ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2011年4月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

 

こんにちは、小野です。
 
■4月なのでワタシ流「勉強のススメ」
 
 震災で落ち着かない日々を送りながら、期首を迎えた企業や、入社して新社会人になった方たちも多いことでしょう。3月決算の当社も、新たな期を迎え、今月はスタッフとの面談などを行いました。今期、ワタシが社内に向かって強調したのは、「再勉強」です。
 ワタシの本音と今回強調した「再勉強」は、実は若干矛盾しています。というのは、仕事を通じて、私たちが成長することが多いのは確かですが、仕事から学ぶのは結果論であって、仕事で期待されるのは本来パフォーマンス(成果)です。ですから、社長であるワタシが言うべきことは、「パフォーマンス」についてであるべきでしょう。会社は学校ではない。厳しいですが、これがワタシの本音ですし、どの企業も多かれ少なかれ同じだ思います。
 それでも、敢えて「再勉強」を訴えた理由。それについて、今年、新社会人になった方に向けて、書きたいと思います。「学問のススメ」ではなく、ワタシ流「勉強のススメ」です。
 
 ワタシは、「この人はできるな」と思う人で勉強していない人を見たことがありません。かといって、勉強している人がすべて優秀なわけでもありません。中には知識をひけらかすだけで、実行力のない評論家的な社会人もいます。
 でも、少なくても、成長したい、貢献したいと思う人ほど、自ら勉強していますし、勉強している人というのは話していて楽しいのです。ワタシより、一回りも二回りも若くてさえ、楽しいです。そういう人とは、進んで仕事をしたいと思えます。
 それは、なぜでしょう。それは、自分が吸収したことに基づく自分なりの意見や考察、そこからさらに考えて出て来る迷いや疑問、そういったものに基づいて会話ができるからではないかと思います。迷いや疑問も含めて、それは「あなた」の「考え」です。人は考えを持っている人に一目置きます。それによって、存在感が高まります。年上だろうと、年下だろうと、「考え」は人を刺激し、だから相手に楽しいと感じさせる。そういうことなのではないでしょうか。
 
■何を勉強するか? 竹中平蔵さん式マトリクス
 
 竹中平蔵さんは、勉強というものを2つの軸(2×2)で考えようと言っています。1つは「目的」軸。もう1つは、「天井」軸(到達点があるか/ないか)です。
 縦の「目的」軸を、竹中さんは「武器」と「人間力」の2つに分けています。
 「武器」というのは、仕事に直結していて、仕事で自分の価値を高めるためということでしょう。金融マンがさらに金融の勉強をする、旅行会社の社員が中国語を勉強するというような類いのことです。竹中さんの言葉を引用すると「人生を戦いぬく武器としての勉強」だそうです。(人と競争する武器という意味だとすると、幸福論的に多少違和感はありますが、競争社会であるのも事実なので、ここは紹介するに止めます)。
 一方、同じく縦軸(目的軸)の「人間力」。竹中さんはこれを「人と人を結びつける知」としています。仕事上の利益とは必ずしも直結しないけれど、好奇心を満たし、人生を豊かにしてくれる勉強です。
 横の「天井」軸は、ゴールの有無。たとえば資格を取る、試験で何点以上取るというような勉強はゴールのある勉強ですが、ゴールのない勉強の方がむしろ多いですよね。
 つまり、縦軸に目的(武器/人間力)、横軸に天井(有/無)として、2×2のマトリクスをつくります。このマトリクスの中で自分が何を勉強したいのか、何が優先なのか、考えることを勧めています。
 
 通常、会社が社員に最初に求めるのは、「武器」となる勉強でしょうが、最近は、ワークライフバランスが謳われているように、「人間力」を高める勉強も必要だという認識が高まっています。
 
