ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ:2019年9月

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

「自分で考えて動いてごらん」


小学生スポーツの現場でよく聞かれる声かけです。
我が家の次男が所属するサッカーチームでも、
コーチがよくこの言葉を口にしています。


言われたことだけをやることに慣れると、
言われないと何もできなくなる。
だから、「自分で考える」。
大事なことです。


ところが、次男のチームを見ていると、
「自分で考えろ」と言われても、動けない子が多いように思います。
それは、指示に慣れてしまったから、
という理由もあるかもしれませんが、
考えろと言われても何を考えるのかわからないからなんだろうな、
と私は思います。


考えるためには、少なくとも考えるベースになる、
基本情報がないといけないのだと思います。
サッカーで言えば、
サッカーの基本的なプレーの仕方です。
それがないのではないかなと思うのです。


そんな基本的なこと、教えるものじゃない。
テレビでサッカー観ていればわかるでしょ!
と、コーチたちは思っているかもしれません。
確かに、強豪チームに所属する選手たちや、
サッカーが大好きで向上心がある子たちは
言われなくても試合を分析したりしているかもしれませんが、
残念ながら、サッカーチームに所属していても、
普段から自主的にサッカーを観ていない子も
多いのではないかと思います。


つまり観察不足なのではないかと思うのです。
観察しないから、情報が不足する。
そこから知識を身につけられない。
そんな状態なのに、
自分で考えて動けと言われるから、ただ焦る。
そんなところなのかな、と思います。


そう考えてみると、子どもたちだけでなく、
大人も同じような問題を抱えているのかもしれません。


ミュージシャンの細野晴臣氏は、
一人で答えを出す前に、周りに目を向けることを促しています。


「今の時代は、あなたはどう考えるか、
あなたは何を選ぶか、といった自分の意思を
絶え間なく問われている。
でも、それはなかなか息苦しい。
個人だけで答えを出すことは、
地域や家族といった社会的な価値観から
切り離され、個人が点としてしか存在できなくなるから」


「すでにある伝統は、
みんなが長い年月を掛けて作り上げてきたもの。
だから、あらゆる英知が蓄えられている。
それを学び把握してから、自分のありようを
決めてもいいんじゃないですか」


うーん、確かにそうですねえ。
職場でも家庭でも、
個人の考え、個人の発想を急いで求めない。
求められる方も、焦って答えを出さず、
まず周りを観察することから始める。
そんな余裕を持つことも必要だなと思いました。

「女性は男性よりも数学が苦手」
などと言われると、
「そう、そう!」と思い込み、
自分の考え方や行動を言われた方向に寄せていく現象を
社会心理学では「ステレオタイプ脅威」
と呼ぶそうです。


カリフォルニア大学のスティール教授らが行った実験では、
数学のテストの前に「女性」であることを
意識させたグループと
そうでないグループとでは、
性別を意識させたグループのほうが点数が低いという結果に。


実際、苦手を意識することで、
脳のワーキングメモリーが制限されることが
わかっているのだそうです。


「苦手」と思い込むだけで、
脳でそんなことが起こるとは恐ろしい。
無理矢理「得意」と思わないと!
と思いましたが、
そんな簡単なことではないですよね。
何しろ、今までずっと「苦手」と聞かされ、信じてきたのです。
そう考えると、親や学校、職場など、
周りの人の言動が個人のパフォーマンスに
いかに大きな影響を及ぼしているか
ということに改めて気付かされます。


「苦手」という字面を見ていたら、こんなことを思い出しました。


子どもの頃、私はピアノ教室に通っていました。
ある日(たぶん小6くらい)、
なぜか、「しっくりこない」と感じました。
楽譜通りに弾いても、何か違う気がする。
正しいのかどうなのか、わからない。


なんて書くと、とても芸術的な悩みのようですが、
今考えると、単に練習不足で、
楽譜通りに弾けていなかっただと思います(笑)。


先生はとても厳しい女性だったので、
その日、難しい顔をしたまま弾けない私を叱りました。
いきなり私の楽譜に「音が苦」と
大きな赤い字で書き込み、言ったのです。
「あなたのピアノは音楽ではなく、音が苦です!」と。


今でも、「音が苦」という赤い字を鮮明に覚えているので、
当時の私にとっては、なかなかインパクトのある
出来事だったのだと思います。
案の定、それ以来、私はやる気がなくなり、
いや、もともとあまりやる気はなかったのかもしれないので、
さらにやる気がなくなり、
引越しを機にピアノをやめてしまいました。


今、考えると、もしかしたら先生は、
少し大袈裟に、少し厳しくダメ出しすることで、
励ましただけなのかもしれません。
スポーツなんかではよく聞きますね。
「全然、できてないぞ!」と言われ、
悔しくて、猛練習したというエピソード。
でも、そう反応する人は、実は多くないのかも、という気がします。
少なくとも私は違いました(笑)。
励ましたつもりだったとしたら、
やる気を失う私を見て、先生はどう思ったかな、、、


皆さんはどうでしょうか。
期待している、という意味で、
「○○さんは、○○がちょっと苦手だよね。だからもっと注意しようね」
などの声かけ、しますか?
あるいはご家族に
「○○が苦手だよね」
なんて言うでしょうか。
私は、、、実は、言っちゃったりしてました。
子どもに、、、。
ああ、反省。


思想家の内田樹氏が著書でこんなことを言っています。


「批判を受けたから魅力が増す、ということはないんです。
というのは、
才能のある人の魅力というのは、
ある種の無防備さと不可分だから」


一度、深く傷つけられると、
無防備さは回復することはなく、
クリエイターなら、作品の中にあった
「素直さ」
「無垢」
「開放性」
「明るさ」
は一度失われるとに度と戻らない、と語っています。


内田氏はこれまでの経験から、
人に才能を発揮してほしいと思ったら、
その人の「これまでの業績」についての
正確な評価を下すよりも、
その人がもしかすると「これから創り出すかもしれない傑作」
に対して期待を抱くほうがいい、
とも話しています。


「才能というのは、あなたには才能がある、
という熱い期待のまなざしに触れたことが
きっかけで開花する。
才能はそこにあるというより、そこで生まれる」と。


ああ、これはそうですねえ。
小学生の私が、ピアノの先生の熱い期待のまなざしに触れても、
才能が開花したとは思えませんが、
いやいや、こればかりはわかりません。
もしかしたら、調子に乗って、猛練習したかもしれません。


そう考えると、
調子に乗るくらいでいいのかも、と思えてきます。
一人ひとりがそのくらいの勢いで
何かに取り組んだら、クリエイティブな世界になるでしょうね。


「苦手」の取り扱い、注意しなくちゃいけませんね。

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