ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ:2023年5月

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

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自分がハンドルを握って車を運転しているときは、
道をしっかり覚えるのに
助手席に乗っていると覚えていないということ、
ないでしょうか。

私はあります。よく、あります。

「こんな道、通ったことある?」
「え? いつも通ってるよ」

自分が運転しないとなると、
途端にお客さま気分になり、全然見ていない(笑)。
なので、助手席に乗っていることが多いルートだと、
道がまったく頭に入っていない。
その後、運転しろと言われても、
どこをどう通ってきた? となります。

これと同じことが起こるのが駐車場。
自分が運転したときは、
「2階のAの23。写真も撮っておこう」
くらい覚える気があるのですが、
家族が運転しているときはちっとも見ていない。
意識してそうしているわけではないんですよ。
ですが、さっさと車から降りて、
買い物に行ってしまう(笑)。
こういうときに家族が駐車位置を忘れると悲惨です。

という話を先日友人にしたら、
「いや、私は心配なので助手席に乗っていても
しっかり見る」
と言っていたので、私の「突然お客さま感覚」は
極端なのかもしれませんが、たぶんこれは、
役割分担意識なのだろうと思います。
リーダーはだれなんだ、っていう。

こう書いていると、
全然協力体制ない人じゃん、私
と思えてきますが(笑)、
ここまで極端ではないとしても、
こういうことは仕事でもあると思うんです。
自分事として主体性を持って取り組んだときは、
視野が広がってさまざまなことを学べたのに、
やらされていると感じるときは学びが少なくて
成長実感がなかった、という経験。
皆さんにもあるのではないでしょうか。

ハーバード・ビジネスレビューの記事に
こんなことが書かれていました。

ビジネスでは、個人、組織の成長のために
「オーナーシップ(当事者意識・自分ごと化)」が
重要だと言われているが、その第一歩は
社員の心理的オーナーシップを高めることだ、と。

心理的オーナーシップというのは、
"アイデアやチームメンバーや製品が
「自分のもの・こと」だという感覚を抱くこと"
だと言います。
それを感じるためには、例えばアイデアを出したり、
何かの名前を決めたり、
オフィスのあるコーナーを
自分の考えで整えたりすることが必要だと。
わかりやすく言うと、
「自分がやった」「自分で決めた」
という感覚を抱くことなのだと思います。

記事には、心理的オーナーシップを強く感じると、
他者に対して協力的になるということが
いくつかの研究でわかった、ともありました。

なるほど、確かにそうですね。
これは自分とは関係がないと思っていると、
自分から動かず、指示を待つ。
でも、少しでも自分と関わりがあることだと感じれば、
主体的に関わるので、協力体制を築こうとする、
ということかもしれません。

ここからわかるのは、
いくら相手に「主体性」や「自律」を求めても、
その相手にとっては、
自分で何も決めていない状態、
つまり心理的オーナーシップがない状態では、
心理的には動きづらいということ。

なるほどなあ、といろいろなことを
振り返ってしまいました。
車の運転も含めて・・・
皆さんはどうでしょうか。
思い当たること、ありますか?

さて、5月が終わります。
早い・・・
気温の変化が激しいですが、
体調を崩さずにまいりましょう。

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「買い物リストに・・・えーと・・・」
「何を追加しますか?」
「コーヒーです。コーヒー追加して」
「コーヒーを買い物リストに追加しました」
「ありがとさん」
「ごめんなさい。わかりませんでした」

私と我が家のアレクサの会話です。

我が家のアレクサは、5~6年ほど前に購入したもの。
主に買い物リストへの追加くらいの使用なので、
ほとんど話しかけることはありません。

世代が前のものだからなのか、
私があまり話かけないことで学習が進んでいないのか
わからないのですが、
会話が少し複雑になると成立しないことがあります。
何かを聞き間違えて、突然音楽を流し始めたり、
全然関係ないことを説明し始めたりもします。

でも私は別に気にならない、というか、
アレクサが質問を勘違いした回答をしたり、
おや?と思う音楽を流したりしても
イライラしたりはしません。
気になるのはむしろ、アレクサがよく
「ごめんなさい」ということです。

私が常にアレクサを叱っているわけじゃないんですよ。
たとえば、アレクサが突然音楽を流し始めたとき、
「アレクサ、もう大丈夫、やめて」と言うと、
あっさり無言でやめてくれることもあるのですが、
「ごめんなさい、よくわかりませんでした」
と返ってくることがあって、
その「ごめんなさい」が気になるのです。

わからなかったんだから
「ごめんなさい」をつけるのは当たり前でしょう、
という意見もあると思うのですが、
わからないくらいで謝らなくていい、って
思ってしまうんですよね。
「ごめんなさい」言い過ぎじゃない?と。

あ、ただ、もしこれが自動運転のAIだったら、
そりゃ、いかんですね。
「ごめんなさい、わかりませんでした」とか言われても、
「おい!」ってなりますね。命がかかっていますから。

そうか。相手をどんな存在としてみているかで
期待する対応が変わるってことですね、これは。

私にとってのアレクサは、私の代わりに
買い物メモを書いてくれる気が利く女性
(女性の声なので)。
キッチンの近くに置いてあるので、
片手にフライパン、片手に菜箸という状況でも、
「買い物リストに、みりん追加しておいて」と言えば
追加してくれる。なんとすばらしい。
うちの息子なんて「あとで、自分でやれば?」
とか言ってきますよ。
ありがたく思っているので、
「ごめんなさい」に違和感を覚えるんですね。

これが、もし、
「私は、あなたを優秀なアシスタントとして
迎え入れました。よろしく頼みます」
と思っていたら、
期待するレベルが高いわけですから、
「わからないじゃないだろう!」
となるかもしれませんよね。
ユーザー的にはこっちのほうが
多いのかもしれません。


いきなり開発目線に立ちますが、
いろんなユーザーがいて、
怒る人も少なくないでしょうから、
うまくいかない状況のときの
アレクサが発するセンテンスに
「ごめんなさい」をつけるのは当然ですね。
そしてこれ、世の中のカスタマーサービスの
マニュアルと一緒ですよね。

私、お客様対応で、
「申し訳ありません」を言われるのも気になります。
いや、全然怒ってないんですけど、と。

たとえば、先日、スーパーの棚から
商品がざざーっと落ちていて、
こりゃ知らせてあげねばならん、と思い知らせたら
「申し訳ありません」と言われ、むむ?と思いました。
私は「財布、落ちましたよ」と同じ感覚だったので。
でも、きっと、
「商品をきれいに陳列していないとは何事だ!」って
怒る人がいるから、「申し訳ありません」って
言うことになっているんでしょうね。
大変だなあ、ほんとに。


いやあ、アレクサなどのAIも含め、
ユーザーへの対応は、
なかなか奥が深いテーマです。
我が家の息子たちを見ていても思いますが、
彼らが望んでいる人間関係は、
私の時代とは違い、ずっとフラット。
ユーザーが相手とどういう関係を築きたいかで、
今後、AIが発する会話や世の中のお客様対応が
変化するのかもしれません。
そう考えると興味深いですね。

個人的には、
AIの人格を選べたらいいなと思います。
仲間モード
反抗期モード とか。どうでしょう。

さて、ゴールデンウィークも終わり、
気づくと5月も2週目が終わる・・・
週末に向けて、元気にまいりましょう!

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