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『組織・経営・リーダー論』カテゴリの記事

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企業から求められる人材像ですが、ここ20~30年、
「自ら考え、自ら行動する」と言われ続けているように思います。
「自考自行」「自考自走」「自考自創」などの四文字熟語も生まれてきました。
この点については、グローバルな大企業から中小まで例外はないと思います。

実は、当社でも、昨日も若手向けに「考える」をテーマにした勉強会を行い、
「論点」と「サブ論点」というものをどう立てたらいいのか、
どこまで考えたら「タスク」に移っていいのかなど、
レクチャーとディスカッションを交えながら教えています。

私は、「会社は学校ではない」と思っていますが、
このような勉強会を行うのは、
その正論を最初から振り翳そうとは思わないからです。

なぜなら今の学校教育は「答えを教える教育」に偏っているように見え、
「考える教育」が行われているように見えません。
しかし、学校教育がそうだからと言って、人は考える生き物なので、
まるっきり考えないという人はむしろ稀ではないでしょうか。
むしろ、みんな、何かしら考えているし、考えようとしています。
でも、だからといって、ただ「考えろ」と言われても、
何を考えることが求められているのか、わからないと思います。


なぜ、「考えろ」では不十分と思うかというと...

実は、私自身が「考える」ことを教えようとしても
どうやって教えたらいいのか、考え考えやっているからです。
つまり、自分自身がちゃんと言語化できていないのです。
人に、すっきりシンプルに普遍的なことを教えられないということは、
私自身が「考える」の本質や基本をわかっていないということになります。
自分がその程度でしかないのに、社員にただ「考えろ」とだけいうのは、
いかがなものか、という気がします。
だから、社員と一緒に「考えるとは?」を考えています。
それは、結構、楽しいです。
なーんちゃって、結構「いい社長風」なアピールをさせていただきました(笑


ところで、いったいなぜ「考える」ことが、そんなにも重要なのでしょうか?
「AIが~」という答えは聞き飽きているので、別の答えを探してみましょう。

私は、「考える」には大別すると、
2系統+ミックスの3つがあると思っています。
①好奇心を満たすために考える
②より良い結果を得る行動を決めるために考える
③上の2点のミックス

②は、ビジネスのみならず、私生活でもありえますが、
ビジネスで「考えろ」と言われる理由は、主に②にあると思います。
自分一人のための決断なら、考えず、直感で決めてもいいわけです。
でも、組織であるからこそ、決めるには理由も必要ですし、
他の選択肢と比べて、どう違うのかの比較検討も必要になります。


で、②について、じっくり考えてみましょう。
「②より良い結果を得る行動を決めるために考える」
つまり、考える先には、行動があることがわかります。ところが、
そうすると人は往々にして考える前に、行動(タスク)に思いを移しがちです。

たとえば...
過去の当社のセミナーで、参加者にこんな問いかけをしたことがあります。

Q1 あなたは飲食店を開業するために、自分の住む街で物件を探している。
としたら、どのような場所に開こうと考えるか?
こう尋ねると、大半の参加者は「駅前」とか「人通りの多い場所」と答えます。
無意識でも、有利な場所はどこか?を考えているわけです。

次に、こう尋ねました。
Q2 あなたは駅前で屋台を始めることにしました。
あなたの屋台の隣には同種の別の屋台があって、そちらはとても繁盛している。
でも、あなたの屋台は閑古鳥が鳴いている。改善するための1stアクションは?
こう尋ねると、答えは2通りに分かれます。

1つは策を答えるもの。たとえば、
・メニューを変えてみる
・幟(のぼり)を立ててみる
・価格を見直す 等
もう1つは原因を探るための行動を答えるもの。たとえば、
・隣の屋台の客をつかまえて、どこが良いのか聞いてみる
・隣の屋台で食べさせてもらう 等

感覚値ですが、だいたい半数強の人は策(行動)について思考するようです。
さて、では半数の人が策に向かうのはなぜでしょう?
私は、第1は、早く答えを見つけたいからなのだろうと思います。
要するに、この場合なら原因を考えるなんてじれったいのです。
第2は、この状況で何を考えるべきかを吟味できていないからだと思います
だとして、想像してみてください。
原因も分からずに、メニューを変えても多分成果は出ませんよね。


考えることが重要だと思う理由の1つは、考えた方が結局は無駄がない、
つまり、「急がば回れ」だからです。
焦って策を考えても、最終的には意味がなければ無駄ですよね。


さて、毎週見ているNHKドラマ「正直不動産2」に登場する
Z世代役の十影(とかげ)くんに興味を持っている今日この頃。
十影くんには、一見無駄でも、結局は考えた方がタイパいいよ、
と伝えたくなります。
ヤマピーこと山下智久さんが務める主人公・永瀬財地の、
ウソでも何でもアリだった人生が、正直アリキに変わって、
今では本音をぶちまける様がおもしろくて、私はついつい観ています。

さ、今日は金曜日。
アレもコレもあると思いますが、乗り切りましょう!
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました。

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当社では、去年頃から、「リーダーシップ」「イニシアチブ」「主体性」等の言葉が
キーワードになっていて、
年初も、私は「一人一人が自分をリードする自分のリーダーであろう」
という話をしました。

