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社長の脳みそ整理mono-log モノログ

『言葉・意味・表現』カテゴリの記事

 

今日は、冒頭からちょっと脇道にそれて、お知らせを。
私事ですが、10月11日(木)から17日(水)の7日間、
表参道のギャラリーConcept21で「Denim Age~自由であるということ」
という個展を開きます。
「デニムエイジ 自由であること」で検索してみてください。
ほぼ在廊していますので、お時間が許せば、お気軽にお立ち寄りください。
私は、仕事でやりたいことと個人的にやりたいことが心の中で繋がっていて、
幸せだな、と思います。
どこかで、もう少し詳しく話させてくださいね。


さて、、、今日もそんなことと無関係ではありません。
最近の当社社内の重要な話題、それは、理念やありたい姿についてです。
18日の今日もそんなミーティングを行う予定です。

そんな中、行動面での「謙遜」についても話題になっているので、
今日は、「謙遜」について、真正面から考えてみたいと思います。
というのも、当社の価値観には、不必要にへりくだったり、
不必要に自分で自分を下げることを「非」とする考え方があります。
社内も社外も上も下もなく、対等な関係であることを「是」としているからです。


謙虚、謙遜、卑下。
これらは、本来違うのに、意外にごっちゃになって捉えられている気がします。
特に日本社会では、謙虚謙遜は美徳とされています。
でも、この二つは本質的に違うことです。
いったい、どう違うのでしょうか?

ゆっくり考えてみましょう。
今、謙虚を辞書で調べると、
「自分を偉いものと思わず、すなおに他に学ぶ気持があること」です。
つまり、基本的には学ぶ姿勢や他者との関わり方に関する姿勢を表しています。

一方の謙遜の辞書的な意味は
「へりくだること。控え目なつつましい態度でふるまうこと」です。
「へりくだる」というのは
「他人を敬って自分については控えめな態度をとること」です。
これだけを聞いたら、一概に悪いこととは言えません。
でも、言葉の意味からわかることは、
この言葉は「振る舞い」を示しているということです。

つまり、謙虚=姿勢、謙遜=振る舞い、なので、
謙虚な気持ちがない人が謙遜して振る舞うと、
あるいは単なるお約束として、その振る舞いをすると、
それは単なるポーズにしか映りません。
人の嗅覚は鋭く、それはいとも簡単に見抜かれます。

謙遜表現の中でも、私があまり好感を持たない例を挙げると、
まず身内を悪くいう「愚妻」「愚息」。
褒められた時に返す「いえいえ、私なんて...」。
自分を下げて相手を持ち上げる「私には到底思いつきませんが、さすがですね」。
露悪的にエクスキューズして「自分はおばちゃんだから/太っているから~」。

これらは決して「謙虚」さの表れではありません。
これらは「卑下」、一歩譲ったとして「謙遜」です。
「卑下」とは、「自分を人より劣った者として扱うこと。
へりくだること。謙遜すること」です。

「卑下」は字面も美しくありませんが、
字面から浮かぶ行為も美しくない、と思いませんか。
だって、自分を卑しめ、自ら自分の評価を下げようとするのですから。


謙遜と卑下は、本来的には違うことですが、「振る舞い」であることは同じです。
そして、この振る舞いをされた時に、私たちが感じるのは、、、、

実は「負担」。

「ご謙遜、ご謙遜」というセリフがあります。
あれは、謙遜されたら言い返すお約束のセリフでもあります。
これ、はっきり言って、面倒な慣習ではないでしょうか。
だって、「何をおっしゃいます、そんなことはありません」と
否定しなくてはならない。
内心はポーズとして言っているのだと分かっているのに、
わざわざケアする(これまたポーズで)。
よーく考えてみたときに、これ、本当にお互いやりたいことなのでしょうか。


あー 私、エラそうに書いていますね。でも、私もかつて痛い経験があります。
40歳頃だったでしょうか。
同級生と飲んでいました。で、私がこんな発言をしたのです。
「ごめん、もうおばちゃんだから...」とか
「おばちゃん、もうついていけない...」とか
文脈も言い回しも忘れてしまいましたが、
キーワードが「おばちゃん」だったことだけは今でも覚えています。
それほど深い意味もなく、
多分、ちょっと自虐的に軽く言っただけのつもりでした。
そしたら、その同級生は素晴らしいことを私に教えてくれました。

「実際に、もうおばちゃんなんだから、
こっちが気を遣ってカバーしなくてはならないようなことを
言わないでくれる?」と。

おばちゃんとおじちゃんが飲んでいるのに、
おばちゃんじゃないよと言わせるな、と。
これは、私にとって人生で重要な教えの一つでした。


サッカー、野球、テニスなど、
一流のスポーツ選手は決して謙遜しませんよね。
でも、謙虚です。
謙虚ではあるけれど、謙遜はしない。
その方が単純に美しい。そういう生き方をしたいものですね。

