ワールドカップで考えたポジティブさが引き寄せる運気
ワールドカップでの日本代表の善戦。多くの人に勇気を与えましたね。ワタシも、大いに勇気づけられました。諦めない粘り強さが、仕事、人生、あらゆる局面でいかに大切か、考えた人も多かったことと思います。
日経BPネットの「Biz COLLEGE」で高橋俊之さんという方が「ロジカルシンキングの達人になる」というコラムを連載しています。その連載の1記事に「対策を打つより成功する問題解決の方法」というのがありました。副題は「日本代表がワールドカップで勝つための大?作戦」です。記事を書かれたのは、ワールドカップ予選リーグが始まる前です。問題など忘れてしまって別のことをした方が成功することがあるというのが、高橋さんの意見。決勝進出という結論が出た今だから言うわけではありませんが、共感したので、今日は「運を呼び寄せる」ということについて考えてみました。
ある「問題」が自分たちの目の前にあるとき、どう対処するか、私たちはそのスタンスを問われます。高橋さんは、1)この短期間では問題を意識することが解決にあまり繋がらない。2)本番を前にして出来ないことにばかり目を向けていると、得意なところが影を潜めるとともに、自信が失われていく、という2つの理由から、問題から発想して行動を取らない方がむしろ良いと言い切っています。中でも特にワタシの心に響いたのは、あれもこれもになって中途半端になるよりも、強みを出すことに集中して、「戦略とは捨てること」と割り切ることが重要だと説いています。そして、そのためには、自信や誇り、決意などの「やるぞ!感」を持つことが重要だと。
しかし、新聞やテレビ、ツイッターやblogで「これじゃ勝てない。ここがダメ、あそこがダメ」と言われていたら、そうそう「やるぞ!感」は持てません。本当にサポートしたいなら、ファンはツイッターでネガティブなことを書かずに、ポジティブなことを書くことによって、それが大きな力になっていくのだから、そんなメッセージを発信しようと高橋さんは呼びかけていました。
それに共感したワタシは、日本戦がある日は、ツイッターのアイコンを代表チームの応援アイコンに変更しています。みんなで幸運を呼び寄せるオーラを放つことが勝負にも影響すると本気で思ったからです。
話は飛びますが、この週末に友だちの家でパーティがありました。そのときに話題となったのが、「運気」や「霊感」をどのくらいの人が信じているのだろうというもの。結論からいうと、こと女性に限って言えば70%ぐらいの人はそれを信じているということになりました。
実は、ワタシもそういうものは「ある」と思っています。 たとえば、「笑う角には福来る」「病は気から」等の言葉ありますが、まったくもってその通りだと思っています。また、ワタシは前にも書いたように海外に行くとギャンブラーになるのですが(主にルーレット)、経験から言って、ルーレットで運を引き寄せるには自分のマインドコントロールが大きく関係します。負の気を放っている人にも、欲ばかりの人にも幸運は訪れないと思うのです。
ちょっと短絡的に書いてしまいましたが、もちろん気力ですべてが解決できるとは思いません。でも、自分たちの問題や弱点に目を向けすぎずに、強みにフォーカスするという理性的な判断や、みんなでポジティブな輪をつくって、その中にプラス思考の意見、思いなどを出し合っていくなど、そんなイメージで意識を合わせて行くことが重要なのではないでしょうか。
あまりロジカルな話に聞こえないかもしれませんが、マインドと勝負、マインドと運が絡み合っていることは、今回のワールドカップをはじめ、多くのスポーツが語っています。
それにしても、本田圭佑選手の有言実行。カッコいいですねー。影響受けました。謝謝。
「一番じゃなきゃダメですか?」と「レンガを積む男の話」
民主党の事業仕分けで「一番じゃなきゃダメですか?」の発言で注目を集め、今や菅内閣の行政刷新担当相である蓮舫さん。今月16日に、自らの生い立ちや子育て、政治家としての覚悟などを綴った著書「一番じゃなきゃダメですか?」を発売したそうです。「はやぶさ」帰還が成功して、「はやぶさ2」の開発予算はどうなるのでしょうか。2010年度予算案で当初17億円だった概算要求額が、鳩山政権発足後の見直しで5000万円となり、さらに事業仕分けによって3000万円にまで削り込まれましたが、今回の成功で大分ムードが変って来ています。
もともと蓮舫さんのあの発言は、1番であるべき理由を相手に説明させようとしたものなので、現在「一番を目指すの当然」と語っていることが、ワタシは前言撤回だとは思いません。確かに、3000万円ってナニ? 住宅ローンじゃあるまいし、とは思いますが。
さて、「一番じゃなきゃダメですか?」という言葉は、ワタシの中では別のある考えと重なるので、今日はそれについて書きたいと思います。