リーダーシップというと集団をまとめて先導するとか、
統率するというイメージが強いですが、
その基本は、明確に「意思表示」することだと思います。
・自分はどうしたいのか
・自分は相手にどうしてほしいのか
・自分はどっちに向かって、どう進めようとしているのか

人を率いてまとめていくとなるとハードルは高いですが、
まず自分の意思を示すということであれば、自己完結できますよね。
でも、この意思表示ができなければ、
集団をまとめて先導することなど絶対ムリです。
だから、リーダーシップの最初の一歩は「意思表示」だと思うのです。


でも、どちらかというと率直に意思表示する日本人は多くないように見えます。
(もちろん、十把一絡げで断定することはしませんが)。
仮に日本人のコミュニケーションの特徴として、
意思表示を明確にしない傾向があるなら、その理由は何かと考えてみたのですが、
おそらく「相手の気持ちを察する」気遣いを「是」とする価値観があるからではないでしょうか。

でも、「察する」は、ある状況では美徳ですが、
仕事で推進担当者が周りに対して「察してほしい」というオーラを出すのは、
私はナシだと思います。


「意思表示」という行動を支えるのは、「主体性」です。
主体性とは、自分で考えて、自分の責任で決め、発言・行動すること。
その対極にあるのは、指示待ち、受け身、思考停止など。
さらに、空気を読む、依存する、同調する、流される...なども入りそうですね。


さて、「主体性が大事」などということは、
最早ビジネスパーソンなら耳タコではないでしょうか?
でも、なぜ主体性が大事なのか?と部下や後輩から聞かれたら、
何と答えますか?


私はこう答えます。
「私がラクできるから」です(笑)
指示しないとできない人より、指示しなくても進めてくれる人の方が、
上司の私としては断然ラクです。
でも、上司をラクにさせるために、主体的であれ...と聞いたら、
「なんで、そんなことのために...?」と思いますよね。


だけど、「周りの人、みんなをラクにさせる」と聞いたら、どうですか?
そんな人は、すごーく価値の高い人だと思いますよね?
図式的にはこうなります。

ーーー

主体的に動く人は、周りの人、みんなをラクにさせる
 ↓
周りが喜ぶだけでなく、知的労働比率が上がって、結果生産性も上がる?
 ↓
そこで生じた心理的余裕が、広い視野での思考を生む
 ↓
それが全社に広がると、会社の生産性も創造性も上がる
 ↓
生産性も創造性も上がれば、革新的なことも起きやすい
 ↓
実際に、イノベーションが起きる

ーーー

ちなみに「はたらくの語源は"傍を楽にする"」説、
うーん、あれはもっともらしいけど、疑わしいですね。
今回の話はそれとは関係ありません。

さて、今回は主体性と人に喜ばれる存在であることの関係について書きましたが、
第三者の存在がなかったとしても、自分の意思で行動する方が、
やらされて行動するより、楽しいに決まっています。
と、考えると、なぜ主体性が大事なのか?という問いへのもう1つの重要な答えは、
「自分の幸福のため」になるのかもしれません。


自分はどうしたいのか。
自分は相手にどうしてほしいのか。
まずは、そんな意思表示から取り組みたいものです。
(社長といえども、これは案外難しいです)

今月もわずか1週間ほど。
急に寒さが増しましたが、皆様、体調を崩されませんように!

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台風5号、6号の影響を受けている皆様には
心からお見舞いを申し上げます。
私は、台風5号が去り、6号が来る直前に、
休暇で訪れていた石垣島から帰ってきました。
4日間の滞在のうち前半2日は雨、後半2日は晴れで、
最初はアンラッキーだと思っていましたが、今にして思えば幸運でした。
7号も日本に接近しています。
被害が出ないことを祈るばかりです。

さて、石垣島を訪れた理由は、一緒に行った友人のお嬢さんが現地で暮らし、
この春、独立してショットバーを開いたことにありました。
年齢29歳で一国一城の主です。
会計のことや法律的なことを独学で勉強しながら開業したのは、
とても立派だと思います。
こういう若者がいるなら、日本もまだ大丈夫...という気持ちになりました。

この件を通じて、1つだけ考えさせられたことがあります。
彼女は30歳になるまでに、自分の店を持ちたいと思ったそうなのですが、
その理由は雇用される立場だと、
自分の考えた通りにできないからだと話してくれました。

彼女の場合は、行動的ですから、
実際に動いてみて感じたことなのだろうと思いますが、
今回はこの話を糸口に、一般的に言われる「組織にいると
自分の考えた通りにできない」について考えてみました。
私が思ったのは、確かにそのようなケースは多いのだろうな...ということ。
と同時に、人がそう思ってしまうのは先入観の場合もあるのではないか、
ということでした。


実際組織にいるとよくあることなのだろうと思います。
わかりやすいところで言えば、上下関係の影響。
年齢や社歴、経験などによって、若い人の意見が尊重されにくい風潮は、
日本社会ではいまだに根強いのかもしれません。
また「和をもって貴しとなす」が歪んで伝わったのか、
意見を言うことは和を乱すことだと思っている人もいるような気がしますから、
そういう人が上司にいれば、自分の考えを通しにくいと感じる部下がいても、
不思議ではありません。

