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どう働き、どう生きるか
先日、東名高速を車で走っていたら、
神奈川県大和市に差し掛かったあたりで、
大きな横断幕が目に入りました。
「70歳を高齢者と言わない街、大和市」
その頃、ちょうど大きな案件を抱えていて
「私は20代か!」とツッコミを入れたくなるような
働き方をしていた私は、これを見た瞬間、
「うー、 まだまだ働くのかー」と
泣きそうになりました。
あとから冷静になって、
大和市のサイトをのぞいてみると、
「人生100年時代」を迎える超高齢社会では、
一般に65歳以上を高齢者とする
固定観念を変えていくことが必要。
一人ひとりが大和のかけがえのない存在。
支えを必要とする方には手を差し伸べながら、
この世代の方々が、個々の意欲や能力に応じて、
いつまでも生き生きと活躍していただきたいと考え、
「70歳代を高齢者と言わない」ことを宣言。
というようなことが書いてありました。
うむ、なるほど。
「人生100年時代」「生涯現役」という言葉を
よく耳にするようにはなりましたが、
確かに昔の70歳と今の70歳は全然違います。
今の70歳はおじいちゃん、おばあちゃんではないですね。
サザエさんでは、波平さんは54歳という設定です。
びっくりしますよね。65歳くらいかと思っていました。
マンガとはいえ、昔の54歳はあのくらいの
おじいちゃん度だったのかもしれません。
さて、一方でこんな調査もあります。
アクサ生命が20~60代の男女1,000名を対象に
行った、人生100年時代に関する意識調査です。
人生100年時代をどう捉えているか?という
問いでは、ポジティブとネガティブが同じくらい。
若干ポジティブが多いくらいでした。
老後生活をどう捉えているか?という
問いでは、楽観的が4割弱、
悲観的が6割を超えています。
ネガティブ、悲観的な理由の多くは
金銭的なこと、身体的なことでした。
人生100年時代がポジティブに捉えられ、
実際に高齢者がいきいきと活躍し続けるためには
社会のしくみや医療のしくみ含め、
様々なことが一緒に変わっていかなくては
ならないのだなと思いました。
そして、働く側で考えてみると、
このコロナ禍は
働く人にとっての仕事観、人生観に
大きな影響を及ぼしたと思っています。
アデコの調査では、
20代、30代の約4割が、
コロナ禍で仕事観が変わったと回答しており、
若い世代のほうが影響を
受けていることがわかっています。
今後は、キャリア教育も急速に
変わるのかもしれません。
自分はどういう仕事をして、
どう生きていくのか。
そういうことを早い段階で
考えていくようになるのかもしれないですね。
あ、「70歳を高齢者と呼ばない街」から
いろんなことを考えてしまいました。
とりあえず私は、早急に
ワークライフバランスを整えたいと思います 笑
捉え直しでGO
用事があって家を2日ほど空けたら、
ちょうどプラごみを捨てる曜日とかぶってしまい、
捨てられませんでした。
1週間分のプラごみ、すごい量です。
我が家は今、子どもたちが夏休み中。
消費する食材も多いし、スナックやアイスなども
いつもよりも多く買っています。
とにかく食べ物の包装容器の量が多いのです。
この原稿を書くために、ごみ袋の中を
ゴソゴソ調べてみましたが、
うーん、こんなに大量のプラ包装・プラ容器がないと
暮らしていけない生活だったのか、と驚いてしまいました。
普段そんなに気にしていない自分が恐ろしい。
たとえば、
10個入りのクッキーだと、
外側の大袋が1枚、個包装されているからプラス10袋。
個包装されているので清潔だし、
袋を開けても一度に食べなくてもいいし、
品質も保たれるのでしょうね。
6個入りのロールパンも、
外側の大袋が1枚、なぜか中にプラスチックの
トレーが入っていたりして、それでプラス1枚。
このトレーは、形崩れを防ぐためなのか、
それとも輸送するときに、積みやすくしているのか、
いずれにしても丁寧に個包装されているものが
多いことに改めて気づきますね。
国連環境計画(UNEP)の報告書によると、
日本人1人当たりのプラスチックごみ廃棄量は年間32kg。
米国に次いで世界第2位です。
Reduce=ゴミを減らす、をやろうと思うと、
