ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2009年9月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

 ワタシが20代の後半から30代のはじめに掛けてクライアントであった方から、かれこれ20年ぶりにお電話をいただき、昨日、再会しました。当時、外資系化粧品会社のエイボン・プロダクツは当社のクライアントのひとつで、私たちグラスルーツは、コーポレートコミュニケーションの一環であった「エイボン女性文化センター」の仕事(エイボン女性年度賞、エイボン・グループサポート、エイボン・タウンコンサートなど)をお手伝いさせていただいたのです。その方は女性なのですが、その後、退職され、現在はナチュラリープラスという企業の広報に携われていました。

 その方にお世話になった1990年前後の時代は、男女雇用機会均等法が施行された1985年からまだ数年。なつかしや、「キャリアウーマン」等という言葉が絶頂期だった時代です。因みに、映画「ワーキング・ガール」が公開されたのは、1988年です。

 うちの会社のスタッフも含めて、今の20代30代の人たちからは想像もできないと思いますが、女性がまっとうに活躍できるようになってから、まだそれほど長い時間は経っていないのです。

 当時は、現在言われるようなIT系ベンチャーはありません。女性が比較的男女格差なく働けたのは、少し極端に言うと、極一部の企業を除いて、マスコミ(特に雑誌)と外資系企業とPR会社ぐらいだと、当時のワタシは思っていました。ワタシは、PR会社の出身なので、PR会社を見る目についていえば、ややバイアスがかかっていたと思いますが。(たまたまワタシが独立前に所属していた会社が、男女格差がない会社だったのか、PR業界全体がそうだったのか、正直よくわかりません)。でも、全体としていえば、まだまだ格差のある時代だったことはまちがいありません。

 そんな時代に外資系クライアントの文化に触れ、女性が活躍しているのを見ると、当然、「すごいな」「日本の伝統的企業とは違うな」という感覚を抱きます。そしてまた、「これが当たり前でない日本は変だよなー」とも思ったりしました。

 でも、日本の企業、外資系企業という差もさることながら、女性世代間の違いというのもあります。ワタシの世代は狭間にあり、頑張って生きるのと、自然体で生きるのとの間の世代。肩パットが入った80年代ファッションは、「頑張って生きる時代」の象徴のようなものですね。自然体で仕事ができるようになってこそ、男女格差は真になくなったと言えると思うのですが、果たして今はどうなのでしょう?

 現在、「ダイバーシティ」という切り口で、再び格差のない社会が標榜されていますが、まだまだ伝統的日本企業は男性中心社会であるのかもしれません。でも、間違いなく進歩はしていますよね。30代の男女間の意識は驚くほど変わっていますもの。とてもニュートラルな関係になっていて、いいことだと思います。

 ここから10年の間に、今の30代が社会の中で発言力を高めていくはずです。そこから先どうなるか、それを見るのは楽しみです。
 一方で、ワタシが社員に望むのは、自分の会社を社会の常識だと思うな、ということ。自分たちの目盛りが中心なのではなく、クライアントの文化や歴史にリスペクトを払い、それを踏まえて仕事をしよう、ということ。自分軸と世の中軸の両方を持って仕事をしてもらいたいと思います。
 さて、今の30代が社会の中で発言力を高めていく頃、ワタシは、日本茶をすすりながら、新聞を読んで、後世の成り行きを見守っているのでしょうね。長生きできるように養生して、見届けたいと思います。
 

 20日と27日の2日間、NHKスペシャルで「ONの時代」という番組をやっていました。プロ野球界の2大巨星、長嶋さん・王さんへのロングインタビューを含めたドキュメンタリー番組でした。現役時代、監督時代を含めて、いろいろな後日談が取り上げられていて、とても感銘を受けました。

 まず、長嶋さんがあれだけのロングインタビューを受けたのは、倒れて以来、初めてだと思います。「いろんな意見があったけれど、自分は、自分の姿をファンに見てほしかった」と語ったその言葉は、まさに本心だったのだと思います。

 長嶋さんは、現役時代、自分が人知れず練習しているところをファンには見せなかったそうです。見せなかっただけでなく、自分がもがきながら練習していることを明かさなかったらしい。それは「プロは本番で魅せてなんぼ」という意識が徹底していたからです。

 この気持ちは、ワタシにもなんとなくわかります。プロ野球の超一流選手と、小さな会社の社長とでは、立場が違いすぎますけど、ワタシもどちらかといえば、「自分はがんばった」と自分の努力を内外にアピールするのは、社長たる者として違う気がしています。社長は、がんばったかどうかではなく、お客様に評価いただける組織をつくり、ちゃんと利益を出して、スタッフをきちんと処遇することが最大の仕事なので、どれだけ働こうが、どれだけ大変だろうが、それをアピールして内外の評価を得ようとするのは決してカッコいいものではないと感じます。もちろん、ワタシは長嶋さんほど影響力のある立場でもなく、人間ができていないので、あそこまでストイック(?)にそれを貫いてはいませんが、長嶋さんの気持ちの本質はなんとなく理解できました。(だいたいこんなことを書いている時点で、ワタシも頑張っていますけど、敢て言いませんよ、と書いているようで、返って憚られます)。

