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『ココロのミステリー』カテゴリの記事

 

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2023年もあと10日ほどで終わろうとしています。
今年はどんな1年でしたか?
私にとってこの1年のキーワードは「課題」でした。
会社の課題、自分の課題、案件の課題、社員の課題...。
いろいろな意味で課題に溢れた1年でした。
ですが、私、課題は嫌いではありません。
課題は伸び代であり、成長にとっては宝だと思うからです。


でも、一般的には自分の課題は見たくもないし、人から言われたくもない、
できるものならフタをしておきたいと思っている人は多い...
と、先日ある人との会話の中でそんな話が出ました。
そうかもしれません。
さらに言えば、ネガティブ思考やネガティブ感情は良くない、
ポジティブな思考や感情は良い、そう思っている人が多い(?)
でも、本当にそうでしょうか?


結論から言うと、私は、その考え方には懐疑的です。
ネガティブな思考や感情の方が、ポジティブなそれよりも、
圧倒的に熱量が高いですから、
そのエネルギーをうまく使えば何かが生まれると思います。
実際、自分の経験からいっても、
人生観を変えたり、苦難を乗り越えたり、
新しい世界に足を踏み入れた時には、
その直前に大抵は負のエネルギーがあった気がします。


さて、ここまで考えていたら、
かつて流行った心理テストのようなものを思い出しました。
コップに水が半分入っているのを見て、どう感じるかを尋ねるもので、
「コップにはまだ半分も水が入っている」と思うか、
「コップにはもう半分しか水が入っていない」と思うかの2択。
前者を選ぶとポジティブ思考で、後者を選ぶとネガティブ思考...
というようなものでした。
今思えば、そんなに短絡的に決めつけていいはずがありません。


コップの水を巡っては、ドラッカーの言説にこんなものもあります。

「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。
世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、
イノベーションの機会が生まれる」
(P・F・ドラッカー『イノベーションと起業家精神』)

つまり、ドラッカーが言いたいのは、
むしろ先ほどの心理テストの裏返しで、こういうことだと思います。
人がコレコレがないことに不満を感じ、
さらに、おかしいじゃないかと憤りや悔しさを感じる、
それがエネルギーとなってイノベーションを生む。
満たされているからと楽観視していたのではイノベーションは生まれない...。
言われてみれば、まさにその通り!


で、これ、社会もそうですが、個人の内面の変革でも言えるような気がします。
先週末の16日、「ハンク・アーロン賞」を受賞した大谷翔平選手が、
8年前にこんなことを言っています。

自分の中で課題を消化するのが野球のおもしろさなのかなと思います。
今の相手と今後10年、20年、ずっと対戦していくのなら、
このバッターを倒すために必死になるとか、このピッチャーを打ち崩そうとか
思うのかもしれませんが、メンツも時代も変わりますし、
若い世代が入ってくれば対戦相手もどんどん変わる。
だから、思い通りに投げられなかったボールで抑えたことをオッケーにしちゃったら、
成長するチャンスを失うことになるし、もったいないじゃないですか。」
(Number881号:2015/07/02)

つまり、課題があるから努力がある。そこでの努力が重要であって、
結果オーライで課題をクリアしてもダメだと彼は言っているわけですね。


自分にはここが足りないと気づく。
できないことは、できない。
苦手なことは、苦手だ、と素直に自覚する。
足りない面を埋めようと努力するかどうかは二の次。
苦手なことを全部克服しようとするのは逆にナンセンスですからね
まず自分の現実をちゃんと直視する。
すると、努力すべきかどうかがわかる。
どんなに努力しても到底できそうにないなら、方向性を変えれば良い。
やってみてから考えようと思うなら、そうすれば良い。
課題を直視して、努力した結果、成果が出たら自信になるし、
仮に成果が出なくても、次に活かせる学びが残る。
苦手だと直視できたら、「誰かに助けてもらうしかない」と気づくこともできる。
課題という言葉には、そのような広がりがあるように思います。


私は、大切なことはポジティブであることでも、
ネガティブであることでもなく、
ネガティブなことをポジティブに転換することなのではないかなと思います。
あなたはどう思いますか?


寒暖の激しさに体調を崩しそうな今日この頃、
2023年を元気でフィニッシュしたいものですね!

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今年も2カ月を割り、年末が近づいてきますと、

  残る2カ月で、今年本当はやりたかったことがやり切れるだろうか?
  このままできずに終わったらイヤだな...

と、そんな焦りの気分に見舞われます。
「できなかった」はセルフイメージや自己肯定感を下げかねず、
ますますゲンナリ。。。
と、なりそうになるのですが、思考は自分でコントロール可能ですからね、
私は「待て待て。モチベーションは自分でなんとかせい」と言い聞かせています。


というわけで、今日のテーマは「モチベーション」。
ちょっと広すぎるテーマですが、
改めて何なのだろう?と考えてみたので、共有させてください。
言うまでもなく、この言葉は日常的によく使われます。
最近当社では、コンテンツ開発セミナーや連載記事のテーマとして
「モチベーションで」とのご要望をいただく場合も少なくありません。

誰しも、自分が実現したいのに、うまく進まないとき、つまり、
目標を掲げたのに挫折したり、続けるつもりが継続できなかったりしたときに、
自分の中にある「モチベーション」のありようについて考えますよね。

自分のモチベーションについてだけでなく、
例えば、仕事で誰かにネガティブなことを伝えなくてはならないときに、
相手のモチベーションを下げないようにと苦慮することもあります


私たちが「モチベーション」という言葉を使うとき、
大抵は「意欲」の言い換えで使っているような気がしますが、
本来「motivation」の意味は(行動を引き出すための)「動機付け」です。
その本質は何なのでしょうか?