この暮らし方を変えなくてはならないわけで、
「こりゃ、大変だ」と今さらながら思いました。
そんな中、京都に本格的な量り売りの
スーパーができたという記事を目にしました。
この店は、容器包装ごみと食品ロスを無くすことを
目指していて、利用客は必要な食材を
必要な分だけ量り、持参した容器か、
店が貸してくれる返却式の容器に入れて購入。
ナッツやドライフルーツだけではなく、
生鮮品も扱っているらしく、
米、味噌、油、豆腐、卵など、
すべて必要な分だけ買えるといいます。
サザエさんがお鍋を持って
お豆腐を買いに行っていましたが、あれですよね
さらに、レストランを併設していて、
生鮮品は悪くなる前にレストランで調理するシステム。
この仕組みがうまくいったら、フランチャイズにして、
全国に量り売りを広め、日本の容器包装ゴミと
食品ロスをゼロに近づけていきたいと言います。
すばらしいなあ、と思いました。
記事の中にこんなことが書いてありました。
量り売りはどうしても面倒くさいという印象があって
敬遠されがち。
でも、その「面倒くさい」を「楽しい」に変えれば、
利用してもらいやすい。
量り売りという体験自体が楽しいと思ってもらえるよう、
たとえば買ったピーナッツをその場でセルフで
ピーナッツバターにできる機械も用意している。
そうですよね。
棚にある商品をサッと手に取って
レジでピッとやる暮らしに慣れていると、
家から容器を持ち出して自分で量って入れるなんて、
面倒くさいに違いない。
でも、今までの買い物の仕方と比較せずに、
楽しい体験をして、しかも地球に優しいことをしている
と思えば、わくわくしてくるから不思議です。
そしてこの店、写真で見ただけですが、
とってもおしゃれ。
量り売りは楽しいし、おしゃれだし、
地球にいいことしてるってかっこいいよね!
という捉え方が若い世代にどんどん広がれば、
浸透していくんだろうなと思いました。
そんなことを考えていたら、
リモートワークやオンライン会議なんかも
同じなのかもしれない、と思いました。
今までのように、オフィスで対面で仕事をする、
ということを前提にして、それと比較すると、
やはり不便さばかりが目につきますが、
新しいことと捉えれば、プラスに見えてくる。
暮らし方や何かのスタイルが大きく変わるときは、
捉え方が変わることとセットなのかもな、
と思いました。
それで思い出しました!
先日、見切り品コーナーと書かれたワゴンが
スーパーのフロアの端っこに置かれているのを発見。
置いてある場所自体、もう見切りました、のようで
雰囲気も良くない。明らかに人気がありません。
そりゃ、そうですよね。
見切り品なんて書かれたワゴンの前に
多くの人は、あまり立ちたくないのではないでしょうか。
そこで、「見切り品コーナー」と呼ぶのをやめて、
「SDGsコーナー」と呼ぶのはどうだろうと思ったんです。
「フードロスを防ぎませんか?」みたいにして、
デザインが良い、おしゃれなコーナーにする。
これを買うことが「かっこいい」「地球にいい」ことと
捉えられるようにすると売れると思います。
どなたかぜひ採用をー。
8月も終わりに近づいてきました。
まだまだ暑いですが、元気にまいりましょう。
「...」に頼っていませんか?
暑いですね...。
皆さま、いかがお過ごしでしょうか...。
というふうに、「三点リーダー」、
ついつい多用してしまっていませんか?
三点リーダーとは文末につける「...」のこと。
少し前に、「三点リーダー症候群」という言葉が
話題になったりもしました。
友人間、家族間なら
気にならないかもしれませんが、
ビジネスの場で使われていると、
相手の心境を探らなくてはならず、
困ることもありますね。
三点リーダーに込められた意味、
思いつくままに挙げてみました。
1 言い切る自信がないです
例: ~だと思いました...。
2 微妙に抗議しています
例: 以前のご指示で進めておりますが...。
3 普通に 。で終わると、
言い方が強すぎる気がするので
あなたを怒らせてしまうのではと心配です
例:よろしくお願いいたします...。
4 これでいいのでしょうか。ご指示ください
例: 資料をまとめておきました...。
5 などなど、ほかにもいろいろあるんです
例: ~にご連絡したり、スケジュールを調整したり...
