ブランディング、コミュニケーション、チームワーク…。週1回の社長ブログです

ブログ:2008年3月

社長の脳みそ整理mono-log モノログ

ある人から、自分が読んでおもしろかった本としてコーチングに関する1冊の本を薦められました。というか、貸していただきました。彼女も外資系企業でこれまでマネージメントに携わっており、マネージメント能力はワタシなんぞよりはるかに上と日頃感じていただけに、これは読まないとダメでしょ、と思った次第。タイトルは「やる気のコーチング」(菅原裕子著)です。借りたばかりなので、実はまだよく読んでいません。でも、彼女の「ここがおもしろかった」というページについては、さっくりながらもその場で目を通し、少なくても刺激を受けました。

目を留めたのは、ビジョンを伝えるときの伝え方として「今夜はカレーを作ろう」と語るこべきとの重要性について書かれていた点です。「カレーを作る」と言うことが予めわかっていて、肉を買いに行かされるのと、ただ単に「肉を買って来い」と言われるのとでは、実際に買い物に行った人が取る行動が違ってくる、ということが書かれていました。
確かに、カレーを作るとわかっていれば、「肉を買って来い」とだけ言われるよりも、仮にそれが調達できない場合の対応の仕方は違ってくると思います。少なくても肉の代用品として「アジの開き」を買ってしまうことはなくなるでしょう。しかし、カレーを作ることが示されていなければ、動物性タンパク質なら代用できると考えてしまって、「アジの開き」を買ってしまってもおかしくはありません。
そういう意味で、「今夜はカレーを作ろう」という伝え方を重視した組織であること、これは元気のいい組織を作る上で不可欠に違いありません。

しかし、「今夜はカレーを作ろう」ですべてが解決できるかというと、疑問もあります。実際、コミュニケーションを重視しようという姿勢を持つ経営者の多くは、「今夜はカレーをつくろう」という視点で話をしている。そして、にもかかわらず、「伝わらない」ということが起きているような気がします。なぜでしょう?

まず第一に、作るものが「カレー」ならいいのです。みんなが食べたことがありますから。でも、たとえば「最近ニューヨークで流行っている、コレステロールゼロの◯◯という食べ物を作ろう」となったら、どうか? 誰も食べた経験がないものがビジョンになるということは、いくらでもありえます。

第二に、作るものがカレーであることはわかったとしても、「なぜ今日カレーなのか」ということが理解できて初めて「自分の買い物の意味」がわかってくる。ところが、「なぜ」が説明されていないと、「なんでハンバーグではなくカレーなんだ」と思ったり、「また今夜もカレー?」と思ったりするのが人情というものでしょう。

いずれの場合も、組織の中では、「一度説明したからわかっているはず」と考えるのは誤りだと思います。ビジョンを伝えるには、根気が必要。これは、私たちの会社のような小さな企業でさえ思うことですから、ましてや大企業になればなるほど、ビジョンを伝えるための根気はより一層必要なのだろうと思います。
これから作ろうとしているものが何であり、なぜそれを作るのか、まずはインナーに対して伝えていく努力をしていきたいものですね。
 

こんにちは、グラスルーツの小野です。

毎年、3月は世の中全体が期末ということもあって、社内のマンパワーが不足がちになるせいか、社長のワタシもプレイヤー比率が高まります。

ワタシはAll About Profileでも記事を書いていますが、同業の経営者の方たちはやはりほんのりプレイヤーの匂いがして、親しみを覚えます。また一方で、恐らく営業の達人なのだろうなという方に出くわすと、その才能に羨望の眼差しを送っています。現場プレイヤーでもある各社の社長の皆さんは、名刺の肩書きには何と書いていらっしゃるのでしょう? ワタシの場合は、ただ単に「代表取締役」です。「◯◯コンサルタント」「プロデューサー」と併記されている方も少なくないように思います。