一方で、先入観で動きにくくなっている人は案外多い気もします。
仮に新しいことに関わるのが嫌いな上司がいたとして、
自分が考えたことが本当に必要なことなら簡単に諦めるのは早計です。
もちろん自分が考えたことが100%実現できるとは限りませんが、
それは上下関係でなくても同じではないでしょうか。
何かを実現させる場合、他の人の賛同なくして実現できないわけですから、
上司という一人の人間の賛同を得ることは特別なことではないと思います。

思ったこと、考えたことができないと感じる人が多い状況は、
言い換えると、人のエネルギーが活かせていない状況でもあります。
そう思うともったいないですよね。


話は飛ぶようですが、
読みたいと思っている本の1つに伊賀泰代さん著「採用基準」があります。
伊賀さんは、マッキンゼーで採用マネジャーをされていた方。
採用で、最も重視すべきことはリーダーシップを発揮できるかどうかであり
あらゆる人にリーダーシップが必要だという自論をお持ちのようです。
かつてリーダーというと、統率する人、牽引する人というイメージがありましたが、
最近のリーダー論は全般的にそうではなくなっているようですね。
伊賀さんの対談をハーバードビジネスレビューで読みました。
https://dhbr.diamond.jp/articles/-/1410


これを読んでも、リーダーシップとはこれこれです!と言い切るのは難しいですが、
私なりの意訳をするなら、
その本質は「意思表明」と「責任感」ではないか、と思います。
意思がなければ主導的役割は果たせないですし、
リスクを取る責任感がないと意思も示せないと思うからです。
だからこそ伊賀さんは、一部の限られた人だけでなく、
あらゆる人にリーダーシップは必要だと説いているのだと思います


さて、自分の考えで進めたい時の意思表明、意思表示について、
魔法の言葉を紹介します。それは...

「私にやらせてください」です。

~の役割を私にやらせてくださいとか、
~した方が良いと思うので、それを私にやらせてくださいとか。
何をするかを決めても、誰がするかが決まらないと物事は前に進みません。
このセリフをうちのスタッフから言われたら、私なら原則やらせます。
でも、承認を得るって面倒くさいものかしら?

来週はお盆休みの方も多いことでしょう。
暑い日が続いていますが、熱中症に気をつけて
健やかにお過ごしください。

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4月のブログでも「教える」を取り上げました。
(記事はこちら)
最近の私のチャレンジテーマは、十人十色の教え方ができるようになることなので、
「教えること」や「人の成長」について考える機会が多いです。
今回も「教える」側の視点から、あれこれと考えてみたいと思います。
というのは、スキルや知識を教えることだけが教えることではないと
考えているからです。

さて、まずは最近の注目ワード「リスキリング」の話題から。
2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)で
「2030年までに地球人口のうち10億人をリスキリングする」と発表され、
経団連の「新成長戦略」の中でもリスキリングの必要性に触れられています。

「リスキリング」は「Re-skilling」。
一般的には、AIやDXが普及した社会に対応できる人材を生み出すために、
企業や自治体が従業員に新しい知識やスキル(どちらかといえばデジタル系)を
身につけさせ、労働移動につなげるための取り組み...ということだと思います。

先日、国会議員の片山さつきさんが、「Webサイトからの申請方法などについて
尋ねても答えられない自治体職員がいる」と話していましたが、
急速に社会のデジタル化を進める必要がある一方、
働く層が高齢化する日本では、リスキリングが話題になるのは必然かもしれません。
(本来、リスキリングの対象は年齢に無関係だそうですが)

もちろん、それが重要であることに異論はありませんが、
社会の潮流からデジタルスキルについて従業員教育を行うだけでは
大した成果は上げられないのではないかという気がして、
リスキリングという言葉にはひっかかりを感じます。
スキルだけでいいのか?と。


たとえば当社では、採用活動を行う場合、
年齢や経験に応じて知識やスキルはあるに越したことはないと考えますが、
意識や思考の方をより重く考えています。
なぜなら、意識が高いと自己開発力が高くなり、知識やスキルは自然と付いてくると思っているからです。
(あ、採用活動、やっています! 自薦他薦とも歓迎します!)
でも、ここでの「意識が高い」というのは、いわゆる「意識高い系」とは違います。


以下、ちょっとした知識のお裾分け...。
人の成長には、知識やスキルが広がっていく「水平的成長」と
意識のレベルが高まっていく「垂直的成長」があります。
成人発達理論を牽引するハーバード大学のローバート・キーガン教授の理論です。

大人が成長するには、意識の成長が不可欠で、それは言い換えると、
解像度の高いレンズで物事を見られるようになることだと言います
モノゴトの認識の仕方や捉え方、解釈の仕方を柔軟に変化させ、
多様な視点を受け入れられるようになっていくことだと言います。
そのためには自分の信念を含めて固定観念に捉われていないかを問い直す
謙虚な自己客観視が必要だとされていますが、それを一人でやるのは簡単ではありません。
だから上司にはコーチング的な方法で部下を支援することが求められるわけです。


同じような話は、濱田秀彦さんの著書
「仕事を教えることになったら読む本」でも紹介されていました。
この本によれば、「教える」というのは、
「設定したゴールに相手を運ぶために、知識、技術を付与し、意識を高めること」と定義されています。