6 ごめんなさい
例: 返信を忘れておりました...。
7 単なるつぶやきです。あまり気にしないでください
例: お腹がすきました...。
疲れました...。
ほかにもあるかもしれませんが、
大体こんなところでしょうか。
そして書きながら、気づきました。
これは危険ですね。
というのは、書いている人が
三点リーダーに込めたメッセージが
そのままの意味で受け取られるとは
限らないからです。
たとえば、上記の 1 の場合、
書く側が、なんとなく自信がなく、
~だと思いました...。
と書いたとしても、
受け取る側は、
「この人、なんか言いたいことあるのかな。
怒ってるのかな。それなら、こうしてほしいと
言えばいいのに」
と思うかもしれません。
3 で挙げた例も、そう。
言い方が強すぎて、
相手を怒らせたくないという理由で、
三点リーダーをつけたのに、
「何かほかにも言いたいことが
ありそうなのに、
この人ははっきり言わない」
と、結果として
怒らせてしまうことにもなりかねません。
そう考えてみると、三点リーダー、
使う人の「甘え」の現れかもしれません。
はっきりは言わないけど、
それに近いことは言いたい、ってことですもんね。
そんなことを思いながら、過去に
自分が書いたメルマガを読み返すと、
まあ、使ってる、使ってる、三点リーダー!
甘えがいっぱい。言いたいことは、
しっかり言い切らなくちゃなと反省しました。
本来は、「...」は
驚きや悲しみで言葉にならない状態や、
何かに言葉を遮られた状態、
沈黙、
言葉を飲み込んだ状態などを表すものですよね。
本棚にあった本をパラパラめくってみました。
(小説の会話に使用されている場合は、
三点じゃないんですね)
「出来るものなら三毛の代わりに......」
(夏目漱石『吾輩は猫である』)
この状況は、
「三毛の代わりに、この野良猫が亡くなればよかったのに」
を飲み込んでいます。
「......かわいそう......だね。お父さん。」
(平野啓一郎『ある男』)
この状況は、動揺しながらも言葉を絞り出している状態。
小説の三点リーダー探し、延々に続きそうなので、
このへんでやめておきます。
今日の学びです。
ビジネスの場ではもちろん、プライベートでも
こちらの意図を伝えなくてはならない場では、
三点リーダーではなく、
しっかり言葉で伝えましょう。
暑い日が続きます。
健康第一でまいりましょう。
よく考えてみたら、変かも?
次男が所属するサッカー部に
一人だけ女子部員がいるそうで、
その子が昨日のバレンタインデーに
サッカー部全員にチョコを配っていた、と聞きました。
サッカー部は2学年合わせて40人以上。
「えー! かわいそう! そんなことしなくていいのに」と言うと、
「でも、めっちゃ小さいチョコだよ」と次男。
いやいや、サイズは問題ではありません。
義理チョコなのか友チョコなのか、
もしかして本命がいたのか、
全員に配りたかったのか、
配りたくなかったのか、
その子の真意はわかりませんが、
もし、本人はそんなことしたくないのに、
そういう文化だから配っているとしたら、
本当に気の毒だと思います。
義理チョコ文化が始まったのは、80年代だそうです。
当時は、働く女性が職場の男性上司や
男性の同僚に渡すもの、とされていました。
ところが90年代以降、
義理チョコに疑問を抱く女性が増えてきたのだそう。
理由は、男性と対等な立場で働く女性が増加したことや、
金銭的負担が大きくなってきたことなど。
友チョコは、そんな空気を察して
メーカーが新たなマーケットを模索した結果、
生まれた文化なのだそうです。
あれ? そもそも日本のバレンタインデーは、
女性が好きな男性にチョコを渡すことで、
告白する日ではなかったんでしたっけ?
その文化は続いているのでしょうか。
調べてみると、
「バレンタインで告白は昔の文化」という見出しを
毎日新聞で発見。なにー? 昔?