以前の心理学では、人は、報酬や評価、懲罰などの外発的要因によって
動機付けられる、と考えられていたそうです。
それに対し、米国の精神科医ウィリアム・グラッサー博士は、

・人は自分の行動と選択をコントロールできる存在であり、
 選択によって自分の基本的な欲求を満たし、幸福を感じる。
・人の行動や選択は、自分の欲求によって内発的に動機付けられる。

...と考え、これを「選択理論」(Choice Theory)と名付けました。


細かい話は脇に置いておくとして、モチベーション(行動・選択の動機付け)の
根っこにあるものは、自分の欲求、すなわち「願い」だということになります。

と、いうことはどういうことか?
この理論を採用するならば、
行動できるか、達成できるかは、結局「願望の強さ」、すなわち
どれだけ強く願っているかにかかっていることになります。

私が最初にこれを知ったときに思ったのは、
「え? 重要なのは意志の強さではないの?」ということ。
私の中では、「意志」とは、覚悟や決意に近いイメージで、
「願望」とは別のものでした。

そうと分かれば、なんだかモチベーション維持もできそうな気になりませんか?

なのですが、、、、
実は、人の願望というのは、多くの場合、とてもふんわりしたもので、
なんとなくの願いなんですよね。

私たちは、本当に自分が求めているものは何か?などと、
普段なかなか真剣に考えません。
そして、この「本当に自分が求めているものは何か?」の意味は、
成し遂げたいことなどではなく(いえ、それはそれでも良いのでしょうが)、
どんなとき、どんなことに幸福を感じるか、
どんなときに心が躍り、反対にどんなときには怒りや嫌悪を感じるのか、
というようなことから始まるのだと思います。

でも、自分自身のことなのに、なかなかキャッチできないばかりか、
「あらねばならぬ」で考えてしまったりします。


しかし、本当の私たちは、選択や行動を願った通りに決められる。
ありたい自分になれるし、やりたいことをやっている自分になれるはず...なのです。
(あー また始まった! 今回も自分に言い聞かせている笑)
強く願えば叶うなら、たまには胸に手を当てて、自分の願いを考えるとしよう!

心に秘めた強い願望、持っていますか?
モチベーション系のコンテンツは、こんな観点からも考えられそうですね。

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今日は、私にとって耳の痛いテーマになります。
というのは、やりたい、やりたいと思っていても、
やらなくちゃ、やらなくちゃと思っていても、
やれていない状況に目をつむったり、言い訳したりする、
そんな自分自身の話でもあるから(苦笑

たとえば、このメルマガ。
実に久しぶりになってしまいました。
調べたら、なんと5月25日以来です。
メルマガのように継続性が重要なことは、
一度休むと戻ってくるのが大変。
そんなことは百も承知なので、
今までこんなにお休みしたことはありません。

つまり書けなかったのは尋常じゃなく忙しかったからなのですが、
できなかった日に「しょうがないや」と自分をなだめることは、
あまり美しいことではなく、結構ストレスでもあります。
継続には無理は禁物、でもできる無理は必要。
要はそのバランスが重要だと思っているので、
マイルール的にはヨシとしましたが、
やるのもストレス、やらないのもまたストレスなんですよね。


あ、でもこの間にちゃんとやり遂げたこともありますよ。
3月からの4カ月で3kg痩せるという目標は、
先週ちゃんと達成できました。
完璧にストイックな生活を送ったわけではありませんが、
お酒を控えたり、カロリーコントロールしたりと、
それなりに意識して実行した成果です。

やりたいし、やった方がいいと思っている。
でも、できないことがあります。
なぜできないのか、胸に手を当ててよく考えてみました。
それは多分、実は「やりたい」はウソなんですよね。
本当の願望としての「やりたい」になっていない。
本当の願望でないと、スイッチって入りませんね。

たとえば3kg痩せるというのも、
特別太っているわけでもないから、それだけだと切実度は低いわけです。
ただ3kg痩せられたら、こういう服が着られるとか、
その程度の願望はあります。
でも、その程度だと本当のスイッチってなかなか入らない。

なのですが、我が家の場合、遺伝的に循環器が弱く、
悪玉コレステロール値が高かったりすると
(真剣に取り組もうと思った理由はまさにこれでした!)
血栓ができて、血管が詰まるなどの可能性があります。
すると「きゃー こわい!」と、スイッチが入ります。


「やりたい」はウソではなく、本心なのにできないこともありますよね。
大抵は、それをやる時間の確保をないがしろにしてしまうというか、
目先のことを優先してしまう場合に起きます。
よく言われるところの、重要度が高いけれど緊急度が低いこと、
重要度は低いけれど緊急度の高いことがある時、
人は緊急度の高いものを優先してしまうというアレです。

で、これを突き詰めていくと、緊急度が高いと思い込んでいることを
手放す勇気がない時に起きるのだと思います。
体は1つ。1日は24時間なのだから、何かを手放さないと時間は作れません。
頭ではそれがわかっているのに、手放すことができない。
なぜなら、きっと手放すというのは、諦めることだからです。
手放す→諦める→粘り強さが足りない→悪いこと
多分こんな思い込みがあって、積極的にはやりたくない。
まして若い時は時間がたくさんあるので、執着しがちです。
この歳の私でさえ、手放すのは諦めではなく、選択だと言い聞かせてますが、
それでも何かを手放すことは簡単でないと感じます。