今週も素敵な1週間でありますように。

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当社では、仕事で分からないことを分からないと言わないと、
叱られます。
何が分からないかが分からない時にも、
何が分からないかが分からないと言えと、教えられます。
でも、世の中ではそうではない会社もたくさんあるようです。
私のパーソナルトレーナーはコンサル出身ですが、
調べれば分かることを調べずに聞くのはNGだったのだとか。
そんなことに上司の人件費と使うなという考え方だったそうです。
そういうことならまだ分かります。
でも、採用活動などをしていると、
たとえ目的さえよく分からない時でも、質問できる雰囲気にない...
そんな組織も多々あるようです。
分からないまま進めて、出戻りが増えるくらいなら、
分かった状態で進めて、そのアウトプットにフィードバックする方が、
効率的だし、成長スピードも上がるはずなのに。


さて、今日のテーマは「分かる」と「言葉」の関係です。
この記事で考えたい「分かる」の対象は、
・自分について
・接触する相手について
・自分を取り囲む物事について
です。


それぞれについて、自分が今何が分かっていて、
何が分かっていないのか、
そこにアンテナを立てることは、
コミュニケーション上も、重要ですよね。


たとえば「自分について」。
心理学で使われるフレームワーク「ジョハリの窓」の中に、
「盲点の窓」というのがあります。
自分について、他人は気づいているのに、
自分は気づいていない自己のことです。
そこに興味を持ち、分かろうとすることは、
コミュニケーションのズレを減らすために重要だとされています。


友人知人を含め、私の周りにいる人たちを観察すると、
「分かる」ことにこだわる人とこだわらない人がいるようです。
「こだわる」という言葉を使うと、まるで価値観のようですが、
私は、ただ行動習慣に違いがあるだけであって、
価値観でもなければ、能力的な違いでもないと考えています。
両者は「分かる」の捉え方も違います。
前者にとって、体系的かつ論理的に話せる状態が「分かる」であり、
後者にとって、ピンと来ていたら「分かる」です。
でも、、、そんな二人が会話をすると、
噛み合わないという事態に陥りがちなのも事実。。。


体系的かつ論理的に「分かる」ことにこだわる人が、
そこにこだわる理由は、分かることに意欲的だからというよりも、
分からない状態を放置しておくことが気持ち悪いと感じるからのようです。
この人たちに共通する特徴は、自分との対話を頻繁にしている点。
内省とか、内観と言ってもいいかもしれません。
その時、駆使しているのが「言葉」です。
自問し、言語化しながら自分の考えを整理していく、そんなやり方。
「〜ついて考えたのですが...」「ふと疑問に思ったのですが...」などと
話し出すことが多く、意見が明瞭で、説明も上手です。


一方、体系的かつ論理的に「分かる」ことにあまりこだわらない人は、
考えることや意見を持つことが苦手な人でもあります。
共通するのは、言語化して分かろうとせず、
イメージや感覚で分かろうとすること。
直感的に何が正しいかを感じ取ることに長けていて、
いきなり答えを口にしたりします。
その反面、説明も感覚的になりやすいので、
分かっているのは自分だけという状況になりがちです。


私自身は、「分かる」ことにこだわりますが、
直感が先に働くことも多いので、後者の人の気持ちはよく分かります。


で、先ほども書いたように、前者と後者の二人が会話をすると、
大抵の場合、なかなか話が噛み合いません。


さて、人が誰かに分かってほしいことを分かってもらうための
重要なツールが「言葉」です。
おそらくこれに異論がある人はいないのではないでしょうか。
では、こっちの2つはどうでしょうか?


「言葉」は、
・自分の考えや自分自身について理解を深めるためのツールでもある。
・相手について理解を深めるためのツールでもある。


私たちグラスルーツの理念は、「『言葉』で未来をつくる」ですが、
言葉にこだわるのは、分かり合う努力をし続ける世の中でありたいからです。
だからこそ言葉をそのための重要なツールとして、大切に扱いたい。

自分を、相手を、物事を、私は分かろうとしているだろうか?
言葉というツールを駆使しているだろうか?
そんな自分との対話で始めたい9月第1週です。


今年も残るは4カ月。
どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

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右脳左脳に始まって、多くの人は「脳」の神秘に対し関心を寄せています。
かくいう私も「脳」ネタは大好き!
今日の話題は、直接的に「脳」の話題ではありませんが、
ビジネス現場での思考のジャンプには、右脳的アプローチが必要で、
それにはどうしたらいいのだろう?という話題です。


問題解決や企画立案をする際に、一般的に重んじられているのは、
分析思考や論理的思考です。
でも、アウトプットするには、想像力やクリエイティビティが不可欠ですよね。
ところが、ビジネスの世界には左脳偏重の空気が流れているのではないでしょうか。
何といっても、左脳的な発言はアタマが良さそうに見えますから(笑
というわけで、右脳的思考の地位が、イマイチ低いのではないか、
もう少しその地位を上げよう、というのが今回の最初の問題提起です。


さて、ビジネスで求められる良いアウトプットとは何でしょうか。
私はこう考えます。
手に入れたインプットを、新しい視点から眺め、創造的にジャンプした具体策にすること。
インプットの一般的な捉え方は、例えば現状、事象、問題、データなど。
アウトプットというのは、何らかの「策」です。