「一番じゃなきゃダメですか?」という言葉と同じようなことを連想させる言葉に、SMAPが歌う「世界に一つだけの花」(槇原敬之作詞)があります。「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」というフレーズに、多くの人はある意味「そうだよなー」と思って、癒されたり、励まされたのではないでしょうか。もちろん、反論として「ある世界でのオンリーワンは結局ナンバーワンになるのでは? 区別することに意味あるの?」という意見もあるようです。
ワタシがここで興味があるのは、「当社は◯◯で1番を目指す」は企業に属する社員にとってモチベーションになるのか、についてです。もちろん、経営的に言えば、デファクトスタンダードはナンバーワンによって作られるので、ナンバーワンのポジションを得ることはとても重要な意味があります。
けれども、「世界に一つだけの花」の歌詞に共感する人たちの価値観は、勝ち負け以外の価値観に共感したのではないでしょうか。その価値観とは、有名な寓話である「レンガを積む男の話」に象徴されるものです。
「レンガを積む男の話」を最初に誰が言い出したのかはわかりません。でも、ネットで、「レンガを積む男」で検索すると、数々のページがヒットします。
多方面から聞く話なので、脚色はいろいろのようですが、あらましは…。
時は中世。とある町の建築現場 で三人の男がレンガを積んでいました。一人ひとりに「何をしているのか?」とたずねると、返って来た答えは、こう。
一人めの男:「見ればわかるだろ、レンガを積んでいるんだよ」
二人めの男:「食うために働いているのさ」
三人めの男:「ここで多くの人が祝福を受け、悲しみを払い、多くの人が救われる。後世に残る町の大聖堂を造っているんだ!」
それぞれの答えは、1)無目的な仕事 2)お金のための仕事 3)社会的使命感のための仕事というような解釈に置き換えられます。
では、「ナンバーワン」は目的になりえるのでしょうか。もちろん「当社は◯◯で1番を目指す」によって、社員が鼓舞されることもあるでしょう。あるいは、ナンバーワンになることがイヤだという人は少ないとは思います。でも、果たしてそれが目的になりえるかといえば、なりえない。会社がナンバーワンになれば…というその先にあることが、人にとっては目的であり、会社がナンバーワンになること自体を働く目的にする人はいないと思います(多分)。
企業がビジョンを社員に語るときの一つのパターンとしての「当社は◯◯で1番を目指す」は、それ自体、否定すべきものではありません。でも、それで終わっていたとしたら、働く人の共感が得られるか疑問です。社会に役立ち、後世に残る大聖堂を造っているというような目的が共有できて初めて人は使命感を持てるのです。
企業がビジョンを「ナンバーワン」という言葉で語るとき、目的を明らかにした上で、「ナンバーワン」は社会への貢献度であるという文脈を加えると共感されるのではないでしょうか。
7月14日にビジョン伝達をテーマにしたセミナーを開催します。ぜひご参加ください。
iPadを買いたいワケ
こんにちは、オノです。
ワールドカップが始まりましたね。ご覧になっていますか? ワタシは、大のサッカー好きというわけではありませんが、オリンピックと同じでやっぱり気になります。
ここ数週間のニュースとして関心が持たれたのは「新内閣発足」「ワールドカップ」「iPad」ではないでしょうか。その中で「iPad」は最早、旬の話題ではなくなりつつありますが、購入決断寸前のワタシとして、今日はこの話題を取り上げます。
意外に知られていない気がするのですが、「iPhone」「iPad」はMacのOSではありません。iPhoneのOSです。それを知らない人(特にWindowsユーザ)は「あなたは、Macユーザだからいいだろうけど、私はWindowsユーザだから不安」と言います。でも、OSがMacOSとは違うのですから、自分にはMacユーザのような知識がないから不安と考えるのは間違いです。知識レベルでいえば、みんな同じところから出発します。でも、マニュアルがなくても直感的にわかるのがApple製品の特徴なので、私は「iPad」はまだ持っていませんが、少なくても「iPhone」を見る限り「やはりAppleはすごいな」と思います。
使い勝手に不安はないものの、実際自分がどんなとき何のために使うのか、イマイチ整理できません。
ワタシの場合、会社の業務は、パソコン(Mac BookPro)の方がいいに決まっているので、代替えするというのはあり得ません。同様に、家でも仕事をすることがあるので、家のパソコン(こちらも(Mac BookPro)の代替えというイメージも湧きません。結局、ワタシの中では、iPadはパソコンでやってきたことを置き換えることを期待するデバイスではないのではないのだという結論に達しています。
