チームプレーって素晴らしい! チームプレーに関する気づきを綴る、スタッフブログです

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チームプレーって素晴らしい!

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先々週の誕生日に、スタッフのみんながつくってくれた小冊子をプレゼントされました。「オノさんとの関係をより良くするコミュニケーションマガジン『ゴロー』」というコンセプトのこの冊子、内輪ウケと言われると「はい、そうです」な感じですけど、実に良く出来ているのです! 知らないところで、こっそりこんなものを作っているなんて、遊んでんじゃねー(笑) いやいや、ウソウソ。こんなに手が込んがものを作るのは大変だったことでしょう。うれしかったです。ゴローの意味はなんでしょうね? ねー、意味不明でーす。ジローの間違い…?

さて、そこで、今日はフィードバック全般について、考えてみました。

いろいろな意味で、組織の中で一番フィードバックを受けるのは社長です。相手がわざわざ「これはフィードバックですよ」と言わないものも含めると、あっちからも、こっちからも、そっちからもフィードバックが来ます。今紹介した『ゴロー』も、ワタシへのフィードバックであると同時に、愛情表現でした。あ、ここでのフィードバックという言葉は、「より良くするために提供された役立ちそうな情報」という意味で使っています。本来の「フィードバック」の意味はそうではない…とか、杓子定規なことを言わないでくださいね(笑) 上場企業なら、株価は投資家からのシンプルなフィードバックですよね。ワタシは、社長は、お客様や社員、株主や取引先等のステークホルダーから、常にフィードバックを得やすくしておくべき、そういう関係を築いておく方が良いという考え方に立っています。「こうした方がいい」であっても、「しない方がいい」であっても、インプットを得られるようにしておく、取捨選択や役立て方は自分が決めればいい、基本的にはそのような考えです。これは、ハダカの王様にならないためでもあります。


しかし、一方で、得た情報をどのように取捨選択したり、役立てるべきなのか、判断は意外に簡単ではありません。というのは、社長にフィードバックを与えてくれる相手は実に様々で、ワタシの場合なら、お客様や社員、株主や取引先はもちろん、経営者仲間、元の社員、友人、メルマガの読者、どのグループにも分類しにくい相手先など、相当多岐に渡ります。それぞれ立場が違うので、視点もさまざまです。真剣に吟味した上での発言もあれば、ふいに思いついての発言もあります。中立的な見解もあれば、その人の価値観に寄っている見解もあります。

これに対し、ぜーんぶ「はい、ごもっとも」と受け止めていたら、立ち行かなくなります。相手の立場によって意見は違うからです。
たとえば…。冒頭に紹介した冊子『ゴロー』の中にも異なる意見がありました。ある人は「もっと社員の意見に耳を傾けて」と書き、別のある人は「社員の意見を聞きすぎない方がいい」と書いていました。メルマガ読者からのフィードバックを例に挙げるなら、「おもしろい」と言ってくださる方もいれば、批判を書いてくる方もいます。セミナーの感想も同様です。やはり大勢いれば、批判のコメントはあるものです。それに対し、一喜一憂、右往左往していたら、とても身が持ちません。…と書くと、不真面目だとおっしゃる方もいるでしょうか?

一言で「フィードバック」と言っても、前提が同じではない上に、フィードバックをくれる理由もさまざま。だから、その言葉を額面通り受け止めていても意味がありません。フィードバックを受けた自分が、フィードバックの背景にあるどんなことを、どんな理由で、どんなふうに受け止めるのか、受け止めないのか、それが一番重要だということになります。「どんなふうに」というのは、「何らかの対処が必要なこと」として受け止めるのもよし、「フィードバックをくれた人はそう感じたのだな」と受け止めるのもよし…そう思っています。後者だったとしても、その情報は今後どこかで生かされるに違いないからです。ところが、時としてフィードバックには感情的な側面もあるので、伝えた側が対処されるものと期待していたりすると、ズレが生じてしまいます。スルーしたわけではなくても、そう見えてしまうのですよね。いや、もしかしたら感情的な側面を伴っていた場合は純粋なフィードバックと受け止めるのではなく、そこに気づいてほしいというメッセージと受け止めるのが正しいのでしょうね。
きゃー、もうややっこしー! もう少し大らかに行きたいですなー