で、一般論として、仕事で起きる問題は、
アウトプットはしていても、いまひとつジャンプ度が足りないということです。
原因は一概には言えませんが、私が注目するのは、次の2点です。


【1】情緒的・感情的なインプットが足りない/ない(必要ないと思われている?)
【2】抽象的なレベルでの思考の拡散が足りない


【1】が起きるのは、問題を事象レベルでしか見ないことが
当然化してしまっているからだと思います。
その対策として、私たちグラスルーツは「感情マッピング」という方法を
セミナーを通じてお伝えしています。


今日考えたいのは、【2】点目についてです。
これは、どういうことかというと、、、
良いアウトプットが、「手に入れたインプットを、新しい視点から眺め、
創造的にジャンプした具体策にすること」であるとすると、
新しい視点とは新しい意味を見出すことでもあります。
ところが、「意味」というのは大抵の場合、とても抽象的で、
同じものを見ても、感じる意味は人それぞれです。


私たち人同士は抽象的なものを取り扱うことを得意としません。
なぜなら見えないものだからです。
希望、夢、絆、共感、満足、高品質、価値、、、、
いずれも目に見えないもの、形のないものです。
だから、会話することがとても難しいわけですね。
それぞれの抽象概念に名付けられた名前(単語)を、
会話する相手がどういう意味で捉えているかさえ、実は分かっているようで分かっていません。
例えば、「希望」という言葉に対して、人が抱くイメージは、
人それぞれですし、その言葉との距離感も人それぞれです。


抽象概念を取り扱うのが苦手な私たちですが、
最近、それを克服するのに良さそうなツールに出会いました。
イスラエルの「Points of you®」のファウンダー、
ヤーロン(Yaron Golan)と エフラット(Efrat Shani)が開発した
写真と言葉を使ったカード型のツールです。
創造力や発想力に刺激を与え、
新しい視点を見出すことを促進させることのできるツールだと言えます。
カードの使い方は自由で、教育シーンなどでも使われていますし
ビジネスでは、Google、IKEA、Intelなどでも導入されているのだとか。


写真や絵を使ってイマジネーションを開発するという方法自体は
教育現場などでも取り入れられていて、それ自体は珍しいわけではありませんが、
このツール、豊富な写真は見ているだけでも楽しいですし、
思考の拡散と収束がしやすく、本音を言う場を設計しやすいのが特長です。


では、なぜこのツールが、抽象的なレベルでの思考の拡散に有効なのでしょうか。


普段私たちは、自分が感じていることを話す場合は、考えをまとめながら、言葉ありきで話します。
そうすると漠然としたことや直感的なことではなく、
どうしても意見らしいことやもっともらしい考えを話す必要があるような気分に陥ります。
つまり、この時点で拡散とは逆方向に向かっています。


ところが、自分が感じていることを言葉にする前に、
例えば写真カードを選ぶことから始めたとします。
そして、なぜこのカードを選んだのかを後から説明する。
すると、情緒的・感情的なことがとても言いやすくなります。
また、写っているものを観察することで、
何かのサインを感じ取ったり、インスパイアされたりもします。


こうしたことが起きるのは、
きっとこのツールが抽象概念を「モノ化」しているからだと思います。


形あるもの、目に見えるものがあると、
・お互いが感じていることを伝えやすくなる
・イメージを共有しやすくなる
・画面の外やこの瞬間の前後にまで、想像をしやすくなる
という作用が生まれます。
きっと、目に見えるものが拠り所となるのでしょうね。


ビジネスシーンでどう活用できるのか、
研究してみたいと思います。


暑い日が続いていますが、どうぞ素敵な1週間を!

一緒にメルマガを書いている阿部が
「スウェーデン式アイデア・ブック」という本を手にしていたので、
貸してもらいました。(フレドリック・ヘレーン著、ダイヤモンド社)
本の帯には「ひらめきが生まれる小さなヒントが満載!」とあり、
短いエッセイ30本で構成された気軽に読める本です。


例えば一番目のエッセイのタイトルは「針を探す」です。
アインシュタインの逸話を盛り込みながら、
答えは一つではないのだから、誰かが問題の解決案を提示した時、
別の方法はないかと聞くよう勧めています。
他人のアイデアを認めない偏屈な人物だと思われたとしても、
もう少し粘ることによって、もっといいアイデアが生まれてくるのだ、と。


そうかと思えば、「『イエス』より『ノー!』」というエッセイでは、
批判がアイデアを磨くとして、
アイデアを思いついた時はむしろ批判してくれる人を探して、
批評を得よと語っています。
アイデアにはタフネスが必要だと言わんばかりです。


この本で、私が面白いなと思ったのは、
「ノー」という概念をポジティブに扱っていることでした。


一般的に、アイデアはポジティブに取り扱う方が
膨らんでいくので良いと言われています。
人は否定されたくないし、
否定はモチベーションを下げるというのが通説です。
研修などでイエスアンド話法を教わったりするのも、
そういう前提があるからではないでしょうか。


ま、これ、ある意味正しいかと思いますが...