言われてみれば、いえ、言われなくてもかな? その通りですよね。
私なりに噛み砕いてみました。
(A)知識を教える:それまで知らなかったことを理解している状態にすること。必要な教え方はティーチング。
(B)技術を教える:うまく運ぶためのノウハウや振る舞い方を教え、相手が実践できるようにすること。必要な教え方はトレーニング。
(C)意識を教える:何に対し意識を向けるか、どのような心構えでいるとうまくいくか、意識を働かせられるようにすること。必要な教え方はコーチング。
...てな感じでしょうか。

このように知識やスキルを伸ばすだけでは真の成長はできないと考えている専門家たちがいて、私はそれに共感しています。


ところが、この「意識の成長」を支援するのが上司にとってはとても難しい。
しかも、意識の有りようは知識や技術の習得にも関わってきます。
例えば「苦手だ」という意識があったら、知識や技術はなかなか入ってきません。
「身につけねば」とか「失敗したくない」という意識がある場合も同様です。
私も、支援する側にいながら、自分が学んでいるような感じです。

また成人発達理論の「意識の成長レベル」の1つに、
他者の立場に立てるかどうかという尺度があるのですが、
部下に対し、他者の立場に立てるように指導しているつもりが、時として
「指導しているお前こそ、教わる相手の立場に立つ意識が持てているのか?」
という内なる声が聞こえてきたりして。。。涙

実際、教える側の器以上のことを人に教えることはできませんからね、
私が十人十色の教え方ができるようになることを目指すなら、
自分の器を広げることが先決なのだろうなと思う今日この頃です。

このメルマガの読者で部下を持っているみなさん、
いっしょにがんばりましょう!

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多くの企業で期が変わり、人事異動などもあって、
この時期はいつにも増して誰かが誰かを教えるというシーン、
多いのではないでしょうか。

私も社長ではありますが、人材育成は常に重要視しているので、
私自身が社員の育成に絡むことは少なくありません。
でも...
果たして教えることが上手か?と自問すると、
必ずしも自信を持って「はい」とは言えません。

私に限らず、これはよく言われることですが、
自分がプレーすることと、人に教えることはまったく別のことです。
自分ができる、イコール教えられるではありません。


そんな私ですが、「教える」について小さな成功体験もあります。
たとえば学生時代の家庭教師のアルバイト。
当時、ご近所の中学1年生の家庭教師を頼まれました。
お母様から「小学校での成績はイチニ、イチニだったから、
大変だと思いますが、よろしくお願いします」と言われて始まりました。
最初の頃は意思表示も曖昧な恥ずかしがり屋さん。
でも、中学を卒業した頃の成績は、イチニ、イチニではなく、
サンシ、サンシになっていました。
私の教え方が良かったとは必ずしも思いません。
あえて良かったことがあるとすれば、その子のペースを大切にしたことです。
ゆっくり丁寧に基礎をしっかりやり直しました。
で、成績が上がると、子どもって明るくなるんですね。
当時、その子がどんどん明るく活発になっていったことをとてもよく覚えています。


しかし、この逸話、小さな小さな成功体験に過ぎません。
会社を経営していると、どちらかといえば、
人を育てるのは難しいなと感じることの方が多いです。
多分家庭教師と違って、自分ごと度が高いからですね。
悪くいえば、自分の欲得と無縁ではないからだと思います。
あ、いえ、そんなにエゴイストではないつもりですけど(笑


誰かに、仕事で自分の持っているノウハウを教えること自体は、
あまり難しいとは思いません。
でも、私が、人に何かを教える時に悩ましいと感じるのは、
相手の思考特性に合わせた伝え方をすることと、
あなたは今、これができていて、これができていない、
ということを自覚してもらうことです。
できているは、ストレートに伝えればいいわけですが、
ここはまだできていないを本人が納得できる形で伝えるのは、
結構高いスキルが求められると思います。


ソクラテスの「無知の知」をご存知ですか?
「自分には知らない世界があると自覚すること」が重要であるという考え方です。
自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い、
だから、自分がいかにわかっていないかを自覚せよ、ということです。
でも、そもそも知らない世界というのは、その世界の存在さえ知らないわけです。
だから、存在さえ知らない世界があることを知れと言われても、
見えないものは見えないわけですから、それに気づくのは難しいに決まっています。


教える仕事の人やコーチの人はどうやっているんでしょうね。
あ、そういえば、いくつかについて、私も教わっています...。
彼らから学ぶことは何だろう?と考えてみました。
ありますね、共通点。

たとえば、私の筋トレのコーチは私にこう言います。
「オノさんの場合は下半身の強化が課題です。
週1のトレーニングでは現状維持が精一杯だから、
生活の中で歯磨きのようにトレーニングするのが理想ですね」

私のゴルフのコーチはこう言います。
「課題はグリーンが近づいてからのアプローチです。
そこが思ったようにいかないと、他をどんなにがんばっても難しい」。
「課題はアプローチなんだから、そこをがんばるだけですよ」

また、私のドラムのコーチはこう言います。
「今日の中で、これが一番良かったし、方向性は間違っていない」
と、そんなふうに肯定してくれながら、
「今の課題はここを滑らかにつなぐこと。これができたら完成ですよ」と。
励ましつつ、課題を指摘してくれます。


こうしてみると、課題を自覚させるというのは、必須なのかもしれませんね~
スポーツやドラムに比べて、仕事の場合はわかりにくいですが、
それをわかりやすく伝えることが、
仕事上のコーチの役割なのかもしれません。
あー 奥が深い。

ゴールデンウィークが近づいてきました!
仕事を手放してお休みください。
5月も爽やかにいきたいものですね!

