ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ:2015年10月

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

「本当に、とんでもない勝利」


そんなことを聞くと、
何がどうなってそんなことが起こったのか、
とても興味が湧きます。
もちろん先日のラグビーW杯の話。


ラグビーの知識がまったくない私でも、
テレビで観戦していた南アフリカ戦の逆転勝利が物凄いことだ、
ということはわかりました。
スタジアムの観客は総立ち。
実況は叫び、涙で声を詰まらせ、
観客席で応援していた日本人が涙で顔をくしゃくしゃにする。
選手はピッチに倒れ込んで肩を震わせ、
現地のカメラマンや警備員が飛び上がって喜ぶ。
「世紀のジャイアントキリング」と称された試合でした。


このチームのことをもっと知りたい!
そんな思いから、Numberの臨時増刊号まで入手
(編集部の予想を超える、4刷20万部だそうです)。
ニワカファンらしく、ネットで情報を探したり、
YouTubeを見たり。
しばらく勝利の余韻に浸りました。


代表ヘッドコーチであった
エディー・ジョーンズの指導の厳しさについては
頻繁に報道されました。
雑誌の記事上にも
「血のにじむ努力」、「死力を尽くした」
などの言葉が並びます。
選手が「ラグビー人生の中で一番きつかった」、
「もう一度はできない」と語る
「世界一きつい」と言われた練習。
耐えられずに途中で逃げ出す選手もいたそうです。


そんなエディーヘッドコーチに
こんなことを聞いているインタビューがありました。
「選手から愛されたいと思ったことはないのですか?」
コーチの答えは、こうでした。
「コーチになってからは一度もありません。必要ないからです」


鬼コーチの厳しい指導。
そう聞くと、頭に浮かんでくるのは、必死に耐える選手たちの顔。
でも、コーチの立場に立ってみると、
エディーヘッドコーチも必死に耐えていたのではないか
と思えてきました。
「コーチになってからは愛されたいと思わない」
ということは、エディー・ジョーンズという人は、
決して、嫌われ役が好きなわけではないのではないか。


W杯で過去2度も優勝している南アフリカ代表のような、
とんでもないチームを相手に、とんでもない勝利を得ようと思えば、
とんでもない練習をするしかない。
例えが悪いですが、今まで30分かけて食事をしてきた人に、
これからは毎回5秒で食べろ、と言うようなものでしょうか
(そんなたとえで、すみません)。
そりゃ、嫌われます。
嫌われることを避けて、徹底させることは不可能でしょう。


W杯最後の試合、アメリカ戦。
ボーナスポイントつきの勝ち点制が採用されているため、
日本代表は試合に勝利したとしても、
それ以上先に進めないことがわかっていました。
勝っても負けても最後の試合。
W杯後、代表監督を引退することが決まっていた
エディーヘッドコーチにとって、
エディー・ジャパン最後の試合でもありました。


国旗を手にピッチに入場してきた選手の目がすでに赤かったのは、
ロッカールームでエディーが涙を浮かべて
こんな言葉をかけたからでした。


「プライドを持って戦おう」


アメリカ戦にも勝利し、W杯で見事3勝。
帰国した選手は、
「本当につらかった。
でも、エディーさんでなければ、あのレベルまで
僕たちを連れて行くことはできなかったと思う。
感謝している」
と語っていました。


日本代表のヘッドコーチでなくなった今、
「日本代表選手から愛されたいと思いますか?」
と聞いたら、エディーはどう答えるだろうか。
そんなことを思ってしまいました。

「初めて彼に会った時、
 正直、苦手なタイプだと思った。
 強引なところを恐れた。
 熱っぽさの次元が違いすぎて、
 どう解釈していいのかわからなかった」


ピクサー・アニメーションの共同創設者、
エド・キャットムル氏は、
スティーブ・ジョブズ氏に会った時のことを
こう表現しています。


先週、エド・キャットムル(以降、敬称略)の著書で、
「これまでに書かれた最高のビジネス書かもしれない」
とフォーブス誌に評された、
『ピクサー流 創造する力』という本を読み終えました。


ボリュームがかなりあったので、一気に、
とはいきませんでしたが、
どんどん読んでしまい、読み終わった後は
冒険小説を読み終えた後のような爽快感を得ました。


すでに読んでいる方もいらっしゃるかと思うのですが、
共感するエピソードが多数あったので、
そこから一つご紹介したいと思います。
キャットッムルとジョブズが、
どうお互いの信頼を構築していったかについてです。