でも、その考え方にはちょっとした落とし穴もある、
ということをこの本は気づかせてくれました。
というのは、私たちはついつい「イエス」は善玉で、
「ノー」は悪玉と考えてしまいがちです。
擬人化して例えるなら、
背中を押して応援するのが「イエス」君で、
目の前に立ちはだかり妨害するのが「ノー」君です。
キャラクター的に言えば、
「イエス」はキラキラ輝くヒーローのような存在、
「ノー」はダークサイドの悪者というイメージでしょうか。


しかし、もし私たちが「良いアイデアを生み出す人」でありたいなら、
「ノー」とも仲良くしないといけないのですね。
考えてみれば、本当に良いアイデアは
その辺にゴロゴロと転がっているものではなく、
たくさんの「ノー」を克服したその先にある。
ごもっともです。


でも、私たちの心の中にある嫌われ者の「ノー」のイメージは
ちょっとやそっとで良くなりそうにありません。
どうしたら「ノー」と仲良くなれるのか...?
「ノー」と言われることにも、言うことにも恐れがなくなり、
「ノー」を違うイメージで見ることができるのか...?


「スウェーデン式アイデア・ブック」には
メタファーで表現することで視点が変わるとありましたので、
早速やってみました。
「ノー」をダークサイドの悪者ではない
別のキャラクターにできないか、と考えてみたのです。
以下、私がしてみた連想ゲームです。

 ノー
  ↓
 難しい問いかけ
  ↓
 禅問答
  ↓
 禅僧
  ↓
 達磨大師
  ↓
 ヨーダ


なるほど。
「ノー」のイメージのネガティブな側面が、
「スター・ウォーズ」に登場するヨーダのイメージになり、
深い知恵を持つ導師のように思えてきました。


私たちの頭の中から浮かんでは消えていくたくさんのアイデア。
「イエス」も「ノー」も味方につけて
アイデアの育て上手になりたいものですね。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください。

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ちょうど今、私は「未来は言葉でつくられる」(著:細田高広、ダイヤモンド社)という本を読んでいるのですが、
あなたは言葉の力を信じますか?

こう聞かれたら、多くの人は「イエス」と答えることでしょう。おそらく過去に感銘を受ける言葉と出会った経験があるからです。
それは、人から言われた言葉かもしれませんし、何かで読んだ言葉かもしれません。

つまり、誰しも言葉には人の気持ちを動かす「力」があることをなんとなく知っています。


でも、結局のところ、言葉の地位は、それ以上でもそれ以下でもない。
少なくてもビジネスにおいて言葉を大切にする経営を行なっている企業は、あまり多くないと感じます。

多くの場合、言葉がどう捉えられているかというと、説明して理解してもらうためのもの、なのではないでしょうか。それはそれで大切ですが、本当にそれだけかといえば疑問です。


私自身は、言葉こそが、自分の人生を変えたり、自分の仕事を変えたり、世の中をより良い方向に変えたりするのだと思っています。何かの始まりには常に向かう先を描く言葉があるのだ、と。


そんな私にとって、言葉は未来をつくるためのものだと語るこの本は、
まさに我が意を得たり!です。


この本では、ソニーやアップル、ディズニーやシャネルなどを例に挙げ、
革新的なことを成し遂げる出発点には
常に「ビジョナリーワード」と呼ぶべき1行の戦略ワードがあったことを紹介。
さらに、どのようにしたらその言葉が作れるのか、
アプローチ方法を紹介しています。


この本には共感することがいろいろと書かれていますが、
中でも一番強く「その通り!」だと思ったのは、
つくりたい未来の入り口を探すには、現状を疑うことが不可欠だという指摘です。


つまり、未来をつくる言葉をいきなり生み出そうとしてもできるものではなく、
現状を疑うことが先である、ということですね。
著者は、そのために有効なのは「本当にそう?」という自問だとしています。


以下の引用は、各社の出発点にあったであろう自問です。
ーーーー
ビジネスは、自然環境の敵である。本当にそう?(パタゴニア)
コンピューターは便利ならそれでいい。本当にそう?(アップル)
クルマは家計と環境の負担になる。本当にそう?(ジップカー)
ーーーー


そうなんですよね。


「疑ってみよ」というのは、身近なことでも言われますよね。
日々の仕事で当たり前のようにやっていることを疑ってみよ、とか。

ところが、疑ってみること自体、結構難しい。
人間は思い込みをする動物だからです。
これはこういうものである、という思い込みで
私たちはがんじがらめになっています。
これでは、未来を変えるどころではありませんね。


しかも、社会常識に対して思い込みを持つだけでなく、
自分自身に対しても思い込みを持っています。
・私は〜が苦手。
・私に〜する時間はない。
・私は〜をしなくてはならない。
思い込みは、言葉の負の力だということもできますね。

だから、仮に目の前のことについて「本当にそう?」と自問して、
「違うかもしれない」と思えても、
今度は「自分の手で現状を変えるなんてムリ。できるわけがない」
という思い込みが働き...などということになりかねません。


でも、、、、
そもそも人間が思い込む習性のある動物であるなら、
常に「本当にそう?」と自問するクセをつけるしかありませんね。
自分の思い込みワードを打ち消し、
自分の未来、社会の未来をより良くするための魔法の言葉、
それが「本当にそう?」なのかもしれません。


さて、10月がスタートし、2017年も最終コーナーです。
どうぞ素敵な1週間を!