 そんなふうに人知れず練習している姿を見せなかった長嶋さんが、今、自分のリハビリの姿を見せ、インタビューに応じています。恐らく、長嶋さんにとって、取材を受けている時点で、それが「本番」を意味するのでしょう。リハビリの姿を通じて、人を魅せることを考えてさえいるような気がしました。実際、現在リハビリ中の多くの人々にとって、その姿にどれだけ勇気づけられたか、想像に難くはありません。

 もう1つ感動が甦って来たのは、長嶋さんが西本選手のひっそりとした引退試合に出向いていったことでした。温かいエピソードです。

 長嶋さんも王さんも、周囲が作り上げた自分のイメージの中で、それを壊さない生き方を選んできました。「滅私奉公」という言葉は、今の時代、とかく時代錯誤的なイメージがありますが、二人にとっては、それこそが自分がこの世に生まれてきた理由であると感じ取り、最後は滅私奉公的生き方が信念にさえなったのではないかと思います。

 先ほど「ストイック」という言葉を使いましたが、西本さんがいいことを言っていました。長嶋さんという人は、自分が楽しんでこそ、周りを楽しませることができると信じていたのではないか。そんな語りがありました。そうだとするなら、もしかしたらストイックであることを苦行と考えずに楽しんだ人であるのかもしれません。

 ストイックを楽しめる境地。目指したいけど、まだまだです。

NHKスペシャル番組サイト
第1回(2009年9月20日)
第2回(2009年9月27日)

 昨日、文楽の記事を書いたら、「今週末の歌舞伎座のチケットがあるのだけれど、行かないか」と誘われました。文楽といい、歌舞伎座といい、チケットを譲っていただくばかりのワタシって何なのでしょう? でも、申し訳ないという気持ちが半分、「ラッキ?!」という気持ちが半分。現金なものです。

 さて、今日は「色」の話です。
 昨日の文楽の記事で書き切れなかったのですが、国立劇場に行くたびに感じることがあります。それは、舞台の「幕」の美しさについてです。日本の伝統色の太いストライプ。その色彩を見るにつけ、ワタシの中に眠っていた日本的美意識が刺激され、「美しいなぁ。自分は日本人なのだなぁ」と感じます。教えられたわけでもないのに、知らないうちに「日本的な色彩」を感じるのですから。

 デザインに関わりのない人にとって、「伝統色ってナニ?」と思われるかもしれませんね。「ナニ?」という問いに対して、実はワタシも明快に答えられません。ネットで調べてみたのですが、やはり定義のようなものはわかりませんでした。

 デザイン系の仕事をしていると、まず思い出すのは「DIC」の色見本帳「日本の伝統色」です。652色の色見本チップが綴られています。DICからは、このほか「中国の伝統色」や「フランスの伝統色」といった見本帳が出されています。カラー印刷の場合はCMYK(シアン、マゼンダ、イエロー、黒)の4色の掛け合わせで色が印刷されますが、印刷にはカラー印刷の他に特色印刷というのがあります。「日本の伝統色」は特色印刷で使われる特色の一種なのですよね。
 で、この色見本帳を眺めていると、「日本の伝統色」はいかにも日本らしいですし、「フランスの」はフランスらしく、「中国の」はいかにも中国らしいのです。

 いずれも染色や伝統工芸品の色として古くから使われてきた色なのでしょう。
 では、その染色、工芸品の色とその名前はどこから来たのでしょう。動物や植物に由来する名前もあれば、染料の名前もあるようです。また、時代的にも、万葉の時代から江戸の時代、さらには明治期の発祥のものまで、幅があるようです。
 たとえば、私たちは「茜色」と聞くと、「夕暮れ時の空の色」をすぐ思い浮かべますが、空の色に「茜色」と名付けられたのではなく、赤い根っこを持つアカネという植物の名前の方が先にあったようです(不確か)。アカネは、染料植物でもあり、染料として取り出される色と空の色が似ていた。それで「茜色の空」というような形容が成り立つようになったのでしょう。でも、「茜」という文字は「草冠」に「西」。なんか、夕焼けを連想させる文字ですよね。ん?、どっちが先だったんだろう??