キャットムルがジョブズに出会ったのは、
彼が当時所属していた
ルーカス・フィルムのコンピュータ部門が
売却されることが決まった頃でした。
買い手が見つからず、途方に暮れていた時に現れたのが、
当時アップルコンピュータの取締役だったジョブズです。


一緒にビジネスを始めることに合意し、
実際にジョブズがルーカス・フィルムから
コンピュータ部門を買収した時、
彼の弁護士がこんなことを言ったそうです。


「スティーブ・ジョブズ・ローラーコースターに
 乗る覚悟なんですね」。


ピクサーが誕生した当時、彼が一番気にしていたのが、
ジョブズがパートナーとしてどうふるまうだろうか、
ということでした。
当時のジョブズは、取引先を見下したり、
脅したりする態度をとっていたからです。
経営者として最も不安にさせられたのは、
人にほとんど共感を示さなかったことだと
キャットムルは言っています。


ある日、キャットムルはジョブズに
冗談まじりにこんなことを聞きます。
「人と意見が食い違ったときにはどうしているのか」


ジョブズの答えは、こうでした。
「意見が一致しないとわかったときは、
 説明の仕方を変え、時間をかけて、
 正しいことを相手に理解してもらうだけです」。


当時、この会話のことを彼を知る人に話すと、
皆笑ったそうです。


キャットムルはそのジョブズと
それから26年も一緒にビジネスをしました。
「辞任しようか」
と思うほどのぶつかり合いもありながら、
これほど長い間やってこられたのは、
「共に試練を乗り越えるうちに、
 一緒に仕事をする方法がわかってきた。
 そうしているうちに、互いを理解し合えるようになった」
からだとキャットムルは言っています。


その方法は、
「意見が衝突した時はどうするのか」
というキャットムルからの問いにジョブズが答えた、
その方法でした。


例えば、こんなことを言っています。


「2人の意見が食い違う時、私は反論するが、
 スティーブは私よりずっと頭の回転が速いため、
 言い終える前に論破されてしまうことが多い。
 そこで、一週間かけて考えをまとめ、再び説明する。
 そこで、また却下されることもあるが、
 めげずにこれを繰り返すと、次の3つのうちどれかが起こった」


①彼が「なるほど、わかった」と言って、要望に応えてくれる。
②私が、彼の言い分が正しいのを認め、働きかけをやめる。
③いくら話しても結論に達しないので、
 私が最初に提案したことを構わず進める。


3つ目のケースになっても、
咎められたことはなかったようです。
自己主張が激しい反面、
情熱を尊重する人だったとキャッムルは言っています。


ジョブズほどの強烈な個性がある人とビジネスで出会う確率は
そう高くないと思いますが、
「わ、この人、苦手だ」
という人は誰にでもいると思います。
そういう場合は、大抵、
相手の人も自分を苦手と感じていることが多く、
一緒にプロジェクトを進めるとなると、お互い苦痛を伴います。


キャットムルとジョブズの関係を読んで思ったのは、
その先にあるもの、
目標や使命、に情熱を感じることができていれば、
お互いが苦手でうまくやっていけないことは問題ではなく、
やっていくようにするしかないんだ。
そして、やっていくようにするうちに、
信頼が生まれるものなんだ、ということでした。


キャットムルには、
ピクサーを守るためにジョブズの力が絶対に必要で、
ジョブズには、
自分にはまったく創り出すことのできないピクサーの作品や
クリエイティブ環境をコントロールしてくれる
キャットムルが必要だった。
ジョブズはその環境を外部の圧力から守ることが使命だと
感じていたように思いました。


ジョブズが亡くなった後、
ピクサー共同創設者の一人が彼のことを
「クリエイティブ・ファイヤーウォール」と称しました。
ピクサーの創造性の安全を守るために、彼は何でもしてくれた、と。


目の前の人との関係がうまく行っていなくても、
その先の未来が共有できていれば大丈夫。
そんなことを思いつつ、
未来を共有できているか、情熱が持てているかなど、
自分のことを振り返ってしまいました。
すてきな本なので、ぜひお読みください。

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