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先月のことになりますが、
私たちグラスルーツは伝える仕事の面白さを届けたいという思いから
2つの小学校のサマースクールにエントリーし、
「お友だちをプロデュースしよう!」
「いろいろな題をつけて遊ぼう!」という子ども向け特別授業を開講しました。
当社のスタッフの子どもさんたちが通う小学校での開催です。
先生役は当社のスタッフ、子どもさんたちから見ればお父さん・お母さんです。
詳細は、こちらをご覧ください


参加した小学生たちの反応は上々で、友だちに質問するのが楽しかった、とか、
ほかの人は自分とは全然違うことを感じていることがわかって面白かった、など、
何かしら楽しい発見をしてくれたようです。


さて、先生役を担った二人との会話で、
普段、家で自分の仕事をどう子どもに説明しているか
ということが話題に登りました。
一人はわかりやすさ優先で「本を作っている」と語っているそうで、
もう一人は「働く人が元気になるための仕事をしている」と言っているそうです。
子どもにとって、前者は働く姿が目に浮かび、後者は大切な仕事なんだなと感じる、
そんな違いがある気がします。
いずれにしても、良くはわからないなりに、
子どもたちはちょっと誇らしいかもしれませんね(笑


私が小学生の頃、働く父親の姿を絵に描くという授業がありました。
ところが、どんな仕事をしているのか、父に聞けども聞けどもわからず。。。
当時、父は、国の地質系研究所のようなところに勤めていましたが、
何のための仕事なのかも、何をする仕事なのかも私にはわからず、
それでは絵が描けないので、
結局「周りにはこんなキカイがたくさんある」という絵を父に描いてもらって、
それを書き写したような記憶があります。
見たこともないので、私にはただの箱にしか見えませんでしたが(笑


自分の子どもに自分の仕事をどう説明するのかは、とても重要だと思いますが、
それは子どもに対してだけではありませんよね。
特に、自分自身のアイデンティティにとって最も重要である気がします。


その有名な例えが、レンガ職人の話ですよね。
「ここで何をしているのか」と問われて、
「レンガを積んでいる」と答えるのか、
「人々のために教会を作っている」と答えるのか。


では、実際の私たちは、自分の仕事をどんなふうに人に伝えているのでしょうか?
話す相手と状況によって、いやむしろ多くの場合、
「〜のために」の部分は語らなかったりしますよね。
たとえば学生時代の友だちから、「どんな仕事をしてるのか?」と聞かれたら、
「○○○の営業をやっている」とか、
「○○○会社の人事部にいる」と答えることの方が多いのではないでしょうか。
なぜならこの手の質問で相手が期待する答えはWhatであって、
Whyではないと思っているからです。
あるいは、下手にWhyを語ると、面倒くさいヤツだと思われる...と思っていたり(笑


でも、、、、ふとこんなことを思いました。
それは、自分の仕事へのこだわりをシンプルに語る言葉の準備が
不十分だということかもしれない、と。
たくさんの言葉を尽くせばWhatもWhyも話せますが、
シンプルに、子どもにもわかるような平易な言葉で、
ズバリ語ることは結構難しいものです。
そもそも自分の考えをそぎ落とすのが難しい上に、それができたとしても、
次は相手側の言葉で表現する必要があり、これまた難しいからです。


自分の仕事を人に(子どもにも!)わかりやすく、説明できるようになること。
それは、きっと自分の思考整理にもつながるのでしょうね。
あなたは、自分の仕事を子ども向けに説明するなら、どう説明しますか?


涼しくなってきましたね。どうぞ素敵な1週間を!

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週末は不安定なお天気でしたが、桜が見頃でしたね。
私は土曜日、友人宅に招かれ、千鳥ヶ淵の桜を満喫してきました。
桜の名所はあちこちありますが、やっぱり千鳥ヶ淵は圧巻ですね。
そして、なんとなく日本人としてのアイデンティティを再確認させられました。


さて今日は、「表現の自由」について考えたいと思います。
と、なぜか今日は大上段に第一声を挙げてみました(笑


私たちは「表現の自由」という憲法で定められた基本的な権利があるのに、
その権利を十分使っているでしょうか?
この権利、日頃あまり考えませんし、あって当然だ...というぐらいにしか、
普段は考えませんよね。
かくいう私もその一人です。


だからなのかな、
今週末から個人的に個展を開くのですが、
それに対する人の反応を見ていると、
「表現の自由」を奪っているのは、
もしかしたら私たち自身なのではないか?と
ふとそんなことを感じました。
ですので、今日は、憲法的かつ権利的な意味からではなく、
表現する自由について、私たち自身の心の面から考えてみたいと思います。


「表現の自由」は日本国憲法第3章第21条に定められています。
WIKIペディアを引用すると、
  すべての見解を検閲されたり規制されることもなく表明する権利[1]。
  外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由[2]
なんですね。基本的人権でもあります。


政治的権力から不当に制限されやすい人権だからこそ、
守られるべきである権利であり、
また人々の見解はそれぞれに違って当然で、
自由に発表できるからこそ違う意見を知ることができ、
それが民主主義にとって重要である...
というような意味づけもあるようですね。


ま、こんなふうに言われても、日常生活には何の関係もない...
というのが、多くの人の感覚です。
ですが、せっかく持っているこの「表現の自由」という権利、
それに対する感覚は私たちの中で養われているでしょうか?