 「色の万華鏡」というサイトには、「色の日本史」というコラムがあり、古代から現代まで、色にまつわる雑学が紹介されていて、とても興味深いです。

 それにしても、古き日本の色名をつぶやくと、詩人(歌人?)のような気分に浸れるのはなぜでしょう。
 茜色(あかねいろ)
 紫苑色(しおんいろ)
 鳶色(とびいろ)
 浅葱色(あさぎいろ)
 亜麻色(あまいろ)
 朽葉色(くちばいろ)
 萌黄色(もえぎいろ)
 いずれも、とても優雅な響きのある言葉ですね。

 ついでに、「伊達」とか、「侘」「寂」とか、「鯔背」とか、「野暮」とか、そうした言葉の奥深さにも想いを馳せてしまいます。

 「日本」「美意識」で検索したら、こんなサイトが出て来ました。
 「nextmaruni」
 「微、並、気、間、秘、素、仮、破」というキーワードから、日本の美意識について、ひも解いていています。ワタシは「5. 隠すことで華麗にみえる/ “秘”」に共感しました。「美や感動の表現は主張することではなくそれを受け止める人のこころの中に生まれるように企てることだと考えている」という一節に。

 さて、今日は金曜日。週が開けると、いよいよシルバーウィーク気分でもいられません。鳩山さんもがんばっているようだし、ワタシもがんばろっと!
 

 こんにちは。小野です。
 シルバーウィークはいかがお過ごしでしたか。ワタシは、まとまったことはあまりできませんでしたが、チケットがあると誘われて文楽を見てきました。

 「鬼一法眼三略巻」(「きいちほうげんさんりゃくのまき」と読むのだそうです)という題目で、弁慶と牛若丸を中心とした話でした。文楽に行くのは2年ぶりぐらいなのですが、ストーリーのせいなのか、人形の動きのせいないのか、観るたびにとても引き込まれます。さすがに今回は泣きませんでしたが、前回などは涙が出て来たほどでした。

 ワタシは、文楽について語れるほど、見識は持っていませんが、馴染みがない人がまず思い浮かべるのは「話の内容がわかるだろうか?」という疑問ではないでしょうか。ワタシも最初はそう思いましたし、当初はガイド用のイヤホンを借りました。でも、プログラムにあるストーリーを予め読み、字幕を読めば、話の大筋は大抵わかります。

 洋画の字幕が現代語訳であるのに対して(当然ですよね)、文楽の字幕は唄っている通りに出るので、その分、多少のわかりにくさはあるものの、基本的には日本語ですからね、話の流れぐらいはわかるものです。ただ、字幕を読みすぎると、人形の動きがわからなくなるので、上手にバランスを取らないと字幕だけ見て来たなどということになりかねません。

 とかく伝統芸能はきっかけがないとなかなか観に行く機会が少ないもの。いつか行ってみたいと思いつつ、あっという間に年月が過ぎて行きます。

 でも、伝統芸能に限らず、ライブで行われる公演はあくまで1回限り。同じ公演は2度と見られないものなのですよね。しかも、ライブ感の問題だけではなく、マイケル・ジャクソンが急死したことによって、ロンドン公演がなくなってしまったように、人が演じるもの、奏するものは、永遠に観られるわけではありません。後で悔やんでも手遅れだからこそ、行けるときに、観ておきたいものです。(かくいうワタシは、今でもステファン・グラペリの来日公演に行かなかったことを後悔してます)。

 しかも、人的な問題だけではありません。たとえば、歌舞伎座は老朽化が進んだことから、来年4月の公演を最後に立て替えが予定されています。新しい劇場になれば、当然、空間的な情緒も変わってしまうでしょうから、立て替えの前にぜひ行きたいところですが、こんな駆け込み層も多いでしょうから、果たしてチケットが取れるかどうか…。

 ついつい抱く「いつでも行ける」という気持ち。でも、行って何を得られるか、何を感じるかは、行く時代、季節などによってまったく変わります。いつかヴェニスは水没し、いつのまにか上海は近代化し、草木のなかった鬼押出しには今や草木が生えています。「いつでも」と考えるのは、間違えの元なのかもしれませんね。

20090915-IdeaDumping.jpgこんにちは。グラスルーツの小野です。

 今日は、一昨日予告したのに見送ってしまった「アイデア・ダンプ」(著:<中山マコト、刊:中経出版)という本を紹介します。この本は、グラスルーツの元スタッフが教えてくれた本です。「企画」を学ぶ上での参考になった、と。

 この本は、わずか100ページにも満たない薄い本なので、アマゾンのレビューなどでも「買おうか、どうしようか、迷った」などと書かれています。いわゆるアイデアを出すための、脳トレ的な内容であるのは確かですが、一昨日、ご紹介した書籍「デザイン思考の仕事術」</a>とも通じる考え方に溢れています。つまり、対象の本質に対してどのようにアプローチすべきかのヒントを与えてくれます。

 ユーザ像を描くために、徹底的にその生活シーンを想像し、ユーザの気持ちを何十、何百のメモとして書き出すあたりは、「ペルソナ」をつくる考え方に近いものがあります。また、そうやって書き出した項目をグループ化する辺りは、「KJ法」と似ています。