全国の高校生と大学生を対象にしたアンケート調査
(2021年1月実施、高校・大学生265人が回答)の結果、
高校生のとき(現役高校生を含む)に
「バレンタインデーに告白した経験がある」
と答えた人はわずか1割未満。
「大学生になってからバレンタインデーに
告白したことがあるか」という質問には、
女性回答者の全員が「いいえ」と答えたそう。
そうか・・・。
バレンタインデー、好きな人にチョコをあげることで、
告白するという文化では、最早ないのですね。
これもまた「昭和かよ」と言われるやつですね。
毎年、我が家の息子たちに
「ねえねえ、チョコもらった?」と
ニヤニヤしながら聞いていた私の姿、
彼らにはどう写っていたのでしょうか。
さて、バレンタインデーが
告白の日ではないとしたら、どんな日なのか。
調査でわかったのは、
高校生にとっては大勢の仲間と交流を深める日、
大学生にとっては交際相手にプレゼントを贈る日だということ。
大人になるにつれ、「好きな相手に」という概念になるんですね。
興味深いです。
あれ? ここでまた疑問。
高校生が大勢の仲間と交流を深める日と
捉えているのはわかったのですが、
だとしたら男子が友チョコ配ってもいいですよね?
我が家の息子たちをみる限り、
やっぱり友チョコを配っているのは、女子だけのような気がします。
仲間で楽しもうよ、と言いながら、
でも当然チョコ配るのは女子の役目ね、みたいな感覚が残っているのかな。
それ、変ですよね。
時の流れとともに、変化するものはいろいろあるけれど、
その中で、なぜか変化せずに残ってしまっている
「考えてみたら変だよね」と感じること、
まだまだ、あるのかもしれません。
今年のバレンタインデーはそんなことに気づいた日でした。
皆さんはどう過ごしましたか?
ドラマに思いを馳せる
「感無量です。うれしすぎます。
おそらく今、世界で一番幸せな
サッカー選手なんじゃないかなと思います」
1月1日、元旦の国立競技場。
天皇杯終了後のインタビューで、中村憲剛選手はそう語りました。
この日、天皇杯優勝に輝いたのは川崎フロンターレ。
悲願の優勝でした。
そして中村選手は、この試合をもって
18年間在籍したフロンターレに別れを告げ、現役を引退しました。
実は中村選手、この試合には出場しませんでした。
試合後半、ベンチ横で数人の選手と共に
ウォーミングアップを始めましたが、
最後まで交代の声がかかることはありませんでした。
試合終了が近づいてきて、
中村選手が起用されないことがわかったとき、
私は、中村選手に同情してしまいました。
現役生活最後の日が、天皇杯決勝という大舞台。
最後、数分でもいいからこのピッチに立ちたいだろうに、と。
でも、そんなことを思ったのは、
お正月気分でなんとなく試合を見ていた
私くらいだったのかもしれません。
試合後、中村選手はこう言いました。
「勝ちが全てです。
勝利が全てということは、4年前の決勝敗退で、痛いほど味わいました。
こうしてチームが優勝する様子をベンチから見ていて
本当に頼もしかったです。
18年間の最後に、中村史上最高の1年間をみんなのおかげで送れました。
本当にありがとうございます」
そうか、彼らはプロなのだなと改めて思いました。
監督はもちろん、チームの選手たちも、
スタッフも、チームのサポーターも、
彼らが目指したのは「勝利」、天皇杯「優勝」。
この日が中村選手現役最後の日だということは
もちろん全員がわかっていました。
その中で、中村選手を起用しないという監督の決断と「思い」。
これを全員が理解したのではないでしょうか。
その思いを胸に、一人ひとりがプロとして戦い、
チームを「勝利」に導いたのだなと思い、感動しました。
「思い」と言えば、
今年も数々のドラマを生んだ箱根駅伝でも、
印象に残ったエピソードがありました。
青山学院大学のキャプテン、神林選手。
箱根駅伝で競技人生を終えると決めていました。
しかし、大会直前に骨折が発覚しました。
昨年1年、コロナ禍で思うように練習ができず、
チーム全体が肉体的にも精神的にまいっていたときに、
チームを引っ張ったのは神林選手だったと、
原監督は語っていました。
このチームは神林のチーム。
だから、競技人生最後の日、なんとか箱根を走らせたい、と。
大会当日、神林選手は、9区の飯田選手に
