ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ:2014年5月

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

メルマガのネタを探すために、ネットを彷徨っていたら、
なぜかJAXA(宇宙航空研究開発機構)のサイトに辿り着きました。
どんなキーワードでここに行き着いたんだっけ?
そうそう、「メンタルトレーニング」だ、と思い出したのですが、
サイト内の情報をいろいろ読んでいるうちに、
もっと気になるキーワードを発見しました。
「フォロワーシップ」です。


宇宙飛行士には、そもそも精神的ストレスでパニックにならないような人や、
リーダーシップを発揮できる人が選抜されます。
そういう人材が厳しいトレーニングを経て、より強いメンタリティーを手に入れる。
そんな精鋭の集まりですから、仕事上は何の問題もないように思いますが、
軌道上のミッションの達成には「チーム力」が不可欠。
リーダーは決まっている状況でも、もともとリーダー向きの人の集まりですから、
お互いが足を引っ張ってしまうこともあるというのです。
そこで、重要なことが「フォロワーシップ」をよく理解するということ。
リーダーを支えるためのスキルや心理を学ぶことなのだそうです。


一橋大学大学院商学研究科教授の守島基博さんが、
フォロワーに求められる3つの能力について、こう書いています。


1、 リーダーが語っているビジョンの正しさと実現可能性を評価する能力
守島教授は、これを「自分がついていくべきリーダーを選択する能力」と
言い換えています。


2、 選んだ対象へ意図的に努力を集中する能力
コミットする力。コミットとは自然にできるものではなく、
積極的な努力によって生まれるもの。リーダーが語るビジョンを信じ、
迷わず、ビジョンの実現のために意図的にエネルギーを注ぐことが
必要なのだそうです。


3、 常に批判的にリーダーを評価し続ける能力
え? 2つ目にあげたことと違う、って思いますね。迷わずに信じるって。
教授は、ある意味ではコミットしつつ、同時にそのコミットの正当性を
いつも疑う冷静さだ、と言っています。


フォロワーシップについて多くの観察をしている
米国の経営学者、ウォレン・ベニスは、
「組織が暴走しないために、フォロワーが
リーダーについていく中で常に冷静さを保ち、
疑問や不満、間違いなどをリーダーに対してきちんと伝えて行くことが、
フォロワーシップの根幹だ」と述べているようです。
盲目的についていくのではなく、ついていくコミットをしながらも、
状況を冷静に観察することが必要だということですね。
なるほど、です。


と、ここで、先日ブラジルに出発したザックジャパンを率いる
ザッケローニ監督が、手記の中でこう書いていたのを思い出しました。


「私には、私がどこかで監督の仕事をする時、
喜んでかけつけてくれるイタリア人スタッフたちがいます。
彼らとは長年苦楽をともにしてきました。
私が彼らと仕事をするのは、気心が知れているからだけではありません。
彼らが私のサッカー観を深く理解し、
それを選手に効率よく伝えることができるからです」


「イタリアでは当たり前のことですが、
コーチには黒子に徹する聡明さが必要です。
監督の一番の仕事は決断すること。
コーチングスタッフはその決断をサポートするのが仕事です。
イエスマンを求めているわけでは決してありません。
ミーティングではコーチは私に積極的に意見します。私もしっかり聞きます」


うーん。リーダーだけがリーダーシップを発揮すれば、
組織が成り立つわけではないんですね。
別の見方をすると、どんなにすばらしいリーダーがいても、
フォロワーがフォロワーとしての役割を理解し、実行していなければ、
その組織は機能しているとは言えない、ということになりますね。
フォロワーシップの重要性、改めて理解しました。

週末、我が家の子どもたちが通う小学校の運動会がありました。


うちの小学校は、運動会の出し物に騎馬戦や組体操がまだ残っています。
まだ、と言ったのは、騎馬戦も組体操も、
怪我をする子どもが多いという理由で
プログラムから外す学校が増えているからです。


