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リーダーは、人が持っている「創造力」と「才知」を信じる

⚫️大好きだった友だちMさんが残した言葉「NCRWを忘れないで」とは?


「NCRW」。初めてこの言葉を聞いたとき、なんのこっちゃい?と思いました。しかし、今は、リーダーが持つべき素晴らしい哲学だと、私は受け止めています。なぜ、今日、「NCRW」について書こうと思ったのか。それには訳があります。


一昨日の11月3日、私より3つ上の先輩であり、大切な友人のMさんが亡くなりました。その彼が社会に対して伝えたかったメッセージ、それが「NCRW」です。NCRWとは、コーチを養成している世界的組織、CTIが提唱する「コーアクティブ・コーチング(R)」の根底に流れる次のような考え方を表すものです。その考え方とは...


People are ;
Naturally Creative Resourceful and Whole. (NCRW)
人は;
もともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。


亡くなったMさんは、コーチとして活動している人でした。私が初めて出会ったのは、昨年、2014年4月。1年間のリーダーを対象とした学びの場においてです。しかし、その半年後、Mさんは余命10カ月と医師から診断され、そのことを共に学んでいた私たち仲間に公表しました。ガンでした。結果、診断よりも2カ月長く生き切って、一昨日亡くなったのです。


昨年、Mさんが余命宣告を受けた後、私は彼とメッセージ交換をしました。ゆっくりと飲みながら対談し、最後にお互いが相手にメッセージを贈る、そんな約束での会食でした。事前に私は、彼に対しこのように趣旨を説明しています。

...誰にでも発したいメッセージがあると、私は思っています。誰に向かってかといえば、広くは社会だし、後世の人たちだし、狭く言えば、家族や友達に向けて。私はそれを聞きたいのだけど、そういうと広すぎるので、「私」に向けて、メッセージをほしいです。それは、私以外の人にとっても、きっとメッセージになるはず。...


そんな私の要望に応えてくれて、彼はメッセージをくれました。次の3行に彼の思いが凝縮されています(実際にはさらに多くの言葉があり、内容も複眼的なものでしたが)。

『NCRWと出会って、僕自身が大きく変わった。これを広めることで、人と人のコミュニケーション、人と人の関係が変わるという信念を僕は持っている。社会を良くするためにも、自分や周りの人が幸せであるためにも、NCRWを忘れないでほしい。』


亡くなったMさんは、もともとは厳格な父親でした。しかし、この言葉に出会い、すでに成人していたお子さんとの関係を変えたいと思ったそうです。そして、彼は子どもを変えようとすることをやめ、自分が変わろうと考えました。すると、彼は、その後、どんどん変わっていきました。私が最初に出会った昨年4月、彼の第一印象は、は岩のように頑として動かなそうな、近寄りがたい人物...というものでした。でも、上のメッセージを贈ってもらった昨年11月、彼は相手を包み込むような受容の人になっていました。それ以降、ずっと彼は、自分をオープンにして、その生き様を見せてくれたような気がします。


知り合って1年半の間、Mさんは私に対してNCRWの言葉通りに接してくれました。私が悩んでいるときに、何度も「ありのままのあなたでいいんだよ」と声をかけてくれました。一方で、ある友人は、突き放されて叱られたそうです。突き放されても、愛を感じたそうです。NCRWを握って叱咤激励をしてきたMさん。


もう一度、書きます。
NCRW=人は、もともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である。
それを忘れないでほしいと、私は託されました。



⚫️防衛本能が「NCRW」の敵


さて、、、、
私は、周りの人に対し、NCRWのような考え方、持てているのでしょうか。
あなたはどうですか? そういう考え方をどう思いますか?