やらない理由はほかにもあります。
現状に何の問題意識もなく、あくまで現状肯定している場合です。
楽観的な性格だったり、自信過剰で自分を客観視する習慣がない場合、
努力しようという発想になりません。
そう考えると、自己客観視は成長に不可欠なものだと言えそうです。


がんばったつもりなのに、新しい体験から咀嚼をやらなかったために、
身につかないなんてこともありますねー
「つまりこういうことか」と整理する習慣があると、
コツが早くわかるのに、整理をやらない。
でも、それにも、きっと理由があります。
おそらく結果良ければすべて良しで、
終わるとホッとしてそのまま放置してしまうからなのかな?
立ち止まらないとできないことだから、
忙しい忙しいと言っているとできないのかも。

人間は得てして怠け者です。
そうだったからと言って、誰からも罰せられません。
でも、人生は一度きりです。
やらない後悔はイヤですよね。
Just do it.
...と、どこかのスローガンにもあるこんなテーマで
コンテンツの企画ができそうですね(笑

まもなく3連休です。
まずは今週を乗り切りましょう!

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すでに先週23日から始まっている東京オリンピック。
たくさんの感動に直面し、私はもう何度も泣いています。

そして、改めて感じたのは、
アスリートたちは、私たちが思っている以上に
さまざまな「苦しみ」と向き合って、ここに至っているということです。

コロナによる1年延期はもちろんですが、自分自身の好調不調により、
うまく行かない、結果が出せるだろうかなど、苦しさや不安と戦ってきた。
さらに、オリンピック開催への反対ムードは、葛藤に拍車をかけたことでしょう。

私たちは、オリンピックに出るぐらいの選手なら「常に前向き」だろう
というイメージを抱きがちですが、みんな人の子なんですよね。

さらに競技の当日のメンタルが、結果に対していかに大きな影響を与えるか、
改めて痛感します。

たとえば、金メダルを取った柔道男子73キロ級の大野将平選手。
「自分の中でも感じたことのない恐怖の中で戦っていた」と語りましたし、

テニスで残念ながら3回戦敗退した大阪なおみ選手は
「プレッシャーにはもう慣れてもいいはずだけど、休んだ後ではより強く感じた。
少なくとも1回戦負けでなくて良かった」と語りました。


スポーツをやった経験のある人なら、
メンタルがいかに結果に影響を与えるか、体験的に知っていると思います。
メンタルにもいろいろな側面がありますが、その1つが「集中」。

私の自分の体験をシェアすると、
ハンドボールでシュートを打ちながら、
一瞬でも「入るかな?」と思ったら、ほぼ間違いなく入りません。
ゴルフも同じです。

しかも、これはスポーツだけではありません。
先日、私が通っている音楽のレッスンスタジオで、発表会がありました。
私が習っているのはドラムなのですが、
叩きながら「あ、ここ間違えたらイヤだな」と思ったら、その瞬間必ず間違えます(イタ!)
幸い、発表会当日は、全集中で臨み、なんとかミスなく叩けましたが(笑)

つまり、「できるかな」「できないとイヤだな」などの気持ちがある時点で、
集中できていないということなんですよね。
没我の境地でいると、できる。不思議。

そして、「自分はできる」というイメージを持つことも、成功には必須のようです。
きっと、どんなこともイメージできないことはできないからでしょうね。


ところで、卓球の男女ダブルスで、水谷・伊藤ペアが悲願の金メダルを取りました。
何度も絶体絶命のピンチに陥りながらも、まさに粘り勝ちの真骨頂。
その姿に、人の持つ素晴らしい力を感じたのは、私だけではないと思います。


さて、スポーツ選手のこういった粘り勝ちを目の当たりにすると、
「レジリエンス」という言葉を思い出します。

その言葉、直訳は「回復力」「復元力」「弾力性」などですが、
要は、ストレスがかかっても元に戻ることのできる「しなやかな強さ」のことです。

せっかくなので、選手たちの強さにあやかって、
レジリエンス研究、しちゃいますか!?


レジリエンスを成り立たせる要素は、厳密に言えば、
研究者によって見解が違っています。
でも、大筋で集約すると、この5つかな...と思われる要素を紹介しますね。
それぞれの要素に関連するアスリートたちの発言(TOKYO2020以外も含めた)も
併せて取り上げておきます。まるで、読んだよ大特集ですな(笑)


その1:感情・情動コントロール力
自分の感情や行動をコントロールできること。

  • こんなところで泣いてしまっている時点でまだまだ(萱和磨・体操)
  • 卓球以外でも強くなった(伊藤美誠・卓球)
  • 悔しい思いをしたぶん、もっと強い気持ちで練習に取り組める(桃田賢斗・バドミントン)


その2:「自己効力感」
端的に言えば、自信。達成経験やポジティブな自己認識から
「自分なら出来る、きっとうまくいく」と自分の可能性を信じる力

  • 持っている力を100%出し切ることができれば、夢だった決勝進出も現実的になってくる(山懸亮太・陸上)
  • やっていて感じるのは、まだまだ自分は成長できるなということ(羽生結弦・フィギュアスケート)


その3:「自尊感情」
他人と比較することなく、自分自身を価値ある者だ、
自分自身を好きだと感じられること。

  • どんなに打ちのめされても、心底、体操が好き(内村航平・体操)
  • 何回もミスして、何回も成長して。それが自分らしい(小出未来・水球)