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最初に当社の募集告知をさせてください。
当社では、現在、お客様企業の社内報の制作ディレクターを募集しています。
詳細はこちらでご覧になれますので、
ご興味がありそうな方にぜひご案内ください。
https://www.grassroots.co.jp/company/job/job2022.html


さて、「ディレクター」という肩書きで仕事をしている人は
いろいろな世界に存在します。
所属する業界や企業によって、その役割や求められるスキルは多少違いますが、
「ディレクション(direction)」という言葉の本来の意味から考えると、
何をする仕事なのかは自ずと見えてきます。

「direction」の意味を辞書で調べると、、、
方向、目的意識、目標、指示すること、監督すること、
と出てきます。

ここから考えると、何らかの目的のために方向性や目標を示し、
物事がうまく進むように人を動かし、ゴールに導く仕事。
そんなイメージを持つことができます。

しかし、こうも思いませんか?
だとしたら、すべての仕事にはディレクションが必要で、
すべての人はディレクターなのではないか、と。

一般に「ディレクター」というのは、ひとつの職制であり、
一種の肩書きだと思われていますし、それはそれでその通りです。
でも、すべての人はリーダーであるという考え方があるのと同じように、
すべての人はディレクターであるという考え方があっても
おかしくはありませんよね。
たとえルーティン業務であったとしてもです。

なのですが、そのために何が大切なんだろうか、
ディレクションの本質とは何なのだろうかと自問すると、
結構奥が深くて、端的に言うのは簡単ではありません。
ディレクターを募集しているこの機会に、自分なりに考えてみました。
重要なことはたくさんありますが、本質としてこれは外せない!と思うのは、
次の4つです。

・本質を捉える
・必要なことを生み出す
・是非を判断する
・聞く耳を持つ、率直に言う

もう少し具体的に言うと、どういうことでしょうか。

【本質を捉える】
目的を果たすのがディレクションであるとすると、
目的を意識することはとても重要です。
人は物事に慣れれば慣れるほど目的を忘れてしまう生き物です。
なので【本質を捉える】の1つの意味は、目的に立ち返って
何が大切なのかを考えることではないでしょうか。
と、同時に、目の前で起きている問題(事象)の根っこにある原因を
深いレベルで考えることも2つめの意味として含まれるように思います。

【必要なことを生み出す】
これについては、2つに分解することができます。
「必要なことが何かを考える」「それがない状況であれば生み出す」。
必要なことというのは、予算かもしれない、誰かの協力かもしれない、
アイデアかもしれないし、社内の合意かもしれない。
何が必要かを自分で見極めて、自ら動き生み出すことが
ディレクションには不可欠だと思います。

【是非を判断する】
正しい方向(ディレクション)に進めることが1つの役割だとすると、
是非、すなわち良いか悪いか、OKかNGかを判断することも、
ディレクションの重要な本質ではないでしょうか。
言い換えると「目利き」である必要があります。
そして判断基準は常に目的を果たすために是か非かです。

【聞く耳を持つ、率直に言う】
これも、ディレクションでは外せません。
仲間を束ねるには、一方的に指示するだけでなく、
フラットに意見を聞くことが必要ですし、
ゴールに向かうには意思表示が欠かせません。
そして、案外難しいのがこの「言う」です。
「これこれだから、これは絶対必要です」
「困っているので、助けてください」
「これは目的に合っていないから、採用できません」
相手からどう思われるか考えるとなかなか言えない...。
となってしまうと、ディレクションは機能不全になります。


こう考えてみると、信念と柔軟性を持って仕事をする、に尽きますね。
未来の仲間も、そういう人だといいな~
あなたご自身は、どんなディレクションが素敵だと思いますか?
最後にもう一度、ディレクター募集中です!
https://www.grassroots.co.jp/company/job/job2022.html

2020年、最後のブログになります。
今年も1年間、おつきあいいただき、ありがとうございました。

さて、コロナに明け暮れた2020年ですが、
あなたはそこにどんな意味づけをしましたか?

私は、企業も個人も、
サバイバルできるか、できないかが問われるようになった1年、
そんな捉え方をしています。


1番の変化は、リモートワークが日常になったことですよね。
これによって、「自律」がキーワードになりました。
自律の定義、ここでは「自ら考え、行動する」こと、としてみます。


で、「自律」を巡っては、2つの問題が生じています。


1つ目は、入社してまもない若年層の育成について。
これまで、企業は、ある程度、学校のような役割を果たしてきました。
日本の学校教育では、「考える」ことをなかなか教わらないので、
学校に代わって、教えてきたという一面があります。
しかし、リモートワークになって、
それ自体難しくなってきているのではないでしょうか?
わかりやすいところでいえば、OJTが以前のように機能しなくなっています。
かつては、営業現場でも生産現場でも、
先輩は、こういう時に「こう考え、こう行動する」を知ることができましたが、
今はどうでしょう?
そのためか、辞めていく若者が増えていて、人事部はそこに悩んでいると聞きます。
そこを埋めるための方法論を築かないと、明るい未来はありません。