正直なところ、ワタシの今の名刺の肩書きは吟味して選択したものだとはいえません。本当は、吟味が必要なんですよね。

ワタシがプレイヤーとして仕事をするとき、やっている業務はほぼコンサルティングです。それでも、コンサルタントと名乗るのには、ちょっとした抵抗感があります。これはまったくもって、ただの先入観なのですが、コンサルタントという言葉は、どうも「先生」という言葉を連想してしまい、自分のアイデンティティにそぐわないのです。
 30代の頃、名刺には「代表取締役/ディレクター」と書いていた時期があります。少なくても「ディレクター」の方がまだ落ち着きます。助言をする専門家よりも、最終的なアウトプットに対して責任を負う方が性に合っているからでしょうか。こうも言えます。そもそもブランディングというのは、戦略とクリエイティブの二足のわらじの世界です。上流で自分を表現し、下流で表現しないのは、何かこう尻切れとんぼのような、落ち着かない気分になるのです。

 それでも、「やっぱり、今やっている仕事はコンサルだよなー」と思うとき、次に名刺が切れたときこそ、ちゃんと吟味しようと思います。けれど、そうやって、もう何年も過ぎてしまいました。
 

 ヤセっぽっちで、小柄なワタシですが、実は、学生時代は体育会にいました。やっていたのは、ハンドボールです。ハンドボールは、先日の国際試合での再試合問題や、宮崎大輔選手人気で、最近ようやく少しは日の目を見ているようですが、ずっと長いことマイナーなスポーツでした。マイナーなだけならまだしもなのですが、「格闘技系の球技」などと揶揄されることもしばしば。でも、それは誤解です。ハンドボールの面白さは語り切れません。やっていた者として言えば、あのアクロバチックかつ知性を問われるおもしろさ(それはすなわち難しさでもあるんですけど)は、いくら語っても語り切れないものがあります。あ、一応強調しておきますが、ワタシはあの切れ長の目を持つ宮崎選手の大ファンです!

 そんな学生時代があって、今年、しばらくぶりにかつてのメンバーと再会しました。今年はいよいよウン十歳なので、1泊で箱根の温泉旅行に行こう!と。当時キャプテンをやっていた手前、一応、ワタクシ、幹事でした。

 かつてコーチをしてくれた恩師(今では教授)も招いて、同期7名中5名が参加し、いざ決行! ワタシが所属していた学校は「ごきげんよう」と言ったりする、世間的に言えばヤワな学校でしたが、それでも今回温泉旅行に行って痛感したことがありました。それを一言で言うと、「やっぱり体育会系」ってことです。

 とても、気持ちが良かった。世間的に言うと、「体育会系」と聞くと、上級生が下級生を理不尽にアゴで使うようなイメージがあるかもしれません。でも、ワタシが育った体育会というのは、まったくそういうものとはかけ離れており、とても合理的で、先輩と後輩はとても仲が良く、むしろ勝つことに対して厳しく、メリハリのある組織運用がなされていました。
 入部当時、恩師から言われたことを今でもはっきり覚えています。『「ファイト!」「オー!」と言ってるヒマがあったら、その声はコミュケーションに使え』と。『「ファイト!」「オー!」というような精神性を重んじているのは日本だだけ』と。 
また、こうも言われました。『ハンドボールは粗野なスポーツのように思われているけれど、粗野なスポーツではない。だからこそ、それにふさわしい行動を取ることが大事』と。
  と、いうわけで、ワタシたちは世間が抱くハンドボールのイメージに反発を覚えながらも、ハンドボールのおもしろさを満喫することができたわけです。そして、そのおかげで、後輩が先輩に気働きをしても、誰も「させられている」と思っていない。それが、ワタシが所属していた部の特徴でした。