 「ダンプ(dump)」というのは、「(車からごみなどを)どさっと落す」「吐き出す」というような意味だそうです。
 そして、そのタイトル通り、この本は、たくさんのアイデアをいかにして吐き出すかの方法論を紹介するという形をとっていますが、実は、その方法論以上に、上に書いたようなアプローチに関する考え方そのものの方が、より重要ではないかと思いました。
 中山さんのやり方の特長は、いきなりアイデアを出すのではなく、メインテーマのアイデアダンプの前に、「誰に」「どのようなメリットや解決方法を提示するのか」、それを明確にするためのダンプを行っている点です。
 一昨日、「丁寧に仕事をする」という理想を追求したくても追求しにくい環境にあるという現実に対して、いかにコンパクトに理想のエッセンスを仕事に取り入れるかが重要ではないかと書きましたが、まさにこれはその実践例であると思いました。

 また、おとといご紹介した「デザイン思考の仕事術」はグループワークのお手本でしたが、今日ご紹介する「アイデア・ダンプ」はむしろ一人で企画立案しなければならないときに、どうやって臨むかの好事例です。

 丁寧な仕事のやり方は、ほかにもいろいろあるかと思います。自分なりのやり方を見つけ出すことが大切なのですね。そして、それが組織だって行われたときに、それは強力なパワーになる。2冊の本を通じて、そんなことを考えさせられました。

 ではまた

 こんにちは。グラスルーツの小野です。

 昨日、「明日は『アイデア・ダンプ』という本を紹介する」と予告しましたが、ちょっと気が変わりました。今日は「理念と数字」について書きます。

 昨晩、民主党鳩山内閣の閣僚の記者会見が行われました。それぞれ、各省庁のトップであり、リーダーの会見ですから、ワタシは国民目線でテレビ中継を観た一方で、リーダー像という視点でテレビを観ていました。

 ある程度、顔と名前が知られている著名な政治家の会見から始まりましたが、段々、顔は知っているけれど名前は知らない、顔も名前もよく知らない政治家になっていき、知名度のグラデーションを感じました。

 ワタシは、サッカーファンではないので、違っていたらごめんなさい。2006年のワールドカップの後でしょうか? 日本代表の顔ぶれが大幅に変わったことがありましたよね? 知っている選手は数えるほどになって、ちょっとした戸惑いがありました。その感じに似ていますね。頑張ってほしいんだけれど、「誰だっけ、この人?」みたいな。

 話を戻しましょう。民主党の新内閣。各大臣が、総理大臣から自分に渡されたミッションについて語っていました。つまりは、ミッションが文書化され、渡されたわけです。こういった文書は、今までもあったんでしょうか? あまり新内閣の会見で、このようなシーンはなかったように思いました。それが、少々新鮮でした。

 各大臣とも、みんなそれなりにソツなく会見していました。けれど、「ソツがない」と、「わかりやすい」「印象に残る」というのは別のことです。
 小沢さんから就任が反対されていたとされる財務大臣の藤井さん、会見の内容がわかりやすかったですね。極端に言えば、菅さんや岡田さんより、ポイントを押さえていて明瞭でした。突然聞かれたことに対しても、予め用意した言葉ではないのに、自分が昔、大蔵省に入省したときに先輩から言われた言葉を引用するなどして、言葉がアクティブになり、重みが増しました。アドリブの成せるワザです。

 様々な大臣の会見を観ながら思ったのは、リーダーは「数字的裏付けよりも理念を語ること」がいかに大切か、ということ。そして、その次に大切なのが「数字的裏付け」です。
 財務大臣の藤井さんは「福祉経済」ということを言いました。これは理念です。理念自体には共感するものがありましたが、数字については、未知数です。それでも「これをバラマキと言う人もいるが、これはバラマキではない」と言い切る姿を見ると、裏付けがまだ明瞭にわからなくても、国民の一人としては「そうなのかな?」と耳を傾けたくなります。
 つまりは、そのぐらい、まずは理念が大切だということなのかもしれません。けれど、自信を持って藤井さんが理念を語っているのも、恐らくはある程度、数字的裏付けを持っているからなのだと思います。そうでなければ、ただのほら吹きですからね。

 リーダーは主張も必要。聞く耳も必要。そのバランスをどう取るか、リーダーの力量はその辺りで分かれるのかもしれません。
 そういう視点で、ちょっと自分自身を戒めてみたのでありました。

 明日は、今日、見送ってしまった「アイデア・ダンプ」という本について、紹介します。ではまた

 こんにちは、グラスルーツ小野です。

 さて。。。。
 最近、読むべき本が貯まっています。大多数の本は人から推薦された本です。「人は人に本を薦める」。そうやって、知識見識は広まって行くんだな、と痛感します。

 さて、ここでご紹介する本も、やはり人から薦められた本です。ちょうど読み終えたので、ご紹介します。

20090915-DesignThinking.jpgデザイン思考の仕事術」(著:棚橋弘季、刊:日本実業出版社)

 この本は、<a href="http://www.gift-for.co.jp" target="_blank">ギフト</a>の平岡さんから教えていただいた本になります。読む前に、平岡さんから「グラスルーツの仕事のスタイルに近い内容なのでは?」と言われていたのですが、ワタシの読後感想も同じようなものでした。本質はとても近いな、と。
 あ、ごめんなさい。これじゃ、どんな本なのかがわかりませんよね。かいつまんで書きます。