その4:「良い人間関係」
人と信頼関係を築ける力

  • 康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない(松田丈志・水泳)
  • 内村さんから電話をもらった。ケガをして3日後くらいにいきなり電話が来て『大丈夫?気持ちを切らさなかったら絶対に戻って来られる』という言葉をもらって頑張ろうと思った(北園丈琉・体操)


その5:「楽観性」
未来に対して絶望せず、どうにかなると思える力。

  • 神様が何か気づかせてくれるタイミングかな、と考えるタイプ。けがとかについては基本ネガティブじゃない(上野由岐子・ソフトボール)
  • 神様は乗り越えられない試練は与えない(池江璃花子・水泳)


最後の「楽観性」で、「神様」という存在を使って、
今直面している苦難を受け入れようとしている人は少なくないようで、これは面白いですね。

私は、仕事がうまく行く/行かない、仕事で成長する/しないも、
結局、「メンタルが9割」なんじゃないかなと思います。
あなたは、どう思いますか?

さ、この夏も、このオリンピックも、もう2度と来ない。
選手たちを応援しながら、残る7月を元気に過ごしましょう!

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東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の
森喜朗前会長の女性蔑視発言に端を発した
後任会長問題は、橋本聖子前五輪相が就任し決着しました。
橋本さんの人柄や実績についてはよく知りませんが、
当初は過去のスキャンダルなどを理由に固辞していたそうです。
にもかかわらず、火中の栗を拾うようなこの状況で、
よく逃げずに引き受けられたと思います。がんばってほしいですね。


さて、今日の本題は「偏見」についてです。


森さんの発言は「失言」と報じられていました。
あの失言の本質は、言葉の表現の問題ではなく、
心の「本音」が出てしまったということだと思います。
だから、本来はあの発言がなければ良しということではなく、
そういう価値観の人物が組織委員会の長にいること自体が、
世界から問題視されたわけですよね。


今回の森さんの、女性は話が長いという発言内容には、
根っこに「偏見」がありました。
女性に対するネガティブで偏った先入観です。
でも、考えてみると、女性への偏見は未だに社会全体にありますよね。


別に森さんの肩を持つつもりはありませんし、
女性は被害者、男性が加害者と言うつもりもありません。
でも、現に日本のジェンダー・ギャップ指数は153カ国中、121位です。
これは、世界経済フォーラムが毎年発表している
経済・教育・保健・政治分野の男女平等度を表す指数のこと。
あまりの低さにびっくりしてしまいますよね。


話を元に戻すと、ある対象に対して、
ネガティブで偏った思い込みを持つというのは、
人間の特性だとも言えます。
思い込みが怖いのは、思い込んでいるがゆえに、
信じて疑わず、気づけなくなることです。


今回、新会長に就任した橋本聖子さんは、
「参院議員に初当選したとき、
『経済がわからないオリンピック選手がなぜ政治家になるのか』と揶揄された」
とご自身のサイトで書いています。
当選は1995年のことですから、最早26年前ですね。


では、今回の会長就任に対する社会の目はどうなのでしょう?
正直に告白しますよ。
私自身、橋本さんのことをあまり良く知らないのに、
橋本さんで務まるんだろうかと一瞬ですが思ってしまいました。
理由は、やっぱり元オリンピック選手の橋本聖子さんの印象の方が強烈で、
政治手腕やリーダーシップに長けているという印象が薄かったからです。
しかし、だからと言って、26年も政治家として活動して来た橋本さんに対し、
「橋本さんで務まるんだろうか?」と考えるのは失礼だし、やっぱり偏見です。


なぜ、こういうネガティブな先入観が出てくるのでしょうか。
理由を思いつくままに出してみました。
・知らないものに対して、人はそれだけで不安を感じてしまうから。
・アスリートと政治家、それぞれに求められる資質に共通点が見つからず、
 そう簡単に天は二物を与えないと思うから。
・客観的な判断材料がない時は、イメージの影響を受けやすいから。
・これまでに知っている限られた情報だけで、イメージを作り上げているから。
まあ、そんなところでしょうか。


こうして見ると、ほぼ全てにおいて誤解を招き寄せていますよね。
小さなことのようですが、
結局はその思い込みが差別意識とどこかでつながって行くのだと思います。
けれど、実際にはアメリカでは、俳優が大統領にも州知事にもなっています。
日本でも俳優だった森田健作さんは千葉県知事ですし、
東国原英夫さんも政治家でした。
アスリートだったから務まらないと思ってしまうのは、
まさに思い込み以外の何物でもありません。
芸能人によるSNSでの政治的社会的発言をバッシングする風潮にも、
同じような偏見を感じます。


私たちはどうしたら、思い込みを減らせるのでしょうか?
名案は浮かびませんが、
「思い込んでいない?」と自問する習慣をつけるしかありませんね。


コロナによって厳しい状況が続いているオリンピック/パラリンピック。
差別や偏見を乗り越えて来た歴史でもあるし、
ここまで大勢の人たちが努力してきたわけだから、
まさかの奇跡や素晴らしいアイデアによって、開催できるといいなぁと思います。
加えて、私は自分が女性なので、これを機にジェンダーギャップの大幅改善が進み、
国際社会での日本のイメージが変わるといいとも思います。
もしかしたら「オリンピックは無理」というのも、思い込みなのかな?