騎馬戦や組体操は、子どもが仲間の手足に乗るため、全員裸足で行います。
さらに、校庭の砂の上で、足に力を入れて踏ん張る必要があるので、
練習段階から足の裏の皮が剥けている子どももいました。
やっている子どもたちは大変だと思います。
でも、見ている私たちにとって、
騎馬戦と組体操はリレーの次に盛り上がるプログラム。
迫力があり、ハラハラする場面もあり、とても見応えがあるからです。
全身砂埃まみれで必死に仲間を支え、頑張る子どもたちの姿は素晴らしかった。
とても感動しました。


「本当にスポーツが好きなんですね。とくにサッカー大好きですよね」。
メルマガで、頻繁にスポーツの話題を取り上げているので、よくこう言われます。
確かに、スポーツは好きですし、
サッカーは、子どもたちがやっていることもあって、よく観戦しています。
でも私は、いわゆるスポーツ好きではないのではないかなあ、と思います。
たぶん私は、単純にスポーツを観戦したいというよりは、
「ガッツ溢れる姿」を見たいのです。
一生懸命、ガッツ溢れるプレーをしている人を見ると、感動するからです。


我が家のマンションの隣には市民グラウンドがあって、
毎週末、野球やサッカーの試合が行われています。
先日、何気なくグラウンドの方を見ると、
『オヤジ』というサッカーチームが練習試合をしていました。
その名の通り、平均年齢40代後半の男性たちのチームです。


そんなわけなので、アスリートのようなスタイルの方は少なく、
お腹周りが少しボリュームのある方が多いのですが、
見ていると、その中でもひと際お腹周りが立派な方が、
ピッチサイドをドリブルでどんどん駆け上がって行きます。
決して猛スピードとは言えないのですが、結構なスピードです。
「おーっ!行けー!」と叫んでしまいました。


残念ながら、その方、ゴール前でディフェンスに抑えられてしまい、
シュートまではいけませんでした。
しかも、接触した勢いで地面を2回転くらい転がってしまいました。
失礼なのですが、地面を転がってしまうくらいの勢いで
プレーするような方には見えなかったので、思わず拍手してしまいました。
まさに、ガッツ溢れるプレー。


気づいたことがあります。
私が、これほどガッツ溢れる姿を見たいと思い、
そして感動してしまう理由は、
たぶん自分自身がガッツ溢れるプレーをしていないからなのです。
知らず知らず、誰からも非難されないように、
無難に、当たり障りなく過ごそうとしているなあ、と思います。
こんなことでは、いかんなあ。
子どもに「あんた、怖がらないで、ガツンと行かなきゃだめだよ!」なんて、
ダメ出ししている場合じゃありません。
大人だから。スポーツをしていないから。そんなことは関係ないかも。
ガッツあるプレー、心がけなくては!

「監督(リーダー)向きの性格とはどんなものか?」


監督業を長くしていると、いろいろなことを聞かれるが、
よく聞かれるのがこの質問だ、
と言うのは日本代表監督のザッケローニ監督。
この質問に、ザッケローニはこう答えています。


「それは、巨大な責任に対しての身の施し方にあると思います。
チームを預かる責任の大きさ、重さから逃げずに、
むしろ進んで引き受けるくらいの強さと覚悟が監督には絶対に必要です。
監督になるのか、コーチにとどまるのか、その境目も
どこまで責任と向き合えるかが分岐点になる気がします」


そうだよなあ。それほどの覚悟がないと、
代表監督なんてやってられないよなあと思いつつ、
「大きな責任を進んで引き受ける」って、
どういう気持ちなんだろうと考えました。
成功した時は最高だろうけど、
失敗は必ずあるだろうし、批判も必ずある。
進んでその状況に入るって
どんな気持ちからくるのだろうと思ったのです。


ザッケローニ監督は、子どもの頃から、サッカーでも他の遊びでも、
自分で率先して動き、決定し、引っ張って行くタイプだったようです。
選手時代もキャプテンを務めていたと言いますから、
「皆を束ねたい」、「決定したい」という思いが強かったのだと想像します。
でも、「束ねたい」と「大きな責任を進んで引き受ける」は
イコールじゃなさそうです。
世の中、束ねるのは好きだけど責任は取りたくない、という人が
いるんじゃないかなあと思うからです。


