ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2010年4月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

インビクタス/負けざる者たち ブルーレイ&DVDセット オノです。こんにちは。
 先週に引き続きセミナーのオマケコーナーで紹介したものをご案内します。セミナーでご紹介したただひとつの映画作品がコレです。
 クリント・イーストウッド監督作品である映画「インビクタス」です。3月ぐらいまでは都内映画館で観られたかと思いますが、今はどうでしょう? 映画館では観られない確率の方が高いかと。。。でも、アマゾンでチェックしたら、7月14日にセルDVDが発売されるようです。う?ん、レンタルはまだ先ですね?。
 でも、ぜったいゼッタイおすすめの映画です。まず、普通の映画作品として観て、大感動・大感激できます。そうでなければ、勧めません!

 さて、なぜワタシがこの映画を「中計の発表と浸透」「社内広報と社内メディア戦略」といったセミナーで紹介したのか、ネタバレでない範囲で説明しますと、この映画の背景には南アフリカという一国の国民の意識統一があるからです。
 主人公はネルソン・マンデラ大統領(当時)。アパルトヘイトが終わり、初の黒人政権が誕生した1995年当時の話です。そんなに昔のことではありませんよね。
 当時、南アに暮らしていた白人たちの間では報復を恐れて国外に退去する動きが活発化していたそうです。他のアフリカ諸国では、独立後、皆そうやって白人が国外に出て行ったようですが、マンデラさんは白人の持っている知識やノウハウを国に残すことが大切と考えた。そのために白人を安心させ、白人黒人が気持ちを一つにさせることに腐心したのです。自分は27年間も投獄されていたにもかかわらず、です。まずその器の大きさに圧倒されます。
 映画では、そういう背景(史実)を縦軸に、横軸には当時白人のスポーツであったラグビーが置かれています。マンデラさんは、ラクビーというスポーツを意識統一のシンボル(記号)として上手に使い、どんな国を目指すのか、そのメッセージを発信しました。リーダーが発信するメッセージは言葉もとても重要ですが、言葉だけではなくシンボルも重要です。それが端的にわかる映画なので、この映画をセミナーにご参加くださった方たちに紹介いたしました。
 国の恥とまで言われた南ア代表チームがワールドカップで初出場初優勝となるのですが、そこにマンデラさんの意思が介在していたのです。
 社員の数が、数百人、数千人、数万人、数十万人といると、どうしても意識統一なんてできるはずがないと考えてしまいますが、この映画を観ると「できるかも?」という勇気が湧いてきます。ぜひ、ご覧ください。

 それにしても、マンデラさんの人間性……。並の人間ではありえないほど、とても崇高な、とても強靭な、とても魅力的な人だと思いました。ありがとう、クリント! 今年の暫定ベストワンはこの映画です。

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ホンネで動かす組織論  
 3月16日から始まったセミナーも明日で一巡りし、終了します。こちらについてはまた改めて書くとして、セミナーの最後にオマケで紹介している本や映画があります。その中からひとつを今日は紹介させていただきます。

 「ホンネで動かす組織論」(著:太田肇、ちくま新書)です。アマゾンでたくさん星がついていたので購入しました。人にとって、「本音」とは、何なのでしょう? 裏と表でいえば、裏も表もなく語ることが「本音」。それが、わかりやすい本音の基準だと思います。つまりは、人の思惑に左右されず自分を正直に出せるということです。しかし、かといって、自分を正直に出したら失敗することもありますし、だからこそ、人はなかなか本音を出さなくなるのでしょうね。

 この本には、冒頭の「『お客様第一』のウソ」という章はもとより、あるだろうなという社会の矛盾がたくさん出てきます。たとえば、同志社大学政策学部教授である筆者ならではの事例としてこんなものがありました。大学は『遅刻するな、欠席するな』というが、本当に学生が出席したら席がない、これが、本音と建前のギャップだと。確かにそんな話は社会の至るところにあるような気がします。
 企業内コミュニケーションを考えるとき、意外にこの本音の出し具合が重要だと私は思っています。「全社一丸となって」という常套句も、使ったらいけないわけではありませんが、そろそろ使い方を考え直した方がいいと思います。

 数日前の日経でも「都合学」という学問的アプローチが紹介されていました。東京大学工学系研究科の大沢幸生教授が提唱しているのだそうです。日本語では「今日は都合が悪くて」などと言いますが、この「都合」という言葉に当てはまる外国語はないようです。大沢教授は都合の裏にある本音を引き出せば、製品開発や経営戦略づくりに活かせると考えてこの研究を始めたと記事に書かれていました。

 少子化が進み、国内マーケットがシュリンクする中、多くの企業がグローバル化を目指しています。でも、本音をストレートに言えない組織で果たしてそれが成し得るでしょうか。意見はあって当たり前、意見が言えない人がリスペクトされないのが世界では普通のことでしょうから。そんな視点からも私は本音のコミュニケーションがしにくい状況を改善することが企業における重要な課題ではないかと思います。
 もちろん、これは日本人の精神文化を変えることにも通じるので、簡単ではありませんけどね。日本人の得意とする「機微」を理解する力を活かしつつ、思ったことを率直に言える組織になれたら、これほど強いものはないと思います。
皆さんはどう思われますか?