 ワタシは、目的軸、すなわち竹中さんのいうところの「武器/人間力」は、仕事をするのはお金のためという価値観以外の人にとっては、実は2分しにくく、発揮されるチカラも相互に関連し合っているのではないかと思っています。仕事での武器力を高めることは人の人間力を高め、人間力が高まれば武器力も高まるというような関係性です。けれど、相互にきれいな正比例ではないのですね。たとえば、武器力が1から2になり倍になったからといって、人間力はせいぜい1から1.05ぐらい。反対に、人間力が1から2になったからといって、武器力は1から1.05ぐらい。そんな関係なのではないでしょうか。
 
■するも、しないも、自分次第の大人生活
 
 学生時代の勉強は「卒業すること」が目的化されがちです。しかし、大人になると勉強するもしないも自分次第。また、同じように勉強するにしても、目的の置き方も自分次第です。
 目的を定めるときに、「人から評価されたいため」「昇進するため」というのも否定はしませんが、どうせなら自分なりの志をもって「志を全うするため」と思えたら、理想ですね。たとえそうでなくても、「人から評価されたい」というより「人に貢献したい」と思えたら、より大きな人間になれるように思います。
 
 大人になってからの勉強では「主体性」が問われます。ですから、ワタシもスタッフに対して「○○を勉強しなさい」とも「こうやって勉強しなさい」とも決して言いません。主題のヒントは提供しても、自分で決めて自分で実行しなければ意味がありません。学校ではないから、です。強いていえば、1年経ったときに、多少なりとも達成感を味わえるような工夫をすることを勧めますが。
 
 最後に、ワタシが社内に向けて敢えて「パフォーマンス」を言わず、「再勉強」を言ったその理由は…。「勉強なくして、パフォーマンスなし」だからです。最初にも書きましたが、勉強したからパフォーマンスが上がるわけではありませんが、勉強せずしてパフォーマンスは決して上がらない。それがわかっているから敢えて「パフォーマンス」と言わず、「再勉強」をメッセージにしました。
 エラそうに書きましたが、ワタシが社会人1年目のとき、「パフォーマンス」も「勉強」も考えていませんでした。何をやりたいのか、何を成し遂げたいのかも、よくわかりませんでした。でも、人生は短いです。答えを見つけていない人は見つけるために、見つけている人は達成するために、勉強することを勧めます。
 
 4月は、いろいろな意味で、人をリセットさせる良い季節です。ワタシも心機一転、勉強し、チャレンジを続けたいと思います。
ではまた
 

 

 こんにちは。小野です。
 
 先週のブログで、日常生活において、重要なことと緊急なことがあった場合、往々にして緊急なことが優先され、その結果、重要なことになかなか手が回らないということについて触れました。ワタシは最近、この切り口で自分の人生、自分の時間をいかにコントロールするかについて、よく考えます。なぜなら、緊急のことというのは「受動」であり「対処」であって、「能動」でも「創造」でもないからです。1%でも2%でも創造的な時間を増やすにはどうしたらいいか、そんなことを考えています。
 
 自分の時間については、自分ひとりの問題ですが、誰かと共有して事を進めるとなると、さらに複雑になります。これは、仕事だけでなく、プライベートも同じです。
 
 どちらか片方が重要だと思うことがあるときに、もう片方が忙しそうで、今やるべきことが山積みな状況のときには、いくら重要とわかっていても、その話はしにくいものです。週末や夏休みをどう過ごすかというような話もそうでしょうし、上司と部下の間での、新たなプログラムや新規の計画を実行しようというような話も同様だと思います。話がしにくくなる理由は、「今じゃないとダメなのか?」と相手が思うことが明々白々だからでしょう。
 
 そして、落ち着いたら話そうと言っているうちに、今度は忙しさが逆転したりして、また先延ばしになる。業務の効率化や時短を進めるための相談の時間が作れないというような話はシャレになりません。
 また、片方にゆとりがなく、重要なことが重要だと思えない状況なのに、もう片方が無理矢理話をして、理解しあえないまま終わるケースや、両方ともが重要なことより緊急なことに振り回されて、マイナスのスパイラルに入っていくケースなどは別の意味で悪い例で、こうしたことも起きがちです。
 