水を渡す「給水係」として、30メートルほど、箱根を走りました。
往路で12位まで順位を下げていた青学は、
復路で優勝。総合4位まで順位を上げてゴールしました。
原監督や神林キャプテンの思いを胸に、
復路の選手が奇跡の走りを展開した結果でした。
ああ、いいですね、スポーツ。
1月は、箱根や高校サッカーなどの
スポーツ観戦をしながら、表舞台のドラマにはもちろん、
舞台裏の出来事にも思いを馳せて、
毎年、テレビの前で感動しています。
でも、よく考えると、スポーツだけではなく、
様々なことに、そこに至るまでの
ドラマや思いがあるはずですよね。
いつも当然のように利用しているサービスや商品、口にしている食品、
それらが私たちの手元に届くまでにも多くの人が
いろいろな思いを込めているのだと思いました。
2021年、今年は、より想像力を働かせながら、
感謝を忘れずに過ごそう。
そんなふうに思いました。
笑顔のクセを意識する
日本で暮らす外国人から、
日本の文化や風習について様々な意見をもらい、
日本のいいところを再認識しよう、
という趣旨のテレビ番組『Cool Japan』。
番組MCで演出家の鴻上尚史氏が
ある時、雑誌でこんなことを書いていました。
「よく外国人に言われるのが、日本人の笑顔について。
日本人は真剣な話をしているときにも笑う。
自分の意見を言った後も笑うし、失敗しても笑う。
怒っているときも笑う。
ノーと言った後も笑う。
不思議だ、と彼らは言います」
なぜ、日本人は真剣なときや怒っているときでも笑うのか。
実際に番組で日本人の笑顔について
取り上げたときに、外国人から出た意見は、
次のようなものだったそうです。
「自分の意見を言うことが
相手にとって失礼だと思うからじゃない?」
「相手を失望させたくないから笑うのでは?」
「自信がないんじゃない?」
「いつだって場を和ませたいと
思っているから笑うのでは?」
「日本人は、いつでも笑顔でいなくては
いけないと思っているからじゃない?」
「いつも笑顔で、は違う。
廊下を歩いているとき、知らない人と
目が合っても日本人は微笑まない」
うむ・・・。どの意見も
当たっている気がしますね。
その場を和やかにしたい。
反対意見を言って、場を乱したくない
(でも、反対意見は言うから、せめて笑うことで和ませたい)。
意見は言うけど、自信がないから笑顔でごまかす。
断言する感じになると、
気が強い人だと思われるから、笑顔で和らげる。
「社会」の存在が大きい日本人の間では
普通に行われていることですが、
グローバルな視点で見ると、やはり奇妙ですよね。
脳科学者の中野信子氏は、
日本人の笑顔についてこう説明しています。
「笑顔には大きく分けて2種類あります。
おかしくてつい、思わず笑ってしまう、
いわばボトムアップ型の笑い。
そして、社会的な場面に合わせて笑顔を作る、
脳内プロセスとして意思が笑えと命じて
笑いを演じる、トップダウン型の笑いです。
日本人には後者の笑いが多いということが
調査からも知られています」
「日本人にとって笑顔は単なる感情表現ではなく、
社会性を形成する重要な要素であり、
相手に対する礼儀や思いやりでもあり、
自分の心を守るための戦術で、
日本社会で生きていくためには
外せないスキルの一つなのでしょう」
確かにそうかもしれません。
考えてみると、笑顔の役割が多すぎる。
でも、脳が命令するスキルとしての
笑顔ばかりだと疲れちゃいそうですよね。
無理に笑顔を続けているうちに、
職場や友人とのやり取りの場面ばかりでなく、
家族の前でさえも作り笑顔が消えなくなってしまう
「スマイル仮面症候群」
というものがあるのだそうです。
精神科医である夏目誠氏が名付けた症状で、
笑顔の仮面を外すことができなくなり、
心身に負担がかかっている状態を指します。
夏目氏によると、そういう状態にある人は、
自分が笑顔でいること、笑っていることに
気づいていないことが多いのだそうです。
いつも笑顔の人は穏やかに見えるし、場を和ませるのも事実。
でも、だからと言って、どんなときも
無理に笑顔でいる必要はないですよね。
「私、今、怒っているのに、笑っていたかも」
自分の笑顔に意識を向けて、
笑顔のクセに、少しずつ気づいていくことが
大切なのかもしれません。
鼻、きかせてますか?