さぁて、さらに反対方向に重要な点がもう一つ。取捨選択するのは自分…という考え方。間違っていないと思っていますが、一歩間違えると、自分にとって都合が悪いことに対して、耳を傾けなくなる心配もある。この考え方自体が、諸刃の剣でもあるわけです。そうなってしまっては、もはやフィードバックを得る意味がなくなっています。自分への警鐘として、ここにそれを記しておきます。


ワタシにとってフィードバックとどう付き合うかは、一種の精神修行のようなもの。「ソモサン、フィードバックと向き合うための正しいバランスとは?」という問いに、「セッパ…」といつか答えられるのでしょうか。禅問答のようなこの問いに向かい続けるのも社長の仕事のうちかもしれません。


読んでいただき、ありがとうございました。良い1週間をお過ごしください!

いよいよソチオリンピックも後半に入ってきました。ワタシは、ついつい深夜まで、日本選手の活躍を見てしまいます。羽生選手の金メダル、葛西選手の銀メダル。いずれも快挙でしたね。本当に素晴らしい。今週は、19日と20日の深夜に女子フィギュアスケートがあります。浅田選手は、6種類の3回転ジャンプを8回行うという女子の中では「神の領域」とも言えるような構成でチャレンジするという話もあるようです。ぜひベストを尽くしてほしいものです。

さて、先週、日経の一面「春秋」を読んでいたら、カザフスタンのナザルバエフ大統領が国名の変更を、ニュージーランドのキー首相が国旗変更を提案していると書かれていました。国名の変更はもちろん、国旗の変更も、実施すれば歴史に残る出来事になるでしょうね。それを言い出すとは、両国の首脳とも勇気があるなと思います。

それにしても、おもしろいのはその変更理由に共通点がある、ということ。

カザフスタンのナザルバエフ大統領は、「スタン」で終わる国がいくつもある中で、「スタン」のついた現在の国名では特徴が感じられずに、魅力が伝わらないと考えているようです。確かに、中央アジアには、「スタン」のつく国がたくさんあります。調べてみたら、「〜スタン」というのは「(〜民族)の土地」を意味するペルシア語で、旧ソ連時代にカザフスタンも含め「スタン」がつかなかった国々が、ソ連崩壊後に名称を変更したようです。

ソ連時代    ソ連崩壊後
カザフ共和国 → カザフスタン共和国
タジク共和国 → タジキスタン共和国
ウズベク共和国 → ウズベキスタン共和国
キルギス共和国 → キルギスタン共和国 → キルギス共和国
トルクメン共和国 → トルクメニスタン

確かに、これだけあるとイメージがだぶりますね。「モンゴルは末尾に『スタン』とついていないから外国人に魅力的なのだ」と大統領は提案理由について説明した(らしい)と書かれていました。そして、候補名は「カザフエリ」。カザフ語でカザフ人の土地の意味だそうで、カザフスタンと意味自体はまったく同じ。でも、その音からして、何だか個性豊かな魅力的な国に感じるから不思議です。

一方のニュージーランド。国旗のデザインがオーストラリアと識別しにくいことを変更の理由に挙げているようです。実際に見比べてみると間違い探しをさせられているような気分になります。イギリスに占領されていた時代には、両国は1つの連邦と見なされていましたが、イギリスから独立するときに別々の国になりました。しかし、国旗は占領当時のままとしたために、イギリスの影響を受けた国旗がそのまま残ったようです。(ニュージーランドの国旗を見る)(オーストラリアの国旗を見る

これを企業に置き換えると、国名変更は社名変更、国旗変更はシンボルマーク変更でしょうか。

いずれも自分たちらしさや自国認識/自社認識に深く関わると同時に、外に向かって魅力を伝え、他と区別して覚えてもらう上で重要な要素ですね。改めて「アイデンティティ」の重要性を痛感しました。

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