ディレクターの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーです

ブログ:2017年3月

スタッフの阿部が日々の気づきをつぶやくコーナーアベログ

どうやらパソコンで映画が観られるらしい。
そう知った次男が先日、 私のパソコンを覗き込みながら、
『カンフーパンダ』が観たいと言いました。
2008年に公開された、
ドリームワークスによる長編アニメーションです。


どれどれと、私も一緒に観ましたが、
この映画、教えが多い、とてもいい映画でした。
今回はちょっとそのお話をしたいと思います。


ストーリーは
「怪物が牢獄を逃げ出して、この谷に向かってくる」
という導師の予言から始まります。
導師は谷で一番の賢者です。


早速、村では怪物と戦う「竜の戦士」選びが始まります。
どんなに強い戦士が選ばれるのかと思いきや、
導師が指さした先に立っていたのは、
ずんぐりむっくりのジャイアントパンダでした。


このパンダ、カンフーへの憧れが人一倍強く、
知識はオタク級。でも経験はゼロ。
おまけに、いつもふざけていて、
かなりのおっちょこちょい。
そして食べるのが大好きときています。
その様子に、竜の戦士に期待していただれもが困惑してしまいます。


まもなく導師の弟子である老師が、
パンダの修行を試みましたが、
想像通り、初級の訓練もこなせません。
修行が進むにつれ、始めは竜の戦士に選ばれたことを喜んでいたパンダも、
次第に自信を失っていきました。


そうこうしているうちに、
本当に怪物が牢獄を逃げ出し、
谷に向かってきます。


慌てる老師に、導師はこう言います。


「怪物が向かってきているとは悪い知らせです。
君が竜の戦士を信じないならば」


「あのパンダは竜の戦士ではありません!怪物は倒せません!」
そう訴える老師に導師は続けます。


「このままでは君もあのパンダも運命を全うできません。きっと倒せます。
君が心から導いて、育ててやって、信じてやれば。ただ、ただ信じるのです」


考え直した老師は、
翌日からパンダの修行を再開します。
ほかのマスターたちとは違う、
食べるのが大好きなパンダに合った修行を。パンダを信じて。


いい話ですねえ。
この後、パンダがどうなったかについては、
だいたい想像できるかと思いますが、
気になる方はぜひ映画でチェックしてください。


さて、この映画を見終わって感じたことは、
「信じ合っていない関係は何も生み出さない。
でも、信じ合っている関係が生み出すパワーは大きい」
ということ。
「教える側が心から信じてあげないと、相手も自信を持つことができない」
ということです。


パンダの台詞に、
「今さらできると言われてもできっこないよ。
今まで一度も僕のことを信用しなかったじゃないか!」
というものがありました。
パンダを信じると決めた老師が修行を再開しようとしたときのことです。


そりゃ、そうですよね。
今まで自分のことを疑っていて、
ため息ばかりついていた人の言葉なんて、
耳に入らないというより、
耳に入れたくないと思ってしまうでしょう。


こういうこと、職場でも家庭でも、よく起こっているのだと思います。
改めて、信じることって難しいけれど、本当に大切だと思いました。
ああ、耳が痛い。


来週は4月です。
桜の季節、新たな出会いがありそうですね。

「実家を片付けるのに1週間かかった」
なんて話を耳にすることが多くなりました。
実家が遠くて何度も通わなくてはならず、
数ヶ月かかったと言っていた知人もいました。


母親が元気なうちに、
私も実家の片付けしようかなあ。。。
このところ何となくそんな気持ちでいたので、
書店で「実家の片付け」について書かれた本を手に取ってしまいました。
(実家の片付けに関する本、かなりありました。ビッグイシューなんだなあと実感)


さて、数冊立ち読みして、
さらに家に帰ってから断舎離特集の雑誌を電子版で購入。
読んでいて感じたのは、
実家や家族の物の片付けで一番大切なことは、
「思いやり」を持つことだ、ということでした。


というのも、片付けに失敗した、
と言っている人の多くが口にしているのは、
「相手のことを考えていなかった」。
雑誌に掲載されていた、
親を意固地にさせた失敗ワード調査でも、


1位が「捨てる」という言葉全般
2位が「もういらないでしょう?」
3位が「何のためにとっておくの?」


といった、相手の気持ちを考えない言葉が並んでいました。


考えてみれば、そうですね。


実家というところは、
親が住んでいる家であって、
自分の家ではない。
そこを突然「片付けてあげる」といって、
自分のペースで片付けようというのですから、
相手はいい気分ではありません。
片付けたらきれいになるんだから嬉しいでしょう?
となるとは限らないのです。


しかも、そもそも価値観が違う。


同じ物を見て、
自分は「使わないからいらないだろう。捨てよう!」と思っても、
相手は「使わないけど、大切なものだから捨てない」と思っている場合もあるし、
「物を粗末にしたくない」と思っている場合だってあります。
「いずれは捨てたいけど、自分のタイミングで捨てたい」というケースもありますよね。
相手の立場に立つと、
勝手に片付けられると、否定されていると感じてしまうかもしれません。


そういえば、以前実家に帰ったときに、
冷蔵庫の中がカオス状態だったので、
100円ショップで収納ボックスをいくつか買ってきて、
勝手に整理し、
「ほら、こんなにきれいになったよ」
「しかも、こんなに賞味期限が切れたものがあったよ」
と、古い食材の山を見せたら、
母は微妙な顔をしていました。


今思うと、母だって片付けたいと思っていたと思うのです。
ですが、当時は父の看病で忙しく、
できなかったのだと思います。
「こんな状態にしちゃって、だめだよね」
といきなり娘に言われて叱られたような気分だったのではないでしょうか。
ああ、反省です。


そう思って考えると、
「相手のためを思ってやってあげているつもりなのに、喜ばれず、むしろ嫌がられる」
というケース、片付け以外にも結構ありますね。


家事をめぐる夫婦間のケースもあるでしょうし、
勉強に関しての親子間のケースもあるでしょう。
上司と部下の間でもありますよね。


いずれも、何となく自分が上に立ち「やってあげる」
と思ってしまうことが原因のような気がします。
すると、相手の気持ちが見えなくなり、
こじれてくるのではないでしょうか。


なんて、書きながら、
いろいろと思い当たることが。。。。


「やってあげる」と思わないこと。
フラットにものを見て、
相手の気持ちに気づくこと。
意識しようと思いました。

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