叱られた? ラッキーです!
観ました。私も。
『ボヘミアン・ラプソディー』を。
唯一無二の世界。圧倒的なパワー。やられました。
大丈夫です。映画の内容をお話ししたいのではないのです。
この映画を観て、私は「クリエイティブにはいろいろな意見が必要だ」と
改めて思った、ということをお伝えしたいと思ったのです。
といいつつ、映画のシーンをちょっとだけ。
訳あってバンドから離れていたフレディ・マーキュリーが、
再びクイーンに戻ってくるところです。
戻ってきたかった理由をフレディは「みんなは俺に意見してくれる。
反対意見も言ってくれる。俺には君たちが必要だ」と言います。
(すみません、映画の中のセリフを思い出しています。正確ではありません)
フレディが一時的にバンドを離れていたとき、
彼はすでにスーパースターでした。
スターに接した人たちは彼を褒め称えたに違いありません。
意見する人なんていなかったのだと思います。
だれもが自分に賛成し、同意する環境にいるとどうなるか。
人の感覚は鈍くなり、
ものづくりをすることができなくなるのではないかと思います。
プロのマリンバ奏者であり、
『デュボワメソッド』というキャリアデザインメソッドを開発した
フランソワ・デュボワ氏は、こう言っています。
「僕は真の友だちとは、
自分を躊躇なく批判してくれる人だと思っている。
自分がやろうとしている方向を理解し、
リスペクトもしてくれているけれど、
自分が変な方向や悪い方向に行きそうになったら、
叱ってくれる人だと思う」
デュボワ氏は、「真正面から言われると、
それが自分自身を再考し、把握する手がかりになる。
だから本当にありがたい」と言います。
なぜなら、自分の「直観力」が鈍っていることは
自分一人では気づきにくいから、と。
さらにデュボワ氏は、
その場の空気を読むあまり、
思っていることと反対のことに賛同することも
自分の直観力を鈍らせることにつながると指摘しています。
デュボワ氏は音楽家でもありますから、
こうした率直な意見のやりとりがなければ、
クリエイティブ力が衰えていくことをよく知っているのかもしれません。
以前読んだ『ピクサー流 想像する力』にも
そんなことが書いてありました。
著者のエド・キャットムル氏は、
ピクサーから出す作品のクオリティーを高めるためには、
隠し事をせずにオープンに、
十分なコミュニケーションをとるしか方法がないと述べています。
そのためにピクサーには、
妥協を一切排除するための仕組み「ブレイントラスト」があって、
集まったスタッフは制作中の作品について
忌憚なく意見を交わすのだそうです。
とはいえ、簡単なことではないようです。
最初はこんなことを言ってもいいのだろうかと
口をつぐむ人も多いそうですが、
やがて率直な会話、活発な議論、笑い、愛情、
この4つで前に進むのだそうです。
皆さんは最近、叱られたり、意見されたりしましたか?
叱られたばかりという方、ラッキーですね!
12月ももう半ば。
私はまた『ボヘミアン・ラプソディー』行きますよ!(またか!)
情景、浮かんでいますか?
先日、次男と夕食をとっているとき、ふと思いついて
本を朗読で聴けるサービス「オーディブル」で
『吾輩は猫である』を聴いてみました。
この作品にした理由は、単に我が家に猫がいるので、
興味を持ちやすいかなと思ったからです。
さて、テレビを観ながらだと食事の手が止まりがちな次男ですが、
オーディブルでは......さらに手が止まりました。
そして私も手が止まりました。聴き入ってしまうからです。
興味を持って聴くと、「ながら」はできないのだなあと改めて思いました。
さらに気づいたことがあります。
興味を持って聴くと、頭の中にその情景がクリアに浮かびます。
本を読んでいるときも浮かびますが、
聴いているとより映像が鮮明になるような気がしました。
食事を終えた私は、
聴いて頭に浮かんだ情景の絵を描こうと次男に提案しました。
絵と言っても、そのへんの裏紙にササッと描く程度のものを想像しています。
説明すると次男、「いいよ! 楽しそう! でも次回ね!」。
......そんなわけで、まだトライできていないのですが、
どんなシーンをどんな絵にするのか? 楽しみが増えました。
精神科医の名越康文氏いわく、「聴く」というのは
とても意識的で、創造的なものなのだそうです。
自分の住む世界から、いわば異世界に入ること。
たとえば、行ったこともないハワイを思い浮かべないといけない、
やったことのない趣味の世界を思い浮かべなくてはならない。
想像力が必要になります。
さらに名越氏は、心の余裕、つまり愛が求められると言っています。
相手の話に、自分の心の扉を開いて、
「何を言うのだろう?」という関心を持って耳を傾ける。
また、これには優しさと同時に勇気がいる、
境界線を越えるジャンプがいると説明しています。
確かに、じっくり聴くと異世界に入ることができます。
『吾輩は猫である』を聴いているときは、
池のほとりにちょこんと佇む猫の姿がはっきりと浮かびました。
そこからゆっくりと動き出す様子も、普段猫を見ているせいか、
クリアに思い浮かべることができました。
人の話を聴くときもそうですね。その場に自分も立っていると想像し、
音や匂いまでも感じた話は深くインプットされます。
そうやって聴いた話はその後もずっと覚えています。
聴くというのはそれだけエネルギーがいる行為。
実は、伝えるよりも大変なことかもしれないと思えてきました。
ある調査によると、人の話を聴くときに気をつけることで
一番多かったのは「相槌を打つ」、次が「相手の目を見る」でした。
こうした、相手から見て話をしっかり聞いているように振る舞うことは
確かに大事なことですが、本当の意味で聴けていなければ意味がないですよね。
みなさんは最近どんな話を「聴き」ましたか?