我が家にウクレレベースという楽器がやってきました。
ウクレレくらいの大きさのベースです。
弦はゴムですが、鳴らすとしっかりベース音がします。
弦楽器は、高校生のときにギターにトライし、
指が痛くてまったく弦が抑えられずに諦めてから、
再チャレンジしていませんでした。
ベースを弾けたらいいのになあと思ったこともありましたが、
ギターであんなに指が痛いのに、
もっと弦が太いベースなんて弾けるわけがないと思っていました。
しかし、ウクレレベース、
軽いし、小さいし、弦はゴムだし、もしかしたら弾けるかも。
ちょっと触ってみたら、
なんとなくいけそうな感じです。
早速、ベースを弾けたら、これ弾きたい!
と思っていた曲の譜面を入手。
椎名林檎が作詞・作曲し、
TOKIOに提供した『雨傘』です。
弾いたこともないのに、いきなりそれ?
と言われそうな難易度ですが、
これが弾きたいのですから仕方ない。
たったワンフレーズでも、
できるとテンションがあがります。
さて、この曲、出だしの歌詞はこんな感じです。
「待って。鼻をきかせなよ。
今宵は雨だろう。傘ぐらいたずさえてゆけ」
ちゃんと自分の力を使って感じよう。
自分の力を信じよう。
そんなことを歌っています。
そうですよね。
今は何でもスマホ頼り。
私、Googleなしでは目的地にたどり着けません。
雨が降るかどうかはもちろん
雨雲レーダーでチェック。
自分で空の色や雲の形を見たり、
匂いで判断なんてしません。
でも、雨が降りそうなときの空気、意識してみるとわかります。
とくに雷が鳴る前は、風もなく、音も静かになって、
独特の空気感ですよね。
我が家の猫たちを見ていると、本能ってすごいなあと思います。
マンションの隣の棟のアンテナ先に
カラスを見つけると、身を低くして近づき、
(といっても窓ガラス越しですが)
「カカカ」と威嚇の声を出します。
1日1回、全力で獲物狩りごっこもします。
ものすごいスピードで家の中を移動します。
ああ、あなたたち猫なのね、と感心してしまいます。
そう考えると、人間は生き物感が薄いな、
と思います。
嗅覚も鋭くないし、目も良くない、
最大の特徴である思考力も
スマホ頼りの生活で衰えていっているような気がします。
イギリスのガーディアン紙の記者が
集中力を上げるために、1週間Google断ちをしてみた、
という記事を読みました。
彼は何でもスマホで検索し、
買い物もすべてネットで済ませるという生活でした。
1週間のチャレンジの結果、
彼はやりたいことがほとんどできなかったと言っています。
理由は、なんといっても時間がかかるから。
コーヒーメーカーの部品を取り寄せるのは電話。
まずオペレーターにつながらない。
やっとつながったと思ったら、型番がわからない。
郵送でカタログを手配。そんな調子です。
そんなわけでイライラしただけで、
集中力が上がることもなかったようですが、
発見したことはいくつかあったようです。
たとえば、買い物は路面店のほうが安いこともあるし、
選択肢も多いと気づいた、とか、
電話のオペレーターがとても親切にしてくれたので、
人の優しさに触れられた、とか、
自分はスマホの検索ボックスにただ疑問を
打ち込んでいたのだと思ったが、
疑問を自分の中でアレンジして
打ち込んでいたことがわかった、など。
共通するのは、気づきが得られた、ということでしょうか。
気づき。大事です。
そこから思考が深まります。
テクノロジーは便利ですが、ちょっとスマホの画面から目を離して、
空を見上げてみたり、外の匂いを嗅いでみたり、
周りを観察してみたり、
そういうことを大事にしていけないなあと思いました。
ネーミングは大事
コロナ禍で中止になっていた各種スポーツの試合が、
安全に配慮した形で、開催されつつあります。
Jリーグは7月からJ1リーグを開催予定、
プロ野球は来週からセ・パ両リーグで
公式戦の開幕を予定しており、
いずれも、当面はスタジアムに観客を入れない状態で
開催するとしています。
さて、観客がいない試合は「無観客試合」と呼ばれます。
日本トップリーグ連携機構代表理事の川淵三郎氏は、
この「無観客試合」というネーミングを変えるべく、
Twitterで「みんなでネーミングを考えよう」と呼びかけました。
なぜ川淵氏がこのように訴えているかというと、
「無観客試合」は、プロスポーツの選手にとっては