来週はもう3月です。春の足音が聞こえてきますね。
素敵な1週間をお過ごしください。

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あっというまに2月になってしまいましたね。
時の速さにため息が出ます。
さて、今日のテーマを単刀直入に言うと、
私たちは今、「集中力散漫社会」のネガティブスパイラルの中にいるのでは?
という話です。


実はこれ、先週の私の体験に基づいて考え、
調べた結果、わかったことです。


自分で言うのもなんですが、私の取り柄の一つに、
集中力が高く、しかも持続できる...というものがあります。
なのに、先週の私は、集中したいことにまったく集中できませんでした。
当然、パフォーマンスは下がります。


集中力という観点で自分を振り返ってみると、
もしかしたら、これは先週始まったわけではなく、
ここ最近の傾向であり、むしろ徐々に下がっているのではないかと思えてきました。
さらに考えていくと、このような私の感覚は、
ひょっとしたら私にだけ起きているのではなく、
日本中で起きているのではないか、、、と思ったんですね。


どういうことでしょうか?
生産性と人の集中力というのは正比例の関係にありますよね。
逆に言えば、気が散る時間が多いと生産性は下がる。
だから、気が散る要素を放置しておくと、当然、生産性は下がるわけです。


私の日常で言えば、Slackやメールを読んだり、
それに伴って指示や助言をすることが「気が散る要素」に当たりますが、
このような状況にあるのは、私だけではないと思います。
「通知」という親切な機能が、皮肉にも集中力を邪魔します。
PCだけではなく、スマホにはSNSなどからも通知が届きます。
(設定を変えろという話もありますが。。。)
通知が入るたびに、マルチタスクモードがオンになり、
内容を把握しようとし、必要に応じて応えようとする。
そうすると、本当は集中したかったことから、どんどん意識が離れていきます。


ニューヨーク大学のアダム・オルター教授の研究では、
興味深いことがわかっています。
人がメールをチェックするのに、使っている時間はたった6秒だそうですが、
メールチェックを終えて、元の集中状態に戻すのに、25分かかるというのです。


また、「マルチタスクは脳を疲れさせる」と語るのは、
精神科医であり禅僧でもある川野泰周さん。
Study Hackerのインタビューで次のようなことを述べています。
複数のことを同時に処理するマルチタスクのために、
脳の中のデフォルト・モード・ネットワークという部分が働くそうなのですが、
この部分、エネルギーの消費効率が悪く、
多くのエネルギーが使われる結果、脳を疲れさせてしまうというのです。
脳が消費するエネルギーの6割もがこの部分で使われているという報告も。


デフォルト・モード・ネットワーク? 初耳です。
どうやら、特定の対象に意識を向けず、いろんなことに意識を向けたり、
とりとめもない意識状態の時に活性化する脳の回路のことのようです。
クリエイティブな着想などを得る際にも活躍する部分なのだとか。


一方で、ある事柄について積極的に思考を駆使したり、
意識的に注意を払ったりする状態を司るのは、
セントラル・エグゼクティブ・ネットワークという部分。
集中しているときは、脳のこの部分が使われているようです。


メールも、Slackも、Teamsも、
コミュニケーションという面では大切ですが、
マルチタスクと上手に付き合わないことには、
脳は疲労し、集中力は下がるということです。
その結果、当然生産性も下がってしまいますよね。
ついでに言うと、脳が疲れていると、考えることをやめてしまったり、
感情や悩みにさえ鈍感になっていく気がします。
エネルギーが足りずに悲鳴を上げている脳にとっては、
なるべく省エネでいたいはずだからです。
この状態が社会に蔓延しているとしたら、いいことナシ!
まさにネガティブスパイラルです。


では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?
目下の私はこのように考えることにしました。


8対2の「パレートの法則」というのがありますよね。
・売上の8割は全顧客の2割が生み出している
・売上の8割は、全商品銘柄のうちの2割で生み出している
・売上の8割は、全従業員のうちの2割で生み出している 等々
全体の数値の大部分は、全体を構成する要素の2割程度が生み出している
とする説です。


これは、仕事で費やした時間と成果の関係にも当てはまると言われていて、
成果の8割は、費やした時間全体の2割の時間で生み出されているというのです。
言われてみれば、そうかもしれません。
毎日毎日、8時間、集中を続けるなんてできませんからね。
8時間の2割ということは、1.6時間です。
まあ、少し欲張って1日のうちに2時間だけ集中しようと決めたら、
何となくできそうな気がしますよね。


あなたの脳は元気ですか?
今週も素敵な1週間でありますように!

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あけましておめでとうございます。


箱根駅伝、ご覧になりましたか?
駒澤大学のアンカー石川拓真選手の力走と、奇跡の逆転劇、すごかったですね。
私は残念ながら、ニュースで知ったのですが、
それでも感動したぐらいなので、ライブで見ていたら鳥肌が立ったことでしょう。


「自分を信じて、諦めなければ、何かが起きる」
そう思って走ったそうですが、
たすきをもらったとき、1位の創価大学とは3分19秒もの大差。
それを逆転したのですから、、、、
大いなる力が味方したとしか思えないような快挙です。


さて、年始なので、今日は「大いなる力(のようなもの)」のご利益に預かるには
どうしたらいいのかということについて、真顔で考えてみましょう(笑
もちろん冗談。いえ本気。いや、冗談。でも、結構本気で(笑笑