桜新町桜祭りでの水前寺清子のライブ 昨日は、ワタシが住んでいる地元の商店街のお祭りでした。そこで今日は、お祭りというフィルターによる人の気持ちの連鎖について書きます。企業の社内意識統一などを考える上でのヒントがあるような気がするからです。

 ワタシが住んでいるのは、田園都市線の桜新町。隣駅である駒沢と用賀に比べるとマイナーですが、八重桜の名所でもあり、長谷川町子美術館があることから「さざえさんの街」とも言われています。毎年、桜の季節になると、駅前通りを交通規制してお祭りが行われます。そして、そのお祭りのメインイベントは、地元在住のチータこと水前寺清子のライブ。水前寺清子といえば、演歌の世界の人。一般に演歌歌手のギャラはとっても高いはずなのですが、どうやら無報酬で出演しているらしいです。
 毎年、見に行っていた訳ではありませんが、ここ数年は、水前寺清子のショーを見に行くのが恒例になりつつあります。なぜなら、最初に見た時に、「さすが、プロだな」と感じ入ったこと。たかが商店街のお祭りなのに、「引き受けた以上、ちゃんとパフォーマンスしよう」という思いからなのか、そのサービス精神は脱帽もので、気持ちのよい刺激があるから、ついつい足が向いてしまうのです。

 演歌歌手だし、いったいどんな人が観ているのかと客層を観察すると、これまたおもしろい。老若男女集まっているのですよね。チータ世代もいれば、パンク風な髪型の若者もいる。ベビーカーを引いた30代もいれば、サングラスを掛けた外国人もいます。立ち見をする人だかりの中で背伸びをしながら観ていたら、すぐ後ろには20代後半のカップル。「人生はワンツーパンチ!汗かきベソかき歩こうよ?♪ One two? one two♪?」。わー、歌ってるー。ちょっと意外でした。

 刺激を得られるパフォーマンスという意味では、そのあとに行われた都立深沢高校の和太鼓の演奏もカッコよかったですねー! ほんと、タダでいいもの見せてもらって、ありがとう!という感じです。エネルギーをもらえたし、若い人たちのすがすがしくも熱い気持ちが伝わって来たし、「あぁ、自分は日本人なんだなー」というようなアイデンティティも感じたし、とても良いものに触れた気がしました。

 こういう地元のお祭りはいいものです。何よりこの街がより一層好きになる。

 ところで、パフォーマーであった水前寺清子さんと深沢高校の人が同じことを語っていたのが印象的でした。「皆さんからエネルギーをもらえる」と。一方で、観ていたワタシたちも同じように感じる訳です。「元気をもらった」と。どちらも根っこには感謝の気持ちがあるような気がします。パフォーマー側とオーディエンス側のどちらが先なのかはともかく、エネルギーも感謝の気持ちも連鎖するから不思議です。それどころか、その街への愛着も連鎖していくのではないでしょうか。

 この話には「パフォーマンス」を通じて見た人たちが感じたことと、パフォーマンスを含む「祭り」を通じて感じたこととの両面があり、両方とも興味深いものがありますが、企業の風土づくりという点では、ワタシたちはもっと祭りの作用というものに注目してもいいのかもしれません。

・多くの人で溢れかえった街の非日常性から高揚感が生まれ、それを共有した人たちの間に街=土地以上の愛着(コミュニティ的な愛着)が生まれる。
・その街で活躍している人、頑張っている人がいることを知ることで、同じ街に住んでいることに愛着と誇りを抱く。
・その祭りが繰り返し行われていれば、伝統になり、その伝統が自慢になる。

 これを企業内イベントに置き換えて考えると、学べることがあると思います。そして、そのイベントに対する参加性が高ければ高いほど、参加した人たちの達成感は大きくなりますよね。学生時代の文化祭や体育祭と同じことです。ワタシが卒業した高校は、とてもお祭り好きの高校でしたが、主体的に参加すればするほど、達成感は味わえるし、傍観していれば半減します。当時のワタシ自身は、運動部での練習があったこともあって、主体的に参加するのと、傍観するのの中間ぐらいの立ち位置で参加していました。おもしろいのは、まったくの傍観者であった人でさえも、同じ高校の一員であることには誇りを抱いたりするのです。