たとえば、部下の出した結果が期待を下回ったとき、
「なんでこの程度しかできないんだ? どうして期待に応えてくれないんだ」と
心の中で相手を責めていないでしょうか。
それをきっかけに、相手の力はこんなもんだと決めつけたりしませんか。


たとえば、自分の子どもが親である自分の言うことを聞かないとき、
「困ったものだ、こんなことではこの先が思いやられる。どうしたものか?」と
子どもに不満や不安を抱いて、ついつい言葉に出していないでしょうか?
(私の場合の対象はむしろ親になりますが)


悪気はないのに、デフォルトの私たちは、上のように反応してしまいがちです。なぜか。私たちにとって、「成果が現れない(できない)」のは「恐ろしい」のです。それは防衛本能からくるものです。「恐ろしい」という防衛本能を源にコミュニケーションしようとすると、無意識のうちに相手をコントロールしたくなります。本当に、無意識のうちに、です。しかし、そうすると、相手は期待に応えるどころか、本来持っている力を出し切れず、その力はどんどん弱まってしまいます。


私に限らず、あなたに限らず、私たちは防衛本能に根ざした潜在意識で自分を縛ってしまいがち。その潜在意識は、自分本来の「こうありたい」「こうしたい」を妨害するだけでなく、人との関係の「こうありたい」を阻害します。そして、「こうしたい」「こうありたい」方向にある自分と、それを押しとどめようとする自分との間で葛藤しながら、生きています。本当は安心して人を信頼したいのに、思うようにできなかったり。

ところが、もし相手の想像力、才知、あらゆる潜在能力を信じて、そこに立脚して関係を作ろうとしたなら、いったい何が生まれるでしょうか。
NCRWという言葉は、NCRWで接した関係とそうでない関係とでは、まったく違う結果が生じるはずだ...と教え諭しているのだと思います。



⚫️「あなたはできる!」と「大丈夫?できる?」の違い


相手を信頼する、相手の力を信頼する、いずれも見守る側の心情としては、簡単なことだとは思いません。でも、「あなたはできる!」と信頼から始めるのと、「大丈夫? できる?」と半信半疑で始めるのとでは、その後の関係も変わるし、結果も変わるはずです。というのは、何かを成そうとしたなら、当人がまず「自分はできる」と思えていることが不可欠です。自分が「自分はできる」と思えていないことには、大抵できません。そんな経験、ありますよね。「できるかな?」と不安に思っていたら、案の定舞い上がってできなかった、など。心のあり方が自分のパフォーマンスに大きく関係しますよね。だからこそ、相手に何かを達成してほしいなら、当人に「自分はできる」と思ってもらうことが不可欠なのだから、「大丈夫? できる?」というスタンスで周りが接触していいはずがありません。Mさんが伝えたかったNCRWの本質の第一は、こういった人の能力をいかに高めるかという視点だと思います。でも、私の勝手な解釈では、それだけではなく、もっと大きなものだったと感じます。

たとえば、子どもが生まれてきたその瞬間に、その子の能力がどうであるかなどと無関係に、ただただ生まれてきてくれたことに感謝し、幸せな気持ちになるのではありませんか? 命の尊さに触れると、誰でも敬虔な気持ちになると思います。きっとMさんは、そういうことを悟り、そういう広さでNCRWという哲学を伝えたかったのではないかと、私は解釈しています。


長くなってきました。最後に私の友人、Mさんの思いを、もう一度、書きます。


『NCRW(人は、もともと創造力と才知にあふれ、欠けるところのない存在である)と出会って、僕自身が大きく変わった。これを広めることで、人と人のコミュニケーション、人と人の関係が変わるという信念を僕は持っている。社会を良くするためにも、自分や周りの人が幸せであるためにも、NCRWを忘れないでほしい。』

ブログを書いている人

小野真由美

グラスルーツの代表。組織をただの集団ではなく、チームにするための組織内コミュニケーションはどうあるべきだろう?…なんていうことを、いつもツラツラ考えています。ブランディングやコミュニケーション、チームやリーダシップ系の話題が7〜8割、その他の話題が2〜3割。そんなブログを目指します。ぜひおつきあいください。

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