私は権力的なものがもたらす影響もあるとは思いますが、
それ以前にまずは日常における自分たちのスタンスも大きいと思います。


「表現の自由」という以上、まず自分に対して、
「〜であらねばならない」という思い込みから逃れる必要がありますよね。
でも、多くの場合、そんな思い込みばかりではないでしょうか?
そう思っている限り、「表現の自由」という権利は
生かされにくいのではないでしょうか。


たとえば今回の私のように、個展を開くということを例に挙げるなら、
それについて、多くの人にはこんな思い込みがあると感じました。


・個展を開くなら、高い技術の作品でなくてはならない。
・個展を開くなら、お金を払ってギャラリーを借りなくてはならない。
・個展を開くなら、見る人にとって価値ある作品でなくてはならない。
・個展を開くるなら、ある程度まとまった作品数がなくてはならない。


私は、どれも思い込みだと思います。


高い技術の作品であるべきなのは、なぜですか?
技術が高い作品は、誰にとっていい作品でしょうか?
ギャラリーを借りなくても、ネットの時代、発表は可能ですよね?
見る人にとっての価値とはなんでしょう?
マーケットインでアート作品を作って楽しいですか?


個展を例にしましたが、
「表現の自由」というのは、絵画作品の制作&発表というシーンに限りません。


社内会議でちょっとした意見が求められて、なんと答えるか、
そこでも「表現の自由」という権利があり、
どう立ち振る舞うかの判断と実行があります。
私たちの中に、こんな思い込みはないでしょうか?


・会議で発言するなら、他の人が賛同する意見でなくてはならない。
・会議で発言するなら、意見は理路整然と述べなくてはならない。
・会議で発言するなら、自分を含め、誰かの対面を守らなくてはならない。


表現には自由があるのですから、
「〜でなければならない」と思う時点で、
権利と反対方向、言い換えれば権力側に向かっていると思います。
しかもそれ、あなただけの思い込みではなく、
周りの人も含めて、みんなで思い込んでいる場合もあるかもしれませんね。


でも実際には、
「こんなことを言ったら、波風が立ってまずいかな...」とか、、、
こんな心理が働いてしまうこと、ありますよね。
でも、、、
このスタンスでは「表現の自由」を満喫しているとは言えませんよね。


私が「表現の自由」というコンセプトにおいて、
大切だと思うのは2点です。
(その1)周囲目線ではなく、常に主語が自分であり続けること。
(その2)(アタマ)「〜であらねばならない」ではなく
     (ココロ)「〜が楽しいからやりたい」であること。


「〜が楽しいからやりたい」という軸でやってみた時に、
もしかしたら周りの人から批判を受けるかもしれません。
でも、人は誰かから評価されるために生きているわけではない、
それが基本的人権の考え方にあると思います。
だから、ちょっとやそっとの批判や評価に負けてはいけないんですね。


「自分は果たして『表現の自由』という権利を満喫しているだろうか?」
まずは、そんなことのセルフチェックをかけてみたいものですね。
今週もいい1週間をお過ごしください!

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先日、当社の社外取締役である川添香さんと食事をし、
とても良いインプットを得ました。
川添さんはシステムコーチングといって、
組織の関係をより良くするコーチングのプロフェッショナルでもあり、
エグゼクティブコーチでもあります。
グラスルーツはコーチングという手法とは異なりますが、
組織の中にある感情的な「問題」を取り出して、
議論の場をファシリテートし、施策に落とし込むという意味で、
川添さんと共通点のある仕事をしています。


そんな二人が食事をする中で、上司と部下の関係において、
あるいは上司が部下を成長支援するという関係において、
起きやすい問題について話題が及びました。


大きな組織といえども、小さなグループの集合体ですから、
個々の関係で起きていることが、結局組織のあちこちで起きて、
それが組織全体の問題になったりしますよね。



で、よくぶつかりあうことの一つが、「価値観」です。
「価値観」は、人それぞれが大切にしていることであり、
それを会社や上司から「変えろ」と言われるのは、
言われた方からすると言語道断ではないでしょうか。
しかも、そこに社会人としての常識やら何やらが重なって、
状況はもっとややっこしい。
「会社の飲み会には出たくない」という部下。
「仕事が終わっていないのに、用事があるからって帰るわけ?」という上司。
コミュニケーションの問題である場合もあるでしょうが、
「価値観」のぶつかりあいである場合も多い。


当たり前のことですが、「価値観」には
良い価値観、悪い価値観ってないんですよね。
だからこそ、「価値観」を巡って上司が部下に
「それは、おかしい」と表現すると大抵は反発されます。