 この本は、そうですね。要約が難しいな。。。
 モノ作りを含めたデザインの仕事や広く仕事全般(特に企画)の進め方に関する新たなアプローチを提示した本で、ユーザ視点でのモノの作り方やプロジェクトの進め方を提唱しています。もう少し具体的に言うと、「エスノグラフィ」という考え方を重んじ、グループワークの重要性やそれを行うための方法論(KJ法やペルソナなど)を提示している本だと言えます。エスノグラフィというのは、文化人類学における観察手法に端を発するもので、観察を重視し、観察を通じて人となりや生活をより深く理解しようという考え方です。
 「ユーザ視点でのモノの作り方」と聞いても、あまり新鮮に感じない方も多いと思います。同じような旗印は、これまでもあったような気がするからです。

 ところが、今までの「ユーザ視点」とこの本に書かれている「ユーザ視点」のどこが違うかと言えば、ワタシの解釈では「本気度の違い」です。この本に書かれているように進めるのは、ホント、大変ですからね。とても丁寧な仕事の仕方ですし、その分、当然時間がかかります。ところが、アメリカでは既にそういった動きがあるらしい。本気でやるなら、ここまでやるべきだよねーというような合意ができつつあるのが、アメリカのすごいところです。

 本書の著者は、マーケティングリサーチやコンサルティングサービスを提供している「IDEO」(株式会社イード)に在籍する棚橋弘季氏。人間中心設計の専門家です。

 ところが、ここまでノウハウが公開されていても、こういった姿勢が重んじられるようになるには、まだまだ時間がかかるような気がします。
 「担当者はやりたいと思っても、会社の理解が得られない」という問題と、「やりたいと思っている企業も担当者もまだ少ない」という問題があるからです。
 棚橋さんは、丁寧なモノづくり姿勢、仕事姿勢を世の中に広めるために、この本を書いたのかもしれません。とても共感する考え方です。

 この本について、ただ1点残念なのは、タイトルですね。内容を読む限り、これは「デザイン思考の仕事術」と言うよりも、「ユーザ指向の企画術」と言われる方が意味としてはわかりやすいです。「ユーザ指向」ではあまりキャッチーではありませんが。
 「デザインとは、人間自身の生活、生き方、そして、生命としてのあり方を提案する仕事」「物に意味を与える仕事」と捉える棚橋さんは、マーケティング戦略を考えるのも、業務プロセスを改善するのも「デザイン」であると語っていますので、その文脈ではまさに「デザイン思考」なのだと思いますが、多くの人は「デザイン=絵を起こす作業」と思っていますよね。「デザイン思考」というタイトルであると、「デザイン? 関係ないや」と思われるなど、読者を狭めてしまう可能性を感じました。

 さて。
 実際、この本はワタシが理想とする企画へのアプローチととても近いのですが、先ほども書いたように、現実はそう簡単ではありません。残念ながら、ここまでじっくり時間をかけたいと思っているクライアントは多くないからです。プランから実行までの期間は短いですし、プラニングにかけられる時間もあまりないのが実態ではないでしょうか。どの現場もバタバタと追いたてられるように仕事をせざるを得ない状況にあるのだと思います。「急がばまわれ」と思っても、やはり現場としては急がないわけにいかない、そんな現実があります。
 ですから、今は、理想を描いた上で、そのエッセンスをどこまでコンパクトに取り入れられるかが重要ではないかと思っています。少なくても、私たちはそのような視点で仕事をしています。

 明日は別の本を紹介します。<a href="http://www.amazon.co.jp/多発発想-アイデア・ダンプ-中山-マコト/dp/4806128120" target="_blank">「アイデア・ダンプ」</a>。グループワークとは異なるアプローチですが、本質は今回ご紹介した「デザイン思考の仕事術」と似ている面があります。ではまた

 こんにちは。小野です。

 さて、今日は、イチロー選手200安打達成を書こうかどうしようか、迷ったのですが、イチロー選手の話題はやめて、「今の自民党に何が必要か」について書きます。
(おめでとう! イチロー選手!)