2つ目は、では、ジュニアではない30歳以降の人たちが
自ら考えて行動しているか、ということです。
もちろん、私もその中に入ります。


私は、しばしば耳にする「自ら考えて行動する」ということについて、
実はどんなことを意味するのか、
社会、あるいは企業の中で、共通認識がないのではないかと思います。


なぜなら、人は誰しも行動はしているし、
行動している以上、多少なりとも考えた上でのものです。
そんな自分の行動が「自ら考えた行動」と言えるのか、と聞かれたら、
「一応、そのつもり」と思うだけなのではないでしょうか?
つまり、その判断基準が曖昧だからです。


これは、私の解釈ですが、「自ら考えて行動する」というのは、
言い換えれば、「対処でない仕事をすること」だと思います。
対処とは、発生したことに対応すること。
「誰かに言われたから」とか、「こんなことが起きたから」などが動機となって、
行動することが、典型的な「対処型」の仕事です。


一方の対処型でない仕事とは、
誰からも頼まれていないけれど、
やるべきだと自分で判断し、すること。
あるいは、必要なことだと自分が信じているからやること。
ここではそれを「創造型」と呼ぶことにします。


ここで、自分の行動を時間という観点から分析してみたら、どうでしょう?
1日8時間のうち、何時間を対処に当て、何時間を創造に当てているか。
おそらく多くの人は対処に時間を費やしている。


かくいう私自身もそうです。
部下からこれをチェックしてほしいと言われて、
チェックしフィードバックするのは、100%対処。
お客様から打診されたことを検討し、回答する、
様々な相手先からいただいたメールに返信する、
部下から参加してほしいと言われてミーティングに参加する、
これらは、どれも100%対処です。
こういうことが必要だと考えて行動している時間は、
もしかしたら1日の中で5割ぐらいかもしれません。
いや、日によっては1割もない日があると思います。
(もちろん、メールもミーティングも、その中でできる創造型はありますが)


これらの中には「私が対処しなければ」という思い込みから
行なっていることも多々あるとは思いますが、
そういう思い込みをなくしたとしても、おそらく対処仕事は永久になくなりません。
でも、仮に毎日の時間の100%が対処仕事、
という状況が3年5年と続いたら、
相当にひどいパフォーマンスになってしまうのではないでしょうか?
自分の成長も止まってしまいます。


パスカルは随想録「パンセ」の中で、人間を「考える葦」と表現しました。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。
だが、それは考える葦である」


私たち人間は、唯一考える力を与えられています。
コロナ禍という状況をどう見るかも、各人各様で当然だと思います。
私には、コロナ禍が人間に提示しているものは、
「考える葦になれ」ということのように見えます。
ただ立っていて、風にさらされている葦にはなるな、と。


今年もありがとうございました!
来年はどんな年になるのでしょうか?
あなたにとって、来年が素晴らしい1年でありますように。

あなたの会社では、社長や経営層からのメッセージは
どのように発信されていますか?
そのメッセージは、あなたの心にちゃんと届いていますか?


メッセージの話をする前に、まずはこんな話から。
11月6日にトヨタの中間決算が発表されました。
前年を下回るものの、コロナ禍でも5199億円の営業利益を確保したことは
周知の通りです。
豊田章男さんは私が尊敬する経営者の一人なので、
しばしばトヨタイムズをチェックしてしまいます。


この成果が出された裏で、豊田さんが最初に示したのは
「自動車が日本経済のけん引役になろう」ということだけだったそうです。
半年前、5月の決算説明会でも、多くの日系自動車メーカーが
コロナ禍で今期の見通しを発表しなかったのに対し、
トヨタだけが期末見通しを公表し、
「全世界販売800万台、今期の営業利益5000億円」としました。
結果的には半期で達成してしまったわけですが、
豊田さんは、5月の時点で敢えて数字を公表したことについて、
「トヨタの見通しが自動車産業に関わる方々にとって、
1つの道しるべになるのではないかと考えた」と理由を述べました。
業界のリーダーとしての自覚が伝わってきて、感動すらしました。


さて、社長就任以来、リーマン・ショックでの赤字転落、
大規模リコール問題、東日本大震災、タイでの洪水など、
数々の危機に見舞われながらも、窮地を乗り越えてきた豊田さん。
着実にトヨタを強くして来られたわけですが、
私はそのことと、豊田さんの言葉に強さがあることとは、
無関係ではないと思っています。


豊田さんのスピーチや話には特徴があります。


第1の特徴は、自分の言葉で本音で話していること、です。
たとえば、富士山麓に建設が計画されている「Woven City」の着工日ついて、
「広報からは特定の日は言うなと言われています」と言いながら、自分の思いは
「2月23日である。223は富士山と読めるから」と語ったのもその一例。
また、ロバと老夫婦の寓話を使い、何でも批判するマスコミの姿勢に異を唱えました。
損得で物を考えたら、多くの経営者はしないであろう発言です。
信念に基づいて、率直に話す。それが豊田さんの魅力かもしれません。


