの場で、参加者がどんな言葉を選択して発言するかは、無意識に行われています。その無意識の中に、「恥ずかしくないように」とか、「ビジネスの場にふさわしく振る舞いたい」とか、「分かっているヤツだと思われたい」等々の深層心理が働いているような気がするのです。言ってみれば、無意識のうちに、人はそうした脅迫観念に支配されているのではないでしょうか。そうした深層心理があるから、人はついつい上等そうな言葉を発しようとする。それが常なのだと思います。

上等そうな言葉での会話には2通りあります。ひとつは「漢字言葉」会話。そして、もうひとつは「カタカナ言葉」会話です。例を挙げてみます。漢字言葉会話では、「差別化」「訴求力」「顧客満足」「利便性」「提供価値」「戦略」「認知度」など。カタカナ言葉会話では、「ターゲット」「イノベーション」「ブランド力」「ソリューション」「QSC」などです。

漢字言葉もカタカナ言葉も、会議の場で、そうした言葉を使っていけないわけではありません。でも、第一の問題で挙げたように、意見の根幹をなす言葉については、参加者の間で定義合わせをしなければなりません。ところが、その言葉を使っている本人が曖昧なままに使っていることも少なくないのです。先ほど書いたような、無意識の脅迫観念(もっともらしくしたい、という心理)から発せられた場合、大抵は定義が曖昧です。

このように、もっともらしい言葉を使ってしまう理由が、前述のような何らかの強迫観念によるものだとすれば、まずそれを取り除くことが必要です。他人の目など気にしないでいる方が、人は幸せになれるはずなのに、そう簡単ではないところが、人間社会の難しいところです。

でも、本当に自信がある人は、人の思惑など気にせず、どうしたら意思疎通を図れるかを考え、むしろ、わかりやすい「ひらがな言葉」を使うことを厭わないものだと思います。無意識で自分が選択した言葉から、自分の深層心理を紐解くと、未知なる自分が見えて来きます。私も、自分が上等そうな言葉を使うことによって、その言葉の下僕になっていないか、チェックしようと思いました。みなさんも、ぜひ試してみてください。

 先週のブログで、「ブランディングの本質は『嫌われてもいい』と覚悟すること」と書きました。この考え方に通じることを実行して、最近ちまたで論議を巻き起こしているある出来事について考えたいと思います。

 それは、スカイマークの「サービスコンセプト」についてです。スカイマークは、5月18日ごろから、「スカイマーク・サービスコンセプト」という文書を機内のシートポケットに入れていました。その内容が、東京都消費生活総合センターを含め、一部の間でひんしゅくを買い、今週にも内容を改訂することになったようです。その内容とは、次のようなものでした。
 

スカイマーク・サービスコンセプト

スカイマークでは従来の航空会社とは異なるスタイルで機内のサービスをしております。「より安全に、より安く」旅客輸送をするための新しい航空会社の形態です。つきましては皆様に以下の点をご理解頂きますようお願い申し上げます。

1. お客様の荷物はお客様の責任において収納をお願いいたします。客室乗務員は収納の援助をいたしません。
2. お客様に対しては従来の航空会社の客室乗務員のような丁寧な言葉使いを当社客室乗務員に義務付けておりません。客室乗務員の裁量に任せております。安全管理のために時には厳しい口調で注意することもあります。
3. 客室乗務員のメイクやヘアスタイルやネイルアート等に関しては「自由」にしております。
4. 客室乗務員の服装については会社支給のポロシャツまたはウインドブレイカーの着用だけを義務付けており、それ以外は「自由」にしております。
5. 客室乗務員の私語等について苦情を頂くことがありますが、客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置づけております。お客様に直接関わりのない苦情についてはお受けいたしかねます。
6. 幼児の泣き声等に関する苦情は一切受け付けません。航空機とは密封された空間でさまざまなお客様が乗っている乗り物であることをご理解の上で搭乗いただきますようお願いします。
7. 地上係員の説明と異なる内容のことをお願いすることがありますが、そのような場合には客室乗務員の指示に従っていただきます。
8. 機内での苦情は一切受け付けません。ご理解いただけないお客様には定時運航順守のため退出いただきます。ご不満のあるお客様は「スカイマークお客様相談センター」あるいは「消費生活センター」等に連絡されますようお願いいたします。

スカイマーク株式会社

 