では、iPadはパソコン以下なのかというと、そうとも言えません。メールやWEB中心の利用なら、まったくもって問題ないのではないかと。少し拡大解釈すれば、Office系ビジネス文書ぐらいなら80?90%賄えそうな気がします。
でも、実際の仕事ではいろいろなアプリや文書をたくさん広げて、コピー&ペーストしたりするわけです。ワタシは企画書を書くのにも、PowerPointではなく、Illustratorで書いているのですが、iPadではそれができなさそうです。しかも、マルチタスクではなく、シングルタスクです。2つのアプリケーションを同時に開くことができません。
そう書いてしまうと、ダメなOSのように聞こえますが、マルチタスクを便利に利用する人はどのくらいいるのでしょうか。実際にはそれほど多くないような気がします。
iPadを見ていると、とてもワクワクします。私は、先週、新宿のビックカメラで初めてiPadに触りました。宣伝の通りというのか、宣伝以上というのか、やっぱりほしくなりました。でも、ずっと購入する理由が見つからなかった。。。
しかし、とうとう「これなら!」と思える理由を見出したのです。ワタシにとってiPad利点は「自由に情報を収集し、自由に加工したりストックするためのデバイス」ってことなのではないか、と。
【その1:情報収集編】
本が読めることに象徴されますが、本だけではなく、新聞なども含めて、ネットから様々なほしい情報が、より読みやすい形で入手できます。
ほしい情報にはいろいろなものがあります。既存のマスメディアの情報もあれば、CGMの情報もあります。CGMはどんどん発展していくと思いますが、迷走しているのはむしろマスメディアです。産經と日経、この両方について、ワタシは迷走を感じます。
まず産經新聞。産經はすでにiPhoneで無料でリアル版と同じものを提供しています。無料はありがたいです。ワタシもiPhoneで時々読んでいます。でも、無料でワタシたちが読めるのは、お金を払っている人がいるからですよね? そのまま続けて行けば、結局破綻するのではないでしょうか。一定期間無料にするのはいいですが。
日経も今年3月24日からネット版の有料化を始めました。これは単純に価格設定が疑問です。「日経新聞定期購読者だと月額1000円」ということは、アナログ新聞+ネット付加価値を提供しようとしているってことだと思うのですが、プラスαの記事よりも、今のアナログの内容と同じでいいので、ネットで読めるようにして、安くしてほしいですね。一番効率もいいはずです。そしたら多くの人が読むのではないかと思います。
しかも、自分が収集したい内容をクリップできたり、というのを、新聞社横断型でやってほしい。すでにWEBで同様のことはできますが、ポイントはWEBサイトの記事とリアルの記事では何かこうつっこみ加減が違います。
新聞各社は模索中ですが、自信を持って、有料配信してはどうでしょうか。なるべく安くお願いします!音楽を購入するのと同じで、優良なコンテンツは無料でなくても読みたいですから。
【その2:情報加工・ストック編】
ご存知の通り、iPhone、iPadの強みは、何と言っても壮大なアプリの数です。ワタシも様々なアプリをダウンロードしてiPhoneで使っています。メディアを読むためのアプリやゲームアプリも多数ありますが、情報を加工したりDB的にストックするのに役立つアプリも多数あります。持っている洋服や飲んだワインをDB化したり、健康管理に使ったり。。。既にiPhoneで使っているものが、iPhoneと連携して使えるようになるのは魅力です。
これらは、使えないと困るというような類いのものではありません。「あると便利」「あると楽しい」という類いのものになります。ですから、誰もがみんな使うわけではないでしょう。アプリは有料も無料もありますが、膨大な数があるのが魅力です。何年生まれの人は今何歳かを知りたいと思ったとき、かつてはwebで調べていましたが、今はダウンロードしたアプリで調べようと考えるようになりました。同じようなことについて、常に最初に考えるのは「アプリはないかな?」になりはじめていて、WEBで調べようという発想をそのうち追い越すような気がします。理由は、とてもシンプルで使いやすいからです。
というわけで、ワタシなりのまとめを行うと。。。
(1)パソコンヘビーユーザほど、PCやMacの代替機と考えない方がいいかと。
別の目的や楽しみを見つけるべきだと思います。
(2)ヘビーユーザでなく、WEBとメールが中心の人なら、
代替機として十分機能する可能性が高いです。
って、なんかつまらないまとめだな。自分がiPadを購入したいから、自分を納得させるために理由を考えただけの記事になってしまいました。週末なので、ヨシとしよう。
iPadというディバイスによって、社会がどう変って行くのか、引き続き興味深く見守って行きたいと思っています。次の週末こそ、予約に行きたいです!