 つまり、何が重要なのかを共有し、それができるとハッピーであること、反対に目先の事柄にとらわれてばかりいて、重要な事柄を先延ばしにすると必ずツケが回って来るということを共通認識として持ててはじめて、会話自体が成立することになります。中高年離婚などは、その共有ができないまま放置したために起きるような気がします。
 
 もちろん、重要事項の共有ができたからと言って即座に何かが解決できるわけではなありませんが、それがあれば「どうやってそれに取り組もうか」と一緒に考えることから始めることができます。
 
 
 15分というのは、1日の中の約1%。1パーセントのやりくりを上手にすれば、大切なことについて話をする時間を週1回1時間つくることは、そう難しくないはずです。ワタシ自身そうですが、重要でも緊急でもないことに案外時間を使っています。それをどうにかすれば時間はつくれるのではないかと思うのですが。。。楽観的すぎるでしょうか?
 エラそうに書きましたが、ワタシも決してやりくり上手ではありません。自分の脳みそ整理のために書きました。
 

 

 震災後の自粛ムードの中で行われた地方選挙。投票率はあがったようですが、何を選択する選挙なのか、見えにくかったな?。ワタシは都民なので、都知事選に行ってきました。実は、土曜日に朝起きたときから、今日は日曜日だ、今日は選挙だと思い込んでいて、昼過ぎに投票所へ向かったら、人っ子一人いない(笑) それで、自分の勘違いに気づいた次第です。
 
 ご存知の通り、都知事選は石原さんが大方の予想の通り再選されました。今の都民の心境は「また大きな地震が起こるかもしれない。しかも東京に」と思っているので、この時期にリーダーを変えるリスクを負ってまで、チェンジ志向で投票するわけにはいかなかったのだと思います。まして、国政の方でチェンジしてみたところが民主党の体たらくぶりで、心情としてチェンジを選択できなかったのは自然なことかもしれません。
 ワタシ自身は、差別発言や暴言などはいただけないと思いつつ、実績についてはプラスマイナスして一応及第点と思っていました。けれど、いろんな意味で、リスクがあってもやっぱりチェンジした方がいいと思っていました。
 
 
 さて、話は飛ぶようですが、人が何かを選択するときに、あるいは選択というほどの自覚はなくても日常の行動に優先順位をつけるときに、たいていは緊急度と重要度のバランスで物事を考えています。両方の度合いが高いことはもちろん優先すべきですが、緊急度が高いけれど、重要度が高くないこと。重要度は高いけれど、緊急度は高くないこと。これらの板挟みになった場合は、大抵、緊急度を優先して行動します。なぜならば、文字通り「緊急だから」です。
 
 たとえば、あなたの上司や顧客から「明日までにお願いしたい」と頼まれることがありますね? 仮にそれが作業的なタスクだった場合、重要性は低いわけですが、もっと重要な戦略的なプランをまとめることよりも、優先するのではないでしょうか。そして、ワタシたちの日常ではそういうことが繰り返されていきます。
 
 しかし、本当にそれでいいのか? ワタシが自分に自問すると、片方のワタシは、「だって仕方ないでしょ? 緊急なのだから」と言います。もう片方のワタシは、「その考え方を続けていったら、永久に重要なことに着手できないよ」と言います。
 
 変な言い方ですが、ワタシは後者の自分を応援しています。では、どうしたら緊急なことに時間を奪われずに、重要なことに取り組めるのでしょうか。これは簡単ではないですね。でも、ワタシはこんなふうに思っています。
 
1)重要なことを、重要なこととして仕分ける。緊急なことと別の枠に入れて、認識する。
2)重要なことを実現させるために、時間をブロックして、日常の小さなことから少しづつでも取り組む。
 