大いなる力のようなものが存在する/しないは、当然人それぞれです。
存在するという物の見方は、ちょっと宗教的に聞こえるかもしれませんが、
ポジティブな思考にはポジティブな結果がついてくるというような、
一種の人生観のようなものなのだと思います。


で、実は割と多くの人がこのような考えを思っているのではないでしょうか。
「病は気から」なんていうのも、同じようなことです。
自分の気持ちのありようが、目に見えない力を動かし、良い結果につながる。
真剣に信じているわけではないけれど、心のどこかでそんなイメージを抱いている。
日本では「おてんとさま(お天道様)」などと呼ぶこともありますね。
狭義では太陽のことですが、広義では太陽を含む大自然のことです。
良い行いも悪い行いも、人が見ていなくても、「おてんとさまが見ている」と。
では、そのおてんとさま、いったい私たちの何を見ているのでしょう?
あ、真剣に受け止め過ぎないでくださいね。ただの想像の話ですから。。。


話は飛びますが、大晦日に夜更かしをして、
ディズニーの実写版「アラジン」を観ました。
主人公アラジンは生きるための盗みはするものの、
純粋な心の持ち主として描かれています。
洞窟に隠された魔法のランプを手に入れるよう命じられますが、
その洞窟には善良な心と優れた素質を持つ人しか入ることができません。
アラジンは見事洞窟に入り、すったもんだありながら、
ランプの魔法を借りて、人生を切り拓いて行きます。
魔法だなって、奇跡に近い、大いなる力の象徴です。
なぜ彼はランプを手にすることができたのか?
おてんとさま(ここでは洞窟)は彼の中に何を見たのか?
まあ、お話だから起きたと言ってしまえば、それまでですが。。。笑


石川選手の力走とその結果を見た時は、
おてんとさまが見ているのは、諦めない不屈の精神力?...とも思いました。
でも、それではおてんとさまの了見としては狭すぎる感じがします。

そうこう考えるうちに、
ふと、先月、Youtubeで見た田坂広志さんの講演を思い出しました。
それは、32歳のときに癌で余命宣告されたものの、
奇跡的に生き延びた、そんな体験に関するものでした。
現在、70歳でいらっしゃるので、本当にすごい話です。


余命宣告された田坂さんは、絶望的な気持ちのまま、
救いを求めてある禅寺に行ったそうです。
その寺に行くと治癒する人が多いと、両親に勧められたのがきっかけでした。
そこで禅師に言われたのは、励ましでも癒しでもなく、期待とは違った言葉でした。
「そうか、もう命は長くないか...。だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」


そう言われた田坂さんは、死ぬまで命があるにもかかわらず、
自分はすでに死んでいた、と気づいたそうです。
どうしてこんな病にかかってしまったのかと「過去」を悔い、
これからどうなるのだろうと「未来」を憂う。
そんなことばかりに時間を使い、「現在(いま)」を生きていない自分に愕然とし、
その日から生きる覚悟を決めたそうです。
人生にあるのは、永遠に続く現在(いま)だけなのだから、
いまを生き切れ。
そんなメッセージの動画でした。
こんな話を聞くと、田坂さんの著作はより一層深いものに思えてきます。


この動画を思い出した時、
3つの点が重なって、1つになりました。
石川選手にも、アラジンにも、田坂さんにも共通するもの、
それは「いまを生き切っている」ということです。
大いなる力が私たちに味方をしてくれることがあるとすれば、
それはきっと私たちが「過去」でも「未来」でもなく、
「いまを生きている時」なのではないでしょうか。
未来を妄想しやすい私ですが、いまを生きなければと思った年初でした。


さて、今日はこの辺で。今年もよろしくお願いします。
首都圏では緊急事態宣言が発出されるようですが、
他力本願にも他責にもならず、自分のいまを生きましょう!
素敵な1週間をお過ごしください。

先週6日、ロックバンド「ヴァン・ヘイレン」を兄と共に率い、
ギタープレーで人々を魅了した、
エドワード・ヴァン・ヘイレン氏が亡くなりました。
彼のことを知らなくても、マイケル・ジャクソンの「Beat It」の
ギターソロを思い出せる人は多いのではないでしょうか。


私自身も、バンド「ヴァン・ヘイレン」については、
ヒット曲「Jump」とか、「You Really Got Me」ぐらいしか知りませんが、
彼らに限らず、ロックをこよなく愛します。
ロックのどこが好きなのかを考えてみたのですが、、、、
多分私は、ロックスピリットのコアにあるものを「意思の強さ」と捉えていて、
音楽的なこともさることながら、そういった精神性が好きなんですね。
だから、「なあなあ」なロックバンドとか、
ぶつかることを恐れてしまうロックバンドってありえない(笑)


さて、今、「意思の強さ」と書きました。
どんな強さかはともかく、あなたは自分に「強さ」を求めますか?
求めるとしたら、どんな「強さ」ですか?
自分が憧れる「強さ」を何かに例えると、どんなものになりますか?


私は、多くの人は、その人なりの価値観から、
何かしらの強さを自分に求めていると思いますし、
実際に何かしらの強さが人にはあるのだと思います。
でも、「強さ」にもいろいろなタイプがあります。
たとえば、、、


何があっても動じないハガネのような強さ
柳のようにしなやかで折れないという強さ
苦しくても9回裏で逆転するような粘れる強さ
謙虚に物を見られる強さ
毎日の小さな努力を積み重ねられる強さ
切れ味の良いナイフのような強さ
懐深い愛情で物事を受け入れる強さ
ネガティブなことをユーモアに変えてしまう強さ などなど....