 よくある意見に、人と人が親しくなれるのは、上下関係を意識しないからこそだ、というものがありますが、ワタシはそうは思いません。上下関係を意識しても、上下関係と信頼関係、上下関係と近親関係は無関係であり、本来、比例関係にはないと思います。具体的には、たとえ敬語を使う間柄であろうとも、それを理由に親しい関係が築けないのはおかしいと思うのです。ところが、今どきの風潮だと、必ずしもそう捉える人は多くないようです。これは、とても狭い考え方で、残念な風潮だと思います。

 さて、温泉旅館に辿り着いたワタシたちは、恩師であろうとも、基本は無礼講。でも、お茶を注ぐなどの一般的なことは、みんなが極々自然に恩師に気を配ってました。これは、とっても見ていて気持ちのいいことです。

 ワタシは、ビジネスにおいて、あまりに単純な年功序列主義に偏ることには疑問を持つ一人ですが、年配者に対して敬意を表する態度を取ったり、マナーを大切にすることは必要な感覚だと思っています。それは、もしかしたら、インターナショナルな感覚ではなく、アジア的な(儒教的な)感覚に基づくものなのかもしれませんが、それで何で悪いんだ!?と思います。
 グラスルーツは今、汗臭い理不尽な体育会系ではなく、「美しい!体育会系」に向かって、まっしぐら。現スタッフと、その価値観を共有していきたいと思っています。

 先週の水曜日、ある企業のコンペに参加し、プレゼンテーションをさせていただきました。もともとのきっかけは、サイトを見てのお問い合わせに始まります。プレゼンのテーマ、すなわち求められた提案は、現サイトのリニューアルについてでした。

 担当したのは、弊社の女性ディレクターのNさん。翌日、先方の担当者の方との電話でのやりとりで、「短期間にここまで考えてくれて、愛を感じた」とのコメントをいただけたと喜んでいました。正式に採用が決定した段階ではありませんが、担当者としても、会社としても、こういったコメントをいただけるのは一番やりがいを感じられる瞬間です。

 実は、1年ぐらい前に、Nさんがワタシにこんなことを言ったことがありました。
 「もし自分がクライアント側にいたとして、グラスルーツの企画書を読んだら、愛を感じると思うんですよ。ここまで真剣に考える会社はそうそうないと思いませんか?」と。うぬぼれと言われてしまえばそれまでですが、そのぐらい真剣に、プライドを持って企画書を書いていることは事実です。そんな経緯があったので、実際に「愛を感じた」というコメントをいただいて、ワタシもNさんもうれしいような、逆に照れくさいような、でもやっぱりうれしいような、複雑な心境に陥りました。

 愛を感じさせる企画書って何なのでしょう? ワタシは、一言でいえば、他の企画書の焼き直しではなく、その企業の状況を踏まえて、その企業のためのオリジナルの企画書を一生懸命つくることだと思います。クライアントサイドから見ると、そんなの当然じゃないかと思われるかもしれませんが、コンペというのは、受注の保証がありません。コスト(時間)を掛けずに参加して、受注できれば御の字と考える企業も少なくありません。そうなると、企画書の表紙の「◯○株式会社御中」の◯○のところを書き換えて出したくなるのも人情というものです。それはあくまで極論だとしても、企画書のレベルにはいろいろあります。その企業と同業他社に出す場合と、同じ企画書でまかなえてしまうケース(悪い意味で)もあります。つまり、一般論で語られている企画書です。これは、間違っているとは言えませんが、やっぱり一般論なのです。たとえばアイドマ(AIDMA)やAISAS(アイサス)の法則でのみ語っている場合は、これに当たります。

 しかし、企画書の出来映えを判断するのは、あくまでプレゼンを受ける企業です。違いを見分ける目を持っているからこそ、「愛」を感じとることができるのです。残念ながら、企画を出すワタシたちにそのコントロールはできないのですから。ワタシたちにできるのは、精一杯その企業のことを考えること。そして、「愛」を込めたものに「愛」を感じたと言ってもらえてはじめて、途中の苦労は吹っ飛ぶ。これからも、「愛」を感じていただける企画書を書き、自分たちらしさを追求していきたいと思います。

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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