 祭りを糸口にコミュニティに対する帰属意識が高まる。会社というコミュニティでも、同じようなことはなし得るのだろうと思いました。

池上本門寺(上)と龍安寺の「吾唯足知」(下)
 週末は、少し肌寒い天候でしたが、お花見に出かけた方も多かったのではないでしょうか。私も、友人宅を訪ね、池上本門寺の桜を見に行きました。
 4月8日はお釈迦様が生まれた日ということもあって、池上本門寺は花祭りを行っていました。以前から、仏教には多少興味があったのですが、年々きちんと本を読むなどして、仏教に触れてみたいという思いが強くなっていっている気がします。

 さて、話は前後しますが、1週間ほど前、グラスルーツの卒業生で今は3ミリデザインというデザインオフィスを立ち上げた望月さんに、あるプロジェクトのデザインを依頼する中で、仕事とは関係ない雑談になりました(メールで)。
 ワタシが、しゃちょーとして自分に何ができるのかとか、ワタシ自身が生きている意味ってなんだろうということは常に考え続けているということをポソッと書いたら、次のメールの中にこんなことが書かれていました。

「私は『吾唯足知』という言葉が好きでよく思い出すんですが、自分にはいろんなものが足りない、って思うんじゃなくて、今の自分が100%で、その今の自分で、何が出来るか考えなさい、みたいなことらしいです」

 テキストとしてこう書いてしまうと、生き方論の会話のようで、ちょっと重そうな感じがありますが、そんな感じではなくて、楽しい雑談でした。

 『吾唯足知』。ここで出て来たこの4文字、なんと読むかご存知ですか? 実はワタシも知らなかったので、教えてもらいました。「ワレ タダ タルヲ シル」とか、「ワレ タダ タルコトヲ シル」と読むらしいです。釈迦の遺言とも言われる『遺教経』(ゆいきようぎよう)の中に知足の心というのが書かれているそうですが、『吾唯足知』という言葉はむしろ龍安寺のつくばいに書かれている文字として広く知られているようです。「クチ」の文字を中心に置く形で4つの文字が、図案的に石に刻まれています。とてもクリエイティブですよね。暗号的ですらある。

 この『吾唯足知』。ネットで見かける解釈の多くは、「満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸である」というようなものです。要は「隣の芝生は青く見える」というようなことでしょうか。
 で、望月さんは、一般的には、経済的な豊かさと満足についての意味合いで受け止められている傾向があるけれど、それだけを言ってるものじゃない気がしていると書いてきました。

 釈迦の言葉だけでなく、あらゆる芸術もそうですが、解釈は発信者の意図とは別に自由に成り立ちます。発信者の狙いはあるのでしょうが、解釈を委ねる度量があるものほど、人々は惹き付けられますよね。
 ワタシも望月さんと同じように、この言葉の意味についてしばらく考えました。ワタシも望月さんと同じように、経済的豊かさと満足感ということ以上の意味があるのではないかと考えたからです。

 そして、ワタシが至った考えは;
「足ることを知る」とは、1)どうしたら自分が満足するのか、その理想像を知ることなのではないか。と、同時に、2)現在の自分の到達点(自分ができること、できていること)を知ることなのではないか。そのように考えました。理想像があって、そこに到達できていないありのままの自分を素直に受け入れて精進する。しかも、理想像は永久不滅のものではなく、自分が進歩すればさらに高い理想を描くので永久に到達できないものです。それを知りながらも、少しでも近づけるように謙虚に修行するというような意味なのかな?と、そんなふうに受け止めました。
 そうであるなら、2)の観点は「足らないことを知る」のではないというのが、とてもポジティブだな?と思います。できること、できていることを知れば、その差分でできていないことが自ずとわかるわけですが、最初からできていないことを考えるのと、できていることを知って、その差分でできていないことを知るのとでは意味が違う気がします。ありのままの状況や自分自身を素直に受け入れるという意味で。

 以上はあくまで解釈です。釈迦の真意はわかりません。でも、こうやって、意味を考えてみるだけでも、何か与えられたような気持ちになりますね。釈迦からも、望月さんからも。

 龍安寺のつくばい。たった4文字なのに、ここまで哲学的であること、そしてデザインとしての創造力、どちらにも敬意を表したいです。そのうち見に行きたいなと思います。
(写真上:池上本門寺、写真下:龍安寺のつくばいの文字「吾唯足知」)

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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