自分が欲する強さがどんな強さなのか...のその答えの先には、
往々にして自分の強みがあったりするのかもしれません。


実は、私も去年、当社のDNAを探り出そうとして、
同じようなことを考えました。
企業DNAというのは、なぜ今日まで存続できたのか、
存続を可能にしてきた強み的な要素のことです。
企業の判断基準の元にある美意識や価値観だとも言えます。


その時に当社のDNAの一つとして整理されたのが、
「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


もちろんいきなりこうした言葉が出て来たわけではありません。
当社が大切にしたい雑多な事柄が先にありました。たとえば...
 自然体、しなやかな、謙虚、自己変革、前例にとらわれない、品、
 やってみる、面白がる、気づける、発見する、最上志向、遊び、
 損得以外の価値、プロとしての自負、利益主義、雑談、ムダが大事...など。
他にも様々な概念が出された中で、
これらの概念はある種の強さを志向していると考え、
それをまとめたのが「自然体でしなやかな、謙虚に自己変革できる強さ」でした。


反対に強さに関してありたくないワードを出してみると...。
 根性、攻撃的、暴力的、高圧的、乱暴、横柄、批判、不安
 びくびく、おずおず、ネガティブ、依存体質、他人軸、他責
 プライドが高いだけ、プライドがない、評論家...など。


価値観や美意識に、正しいとか、間違っているということはありませんよね。
ただただ自分の価値観や美意識に背くと感じながら、
無理にほかの価値観に合わせようとすると、誰しも心が穏やかではなくなります。


だからこそ、採用活動/求職活動では、事業内容や職種だけでなく、
価値観が合っているかどうかを見極めることが大切ですよね。
なぜなら、心が穏やかではないということは、アンハッピーということだからです。
ってことは、自社の価値観を知るのも大切ですが、
自分の価値観を知るのが先決ということになるのでしょうか。
組織人である以上、1日8時間は働くわけですから、
価値観という切り口で自分の幸福を求めたり、
人と対話したり、社内メディアで話題にしたり、、、
時には必要かもしれませんね。


10月も中旬になってしまいました。
今週も素敵な1週間でありますように。

あなたは人の、あるいは自分の、「OS」について考えたことがありますか?
本来、OSとえば、Windowsの「Windows 10」、Macの「Catalina」のような
コンピュータのオペレーティングシステムですが、
それになぞらえて、今日は、人のOSとそのバージョンアップについて、
ヒントを探ってみたいと思います。


当社では、スタッフに対して成長には「スキル」より「OS」の方が大切だと
伝えています。
スキルというのは、OSの上で動くアプリケーションのようなものだからです。
といっても、では「人のOSとは何か?」と聞かれると、説明は簡単ではありません。


OSはパフォーマンスを左右するものだと考えると、
パフォーマンスを生み出すのは第一に思考と行動です。
思考が行動を作り、行動が思考を作ると言われるように、
パフォーマンスを高めるには、行動はもちろん重要ですが、
思考の質を高めることが必要です。


思考という言葉には「理」のイメージがありますが、
一方で、仕事でパフォーマンスの高い人は、
人間力のようなものを持っていることが多いのではないでしょうか。
これは、どちらかというと「感」のイメージですよね。
相手の気持ちを汲み取ったり、
場に起きていることを感じ取ったり、
人の気持ちに対してだけでなく、自分の気持ちにも素直であったり。。。
これらは、理屈というよりも、五感や感受性に寄るところが大きいですよね。


で、今、「理」と「感」を分けられるかのような書き方をしました。
一般に、しばしばこの二つはあたかも別のことのように扱われることが多いです。
でも、ふとこんな考えが浮かんできました。
本当にそうだろうか?と。
理的なこと、感的なことは確かに別々に存在しているような感じがしますが、
実は、その間はむしろ密接に連携し合っているもので、
明確には分かれていないのなのではないか、
むしろ人間の「理」の力と「感」の力は一体のもので、
1つのシステムとして、インプットとアウトプットを行なっているに違いない、と。


まあ、これ、専門家の誰それによれば...というような根拠もなく書いていますので、
真に受けないでくださいね。


ただ、こう考えると、まんざらウソでもないと思えるような...。
たとえば、目の前の誰かが、大笑いしながら、何かを話していたとします。
笑っているという表情の情報は目から入り、話す内容は耳から入ります。
この人が本当に楽しくて笑っているのか、
お愛想のためにウソっぽく笑っているのか、
あるいは、威圧するために笑っているのかは、
大抵の場合、人間の動物的感覚で何秒もかからずにわかります。
しかも、そこに至る過程の情報を理解していれば、
動物的感覚から得た情報に加え、分析的な思考が働き、笑いの真意がわかります。
「理」の力と「感」の力は一体的なもの...と思ったのは、そういうことからです。


そういう意味で、人のOSのバージョンアップを図るには、
思考の習慣を変える、思考の質を変える、
広い意味で感覚感度を高めるなどが役立ちそうですが、
抽象的にそんなことを言われても、何のヒントにもなりませんよね。


そこで、私の個人的な意見がお役に立つとも思いませんが、
OSを高めるためのアイデアをもう少し具体的に書いてみることにします。
私は「自分が『わかったか』どうかへの感度」を高めることは、
OSの質を高める上で効果があるのではないかと考えています。
自分自身の理解の状況さえ自覚できない時に、
他人のことなどわかるわけがない、というのがその理由です。