第2の特徴は、「意味」を伝えながら「意思」を伝えている、ということです。
比喩や例えが多いのもそのためではないでしょうか。
2014年5月には投資を控え、組織固めをする...という内容を伝えるために、
「意志ある踊り場」という言葉を使っています。
そう言われると、登れますが、登りません、と言っているように感じられ、
単なる守りではなく、むしろ攻めている姿勢に見えてきます。


翌年5月には「トヨタらしさを取り戻すというのは、過去に時間を使うこと」として、
「過去に時間を使うのは自分で終わりにしたい」と語りました。
ここでも意味を伝えています。


今月の中間決算でも、トヨタのひとり勝ちと言われることについて聞かれ、
「一人も勝たなかったら、この国はどうなるのか?」と意味を語り、
「トヨタは確実に強くなった。その強さを自分以外の誰かのために使いたい」
「私は暗い世の中はイヤなんです」として、
世の中の元気の源になるよう存在でありたいと、ご自分の意思を伝えています。


このような豊田さんのスピーチの特徴はどこから来るのでしょか。
もちろん、生まれ持ったセンスというのもあるかもしれません。
でも、それ以上に、信念と経営哲学からメッセージを出すことが
いかに重要か、身を以てご存知だからなのではないかと想像します。
アメリカで学ばれた影響もあるかもしれませんね。


アメリカで学ばれた...といえば、2019年5月、豊田さんは、
母校のバブソン・カレッジの卒業式でもスピーチをし、絶賛されました。
「ドーナツ」というものを巧みに例え話に使っているほか、
ユーモラスな内容で大ウケしていますので、もしお時間があったらオススメです。
https://youtu.be/xDtK6wr-d_Q


さて、メッセージを出す時のあなたの理想はどのようなものですか?
あなたは、経営者かもしれませんし、チームのリーダーかもしれません。
あるいは、社長のスピーチライティングを担当する広報担当者かもしれません。
本音で信念を持って意思を伝えることが1番だとして、2番、3番は何でしょう?
自分の意思を伝えようとしているけれど、自分の言葉ではない、が2番。
前例踏襲でこなしていて、自分の意思を伝えていない、が3番、でしょうか?
思わず我が身を振り返り、2番3番にならないようにしたいと思いました。


「わかり合う」ために不可欠な言葉。強い言葉を持つ人になりたいものですね。
11月も残すところわずかです。素敵な1週間をお過ごしください。

先月末、初代「007」の主役、ショーン・コネリーが亡くなりました。
彼は、今に続く、息の長いスパイ映画「007」の初代ボンド役として、
その名を確固たるものにしましたが、
ボンド役を卒業して以降も、年を経るごとに味わいのある演技で、
記憶に残る俳優になっていったのではないでしょうか。
「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」とか、「ザ・ロック」とか。
私自身、彼が「007」として活躍する時代をリアルタイムでは知りませんが、
テレビやビデオでショーン・コネリー扮するボンドを見たことはあります。
今見ても驚くほどに「華麗」。それが、ショーン・コネリーのボンドでした。


さて、スパイ映画はお好きですか?
私は、大好きです!
「007」「ミッション・インポッシブル」「ジェイソン・ボーン」...
その魅力は、もちろん物語のハラハラ、ドキドキにもありますが、
主人公である彼らの粘り強さとその知性、
そんなところにもあるのではないでしょうか。
絶対絶命だと思っても、ギリギリまで脳をフル回転させて、絶対諦めない彼ら。
しかも、彼らは決して焦りません。
そんな主人公が、最大の山場を切り抜けた瞬間に、
私たちは感動し、その精神力と能力に脱帽します。


諦めない。
焦らない。
...はスパイ映画の主人公たちの共通点。
そこが多分、スパイ映画のカッコ良さの本質だと思います。


さて、「焦り」について、先日、社内でこんなことがありました。
ある人が「焦り」についてみんなに質問したのです。
「仕事で焦りそうなとき、どんな工夫をしているか?」と。
この意味は、決まった時までにやらなければいけないことがあって、
でも、同時並行でいろんなことがあり、間に合うかどうか不安になって焦る...
そいういう意味のようでした。
そうすると、「『ヤバイ』『ヤバそう』と発する」「計画を練り直す」など
いろいろな声が周りから出てきます。
人は、焦らないためにいろいろな工夫をしているものですね。
それが聞けること自体、有意義でした。


私個人としては、「焦り」の本質は、「できなかったらどうしよう?」という
心理にあると思うので、
「絶対に何とかなる」という自己暗示は結構重要だと思っています。
で、実際、私は、これまで「どうにもならなかったこと」はないので、
「これまでも何とかなったのだから、今回も何とかなる」と言い聞かせます。
加えて、いざとなったらゴールのレベルも変えていいというマイルールがあります。
自分の理想が100だったとして、
時間内に100ができないと判断したら、90に変える。80に変える。
その選択は自分がすれば良い、と。
そんな私の考えも披露しました。