懲罰を意味するからです。
たとえば、欧州サッカーでは、
ファン同士が激しくぶつかり合ってトラブルを起こすことが少なくなく、
しばしば罰として無観客試合が行われてきました。
また、Jリーグでも、
ファンが差別的な横断幕を掲げたことから、
無観客試合という処分が下された例があります。
川淵氏はこう言っています。
「あらゆるスポーツ再開の前に思い至ったのは、
この名前を少しでも前向きなものに変えられないか、ということです」
なるほど、そうだなあと思いました。
ネーミングは大事だからです。
ネーミングによって、捉え方が変わり、心持ちが変わり、
それによって行動が変わると思うのです。
罰が思い出されるようなネーミングだと、
当然、選手はネガティブな気持ちになります。
モチベーションが上がりません。
それはプレーにも必ず影響してきます。
コロナの影響で、しばらくは観客を入れずに行うのですから、
この期間、この試合形式の呼び方が変わり、
前向きに捉えることができたら、ポジティブにプレーできるはずです。
こんなことを思い出しました。
かなり前、たぶん20年ほど前、
テレビでプロデューサーのおちまさと氏が言っていたことです。
おち氏は、
「ドメスティックバイオレンスのことを
DVなんてネーミングにしてはいけない。
こんなネーミングだと、気軽に使う人も増える。
そうすると、会話の中でふざけて使ったりする。
絶対にダメなことだと捉えられなくなる」
というようなことを言っていました。
とても納得したので、覚えています。
みうらじゅん氏も、どこかで似たようなことを言っていました。
「暴走族なんて、
かっこいいネーミングにしちゃいけない。
だって、オレ暴走族っていう響きが、
かっこ悪くないから。だから、なくならない。
本当になくしたいなら、口にするのも恥ずかしいような
ネーミングにしちゃえばいい」と。
これ、本当にそうだなと思います。
先ほども言いましたが、ネーミングによって、
捉え方が変わるし、心持ちが変わると思うのです。
なので、ネーミングは、本当によく考えて
しなくてはいけないと思います。
今日、久々に次男が属していたチームに顔を出しましたが、
少年スポーツでよく使われている
「反省会」というミーティングも、
別の言い方がいいですね。と、今、ふと思いました。
反省会するぞ、と言われると、
ミスを咎められるかな、叱られるのかな、と
思ってしまう選手もいると思います。
でも、「今後の試合のために対策しよう」という
ニュアンスなら、前向きに取り組めそうです。
「みらい会議」とか?
みなさんは、変えたいネーミング、ありますか?
相手のことを思ってみる
とうとう観てしまいました。
ゴールデンウィーク中に。1日中。全話。
そうです。『鬼滅の刃』です。
『鬼滅の刃』を知ったのは昨年です。
次男がクリスマス前にマンガ『鬼滅の刃』全巻を
リクエストしてきたのです。
初めてタイトルを聞いたので、
「何のヤリバ? 何?」などと聞き返して、
「知らないの?」と呆れられましたが、
調べてみると、その時点ですでに相当な人気で、
マンガは売り切れていて、簡単に手に入らないと知りました。
リクエストされた時、どんな内容なのか聞いたところ、
次男の説明は、
「妹を鬼にされちゃった人が鬼と戦う話」でした。
私は、「あー、またそういう系か」と、
勝手な想像をして、どちらかというと、いい印象を持ちませんでした。
結局、マンガも入手できなかったので、
私の『鬼滅の刃』情報が
アップデートされることはありませんでした。
(後から聞いたら、子どもたちは、
それぞれアニメを全部観たようでしたが)
で、このゴールデンウィーク。
家族がAmazonプライムで再度観ていた
『鬼滅の刃』の第一話をたまたまキッチンから
チラチラ観ていたのですが、
いつの間にかテレビの前に移動し、そのまま深夜まで全話観てしまいました。
遅ればせながら、『鬼滅の刃』、おもしろかったです。
私が感じた、この作品の魅力は、
なんといっても、主人公・炭治郎の思いやりの深さです。
これが、このコロナ禍、
とくに響いたのかもしれません。
炭治郎は妹を鬼にした
鬼たちと戦うために修行を重ね、どんどん強くなっていくのですが、
敵である鬼に対しても思いやりの心を持っています。
壮絶な戦いの末、鬼を倒した後でも、
その鬼がまだきれいな心を持った