では、「大きな責任を進んで引き受ける」って何なんだ?
ザッケローニ監督のインタビューにヒントがありました。


「私はただ自分が興味を持ってきたもの、つまりサッカーに対して
真摯に、情熱を持って取り組んできた。挑戦し続けてきただけです」


そうか。やはり、それなんですね。
好きなことを徹底的に、一生懸命やる。チャレンジし続ける。
チャレンジにはリスク、責任がつきもの。でも、チャレンジはやめない。
なぜならサッカーが好きだから。そのためなら、進んで責任を引き受ける。
そういうことなんだと思います。


ザッケローニ監督は言っています。
「私はリーダーになるための勉強をしてきたわけではありません。
そんなことをして、リーダーになれるとも思いません。
リーダーとは自分からなるものではないと思います。
その人がリーダーであるかどうかは、周りの人が決めることです」


そうですよね。「束ねたい」から
リーダーになれるというわけじゃないってことですね。
ひとつの事に情熱と覚悟を持って取り組む。
やはり原点はそこなんだなあと改めて思いました。


さあ、ワールドカップです。
日本中の大きな期待を背負って、先頭に立ってブラジルへ行く。
そんなとんでもないことができるのは、
仕事に対して、桁外れの熱い情熱があるからです。
行け!ザックジャパン!

先日、何気なくテレビを見ていたら、
女子柔道の試合が放送されていました。
皇后盃全日本女子柔道選手権大会という大会でした。
よく見てみると、審判は全員女性。
全員が女性審判である大会は、今回が初めてだと解説されていました。


「へえー」と思い、興味を持って試合を見ていると、
あることがとても気になってきました。
審判の声です。
女性でも、太く、低く、大きな声でビシッと判定を言う審判もいれば、
大きいとは言えない声で、しかも少し聞き取りにくいトーンで、
語尾も長めな判定をしている人もいるのです。
そんな感じで判定が言い渡されると、
心なしか、選手の表情にも不安が浮かんでいるようにも見えてきます。
女性審判が増えていくのはすばらしいことだと思いますし、
女性の声が男性の声に比べて、弱く、高いのはしょうがないのですが、
判定はやはりビシッ、ズバッと言ってくれないと、
場が締まらないなあ、と思いました。


これに似たことを思い出しました。
サッカーの試合での審判の態度です。
ファールの笛の吹き方、イエローカードの出し方などがビシッとしていると、
選手は「しょうがないな」と諦めがついて、
そのまま試合は続きます。
でも、笛の吹き方、カードの出し方が遠慮がちだと、
審判はとたんに選手に囲まれて、あーでもないこーでもないと言われてしまう。
やはり、強く、短く、笛を吹き、ビシッとカードを上げる。
これが必要なんですね。


考えてみると、これ、人に何か注意する時にも言えます。
「~に注意して、~してください。以上!」と言えば、
言った方も、言われた方も、切り替えることができて、
「さあ、前に進もう!」という気持ちになりますが、
「~のさ、~なんだけどさ、~だと思うんだよね...」
なんていう注意の仕方だと、
言った方は歯切れが悪く、だんだんいろいろ言いたくなってきます。
そして、「...で、そもそもさ、このあいだの件も...」と
過去のことをどんどん掘り返してしまう。
こうなると、言われた方もどんどん不満が募っていき、
お互い全然すっきり終われなくなります。


昔、次男の幼稚園の先生が、
「子どもを叱るときは、低い声で、短く簡潔に言ってください。
そうすると、子どもは、普段と様子が違うことを察知して、
注意して聞きます」
と言っていました。


実を言うと私、子どもが相手だと、結構過去のことを掘り返しがちです。
注意する時は、ビシッと短く。気を付けないと。

これまでの記事

視点発見の旅
メルマガ【開-CAY】お申し込み

ご一緒に「視点発見の旅」へ!
メルマガは「開-CAY」で届きます

詳細を見る >>

「個人情報の取り扱いについて」

このページのトップへ