 「今の自民党に何が必要か」。ワタシの答えは「ブランディング」です。それも、特にインナーブランディングが不可欠かつ急務だと思います。
 今夜のNHKの番組に総裁選に立候補予定の谷垣さんが出ていました。気になったのは、「鳩山さん(? 比較相手は麻生さん?ではなかったと思いますがうる覚えです)と自分と、どこが違うかはわからないけれど…」というようなことを語っていた点。相手が鳩山さんでも、麻生さんでもいいのですが、どこが違うかわからないというのは、ブランディングができていないということを言ってしまったようなもの。まずは、「ここが違う」と言えるようにならなければ、自民党の改革はダメだと思います。二大政党が機能するためには、自民党のがんばりは不可欠なので、ちゃんとその辺を明らかにしてほしいと思います。

 自民党は今回の選挙で結党以来の大敗北をし、野党になりました。
 政党に限らず、どんな世界のどんな組織でも、実は定期的に人間ドックに入って、自己点検をする必要があります。ところが、政権交替がなかったために、自民党は人間ドックに入らないまま、走り続けてしまったのですね。ありがちなことです。

 当社では、様々な企業からネット経由でお問い合わせをいただきますが、その中には「ブランド戦略」関係のご相談があります(なぜか最近増えています)。つまり「自分たちは自社のブランディングの必要性を感じており、協力会社を探している」というご相談なのですが、それはある意味、自浄作用が働いている状態にあります。自分たちで人間ドックに入って、自分たちを立て直そうという意識が働いている分、後手後手にならずにすみます。良いことです。
 ブランディングの必要性を感じている段階は、モヤモヤとして気持ちが悪いと思いますが、自浄作用があるのだと自負して、やり抜くことが重要です。

 最近のご相談を通じて感じることのひとつは、やはり10年、いや20年ぐらい継続してくるとブランドパワーはどうしても落ちがちであるということ。ブランド力が低下するのは自社の問題もありますが、外部環境が変化することも大いに関係があります。
 「ブランド」という言葉を使わなくても、これは説明できます。環境が変われば、ニーズも変わるし、市場におけるプレーヤーも変わってきます。10年前は他社とは違うポジションにあったのに、今は他社も追随してきて違いがわからなくなってしまった…そんなことはいくらでもあることです。つまりは、環境への適合が必要なのですね。
 かつて、恐竜は環境に適合できずに滅びました。滅びないためには、環境に適合するための策が必要だということになります。
 市場の中で、ブランドパワーが落ちていることを早めに自覚し、早めに手を打つことが肝心なのですが、それを怠ると、いつか自民党のような大敗北になります。

 そして、これは内部だけで乗り越えるのはなかなか難しい面があります。
 実は当社もこの秋で創立25年を向かえます。環境変化への適合が必要な時期にあると感じています。そこで、現在、外部のチカラを得て、次のステップへの内部固めを行っています。具体的には外部コンサルの協力を得て、社内でディスカッションをしているのですが、外部の視点が入る良さは、俯瞰して見ることができる点です。自分たちのことに関して、自分たちだけでやろうとすると、どうしても鳥の目を持つことがむずかしい。
 もちろん経営者としては、両面の想いがあります。お金をかけずに済むことなら、かけずに済ませたい。でもね、重要性を考えたら、やはりここはお金を使おうと思うわけです。要するに、本気だからです。本気か、どうか。これは、ブランディングでは、とても重要ですね。

 なんだか、書きたいことがわからなくなってきました。
 ポイントは、「手遅れになる前に、早めに人間ドックへ!」です。そうすれば、大手術をしなくてもすみますからねー!
 では、また。

 昨日、以前、仕事をご依頼いただいた(株)コミットメンツの社長:羽方康さんから、(株)マイクロメイツの社長を兼任することになったという挨拶状をいただきました。コミットメンツはキャリアコンサルティングの会社で、2年ほど前にコーポレートサイトの企画制作をさせていただきました。
 メールでお返事したのはもちろんですが、久々にブログなども読ませていただきました。そこに、ワタシにとって、参考になる話が書かれていたので、お裾分けします。ちなみに羽方さんは、アクセンチュアのご出身なのですが、その記事のタイトルは「アクセンチュアOBの悩み」

 内容を要約すると、コンサルティングファームの中では、上司が部下に、先輩が後輩に、「なぜだ? なぜだ?」と聞くことが多いようなのですが、それがどうやら不評を買っている、という話です。

 実は、これについては、ワタシ自身思い当たるところがあります。「そう言われると、詰問されていると感じる」と大分以前にうちにスタッフから指摘されたことがありました。
 もちろん、それは距離感の問題もあります。ワタシのことをよく知ってしまえば、そんなふうに重くは受け止めずに、場合によっては(たとえば面倒だと思ったときなどは)、適当にいなしてくれますが、入社したての新人だったりすると、やはりこちらはまがりなりにも社長ですから、重く感じてしまうことがあるようです。
 こういった傾向は、多少仕事柄も影響していて、本質的なことについて、ついつい突っ込みたくなるというのもあるとは思います。でも、実際には、単なる知りたがり、聞きたがりなだけだったり。あるいは、その人の考え方の結論だけでなく道筋も知りたいからだったり、なのですが。

 というのは、これは社長になったから「なぜ?」と聞くようになったというよりも、20代の頃も上司に対して「なぜだ? なぜだ?」と聞いていて、あるとき、上司から「オノさんと話していると、疲れる。なぜだ?と聞き過ぎだ」と言われたことを覚えているからです。そういう意味では、なかなか性向というのは変わらないのかもしれません。