ではまた
「類型」の効用と副作用 & MORE
血液型や星座の話題は、比較的多くの人が好んでする話題です。ワタシも含めて、誰も真剣に信じているわけではないのでしょうが、当たり障りのない話題であると同時に、相手の性格を聞き出す会話の糸口になりやすいので多くの人が話題にするのだと思います。
本来、人は十人十色ですから、性格を類型化するということにどれだけ意味があるのか、疑問はあります。類型に惑わされ過ぎると、固定観念が生まれるからです。が、血液型や星座ではなくても、ユングをはじめとして心理学の分野等でも、これまで様々な性格の類型が語られてきました。
人を型だけででとらえすぎるのは危険がありますが、類型を知ることについて敢てメリットを挙げるなら、自分とは違う性格の人がいるのだという事実に目を向けることができる点です。
いろいろな説での性格の類型。大抵の場合、一利あると思えるかどうかの判断は、自分自身が感じる自分の特徴がその類型のどれかの特徴と近いと思えるかどうかです。
たとえば、ワタシは双子座なのですが、双子座の性格的なキーワードとしてよく出て来るのは、「二面性」とか「コミュニケーション」など。「二面性」という意味では、理性と感性、動と静など、相反する要素が自分の中に共存しているということには同意できるので、まんざら間違っていないように感じてしまいます。
ワタシが最近たまたま接した別の説では、性格というものが6タイプに分けられていました。その分類では、ワタシは直感重視、スピード重視であり、誉め言葉に弱く、筋を通すことが重要、型にはめられるのがキライ、甘えん坊…etc、ならしいです。ある意味、当たっており、「これは、小野真由美の取扱説明書だ」と思ったくらいでした。直感重視、スピード重視という傾向は、安心を大切にしたい人から見ると、それだけで反発したくなる要素のようです。
さて、この中の「誉め言葉に弱い」(誉められたい)というのは誰でも同じです。
話は飛びますが、この週末、学生時代の部活の友だちと箱根に1泊してきました。その時に「家族(特にパートナーに)にありがとうと言っているか」という話題になりました。自分は言われたいけど、自分は言っているかと聞かれると言わないことも多いという声もありました。「ありがとう」という言葉には、ポジティブな連鎖反応を呼び起こす作用があります。皆それはわかっているのに、日常生活の中では流されてしまいがちです。
小学校の3年生だったときに、松浦くんと有原さんという同級生がいました。あるとき、松浦くんが「有原さんって、いつも『ありがとう』って言ってくれる。すごく、気持ちがいいし、エラいよね」とワタシに言いました。有原さんもすごいけれど、10歳の洞察としては、松浦くんもすごいと思います。そして、そのときワタシは「そうか、『ありがとう』には人に対して良い作用があるんだ」と感心し、だからこそこんな大人になった今でもそのときの会話を覚えているのですが、では自分がどのくらい実践できているかというとクエスチョンな面もあります。
「ありがとう」を端折ってしまうのは、「慣れ」や「甘え」が原因なのでしょうね。言わなくてもわかってくれるという信頼関係があると、ついつい甘えてしまうのだろうと思います。でも、実際には人は誰でも誉められたいし、言われて初めて実感できることがあるのも事実です。我が身を振り返ると、ちょっと反省するな。信頼している関係なのだから、わかってくれているだろうと思ってしまうのは、いかん。
話が大分横道に逸れてしまいましたが、多様性に対して寛容になるために、類型は便利な道具です。同じことに遭遇しても、まったく違うことを感じる人、まったく別の道筋で考える人がいるということを認識できるからです。
ただし、一方で私たちが類型に接するときに注意すべきことは、ラベルを貼るように、すべてをそれに当てはめて考えてはいけないということです。そもそも1億人の日本人を4つの血液型、12の星座、6つの性格に分類できるわけはない。効能と副作用の両方を知った上で、類型を服用するのが正しいのだと思います。
そういえば、前回の話題「PM理論」も類型のひとつですね。お取り扱いにはご注意ください(笑)。