しかし、「おかしい」という表現は良くないまでも、
上司も伊達に歳を取り、経験を積んだわけではないので、
「そのままその発想を続けていくと、成長できないんじゃないかな...」
と思うからこそ、何か部下に対して助言したいわけです。
でも、一つ間違えると、相手は価値観を否定されたと感じてしまい、
伝えたかったことが伝わらない。。。。
こんなシーン、実はあなたの周りでもよくあるのではないでしょうか。


川添さんが一刀両断に言った一言が、私には新鮮でした。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」。


いや、実際そうですよね。
これは、上司も部下も、誰の価値観もそうです。
私自身が大切にしている価値観も含めてです。
結局、それってみーんな思い込みなんですね。

ある経験をして、あることを感じ取り、それを信じる。
その上に、また経験を重ねて、それを強固にしていく。
そうやって出来上がっていくのが「価値観」です。
だから、まさしく「価値観」=「思い込み」ですね。


そう思ってしまえば、何のことはないのですが、、、、
「価値観」に性格的なことが絡むと、さらに厄介です。
慎重な部下と、自由闊達な上司という組み合わせを想像してみてください。
これは、性格とも言えますが、価値観でもあります。
実は、昨日、友人の経営者がそんな会話をしていました。
その話はまた別の機会にするとして、、、



「価値観」=「思い込み」だと思ってみると、
自分が何をどう思い込んでいるのか、セルフチェックができます。
たとえば私は、人生は短いのだから、やりたいと思ったことを、
とっとと決めて、とっとと試してみて、楽しいかどうかを判断し、
楽しければ続行、楽しくないなら次に行こ!...
という価値観(思い込み)が働きがちです。
つべこべ言っていると、人生はあっという間に終わっちゃうよ!というような。
私のこの価値観には、何かをスピーディに達成したいという願望が根底にあります。
でも、何かを達成しなくても意味のあることはありますよね。
何かを達成しないと人生の意味がないと思う「思い込み」は
どこかで自分を限定しているとも言えます。
自分を拡げるには、その「思い込み」が邪魔をしている可能性があることを
知っておく必要があります。


今のは私の例ですが、そんな思い込みは多分あなたにもある。
「価値観と言っても、所詮は単なる思い込みだからね...」
川添さんの一言、これを聞いて、あなたはどう思いますか?


せっかくなので、川添さんのメルマガを紹介します。
え?こんなことまで無料で教えてくれちゃうの?
...と思うくらい、豊富な知識をわかりやすく提供してくれます。
たまーにM社長として登場するのが私です(笑
ご興味があればぜひ! 私は、ほぼ毎号おもしろく読んでいます。
http://www.reservestock.jp/subscribe/58493


さて、今週はお花見シーズン。
桜。平均寿命からして男性80回、女性87回しか見られません。
(赤ちゃんのときは見た自覚がないから、もっと少ない)
だからこそ、イマココで味わうことが大切だなと思う今日この頃です。


どうぞ素敵な1週間をお過ごしください!

161011_artistway.jpg

前回はビデオを撮らなかったので、ビデオブログ的には2週間のご無沙汰です! 
今日は、アートについて話したいな。おつきあいください。


今回は、「ずっとやりたかったことを、やりなさい。」
(著:ジュリア・キャメロン、原題:The Artist's way」)
という本を紹介しながら、自分の心を解放してクリエイティビティを発揮するということについて、一緒に考えたいと思います。


この本は、誰もがみんなアーティストなんだよ、ということを教えてくれる本です。と、同時に、人が創造的になるための方法(12週間のプログラム)が紹介されています。共感します! この本は、一時期当社がお世話になっていた飯島波奈さんという方から最近教えていただきました。飯島さんはそのワークショップなども開いています。ご興味があればぜひ。


この本を紹介したいと思った理由は、たまたま私自身が、今、絵を描いているから。
そして、人の心を自由にする方法を私も人に広めたいと思うからです。


私自身は、何の専門教育も受けていないのに、
あるときは、絵を描こうと思い、
あるときは、音楽を作り、
あるときは、小説を書きます。
ただただそれをやることが楽しいからです。


今は、絵を描くために、
Youtubeを見て、絵の具の使い方を学んでいます。
絵の具の溶き方も、下地の作り方も、何も知らず、
誰のためでもなく、自分が満足するために絵を描くことをやっています。
しかも、いきなり展覧会を開くことを目標に掲げて(笑


でも、、、、
昔はそうではありませんでした。


幼稚園のとき、私は絵を描く行為で、
子供らしくない態度をしていたらしく、母を悩ませていました。
つづく小学校1年生。
初めての通信簿で、図画工作の評価は「3」。
私の自尊心が求めるのは「5」。
認められない初体験。子どもながらに辛かったです。


でね、その「私は苦手」という意識が、その後の私を縛ります。
自分で自分に「苦手」を刷り込んだんですね。かなしい。


ところが、高校生ぐらいになって、
そんな私が、途中で自分を解放し出して、
クリエイティブなことって誰でもやってもいいのかも、と思い始める。
その高校の文化祭や体育祭が、とってもクリエイティブで、
私にしてみると「え? そんなこと、やっちゃってもいいんだ!?」と
思うほど、お祭りでクリエイティブパワーが全開になる、
そんな高校だったからです。
正確に言うと、私は運動部だったから、
そこで何かを発揮することはなかったけど、
自分にOK出しをしていいと思えたのは、その頃だと思います。