 ま、そんなに簡単ではありませんが。。。
 東京都民が石原都知事を選択したのも、おそらく地震対策について緊急かつ重要な問題として暗黙に理解していたからだと思います。今や都民にとって、地震対策は重要であるばかりでなく緊急の問題になっていますから、石原さんが高齢ということのリスクよりも不安の度合いは高かったのでしょうね。
 
 あなたの日常で起きている問題は緊急なことですか? それとも重要なことですか? 緊急な問題の処理は必要ですが、本当に重要なことを考えて進められる人生を送りたいものですね。
 

英国王のスピーチ/Filming Colin and Helenaこの週末「英国王のスピーチ」を観てきました。ご存知の通り、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を受賞した話題の映画作品です。

 
主人公は、現エリザベス女王の父君にあたるジョージ6世。ジョージ5世の長男のエドワード8世が王座を投げ出してしまったために、突然、王位を継承することとなった彼は、当時、吃音症のため、型破りのセラピストのもと、トレーニングを続けている最中でした。王位継承後まもなく、第2次世界大戦が勃発。ドイツとの戦争に突入します。英国民に向けて国王としてのメッセージを伝えなければならないシーンで映画はクライマックスを迎えます。
 
映画では、国王といえども、不安や恐怖を抱く普通の人間であることが描かれています。その弱さを持ちながらも、国王としての責任を果たそうとして、懸命にもがくジョージ6世。この映画が好評である理由は、不安や恐怖に立ち向かうその姿に、私たちは自分自身を重ね、勇気を与えられるからだと思います。
 
単純にいえば、そういう話です。が、とても奥が深くて、簡単に感想は書けません。
 
ワタシは、「できる」ということの意味を深く考えさせられました。健康に問題がある、体が不自由である場合を除き、一般生活で何かを「できる」「できない」は、黒か白かといったデジタルなものではなく、グラデーションです。ところが、ジョージ6世の場合は、歴然とできない自分に直面します。
一方、私たちの場合はどうでしょう? 自分ができていると思っていることでも、「できる」の定義を変えれば、本当はできていない場合もあるのに、自分なりの「できる」という尺度によって、できていると思っているだけです。疑ってみれば、できていないことも多々あるのに、ワタシも含めて多くの人は疑わずに暮らしている。
もちろん、誰にでも欠点はあるので、多かれ少なかれ、人はそれについて葛藤します。でも、努力しても、努力しても、何度努力してもできないという追いつめられた経験をしている人は一握りではないでしょうか。
 
ワタシは、この映画を観て、ある種の勇気をもらったものの、コンプレックスを乗り越えようとする姿を単純に賞賛し、ジョージ6世の苦悩に自分なりの経験をなぞり合わせて共感することは、安直すぎるな、と思いました。
ワタシの想像を超えた困難に立ち向かった人の話なのだと受け止めたからです。
吃音障害によって、普通なら直面しなくてもすむ「明白にできない自分」と直面せざるを得ないうえに、彼はまぎれもなくキングでした。そのプレッシャーたるや想像を絶します。
 
心と頭、体が一体になって、自分の思ったように機能してこそ、本当の意味で「できる」なのだとすると、実は私たちは自分が思う以上に、多くのことについてできないというのが本当のところだと思います。
 
三位一体となるために、スポーツ選手はトレーングします。メンタルがコントロールできなくてもダメ、問題を論理的に理解できなくてもダメ、問題がわかっても体がついてこなければダメ。どれか一つですめば簡単ですが、3つがバランスよく機能するためには、一夜漬けの練習では成し得ません。心も頭も体も自分のものなのに、1つのものとしてコントロールするのはとても難しいですね。
 
その難しさに直面したとき、それでも、もがいて、もがいて自分で自分をコントロールできるようになりたいかどうか。それが人生の質を変え、人の成長曲線を変えるような気がします。「ワタシが自分に感じる葛藤なんて、ジョージ6世に比べたら、あまちゃんだな」と思わせられる、そんな映画でした。
 
 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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