 それにしても、社長業やコンサルタント業の人たちは、なぜ「なぜだ? なぜだ?」となるんでしょう? って、ほら、またそうなってる。多分、ほとんどの人は誰も相手をやりこめようとなんて考えていないと思います。物事の理解の仕方として因果関係を含めてつかみたいという指向の人が多いからなのでしょうか。

 で、参考になったというのは、こちらの記事。羽方さんも別の社長に教わったそうですが、「なぜ?」と聞かずに、「ちょっと教えてくれる?」と言えば、相手に対して無用なプレッシャーを与えずにすむ、と。これには「なるほど!」と思いました。
 たかが言い方。されど言い方。勉強になりました。
 

 「あまりに前向きで、熱すぎるのは馴染めない」。
 これは、当社の元社員が、あるビジネス関連の学校に通った感想として数カ月前にワタシに語った言葉です。

 その学校には、さまざまな企業から、主として社長が教えに来ていたのですが、想像も含めて言うと、「自分はこうやってがんばってきた、君たちもがんばれ!」というような講演が多かったのではないかと思います。若い人たちに教える立場に立たされたら、ある意味、そうなるのは自然だと思いますが、彼としては、そういう熱すぎる講演に馴染めなかったのでしょう。

 実は、その感覚、彼ほどではないにしても、ワタシも多少わかります。
 ワタシの場合は理由は2つあって、1つはあまり押し付けられる感じは好きじゃないこと。説教はしたくもないし、されたくもない、というような感覚に由来するものです。考える材料を示されるのは好きなのですが…。
 で、もう1つはただ単にノリの問題で、あまりストレートな熱血、ストレートな体育会、ただただ「オー!」みたいなストレートな感覚が好きじゃないからだと思います。(これについては、やや屈折していて、ある意味、ワタシ自身、体育会っぽいところはあるのですが)。

 ま、それは置いておいて…。
 最近、2人の作家の本を斜め読みしながら、彼の言った言葉を思い出しました。

 1つは目下大人気の勝間和代氏著「ビジネス頭を創る7つのフレームワーク」、もう1つは、香山リカ氏の「しがみつかない生き方」です。
 後者は、少し前まで「勝間和代を目指さない」というようなキャッチコピー&帯で話題になっていたようですが、勝間さん(あるいは出版社)からクレームがあったのか(どうかは知りませんが)、ワタシが買ったときの帯のコピーは別のものになっていました。
 これまで、勝間さんの本は、売れていると知りながら、恥ずかしながら、目にしたことはありませんでした。
 勝間さんは、今の時代の超人気作家であり、香山さんは20年近くコンスタントに物を書き、それなりの存在感を示し続けて来た人です。

 とても興味深いのは、世代の異なる両者の価値観がまったく両極端にある点でした。
 勝間さんは、ご自分の体験にもとづく成功の法則のようなものを読者に分け与えたいという想いからでしょうか、本当に惜しみなく自分のハウツーを紹介しています。
 一方、精神科医の香山さんは、成功できる幻想を抱いて逆にダメになっていく人を医師として看ているからか、元々ご自身がそういう方だからなのか、「誰もがみんな、成功を目指す必要なんてないのではないでしょうか?」というニュアンスで、ハウツーやあるべき論というよりも、生きる上での「視点」のようなものを提示しています。そして、実際、そのような視点から、第10章は「勝間和代を目指さない」という内容の章になっています。(ワタシの印象では、タイトルはキャッチーですが、勝間批判というほど辛辣なことは書かれていません)。

 しかし、これは、ワタシにとってはおもしろい発見でした。なぜかといえば、香山さんはワタシとほぼ同年代のバブル世代。勝間さんの方ははるかに若い世代です。バブル世代が「成功」を云々するなら、わかるのですが、若い勝間さんが、バブル世代のようなことを言っている。そして、反対にバブル世代の香山さんが、そこを突いています。これは、とても不思議な現象だと思いました。

 そして、ワタシは、これはポストバブル世代、プレバブル世代というようなことではなく、もしかしたら、信長や秀吉の時代からあったことなのではないかと思いました。天地人を観ながら(笑)。つまり世代を超えて、ここは二極化しているのかもしれない、と。片や、自分の中にある、ある価値観を重視する絶対基準の人。片や他人と自分を比較して自分を位置づける相対基準の人。

 勝間ファンは、とても多いようですね。前向きに熱く生きれば、彼女と同じように道が開けるのではないかという気持ちになる人は少なくないのだろうと思います。
 でも、冒頭に書いたような「あまりに前向きで、熱すぎるのは馴染めない」人もやはり世の中にはいて、そういう人は、むしろ香山さんの考え方に共感するような気がします。

 ワタシ自身は、押し付けられ嫌いなので、視点提示型の香山さんのような本の方にどちらかといえば好感を持ちますが、ワタシの周りから聞いていた印象より、勝間さんの本は内容があると感じました。でも、あの生き方を実践しようとしたら、疲労してしまうので、やりたいとは思いませんでした。(合理主義すぎて、あれでは疲れちゃいます。少なくてもワタシは…)。