人間だった頃に想いを馳せ、認め、悲しみを感じるのです。
今、世界中でたくさんの人が「我慢」をしています。
我慢が多くなると、
どうしてもネガティブになり、批判的になりがちです。
あ、批判すべきではないと
言いたいのではありません。
私は、意見したり、同意しないことに
同意しないとはっきり言うことは、いいことだと思っています。
批判も悪いことだとは思いません。
でも、相手のことを全く考えずにがんがん攻撃してしまうと、
解決できるものも、できなくなってしまうと思います。
たとえば、意見を言うとき、
こういう状況で、~さんもこう思っているのかもしれない、など、
相手の立場にちょっとだけ立って、考えてみるだけで、
伝え方も変わるかもしれない。
「相手のことを思う」ことが
物事を前に進めるためには必要なのだと思いました。
そんなことに気づかせてくれた『鬼滅の刃』。
10月には映画も公開予定だそうです。
観に行きたいなあ。
まだまだ落ち着きませんが、
みなさま引き続きご自愛ください。
五感にこだわる
テレビを観ていた次男が、
「フライドチキン食べたい!今!」
と叫びました。
パリパリの衣が特徴の
ケンタッキーフライドチキンのCMで
CM内で流れる「パリパリ」音がとてもおいしそうなのだとか。
後日、同CMを観ましたが、
なるほど、食べたくなる音でした。
ケンタッキー社の調べによると、
このパリパリ音には、脳の前頭葉に働きかけ、
ポジティブな気分をもたらすことにより、
食欲を増進させる働きがあるのだそう。
パリパリ音はお腹がすく音なのですね。
こうした食べ物を咀嚼する「音」に
最近注目が集まっているようです。
人気の背景には、「AMSR Autonomous Sensory
Meridian Response」と呼ばれる反応があります。
AMSRは直訳すると「自律感覚絶頂反応」で、
人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、
心地よい、またはぞわっとする
感覚や反応のことです。
今、多くのユーチューバーが、
専用のマイクを使って咀嚼音をクリアに拾った、
食べる動画を制作しており、
世界中で再生回数が伸びています。
この現象に注目した食品業界では、
より「音」にこだわった
商品開発が増えているそうです。
それにしても、なぜ、
咀嚼音が心地よさにつながるのか。
考えていたら、こんな調査を見つけました。
日本音響研究所が行った周波数分析によると、
スナックを食べる
「パリッ、ザクッ、ザクッ」という音は、
その波形が、なんと沖縄県・西表島の浜辺に寄せる
波の音と似ているのだそうです。
へえー!
自然の波の音に似ているから心地いいのか、
という単純なものではないとは思いますが、
「音」と気分の関係、とても興味深いと思いました。
咀嚼音に限らず、音にこだわった商品は、
以前よりも増えてきているように感じます。
私は昔から、電化製品にデフォルトで
設定されている終了音のメロディがあまり好きではなくて
ほかのメロディに変えたくても、
好きなメロディがない場合が多く、
仕方なく、シンプルな電子音にしているのですが、
大きな「ピーッ」という電子音も
そんなに気に入っているわけではないので、
もっとステキな音だったらなあ、
なんて思っています。
終了音だけでなく、スイッチ音なんかもそうです。
なので、スイッチ音に楽器音を取り入れた
バルミューダ社の電子レンジが発売になったときは、
「おおおー!」と思いました。
マーケティング業界では、
「感覚マーケティング」とか「五感マーケティング」
というジャンルがすでにありますが、
これからは聴覚のみならず、
消費者の五感に訴える商品が増えていくのだと思います。
館内の香りにこだわったホテルや旅館が
すでに評判を呼んでいますし、
自動車業界では、シートの座り心地はもちろん、
車内のスイッチのクリック感や押し込む深さなどにこだわって
開発された車も見られます。
そう考えると、もしかしたら、商品開発だけでなく、
たとえばプレゼンや社内のミーティングでも
五感にこだわることは大切なのかもしれません。
そんな目で見渡してみると、
いろいろなアイデアが浮かんできそうな気もしますね。
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