偉そうに話しましたが、かくいう私、苦い「焦り体験」があります。
学生時代のことです。
私はハンドボール部のキャプテンでした。
最後のリーグ戦、想定よりも戦績が悪化して迎えた相手。
互角のつもりだったのに、劣勢に。
試合の終盤、主将の自分が焦ったために負けました。
リーダーの焦る気持ちは、驚くほど場に伝染してしまうんですね。
自分の焦りが、メンバーにも伝播しているということは
試合の途中でも察知できましたが、ではどうすればいいかがわからぬまま、
立て直すことができませんでした。
その悔しさがあったからこそ、それがその後の人生に教訓を与えてくれたようで、
そこから、スパイ映画の主人公のようにとまではいかないまでも、
動じないって大切だなと思って、修業してきた感じです。


というわけで、時として私たちを悩ませる「焦り」。
それを、自分一人でコントロールできて、焦らないで済むなら、
それに越したことはありません。
でも、お互いみんな弱い人間で、時として焦るのは当然です。
そういうことを仲間と共有できて、
「今、自分は焦っているんだ」と言えたら、どれだけラクなことでしょう。
「落ち着こう」と言ってくれる人がいたら、気持ちを切り替えられるかも。
そういう言葉の発し方、
ひとつの健康的な組織のあり方ではないでしょうか。


素敵な1週間をお過ごしください。

200727_NakedKing2.png

コロナで自宅就業の最中、当社では5月にXさんという若手社員を迎え入れ、
ずっと歓迎会ができていなかったのですが、
先週、ようやく歓迎会ランチを開くことができました。
オープンエアのテラスのあるレストランで、です。


幹事のYさんは、同じく若手ですが、段取りも進行も軽やかに〜♪
会の中盤でXさんに話題を振りました。
「グラスルーツに入って、おもしろいとか、へぇーと思ったことは?」と。
Xさんは、あれこれと話しましたが、その中に、こんな話しもありました。
私が書くと、ちょっと自慢みたいに聞こえるかもしれませんが、
(あ、ちょっとは自慢なんですが笑)
書く目的は自慢ではありません。


その発言、正確には覚えていませんが、
「グラスルーツは社長のオノさんと距離が近くて、
話を聞いてもらえるのが新鮮です」みたいなこと。
で、私が言ったのは「小さな会社だから、当然だよ」みたいなこと。
そしたら、それを聞いていたZさんが、
「小さい会社でも、そうでない会社はたくさんありますよ」と。


まあ、そんなことがあって、確かに当たり前ではないのかもしれないなーと思って、
自分がどこから、なぜそうなったのかをちょっと振り返ってみました。
その原点、子どもの頃の少し恥ずかしい話を自分語りする...という形で、
恥ずかしい三昧ですが、メルマガのネタがない時の苦し紛れにやってみます(笑
お時間許せば読んでください。


私が人の話を聞くようになったその原点は、
多分「小学校3年生の学芸会」にあります。
びっくりですよね。
三つ子の魂百までもとはいいますが、小三魂百までもなのですから。


その年の学芸会で、私はアンデルセンの有名な童話「裸の王様」の劇に出ました。
出たといっても、その役は侍女8番、、、だったかどうかはわかりませんが、
要は大勢の侍女の一人でした。
台詞もなければ、ちょっとしたダンスを大勢でして、すぐに終わる、そんな役です。
ぶっちゃけ、子ども心に「ふん、なんで私がこんな役? おもしろくない!」
と思いました。


その当時の私は、男子以上に野球やスポーツができて、
それなりに勉強もできる活発な女子。
そのせいか、学級委員の投票では大勢が入れてくれるなど、
ちょっとした人気者だったのです。
その私が「侍女」の役です。
プライドがへし折られたような気持ちでした。


ところが、その役を巡って、先生が私にこう言いました。
「小野さんは活発だし目立つが、クラスには目立たない人もいる。
そういう人たちの気持ちをわかる人になってほしいと思って、
この役を与えた」


その時の私の気持ち、わかりますか?
もう恥ずかしくて、恥ずかしくて。
自分はまさに劇の通り「裸の王様」への道をまっしぐらに歩いている
と気づいたからです。
他の人のことなんてまったく考えない裸の王様。
その時、「超かっこ悪い、私」と初めて自覚しました。
なので、「裸の王様」は私にとって「かっこ悪い」の象徴であり、
ほかの人の話を聞くようになった原点です。


さて、「かっこ悪い」という感覚は、自己否定感に繋がったりして、
一般的にはあまり良い感覚ではないと思います。
でも、私は、この感覚は意識すべき大切な感覚だと思います。
「かっこいい」ことをしたいと思うよりも、
「かっこ悪い」ことをしたくないと思う方が、健全な気がします。



数年前に「"かっこわるい"が"美しい!"に変わるティーパーティー」という名の
ワークショップに出たことがあります。
人は、誰しも自分の取った態度に対して「なんで、こんな行動をしちゃったのか、
かっこ悪いな、自分」と自己嫌悪に陥ることがありますが、
そこで自己否定する必要はない、なぜなら、
かっこ悪いと感じている裏には、「こうありたい」という願いがあるからで、
その願いは実はとても美しいものだ、自分の美意識に気づこう...
そんな内容のとても素敵なワークショップでした。


つまり、「かっこ悪い」に自覚的になること、
それは自分の美意識を知ることなんですよね。

あなたは、どんなことを「かっこ悪い」と思いますか?


8月の足音が聞こえてくる7月最終週。
素敵な1週間を!

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ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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