 書物というのは、つき合い方が大事ですね。100%鵜呑みにせずに、ある程度の距離を持って考えるゆとりがあるのが理想です。ではまた

 最近、20代の人と話すたびに思うことがあります。本当はキラキラ輝いているのに、案外本人はそれに気づいていないものだな、と。そして、気づいていないからこそ、より一層美しく輝いて見えるのだなー、と。
 もちろん、20代であるというだけで、みんながみんな同じわけではありませんが、しばしばそう感じます。

 20代…。
 いったい、何なのでしょうか。孔子は論語の中で「四十にして惑わず」と書きましたが、20代は惑いのまっただ中。惑っていない方が気持ち悪い。
 昨日、「酒井法子容疑者には自分基準の美意識がなかったのだろう」と書きましたが、20代はその形成過程なので、むしろ確たるものがないのは普通のことでしょう。
 惑っているのに、なぜか輝いて見えるのは、むしろその葛藤があるからこそだと思います。そんな彼らの葛藤が端で見ているワタシに伝わってくるから、自分の20代の頃を思い出してノスタルジーとして懐かしいし、うらやましくもある。だから輝いて見えるのでしょうね。葛藤って、エネルギー備蓄のようなものですもの。

 惑いのまっただ中にいてもいいのが20代。惑ってる場合ではないぞと思わざるを得なくなろのが、その後の大人世代。明るい30代のためには、20代は惑った方がいいのかもしれませんね。

 昨日、グラスルーツ卒業生Y君が、本を貸してくれました。スープストックの創業者である遠山正道氏の「スープで、いきます」という本です。彼も20代。良い30代になりそうな気がしました。

 おはようございます。グラスルーツ小野です。

 のりピーこと、酒井法子容疑者の問題が世間を騒がせています。
 テレビで、黒鉄ヒロシが、こんなことを語っていて、ある意味、もっともだと思いました。
 芸能人の役割の一つは世の中の人々に活力を与えるということがあるが、酒井法子容疑者の覚せい剤問題は、むしろマイナスの活力を与えた。政権交替が行われるという重要なこの時期に、マスコミはマイナスの情報を追いかけることに時間を使ってきたが、負の情報を追いかけるのはいい加減やめにして、もっと有意義なことに時間を使うべきだ、と、そんな意見でした。

 人の裏と表。それがわかってしまう空しさ。裏のある人を非難したくなる群衆心理。そんな構造の中で、マスコミは「みんなが興味があるから」とこの問題を取り上げてきたのだと思います。

 誰しも、多かれ少なかれ、表と裏はあるはずです。ワタシ自身、自分のすべてをさらけ出して、誰とでも接しているかといえば、そんなことはありません。自分の本音や行動をどこまで他人に出すか、公に出すかは、人それぞれの考え方によって違うはずですが、自分の人格の根幹に関することで、裏と表があるのはイヤですね。たとえば、ウソはつかないということを信条だと語っていた人が、実はウソの固まりだったというようなことは、ただ単純にカッコ悪いだけですから。

 と、いうことは、ダメな自分を覆い隠して美しい自分を誇張してしまうと、自分の首を絞めるのかもしれません。かといって、ダメな自分を誇張するのも、単なる露悪症であって、それはそれでどうかと思います。要はバランスなのでしょうか。

 誰だって、人から「あの人はいい人だ」と思われたいものです。「そんなこと、気にしてません」とクチでは言う人はいるかもしれませんが、むしろあまり信用できませんよね。ワタシも、気にします。部下からどう思われているか、社外のいろんな人から自分がどう思われているか。でも、だからといって、いい人と思われたい一心に自分の言動を決めることはしません。
 他人基準ではなく、自分基準の美意識や行動基準みたいなものがあるかどうかは、信頼関係を築く上で結構大切な気がします。

 しかも、自分基準の美意識を持っていたとしても、その美意識と自分の言動が常に一致するとは限らないので、「あ、はずれたことをやっちゃった」と気づくこともあります。そしたら、もう、謝るしかないですよ。ごまかそうとしたって、ごまかし切れませんから。恥ずかしながら、ワタシも何度も謝ってきました。特に、社内に。
 謝ればすむというわけではありません。でも、謝ることによって、関係性がクリアになり、またさらに厳しい関係性の中に自分を置くことになります。少なくても、そうすることで、自分の中にまた緊張感が生まれ、厳しい基準で自分を眺めることができます。「ひとりPDCA」です。

 その意味で、酒井容疑者は他人基準の美意識はあっても、自分基準の美意識がなかったのかもしれません。
 この問題は、見る方向によって見え方が変わってきます。単なる芸能ゴシップネタではなく、自分形成の一つのサンプルと見ることもできます。どんな自分でありたいか。どうすれば、二重人格にならなくて済むか。深いですね。自分なりの考察をして、そろそろこの話題には終止符を打ちたいところですね。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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