あなたは、自分の「わかった」と「わからない」の
その感覚をどのくらい意識していますか?
同じ「わからない」であっても、
経験を積むと、自分の抱く疑問点は明瞭になりますが、
若くて経験の浅い段階では、その感覚がぼんやりしがちです。
自分が、わかっているのか、わかっていないのか、わからないという感覚。
わからないことはわかっても、何がわからないのかわからないという感覚。
そんな状況に陥るのではないでしょうか。


「わかった」が成立する1つの基本パターンに、
こうだから、こうで、だからこう、なので、こう...というように、
前と後ろの関連がわかって、全体がわかるというものがあります。
ここで「わかった」感覚を支えるポイントは2つです。
・前後のつながりがわかる
・そのつながりに基づく全体像がわかる
そのパターンで「わかった」経験を重ねていくと、
段々自分がわかっている/いないに自覚的になれます。


さて、「自分が『わかったか』どうか」にアンテナを張ることも重要ですが、
「『わかったつもり』になっていないか」というアンテナを張ることは、
もっと重要だと思います。


「わかった」と思えた時、人はすっきりしています。
「わからない」と思う時、人はもやもやし、疑問が湧きます。
でも、その中間に「わかったつもり」というやっかいな状態が存在しています。
教育の専門家である西林克彦氏は、
その著書「わかったつもり〜読解力がつかない本当の原因」の中で、
「わかったつもり」というのは、
・わからない点はなかった
・自分のわかり方に、さして不満はない
・それほどはっきりした「よりわかりたいという欲求」はない
...と思っている時に起きると言います。


「わかったつもり」でいる時、その人はその状態に満足しているので、
それ以上に知りたいという欲求が起きません。
そのような状態の人に、さらにわかってもらうように上司として指導する場合、
上手な問いかけが必要ですが、そもそも本人が知りたいと思っていないので、
風穴を開けるのは簡単ではありません。
もちろん、これは上司の立場も同じです。
書いている私だって、「わかったつもり」に陥ることがあります。
でも、「わかった」「わからない」「わかったつもり」があることを、
みんなが知ってさえいれば、もう少しオープンに話せそうです。


2020年もあと3カ月。。。。
今週が素晴らしい1週間でありますように!

先日、あるメーカーの営業職Aさんから、素敵な話を伺いました。
BtoBtoBのビジネス構造で、
自分の思い込みを超えて、行動した...そんなエピソードです。
その要点をお伝えするために、
B1→B2→B3として、話をしたいと思います。


B1にいるAさんが、B3に働きかけても、話は聞いてもらえないからムダだ、と
前任者から引き継がれたそうです。
でも、AさんはB3に働きかけてみることにしました。
商流は今まで通りB1→B2→B3を前提として、です。
その結果、どうなったかというと...
B3と良い関係が築けて、B2との受注率が上がり、
価格的にも優位になった。
そんなエピソードでした。


ビジネスにおいて、B1はB3と接触してはならない。
もしかしたら、これは思い込みかもしれませんね。


私の人生において、人の話を鵜呑みにするのはやめよう、
人の判断より自分の判断だ...と最初に思ったのは23歳の頃でした。


当時、私は某大手石油会社の秘書室にいて、専務秘書になったばかり。
前任の先輩が社長秘書になったので、私がその後釜に入ったというわけです。
その専務は怒りの感情を素直に出す方でしたが、
前任の先輩はとても気に入られていました。


私は勝手がわからないので、専務から何かを指示されるたびに、
前任の先輩に判断を仰ぎました。
ところが、その先輩の指示通りやっても、専務はこういうのです。
「Xさんなら、そんなことはしなかった」。
そういうことが何度か続き、それなら自分で判断しようと思うようになりました。
あ、別に先輩を咎める意図は毛頭ありません。


その専務を担当させていただいたことは、
私の人生の中でとても良かったと思っています。
なぜなら世のお父さんたちはこういうボスを相手に
こんなにがんばっているんだ...とわかったので笑


さて話を元に戻します。
思い込んだり、他人の判断に単に踊らされるのは避けたいですよね。


今回の新型コロナウイルス騒動も同様です。
マスクがなくなるのはいざ知らず、
なぜ、トイレットペーパーまでもがこんなにもなくなってしまったのか。


未知なるものに不安を抱くのは仕方ありません。
でも、ガンにかかるリスクの方がはるかに高いです。
あー、いえ、別に新型コロナウイルスのことを強調したいのではありません。


私たちの思い込みにもっと目を向けるなら
「思い込み」「バイアス」のキーワードで検索すると、たくさんん出てきます。
ここでいう「バイアス」とは心理学でいう先入観や偏見、思い込みを指します。


そんな中でも「あるある」系は...
これまでの自分のやり方に固執して、それ以外を正当に評価をしない
「保守性バイアス」とか、
とりあえず周囲の人に合わせようとする「多数派同調バイアス」など。


自分だけの傾向ではなく、人はみんなそういう傾向があると知っていると、
自分を客観視しやすくなりますよね。
私が陥りがちなバイアスには、どんなものがあるかな?
...なんて、振り返った先週でした。


と書いてから気づいたのですが、これは先週の阿部のメルマガとも通じるものがあります。
「同調バイアス」などは前回のメルマガでも紹介されていましたね。
グラスルーツ、バイアスの話ばかりしやがって、、と思わないでくださいね(ペコ)


まだまだ落ち着かない日々が続きそうですが、
素敵な1週間でありますように!

 

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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