というわけで、今では、私も自分をアーティストだと思えるし、
すべての人がアーティストだと思えます。


具体的には、私は10年に1度ぐらいの感覚で、
アート三昧して、自分を表現したくなり、
実際にそれをやってきました。
私は会社経営もアートだと思っていますが、
絵画、小説、音楽、詩などによって自分を表現することは、
自分らしくあるために必要なことなんですね。


私は、美術を学んだこともないし、音符も読めないんですが、
本質からすると、そんなことはどうでもいいことです。
というか、そんなことを知らなくても、自分を表現することはできるんですよね。
でも、そこって、人にとっては「???」なのじゃないかな。
本当はみんながやりたいことなのに。

じゃあ、そのためにどんなことが必要なのでしょうか。
私は最低次の2つが必要だと思っています。


第一は、自分への思い込みを手放すこと。
人は、たくさんの思い込みを自分に対してしています。
多くの場合はそれが制限になっています。
自分が自分にしている制限を解くこと。
表現したい欲求にしたがうことを自分に許すこと、
それが最初の一歩だと思います。


第二は、他人に褒められたいという気持ちを捨てること。
誰しも、他の人から認められたい気持ちを持っています。
が、自分が表現したいなら、まずはそれを忘れること。
むしろ、自己満足を大切にすることです。


すべての人はアーティストである、
...という私の意見、あなたはどう思いますか。


そういう社会になったら、毎日がイノベーションです。
そんなニュースで溢れている社会になると思います。
そのために私にできることはなんだろう? 
きっと何かあるはず! そんなふうに思います。


今日も聞いてくださって、ありがとうございました。
素敵な1週間をお過ごしください!

私たちは、1日に何度となく「わかりました」とか、
「承知しました」という言葉を使って、
会話をしたり、メールを書いたりしています。
気軽に使っているこの「わかる」という言葉。
でも、よくよく考えてみると
とても高度な脳の働きが求められますよね。

仕事で私たちが「わかる」と言う時、大抵の場合、
「あなたの希望はわかりました」とか、
「私に期待されていることはわかりました」というような
意味で使っているのではないでしょうか。
でも、実際には人が他人の思いを100%理解することは
不可能です。


ですから、「わかる」と言っている時の本心は、
相手の希望はだいたいこんなことだろうな、と思っているにすぎません。
そして、ポイントさえ外さなければ、それで事足りたりします。


希望を伝えた本人も、詳細にはわかっていない場合があり、
それはつまりAということですか、Bということですかと聞いて初めて、
Aだとわかるということもありますよね。

本当はとても高度なコミュニケーションなのに、
大胆にもアバウトにやりとりしているのが
この「わかる」の表現です。


どうしてでしょうか? これについて私は、
そもそも100%理解し合えることがない、ということは、
「わかる」には終わりがないからだろうな、と思います。

こんなシーンもよく見かけませんか?
目的だけ伝えて、あとは「よろしく」とだけ言う上司に対して、
部下は説明された目的に対して「わかりました」と言う。
でも、なぜそれが今必要なのか、
どのように進めればいいのかまではわかっていない。。。
そうすると、「よろしく」と言われても部下は立ち往生するしかありません。
こういう失敗は私も時々してしまいます。

グラスルーツには「わからない時には、わからないと言って良い」のではなく、
「言わないといけない」という価値観がありますが、
かといって、人には自分が今何がわからないかがわからない...
ということもあります。
「わからない」状況のまま進めた結果、
より良いアウトプットができなかったとしたなら、
それは頼んだ上司の側に責任があるんですよね〜

「わかる」を理解することは、1対1の関係にかかわらず、
伝える仕事に携わっている人たちにとっても
重要なスキルですよね。


当社の企画力養成講座では、「わかる」の5ステップとして、
「ラクダ(RUCDA)の法則」というものを紹介しています。
非認知から行動への5段階です。


R(Recognize)認知する段階
U(Understand)理解する段階
C(Chew)咀嚼する段階
D(Desire)志望する段階
A(Act)行動する段階


そして、相手が知りたいこと、知りたい順番の原則は
What(それは何か)
Why(それはなぜ重要か)
How(どうやってやるのか、それをするとどうなるのか)
...であるとお伝えしています。


「WHYから始めよ!」(サイモン・シネック著)という説もあります。
一理あるとは思うものの、
一歩間違えると、相手は混乱するんじゃないかな。
何の説明をされているかわからない時に、
それがなぜ重要かを説明されてもね。。。

人と人はわかりあえないからこそ、
わかりあう努力をすることが大切ですよね。
自分が今何をどうわかっているのか、わかっていないのか、
相手が何をわかっていて、何をわかっていないのか、
気にかけながらコミュニケーションすることが大切ですね。


今週も素敵な1週間をお過ごしください。

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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