 日本の企業としては、良くも悪くも、とても斬新な打ち出し方ですが、皆さんは、この内容をどのように受け止めるでしょうか。
 誤解を恐れずに言うなら、私はサービスを提供するあらゆる企業が、そのポリシーを明らかにすること自体はむしろ必要なことではないかと思いました。なぜなら、サービスの料金というのは、サービスのポリシーとそれに基づき自ら約束したサービスレベルを守ることの上に成り立っているからです。しかし、この問題は、それほどシンプルだとは言えません。

 この話題で生じた論点は、大きく分けて2点あるのではないでしょうか。
 1つは、「苦情を受け付けない、消費生活センター等に連絡してほしい」と言い切ってしまったことの是非。
 もう1つは、「お客様は神様です」という日本的な考え方があり、さらに航空会社なのだからという発想で、スカイマークのこのポリシーは傲慢であるという主張。

 しかし、この2点はまったく別のことだと考えるべきだと思います。

 私は、企業として、「機内での苦情は一切受け付けません」と書いてしまったのは、失敗だったと思います。接客に関するポリシーを書くこと自体なら問題視されなかったはずなのに、これを書いてしまったために、企業姿勢を疑われることになりました。機内であろうが、なかろうが、航空会社であろうが、なかろうが、「苦情を受け付けない」と告知したからといって、苦情から逃げられるわけではありません。スカイマークは、これを書いたことで、実際に機内で苦情があった場合に苦情から逃げられると考えたのでしょうか。責任を負わない布石として、このサービスポリシーが作られたのであれば、それは反感を買っても仕方ないと思います。

 一方で、「サービス業なのだからお客様を神様と扱え」とする考え方で批判をしている人に対しては、私はスカイマークを擁護したくなります。顧客を大切にすることはどの企業にとっても大切ですが、どういう思想で大切にするかは、各社各様であるべきです。スカイマークは、接客において顧客満足を追求するためのコストをかけないことで、低料金を実現させ、別の顧客満足を追求しているのだと私は理解しています。

 日経ビジネスの連載で人気を博している河合薫さんも、スカイマークのこの件について、次のように書いています。

 顧客を満足させるのは、タダじゃない。このことを一体どれだけの企業が理解しているのだろうか。

 

 スカイマークの失敗の原因は、一言で言えばコミュニケーションスキルにありました。同じ内容を伝えるにしても、どう言えば賛同が得られ、どう言うと批判されるか。その吟味が足りなかったのだと思います。それについては同社も真摯に受け止めたようで、次のようなメッセージが同社サイトに掲載されています。
http://www.skymark.co.jp/ja/information/service_concept.html

 この件について、ネットでは賛否両論。ポリシーが明瞭で良いと賛同する意見も目にします。今回の事件によって、ポリシーを明確に打ち出すこと自体について、人や企業が臆病になるべきではないと私は思います。なぜなら、サービスを選択する側にとって、ポリシーが明確であれば、選択するかどうかを自分で決められるからです。選択する自由/選択しない自由を提供することは、それ自体が価値あることなのではないでしょうか。

 

 こんにちは。ワールドカップのアジア最終予選、日本はオマーンにみごとに勝ちましたね。痛快でした。

 さて…。明日は、「ブランディングとは?」「ターゲットを絞るとは?」といったテーマでお客様に簡単なレクチャーを行うことになっているのですが、わかりやすく説明するのは、簡単ではありません。とても概念的だからです。でも、個人の話に置き換えて考えると少しは分かりやすくなるのではないかと思っています。

 たとえば、恋愛にたとえるとどうでしょう。婚活をしている人が、自分と相性のいい誰かと出会いたいとき、あの人にもこの人にも好かれたいと思って、相手ごとに立ち振る舞いを変えていたらどうなるか。自分らしさも出せないまま、本命の相手は気の多い人だと思って振り向いてくれないのではないでしょうか。
 そこまで理解していたとしても、それでもブレてしまうのは、やはりなるべくなら誰からも嫌われたくない、皆から好かれたいという心理が働くからだと思います。

 自分らしさが出せる相性の良い相手は誰なのかを定め、それ以外の相手には嫌われてもいいと決断すること。その勇気を持つことがブランディングの第一歩…。と、そんな話を出発点にお話させていただくつもりです。わかりやすくお話できるといいのですが。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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